CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

国際展開、英語版始めました~

2022年11月30日 | PROG ROCK

世界を視野に入れて活動を展開してみたいと考えれば、歌物の歌詞はやっぱり英語でなくてはね。

アメリカのマーケットではいくら内容が良くても、坂本九のスキヤキの様や中南米からの移民が多い地域でのスペイン語の歌など例外はあるが、基本的に英語で歌われなければ見向きもされない場合が多々。

イタリアのプログレ・バンド、 P.F.M.(Premiata Forneria Marconi、プレミアータ・フォルネリア・マルコーニ)がELPのイタリア公演の前座として演奏した時、グレッグ・レイクの目に留まり、彼らのレーベル、マンティコアからデビューすることになった。それが彼らの1972年のセカンド・アルバム、Per Un Amico(友よ)だった。

(1972年のイタリア盤、Per Un Amico)

そしてクリムゾンのピート・シンフィールドの英詞を付けて再録、されに2曲を追加して翌年にPhoto Of Ghost(幻の映像)で世界デビュー。

(1973年の国際デビュー盤、Photo Of Ghost)

彼らの当時の特徴としてはメロトロン、管楽器(フルート)やバイオリンが登場するクラシカルな雰囲気も漂うクリムゾンのリザード辺りの印象で、たまにジャズっぽいフレーズも登場しキャメルのような浮揚感も感じさせ、演奏技術はかなり高い。

本日は、彼らのイタリア盤、Per Un Amico(友よ)と国際デビュー盤、Photo Of Ghost(幻の映像)を聴き比べてみようではないか。とは言え、当方勿論イタリア語はチンプンカンプンで英語も達者ではないので、感覚的にどう違うのかって感じの比較になる。      

イタリア盤、Per Un Amico(友よ)    国際盤、Photo Of Ghost(幻の映像)

1.Apnea Un Po’(ほんの少しだけ)   River Of Life(人生は川のようなもの)

  未収録                Celebration(セレブレーション)

2.Generale(生誕)            Mr. 9 ‘Till 5(9時から5時の男)

3.Per Un Amico(友よ)        Photo Of Ghost(幻の映像)

  未収録                Old Rain(オールド・レイン)

4.Il Banchetto(晩餐会)        Il Banchetto(晩餐会の3人の客)

5.Geranio(ゼラニウム)         Promenade The Puzzle(プロムナード・ザ・パズル)  

ピート・シンフィールドが詩をつけたのは、イタリア盤の1、2、3と5の4曲とイタリア盤に収録されなかったCelebration。

むむ〜、再録されてアレンジが少し違うのとイタリア盤CDが1988年の初期のプレスってことで音圧は低くちょっと平坦に聴こえたのを差し引いても、英語の歌詞が結構ハマっている感じ、さらにバンドが歌物より演奏に注力を注いでいた事から英語の歌詞に関してはそれほど違和感は感じなかったのが正直なところですかね。

PFMは英語で歌うスタジオ・アルバムを3枚とアメリカでのライブ盤(Cook)を出していった後は全編イタリア語で歌うスタイルに回帰。

やっぱり、歌詞どうこうよりアメリカではちょっと繊細すぎてウケなかったかな?

ただ日本のプログレ・ファンの中では結構人気があって何度も来日しているし、また彼らの国際デビュー・アルバムにハマりそれを入り口にイタリアン・プログレの沼にもどっぷり浸かってしまい日本ではほとんど見かけない他のバンドの高額輸入盤に手を出された方も結構いたのではないかと。

いや~、国際展開って本当に難しいものですね。


ライブの日々

2022年11月29日 | Wishbone Ash

1980年にレコードが発売されたものの何故か買いそびれ、そして長きに渡って廃盤扱いになっていたのだが、2010年突如として2枚組紙ジャケCDとして再発された。

今度は買い逃すものかと、すぐに通販サイトでポチッと入手。

これが幻のウィシュボーン・アッシュのライブ・アルバム、Live Dates Vol.2。

水色のスティッカー邪魔!

1974年、テッド・ターナーの代わりにアメリカ人ギタリスト、ローリー・ワイズフィールドが加入し新生ウィシュボーン・アッシュが誕生。その彼らの1976年から1980年までのライブ活動での選りすぐりの演奏が収録されている。

個人的には1974年のアルバム、There’s The Rubに収録されたお気に入りのインスト・ナンバー、F.U.B.B.がどの様に演奏されているのか興味があった。

いやぁ~ いい感じに仕上がっている。

ファンであるなら、一家に1枚のアルバムですかね。

おぉ~っと、2枚組でした。

英国では、イニシャル・プレスの25,000枚はLP1枚にもう1枚おまけのLPが付いてくる2枚組で、それ以降はシングルLP盤になったとか。因みにアメリカ盤はシングルLPとして発売されたそうな。

ローリー加入以前の曲は、Time WasとNo Easy Roadの2曲だけで、Live Dates Vol.1とは被らない選曲となっている。

ヒプノシス制作のLive Dates Vol.1のジャケット、Live Dates Vol.2のデザインと統一感があって楽しめる。

 

 

 


温故知新、旧規格のCD、その2

2022年11月28日 | Bowie, T.Rex, Hoople and Glam.

1974年、アメリカ進出を目論みアルバム、Diamond Dogが発売。間髪を入れずにアメリカ・ツアーを敢行し同年10月にそのフィラデルフィアでの公演のライブ音源をレコード化した。

それがDavid Live。

レコードが発売された当時は、音が平坦だとかボウイのボーカルに薬のせいで張りがないとか色々と酷評された。それでもヒットチャートでは英2位、米8位と大健闘。

そして1990年RykodiscによってCD化された。レコード音源は持っていなかったのでこのCDを購入することに。

(ブルーを基調にジャケを制作)

レコード発売当時評論家からかなり腐されたみたいだが、このCD音源聴いてみると言われるほど悪くはないと思えたのだが…

そして2005年にはオリジナルのプロデューサであったトニー・ビスコンティが5.1CHのマルチ音源を制作した際、それをベースに新しく追加した曲を加えた新ステレオ音源も制作しCD化された。

(2005年盤は、ホワイトが基調となりイメージが激変)

2005年バージョンは1990年のミックスと比べると、少し音圧も上がり更に全体的にメリハリを加えたハッキリした音になったかな?

(2005年の波形は振幅が激しくメリハリ効いてます)

2005年盤ばかり聴いていて古い盤はご無沙汰だったけれど、古いCDには買った当時の思い出もあって、これはこれで聴く価値があるのかな。


日本人ならみんな大好き、ジェフ・ベック?

2022年11月27日 | Jeff Beck, Eric Clapton and etc.

3大ロック・ギタリストと呼ばれるうちの一人だから、当然彼の音楽性やギター・テクは最高と認識されているが、ヤング向けのポップ・スターでもないためヒット・チャートで上位を争うこともない、比較的通好みのアーティストの一人ですかね。

特に工業立国、職人気質の強い日本では彼方の昔からテク推しなのでこの国では非常に崇拝される存在だと個人的に思っている。

西洋での評価とは反対に日本では彼のフュージョン系第一弾のBlow By Blow(米4位、日27位)より、テクを更に押し進めた翌年の第二弾、Wired(米16位、日7位)の方が人気が高い。

また翌年の1977年に出たヤン・ハマー・グループとの共演ライブ、ライブ・ワイヤーは更に顕著で米23位、日9位。でも何故かお膝元のイギリスではBlow By Blowと同じくチャート・インしなかった。

特に欧米と比べて日本ではジャズやフュージョン系が結構好まれる事も一つの要因じゃないか考えられる。

因みにこのアルバムのライナーで福田一郎氏が気になる記述が…

なんでも、このアルバムのプロデュースに関してジェフ・ベックとヤン・ハマーとの間に何か齟齬があったような噂が流れていた様なって事らしい…

ヘェ〜 私のようなとうしろには、ライブでの彼らのコラボはバッチリ、最後の疾走感あふれるBlue Windなんて最高~!って感じなんですがね。

まあ、人それぞれが他の意見に惑わされず先入観なしで感じるままに楽しめればそれで良し。


AとBが入れ替わる

2022年11月26日 | CCR and John Fogerty

CCRの1970年の5枚目のアルバム、Cosmo’s Factoryから3枚目のダブルAサイドとしてシングルカットされた、Long As I Can See The Light(光ある限り)・Lookin’ Out My Back Door。

渋いソウル・フルなバラードと軽快なカントリー調の曲の組み合わせ。全米2位まで上り詰めたヒット・シングルとなった。多分チャートを押し上げたのは日本ではBサイド扱いだったラジオ・フレンドリーなLookin’ Out My Back Doorだろう。

因みに後日再発されたこのシングルではLookin’ Out My Back Doorが功労賞としてAサイドに昇格している。

(Lookin’ Out My Back DoorがAサイドに昇格しているだけでなく、価格も何気に400円から500円に昇格!)

Long As I Can See The Light(光ある限り)はアルバム、Cosmo’s Factoryのグラディス・ナイトやマービン・ゲイの歌唱で有名だったI heard It Through The Grapevine(悲しいうわさ)の長尺なカバー・バージョンの後を受けて渋く且つしっとりとアルバムを締め括り個人的には中々良い感じ。

光ある限り闇の中でもきっと希望は見いだせるし、また元に戻って来れる~って感じの歌詞もポジティブでこれまた中々よろし~


温故知新、旧規格のCD

2022年11月25日 | BEATLES-BADFINGER関連

ちょっと、そこの兄貴ってば!

新しいやつばっかり聴いて、たまにはオイラのも聴いてみてよ!

ここ20年程、古いCDに変わってリマスターだとかリミックスを謳ったCDが次々に登場し、音質が改善されたと買い換えるコレクターも多い。

それまでのレコード再生の欠点とも言える傷や静電気などによるレコードの溝の汚れから発生する雑音に悩まされた。これがCDの登場により解消され素晴らしい技術だと賞賛されたものの、80年代当時は現在と比べてようやく技術が誕生し確立したばかりで、まだまだ問題点も多々あった。

特に80年代初期に製造されたCDは音圧が低いものだとかあり、また劣化したマスター・テープから原音に忠実にデジタル化するのは骨の折れる作業だったと想像する。

80年代も後半を過ぎるとある程度デジタル化の技術も進化し、単にデジタル化するのではなくホワイト・ノイズの消去、イコライザーやコンプレッサーなどを駆使して既出の音源をさらに聴き易くするためにリマスターするのが通例となってきた。

そして1987年ついに満を辞してビートルズのレコード時代の全カタログがジョージ・マーチンの手によってリマスターされた。

特に8トラック録音時代のアビー・ロードのアルバムはCD化されるのが待ち遠しかった。

ただアビー・ロードのCD化は1987年のリマスター・プロジェクトが初ではなく、何と東芝がプロユースと称して発売したアビー・ロードのLP制作に使用した特別なテープを使って1983年に既にCD化(CD番号CP35-3016)されていたのであったが、音源を管理していた英EMIの了解を取らずに制作した東芝の勇足によって、幾らかの商品は市場に出たものの英EMIの要求によって廃盤・回収となった。

すなわち現在の最初の正式なCDは1987年に出たジョージ・マーチン監修によるリマスターされた米盤CDP 7 46446 2か英盤CD-PSC 7098である。この後2009年に再リマスターされ、2019年には50周年記念盤としてジョージの息子、ジャイルズによってリミックスされたのが最新盤となる。

そのため1987年のCDを聴く事が全くなくなってしまった。ただ個人的には久々に聴いてみて1987年のCDの出来は当時の技術でのデジタル化としてはかなり良く出来ていて、2009年のリマスターと比べても遜色はないと改めて感じた。

因みに、それぞれのCDのCome Togetherの波形を比較してみると、

音源は1987年のリマスター盤と同じもの、ただし1991年の再発アメリカ盤のCD。

1987年盤、Come Togetherの波形

 

2009年リマスター盤、Come Togetherの波形、前回と比較すると音圧は少々上がったものの、波形はほぼ同じ形で音量を調節すればそれほどの差は感じられなかった。

2019年リミックス盤、Come Togetherの波形

リミックスによって波形が異なり更に音圧も高めで以前の2商品とは全く別物の作品かな?これを新しい発見をもたらしたアビー・ロードとして賞賛するかどうかは聴き手次第ですかね。

温故知新って事で旧規格CDも楽しもうではないかと...


黄昏のレンガ路

2022年11月22日 | ELTON JOHN

久々に1973年のエルトン・ジョンの2枚組スタジオ・アルバム、Goodbye Yellow Brick Road(邦題は黄昏のレンガ路)でも聴いてみようと取り出した。

彼の作品の中で一番売れたアルバムであり、個人的にも彼のベストだと思っていて当然のことながら捨て曲なし。

またアルバム・ジャケのデザインも魅力的なイラスト満載で聴いて見て非常に楽しめた作品だった。

ゲッ、アルゼンチン負けちゃった!

何と5月の太陽が、黄昏時、黄色いレンガ路の続く彼方へと沈んでいっちゃった。


ギター・マンにはなれない

2022年11月21日 | AMERICAN ROCK/POPS

ジャラ~ン♪ このコード押さえると違和感が...

昔からバネ指で左の中指の曲げ伸ばしがスムーズにいかなかった。

因みにバネ指とは、指の中を貫く腱の一部が腫れて肥大化し、その腱をホールドしている腱鞘にひっかり指を自力でスムーズに曲げ伸ばし出来ない状態のことで、症状がひどくなって遂に片方の手の力を借りないと曲げ伸ばしが全く出来なくなってしまい手術することを決意。

術後一応曲げ伸ばしは自由に出来たのだが、指の痺れが中々とれない。手術の際中指の何処かの神経にダメージを負ったのだろうか...

時間はかかるだろうけど末梢神経は少しづつ修復されるとのことで、そして6年が経った。

術後しびれで無感覚だった中指も、ある程度は回復し痺れも無くなってきたものの、ギターのちょっとややこしいコードを抑える時、ビビッとくる。

不器用な上に、更にコードがしっかり押さえられないとなるとギター・マンにはなれない。

仕方がないので弾くより聴く方に回って、本日はAOR系のブレッドが1972年(日本では1973年発売)に出た5枚目のアルバム、Guitar Manでも。

メンバーのうちデビッド・ゲイツはバンド解散後ソロ・アルバムを出してよく知られているが、もう一人有名な人がメンバーに…

ラリー・ネクテルというマルチ・ミュージシャンで、サイモンとガーファンクルの明日にかける橋であの印象的なピアノを弾いていた人ですね。

それじゃピアノ・マンでもと言いたいところだが、ピアノは無理筋!

ラリー・ネクテルの弾くGuitar Manのギター・ソロいけてます。


ギターは引っ込み、キーボードが前面に

2022年11月20日 | DEEP PURPLE-RAINBOW関連

1972年に出た第二期パープルの3枚目のアルバム、Machine Headが世界的に大ヒット。

鉄は熱いうちに打てって事で、すぐさま次作のレコーディングをスタート。ちょうどパープルが日本でのライブを行なった1972年8月前後の期間がレコーディングに当てられたそうだ。

完成したのが1973年に発売された、Who Do We Think We Are(邦題は紫の肖像ってなってるけれど、直訳すれば俺たちが何者かって考える? 即ち波間で産まれ漂うバブルのように、そんなに大した者でもないって言ってるのかな?)

(UK盤は黄色がベース)

(USと日本盤はブルー)

当然、前作の大ヒットを受けて方向性としては前作を踏襲するものとなったが、当時リッチー師匠とイアン・ギランの仲が悪かった事から、この作品ではリッチー師匠完全にやる気無くしたみたいで、前作のような永遠に心に刻まれるギター・フレーズが聴かれなくなり、インパクトに欠ける演奏となった感があった。

その負のベクトルを解消するためにも、ジョン・ロードが頑張ってキーボード引きまくる事によって何とかバンド・メンバーを鼓舞したような… ギランのボーカル快調だし。

出来としては、Machine Headが無ければよく出来たハード・ロック・アルバムって感じで、シングル・カットされたWoman From Tokyoは日本に対して感謝の意を込め日本公演後にレコーディングされたものであろう。

ただ歌詞を今一度読むと、これって何となく日本滞在中に招聘サイドから連れて行かれたナイト・クラブかなんかで美形のホステスさん相手に会話した印象を曲にしたって気もするが...

つまり北島サブちゃんが歌う函館の様な、ご当地ソングって感じですかね。

まあサブちゃんの場合、函館だけでなく尾道、薩摩、伊予、その他諸々と大勢いらっしゃいますが、二期パープルはTokyoだけだから律儀って言えば結構律儀なんですね。


11月の雨

2022年11月20日 | American Hard Rock

80年以降のロックはあまり聴かずよく知らないけれど、いくつかのバンドは結構インパクト感じさせられCD購入まで至った。

中でもガンズ・アンド・ローゼスは個人的に結構いけてる存在のバンドだった。

その彼らが1991年に一気に2枚のアルバム、Use Your Illusion-IとIIを発表。

本日はそのうちの1枚、Use Your Illusion-Iでも。

中でもやっぱり印象的だった曲は、November Rainですかね。

二つのパートに分かれ、後半のパートには重厚なストリングスがリード・ギターと絡んでエンディングを盛り上げた。

ここの所快晴が続き日中は結構暖かかったけれど、来週ぐらいから天気は下り坂になり雨になるのかな?

11月の雨って寒さを呼び込み、一気に冬が訪れるようなイメージが...

November Rainで季節は変わる。


エデンからの脱出

2022年11月19日 | West Coast Rock

70年代、Hotel Cariforniaを筆頭に出すアルバムすべてがミリオン・セラーに輝き当時のミュージック・シーンを牽引したイーグルス。

大金持ちになった彼らがようやく辿り着いたエデン(楽園)。そこでは何の不足もなく満ち足りた生活が送れる。

各自のソロ活動も自身の思うまま好きなようにそして余裕を持って出来るように…

ここが夢にまで見たエデン!

しかし何かが足りない。

足りないものは何かって掘り起こすのも何だか面倒で、Fabulousな生活は一度味わうとなかなか捨て難いのは誰しも同じ。

気力を振り絞り、エデンの呪縛からの脱出をするため歩んだ長き道のり。

最後のオリジナル・アルバム、Long Runから数えて28年、ようやく辿り着いた境地が2007年のアルバム、Long Road Out Of Eden。

イーグルスとしてやり残した事をたっぷり詰め込んだ大作2枚組CDが完成し、収録されたそれぞれの曲の完成度は高い。

特に興味を引いたのはシングル・カットされたHow Longはイーグル結成前に在籍したバンド、ロングブランチ・ペニーウィッスルでの盟友、JDサウザーの作品で彼のソロ・デビュー・アルバムに収録された曲。

金も地位も無かった若き日の曲で、原点回帰で過去を省みようと意図したのだろうか?

もちろんオイラも若き日は金も地位も無かったが、その後に至っても金も地位に全く縁の無いこの体たらく。

エデンからの脱出って何て勿体無い事を!

オイラもエデンでの生活一度は味わってみたかったな~

夕刻になると少し肌寒く感じる今日この頃、エデンでなくオデンで熱燗が精一杯が現実ですかね。


プラケースとマイナ・ポイント

2022年11月18日 | 特になし

マイ・ナンバー・カードには有効期限なるものがあってカード発行日から5回目までの誕生日が最終有効期限となる。即ち、カード内に記録されている電子証明書を役所に出向き更新する必要があり、これを怠ると、カードが失効してしまう事に...

実はマイ・ナンバー・カード結構早く作っていて、もうすぐ5回目の誕生日がやって来る。

早速、役所からカード内に記録されている電子証明書更新の案内が封書で送られてきた。カードとその案内書を持って役所に行って更新の手続きを行えば、カードの有効期限が5年延長されるという仕組みである。

先日役所に出掛けると何と私より年配の方々が大勢長い列を作って並んでいるではないか!

場内整理の担当の人に聞くと飛び込みの場合1-2時間待たないと順番が回って来ないが、前もって日にちと時間を予約すれば比較的に早く処理できると言われたので、結局その場で予約をとって出直す事と相なった。

何でこんなに混んでるかと言えば、数年後にはこのカードが健康保健書の代わりになるって事と、マイナ・ポイント受領の締切が近づいているからって事ですかね。

つまり年配の人は若い人のように自身でPCとかスマホ使いこなせないので役所に出向いて申請のサポートをしてもらい、カード発行後個人でマイナ・ポイント受領申請のためにはPCとカード・リーダーが必要なため、再度役所に出かけてサポートが必要となる。

ただ、せっかく長い時間かけて作ったカードでマイナ・ポイント貰っても、あらかじめ指定されているクレカ、デビット・カードもしくは電子マネーなんかの口座を持っていないと実際のところ使えないんだけどね。

年配の人には、ポイントと同価値の地域限定の商品券配った方が喜ばれるかもね?

でっ、私はと言いますと頂きましたポイントで、またまたプラケース買っちゃいました。

古いCDのプラケースを新しく入れ替えまたまた懲りずにディスプレー敢行。

ケース入れ替えただけで、ピッカピッカに変身。愛い奴よのぉ~


久々のPink Floyd

2022年11月17日 | PROG ROCK

本日は彼らの通算6枚目のスタジオ・アルバム、Meddleでも。

(水中の耳のイメージらしいけれど、どうすればそう見えるのかな?)

デビッド・ギルモアがバンドに加わってからは、初期の頃のシド・バレットの影響だとか、映画のサントラ、ライブに個人作品のカップリングのダブル・アルバムとまだまだ4人組としてのバンドのカラーがそれほどはっきり定まっていなく、前作の原子神母辺りからようやく“らしさ”が滲み出てきてきたように思う。

そして1971年のに出たこのアルバムではデビッド・ギルモアのバンドに対する貢献度も高くなり、バンドとして一体化したピンク・フロイドは遂に実質的なスタートをきれたのかな。

この手のアルバムは変に神経を集中させて聴くのではなく、まったりと“ながら聴き”が一番!

40数分の全編をあっという間に聴き終える、疲労感は全く感じない。

個人的にはある意味癒し系のプログレ・ロックって位置づけになるって思える。


久々のAsia

2022年11月16日 | PROG ROCK

1980年新メンバーを加えてアルバム、Dramaを出すも今ひとつ輝きを取り戻せなくなったイエスは、最初にボーカルのトレバー・ホーンがいなくなり、続いてクリス・スクワイヤとアラン・ホワイトがジミー・ペイジと新しいバンドを結成する計画を持ってバンドから脱退。残されたスティーブ・ハウとジェフ・ダウンズも脱退することになり、遂に空中分解。

クリムゾン解散後あちらこちらに顔を出して活動を続けていたジョン・ウェットンも腰掛的に加入していたウィシュボーン・アッシュから1981年に脱退。

1978年のアルバム、Love Beachがイマイチの出来で、ライブ盤が発売された翌年の1980年、遂に解散したELP。他の2名同様カール・パーマーも新しい活動を模索することに。

てな事で1982年スーパー・バンド、Asiaがここに誕生!

(詠時感をエイジアと無理矢理読ませる)

(皆さん、非常にお若い)

それでは、彼らのデビュー・アルバム且つベスト・セラーとなったセルフ・タイトルのAsiaでも久々に聴いてみよう。

あれっ?2曲目のOnly Time Will Tellでプチ音が連続!

(少しサイドー2が弱いけれど、全体的には捨て曲なし)

虫眼鏡で見ると異物がが音溝にこびりついている。

ここはレコードを水洗いし、こびりついた異物をふやかした後に必殺爪楊枝の奥義炸裂!

この界隈ではこの伝統の奥義の使い手としてはSole Survivorとなってしまった感が、って言うよりはここまでしてレコードで音楽を楽しむ人がいなくなったのが正解で...

プチ音もなくなり今日も快調に針がレコード盤を滑っていく。

 


ディランの翻訳者

2022年11月15日 | Bob Dylan, Byrds, Band and etc.

フォーク・ロック調で12弦のリッケンバッカーを掻き鳴らし独特な声質でわかり易くディランのMr. Tambourine Manをカバーしたバーズ。

彼らのおかげで、ボブ・ディランの人気が一般大衆に一気に広がったのではないかと個人的に思う。

そのバーズのリーダーだったロジャー・マッギンが1973年にバンド解散後、ソロ活動をスタートさせた。

本日は1976年の彼の4枚目のCardiff Roseでも。

当時ロジャーはボブ・ディランのローリング・サンダー・レビューと言うライブ・ツアーに参加し、ジョーン・バエズらと共にディランをサポート。

何故かデヴィッド・ボウイーのグラム期を支えたりグラム期のモット・ザ・フープルやしイアン・ハンターのソロに関わったミック・ロンソンも参加していて、その時にお互い知遇を得たのか当アルバムのプロデュースとギターの演奏を引き受けた。

内容は従来のフォーク・ロックやトラッド・フォーク調の楽曲だけでなくミック・ロンソンの影響なのかソリッドなロックの味付けも組み込まれていて、ローリング・サンダー・レビューのライブの如く力強くまたディラン風味の出汁も効いていて中々の出来。

(ディランやジョニ・ミッチェルの曲も演ってます)

これまでに数多くの歌手やバンドがディランの曲をカバーして来たが、このアルバムを聴いてやはりディランの一番の翻訳者としてロジャーとバエズは双璧と言えるかな?

ディランに合わせて白塗りのお顔のジョーン・バエズ

奥でアコギを弾くロジャー