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CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

アメリカで売れるにはやっぱり歌物がないと

2025年08月06日 | JAZZ・FUSION

最近は数多くの日本のバンドが海外進出し、必ずしも流暢な英語で歌われなくともインパクト1発でそこそこ受けている。

いや~、時代は変わったと感慨深い。

その昔、数多くのミュージシャンが海外に挑戦したが、局地的にインパクトを残したのはインスト系。ただアメリカではやっぱりラジオ・フレンドリーな歌物が強い。

ジャズやフュージョン系ではどうしてもマーケットが小さくて大成功を収めるには苦労する。ジャズ・ギタリストのジョージ・ベンソンが大成功を収めたのは、歌も上手く歌えたからだと思う。

日本を代表するインスト・バンド、カシオペアも80年代なんとかアメリカのマーケットで成功しようとプロデューサーにデヴィッド・ボウイーのバンドのギタリストだったカルロス・アロマーをプロデューサーに起用し、インスト系ポップ路線プラス歌物数曲を加えアメリカ仕様で挑んだのだがその壁は厚かったみたい。

そんなカシオペアも1987年、それまでのアルファ・レーベルから海外進出をより効率的に目指すためだったのか、メジャーのポリドール系の新しく設立したオーラ・レーベルに移籍。

スタジオ・アルバムを2枚出した後、原点に戻ったインスト・サウンドで海外ツアーに出る。

その音源が1988年に出たWorld Live ‘88だ。日本、オーストラリア、メキシコ、ブラジルそしてアメリカでの公演からオーラ・レーベル時代の曲を中心に選曲されている。

(EU盤の初回CD)

やっぱりコレだね、カシオペアは。ちなみに再発盤には東京でのライブ音源が2曲がボートラと追加され、それらにはホーン・セクションが導入され更にパワー・アップ。

ただ残念な事に70年代末頃から10年ほど活動してきたものの、それぞれの思い描くバンド活動に関してのギャップが広がってきたのか、ベースの桜井哲夫とドラムスの神保彰がバンドから脱退。その後カシオペアはメンバーを入れ替えて活動を継続する。

やっぱりこの4人がベストでしたかね。


音楽の掛け流し

2025年05月18日 | JAZZ・FUSION

本日はジョージ・ベンソンの1980年の作品Give Me The Nightでも。

1976年のアルバム、Breezin’で大成功を収めそれ以来歌うジャズ・ギタリストのイメージも定着。

本作はクインシー・ジョーンズによるプロデュース、もちろんお得意の歌唱もさらに磨きがかかりもはやジャズ系アーティストのアルバムとは言い難いポップさが溢れる作品となった。

そのおかげでアルバムは全米3位に輝き、ジャズ・ソウル・チャートの2部門ではそれぞれ1位、さらにグラミー賞もいくつかの部門で受賞。

日曜日のお昼をまったり過ごすには音量をちょっぴり絞ったバックグラウンド・ミュージックを延々と流しながら本を読んだりPCで何かの作業するに限る。楽しい気分の時はあっという間に時間が流れていく。

何か特別のことはなくとも至福のひとときを味わえる。


月が変わって今日から5月

2025年05月01日 | JAZZ・FUSION

気分を改めて本日はフージョン・サウンドでも。

大物ジャズ・プレーヤーのハービー・ハンコックの作品を聴いてみる。

60年代から初め頃からリーダー・アルバムの制作をスタート。更にマイルスに見出され彼のセッションに参加、同時に並行してソロ活動も続けアルバム、Maiden Voyageなどを秀作を次々に発表していく。1968年にマイルスのバンドから脱退し、当時の電化マイルスの影響を受けたのか70年代になって実験的なエレクトリック・ファンク・アルバムを手掛けることに。

1971年のアルバム、Mwandishi出し翌年にCrossingとジャズの垣根を飛び越えてアピール。更に1973年にコロンビア・レーベルに移籍してからセールス的にも成功を掴む。

本日は彼の1973年の11枚目のアルバム、Sextantと同年に半年のインターバルで出した12枚目、Head Hunterを聴いてみた。

Sextantでは電子楽器を絡ませたミニマルな演奏のジャズ・ファンクが聴ける。ちょっと実験的ではあるがハマる人はハマる。

そしてHerad Hunterではポップ度を増してロックのリスナーも取り込むことに成功しアルバムはジャズ・チャートではなくBillboard 200なる一般のチャートで13位と異例の大ヒット。

もう60年代にMaiden Voyageなどを代表するあのコンベンショナルなジャズ・サウンドを制作していた人とは思えない様変わり。

この手のサウンドにハマる人は是非。


オイラのセブンは

2025年04月21日 | JAZZ・FUSION

ラッキー・セブンと言えば主に野球で使われる用語で、試合が終盤に差し掛かる7回の攻防で得点のチャンスが生まれると言われていることからラッキーな7回ってこと。

まあ確かにピッチャーも初回から先発で投げ続けていればちょうど疲れが出てくることで、ピッチャーを交代したり代打を出したりとゲームの流れも変わってくる。また大リーグでも7回にはセブン・イニング・ストレッチとも呼ばれ、ここで息抜きってことで “私を野球に連れてって” を全員で歌う儀式がある。

音楽界のラッキー・セブンと言えばやっぱりコレ。

キーボード奏者のボブ・ジェースムの1979年のアルバム、Lucky Seven。

彼の7枚目のリーダー・アルバムってことで付けられたそうなで、ジャケにはナナホシ・テントウが描かれている。

エリック・ゲイル(G)、ハイラム・ブロック(G)、スティーブ・ガット(Dr)、ラルフ・マクドナルド(Per)、スティーブ・カーン(G)、ブレッカー・ブラザーズ(Tp, Sax)にデヴィッド・サンボーン(Sax)ら東海岸の有名どころのセッション・プレイヤーを集め軽快でかつ引き締まったフュージョン・サウンドを展開していて、当時そこそこヒットした。

因みにオイラのセブンと言えばやっぱりセブン・スターかな? (後にマイルド・セブンに切り替える)

昔は高校時代から吸ってた奴もいたけれど、オイラは大学に入ってから吸い出し30代の終わり頃ごろまでパカパカ吸っていた。

しかし厄年の前頃病気になって医者から言われてようやく禁煙に踏み切り早30年。

もし吸い続けていたらどうなったかはわからないけれど、今じゃ他人の吸うタバコの匂いが漂ってきただけで臭いと感じるので吸わずに済むなら吸わない方がいいかな。


今日もいい日だった

2025年04月10日 | JAZZ・FUSION

90年代半ばに病魔に襲われたキーズ・ジャレット。

体調もようやく回復しリハビリ感覚で1998年にレコーディングを再開。

完成したアルバムは1999年に出たThe Melody At Night, With You。スタンダード・ナンバー、全10曲からなるピアノ・ソロ・アルバム。

それまでキースが演奏してきた革新的なピアノ・タッチは感じられないという人もいるが、オイラは十分満足。

穏やかに過ごせた1日の締めにはぴったりの優しいメロディが次々と…

カム・バックできたのも奥さんの献身的なサポート。

あらためて奥さんに感謝。

 


たまにはフリー・ジャズでも

2024年12月06日 | JAZZ・FUSION

昔はジャズのレコードたくさん置いた喫茶店あったんだけれど最近はあまりみないね。

オイラの実家の近所にもカウンターだけのこじんまりした店にレコードがいっぱい並んでいて、ヒゲのマスターが客同士の会話の妨げにならない程度に音量を絞って延々とレコードをかけてくれて心地よかった。よく通ったものだったがいつの間にかひっそりと閉店。

ジャズに関してはあまり詳しくないオイラではあるが、たまに著名なアーティストのCDやレコードを買ってつまみ食いの如く聴いている。

本日はジョン・コルトレーンの作品でも。

50年代からミュージシャンとして活動を始め、マイルスのバンドに加入しその名を売った。そして60年代になってマイルス・バンドから独立し、リーダー・アルバムの制作やライブ活動に明け暮れ人気を博した。そして60年代半ばごろには、彼の更なる個性を晒し出すかの如くフリー・ジャズなる新しいジャンルを開拓する事になる。残念ながら1967年に病気でわずか40年の短い人生を終えることに。

本日はその彼のフリー・ジャズ時代、1966年に出た彼のヴィレッジ・バンガードでのライブ盤、Live At Village Vanguard Againを聴いてみる。

(1997年に出たインパルス・レーベルからの再発盤。因みにコルトレーンを見るといつもオイラの好きなイコライザー・シリーズのデンゼル・ワシントン Jr. を思い出す。)

(収録曲は、15分強のNaima、My Favorite Thingsのプレリュード的なベーシストによる6分程度のインプロ。裏面は20分強にも及ぶMy Favorite Thingsのみ)

ジャズ通の人達によれば、最初に聴くコルトレーンの作品では無いと言われているぐらい余りにフリーに弾けて難解なものではあるが、ロック系のリスナーとすれば難解なプログレを聴くのだと思えばこれはこれであり。

ここでのコルトレーンとテナーを吹く相方ファロアー・サンダースの壮絶なインプロの絡みを聴けば、かってぶっ飛んだ記憶のあるクリムゾン宮殿での突如始まるイアン・マクドナルドのアグレッシブなホーンの演奏なんてまだまだ許容範囲。

まあオイラのようなジャズ初心者なら、がっぷり四つになってシリアスに聴くのではなくジャズ喫茶で聴いていたように音量を絞って“ながら聴き”がお勧めかな…


久々にジャズでも

2024年07月15日 | JAZZ・FUSION

ジャズは19世紀末から20世紀初頭にかけてアメリカ南部の黒人達によってブルースやラグタイムをルーツに生み出されたミュージックだと言われている。

その後様々なスタイルが生み出されてきているが、ジャズに関して浅学なオイラにはやっぱり50から60年代初期のシンプルで分かり易いモノがいい。

ギターものではウェス・モンゴメリーかな。

1960年、リバーサイド・レーベルから出たウェスのリーダー・アルバム、The Incredible Jazz GuitarなんかはこれぞオイラにとってThe Jazzって感じの演奏なんだけれど。

トミー・フラナガン、パーシー・ヒースにアルバート・ヒースらサイドを固める面々は腕利揃い。

低音を少し膨らませて迫力のある演奏を楽しむのもいいけれど、音量を絞ってシ~ンとした真夜中にどこかからぼんやり聞こえるような雰囲気を楽しむのも中々風情があってよろし~のでは…

ウェスのオクターブ奏法のソロが心地よい。


週末はAORでまったり

2024年04月26日 | JAZZ・FUSION

シャーデーってバンド名だったのね。

ボーカルのシャーデー・アデュに曲作りも手がけるステュワート・マシューマンら3名の演奏者が加わって編成されれたAORのバンド。

その彼らが放った1984年のファースト・アルバム、Sadeは当時本当によく売れた。

その頃訳あってオーディオ装置処分してしまったものだからカセット・アルバムを買ってラジカセかカーステでよく聴いていたのを思い出す。

ハード・ロックを卒業したわけではないけれど、当時これを聴いてオイラも大人になったものだって思ったね。

あれから40年ほど経ってオジンになった今も昔と変わらず曲はスムーズに流れていく。

いゃ~ AORっていいものですね。


サブ・ウーファいい感じ

2024年03月30日 | JAZZ・FUSION

ジャズ・フュージョン系の音源に心持ち低音を強調すれば立体的になっていい感じ。

1978年の渡辺貞夫のリーダー・アルバム、California Showerを聴いてみる事に。

Seventh Highかっこいいね。チャック・レイニーのベースとハービー・メイソンのドラムスが主張しまくる!

とても45年以上前の音源とは思えない。

豪華なセッション・メンバー。リー・リトナー若い!


今宵はフュージョン・サウンドでも

2024年03月05日 | JAZZ・FUSION

本日はクルセイダーズの1979年の作品、Street Lifeでも。

ジャズ・クルセイダーズとして活動してきた彼らは1971年にクルセイダーズと改名し時代の流れと共にフュージョン系バンドに転身して突っ走ってきた。

その70年代の締めとなるのが大ヒットしたこのアルバム。今回ランディー・クロフォードをタイトル・トラックのボーカルに起用しバンドの芸風に新境地をもたらした。

また熟練したセッション・プレイヤーも含めた演奏はいつも通り安心して聴いていられ、さらにかなりポップ度が上がったことから本当にリラックスできる作品となった。


ジャズへの誘い

2024年02月18日 | JAZZ・FUSION

本日はキース・ジャレットでも。

まだマイルス・バンドのメンバーに抜擢される前のそれほど有名でない時代のキースが1968年8月、ロス・アンジェルスに於いてアメリカ人、チャーリー・ヘイデン(ベース)とポール・モチアン(ドラムス)を加えたトリオでのライブ・レコーディングの模様を収録。

その翌年、アルバム・タイトル、Somewhere Beforeとして発売された。

ジャズ・トウシロであるオイラがこのアルバムを手にいれたのは、やっぱりディランのMy Back Pagesをカバーしていたからですね。

一聴して、ディランのワルツ調の弾き語りではなく、キースのピアノが奏でるメロディー重視のカバー・スタイルをいたく気に入った次第でありまして…


Rock に飽きれば枯葉よ~

2024年02月13日 | JAZZ・FUSION

ロックに飽きれば暫し休息、1959年のビル・エバンス・トリオのPortrait In Jazzでも。

トリオとしてビル・エバンスのピアノ、スコット・ラファロのベースとポール・モチアンのドラムスがそれぞれが程よく絡み合いバランスよく主張していく。

ジャズのイメージって言えばやっぱりこれですかね。


Black Market

2024年01月03日 | JAZZ・FUSION

ブラック・マーケットといえば日本語で闇市、即ち規制された商取引を非合法で行う市場となるのだが、ウェザー・レポートのBlack Marketって曲はそんな暗いイメージが思いつかないほど明るく弾けたお祭り騒ぎって感じ。

1976年、ウェザー・レポートは6枚目のスタジオ・アルバム、Black Marketは演奏にもポップな要素が組み込まれた非常に聴きやすいフュージョン・サウンドとなった。またアルバム制作途中にベースのアルフォンソ・ジョンソンはジャコ・パストリアスに替わりこのアルバムの2曲だけではあるが彼のユニークなベース・サウンドを聴くことができる。

てな事でこのアルバムはバンドのターニング・ポイントとなった作品だと思う。

ちなみに、アルフォンソ・ジョンソンのベースはジャコと比べて単に芸風が違うだけで堅実でファンキーなベース・ランニングは彼のリーダー・アルバムだけでなく後に数多くの著名ミュージシャンのアルバムに参加していることからその腕前は高い評価を受けていた事はここに書き留めておきたい。

また新たなスター候補のジャコの加入はジョー・ザヴィヌルとウェイン・ショーターのジャズ・フュージョン界の2大スターが中心となり結成されたバンド内ではそれぞれの強い主張がぶつかり合いバンド内のバランスが取れず徐々に軋轢を生んでいく事に…

その点ウェイン・ショーターはその時期ハービー・ハンコックのV.S.O.P.に参加し並行して活動していたので上手くガス抜きしていた様に思えた。


イージー・リスニングと侮ることなかれ

2023年02月07日 | JAZZ・FUSION

当時のジャズ評論家達からは安易なポップ路線への転向などと結構辛口の評価が多かったそうだが、ジャズ一本で食って行くには余程のビック・ネームしかサーバイブ出来なかった困難な時代で、もちろん後追いで聴いてきた訳だが、ジャズの新たな世界の扉を開いた事から個人的にはグッド・ジョブだったと思う。

それまでジャズ畑でハード・パップ・スタイルの路線に明け暮れたウェス・モンゴメリーだったが、ここに来て一大決心をしたのか、A&M/CTIレーベルに移籍し、プロデューサー、クリード・テイラーとアレンジャー、ドン・セベスキーらによって誰もが楽しめるモダン・ジャズ・アルバムが完成。

それが1967年に出たA Day In The Life。

ポップ調の曲にウェスのギブソンが軽やかに絡み、彼らしさがよく発揮された印象的な好アルバムとなり、当時他のジャズ系アーティストにも影響を与えた。

彼はこの後さらに2枚のアルバムを発表したのだが、1968年に心臓発作で急死する事になる。

1968年4月、Down Here On The Ground

1968年10月、Road Song

もっと彼のその後のアルバム聴きたかったと思う今日この頃...