読書 『日本一心を揺るがす新聞の社説』
ーそれは朝日でも毎日でも読売でもなかった
(水谷もりひと ごま書房新社)
宮崎に「みやざき中央新聞」という小さな新聞がある。週一回の発行。ちいさいが、地方紙ではない。全国紙である。取材を通じて拾った面白かった話、感動した話、心温まる話などどをその社説に掲載している。ある大学の先生から、”お宅の新聞の社説、ありゃ社説じゃないよ。哲学がない”と酷評された。水谷は言う、”大手の新聞社といえば、一流大学卒のエリートが作っている。とくに社説を書く論説委員といえばそのなかでも選りすぐりのエリート。やはり文章は知性と教養がほとばしり、格調高く、戦うジャーナリスト魂を感じる。・・まあ開き直って「社説らしくない社説」これも哲学ではないか”。そして人間の心には「知・情・意」という三つの機能がある。この三つのうちの「情」について、”情報を得て、何を知ったかでなく、何を感じたのかが大事なのだ。ジャーナリズムは「知」ではなく「情」を愛する媒体でいい”という。
すこし小難しくなったが、とにかくこの新聞、大人気なのである。そしてその社説をあつめたのが本になった。さっそく読んでみた。珠玉の社説41編。そのなかで、とても心が温まった一編をご紹介する。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「抱っこの宿題、忘れんでね!
今年の6月のある日のこと、小学1年生の三女、こはるちゃんが学校から帰ってくるなり、嬉しそうにこう叫んだ。「お父さ~~ん、今日の宿題は抱っこよ!」
何とこはるちゃんの担任の先生、「今日はおうちの人から抱っこしてもらってきてね」という宿題を出したのだった。
「よっしゃあ!」と平田さんはしっかりこはるちゃんを抱きしめた。その夜、こはるちゃんはお母さん、おじいちゃん、ひいおばあちゃん、二人のお姉ちゃん、合計6人と「抱っこの宿題」をして、翌日学校で「抱っこのチャンピオン」になったそうだ。
数日後、平田さんはこはるちゃんに聞いてみた。「学校のお友だちはみんな抱っこの宿題をしてきとっね?」 するとこんな悲しい答えが返ってきた。「何人か、してきとらんやった」。でも、世の中、捨てたもんじゃない。次に出てきた言葉に救われた。「だけん、その子たちは先生に抱っこしてもらった」
ステキな先生だなあと思った。こういう宿題を出せるのは小学校1、2年ぐらいだろう。小学校3年生以上になると恥ずかしがってしないから。人間には抱っこが必要である。幼少期にしっかり抱っこしてもらった子は、そのときの体の柔らかさも、温もりも、覚えていないが、潜在意識が記憶している。・・・
幼少期にやり忘れた「抱っこの宿題」は、思春期に歪んで出てくる。男の子はずっと抱っこされたいマザコンであり続けたり、女の子は親以外の大人に抱っこしてもらってお金をもらう援助交際に走ったり・・・。
「抱っこの宿題」は子どもにでなく、親に課せられた「宿題」だったのだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
この後、続きとして、さだまさしの「先生の金メダル」という素敵な先生のエピソードを紹介する積りにしていました。
しかし九分九厘様から、リクエストがありましたので、それは止めにして、この本の社説をもう一編ご紹介いたします。すこし長くなりますので、日曜日までお時間ください。(その2)としてアップロード致します。
ーそれは朝日でも毎日でも読売でもなかった
(水谷もりひと ごま書房新社)
宮崎に「みやざき中央新聞」という小さな新聞がある。週一回の発行。ちいさいが、地方紙ではない。全国紙である。取材を通じて拾った面白かった話、感動した話、心温まる話などどをその社説に掲載している。ある大学の先生から、”お宅の新聞の社説、ありゃ社説じゃないよ。哲学がない”と酷評された。水谷は言う、”大手の新聞社といえば、一流大学卒のエリートが作っている。とくに社説を書く論説委員といえばそのなかでも選りすぐりのエリート。やはり文章は知性と教養がほとばしり、格調高く、戦うジャーナリスト魂を感じる。・・まあ開き直って「社説らしくない社説」これも哲学ではないか”。そして人間の心には「知・情・意」という三つの機能がある。この三つのうちの「情」について、”情報を得て、何を知ったかでなく、何を感じたのかが大事なのだ。ジャーナリズムは「知」ではなく「情」を愛する媒体でいい”という。
すこし小難しくなったが、とにかくこの新聞、大人気なのである。そしてその社説をあつめたのが本になった。さっそく読んでみた。珠玉の社説41編。そのなかで、とても心が温まった一編をご紹介する。
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「抱っこの宿題、忘れんでね!
今年の6月のある日のこと、小学1年生の三女、こはるちゃんが学校から帰ってくるなり、嬉しそうにこう叫んだ。「お父さ~~ん、今日の宿題は抱っこよ!」
何とこはるちゃんの担任の先生、「今日はおうちの人から抱っこしてもらってきてね」という宿題を出したのだった。
「よっしゃあ!」と平田さんはしっかりこはるちゃんを抱きしめた。その夜、こはるちゃんはお母さん、おじいちゃん、ひいおばあちゃん、二人のお姉ちゃん、合計6人と「抱っこの宿題」をして、翌日学校で「抱っこのチャンピオン」になったそうだ。
数日後、平田さんはこはるちゃんに聞いてみた。「学校のお友だちはみんな抱っこの宿題をしてきとっね?」 するとこんな悲しい答えが返ってきた。「何人か、してきとらんやった」。でも、世の中、捨てたもんじゃない。次に出てきた言葉に救われた。「だけん、その子たちは先生に抱っこしてもらった」
ステキな先生だなあと思った。こういう宿題を出せるのは小学校1、2年ぐらいだろう。小学校3年生以上になると恥ずかしがってしないから。人間には抱っこが必要である。幼少期にしっかり抱っこしてもらった子は、そのときの体の柔らかさも、温もりも、覚えていないが、潜在意識が記憶している。・・・
幼少期にやり忘れた「抱っこの宿題」は、思春期に歪んで出てくる。男の子はずっと抱っこされたいマザコンであり続けたり、女の子は親以外の大人に抱っこしてもらってお金をもらう援助交際に走ったり・・・。
「抱っこの宿題」は子どもにでなく、親に課せられた「宿題」だったのだ。
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この後、続きとして、さだまさしの「先生の金メダル」という素敵な先生のエピソードを紹介する積りにしていました。
しかし九分九厘様から、リクエストがありましたので、それは止めにして、この本の社説をもう一編ご紹介いたします。すこし長くなりますので、日曜日までお時間ください。(その2)としてアップロード致します。
みやざき中央新聞の社説はとても新鮮です。続きを期待しております。
かなり前、今回のご紹介の記事と基本的に同じことを読み、実践しました。
さる歌舞伎俳優の夫人の談話を新聞で読んだ。子供が小さい時いたずらをすると厳しくしつけたが、寝る前に必ずその子を抱きしめて気持ちを解きほぐして寝かせたと。後日娘に子供ができた時一つだけ、子供を育てる極意として、娘にこのことを話した。so far 孫は優しく育っているが、このことがどの程度功を奏したかは分からないが、母親の無言の愛情を肌で感じさせる方法として抱きしめることに勝るものはないように思う。
お読み頂きありがとうございました。新聞は、小生のところは日経です。文化欄などワイフも愛読しています。しかしそれだけでは偏るので、いつも行くクラブで神戸新聞を読んでいます。昨日は京都新聞を眺めていました。こういうローカルな新聞もそれなりに味があります。朝日の俳壇はそんなに魅力的ですか?一度読んでみます。
リクエストに応じ、みやざき中央新聞の社説をもう一編ご紹介すべく今から記事を書きます。
「抱っこ」の原則を忠実に実践しておられたとは、恐れいりました。Hちゃんも、Kちゃんも優しいレディに育っておられますね。ボクは、幼い頃抱っこされた記憶がないので、それが今現在の人格形成にどう影響しているのか、と時々思うことがあります。「抱っこ」でなくていいからせめて「ハグ」されたい!いや無理かな。
ぼくは幼いころから母が病気でしたので、うちでは子守りのお姉ちゃんがいて、子供たちのめんどうをみていました。ぼくはお姉ちゃんに、「ぼくにも、……」というと、「あなたはお兄ちゃんなんだから、ひとりでできるでしょ?」といわれ、母にも、お姉ちゃんにも、だれにも甘えることができませんでした。で、ふざけて、お姉ちゃんの嫌がることをやって、よく叱られていました。
ぼくはに抱っこされたという思い出がありません。この記事を読んで、わすれていた子ども時代のことを思い出しました。ぼくが目にゴミが入ったとき、母がおっぱいを目にそそいでくれて、それで、ゴミを取ってくれました。母は偉大だなと感心したものです。そういう思い出しかありませんけれど、「抱っこの宿題」は、すばらしい宿題です。ありがとうございます。
私も、だっこされた記憶がありません。本当はしてくれたかも知れません。多分忘れてしまたのでしょう。大兄のお母様の思い出も素敵です。私の母は、”犬に噛まれた”と泣き叫ぶ私の腕をとって、痛いほど傷口を吸ってくれました。
ありがとうございました。