おーい、雲よ・・・・と
空を見上げて呼びかけた詩人がいた
ゆうゆうと
馬鹿にのんきそうじゃないか
雲よ、お前のことをいっているんだよ
どこまでゆくんだ
ずっと磐城平の方までゆくんか
詩人の方ものんきそうだよね
ところがさ、そうでもないんだ
父親とお祖父ちゃんの仲が悪くて
つらい少年時代だったのさ
「雲」は詩人の憧れだったのかもね
丘の上で
としよりとこどもと
うっとりと雲をながめている、なんて
詩人の心の中が覗けそうじゃないか
その人の名は山村暮鳥
静かな山村の
夕暮れの空に飛んでいく鳥、と
仲間が付けてくれたらしい
キリスト教の伝道師でありながら
おーい、雲よと自然に語りかける
森羅万象にシンパシーを示す詩人を
異端と非難する声のなんと多かったことか
ああ、苦難の人生を歩みながら
雲もまた自分のようだ、と詠む
自分のようにすっかり途方にくれているのだ
あまりにあまりにひろすぎる空の中で
涯のない蒼空なので
おう老子よ、こんなときだ
にこにことして
ひょっこりとでてきませんか
暮鳥さん、暮鳥さんこそ今の世に
ひょっこり出て来てくれませんか
雲のようにゆうゆうと浮かびながら
傷ついた空を癒してくれませんか
(『おーい、雲よ』2015/04/15 より一部修正して再掲)
暮鳥についてはほとんど何も知らないでおりましたので、今回のtadaoxさんの詩を拝読し、大変勉強になりました。
詩の原点のような詩ですね。
低学年の時に、教科書で読んだときは、山村暮鳥という詩人に重きを置いて覚えていましたが・・・・。
今はもう詩人の手を離れて、作品がふわふわと空に浮かんでいる気がします。
私は、自分で勝手に、「おーい雲よ」のトーンが何となくピンとくる感で、感覚的に好きでした。
しかし、最近は、この詩が、何となく感覚的にマッチしなくなりました。
歳をとって若々しさがなくなったからか、都会の生活に慣れてしまったからか・・・
歳をとったせいか、生活環境が変わったからか、マッチしなくなったという感覚よくわかります。