キリキリシャン
今年こそ結婚をと誓いあった矢先に、久美の祖母が亡くなった。何年かぶりの寒波に見舞われた二月半ば、一週間ほど臥せったあと入院して三日目に還らぬ人となった。
最期は呼吸困難に陥り、正視できなかったと久美が涙ぐんだ。医師が示す肺のレントゲン写真は、壊死した細胞の墓場と化していた。酸素吸入でも軽減できない肺炎の苦しみが、久美の話から想像できた。
「ごめんなさい、つい取り乱してしまって」
久美が腫れた瞼を上げた。「・・・・おばあちゃまから、見苦しい様子をお見せしないようにと、きつく言われていたのに」
睫毛の先で水滴が光った。
光の源は霊安室の蛍光灯である。八畳ほどの畳敷きの部屋に、膝元を温める電気ストーブが置かれ、細長い組み立て式の机をはさんで久美と対している。
赤く熱したニクロム線の周囲にだけ、温度を上げた空気の塊がある。それらを閉じ込めるように、部屋の冷気が幾重にも取り巻いている。季節のもたらす寒さのほかに、ドライアイスの気化の気配が感じられた。
「この場で、お別れさせていただいていいですか」
「はい」
声を張って、久美が起ち上がる。
簡素な台の上に安置された遺骸のそばに進むと、吉村をうながすように振り返った。
「洋三さん、どうぞ」
徹夜で病室に詰めていた疲れが、久美の顎を尖らせている。
覆いの布がゆっくりと捲られる。白い綿花に埋もれるように久美の祖母が沈んでいた。
もともと小造りの顔であったが、このときは特に慎ましく見えた。
吉村は、つい先日まで涼やかな声で客に接していた老女を想い浮かべていた。
よく動く目で相手に応じ、すばやい身のこなしで酒肴を運んでいた。吉村が久美に連れられて初めて<ふくべ>を訪れた日のことが、ありありと目裏に浮かんでくる。
いま、吉村の見守るなか、透けていく死者の面の下から魂の輝きが照射される。キリキリシャンと生き抜いてきた八十年の、ほんの一瞬のかかわりなのに、吉村にも眩い映像を写して見せる。
家族に限らず、<ふくべ>の客一人ひとりが手にする追憶も、吉村の網膜に留まるものと余り違わない気がする。
ああ、あの若々しかった老女・・・・。小気味よい会話の断片が、風鈴のように耳元で音を生む。確かな人間と触れ合った実感を呼び覚ますのだ。
吉村は、命というものが一代限りで尽きるものとは考えていない。一人の人間が死に臨んで放つ輝きは、無限の時空を駆けていく。同じ場所、同じ時間を共有した草や木や石たち、人も動物も虫たちも、たがいに触れ合った歓びを共鳴させながら、漣のように連帯を拡げていく。
だから死者を悼む気持ちは胸の中に仕舞って、静かに反芻するのがふさわしい。殻を脱ぎ、素の生命に立ち戻れば、人の死も森羅万象の真理と同じように受け止めることができるのだ。
「おばあちゃんの作ってくれた伽羅蕗は最高でした」
いま、吉村は目の前の死者とその孫に話しかけていた。
客の出入りの合間を縫って、季節ごとの材を用いた小鉢をよく振る舞ってくれた。
「久美さーん」
階段の下から声がかかると、トントントンと降りていった久美が、品のよい器を載せた盆を運んでくる。
「どうぞ召し上がって・・・・」
そのつど盛り付けられた料理を傾け、吉村にお披露目する。ほほえましいのは、久美もまた心から料理に惚れ込んでいる様子が伝わってくるからだ。
コゴミやゼンマイ、菊の膾にゴーヤの油いため、凍豆腐と芋がらの煮付け、露地野菜のお浸しなど、どれも旬の香りに彩られた一品だった。吉村には未知のフキノトウにびっくりした想い出もある。
中でも花がつおをハラリと載せた房総の菜の花が忘れられない。
包丁の切り口そのままに、季節の先触れを舌に載せる幸せは他にない。ほどなく口腔いっぱいに拡がっていくものに追いすがろうとして、おもわず目を瞑ったものだった。
(一心不乱・・・・)
多くの客が愛して止まなかった味の秘密を、いま老女の口から語られているような気がした。単なる商売では到達しえない心境だ。
「ありがとうございました」
久美の頬が、こころなしか血の色を濃くした。「・・・・おばあちゃまは、洋三さんに季節のものを食べていただくのを、いつも楽しみにしていました」
甲斐のある人だと、同じ意味のことを前にも言われたことがある。
その時には答えようがなくて頭を下げただけだったが、今あらためて老女の胸中にあった思いを知って、ありがたさに涙が頬を伝った。
葬儀社の社員と打ち合わせを終えた久美の父が、顔を覗かせた。
手伝いを申し出たが、とくに人手を要することもない様子だった。連絡すべき親戚はそう多くないと久美から聞いていたし、仕事関係は飲食店組合の役員が仕切ってくれるとのことであった。
通夜も告別式も、なんの心配もなさそうだ。吉村としても、それ以上そこに留まる理由はなかった。
<友引>を避けて、一日置いた土曜日が告別式という日程になった。
その日はわずかに太陽が顔を覗かせて、午後一時ごろには寒さもいくぶん和らいだ。
会場となったのは区の公民館で、ちんまりとした式の進行を考えていた吉村は、意外と多い焼香客の数に驚かされた。
地元の商工会議所から贈られた花輪と対で、有名な劇場主の花輪が並んでいた。隅田川沿いの老舗料亭の経営者でもあるこの人の名は、区内ではよく知られていた。慶弔いずれの場合でも見かけるのは、このあたりの世話役であり実力者であることの証なのかもしれなかった。
そんななか吉村の注意を惹いたのは、杵屋某と書かれた一門代表の名札が添えられた生花だった。
彼の知るかぎり、みずみずしい切り花をスタンド型の籠に盛ったそれは、かなり高価なもののはずである。長唄三味線の社中とどんな繋がりがあるのか分からないが、気になることは確かだった。
他にも歌舞伎役者や寄席芸人からの献花もあった。おおむね界隈の劇場・舞台を活躍の場とする<ふくべ>出入りの人びとと思われたが、中には近くに住まいを持つ芸能関係者からの花束もあった。
郵便配達という仕事がら、多少知名の者を思い浮かべるられるのが自慢だった。あのテニス選手はここ、あの演歌歌手はここと、数え上げれば五指に余る有名人を口にすることができる。普段はことさら話題にすることもないのだが、久美にかかわりのあることだと興味が湧くのを抑えられなかった。
「それにしても、なぜ?」
吉村は心の中で呟いた。贔屓というだけでは説明がつかない。久美の父親の関係というよりも、亡くなったおばあちゃん自身の交流に拠るものではないのか。そんな気がして、久美に質問してみようと思っていた。
疑問はまもなく解けた。
弔辞を読んだ繊維卸売業組合の理事長が、日本橋小町ともてはやされた娘時代のおばあちゃんについて触れ、紋章絵師だったその父親の評判と共に、往時を懐かしんでみせたからだ。
銀座から紋屋のもとへ、歌舞伎役者がリキシャで乗りつけた戦前の賑わいを描写すると、参列していた元芸妓と思われる一団に歓声が上がった。
修業時代に聞き知った日本橋小町のセツさんの噂が、この場で俄かに現実とつながったことも一因だったのだろう。
「うわあ、素敵だわ。人力車で乗りつけたんですって・・・・」
ひそひそと囁き交わす興奮が、吉村のところまで波紋のように寄せてきた。
四十九日が済んだあと、吉村は明治座裏の喫茶店で久美の口から祖母とその父のエピソードを聞いた。
セツの父は、米粒にいくつも細字を書けるという達人で、本場の京都の絵師たちも一目置いた存在だったらしい。
男子が誕生していれば、後継者として厳しい修業を課していたのだろうが、娘のセツが生まれた後、次の子は得られなかった。
結局一人娘のセツは溺愛されて育つことになるのだが、美貌に加えて心根も優しく、芯の強さを別にすれば円満な性格を形成しつつ成長していった。そんなことから、両親ともに家業のことより娘の幸せな結婚を望んだようだ。
後継は内弟子に託し、娘には日本舞踊や茶の湯・活花など目ぼしい稽古事はほとんど習わせた。どこへ出しても引けを取らない。・・・・それは紋屋としての生き方と軌を一にしていた。
少女時代からセツは周囲の注目を集め、紋屋のお嬢さんと呼ばれて可愛がられた。普段から和服が好きで、矢絣の銘仙を好んで着ていたという話が伝わっている。
長じても、控え目にすればするほどセツの色香は匂い立った。十七、八歳の頃から誰言うとなく日本橋小町と呼ばれ、多くの男たちの心を虜にしたらしい。
セツへの接近は、父親の目をくぐって試みられることになる。したがってチャンスを得るという点では紋屋に出入りできる者が有利で、当初から歌舞伎界大御所の付き人として接触する機会の多かった若手役者との噂が流れた。
他にも当地の資産家御曹司が割って入り、恋の鞘当てが繰り広げられたという。今ほど奔放な時代ではないのに、久美の口から語られるセツの物語は、吉村にとって体が疼くような濃密な印象をもたらした。
セツが容子のいい役者になびいたのは、女であれば当然だったかもしれない。
しかし、歌舞伎の世界はセツが想像した以上に特殊だった。結婚したものの、<芸のこやし>を免罪符に夫の遊びは止むことがなかった。周りの者たちも唆し、煽りたてて、連日夜の街へ繰り出した。
銀座はもとより、新橋、築地、月島、浅草、深川、果ては州崎あたりまで、女たちの寵をいいことに遊びまわっていた。
大向こうから声の掛かるほどの名門ではないにしても、特異な環境で育ってきた義母や小姑はすべて夫の味方で、セツは考えの異なる一家のなかで孤立する破目に陥った。
結局、人との折り合いに疲れ、子を生さぬまま失意のうちに婚家を離れることになった。
「おばあちゃまのことを、妾ぐらいにしか考えていなかったのね」
夫となった役者は、張り合った勢いで後先考えずに結婚はしてみたものの、格式の違う職人の娘をどこかで軽んじていたのだろう。
後に衰運をたどることになったのも、セツの天稟を活かせなかった役者一族の自業自得であった。
数年経って、セツは囃子方の男性と再婚した。
どこで見られていたのか、暗闇からぬっと現れて愛を伝えた寡黙の男に、こころを摑まれた。
来る日も来る日も舞台と隔絶された場所で、地鳴りのような長唄を謡い続けてきた男の眼差しは、セツにとって神秘に映った。
(いつも黒御簾の中で、星のように輝いている・・・・)
普段は舞台下手の人目に付かない一角に籠もっていたのに、突然出囃子を決意して、娘道成寺を舞わせる情念の迸りと同じものを、セツの許にも送ってよこす。
セツは夜空の恒星と渦巻く闇の力に翻弄され、囃子方の手に落ちた。自ら望んで困惑する両親を振り切った。
三十歳を目前にして子を授かり、その子が成人すると本人の希望もあって板場の修業をさせた。裏方に毛の生えたほどしか与えられない長唄三味線の給料では、安心して口をあがなうことができないからだ。
夫には杵屋の仕事に徹してもらうが、自分と息子は別の道で生計を立てていかねばならないのだ。日がな一日、謡の稽古に明け暮れる夫の後ろ姿に目を留めることもある。好いた人の声をうるさく思うなどということはないが、仮縫いの運針を急ぎながら息子の将来に夢を移してみることもあった。
苦労の甲斐あって人形町の路地裏に<ふくべ>を立ち上げたのは、久美の父が築地にある老舗料亭の料理長として評判を取るようになってからだ。食通で知られる映画会社の会長が、熱心に後押ししてくれたという事情があったようだ。
「お父さんは京都で修業してきたけれど、人の価値を身分で判断するのが大嫌いなの」
スポンサーとなった会長にも、遠慮のない意見を述べたし、会長もまたそんな料理長の気風に惚れて資金提供をしてくれたようだった。
「お父さん、凄いんだね」
吉村がうなった。日本映画隆盛のよき時代だからとは思っても、人の心を動かすものは今も昔もそう変わっていないはずだ。
「どんな素材でも、その持ち味を最高に引き出せたときが料理人の幸せだって、いつも言うのよ。だから、おばあちゃまとは完璧同意見。春になったら、土筆の醤油焼きや、野蒜のヌタを出そうと、館山から来る行商のおばさんに頼んでいたくらいだから・・・・」
春を待てずに逝ってしまった祖母を偲んで、久美はまた涙ぐんだ。
浜町に紋屋の店を守り続けてきたセツの父が亡くなり、弟子の一人に暖簾を譲った。
一人娘のセツは、借地と家屋を処分して得た金を<ふくべ>の運転資金にしたが、紋屋の商権はほとんど無償で弟子に引き渡した。
「誰のものでもない。活かして使ってこその命だ」と、口癖のように言っていた父の言葉に、素直に従うことができた。
身軽になったセツは、息子が出した季節料理の店を手伝って、大いに力を発揮した。もともと人脈には恵まれていたし、演芸関係の人びとの応援も加わって<ふくべ>の評判を高めた。
芝居帰りに立ち寄る客にも、実業界のお偉方にも、口うるさい演劇評論家にも、なんの隔たりもない料理を出した。
役者だろうが、裏方だろうが、背筋を伸ばして仕事をする者が一番なのだ。
杵屋社中の一員として安定した力量を発揮していたセツの夫は、息子と妻の奮闘を静かに見守っていたが、やがて六十二歳の若さで惜しまれながら世を去っていった。
仕事を終えた楽屋で、気分が悪いと言ったままの、クモ膜下出血による急逝だった。知らせで駆けつけたセツの呼びかけにも、ついに答えることのない無言の旅立ちだった。
「最後まで寡黙の人だった」
周りのものは訳知り顔に慰めてくれたが、セツにとって夫は決して寡黙ではなかった。そう多くをしゃべらなくても、妻や子に注がれる慈愛の眼差しがすべてを物語っていた。凛と筋の通った生き方が、家族みんなの勇気を支えてくれたと誇りに思っていたのである。
生涯を黒御簾の中で過ごした夫の鍛えた声が、セツの細胞深く食い入っている。ビリビリと空気を震わす波動が、人の世の喜怒哀楽を超えて命の根源に訴えかけてくる。
最高の男と添い遂げ、玉のような男の子を授けてもらった幸せを、セツは胸の内でいつまでも噛みしめていた。健やかに育て上げ、頼もしい男子に鍛え上げてくれた背中の教育に心から感謝していた。
だから涙ではなく、気丈な対応をすることができた。特殊な世界の特殊な付き合いに限られていたが、惜しまれながらの葬儀を立派にやり遂げることができた。
「あの奥さん、強いわね」
「子供もいるし、一度出戻っているからでしょう?」
言われることはすべて当たっている。
キリキリシャンと背筋を伸ばし、子供や孫と共に生き抜こうとしていた。
一心不乱に働き続けた後半生だった。
お姫様のようにもてはやされた少女期、娘時代から、一転苦労の多い人生を歩んできた。しかし、めげることなく人生を楽しんだ一生でもあった。
「わたしもおばあちゃまのように、生きたいな」
久美が言った。
「ぼくも、おばあちゃんのように、涼やかに駆け抜けたい」
吉村が応じた。
「洋三さんの言葉って、ときどき普通じゃなくなるのよね」
久美が笑っている。悲しい時だって笑いたくなることがある。そのことは吉村にもよくわかる。だから少し笑って、話題を変えた。
「久美さん、実はぼくの父親はぼくが小さいころ家を出て行ったきりなんスよ」
なぜ、話題が変わったのか、久美は吉村を下からほーっと見上げた。
「・・・・あまり詳しくは話したことがないけど、女の人ができてその人と家を出て行ったんス」
「そうなの・・・・。それじゃお母さまが大変なご苦労をなさったのね」
「ぼくには腹違いの兄が居て、現在は家業の米屋を守っているのだけれど、父が出て行った後は長い間休業していたらしい」
「それでお母さまは、保険の仕事に就かれたのね?」
久美の問いに、吉村がうなずいた。
「最初は母が家を出て行った。・・・・ぼくだけを連れ戻しに来るつもりだったらしい。・・・・だけど最後は、父がすべてを置いて出て行った。兄と財産を母に託して出て行ったんス」
「・・・・・・」久美は、ただ聞いていた。
吉村は久美に向かって、そのときの経緯を説明しながら、事故を起こして点滴を受けている最中にみた夢を反芻した。あのとき夢の中で感じた不思議さが、いまはさほど不思議には感じられない。ひとたび思い当たると、薬物による幻覚だったようにおもえてくるのが不思議だった。
父と母の入れ替わり・・・・。戸惑いながらも言葉にならない嬉しさを覚えた母の帰還。その背後にあった大人の取り決めが、現在となればはっきりと見えてきた気がする。
「父は不当なことをしたけど、ふしだらではなかった。せめてそれが救いっス。今ではむしろ父親のことが気になって、街の雑踏で捜したりするんスよ」
しんみりとしすぎた空気に気付いて、吉村が照れ笑いを浮かべた。「ごめん、ぼくの話、新派の見過ぎみたいになっちゃったね」
ううん・・・・と久美が首を横に振った。振ったまま、しばらく顔を上げなかった。喫茶店のビロードのソファーに浅く腰を掛けて、膝の高さのテーブルに手を突いている。
「わたしの場合、おかあさんは亡くなったことになっているの。・・・・でも、よく分からない。なんだか、死んだ気がしなくって。おばあちゃまがそう言うから信じ込んでいるだけ。とても怖くて戸籍を調べることができなかったわ」
今度は吉村が黙りこくる番だった。飲み物を挟んで、ふたりとも喉の渇きを覚えていたはずだ。冷え始めたコーヒーと紅茶が、わずかに残った液体を底の方に澱ませていた。
「喪が明けたらすぐに結婚しよう。おばあちゃんに見せられなかったのは残念だけど、きっと見守っていてくれるとおもうんだ」
「そうしましょう」
吉村は、テーブルの上の久美の拳に掌を重ねた。
告白などという大げさな行為ではないが、薄皮を一枚ずつ剥ぐように、自分の殻を脱ぎ捨てられたことは嬉しかった。
久美はいま祖母を失くしたことで、動揺している。あまりにも大きな存在だった「おばあちゃま」の影に、苦しんでいる。
誰が悪いなどというのではない。久美にとって好すぎる人だったから、反動が大きいのだ。
悩むのはつかの間のことだろう。
吉村は、手のひらの中で融けていく久美のこぶしを、さらに包み込んだ。
(第八話)
(2007/02/17より再掲)
文面から様子が伝わってきます。
旬の香りに彩られた料理が得意のようですね。
女性は、母親になると強くなるというは納得です。
通夜の様子が伝わりましたでしょうか。
季節料理の「ふくべ」は旬の料理で歌舞伎界などのお客さんの支持を受ける設定にしました。
久美と吉村くんの生い立ちなどがしばらく絡んできます。
父と母のた大人の取り決め、吉村くんの生い立ちが少しだけ明らかになりましたが、細かい事情は、未だまだ闇の中です。