(新)緑陰漫筆

ゆらぎの読書日記
 ーリタイアーした熟年ビジネスマンの日々
  旅と読書と、ニコン手に。

読書 『別れる力』(伊集院静)

2013-04-08 | 時評
読書 『別れる力』~大人の流儀3(伊集院静 講談社)
 奈良の桜井へ行った帰り、大和路快速の車中で読みました。


 ”国民的ベストセラー”というキャッチフレーズはおおげさですが、面白く読みました。伊集院という人の作品は『なぎさホテル』位しか読んだことがありません。この本は奥様だった夏目雅子が亡くなられた後、送った放埒な日々を描いたものです。私小説的な本です。さて『別れる力』は、伊集院が自分の思いを言いたい放題語ったものです。よく言えば正論を吐いています。何者にも気兼ねせず、ずばり物事の核心をついて。そして爽やかであります。さだまさしの『本気で言いたいことがある』(新潮新書 2006年)と似たところがあります。二つ三つ本文から引用してみます。

 (愛する人が残してくれたもの)
 ”人間は別れることで何かを得る生きものなのかもしれない。別れるということには、人間を
  独り立ちさせ、生きることのすぐ隣に平然と哀切、慟哭が居座っていることを知らしめる力
  が存在しているのかもしれない。
   人は大小さまざまな別れによって力を備え、平気な顔で、明日もここに来るから、と笑っ
  て生きるものである。人間の真の姿はそういう時にあらわれる。”


 (大人の男だけが座れる場所)
 ”少し前にラジオ番組に出演して、その折、子供を鮨屋のカウンターに座らせるな、と私が書
  いていたことを相手のキャスターが、
  「伊集院さん、子供を鮨屋のカウンターに座らせてはいけませんか?」
  とあらためて聞いた。
  「ダメですね」
  「何年も修行した職人の前で、子供が、トロのサビ抜きなんていうのは
   失礼ということですよね」
  と言われ、どうも誤解を受けてるので、
  「それも勿論あるが、根本はそんなバカみたいなことではない。夕刻以降の鮨屋は大人のいる
   場所だから(もっと正確にいうと、大人の男がだ)子供が入る場所ではないということを言
   ってるんです。大人の男が懸命に働いた後、酒を、肴を鮨をつまんで愉しむところに子供が
   (さらに正確に言えば、若い女、子供がだ)居てはならないと言っているんです」・・・・

   銀座の、赤坂の、神楽坂の鮨屋でオヤジお前に平然と座って、酒が呑めるようになるまで、
   ー俺がどれだけ懸命に働いてきたかが、おまえたちにわかってたまるか・・・”

  (なぜアメリカが正義なんだ)
  ”・・さらに言えば、アメリカの大学教授がやってきて、”これからの正義の話しをしよう”な
   んて言っとったが、あれだけ戦争を起こした国が持ち上げる”民主主義”とは”正義”とは何
   なのだ? 民主主義は21世紀の柱となるべきイデオロギーなのか。資本主義と民主主義は成
   立するのか。
    経済、企業にとって大切なのは利他を考えることではないのか。ならそれは資本論、マルク
   ス主義との共通点があるのではないか。
    ゴールドマン・サックスの中枢にいた者が、この会社は自分たちの利益しか考えていない、と
   言って退職したが、この会社だけではなく、何ひとつ物を創造してない金融業者がなぜあんな
   に儲かり、若いエコノミストがなぜ私たち大人の前でわかったような口をきくのだ。

  (恥知らずな行為は生死にかかわる)ー2011年の東日本大震災に・
  ”被災地の瓦礫を拒絶した市町村がある。
   なぜ平然と拒絶ができるのか。自分たちの子どもや年寄りに放射能が・・・・。
   では聞くが、自分たちとは何なのだ。
   日本人ではないのか。それともすでに日本人を捨てているのか。
   瓦礫を引き受けないと口にちた市町村にはまともな大人が一人としていなかったのか。
    赤子を抱えたり、子供を育てている母親は子のために文句を言う。しかし今、自分たちだ
   けのことを優先する時ではないだろう。  人の子は自分の子だろう、と言って聞かせる大人がな
   ぜ市町村にいなかっ  たのか。
   日本中の各戸が一斗缶に瓦礫を刻んで入れて、密封し、”震災はここにも”とでも書いて孫
   の代まで触れてはならぬものと置いておけば済むのではないか。
   瓦礫も、両親を失った子供も、日本人の大半はは同等に考えているのではあるまいな。そう
   いうおそろしい精神が今、日本人のこころの中にはびこっているということははないのか。
   恥を知れ、人間としての恥を知れ。・・・

    なら日本中の若者に被災地の瓦礫を取りに行けと、言いなさい。
   恥知らずな行為をすることは、大人の男に取って生死にかかわることである。

   注)大阪で、瓦礫受け入れに反対する運動をおこしたグループがいた。放射線量などの点で、安全と確認されたにもかかわらず。
      これに対し、橋下知事は敢然と押し切った。
  

江戸っ子が、啖呵を切ってるみたいだなあ。
 


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2 コメント

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感想 (龍峰)
2013-04-10 16:02:25
ゆらぎさん

この作家の言い分はどれも本音ですね。いずれも賛成です。特に大人の男だけがーー、なぜあめりかがーーはその通り。恥知らずな行為ーー、は全くそのとおり。自分だけよければいいという日本人が日本中何処にでもいるものだと感心する。皆、明日は我が身と思ってスクラムを組み時であるのに。
極めて残念な日本の姿である。
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ありがとうございました (ゆらぎ)
2013-04-11 20:53:14
龍峰様
 お読みいただき、感謝申し上げます。龍峰さんも正義感のようですね。共感いたします。おかしな日本人が多いように思います。やはり子供の教育ですよ。知識ばかり追い求めるクイズのような授業ではなく、自分でものを考える教育をすべきでしょう。それに際して、教師は望ましい方向に向かうように、ガイドすべきかと思います。
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