(新)緑陰漫筆

ゆらぎの読書日記
 ーリタイアーした熟年ビジネスマンの日々
  旅と読書と、ニコン手に。

エッセイ アートに触れて

2020-02-12 | 日記・エッセイ
エッセイ アートに触れた日々
                    (画像は、フラゴナールの「読書する少女」 ワシントンのナショナル・ギャラリー蔵)

 日本画家の前田青邨(92才)、横山大観(89才)や中川一政(97才)、それに女性画家の小倉遊亀(105才)、堀文子(100才)などなどみな長寿で晩年まで活躍している。愛知県がんセンター名誉総長の大野竜三氏の調査・考察によると画家・彫刻家・医師などは総じて長命であり、最晩年まで活躍した人が多いという。そういう人たちは、いろいろな趣味を持ち、外交的で楽天的、そして好奇心と探求心が旺盛で、その結果脳神経回路の活性化につながっているという。

 では、一般の人はどうしたら長寿で人生を楽しむことができるだろうか? その答えの一つになると思われるのが、英国ロンドン大学の調査研究の結果に見られる。

     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 ”年末年始の休暇は美術館などでアートに触れる絶好の機会といえる。アートとの触れ合いは人生を豊かにするだけでなく、長寿をもたらす効果があるという論文が、イギリスの研究者によって発表された。
学術メディア「ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル(BMJ)」に掲載された論文で、ロンドン大学のDaisy FancourtとAndrew Steptoeらは、アートが長寿をもたらす可能性を指摘した。彼らは数千人の50歳以上の英国人を対象に調査を行い、長寿と生活習慣の関連を分析した。

その結果、アートと触れ合う機会の多い人は、そうでない人に比べて寿命が長い傾向があることが確認されたという。聞き取り項目は、家庭や職場での過ごし方から趣味や食事の内容、社会との関わりまで多岐に渡っていた。研究チームはこれらのアンケート結果と、調査対象者の健康データを比較して今回の論文を執筆したという。


研究チームが注目したのは、文化的イベントへの参加率と死亡率の関係だ。14年間に及ぶ調査により、アートの愛好家はそれ以外の人々に比べ、長寿であることが確認されたという。もちろん、ここには別の要因が絡んでいることも考えられる。アートの愛好家は裕福な場合が多く、健康管理状況も良好なケースが多い。また、高齢になるにつれて、外出の機会が減り、アートから遠ざかることも考えられる。

しかし、あらゆる要因を考慮して分析した結果、アートと関わりの深い人の死亡率は、関わりが無い人よりも低かったという。論文を執筆したFancourtとSteptoeらは、この研究結果が完璧なものではないと認めつつも、「アートとの関わりが長寿に一定の効果をもたらすことが確認できた」と述べた。

つまり、美術館や博物館などを頻繁に訪れる人々は、アートと一切関わりを持たない人々と比べて長生きできる可能性が高いことになる。研究チームは、アート関連の施設への訪問が、年に1回か2回であっても死亡率が14%程度下がっていたと結論づけている。さらに頻繁に訪れた場合、この数値は31%まで高まるという。”

健康と長寿のためには、美術館や劇場、コンサートなどでアートに触れることを考えたほうがよさそうだ。


(アートに触れた日々)と、言うわけで私自身はどうなのか? どんなアートに触れているのか? 最近の日々を振り返ってみた。


(絵画を楽しむ)なぜか若い頃から絵画には慣れ親しんでいる。今は、主に東京へ出かけ山種美術館やMOMAT(東京国立近代美術館・・・ここには「L'ART ET MIKUNI ラー・エ・ミクニ」というレストランもある)、根津美術館などいくつもある。ちなみに根津美術館は建築家の隈研吾さんの設計管理になるもので、その広大な日本庭園とあいまって、四季折々に訪ねたくなる。

海外で忘れられないのはルーヴルは別格としてパリ郊外のマルモッタン美術館、ジュネーヴのプチパレ美術館。それよりもなによりも、NYにあるメトロポリタン美術館とワシントンのナショナルギャラリー。これらは、そこに行くこと自体が楽しい。神戸には県立美術館があるが、あまり行こうとは思わない。楽しさを感じられないからだ。

私の住んでいる町に宝石のような小磯記念美術館がある。神戸の画家小磯良平の作品を常時展示しているが、それとは別にいろんなテーマで多くの画家の作品を展示する。昨年の秋から今年の始めかけて「黄昏の絵画たち」と題するコレクション展を開催した。この展示は島根県立美術館の開館20周年を記念しての展示であったが、幸いなことに、ここ神戸にも巡回・展示された。

 闇に包まれる前のひととき、うつろいゆく空の色を描いた黄昏時の情景。ルソー/モネ/シスレーなどのヨーロッパの絵画、さらに明治初期に来日したフォンタネージや、そこから大きな影響を受けた高橋由一。また和田英作など白馬会の画家たちの油彩。さらに日本画でも菱田春草や小野竹喬の夕景など170点ほどが展示された。

     

 この歳になると、なぜか朝日よりも夕日に心が惹かれるようになる。そんなわけで、この絵画展には再三足を運んだ。アントワール・シャントルイユの<黄昏>、クロード・モネの<サンタ=ドレスの海岸>、高橋由一の<芝浦夕陽>、高村真夫の<風景>、それに吉田博や川瀬巴水などが描いた版画・・・。枚挙にいとまがない。

いずれも夕景の美しさを描いたものであり、それぞれに物語性を感じるものであった。その中で、高村真夫の<風景>はいささか不思議なものであった。絵の大半を少し赤みがかって黒々とした山が描かれており、その上部に微かに赤みを帯びた夕景がある。夕景の美しさとは、違うようだが、なぜか心が惹きつけられた。この画家は、その風景を前にして、一体何を思っていたのだろうか。写真を撮影することはできないので、絵そのものをお見せできないのだが、郡山市立美術館が所蔵しているという。会津若松を訪れる際には、立ち寄って再見してみたい。

     

 (和田英作 波頭の夕暮)落日に染まる多摩川の渡しの水面をじっと見つめる農夫の姿。渡し船を待っている。”今日もよくはたらいたなあ、家に帰ってみんなで温かい夕餉の食卓を囲もう”、と思っているのであろう。心の和む一枚である。この絵を見ている私たちにも、ほのぼのとした充足感が伝わってくる。


 (川瀬巴水 木場の夕暮)

    

  暮色に包まれる閑寂の風景を描かせては、この人の右にでるものはいないと言われる。 人呼んで「夕暮れ巴水」。「木場の夕暮」の絵に、リンボウ先生は「追憶」という  題で詩をつけている。

  ”豆腐屋が来ると ぼくは鍋を持って豆腐を買いにゆく
   豆腐屋が行ってしまわないように 走ってラッパの音を追いかける、
   もめん、いっちょうね。それと、揚げ二枚
   息を弾ませてぼくは注文する 小さな鍋に水を張って 
   こぼさぬようにそろそろと すり足で歩いて戻る・・・・

   豆腐屋のラッパが 夕焼けの向こうへ 遠くなっていった”

 やはり、夕暮れがノスタルジーを感じさせる。懐かしさへ感じる一枚である。


(音楽を楽しむ)この頃、YouTube で色んな音楽の演奏を探して聴いている。CDを高級なオーディオプレーヤにかけて聞くのもいいが、YouTube で聴くのも悪くない。室内楽をあれこれ探す。iPhoneの最新機種では音質もずい分とよくなってきたので、結構楽しむことができる。チェリストのヨーヨーマが弾くチェロの曲をとても気に入っている。最近、ドヴォルザークのユモレスクをバイオリンのイツアーク・パールマンと共演した演奏を聴いてみた。まあ、聴いてみてください。

 この曲は、当初ピアノのための小品集としてだされましたが、その中の第7曲がとくに親しまれるようになりました。フラット記号(♭)が6つもつく変ト短調の曲です。それを後にクライスラーがピアノ伴奏を伴ったバイオリンの独奏曲にし、より親しまれる曲になりました。チェロ用では#二つの長調になっています。途中で♭一つのト短調が入ります。

さてこれをピアノの演奏で聞いてみると、楽しそうなメロディーではありますが、何度も繰り返し聴きたいと言うほどではありません。バイオリンの演奏になると、音が途切れることなく続き、音色に艶がでてきます。それはビブラートがかかるからです。またビブラートのかけかたで、その色艶や魅力が違ってきます。

 ヨーヨーマとツアーク・パールマンの演奏はバイオリンで始まるがが、ほとんどすべての音にビブラートがかけられている。楽器も名器でしょう。まったく音色が違います。次に弾くのはヨーヨーマ。そこでは、互いに目を見つめ合って、まさに共演です! いつしか、心の奥底にまで引き込まれていきます。こんな贅沢なユモレスクは聞いたことはありません。バックは、若き日の小沢征爾指揮するところのボストンシンフォニーでしよう。彼らは、その演奏でいったい何を表したいと思ったのでしょうか? 

二人の若き日の友情でしょうか。 そして出会いと別れ。その回想でしょうか?これが、アンコール曲だったとは!その夜の観客にとっては至福の夕べだったでしょう。  

 今度はヨーヨーマがアメリカのトランペッターであるクリス・ボッティと共に楽しむように弾き、響き合った「シネマ・パラディソ」です。これは、映画「Cinema Paradiso」の主題歌(エンニオ・モネコーネ作曲)。映画は、1988年のイタリア映画。中年を迎えた映画監督が少年時代と青年時代の恋愛を回想するものです。こんなフュージョンの世界にまで、ヨーヨー・マが飛び込んできているにには驚きました。なにやらせつない、そして甘美なメロディーです。バックは、ボストン・ポップスシンフォニー。


 そして、もちろんあちこちの音楽ホールに出かけられるのも、同様な趣味を持つ友人と喜びや驚き、そして感動を分かち合えるからです。



(詩歌を楽しむ)
日本詩へのいざない、というサブタイトルがついた芳賀徹さんの『詩歌の森』は私にとっては、バイブルのようなもので再三再四読み返し、時には枕頭において読みふけっている。心がいやされ、そして感銘をを覚えるのである。そのいくつかを、拾い出してみよう。

 《ハイランドの桃源郷》夏目漱石は明治33年から2年あまりロンドンに留学した。その間にロンドンから遠く旅に出て休息の数日をハイランド地方に保養地であるピトロクリで過ごしている。短編集『永日小品』の中の一編。散文詩であり、古色美しいメルヘンである。

   ”ピトロクリの谷は秋の真下にある。目に入る野と林を暖かい色に染めた中に、人は寝たり起きたりしている。十月の日は静かな谷の空気を空の半途でくるんで、じかには地にも落ちて来ぬ。と云って、山向へ逃げても行かぬ。風のない村の上に、いつでも落ちついて、じっと動かずに霞んでいる。その間に野と林の色が次第に変わってくる。酸いものがいつの間にか甘くなる様に谷全体に時代が付く。ピトロクリの谷は、この時百年昔、二百年の昔にかえって、安々と寂びてしまう。人は世に熟れた顔を揃えて、山の背を渡る雲を見る。その雲はある時は白くなり、ある時は灰色なる。折々は薄い底から山の地を透かせて見せる。いつみても古い雲の心地がする。・・・


 《うれしき人の香》詩人佐藤春夫の『車塵集』から。中国の六朝時代から明清まで。大半は無名の女流詩人作48編を選んで、これを艷麗なやまと言葉に移した。佐藤春夫は、遠い世の中国の人妻や妓女や娘となって、彼女たちの切ない恋の嘆きやよろこびを伝えたのである。三世紀後半、魏の時代の孟珠と名のみ残る女に一編。
  
   ”きさらぎ弥生春のさかり
    草と水の色はみどり
    枝をたわめて薔薇(さうび)をつめば
    うれしき人の息の香ぞする”

 《水の上に水のひびき》駐日フランス大使であったポール・クローデルが昭和2年に刊行した短詩集『百扇帖』の中の一節から。とても気に入っているので、和紙に草書で書き散らしたこともある。

  ”はるばると わが地のはてより来たりしは
   初瀬寺の白牡丹 そのうちの一点 淡紅の色を見んがため (山内義雄訳)
   白牡丹の芯にあるのは、色ならぬ色の思い出
   香りならぬ香りの思い出  (芳賀徹訳)



 《朱の唇に触れよ》高浜虚子が渡欧のために乗ったインド洋を航海する船上で読みふけったのが、森鴎外訳の『即興詩人』(アンデルセン作)。時には、思わず口に出して音読もしていたのではなかろうか。たとえば主人公アントニオがアドリア海を北上する船中で聞いたヴェネツアの舟歌。

  ”朱の唇に触れよ、誰かなんじの明日なをあるを知らん。恋せよ、なんじの心のなをわかく、なんじの血のなお熱き間に・・・・”

 この詩文に刺激されて歌人吉井勇が「ゴンドラの唄」を作詞した。そして中山晋平が作曲をして、あの有名な歌となった。大正4年の芸術座の第五回公演「その前夜」で劇中歌として生まれた。公演後、歌詞を書いた紙をはりだしたところ、メモをしようと大勢の客が詰めかけ、合唱になったという。

また、この歌は黒澤監督の映画「生きる」の中で使われる。区役所の課長である志村喬が、あちこちを説得し、ヤクザからの脅しにも屈せす、子どもたちのために公園をつくりあげた。彼は、がんを患っていたが、死を賭して自分の仕事を成し遂げたのだ


  ”いのち短し 恋せよ乙女
   あかき唇 褪(あ)せぬ間に
   熱き血潮の 冷えぬ間に
   明日(あす)の月日は ないものを 

   いのち短し 恋せよ乙女
   いざ手をとりて かの舟に
   いざ燃ゆる頬(ほ)を 君が頬(ほ)に
   ここには誰れも 来ぬものを”


     ~~~~~~~~~~~~~~~


いやいや、こんな形で日々アートに触れていると、心は感動に包まれ、次なる好奇心も湧いてきて頭は活性化しそうである。わたしの身のまわりにいる友人たちも、そういう人が多い。したがって、私が長生きしても、”そして誰もいなくなった”ということには、当面ならないだろう。(笑)



 追補)ここでご説明したアートの他に古都での仏像めぐりという趣味がある。京都の小料理屋に集う飲み仲間たちに声をかけ、四季折々に奈良や京都さらには滋賀の仏像を巡っている。仏像は、すなはち彫刻。冒頭で取り上げた大野竜三氏も彫刻家は総じて長命と言っておられる。アートとして触れる対象に取り上げ、その遍歴を次の機会にでも書いてみたい。




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6 コメント

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楽しく読ませて貰いました。 (九分九厘)
2020-02-15 12:05:52
 絵画・音楽・詩歌など様様なアートを人生の歩みに取り入れながら、毎日を新鮮に生きられている貴兄にいつも感嘆しています。100歳以上の長生き間違いなさそうです。現地に赴きアートを楽しむとなれば、健康でなければいけません。「健康」が泡を食って、ゆらぎさんを追いかけているのでしょう。
 滋賀の仏像詣りをされておられるようですが、是非お勧めしたい本があります。「近江の祈りと美」(高梨純次、カメラ:寿福慈、2010、サンライズ出版)というカラー写真入りの優れた本です。かつて、京都造形芸大に学んだ時、この本をガイドにして先生や同級生とこつこつと琵琶湖の仏像めぐりをいたしました。1万円近い本ですが、興味がお有りならお貸しいたします。
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お礼 (ゆらぎ)
2020-02-16 16:01:11
九分九厘様
 いつもの気ままな駄文をお読みいただきありがとうございます。”100歳以上の長生き・・・”とありますが、お互いに元気で長生きしたいですね。

 『近江の祈りと美』、是非拝見したいと思います。ご存知と思いますが、井上靖の作品に『星と祭』という小説があります。主人が琵琶湖で遭難した娘のことを偲びつつ、琵琶湖周辺のお寺をめぐり、仏像を見て回シーンが描かれています。それもあって、渡岸寺の十一面観音などを見てまわっています。それぞれの歴史ど、つぶさに描かれた本のようなので拝読したいとおもいます
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Unknown (龍峰)
2020-02-21 23:35:49
ゆらぎ 様

今回も大いにエッセイを楽しませて頂きました。ゆらぎさんの人生を見つめる的確さ、深さを感じ得ました。絵画、音楽、詩歌、極め付きは彫刻即ち京都、奈良、琵琶湖周辺の仏像巡り、人生を豊かにし、長寿を約束してくれるでしょう。
そこに来て、我が身を振り返れば、雑念多く、世事と時事問題に気を取られすぎ、大事な己の脳の活性化に時間を割いていない感がして反省することしきりです。ゆらぎさんの生き方の、たとえ十分の一でも実践できたらと思います。
絵画の中で朝日より夕日、黄昏どきに特に惹かれると言うのは、小生も同感です。先般の小磯美術館 の展覧会を逃したことが悔やまれます。
今後も、人生を豊かにする話を大いに楽しみにしております。
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遅ればせのお礼 (ゆらぎ)
2020-02-29 13:35:20
龍峰さま
 いつもいつも駄文にお付き合いいただきありがとうございます。「アートに触れて」などという大仰なタイトルをつけましたが、日頃楽しんでいることを書き連ねただけです。過分なお言葉をいただき恐縮です。絵画につきましては龍峰さんの作品が一歩一歩と進歩されていくことに、いつも感嘆の念で拝見しております。今後も更に歩みを運ばれて高みに行かれ私たちを楽しませてください。ありがとうございました。
返信する
追補 (龍峰)
2020-02-29 15:28:18
ゆらぎ 様

ご存知かと思いますが、本エッセイでも引用されている芳賀徹さんが、先日20日に胆のうがんで亡くなられました。88歳でした。皆さんにとっても、比較文学会にとっても大きな痛手ですね。
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お礼 (ゆらぎ)
2020-03-01 17:30:42
龍峰様
 芳賀徹さんの訃報をお知らせいただきありがとうございました。7~8年ほど前のことですが、ミホ・ミュージアムまで車を走らせ芳賀さんの桃源郷についての講演を聞いたことがありました。ユーモア溢れる話しぶりにしびれました。
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