さっちゃん 空を飛ぶ

認知症で要介護5の妻との楽しい日常を 日記に書き留めたいと思います

牛乳パックを切り開く作業を今日は初めて僕ひとりで行いました

2020-06-29 23:31:43 | 出来なくなったこと
牛乳パックとさっちゃんが夜飲んでいる野菜ジュースのパックがたくさん溜まってました。
お昼過ぎにその切り開き作業をすることにしました。

以前はさっちゃんにも手伝ってもらっていた作業です。
認知症になってからもしばらくは、切り開く最初の部分だけに数センチの切れ込みの目印を入れておきさえすれば、後はさっちゃんがやってくれてました。
そのうち、底部分の切り開きには力を込めてハサミを使わなければなりませんから、だんだん難しくなりました。
ですから、最初にハサミを入れる長い1辺だけを切ってもらうことにしました。
さらに時が経つと、その最初の1辺も最後の底に近づく辺りは力が足りずに切れなくなりました。
それで、最初の1辺の半分ほどだけを切ってもらうことにしました。
そして、前回のこと、最初の1辺を切り始めること自体が出来なくなっていました。
ハサミの握り方、使い方も忘れているので、手を取って握らせて切ってもらおうとしましたが、力自体も弱くなっていてまったく切り進めませんでした。

ですから今日は、最初からさっちゃんには何も頼みません。
さっちゃんはテーブルの向かい側に座って、僕の作業を見てもいないようです。
関心もないようです。
けっこう溜まっていましたから、僕ひとりで30個ほどを切り開きました。

たかが牛乳パックの切り開き作業ですが、物事が次第に出来なくなっていくプロセスを見せてくれている気がします。
牛乳パックのどの辺を切ればいいのかは、最初に分からなくなる事柄です。
これには知識や経験が必要だったり影響して来たり、考える能力も大切となります。
でも、どこを切るかということを教えてあげれば、だいたい出来ていましたね。
しょっちゅう忘れますから、そのたびに教えてあげる必要はありますけれど。

それに続いて起きたことは、ハサミの使い方を忘れてしまうこと、使う力が弱くなっていくこと、このふたつが同時進行だったように感じます。
牛乳パックは比較的硬いですから、ハサミを使う力の弱さの方が目立っていたかもしれませんね。

例えば、着替える作業なども牛乳パックの切り開き作業とよく似ています。
まず出来なくなったり分からなくなったりするのは、どれを脱いで、何を着るかということ。
脱ぐものを教えると、脱ぐことは出来ます。
着るものを教えるだけでは着ることは出来ません。
Tシャツをズボンのように穿こうとすることはしょっちゅうあります。
どう着るのか? 裏表、前後ろ、着方、いろいろと忘れていることはたくさんあります。
知識、経験、思考力は認知症では早く失われるもののようです。
今現在のさっちゃんですが、例えばズボンを穿く場合、ほとんどを介助しなければ穿くことは出来ません。
裏表と前後ろを確認して、さっちゃんに正しい向きで手渡せば、後はすべて自分で穿けていたころもありました。
つまり、今はズボンの穿き方(ハサミの使い方のよう)があやふやになって来ているのです。
さらに、以前は立ったまま自分だけで穿けていたのですが、今は僕の支えが必要です。
最近は、ソファに座ってもらって僕がズボンを穿かせてあげることも多くなりました。
これは肉体的能力の衰えでしょうね。

こんなパターンを経て出来なくなっていく事柄が今後増えていくと思います。
生きていく上で欠かせない、食べること、飲むこと、寝ること、排便・排尿、それらにも同様の進行があるように感じています。
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