読書日記といいながら、ブログの冒頭を映画の話題で飾るのは、気が引けないでも
ない。だが、年末にふさわしいものであったので取り上げる事にした。お許しください。
≪敬愛なるベートーヴェン≫ Copying Beethoven・・・2006年英・ハンガリー の合作
映画好きのワイフに誘われて観に行く。映画の舞台は、1820年代のウイーン。
耳がほとんど聞こえないベートーヴェンが第九交響曲を初演するシーンを中心に、彼を助ける女性コピイスト(アンナ)との心の交流を描く。彼女が、入りとテンポをステージの奥で合図してベートーヴェンの指揮を助ける。合唱が次第に高まって行く。観客が、曲の壮麗な調べに感動するシーンは圧巻である。実際の演奏は、ベルナルド・ハイティンク指揮するロンドン交響楽団。クライマックスに向かってうねるようなダイナミックな演奏、そしてソロイストのバスの歌唱も素晴らしい。映画の後書きを見ていると、実際に起こった事にヒントを得て、ドラマ化したとあった。
ちなみに、原題のコピーイングは、文字通り写譜のことをさしているが、同時みずからも作曲をしているアンナが、ベートーヴェンのような曲を作りたい、という想いを抱いていることにもつながっている。
映画が、終わって後書きをみていて主演のベートーヴェンは、エド・ハリスが演じて
いたことを知った。ちょっと見た目には、分からない。メーキャップで工夫し、さらに体重を増やすなどの苦労をしたらしい。彼は、コロンビア大学を卒業後、さらにオクラホマ大学で演劇を専攻したインテリだ。私の好きな俳優のひとり。アポロ13や、ザ・ロックでの渋い演技には魅せられた。ザ・ロックでは、サンフランシスコのアルカトラズ監獄を占拠した元海兵隊司令官役を演じ、ショーン・コネリーやニコラス・ケージと共演。コピイストは、ドイツの若手女優ダイアン・クルーガー。気むつかしいベートーヴェンとのやりとりを自然体でこなし、魅せる演技だ。
180余年も前に作曲された音楽が、それこそ時空を越えて人々の耳を惹きつけるのは 何故だろう。”苦悩を通して歓喜へ”と唱うシラーの詩における言葉の力と、それを音符の嵐で表現したベートーヴェンの調べの魅力だろう。とくに交響曲に人の声を持ち込んだのが、効果的だ。バッハのマタイ受難曲でも、39番でバイオリンソロに乗って、”憐れみたまえ、わが神よ”とアルトのアリアが唱うと感動するという人が少なくない。第九の演奏は、いろんなディスクが出ているが、 私がもっとも愛聴するのは、第二次大戦の直後、復活したバイロイト劇場で演奏されたフルトヴェングラーのLP盤である。鬼気迫るが如き熱気と緊迫感で溢れた名演奏だと思う。ソプラノのエリザベート・シュワルツコップ、バスのオットー・エーデルマンなどの歌唱も素晴らしい。
奇しくもこの夜、NHKのTV(教育チャネル)で、『地球ドラマチック 第九交響曲物語』と題する1時間の番組があり、この曲が地球規模で平和と祈りと人類を結ぶ絆としてのシンボルになった様子を報じていた。 ああ、また第九を唱いたいな!
”音楽は、神の息吹・・・・・”
ない。だが、年末にふさわしいものであったので取り上げる事にした。お許しください。
≪敬愛なるベートーヴェン≫ Copying Beethoven・・・2006年英・ハンガリー の合作
映画好きのワイフに誘われて観に行く。映画の舞台は、1820年代のウイーン。
耳がほとんど聞こえないベートーヴェンが第九交響曲を初演するシーンを中心に、彼を助ける女性コピイスト(アンナ)との心の交流を描く。彼女が、入りとテンポをステージの奥で合図してベートーヴェンの指揮を助ける。合唱が次第に高まって行く。観客が、曲の壮麗な調べに感動するシーンは圧巻である。実際の演奏は、ベルナルド・ハイティンク指揮するロンドン交響楽団。クライマックスに向かってうねるようなダイナミックな演奏、そしてソロイストのバスの歌唱も素晴らしい。映画の後書きを見ていると、実際に起こった事にヒントを得て、ドラマ化したとあった。
ちなみに、原題のコピーイングは、文字通り写譜のことをさしているが、同時みずからも作曲をしているアンナが、ベートーヴェンのような曲を作りたい、という想いを抱いていることにもつながっている。
映画が、終わって後書きをみていて主演のベートーヴェンは、エド・ハリスが演じて
いたことを知った。ちょっと見た目には、分からない。メーキャップで工夫し、さらに体重を増やすなどの苦労をしたらしい。彼は、コロンビア大学を卒業後、さらにオクラホマ大学で演劇を専攻したインテリだ。私の好きな俳優のひとり。アポロ13や、ザ・ロックでの渋い演技には魅せられた。ザ・ロックでは、サンフランシスコのアルカトラズ監獄を占拠した元海兵隊司令官役を演じ、ショーン・コネリーやニコラス・ケージと共演。コピイストは、ドイツの若手女優ダイアン・クルーガー。気むつかしいベートーヴェンとのやりとりを自然体でこなし、魅せる演技だ。
180余年も前に作曲された音楽が、それこそ時空を越えて人々の耳を惹きつけるのは 何故だろう。”苦悩を通して歓喜へ”と唱うシラーの詩における言葉の力と、それを音符の嵐で表現したベートーヴェンの調べの魅力だろう。とくに交響曲に人の声を持ち込んだのが、効果的だ。バッハのマタイ受難曲でも、39番でバイオリンソロに乗って、”憐れみたまえ、わが神よ”とアルトのアリアが唱うと感動するという人が少なくない。第九の演奏は、いろんなディスクが出ているが、 私がもっとも愛聴するのは、第二次大戦の直後、復活したバイロイト劇場で演奏されたフルトヴェングラーのLP盤である。鬼気迫るが如き熱気と緊迫感で溢れた名演奏だと思う。ソプラノのエリザベート・シュワルツコップ、バスのオットー・エーデルマンなどの歌唱も素晴らしい。
奇しくもこの夜、NHKのTV(教育チャネル)で、『地球ドラマチック 第九交響曲物語』と題する1時間の番組があり、この曲が地球規模で平和と祈りと人類を結ぶ絆としてのシンボルになった様子を報じていた。 ああ、また第九を唱いたいな!
”音楽は、神の息吹・・・・・”