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小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

222 天一目箇神を追って②

2014年08月09日 01時34分25秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生222 ―天一目箇神を追って②―


 さらに、天目一箇神の信仰は近江にも見られます。

 滋賀県野洲市の御上神社の祭神は天之御影命(アメノミカゲノミコト)ですが、
この神は天目一箇神と同神であるといいます。
 御上神社のはじまりは、近江富士の通称で知られる三上山への信仰とされてい
ますが、それが天之御影命という神に擬人化(擬神化)されたと考えられています。

 では、天之御影命が天目一箇神のこととされたのはどのような理由からなので
しょうか。
 実はこの周辺からは多くの銅鐸が発見されており、古代には鍛冶に携わる人々
がいたことがわかります。
 すると、製鉄や鍛冶の神であろう天目一箇神の信仰が存在したとしても何の
不思議はないわけです。

 しかし、これまで見てきた丹後の歴史にとっては、天之御影命と天目一箇神が
同神というのは重要なことなのです。
 なぜなら、『古事記』には、開化天皇の妃と御子たちの系譜について、次のよう
に記しているからです。

 「(日子坐王は)また近淡海(近江)の御上に祀られておりました天之御影神
(アメノミカゲの神)の娘息長水依比売(オキナガミズヨリヒメ)を娶られてお生
まれになったのが、
丹波比古多多須美知能宇斯王(タニワノヒコタタスミノウシノミコ)、
次に水之穂真若王(ミズノホノマワカノミコ)、
次に神大根王(カムオオネノミコ)またの名を八瓜入日子王(ヤツリノイリヒコノ
ミコ)、
次に水穂五百依比売(ミズホノイホヨリヒメ)、
次に御井津比売(ミイツヒメ)」

 これの記事によれば、ミチノウシ王の母は天之御影命の娘だというのです。
 つまり、天之御影命は天一目箇神と同一神であり、『播磨国風土記』は天一目箇神
の妻を道主日女命とします。
 一方、『海部氏勘注系図』や『先代旧辞本紀』は、道主日女命を天火明命の妻とし、
その間に天香語山命が生れ、さらにその子が天村雲命だとするのです。

 しかし、丹後がこのように近江とつながっていることには大いに注意が必要です。
 伝承では、最初宮中で祀られていた天照大御神は笠縫邑に遷され、そこから丹後の
籠神社に遷されたといいます。
『日本書紀』の垂仁天皇25年3月の記事には、その後の経緯が記されています。

 「倭姫命、大神(註:天照大御神)を鎮め坐すところを求め莵田の篠幡にいたる。
さらに近江国に入り、東の美濃を廻って伊勢国にいたる。

 籠神社から、鎮座地を求める途中に、倭姫命は近江に踏み入れているのです。
 そこから伊勢に入るコースとして、美濃を通過したとありますが、上記の日子坐王
の系譜の中に登場する神大根王は美濃国造だといわれています。
 『日本書紀』に美濃国造神骨なる人物が登場しますが、カムホネはカムオオネ王の
ことだとされているのです。

 近江の水口神社(滋賀県甲賀市)は大水口宿禰、大己貴命(オオナムチノミコト)、
素盞鳴尊(スサノオノミコト)、稲田姫命(イナダヒメノミコト)を祭神としますが、
伝承では、垂仁天皇の時代に稲田姫命が天照大神の神鏡を奉じて近江にやって来て、
この地に神鏡を鎮座させた際に、神鏡守護の神として大己貴命を祀ったことに始まる、
とされています。
 ここにも、天照大御神の遍歴の伝承が残されているのです。

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