5月6日(月)の朝、I老健から電話が入りました。
「さっちゃんが昨晩嘔吐して、発熱があります。酸素も使っています」
その後、I老健の看護師さんとも話し、
「今日は連絡が行くかもしれませんから、電話を気にしておいてください」と言われました。
僕はそれを了解し、次のように伝えました。
「今日は用があってこれから埼玉県の方へ出かけます。戻るとしても少し時間が掛かります」
その時点では、さっちゃんの詳しい容態は僕には分かっていませんでしたから、最悪のことまで予想していました。
このまま危篤状態になって、最期を看取れなかったらどうしよう?! と。
そんなことを想像すると、涙が滲み出て来そうです。
この日は僕が所属している山岳会YYDのI橋さんから誘われて、天覧山で岩トレをする予定でした。
もう一人参加者はいるのですが、岩登り初心者なので、I橋さんのためにも僕は参加してあげたいと思っていたのです。
電車に乗っていると、I老健から電話が掛かって来ます。
座席を離れ、車両の隅へ行き、小声で話をしました。
「これから救急搬送することにしたので、急ぎその病院まで来てください」と告げられました。
僕はすぐ戻ることにし、同じ電車に乗っているはずのI橋さんを探します。
彼はすぐに見つかり、事情を告げて次の駅で僕は下車しました。
隣りのホームに電車はすぐに来て、僕はそれに乗って戻りました。
駅からはタクシーでまず自宅に戻り、自宅からI老健に電話を入れました。
救急車がもうすぐ来て、病院へ搬送される直前のようです。
病院は以前にも肺炎で入院していた近くの病院です。
さっちゃんの保険証などを持って、自転車で病院へ急ぎました。
休日ですから、正面玄関は閉まっています。
夜間通用口から入り、受付で聞くと、さっちゃんが待機している部屋に連れて行ってくれました
▲11:13。さっちゃんがいました。見た感じでは、苦しんでいる様子はありません。体温が38.9度あったことを聞いていたのですが、熱っぽい感じもありません。ただ、目を開けることはなく、声掛けしても反応してくれません。血圧、心拍数、呼吸等をカウントするセンサーが体に付けられています。マスクで隠されていますが、鼻には酸素を送るチューブが入っています。
スタッフの一人にちょっと離れた場所に連れていかれ、延命措置について確認されました。
僕もこれまで何度も確認されたことなので、感情的になることなく淡々と答えました。
強制的な延命措置は採らないということの確認です。
心臓への電気ショックとか、人工呼吸器とか、を使用しないことの確認ですね。
他にも幾つもの書類の説明を受け、サインをしました。
時間が空くと、僕はさっちゃんに声掛けします。
「さっちゃ~ん、さっちゃ~ん」
目は開けてくれません。
点滴などの影響なんだと思います。
しばらくすると、病棟へ移動することになりました。
僕も一緒にエレベーターで病棟へ。
さっちゃんは自分の病室へ向かいましたが、僕はデイルームで待つことになりました。
入院に関するより具体的な説明を看護師さんから受けました。
担当医師からも説明を受けました。
この病院では現在、直接面会することが出来ます。
15分間だけですけれど、病室で会うことが出来るのです。
医師に「明日にも面会は可能でしょうか?」と聞くと、
「もちろんですよ。患者さんにとって良いことなので、是非に来てください」と言ってくれます。
「よしっ、明日は病院へ来る用事があるので、面会しよう!」と決めました。