ミソハギ
(城跡ほっつき歩記)より
秋の日のヴィオロンの・・・・ひたぶるにうら悲し
ヴェルレーヌの詩の一節が浮雲となって流れるとき
田舎家の庭先には俺に似合いのミソハギが
夕暮れの風を招き寄せるのだ
百年つづく茅葺き屋根をつたって雀が滑り降りたなどと
ありそうもない噂話が風に舞うころ
一足早く闇を抱えた居間の梁には
短夜を待ちかねた物の怪がしがみついたようだ
そうだよ庭に植えた禊萩は先祖に供える盆花さ
俺の目も俺の歯も代々引き継がれた血の甦りなのだから
先祖伝来の土地で咲かせた野花がお似合いなのさ
日が暮れてもぼんやりと明るい迎え盆の目印にしてもいい
なぜ秋の日のヴィオロンか なぜヴェルレーヌなのか
頭に浮かんだ浮雲は何も教えてくれない
都会の恋に憑かれ 都会の仕事に疲れ
田舎家の屋根に登ってスッテンコロリンなんて・・・・
人生そうそう辻褄が合うものでもなかろうさ
坊主の話では とうとう墓じまいする人が現れたそうだ
いつまでミソハギを咲かせられるか知らないが
物の怪がしがみつく家とバイバイしたって誰が文句を言うものか
夏の日にエレキギターをかき鳴らし
ひたすら狂喜する野外ライブに群衆が押し寄せる
一瞥したまま本堂にこもった寺の坊主は
やおら木魚をひと撫でして漏れ聞こえるライブとセッションする
ミソハギが夢を見たって誰が笑うのよ
雀が屋根を滑り台にしたって誰が呆れるものか
ヴィオロンのうら悲しさは盆花に似合いませんか
俺が二人目の墓じまいをしたからって誰か文句を言いますか
このミソハギは地元の農家の方のご厚意で撮影の前年に移植されたものだと記憶しておりますので、かれこれ10年目をむかえております。
本来は水分を好む宿根多年草とされていますが、移築復元された古民家(推定、築約150年ほど)の水気のない日当たりの良い庭先でいまも元気に生育しています。
毎年旧盆の時期の前後に花の盛りをむかえ、まさしくボンバナの別名に相応しい存在になりました。
なお、この古民家では毎年郷土芸能をはじめとして、夜神楽、民話の語りなどのイベントに積極的に活用されていますが、人影の絶えた夕刻時の深閑とした佇まいからは一種独特の雰囲気が醸し出されます。
墓じまい・・・で終わる詩の世界
若い時は野外ライブの熱狂を楽しんだ人生も、終わりに近くなって見渡してみればこんなものだったかと何となく心もとなくも、その寂しさを納得させられる
悪くはない
自分がいなくなってもミソハギは来年もその庭で咲き続けるのでしょう。
何事もなかったかのように
地球という庭はありがたいことにすべての人々に少しばかりの根っこを生やす土を用意してくれているようです
それで十分。感謝あるのみ・・・
築150年と推定される古民家を移築して、毎年郷土芸能や民話の語りなどを続けているとか。
その庭先には、通常水辺などに群生するミソハギが植えられている。
今まで絶やすことなく酷暑を越させるには、それなりの丹精があたものとと推察されます。
一部開け放したままの障子の奥には、何が潜んでいるのでしょうか。
昼間人を集めて賑やかにしていた後の時間帯には、おそらく別の何かが蠢き出すのではないかと、胸苦しささえ感じてしまうのです。
めったにない切り口の画像を提供していただき、ほんとうにありがとうございました。
地球という庭には、誰が何を植えてもいいし、少しばかりの根っこでも残せばいいのだと諭されているような気がします。
「誰か文句をいう奴いるか」などと、突っ張りすぎた自分が恥ずかしい。
ミソハギはすーっと長い間
静かに見守っていたのでしょう
そしてこれからも続くのでしょうね
お写真と詩が
溶け込むような雰囲気を醸し出し
心に残る素晴らしい作品だと思います
じんわりと人生を思い返してしまいました
ありがとうございました
たしかにミソハギが古民家を見守っているようですね。
家にまつわる様々な記憶を、静かに反芻しているのかもしれません。
写真の視点がこちら側にあるので、より豊かに想像が膨らむのでしょう。
いつもコメントをいただき、ありがとうございます。