
デザイナー水戸岡鋭治について
この秋(10月15日)、JR九州のクルーズトレイン<七つ星in九州>が、とうとう運行を開始した。博多から宮崎、そして鹿児島と3泊4日の旅をする。客車はわずか7両、定員30名の豪華列車である。ヨーロッパを走るオリエント・エキスプレスをも遥かに凌駕する、素晴らしいクルーズ・トレインである。その全容については、すでに本ブログで「旅/エッセイ クルーズ・トレイン<ななつぼしin九州>~沈壽官のこと、という記事を書いているので、そちらを見ていただきたい。
早く乗ってみたいと、予約を重ねているが今に至るも座席を確保できていない。ものすごい人気である。

このクルーズトレインのコンセプトから始まり、細部に至るデザインを行ったのがインダストリアル・デザイナー水戸岡鋭治という人である。1947年岡山県生まれ。県立岡山工業高校デザイン科を卒業後、サンデザイン(大阪)、Sutudio SilvioCoppola(イタリアミラノ)を経て、'72年、東京にドーンデザイン研究所設立した。水戸岡は、その後イラストレーターとして仕事をしてきた。30代の終わり頃博多にある福岡地所というデベロッパーの会社と仕事をすることになった。ここは、博多でキャナルシティという商業施設などを造り、注目をされた会社である。この福岡地所と仕事をするうちに、「今はイラストレーターをやっているけれど、本当はデザイナーになりたい」といったところ、本当に「ホテルのデザインの仕事をしないか」といわれ、「ホテル海の中道」というリゾートの仕事をすることになった。もちろん全体設計をする建築家は別にいて、水戸岡の役目はホテルのサインから客室の壁紙、ベッド、照明そして宣伝用のポスターののデザインと、それを取り仕切るアート・ディレクションの仕事であった。そのホテルのオープニングパーティでJR九州の初代社長石井幸孝氏と出会った水戸岡は、つい鉄道デザインについて悪口を言ってしまった。しかし、石井社長は、水戸岡に好印象を抱いて、「車両デザインはこの人に頼もう」と思った、というのだから面白い。そしsてJR九州のリゾート列車のデザインを仕事にするようになっていった。
水戸岡のかかわるところは、単に列車のデザインにとどまらず、街つくりから社会のあり方にまで及んでいく。いったいどういう男なのか、また彼の主張するところは何なのか、ずいぶんと興味が湧いてきたので、彼の著書『水戸岡鋭治の「正しい」鉄道デザイン』(交通新聞社新書」や「ウェブ ゲーテ誌」などを読み、そのイメージを探ってみた
~~~~~~~~~~~~~~~~~
列車のデザインのことを語る前に、長野県・小布施(おぶせ)という町のことを語ることをお許しいただきたい。2008年の秋、奥志賀高原からの帰りに、小布施に立ち寄った。人口1万人ほどの小さな町だが、町全体がキチンとデザインされいて、そこを訪れる旅人にとって居心地の良いところであった。ある日の夜、私たちは中島千波ミュージアムの向かい側にある<鈴花>という和風レストランで夕食を楽しんだ。その詳しい様子は、気まぐれ日記/信濃の秋(その②小布施)にまとめてあるので、そちらをご覧いただきたい。

食事のクオリリティの高さもさることながら、建物・内装・室内装飾に至るまでに気を配ったデザインも素晴らしかった。オーナー兼料理長の鈴木氏に聞いてみると、水戸岡鋭治というデザイナーの作とおいうことであった。またその後、知ることになったのだが水戸岡は、小布施の町づくりにも協力したらしい。小布施という町は、江戸時代、北信濃経済の中心地であり、多くの文人墨客が訪れている。かの葛飾北斎も長く滞在したことがあり、今は美術館「北斎館」もある。小布施の町では、毎月「小布施ッション」という交流会が行われて下り、水戸岡はJR九州の幹部たちと共にその会に参加した。そこで和菓子「小布施堂」の副社長の市村良三氏と出会った。話が弾んで、その夜は市村氏の自宅に泊まることになった。そして後に小布施の町長になった市村から、「街づくりの政策顧問」になってくれと依頼され、引き受けるに至ったのである。観光客が楽しめる街全体としてのストーリーを作るために、裏通りを心地よく歩いてもらったり、農地・農道を楽しく散策できるように、様々な企画を打ち出した。メインストリート以外の家や街路も、伝統的な街並みを意識したものへと修景していったのである。
実際に歩いてみて、心地良い散策を楽しみ、終日をそこで過ごしても楽しい街であると感じたことであった。
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(やっと列車のデザインの話)
冒頭の写真は、JR九州新幹線に2009年の夏から導入された新800系の列車である。いかがですか? カッコいいでしょう。スタイリッシュですよね。ここでは、映っていませんが、世界初の三次元曲線による「出目金ヘッドライト」を装着しています。
水戸岡は、その著書の冒頭で、このように語っている
”2009年の夏、私が考える鉄道の旅の豊かさ、そのひとつの形を実現した列車がデビューしました。「新800系」という名の、わずか1編成6両の九州新幹線です。そこで私は、日本が誇る最新鋭の鉄道技術が投入された新幹線という空間に、さまざまな土地の伝統工芸を導入しています。客室を仕切る妻壁には、金沢の職人たちによる金箔を貼り、そこに鹿児島・川辺の仏壇職人による木彫や、福岡の博多織職人による作品を、それぞれ金箔の額縁に入れて飾っています。できあがった金色の壁は豪華だけではなく、今までの新幹線では決して感じることのできなかった心落ち着く雰囲気を醸し出せてと思っています。その他にも、鹿児島のクスノキ、宮崎の山桜といった九州産の自然木を多く使用し、久留米絣の暖簾や八代のい草の縄のれん、さらには漆、彫金、蒔絵といった技術まで惜しげも無く投入しています。”
”私は新800系のデザインで、日本の伝統工芸に普遍的な価値を見出したいと考えました。普遍的なものに触れること人は豊な気持ちになると信じているからです”
さらに続きます。
”私たちがJR九州でデザインした新800系「つばめ」は、新八代~鹿児島中央駅間を走っています。最高時速は260キロ。二つの駅の間の距離は約140キロですから、それをたった35分で走り抜けてしまいます。2004年3月に開業しましたが。それからわずか3ヶ月で乗客数が100万人を突破する人気列車となりました”
”JR九州から九州新幹線のデザインの依頼があったのは2001年の暮のことでした。私の頭の中にあったのはJR九州初代社長、石田幸孝さんが列車デザインの会議の際いつも言っていたことばでした。
「いまだかつてみたことのないものをつくりたい」
さらに「私たちが望んでいるのはナンバーワンではなくオンリーワンである」と語ったこともよく覚えています。” 水戸岡が言っているのは、詰まるところ「ワクワク感」です。

またさらに語ります。
”日本人の誇るべき能力には、効率的に物事を処理できることもありますが、もうひとつ、非常に繊細で文化的なものを作り上げる能力があります。私は、後者を生かし、列車空間の質を上げていきたいのです”
(新しい新幹線づくりへの挑戦)
”絵画は額縁がしっかりしていないと、本当によい絵画に見えない。それと同じように、列車の室内の室がよくなければ車窓の風景もつまらなくなるかもしれない。ならば、額縁をしっかりさせよう。”


「正しい」列車のデザインの章では、分業化しないということを力説している。・・・ここは彼のいうところの内、ある意味最も大切なところなので、省略せず、全文をご紹介する。
”JR九州で私は、列車デザイン、その中の椅子、シートの柄、照明を手掛けるだけでなく、駅舎、制服、弁当の包装紙、ポスターのイラストを描くこと、宣伝用のパンフレットの編集チェックなどをスタッフや仲間たちと行っています。職種でいうなら、工業デザイナー、インテリアデザイナー、テキスタイルデザイナー、ファッションデザイナー、イラストレーター、アーキテクトデザイナー、エディトリアルデザイナーを兼ねていることになります。これをそれぞれ別な人に依頼すれば、それぞれの専門家が参加する、分業体制と予算をきずかなければなりません。しかし、もし分業体制でいくとしたら、「これがJR九州」だとアピールできる一貫性のあるデザインは表現しにくい。また分業であれば、人件費もかかり、全体的なコストはかなりのものに跳ね上がるはず。”
”私はこの総合的で創造的なコンセプトが見えないデザインが一番嫌でした。列車の椅子が美しく、駅舎の改札口が格好よくできていても、鉄道全体としてのイメージがぶれていれば、それは正しくデザインが理解されないのです。一つ一つが美しかったとしても筋が通っていなければ、鉄道というダイナミックなシステムの表現としては正しくないと考えます。”
”昔は一人の人間が責任をもって仕事をまとめていました。ダ・ヴィンチもミケランジェロも、日本でいえば運慶、快慶、千利休も一人で美術作品をつくるのではなく、創作集団のトップとしてビッグプロジェクトをまとめていたはずです。
その総合性を、戦後の日本は分断化してしまったのだと思います。あらゆる面で工業化が進み、結果的にクオリティが低く、経費ばかりかかるものになってしまいました。また、工業デザイナー、インテリアデザイナー、テキスタイルデザイナーといったそれぞれの職種の人たちが、小さな領域守ることに汲々としています。そして結果的に質を落としている。こうした状況を脱して、もう一度一人のクリエーターに総合的にまかせるようなシステムが必要なのではないか。”
~~~~~~~~~~~~~~
長々と語ってきましたが、今、水戸岡鋭治という人のデザイン・コンセプト、デザイン感覚にほとほと感じ入っています。もし私が、神戸市長であったとしたら、彼を三顧の礼を持って、神戸の街のトータル・デザイナーとしてお迎えします。そうして海岸地区の景観と街のあり方を一新し、神戸の魅力を高めていきたいと、つくづく思うのです。
~~~完~~~~~
この秋(10月15日)、JR九州のクルーズトレイン<七つ星in九州>が、とうとう運行を開始した。博多から宮崎、そして鹿児島と3泊4日の旅をする。客車はわずか7両、定員30名の豪華列車である。ヨーロッパを走るオリエント・エキスプレスをも遥かに凌駕する、素晴らしいクルーズ・トレインである。その全容については、すでに本ブログで「旅/エッセイ クルーズ・トレイン<ななつぼしin九州>~沈壽官のこと、という記事を書いているので、そちらを見ていただきたい。
早く乗ってみたいと、予約を重ねているが今に至るも座席を確保できていない。ものすごい人気である。

このクルーズトレインのコンセプトから始まり、細部に至るデザインを行ったのがインダストリアル・デザイナー水戸岡鋭治という人である。1947年岡山県生まれ。県立岡山工業高校デザイン科を卒業後、サンデザイン(大阪)、Sutudio SilvioCoppola(イタリアミラノ)を経て、'72年、東京にドーンデザイン研究所設立した。水戸岡は、その後イラストレーターとして仕事をしてきた。30代の終わり頃博多にある福岡地所というデベロッパーの会社と仕事をすることになった。ここは、博多でキャナルシティという商業施設などを造り、注目をされた会社である。この福岡地所と仕事をするうちに、「今はイラストレーターをやっているけれど、本当はデザイナーになりたい」といったところ、本当に「ホテルのデザインの仕事をしないか」といわれ、「ホテル海の中道」というリゾートの仕事をすることになった。もちろん全体設計をする建築家は別にいて、水戸岡の役目はホテルのサインから客室の壁紙、ベッド、照明そして宣伝用のポスターののデザインと、それを取り仕切るアート・ディレクションの仕事であった。そのホテルのオープニングパーティでJR九州の初代社長石井幸孝氏と出会った水戸岡は、つい鉄道デザインについて悪口を言ってしまった。しかし、石井社長は、水戸岡に好印象を抱いて、「車両デザインはこの人に頼もう」と思った、というのだから面白い。そしsてJR九州のリゾート列車のデザインを仕事にするようになっていった。
水戸岡のかかわるところは、単に列車のデザインにとどまらず、街つくりから社会のあり方にまで及んでいく。いったいどういう男なのか、また彼の主張するところは何なのか、ずいぶんと興味が湧いてきたので、彼の著書『水戸岡鋭治の「正しい」鉄道デザイン』(交通新聞社新書」や「ウェブ ゲーテ誌」などを読み、そのイメージを探ってみた
~~~~~~~~~~~~~~~~~
列車のデザインのことを語る前に、長野県・小布施(おぶせ)という町のことを語ることをお許しいただきたい。2008年の秋、奥志賀高原からの帰りに、小布施に立ち寄った。人口1万人ほどの小さな町だが、町全体がキチンとデザインされいて、そこを訪れる旅人にとって居心地の良いところであった。ある日の夜、私たちは中島千波ミュージアムの向かい側にある<鈴花>という和風レストランで夕食を楽しんだ。その詳しい様子は、気まぐれ日記/信濃の秋(その②小布施)にまとめてあるので、そちらをご覧いただきたい。

食事のクオリリティの高さもさることながら、建物・内装・室内装飾に至るまでに気を配ったデザインも素晴らしかった。オーナー兼料理長の鈴木氏に聞いてみると、水戸岡鋭治というデザイナーの作とおいうことであった。またその後、知ることになったのだが水戸岡は、小布施の町づくりにも協力したらしい。小布施という町は、江戸時代、北信濃経済の中心地であり、多くの文人墨客が訪れている。かの葛飾北斎も長く滞在したことがあり、今は美術館「北斎館」もある。小布施の町では、毎月「小布施ッション」という交流会が行われて下り、水戸岡はJR九州の幹部たちと共にその会に参加した。そこで和菓子「小布施堂」の副社長の市村良三氏と出会った。話が弾んで、その夜は市村氏の自宅に泊まることになった。そして後に小布施の町長になった市村から、「街づくりの政策顧問」になってくれと依頼され、引き受けるに至ったのである。観光客が楽しめる街全体としてのストーリーを作るために、裏通りを心地よく歩いてもらったり、農地・農道を楽しく散策できるように、様々な企画を打ち出した。メインストリート以外の家や街路も、伝統的な街並みを意識したものへと修景していったのである。
実際に歩いてみて、心地良い散策を楽しみ、終日をそこで過ごしても楽しい街であると感じたことであった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(やっと列車のデザインの話)
冒頭の写真は、JR九州新幹線に2009年の夏から導入された新800系の列車である。いかがですか? カッコいいでしょう。スタイリッシュですよね。ここでは、映っていませんが、世界初の三次元曲線による「出目金ヘッドライト」を装着しています。
水戸岡は、その著書の冒頭で、このように語っている
”2009年の夏、私が考える鉄道の旅の豊かさ、そのひとつの形を実現した列車がデビューしました。「新800系」という名の、わずか1編成6両の九州新幹線です。そこで私は、日本が誇る最新鋭の鉄道技術が投入された新幹線という空間に、さまざまな土地の伝統工芸を導入しています。客室を仕切る妻壁には、金沢の職人たちによる金箔を貼り、そこに鹿児島・川辺の仏壇職人による木彫や、福岡の博多織職人による作品を、それぞれ金箔の額縁に入れて飾っています。できあがった金色の壁は豪華だけではなく、今までの新幹線では決して感じることのできなかった心落ち着く雰囲気を醸し出せてと思っています。その他にも、鹿児島のクスノキ、宮崎の山桜といった九州産の自然木を多く使用し、久留米絣の暖簾や八代のい草の縄のれん、さらには漆、彫金、蒔絵といった技術まで惜しげも無く投入しています。”
”私は新800系のデザインで、日本の伝統工芸に普遍的な価値を見出したいと考えました。普遍的なものに触れること人は豊な気持ちになると信じているからです”
さらに続きます。
”私たちがJR九州でデザインした新800系「つばめ」は、新八代~鹿児島中央駅間を走っています。最高時速は260キロ。二つの駅の間の距離は約140キロですから、それをたった35分で走り抜けてしまいます。2004年3月に開業しましたが。それからわずか3ヶ月で乗客数が100万人を突破する人気列車となりました”
”JR九州から九州新幹線のデザインの依頼があったのは2001年の暮のことでした。私の頭の中にあったのはJR九州初代社長、石田幸孝さんが列車デザインの会議の際いつも言っていたことばでした。
「いまだかつてみたことのないものをつくりたい」
さらに「私たちが望んでいるのはナンバーワンではなくオンリーワンである」と語ったこともよく覚えています。” 水戸岡が言っているのは、詰まるところ「ワクワク感」です。

またさらに語ります。
”日本人の誇るべき能力には、効率的に物事を処理できることもありますが、もうひとつ、非常に繊細で文化的なものを作り上げる能力があります。私は、後者を生かし、列車空間の質を上げていきたいのです”
(新しい新幹線づくりへの挑戦)
”絵画は額縁がしっかりしていないと、本当によい絵画に見えない。それと同じように、列車の室内の室がよくなければ車窓の風景もつまらなくなるかもしれない。ならば、額縁をしっかりさせよう。”


「正しい」列車のデザインの章では、分業化しないということを力説している。・・・ここは彼のいうところの内、ある意味最も大切なところなので、省略せず、全文をご紹介する。
”JR九州で私は、列車デザイン、その中の椅子、シートの柄、照明を手掛けるだけでなく、駅舎、制服、弁当の包装紙、ポスターのイラストを描くこと、宣伝用のパンフレットの編集チェックなどをスタッフや仲間たちと行っています。職種でいうなら、工業デザイナー、インテリアデザイナー、テキスタイルデザイナー、ファッションデザイナー、イラストレーター、アーキテクトデザイナー、エディトリアルデザイナーを兼ねていることになります。これをそれぞれ別な人に依頼すれば、それぞれの専門家が参加する、分業体制と予算をきずかなければなりません。しかし、もし分業体制でいくとしたら、「これがJR九州」だとアピールできる一貫性のあるデザインは表現しにくい。また分業であれば、人件費もかかり、全体的なコストはかなりのものに跳ね上がるはず。”
”私はこの総合的で創造的なコンセプトが見えないデザインが一番嫌でした。列車の椅子が美しく、駅舎の改札口が格好よくできていても、鉄道全体としてのイメージがぶれていれば、それは正しくデザインが理解されないのです。一つ一つが美しかったとしても筋が通っていなければ、鉄道というダイナミックなシステムの表現としては正しくないと考えます。”
”昔は一人の人間が責任をもって仕事をまとめていました。ダ・ヴィンチもミケランジェロも、日本でいえば運慶、快慶、千利休も一人で美術作品をつくるのではなく、創作集団のトップとしてビッグプロジェクトをまとめていたはずです。
その総合性を、戦後の日本は分断化してしまったのだと思います。あらゆる面で工業化が進み、結果的にクオリティが低く、経費ばかりかかるものになってしまいました。また、工業デザイナー、インテリアデザイナー、テキスタイルデザイナーといったそれぞれの職種の人たちが、小さな領域守ることに汲々としています。そして結果的に質を落としている。こうした状況を脱して、もう一度一人のクリエーターに総合的にまかせるようなシステムが必要なのではないか。”
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長々と語ってきましたが、今、水戸岡鋭治という人のデザイン・コンセプト、デザイン感覚にほとほと感じ入っています。もし私が、神戸市長であったとしたら、彼を三顧の礼を持って、神戸の街のトータル・デザイナーとしてお迎えします。そうして海岸地区の景観と街のあり方を一新し、神戸の魅力を高めていきたいと、つくづく思うのです。
~~~完~~~~~
この水戸岡鋭治と言うデザイナーはもとより偉いが、この才覚を一早く見出し、採用したJR九州の社長も小布施の町長も偉い。このような自治体の長が増えれば日本もそれぞれ魅力的な町が増えるでしょう。それにしても九州以上に魅力満載の土地の北海道のJRはどうしたことでしょう。全て入れ替えてゼロからやり直し、北海道でもクルーズトレインが走る日の来ることを切に祈ってやまない。
まさにご指摘の通り! 日本のあちこちに今よりももっと魅力あふれるところができて、住みやすく。また観光客がおとずれる町をふやしたいものです。北海道は、いったん潰してそれからやりなおすべきかと。
お読み頂きありがとうございます。クルーズトレインのことは、前にも書きましたが、そんなに高いものではありません。半分以下です。若い人も含め、申し込み殺到です。
ぜひぜひ、お出かけください。