趣味の日記

観劇・歴史・小説・漫画などなど、思いつくままの語り日記

炎立つ

2014-09-13 23:53:38 | 観劇
兵庫芸術で、「炎(ほむら)立つ」を観てきました。
もともと高橋克彦さんの原作が好きで、NHKの大河ドラマにもなりましたし、今回は舞台化ということで、すごく観たかったんです。
舞台になったのは、原作の第二部、奥州藤原氏初代、清衡を主人公にした部分。
第一部の、その父経清の物語と、第三部の藤原四代泰衡の物語は、滅ぼされる話なので、第二部は楽土を興して一番希望に満ちる話なのかな、と思ってましたが、実は一番血生臭く重い話だったのかも。
焦土からの再生を目指すという物語は、より希望を求める描き方になるんじゃないかと思うんですが、今回は、その焦土と化すまでの凄惨さ、救いがなくただ理不尽さに耐える重みが、かなりキツかったです。
そして、「楽土をつくるために、なぜこれほどの血が流れなければならないのか?」というテーマが、ずっしりと重くて、明確な答えにならない。それが、作品をさらに難しいものにしたかも、と思います。
それにまず、奥州藤原氏の具体的家系や歴史背景を知らないと、この作品はわかりにくいんじゃないかと。まぁ、観にくる人はある程度は原作を知ってるんだとは思うんですけど、それでも一般的(特に関西)には、奥州藤原って認知度低そうですしね~。

愛之助さんの清衡。ひたすらに耐え、苦しみ、のたうつ役なので、ものすごく精神力が必要な役だなぁと。大河では村上弘明さんでしたね。大河では緩和された描き方も、舞台では容赦なかったので、ひとり生き残る苦悶がなお一層深かったです。
弟の家衡は、三宅健さん。アラハバキに操られ、どんどん道を踏み外していく転がり落ち方が悲惨でした。父親違いの兄弟ゆえの、清衡と家衡の母親への思いが、それぞれに切ない。
大河では豊川悦司さんだったのですけど、そのときも怖いくらいでしたけどね…。

古代の荒ぶる神アラハバキを、平幹二朗さん。さすがの存在感と異様さ。東北の守り神のようにも見られやすいアラハバキですが、決してそうではない。太古神、運命神、そして自然そのものの理不尽さを象徴する存在として、容赦なく存在し、清衡も家衡も試練と運命で打ち据えてました。
母親の、三田和代さん。蝦夷の楽土をつくると予言された清衡と、その清衡を守るために敵に嫁いで産んだ家衡と、決して和解することのない兄弟の間で苦しみ、ついには家衡の暴挙から清衡を守るために自害してしまう。それでも、清衡への思いと同時に家衡へも見せる母性が、哀しくてやりきれない。
清衡の妻の、宮菜穂子さん。清楚に、鮮烈に、清衡のために命を断つ、その想いがただ切ない。
母親と妻の死を目の当たりにしてなお、耐えなければならない清衡の運命とは何なのか、その先につくる楽土は、本当に楽土なのか、ものすごく難しいテーマですね。

清衡に肩入れしながらも、朝廷とそして源氏としての自らの思惑で動く義家に、益岡徹さん。陸奥守として赴任しても、所詮は余所者であり、蝦夷の心の叫びを理解できない朝廷人としての傲慢さと、役人的な小人物っぽさがありました。
大河での佐藤浩市さんの義家は、渋くて印象的で好きでしたけどね。
アラハバキの巫女でコロス役の新妻聖子さんが、凄みのある歌声を響かせてました。ギリシャ悲劇っぽいコロスたちの存在が、なおさら重々しくて、運命の理不尽さというか、追い詰め感が増していたようにも思います。

全体が予想以上に重い作品になっていたのですが、理不尽に奪われ、喪われたものに耐え、それでも生きて楽土をつくろうと進み続けるしかない清衡を、いまこのときに描く意味を、考えさせられる舞台でした。

劇場へ行きがけに、久しぶりに乗った阪急電車。
偶然にも100周年車両でした♪







コメント
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