2005年 日本
監督:篠原哲雄
出演:板谷由夏、村上淳、高岡早紀、津川雅彦、大森南朋
見れば、しごく簡単なストーリーなんだけど、言葉で説明しようとしたら、なんか面倒くさいことになるんですよね。でも、えっと・・・中学時代の同級生だった阿佐緒と偶然再会した類子。類子の結婚披露パーティーで、同じく同級生だった正巳とも再会する。一気に時間が戻り、旧交を温める三人。かつての三人の微妙な関係も蘇ってくる・・・そんな感じで始まるんですが、キーになるのは正巳が昔の事故のせいで不能であることかな。愛における性の位置づけみたいなものが、非常に重要というか、問われるテーマなのかもしれませんね・・・タイトルも『欲望』だし、実際に台詞になってリアルに問われてもいますし。
映画がはじまってすぐの類子の独白に、砂漠のキャンディーの譬えが出てくるんですが、それがやけに好みで・・・おっ、これは好きかも!って思ったんです。でも、すぐに三島由紀夫の世界にドップリって感じになっちゃって・・・これには、ちょっと参っちゃいました(^^;。わたし、三島、苦手なんですが・・・三島を否定しては、この映画は楽しめないっていうか、根本的が崩れちゃいますからね・・・あいや~、参った。
でも、全体が、ずっとそんな感じでした。好きなんだけどなぁ~、でも全体を覆う三島色が・・・でも、好きなんだけどなぁ~・・・。世界観を共有できそうでできないジレンマに、最初から最後まで悩まされました(^^;。
それにしても、男性にとって、立たないってことは、そんなに大きなことなんですかね。いえ、そりゃあ、大きなことだとは思いますが・・・絶対に駄目だってことになれば、別の愛し方だってあるわけじゃないですか。正巳は、欲望は感じるという設定だし・・・インサートできないだけで、愛撫の仕方とか巧いですよね(爆)
たとえばね・・・女性の同性愛者に性愛は成立しないかっていうと、そんなことないでしょ。女の肉体のままでも、愛する女を肉体的に喜ばせられるでしょ。もちろん、彼女たちも、男性のように愛する女と交わりたいと思う気持ちはあると思うんですよ。でも、自分たちの場合はそうじゃないんだということであれば、自分たちなりの愛し合い方をするわけじゃないですか。インサートだけが、性愛のすべてじゃないですよ。
でも、男の人の場合、もともとそういう能力が、当たり前の機能として備わっているものだから、それが駄目となると、男としてのアイデンティティーが崩れ、人間としてのアイデンティティーも壊れるのかなって・・・男ではない身としては、そんなことばっかり考えて見ていました。
三島は、性嗜好はどうあれ、男の肉体をもった人なので、女性の同性愛者の性愛に感じることなどはなかったかもしれませんが・・・この映画の原作は、三島じゃなく、小池真理子さんだし・・・小池さんは、そのあたり、どう感じどう描かれていたのかな・・・なんてことが知りたければ、原作を読めって話ですかね・・・でも、こういう小説は、たぶん苦手だと思います、はい(^^;。
わたしくらいの年代の文学少女なら、共感して当然の世界なんですが・・・あいにく、わたしは文学少女ではないので・・・やっぱり、ちょっと面倒くさかったです、はい(^^:。
上記、読み直して思ったんですが・・・わたし、三島由紀夫さんのことは、三島って呼び捨てで、小池真理子さんのことは小池さんって言ってるんですよね。その違いは、どこから来るんでしょうね。やっぱり、好き嫌いは別にして、三島とか太宰とかは、独自の確固たるものを確立したってことなのかな・・・単に、もう昔の人なだけなのかな(爆)。
『OBERON日記』
http://blog.goo.ne.jp/oberon-p/
監督:篠原哲雄
出演:板谷由夏、村上淳、高岡早紀、津川雅彦、大森南朋
見れば、しごく簡単なストーリーなんだけど、言葉で説明しようとしたら、なんか面倒くさいことになるんですよね。でも、えっと・・・中学時代の同級生だった阿佐緒と偶然再会した類子。類子の結婚披露パーティーで、同じく同級生だった正巳とも再会する。一気に時間が戻り、旧交を温める三人。かつての三人の微妙な関係も蘇ってくる・・・そんな感じで始まるんですが、キーになるのは正巳が昔の事故のせいで不能であることかな。愛における性の位置づけみたいなものが、非常に重要というか、問われるテーマなのかもしれませんね・・・タイトルも『欲望』だし、実際に台詞になってリアルに問われてもいますし。
映画がはじまってすぐの類子の独白に、砂漠のキャンディーの譬えが出てくるんですが、それがやけに好みで・・・おっ、これは好きかも!って思ったんです。でも、すぐに三島由紀夫の世界にドップリって感じになっちゃって・・・これには、ちょっと参っちゃいました(^^;。わたし、三島、苦手なんですが・・・三島を否定しては、この映画は楽しめないっていうか、根本的が崩れちゃいますからね・・・あいや~、参った。
でも、全体が、ずっとそんな感じでした。好きなんだけどなぁ~、でも全体を覆う三島色が・・・でも、好きなんだけどなぁ~・・・。世界観を共有できそうでできないジレンマに、最初から最後まで悩まされました(^^;。
それにしても、男性にとって、立たないってことは、そんなに大きなことなんですかね。いえ、そりゃあ、大きなことだとは思いますが・・・絶対に駄目だってことになれば、別の愛し方だってあるわけじゃないですか。正巳は、欲望は感じるという設定だし・・・インサートできないだけで、愛撫の仕方とか巧いですよね(爆)
たとえばね・・・女性の同性愛者に性愛は成立しないかっていうと、そんなことないでしょ。女の肉体のままでも、愛する女を肉体的に喜ばせられるでしょ。もちろん、彼女たちも、男性のように愛する女と交わりたいと思う気持ちはあると思うんですよ。でも、自分たちの場合はそうじゃないんだということであれば、自分たちなりの愛し合い方をするわけじゃないですか。インサートだけが、性愛のすべてじゃないですよ。
でも、男の人の場合、もともとそういう能力が、当たり前の機能として備わっているものだから、それが駄目となると、男としてのアイデンティティーが崩れ、人間としてのアイデンティティーも壊れるのかなって・・・男ではない身としては、そんなことばっかり考えて見ていました。
三島は、性嗜好はどうあれ、男の肉体をもった人なので、女性の同性愛者の性愛に感じることなどはなかったかもしれませんが・・・この映画の原作は、三島じゃなく、小池真理子さんだし・・・小池さんは、そのあたり、どう感じどう描かれていたのかな・・・なんてことが知りたければ、原作を読めって話ですかね・・・でも、こういう小説は、たぶん苦手だと思います、はい(^^;。
わたしくらいの年代の文学少女なら、共感して当然の世界なんですが・・・あいにく、わたしは文学少女ではないので・・・やっぱり、ちょっと面倒くさかったです、はい(^^:。
上記、読み直して思ったんですが・・・わたし、三島由紀夫さんのことは、三島って呼び捨てで、小池真理子さんのことは小池さんって言ってるんですよね。その違いは、どこから来るんでしょうね。やっぱり、好き嫌いは別にして、三島とか太宰とかは、独自の確固たるものを確立したってことなのかな・・・単に、もう昔の人なだけなのかな(爆)。
『OBERON日記』
http://blog.goo.ne.jp/oberon-p/