CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

エアロスミスのロックス

2015年03月29日 | American Hard Rock


結成から45年経ち今現在もライブ活動を行うご長寿バンドです。何が凄いかといううと、1973年CBSからのメジャー・デビューから今日まで、ギタリストの二人、ジョー・ペリーとブラッド・ウイットフォードがバンドから一時脱退した時期を除けば、同じメンバーで活動している事です。

エアロスミスの場合、メンバー内でのドラッグ摂取や揉め事、自由奔放な振る舞いや結構荒い金遣いなどが目立っていて、当時はすぐ解散するのではと思っていました。1978年にビートルズのCOME TOGETHER をカバーした後から1986年にD.M.C.がカバーしたWALK THIS WAYのミュージック・ビデオにスティーブン・タイラーを発見するまでの期間、彼らを全くフォーローしていませんでした。

今回紹介する1976年発売のスタジオアルバム4枚目のROCKSは、収録時間のトータルが9曲でわずか35分、音楽CDの最大容量の半分にも満たないものですが、その分、不必要と思われるアレンジを極力そぎ落とした最終形とでも言える楽曲から構成されています。引き締まったこれぞロックと言うサウンドで、アルバム自体も聞き飽きないようバラエティーに飛んだ曲の配置がなされています。 全米3位と大ヒットし、人気を不動のものとしました。このアルバムが、後年のハードロックやメタル系のバンドに大きく影響を与えたのは間違い無いでしょう。個人的には彼らのベストのアルバムだと思います。

大ヒットすると大金が転がり込み、それに動じない性格でうまく状況をコントロール出来ればいいのですが、普通凡人であれば、間違った方向に行ってしまうケースも多々あります。 彼らの場合は、問題が色々あったとしても“それがどうした、WE DON’T CARE.”って感じで、それらを超越し思うままに活動を続けられる稀有な存在ではないかと思っています。

若いハードロック好きの皆さん、大音量でROCKS一度聴いてみてください。

ところで、ZEPのペイジさんはどうしてるかな? 
世界中のおっさんが、ボーナスディスク付きの最新リマスターの旧アルバムを買いまくっているので、きっと大金が転がり込んでいるのでは?

一体何度同じアルバムが再発されるのでしょうかね~? 
この次は全旧アルバムのリミックス盤を出したりして~


インナージャケット、雰囲気でてますね。


シュビ ドゥビ ドゥビ ドゥビ ドゥワッパ~♪

2015年03月27日 | AMERICAN ROCK/POPS
シュビ ドゥビ ドゥビ ドゥビ ドゥワッパ
シュビ ドゥビ ドゥビ ドゥビ ドゥワッパ~♪
ONE FINE DAY~♪
違った

IF WE WERE OLDER~♪
でした。

ウォーリー:エリック、このイントロはさすがにまずいんじゃ?

エリック:シフォンズのONE FINE DAYにそっくりだと言いたんだろ?
これは、60年代のドゥーワップ・ミュージックのオマージュとしてのイントロで、この後に俺たちの70年代のパワーポップが続いていくという趣向さ。

という会話がなされたかどうか定かではありませんが、確かに似ている。
彼らを揶揄しているわけではありません。なぜなら、彼らは私のお気に入りのバンドの一つだからです。

今日は、アメリカ70年代のパワーポップの代表ラズベリーズを紹介します。ウォーリー・ブライソン、ジム・ボンファンティ、デイブ・スモーリーそしてエリック・カルメンの4人から成る、ビートルズ、バーズ、ビーチ・ボーイズ、ストーンズやフーなどの影響を受けている、シンプルかつ親しみやすいサウンドが売りの、ロックバンドです。

このアルバム、FRESHは1972年に発売された彼ら2枚目のアルバムで、前作のデビューアルバムと異なりオーケストラを使わず全体的にシンプルな構成となっています。アルバムは全米36位、またアルバムからシングルカットされた2曲は、チャートの16位(I WANNA BE WITH YOU)と35位(LET’S PRETEND)となり、ある程度の成功を収めました。

注目すべき点は、バンド・リーダーのエリック・カルメンで、このバンドのシングルは、彼の作品かもしくは他のメンバーとの共作となっています。
彼のメロディー・メーカーとしての才能はラズベリーズだけでなく、ソロとなった後も発揮され素晴らしい作品を残しています。後日それらも紹介したいと思います。

それでは、ヒット・シングルI WANNA BE WITH YOUを聴いてください。
THE RASPBERRIES- "I WANNA BE WITH YOU"


シフォンズもよろしくね。
The Chiffons - One Fine Day - 1963



ロックにおっさん(一部じいさんを含む) その2

2015年03月26日 | BEATLES-BADFINGER関連
今日タワー・レコードからイー・メイルが届き、ビートルズSHM-CD紙ジャケ再プレス決定とありました。

50周年の企画で、昨年12月17日から日本限定企画商品として、オリジナル・アルバム13種とベスト盤2枚組3種の計15種のアルバムが日本企画の紙ジャケに入れて販売されました。音源は2009年にリマスターされ販売されたものと同じで、その時は英EMIが企画したデジスリーブという紙製のジャケットでした。

昨年12月に発売された他のユニバーサル系の紙ジャケットの価格は税込で1枚組が2880円だったが、ビートルズの紙ジャケは強気の3024円の価格設定。すなわち、完全におっさん(一部じいさんを含む)をターゲットした販売戦略でした。限定プレスだったので、今年の2月頃にはほぼ売り切れたようで、それでも購入したい人は、インターネット・ショップやオークションに出品している転売屋から正規の価格以上で買わなければならない状況でした。

今回の再プレスのアクションは、転売屋の高値の価格設定を崩すには有効であるし、また買いそびれた人が正規のルートで購入出来るので、全く悪いとは言いません。

ユニバーサルのサイトでは現在のところ再プレスの件は、何も触れられていませんが、タワー・レコードやHMVなどの大手通販ショップが再プレスと各自のサイトで宣伝しているので、多分再プレスされるのは間違いないでしょう。

しかし、初回限定生産と宣伝しておきながら、たった2ヶ月後に再プレスとはいかがなものでしょうか? 消費者を惑わすような宣伝文句は感心しません。

前回も触れましたが、一部のターゲットに絞り込まず、他の世代も楽しめるような、価格設定が必要だと思います。例えば、家電業界では常識のオープン価格の導入です。それによってショップ間での競争の原理が働き、価格が下落することによって売上が増えます。無名のミュージシャンであれば、それほど数が出ないので難しいかもしれませんが、ビートルズのような人気バンドであればそれは可能と考えます。

業界ももう少し攻めの姿勢を見せて、たとえ薄利であっても多売に挑戦しマーケットの拡大を図ってほしいですね。つまり、人気のあるアーチストのCDはより安く買えるというシステムですね。

いつまでも、固定された価格に守られているのでは、国内盤の洋楽のCDは、輸入盤に駆逐されるでしょう。

皆さんはどう思われるでしょうか?


2009年に発売されたモノCDボックスは日本企画の紙ジャケ製でした。オリジナルアルバムではイエロー・サブマリン、レット・イット・ビーとアビー・ロードがそこから漏れていたので、限定販売の言葉につい負けてしまい買ってしまいました。2009年の音源は持っていますので、そのミニチュアの紙ジャケを手にとって見るだけのために買ってしまうなんて、本当におバカですね。

SIMPLE LIFE IS MY WAY~♪

2015年03月26日 | West Coast Rock

前回紹介したアンドリュー・ゴールドがレコーディング・セッションに参加したことがある、アメリカを紹介します。

アメリカといえば、1作目のアルバムAMERICA(1971)の中にある、 A HORSE WITH NO NAMEが大ヒットしたことから、ワーナー・レコード在籍時には、頭文字にHがつくアルバム・タイトルを意識して付けたそうで、2作目の HOMECOMING(1972)からHAT TRICK(1973)、HOLIDAY(1974)、HEARTS(1975)、HISTORY(1975,ベスト物)、 HIDEAWAY(1976)、 HARBOR(1977)と続きました。

最後のライブ(1977)は多分レコード会社が契約消化のために発売したものなので、特にメンバーの意向もなくHが付くタイトルにはならなかったと思われます。

ちなみに、その後他のレコード会社に移籍して二人組みとなってからも、彼らの意向かどうかはわからないですが、HOURGLASS(1994)、 HUMAN NATURE(1998)、HIGHWAY(2000,ベスト物)、HOLIDAY HARMONY(2002)、HEAR & NOW(2007)などが同じコンセプトで発売されています。

今回スタジオアルバム第5作目である1975年発売のHEARTSはシングルカットされた“金色の髪の少女のヒット”(全米1位)もあり、アルバムは全米4位とヒットアルバムとなりました。

日本盤にはご存知のように、 レナウンのシンプル・ライフ(衣料ブランド)のコマーシャルに使われたSIMPLE LIFEという曲がボーナス・トラックとしてB面の最後に加えられています。
コマーシャルでは、最後のフレーズは確かSIMPLE LIFE IS MY WAY~と歌われフェイド・アウトしていった記憶がありますが、ここに収められたボーナス・トラックはTHAT’S THE SIMPLE LIFE, YOU KNOW I’D LIKE TO MAKE IT MINEと異なったエンディングになっています。

その当時は学生で、特に大志を抱いていたわけでもなく将来について漠然としたイメージしかなかったのですが、このような曲を聴くとなんとなく穏やかで明るい未来が待っているような気がしました。それから数十年が過ぎ、山あり谷ありの人生でしたが、実際のところ、それらは一時的な事象であり、ほとんどの日々は何事もなく過ぎていきました。

彼らは、何事も起こらなかったそれらの穏やかな日々の積み重ねがシンプルライフであって、それを実感し大切にすべきだと歌っていたのでしょうか?

それではシングルのジャケットに映画イージーライダーの主役だったピーターフォンダ写っている、SIMPLE LIFE 聴いてください。

Dan Peek of America ♪ Simple Life


師匠: わしは今、仕事をすべて放棄してストレスのないシンプルライフを実践してるところよ。 

私:それって、失業してることじゃ~?


日本盤裏ジャケ、シンプルライフのクレジットあり


WHAT’S WRONG WITH THIS PICTURE?って

2015年03月25日 | West Coast Rock

今回紹介するのはアンドリュー・ゴールドの1977年発売の2枚目のアルバムでタイトルはWHAT’S WRONG WITH THIS PICTURE?で”ジャケットの表紙を飾る写真の間違い探し”という意味です。しかし邦題はなんと、“自画像”となっていました。多分、裏ジャケにアンドリュー・ゴールドの顔写真がありましたので、苦し紛れにそれに乗っかって邦題をつけたのだと思います。

実際、表ジャケットには32個のおかしな箇所が写っている仕掛けになっているとのことですが、 わかる範囲で調べてみると、


1.左の窓は閉じられているのに、カーテンが揺れているが右の窓は、開いているのにカーテンはゆれていない。
2.左の窓から見える水平線と、右の窓から見える水平線が一致しない
3.テープデッキにテープのリールでなくシングル盤が掛けられている


1.白いロウソクの表面に赤いロウがついている
2.エレキギターのワイヤーが電話機についている
3.白ワインのボトルなのにグラスには赤ワイン
4.ハンバーガーのパンにハンバーグではなくソーセージが挟まっている
5.靴紐の結び目の位置がおかしい
6.フルーツバスケットに野球のボール
7.コンセントの差し込み口にプラグのピンが出て見える
などなど

肝心のアルバムの中身は、70年代の典型的なウエスト・コースト・サウンド(AOR=アダルト・オリエンテッド・ロック系)で、本人いわく、ロック(オールディーズを含む)、ジャズ、フォークそして少しカントリーやソウルのフレーバーも入ってるとのことです。是非一度聞いてみてください。きっと気にいると思います。

アンドリュー・ゴールドはシンガーソングライターだけでなく、数々の有名なミュージシャンのレコーディングに参加しています。主なところでは、リンダ・ロンシュタット、カーラ・ボノフ、カーリー・サイモン、アメリカ、10CCなど、それに、ポール、リンゴやジョンのレコーディングにも顔を出しています。シングル・カットされたLONELY BOYは全米8位になりました。

Andrew Gold - Lonely Boy


助手:博士、32個も間違い見つけること出来ましたか?

博士:まだじゃ。一粒で二度美味しいというアルバムは、まさしくこのアルバムの事じゃのう。しかし、仕事が溜まっておるのに、丸一日吹っ飛んでしもたわい!


ジャケ裏の写真。ちなみに32個の答えは、2005年にアメリカで再発されたCD(COLLECTOR'S CHOICE MUSIC CCM-528)のライナーに記載されているとのこと。


労働者階級のロック

2015年03月24日 | AMERICAN ROCK/POPS
制限速度50キロである全4車線バイパス道路(片側2車線)の追い越し車線を走っていると、前方に立体交差の高架橋が見えてきました。普通ラッシュ時でない限り全体の流れに沿って走るので、制限速度を超えて走る場合が多いです。高架橋の登りで後続車に煽られるのも嫌なので、前方の車間距離と詰めるため少し多めにアクセルを踏むと、その時走行車線の大型トラックの前にバイクを発見、しかし着ていたジャケットが茶色に見えたので、その横を追い越しバックミラーで確認したら白バイだったのです。

20キロオーバーで反則金15000円、反則金の支払い方や次の免許更新での特別講習などの丁寧な説明と“いい車に乗ってますね~”(実際はそうでは無いが)と お世辞を言われ、その場の怒りは軽減。

そこでふと大昔の記憶を思い出したのです。アメリカのフリーウェイはダブル・ニッケルと呼ばれ、制限速度は55マイル(約90キロ)。5セントがニッケルと言われることから、5のぞろ目でダブル・ニッケル。ちなみに10セントはダイム、25セントはクウォーターと呼ばれている。あの広いフリーウェイで速度守れって? 無理ですね。どうしても飛ばしちゃいます。

ダッシュボードの物入れからパスポートと国際免許証を取り出す時、拳銃がこちらに向けられていました。ダッシュボードの物入れに拳銃を隠し持っていそうな不良のアジアンとでも思われたのか、なぜなら、向こうでは簡単に買えちゃいますからね~ 本当に怖い思いをしました。

日本でも最近物騒な事件が多く起こるのですが、諸外国と比べればまだかなり安全と言えます。同じスピード違反でもこうも対応が違うんですね。

今回紹介するのは、カナディアン・ハードロック・バンド、バックマン・ターナー・オーバードライブです。70年代初期に、 カナディアン・バンドであった、ゲス・フーのバックマン兄弟とベーシ-ストのC. F. ターナーらで結成されました。

1974年にリリースされた彼らの3枚目のスタジオ・アルバム NOT FRAGILEは、全米一位を獲得、2枚のシングルのYOU AIN’T SEEN NOTHING と ROLL ON DOWN THE HIGH WAY もシングルチャートでそれぞれ1位と14位を獲得する大ヒットとなりました。

アルバムタイトルの NOT FRAGILEは1971年のイエスのFRAGILEを思い出されるかもしれませんが、彼らは特に意識したものではないとは言っています。単に簡単にぶっ壊れるようなデリケートなものではないという意味でしょう。確かにサウンドは、3もしくは4コードを使ったギターがベースになったストレートなサウンドで、CCR解散後少なくなったこの分野の穴を埋めたブルーカラー御用達のロックと言われています。

では、ROLL ON DOWN THE HIGH WAYを聴いてみてください。すっきりしますよ~
Bachman-Turner Overdrive ~ Roll On Down The Highway ~ 1974 ~ HD - YouTube.flv


私:あっ、博士。お久しぶりです。

博士:免許の更新行ってきたのかい?

私:ええ行ってきました。やっぱり青色にもどっていました。おかげで、今度の自動車保険の更新は、ゴールドの割引がなくなり踏んだり蹴ったりです。

博士:そうか、気分転換にROLL ON DOWN THE HIGH WAYでも聴いて高速道路をぶっ飛ばしてみたらどうじゃ。

私:それじゃ、次は免停間違いなしです。


40周年記念CD、ライブのボーナスCDが付いています

ビートルズの反意語遊び

2015年03月21日 | BEATLES-BADFINGER関連

君がイエスと言えば、僕はノーと答える
君がストップと言えば、僕はゴーと連呼する

オー、なんてこった~

君がグッドバイと言えば、僕はハローと言う

ハロー ハロー

どうして君はグッドバイと言うのかい
僕はハローと言うのに

ハロー ハロー

どうして君はグッドバイと言うのかい
僕はハローと言うのに

君が高いと言えば、僕は低いと言う
君が何故と聞けば、僕は解らないと答える

オー、なんてこった~

君がグッドバイと言えば、僕はハローと言う
……

子供向けの絵本に出てくるような歌詞で、初期の作風とは打って変わり、中期以降にこのような子供向けの歌詞を含んだ曲も作られるようになります。イエロー・サブマリン、オクトパス・ガーデンやオール・トゥゲザー・ナウなどですね。

1967年にシングルで発売され全米一位のミリオン・セラーとなりました。歌詞が子供向けとはいえ、ポールお得意の親しみやすく楽しいメロディーに乗っかっているので、当時の大人が聴いても違和感というのはそれほど意識されなかったのだと想像します。

しかしジョンは、自身のアイアム・ザ・ウォラスがそのシングルのB面に追いやられため、エンディングを除いては単なるおふざけのつまらない曲だと言っていたようです。

確かにアイアム・ザ・ウォラスは、サイケデリック調の複雑な構成からなる曲で、ビートルズ中期の代表曲といえますが、コマーシャルな面からすると、レコード会社としては、ストロベリー・フィールズ・フォーエバーのシングルの実績から、この手の曲でチャート一位達成は難しいという判断があったのでしょう。

博士:何! ポールは反意語を使ってポジティブな対立構造をテーマにこの曲の作詞をしたじゃと?

助手:ええ、本にそう書いてあった記憶が。

博士:ビートルズにおける、自身とジョンの関係を暗示していたのかな~


USシングル盤


日本シングル盤


サントラとは? その2

2015年03月20日 | 考察シリーズ

助手:博士! こんなサントラのCDを棚から見つけましたよ。

博士:おお~、これはエリック・クラプトンが制作したサントラじゃないか。こんなのいつ買ったんじゃろう? 全く記憶にないんじゃが。

助手:えーと、映画の題名はRUSHと言って、1992年の映画ですね。麻薬取り締まりの囮捜査に関わる警察官の話ですね。なんでも、当初トム・クルーズに主役の話が行ったのですが、麻薬関連の映画は出たくないと断ったみたいですね。それから、あのオールマン・ブラザーズのグレッグ・オールマンが脇役の出演でクレジットされていますね。

博士:ほ~、そんな映画があったとは知らなかったのう。君、それじゃこのCDそこのプレイヤーでかけてみたまえ。いやそれじゃない、それはプレステ2じゃ。
(博士は、未だにプレステ2で初代地球防衛軍のゲームを楽しむとのこと。EDF, EDF, EDFバンザイ~、何のこっちゃ?)

助手:1から7曲目までは、エリック作のインスト・ナンバーで彼のバンドをバックにつけてギターを弾いていますね。8曲目は歌物HELP ME UPで、エリックがボーカル、9は約10分に及ぶブルース・ナンバーDON’T KNOW WHICH WAY TO GOで、あの有名なブルース・ギタリスト、バディー・ガイがボーカルとギターを担当、エリックも一緒にブルース・ギター弾きまくっています。トリの10曲目は、グラミー賞をとったTEARS IN HEAVEN。

博士:TEARS IN HEAVENはこのアルバムからシングルカットされたのか~ 知らんかったわい。
インスト・ナンバーはこの映画を見ていないから、曲のタイトルを見てもピーンとこないんじゃが、演奏そのものは、及第点以上じゃ。それに最後の歌物3連発は、まことによろしい。この3曲だけで買いじゃ。

助手:いやー、もう既に買ってここにありますが。
皆さんも、一度CDの置いている棚を探してみてください、忘れ去られたCDがひょっこり出てきて、今日1日を清々しい気分にさせてくれるかも知れません。

博士:おおー 今日は美しく締め括ったのう。まるで、体育祭の組体操で三点倒立が一発で決まったような清々しさじゃ。


歌もの3曲のクレジット

サントラとは?

2015年03月19日 | 考察シリーズ

助手:博士! サントラってなんの事ですか?

博士:昔、よく街中を走っていた三輪トラック、オート三輪トラックの事じゃよ。簡単に言えば、オートバイの後輪を左右に1輪づつ取り付けた車体の上に荷台を載せたものじゃ。しかし3輪ゆえ安定性に欠け、悪路や高速走行は不向きという欠点からその後4輪車に取って代わられたのじゃ。大型の三輪トラックはバキュームカーに使われていたからのう、もしなんらかの拍子でひっくり返れば、大変なことなるな~ とよく思ったものじゃ。

いや違った! サントラとは映像フィルム上のサウンドが入ったトラックの事じゃ。その昔、特に映画音楽の事をサントラと呼んどった。

助手:ああ、わかりました。サイモンとガーファンクルの“卒業”というアルバムがそうですね。だけど、そのアルバムの新曲は、ミセス・ロビンソンだけで、残りはサウンド・オブ・サイレンス、4月になれば彼女はとスカボローフェヤーなどの既出の曲、 アウトテイクのような既出曲の断片、そしてジャズ・ミュージシャンのデイブ・グルーシンの曲で構成されていて、サイモンとガーファンクルのアルバムとしては少し物足りない内容ですね。

博士:収録されている内容や当時駆け出しで有名になる前だったデイブ・グルーシンの起用などを考えると、そのような印象を持つのも仕方ないことのじゃが~
もちろん映画の内容が良かったのも事実だけど、実はサントラ部門のグラミー賞を獲得するほど非常に評価され、また売上も全米1位、全英3位を獲得したベストセラーになったアルバムだったのじゃ。

助手:へー、そうだったんですか。なぜそれほど売れたんですか?

博士:昔はのう、今と違ってブルーレイ、DVDやインターネットで簡単に映画を見ることが出来なかったので、もう一度見るには映画館に足を運ばなければならなかったのじゃよ! ロードショーでの公開が終了するとそう簡単に再び見ることは出来なかったからのう。サントラ盤を購入し聴くことによって、映画のシーンを思い出し再びその感動に浸れるのじゃ。だからヒット曲以外のオーケストラなどの演奏による挿入曲も非常に重要だったわけじゃ。

一期一会の映画での思い出を大切にする、なんとも良き時代だった~

おい、何を泣いているのじゃ?

助手:博士もたまには、まともなことを言うと思うと、涙が。


卒業サントラ盤の収録曲。よくアルバム1枚分の量に出来たなと感心。


ヒット曲のみから構成されている、映画FMの2枚組サントラ盤。
1978年当時、スティーリー・ダンが作ったFMという曲はここでしか聞けなかったので、その1曲のためだけにこの2枚組のサントラ盤を購入したディープなスティーリー・ダンのファンもいたとか。
その後、FMという曲はスティーリー・ダンのベストアルバムに含まれることになったが、その1曲のためだけにまたまたそのベストアルバムを購入したさらにディープなスティーリー・ダンのファンもいたとか。

ピンクフロイドと緩パンの理論

2015年03月18日 | PROG ROCK

博士:何! 15 X プラチナじゃと!

助手:ええ、アメリカだけで1500万枚、全世界で5000万枚以上売れたとのことです。

博士:それじゃキッコーマン醤油卓上瓶と同じで、ロック一家に1枚という勘定になるのう。

助手:マイケル・ジャクソンのようなアイドルでもなく、ビートルズのように、多くのシングルヒットがあるわけでもなく、プログレというジャンルで何故こんなに売れたのでしょうか?

博士:解らぬの~。わしが長年研究し導き出した、ロックビッグバンの定理では全く説明出来んのじゃ。世界中でヒットしたので、アルバムの邦題”狂気”に惑わされて無意識に買ってしまったとも思えないし。

助手:テープなどの効果音の使用は当時他のグループでもありましたからね。また彼らの演奏技術も、特段難しいことをやっているようには思えないのですが。むしろ、ゆるい感じがするのですが。

博士:それじゃ! そうか、わかったぞ! 仕事から帰ってきて、風呂に入り、そのあと、緩パンを履くと非常にリラックスするのと同じじゃ。 日常のプレッシャーから己を解放しさらにリラックスするため、アメリカ人は挙ってこのアルバムを買い求めたのじゃ!

助手:おお、博士! 伝説の緩パンの理論ですね。

博士:その通り。但しこの理論は、残念ながら日本人には当てはまらんのじゃ。何しろ、日本人は、プログレ道を極めると称して、必ずステレオの前に正座して一音たり逃さずに聴くという習性があるからのう。それでは音楽を楽しむことは出来ないと思うのじゃが。困った人たちじゃ。

という会話が実際あったのかはさておき、ピンクフロイドのDARK SIDE OF THE MOONはマイケルのあのスリラーに次いで現在世界売上の座2位に位置し、メディアがCDやDVDなどのフォーマット変わった今日でも売れ続けているお化けアルバムです。皆さんはなぜこのアルバムがこれだけ売れたのかと思われるでしょうか?

イギリスでは、EMI傘下のハーベスト・レーベルが販売し、アメリカではEMIと繋がりのあるキャピトルが販売権を持っていました。

イギリスでは、デビューアルバムから売上は常時十位以内で、あの原子心母のアルバムは全英一位を獲得するまでになりました。残念ながら、それまでアメリカではイギリスと比べると売れ行きが芳しくなかったようです。

新しくキャピトルの会長に就任したBHASKAR MENORは、ピンクフロイドは必ず売れるという確信を持って、売上を増やすためにテコ入れしました。彼が打ち出したのは、アメリカ限定でシングルを発売しラジオのエアプレーを利用しプロモーションを展開することでした。

通常プログレのアルバムは、難解な内容の詩や尺の長い曲などシングルカットするには不向きな曲が多く、売れないと想像のつくシングルの発売にはレコード会社としてはどうしても躊躇します。またバンド側も当時尖っていて、シングルの発売を許可しない場合もありました。彼はなんとかバンドを説き伏せ、ラジオに乗せやすいように曲を短く編集し、都合このアルバムから2枚のシングルを発売しました。

特にMONEYという曲は、曲の頭にレジスターの出す効果音がイントロに絡むアレンジにインパクトがあったのか、プログレ系シングルとしては大ヒットとなる全米13位。

それがうまく作用し、結果的にアルバムもベストセラーとなったのです。まあ、プログレは難解であるというような固定観念にとらわれず、普通のポップアルバムのように楽しんで聴いて欲しいというメッセージになったのではと想像します。

余談となりますが、以前からキャピトルのマーケティングになんらかの不満を持っていたフロイドのメンバーとマネジャーは、同じ時期に極秘裏にコロンビア・レコードと新規の契約の交渉を進めていました。キャピトルとしてはようやくアメリカのマーケットでの成功に辿りついたのに、次に出すアルバムから、その美味しいところはコロンビアに持って行かれるという残念な事になりました。

一説によりますと、コロンビアはフロイド側に契約の前金として1ミリオンドル(当時1ドルは300円ぐらいでしたから、1974年頃の約3億円)を支払ったようです。 フロイドのシングルMONEYの歌詞と同様に、世の中本当にマネーですね~ 1975年、次のアルバムWISH YOU WERE HEREの日本での発売が東芝からCBS-SONYに変わった時、当時の少年たちはそのような裏のドロドロとした話を想像する由もありませんでした。

それではピンク・フロイドのDARK SIDE OF THE MOONを是非リラックスしてお聴きください。なぜこれほどまでに売れたのか貴方なら解明出来るかもしれません。


初盤のレーベルは、青いプリズムのイラストを採用。


ボックス・セット購入も、このボックスの目玉である5.1CHのDVDとB-RAYの再生する装置が現在ないため、猫に小判の状態
エントリー系の音を出すマルチのシステムとなると、プレイヤー、アンプとスピーカーで少なくとも15万円ぐらいかかるのでは?
誰かお金貸して~、いや、お金ください。


ABBEY ROADをJAZZる

2015年03月17日 | BEATLES-BADFINGER関連

BOOKER T. & M.G’SのMcLEMORE AVENUEを紹介すると、これも紹介しないと片手落ちです。少しクラッシック・ロックの範疇からは外れますが、どうか少しお付合いお願いします。

ということで、GEORGE BENSONのTHE OTHER SODE OF ABBEY ROAD紹介します。1969年発表されたGEORGE BENSONによるABBEY ROADのカバーで、ハービ・ハンコック、ロン・カーター、ボブ・ジェームス、フレディー・ハーバードなど一流のジャズ演奏家が参加しています。

ロックをよく聴かれる方の間で、ジャズは苦手と言われる方多いと思います。確かに、初めて聞くジャズが、サックスが炸裂するフリージャズ期のコルトレーンや電化マイルスのアゲルタやパンゲヤのようなものであれば、何これ!というイメージを持つことになるでしょう。

しかし、ロックに接近しているクロス・オーバーなジャズや、反対にロックからジャズに接近しているカンタベリー系ジャズロック、例えばソフトマシーンあたりから入ると、それほどの距離感はなくなるのではと思います。そこから、ジャズに完全にハマってしまい、向こう側に行ってしまって、ロックに戻らない方も多くいるのではないかと思います。

今回、GEORGE BENSONが高速のフルピッキングを駆使し、ウェス・モンゴメリーばりのオクターブ奏法を極めていることなど技術的な小難しいウンチクなどは気にせずに、ジャズのアプローチでどのようにABBEY ROADを料理するのかをシンプルに楽しんで貰うことがジャズとの垣根をなくすことになるのでは。

COME TOGETHERやI WANT YOUのファンキーな演奏や、ストリングスを入れてしっとりと弾いたり、聴き処はたくさんあります。

後年のBREEZIN’ やWEEKEND IN L.A.などのアルバムで披露され高い評価を受けた彼のボーカルを此処でも聴くことが出来ます。歌うことによっぽど自信があったのでしょうね~

ビートルズファンのそこのアナタ! 一度聴いてみてください♪~


収録曲のリストです。

TOTO マイク・ポカーロ死去

2015年03月16日 | AMERICAN ROCK/POPS

つい先日TOTOに関する記事を当ブログに掲載し、メンバーの強い絆でなんとか難病を克服してくれればと思っていたのですが、今日のスポーツ紙の紙面で、マイク・ポカーロ3月15日死去と報じていました。

人は誰でも死ぬので、それを避けて通ることは出来ないけれど、少しでも長く生きられるのであれば、今日の医学の急速な進歩により、近い将来に完治が見込める治療を受けられるチャンスがあるかもしれないと考えると、本当に残念です。メンバーも同じ思いでライブ活動を再開したのだと思います。

これから、ポカーロ3兄弟がそろい踏みしたTOTO5枚目のアルバム、ISOLATION を久しぶりに聴いてみようと思います。


左から1番目がスティーブ、4番目がマイクそして右端がジェフです。


歌のないビートルズ

2015年03月16日 | BEATLES-BADFINGER関連
はるか昔の学生時代、テスト前になると、一夜漬けと称して夜中から明け方までテスト勉強をしたものです。勉強は口実でほぼラジオを聴くために起きているくらいAM局にはお世話になりました。

そういえば、歌のない歌謡曲なんていうラジオ番組ありましたねー
今でも、15分間月曜日から金曜日まで毎日歌なし(カラオケ)の歌謡曲を流す番組で、朝の6時から7時台にかけて多くの地方AM局がオンエヤーしています。なんでも60年以上続く長寿番組だということです。まあ、歌がない分騒々しくなく、落ち着いた朝を迎えることができますね。

今回は歌のないビートルズと称して、BOOKER T. & M.G.’SのMcLEMORE AVENUEを紹介します。

BOOKER T. & M.G.’Sといえば、メンフィスのスタックス・レコードに所属するインスト・バンドで、歌なしでソウルやR&Bの曲を演奏します。また、スタックスに所属する歌手のレコーディングやライブのバックも勤めたりしていました。有名なところでは、オーティス・レディングのヨーロッパ・ツアーに同行していました。

彼らは、ビートルズのABBEY ROADに感銘を受けこのアルバムを制作したと聞いています。もちろん彼らからの一方通行ではなく、ビートルズのジョンは彼らのファンであり、彼らにインストの曲を提供したいとずっと思っていたとのことで、お互い尊敬し合っていたみたいです。アルバムタイトルのMcLEMORE AVENUEはABBEY ROADのパロディで、メンフィスのスタックス・スタジオがある通りの名前です。

彼らのメンフィス仕込みのR&Bサウンドによる、歌なしのアビーロード是非一度聴いてみてください。ゆったりとした感じで、ビートルズのそれとはまた違い、気分転換にもってこいです。

きっと試験勉強もはかどりますよ~(あくまでも個人的な感想です。)

なんだか通販の宣伝みたいに成って来た。


ジャケ裏もABBEY ROADのパロディで、ミニスカの女性がMcLEMORE AVENUEを歩いています。


オリジナルの収録曲は4曲で、そのうち3曲がメドレー、そして残り1曲は多分ラジオでのオンエヤー用として独立した曲(SOMETHING)になっています。

ディ・アウトローズ、ファーストを聴く

2015年03月15日 | Southern Rock


いくら実力があってローカルで人気があっても、国内全土と海外でメジャー・デビューするとなるとそう簡単ではありません。
少なくとも、良き理解者いるレコード会社のサポートがないと難しいのではないでしょうか?
アウトローズの場合は、その良き理解者がレコード会社のトップだったことが幸いし、順調なデビューを飾ったグループと言えるでしょう。

コロンビア・レコードのクライブ・ディヴィスは、サンタナ 、シカゴ、エアロスミス、ブルース・スプリングスティーン、ビリー・ジョエル、ボストンやアース・ウインド・アンド・ファイヤーなどと契約を取りまとめた敏腕副社長でした。彼の目利きで契約したアーチストはほとんどが大成功をおさめ大物アーチストとなって行きました。

その後、副社長を退任し、コロンビア傘下のベル・レコードの社長となり、1974年にアリスタレコードと改名しました。ベルやアリスタ所属のアーチストといえば、古くは、パートリッジ・ファミリーやバリー・マニロウからホイットニー・ヒューストン、メリサ・マンチェスターなど都会派ソフトポップスで有名なレコード会社でした。

レコード会社の所属アーチストの幅を広げようと、ロック関連の経験豊富なクライブが探し出したのが、アリスタレーベルとしては異色の存在であったサザンロック・バンド、アウトローズ。

メジャー・デビューとなると売上が重要となり、無名バンドを売り出すのには、当然会社主導で国内全土で受け入れられるアルバムを制作しなければなりません。
そこで、ドアーズのプロデューサーで有名なポール・ロスチャイルドを起用しました。全体の感じとしては、サザン・ロックのフレーバーは残すが、ブルース系のねちっこいソロギターなどは避け、聴きやすくあっさりとした感じに仕上げています。また4曲目にJ. D.サウザーをゲストとしてバックコーラスに参加させたことからも、レコード会社の思惑として、イーグルス系のウエスト・コーストサウンドとの融合を売りにしたバンドを作り上げることがあったと考えます。

全米13位と新人バンドとしては大成功となり、レコード会社主導の制作は見事に当たったと言えます。この結果を踏まえて、2枚目も同じ布陣でさらにその上を目指すこととなるのですが・・・
普通、大成功した後のアルバムの制作はかなりのプレッシャーになるのと、レコード会社主導のアルバム制作に、果たしてバンドメンバーが今後どのように思うのかも興味のあるところです。続きはまた今度。

それではクライブの手腕による快心作、ウエストコースト風サザンロックバンド、アウトローズ是非聴いてみてくだい。すっきりしますよ~

今日はいつものおちゃらけはないのですか?

ネタ切れです。すいません。


ゲートホールドジャケットを採用、裏まで続く丁寧な西部時代の風景のイラスト


クライブも、ジャケットのインナーに”アリスタ初の本格的ロックンロール・バンド”とコメントを寄せており、猛プッシュ。
売り気満々です。


リッチー、職場を変える!

2015年03月14日 | DEEP PURPLE-RAINBOW関連

えっ! またパープルネタ? 

それに近いやつです。リッチーズストーリーのトリロジーってやつですね。

なんとなく、昨日の時点でそんな気配は感じたんだけどね~
まあ、とにかく始めてよ。

1974年パープルのSTORMBRINGER 録音時、リッチーはQUATERMASSという英国のプログレバンドが1970年に発表したBLACK SHEEP OF THE FAMILYのカバーの制作を提案。しかし他のメンバーから却下され、敢なくボツとなる。そのためさらに悶々とした時をすごしていたそうな。仕方なく、やりたいことはソロプロジェクトでやるしかないと考えていたのでしょう。

パープルの前座バンドのエルフのメンバーと、その曲とB面に入れるMAN OF THE SILVER MOUNTAINのシングルの制作を意図しました。その出来が思ったより良かったので、パープルを脱退し新規のバンド設立へとなだれ込んで行きました。

そこで完成したのが、1975年発表のRITCHIE BLACKMORE’S RAINBOWでした。リッチーの世界観というか、中世のファンタジックなイメージとロックが交わった革新的なサウンドとして、まだバンドとしてはまだ未完成だったにもかかわらず、そこそこの成功を果たしました。ちなみに同年制作された第4期のパープルのアルバム、COME TASTE THE BANDが英チャート19位、米チャート43位に対してデビューとしては上出来の11位と30位の成績で、図らずもリッチーあってのパープルだったと証明してしまうことになり、残念なことにパープルはスタジオアルバム一枚の制作で解散。

リッチーにファンキーは似合わない? と前々回書きましたが、あれ? 9曲目のインストナンバー、STILL I'M SADは結構ファンキーな仕上がりになっているじゃないですか。

リッチーがご機嫌ななめだったのは、どうもファンキーが理由ではなく、やっぱりデビットとグレンの主張しすぎる独特の歌い回しが気に入らなかったのでしょうかね?
このアルバムを聴くと、ロニーはリッチーのメロディーに合わせて淡々と歌っているような気がします。

リッチー自身は彼の存在はバンドの1/5だという発言をしていましたが、その後の度重なるメンバーチェンジを見てもレインボーは100%リッチーのバンドで、孤高のロッカーと言われる所以です 。

リッチー:3回連続で登場したので、俺はもう家に帰っていいよな?

私:まだ書いていないアルバムがたくさん残っていますので、自宅待機でお願いします。それから、ロニーさんを除いて旧エルフの方々はお引き取りいただいて結構です。午後から、コージーさんいらっしゃるようなので。

旧エルフメンバー:アルバム出したばかりなのに、俺たちもう首?

ロニー:俺、あとどれぐらいバンドに居られるのかな~

私:さっきグラハムさん散髪屋に行ったの見たから、それまで結構余裕あるんじゃないの?

リッチー:レインボーは俺のもの♪~