CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

再発協奏曲? いや違った、狂騒曲!

2017年10月22日 | 特になし
以前にもちらっと書いたことがあるが、ポール・マッカートニーがコーヒーのスター・バック社が関係しているHear Musicから古巣だったCapitolに移籍するため昨年契約を交わし、Hear Musicとの契約が切れた今年の7月頃からCapitolでの新しい活動が始まった。

その後一体何が起こったのかといえば、Hear Musicから継続的に発売されてきたアーカイブ・シリーズのその後のニュースが聞かれなくなったのと新譜の構想があるらしいとの事ぐらいだろうか。

ところが10月に入り突如として入ってきたニュースは、かってアーカイブ・シリーズで発売された作品の内8作をカラー・レコードで発売される企画が公表された。ジャケットや収録曲はオリジナル通りのものになるようだ。

ふとアマゾンのサイトを見ると既に予約販売されていた。

アマゾンのサイトの場合、他社がポイント付与率をアップするバーゲンを開催したり予約販売の場合は、しばしば価格が急に上下するので、購入するタイミングは要注意となる。

予約のサイトで3000円以上になっていたかと思うと、急に2000円台に急落。

既にLPやCDは所有していたものの、価格が急に下がったところでいつものレコード欲しい病が発症。

まあ、アルバムごとに色が異なるカラー・レコードなら話しの種にコレクションとして買ってもバチは当たらないだろうと都合の良いほうに自身を洗脳し、いつも通りマウスをでクリックしてしまった。

後日何気に他のサイトを覗いた時、なんと!今回カラー・レコードだけでなく通常の黒の奴、そしてCDも同時に発売。更に日本の発売元であるユニバーサルは独自のレプリカ紙ジャケでも販売。

と言うことは、アマゾンのサイトにはカラー・レコードの“カ”の字も記載されていなかった事から、私が予約購入したのは通常の黒のレコードのようだ。

どうもアマゾンでは限定盤の高価なカラー・レコードの販売は今のところ無いみたい。

ムムゥ~、どおりで、2000円台の価格だったのか。

黒盤のレコードなら大昔に買ったのがあるしな~

と言うことで、他をキャンセルし話の種に1枚のみの購入と相成った。

通販の受け取りを日本の親戚に頼んでいるので、間違って購入したらすぐに返品できないし、更に買ったことすら忘れている場合もあるし… (汗;)

後日他のサイトをたまたま覗いたのは、やっぱり神様の“バカな無駄遣いは止めろ!”と言う有難い御告げだったと理解する。

えぇ~お客様、お煎にキャラメル、マッカートニーの紙ジャケCDはいかがですか~? ピンク・フロイドやU2の日本製紙ジャケもありますよ~。

デビッド・ボウイーの第3弾のボックス・セットなんか、今買えば特典として、なんとヒーローの音圧が途中で小さくなると言うギミックが洩れなく付いてきます。

更に、もうワンパターンの専売特許、ビートルズの紙ジャケ、アンコールのアンコール・プレスなんってのも予約できますよ~

もう再発盤はいらね~

そんな事いわないで、クリムゾンのアイランド期のボックス・セットいかがですか? なんとディスクが27枚! 聴かないディスクは、裏の収穫前の田んぼに鳥除けとして吊るしておくと効果抜群!

息をつくまもなく次から次に登場する再発盤、合わせて聴けば“買え~”と聞こえる協奏曲のよう。

いかがでしょうか?

トム・ジョンストンのアルバム、Everything You Hear Is True、我が家の地味なレコード紹介シリーズ、その二十四

2017年10月18日 | West Coast Rock

今日は朝からゆっくり。

何故なら、昨日の夜に気づいたのだが、今日は祝日でお休み。

ディパバリと言うヒンズー教徒のお祭りの日。

多民族国家のシンガポールでは、国の人口を構成する主要な民族にとって重要な日を祝日と定めている。

ディパバリ以外にも、お釈迦様の誕生日を祝うべサック・デイ、キリスト教徒には12月25日のクリスマスと3-4月頃のグッド・フライデイ(キリストの復活を祝う祭り)、イスラム教徒にはハリラヤ・プアサ(断食明けを祝う)とハリラヤ・ハジ(メッカへの巡礼完了を祝う)、そして旧暦の正月を祝う人達のためにルナ・ニュー・イヤー・ホリデイがある。

祝日の日付は、1月1日の正月や12月25日のクリスマスを除いては、其々の関連する暦を使って確定されるので、日程は毎年変わり固定されていないるのである。

この地に暮らせばギリギリになって翌日が祝日と判る場合が多々ある。

と言うことで、今日は余裕で昼間から原稿をブログにアップさせようとPCの前で鎮座してシコシコとキーボードをたたいている。

今回の地味シリーズも一応最終回としたい。

もちろん長いこと聴いていなかった数多くのレコードがまだまだ自宅に眠っているのではあるが、アップする際に使う自前の新しい画像が品切れになってしまったので、アルバムの写真などを撮り溜めていつかの機会に続編をと言う事で。

最終回はこのアルバム!

ドゥビー・ブラザーズのトム・ジョンストンの1979年のソロ・アルバム、Everything You Hear Is Trueである。

あんたが聞いたことは本当さ、そう俺は復帰するぜ!って感じかな?

1975年に出たアルバム、Stampedeはスティ―リー・ンのギタリストだったジェフ・バクスターも加入し3本のギター・サウンドが炸裂、さらにはゲスト出演のライ・クーダーのボトルネック・ギターも聴けるというドゥビー節満開であった。

ところが、1976年の次作アルバム、Takin’ It To The Streetでは、トム・ジョンストンはチョロっとボーカルとっただけで、このアルバムにはあまり貢献していないことが判り怪しい雲行きに。

そうキーボード奏者としてマイク・マクドナルドが加入してから、サウンドは一変してしまった。

個人的には、彼の特徴であるフワフワした感じのファルセットが鼻に抜けたようなボーカルは好みではなかった。

1977年のLivin’ On The Fault Lineにはトム・ジョンストンの写真がアルバムに見受けられたものの、レコーディングに加わったような痕跡がまったく見受けられないスティルス参加となり、1978年に出たアルバム、Minute By Minuteはドゥビー最大のヒットとはなったが、彼のクレジットはアルバムから消滅した。

そのため当時個人的にはこのアルバムにそれほど思い入れは無く、なんとなくラジオでシングルのWhat A Fool Believeがよくかかっているなと感じる程度だった。

と思っていた矢先、Minute By Minuteに対する回答と言うべきトム・ジョンストンのソロが出たのであった。


これ、これ、これだよ!ドゥビーはこうでなくっちゃと久々にトム・ジョンストンのドゥビー節を楽しんだ。

しかしよくよく考えてみると何かが足りない。

ドゥビーにとってはダブル・ドラムスとベースのリズム・セクションも売りの一つではあるが、トム・ジョンストンには無い魅力を持つパトリック・シモンズの作る曲も含めて初めてドゥビー・サウンドだと判った。

その後オリジナル・メンバーを中心にドゥビー・ブラザーズが再結成されたときは、嬉しくてすぐにCD屋に走った記憶がある。

何度もメンバー・チェンジをしながらも今でも歌っている。

Woh Wu Oh~ Listen To The Music
Woh Wu Oh~ Listen To The Music
All The Time~♫

あぁ~祝日ってやっぱりいいな!


アメリカン・ロックにはハーレーが似合う、だけど今時上半身裸の上に、前がはだけた皮?のベストを羽織っている人っていね~だろね。しかもノーヘルで...

すぐに職質かけられちゃうね~


ホール・アンド・オーツのアルバム、Along The Red Ledge、我が家の地味なレコード紹介シリーズ、その二十三

2017年10月18日 | AMERICAN ROCK/POPS
デビュー当時から気になっていたバンドもしくは歌手が中ヒットを出し始め、サウンドもノンストップでどんどんと進化して大ブレークの前夜辺りに達する頃が一番美味しい。

そうなると俺の目利きも大したものだと、まあ他人からみればあまり大したことは無いのだが、誇らしく思う。

しかし大ブレークしてしまうと、バンドや歌手の取り巻く環境は今までとまったく変わってしまうのが常である。

例えばヒット・シングルはあちらこちらでオン・エヤーされ聴き過ぎてすぐに飽きられちゃうてのもあるし、また大ブレークするとアーティスト側はどうしてもそのポジションを維持したいがため、次作はどうしても保守的となり、大衆受けを狙って無難なものとなる可能性が高い。

かといって、ブレーク後に出すアルバムは冒険しすぎると、よっぽどのメジャーなスターで無い限り、レコード会社からダメだしを食らってしまう。

1978年に出たこのホール・アンド・オーツのアルバム、Along The Red LedgeではプロデューサーをAOR系のデビッド・フォスターに変え、またライブで起用していた元エルトン・ジョン・バンドのキャレブ・クェイ(ギター)、ケニー・パサレリ(ベース)とロジャー・ポープ(ドラムス)をスタジオ録音に参加させることで、今後の足場固めが行われた。



既にシングルでヒットがコンスタントに出せるようになっていた時期で、翌年のデビッド・フォスター・プロデュースのアルバム、X-Staticを挟んで、1980年のアルバム、Voicesでついに大ブレークを果たす。

しかしながら私としては何故かAlong The Red LedgeやX-Staticの頃が今でも一番よかったのでないかと思っている。

Voicesとそれ以降のアルバムは確かに大ヒットしたが、ちょっとワンパターンで革新性はそれほど感じられなかった。

オォ~! Along The Red Ledge(邦題は赤い断層)と付いたこのアルバム、今更ながら気がついたことが。

それは、この赤い断層って赤身のことね。

Voices以降はトロ身でたしかに美味しいが、脂濃くてずっと食べ続けられない。

すなわち、通はトロよりあっさりした赤身を好むってことで、ブレーク前のAlong The Red Ledgeを一押としたい。

オーツさん、赤身を掴んでいます。

オーツ:これだけ長い赤身だから、全長1Mの鉄火のデッカ巻き出来そう。

ホール:俺はトロ食いたいから、今赤身は遠慮しとくよ。



J. D. SoutherのBlack Rose、我が家の地味なレコード紹介シリーズ、その二十二

2017年10月17日 | West Coast Rock

干からびた荒野に咲く一厘の黒いバラ。

なんとなく、不吉なイメージのジャケットではあるが中身は結構いけてる。

デビッド・ゲフィン率いるアセイラム・レコードから、1971年にソロ・アルバムを出すも不発。

その後ゲフィンから、元バーズのクリス・ヒルマンと元ポコのリッチー・フューレイのトリオでバンドを結成することを進められ、1974年ウエスト・コーストにザ・サウザー・ヒルマン・フューレイ・バンドなるスーパー・グループが誕生。

このデビュー・アルバムを一刻も早く手に入れようとレコード屋に走ったのを思い出す。

ゴールド・アルバム認定を受け中ヒットはしたものの、内容は各人が作った曲を持ち寄り順番にボーカルをとる構成で、バンドとしてのコラボレーションがまったく感じられなかった。

案の定、翌年の二枚目のアルバム、Trouble In Paradiseはまったく注目もされず、バンドは解散に至った。

それでもゲフィンはサウザーの実力を相当買っていたようで、1976年にアセイラム・レーベルから発売されたのがBlack Rose。


今回はジェームス・テイラーやリンダ・ロンシュタットのアルバムをプロデュースし成功を収めたピーター・アッシャーをプロデューサーに付け梃入れし、更に彼の人脈から豪華なセッション・メンバーも起用し万全の体制を採ったものの、アルバムは全米85位に留まりずっこけてしまった。

従来のフォークロック路線やバラッド、トロピカル物やジャズなど色々バラエティーに富んだ収録曲は、上述したように個人的には結構いけていたのだが。

やっぱりシングルヒットになる曲がなかったのが原因かな~

ゲフィンの目利きはやっぱり確かだったようで、イーグルスに共作として提供したNew Kid in Town やHeartache Tonightそれに1979年の自身のアルバムYou’re Only Lonelyなどによってようやく連続した成功を手にした。

ところがこのお方、結構マイペースで次のアルバムは忘れられた頃の1984年に出し、その後はシンガーとしての活動はほとんど聞こえて来る事は無く、2000年も8年ほど過ぎてから、急に思いついたかの如くジャズ調のボーカル・アルバムを数枚ほど出した。

普通流行歌を歌って食っていくならば、たとえマンネリ気味でも連続して畳み掛けるように作品を出し続けないとあっという間に忘れ去られる。

ただ天邪鬼な私は、自身が欲したときにのみ行動に移すという、彼の流行に媚びないマイペースな姿勢に結構惹かれるのである。

もし彼にインタビューする機会があれば、“当時何故アルバムを長期に渡って出さなかったの?”かと聞いてみたい。

もし、“単なるネタ切れっ~”と回答があれば。“正直でよろし~”とまたまた惹かれてしまうのである。


ジャケ裏のドラキュラ伯爵かはたまた手品師かという出で立ちもなかなかよろし~


ポコのBlue and Gray、我が家の地味なレコード紹介シリーズ、その二十一

2017年10月13日 | West Coast Rock

ポコは、私の中では好きなバンドの十指の中に入る。

初期のイーグルスなんかが同じ系列に入るのだが、私的にはどちらかを選べとなるとポコに軍配が上がる。

人気やレコードの売上高から比べるとイーグルスとはまったく勝負にはならないわけであるが、数多くのメンバーチェンジを繰り返すも、グループのデビュー時から在籍してきたラスティー・ヤングを中心にバッファロー・スプリングフィールドから引き継いだともいえるカントリー・ロックを愚直にも長年の間ほぼぶれずに演奏してきた。

イーグルスは3枚目のアルバムにギタリストのドン・フェルダーが参加したときから、なんとなくそれまでの音楽の方向性がややハード系に変わった。そして次作のアルバムを出した後、バーニー・レドンが脱退し代わりにジョー・ウォルシュが加わった時点で明白な路線変更となった。

この変化が見事に当たり、イーグルスは世界的なビッグ・バンドへと変貌を遂げたのであるが、このホテル・カリフォルニアと次のロングランは、個人的にポコと比べるとあまり安らぎを感じない暗さがある。

まあ、新生イーグルスのここが凄く好いと言う人が多いのは承知のうえだが…

一方ポコは、中心メンバーだったジム・メッシーナやリッチー・フューレイが脱退し、それまでスティール・ギターの演奏のみに集中してきたラスティーが作曲したりボーカルととったりと抜けた穴を苦労してカバーし、バンドも安定した。

と思ったのもつかの間、ベースのティモシー・シュミットがイーグルスに引き抜かれる事態に。

ついにバンドが崩壊かと思いきや、新メンバーを加入されレコーディングに臨んだ1978年のLegendが相変わらずのポコ・サウンドだったにも係わらず彼ら最大のヒットとなった。

Blue and GrayはLegendの後のスタジオ・アルバムを一枚挟んで出された1981年のアルバムで、同様のシンプル(もしくは地味)なカントリー・ロックでアルバム全体が統一されている。南北戦争のをテーマにしたもので、兵隊のユニフォーム、ブルー(北軍)とグレー(南軍)がアルバムのタイトルとなっている。


ラスティーと途中加入の盟友ポール・コットンそして3人の新たなメンバー

1981年と言えばAORやニュー・ウェイブが流行った時代で、70年代から続くトラディショナルなカントリー・ロックは特に若年層には地味と捉えられ、チャートも全米76位と小ヒットに留まった。

しかし、そこから36年たった今これを聴けば、あら不思議!

80年代のAORやニュー・ウェイブは今となってはアレンジが古めかしく時代遅れとなり、60年代末頃からずっと続いてきた相変わらずのカントリー・ロックはすんなりと頭に入っていく。

地味頁:おいらのサード・アルバムもセカンドと比べてトラッドなアコースティック・サウンドが幅を利かしハードさが足りね~!と扱下ろされたが、今聴くと結構いけてるんじゃね~?


マーシャル・タッカー・バンドのCarolina Dreams、我が家の地味なレコード紹介シリーズ、その十九

2017年10月11日 | Southern Rock

1977年、サザーン・ロック・バンド、マーシャル・タッカー・バンドの6枚目のアルバム。


オールマン・ブラザーズ・バンドのレーベルであるキャプリコーンからオールマンに続くバンドとして1973年にセルフ・タイトルのスタジオ・アルバムでデビュー。

バンドは南部のR&B、カントリー、ジャズやゴスペルなどバラエティーに富んだ曲を演奏。

オールマンよりはどちらかと言えば、グループ・リーダーでありリード・ギタリスト兼ボーカルのトイコールド・ウェルが好むカントリー寄りの演奏。

R&B系の楽曲となると、ダグ・グレイが伸びやかで迫力のあるリード・ボーカルを披露する。 そしてジェリー・ユーバンクスのサックスやフルートの音色が、他のサザーン・ロック・バンドには無い独特の味付けを曲に施す。

このアルバムは彼らにとってもっとも売れたアルバムで全米22位となりプラチナ・アルバムに認定される。

60年代末から70年代にかけてアメリカの西海岸のカリフォルニア州を中心に、かってママズ・アンド・パパスが歌ったカリフォルニア・ドリーミンに代表される洗練された美しいハーモニー・コーラスが特徴のフォーク・ロックやカントリー・ロックが流行り、ウエストコースト・サウンドなんて呼ばれていた。

しかし時は過ぎ去り、このアルバムが出た頃といえば、ウエスト・コーストではイーグルスがホテル・カリフォルニアを出したあたり。

かってのウエストコースト・サウンドの明るいく爽やかなイメージなんて吹っ飛んでしまっていて、社会の退廃とか暗い~負のイメージが結構描かれていた。

アメリカの東海岸に位置するキャロライナ出身のバンドは、アメリカの先端を行くカリフォルニアのイメージに相対するためあえてキャロライナ・ドリームスとこのアルバムを名付けたのだろうか?

アルバムを聴けば少し田舎臭く感じるかもしれないがそれでも結構明るさに溢れていて好感が持てる。

ジャケットの内側の写真、仲良きことは美しきかな~ 実篤 って感じ

これは当時行き詰ったウエスト・コーストのミュージック・シーンに対するイースト・コーストからの回答ではないかと思えるのだが。


キャメルのNude、我が家の地味なレコード紹介シリーズ、その十七

2017年10月09日 | PROG ROCK
1981年、英インスト系プログレ・バンド、キャメルのスタジオ8作目のアルバム。

なんと当時UK盤買っていたようで。

ゲートホールド・ジャケットの内側、習字の筆を使った墨絵や家紋のようなイラストなど日本をイメージしている。

先の大戦が終わった後も軍の命令に基づいた任務を遂行し、太平洋に浮かぶ小島、ルバング島に潜み長年の間日本軍の救援を待ち続けた小野田さんの話からインスパイヤーされたものである。

これはキャメルが1979年の来日公演の時、グループ・リーダーだったアンディ・ラティマーに小野田さんに関する書籍が日本公演のプロモーターから提供されたことがきっかけだったとのこと。

何でも、タイトルのNudeってヌードゥ、ヌーダァ、オヌーダァ、オノーダァそして小野田さんとなるらしい。

キャメルは叙情的な演奏が印象的なインスト中心のバンドで、アルバムには詩が付いた曲も存在する。

しかしながら、イエス、クリムゾンやジェネシスのように個性豊かな専任ボーカルを置かず、ギターのアンディ・ラティマーやその他のメンバーが歌うわけであるが、残念ながら彼らのボーカルは悪くは無いものの線が細い。

曲に歌詞があると、同じようなメロディーの曲でも違って聞こえる。

反対にインスト系バンドは歌詞の無い分、演奏上聴き手に対して印象付けられるのかなりの工夫が無いと、どれも同じに聴こえてしまう場合がある。

同様な手法で、キャメルは著名なアメリカ人作家ポール・ギャリコの短編小説、スノー・グースにインスパイヤーされて1975年に制作した3作目のヒット・アルバム、The Music Inspired By The Snow Gooseがある。


このアルバムは、小説の粗筋をなんとなく記憶していたのと楽曲の印象的な美しいメロディーも相まって長い間聴いていなくともなんとなく今でも覚えているが、何故かNudeに関しては今どんな内容だったかほとんど記憶に無い。

子供だった頃にグアムで発見された横井さんや小野田さんが戦後数十年後に残留日本兵として発見されたニュースをみて驚いたものだ。

今となっては、その当時の記憶も忘却の彼方。それに若い人なら“誰それ?”ってなるだろう。

このNudeのジャケットを見てそんな事があったのかとふと思いだす今日この頃。

キャット・スティーブンスのCatch Bull At Four、我が家の地味なレコード紹介シリーズ、その十六

2017年10月08日 | BRITISH ROCK
1972年に出た第六作目のスタジオ・アルバム。

裏ジャケ


1970年のTea For The Tillerman(全米8位、全英20位)や翌年の大ヒット・アルバム、Teaser And The Firecat Cat(全米2位、全英2位)に続いて出されたこのアルバムは全米1位、全英2位を記録しプラチナ・アルバムに認定されたのでまったく地味では無い。



しかしながら前々年や前年のアルバムに収録されたWild WorldやMorning Has Brokenのようなヒット・シングルがこのアルバムに収録されていなかったから、なんとなく派手さに欠けるって感じがするのだろうか。

アルバム全体を聴いてみるといつものキャット・スティーブンスである。

ところでこのアルバムのタイトルは、仏教の悟りについての教えが10枚の絵に描かれ、牛(水牛)を悟りに例え、それを何とか収得しようとする人間が描かれた十牛図のうちの一つである。

Catch Bull At Fourとは4枚目の絵、すなわち第四段階の状況をしめし、ちょうど牛(悟り)を捕まえた場面である。

正確かどうかはわからないがザックリ説明すると、その時点では欲する悟りなるものを手には入れたものの、自身がそれに馴染むには時間がかかることを述べている。

今まで、夕方近づいてきたので放牧していた牛を牛舎に戻すために4時に捕まえたなんて思っていたのだが、そうではなくて、キャット・スティーブンスはこのとき何か閃いたってことね。

更に段階が進んでいき、悟りに馴染んでいくほどに、あたかもそれまで存在していたことが感じられなくなって、無の境地に至り、最終的に10枚目の絵には、現世に戻ってその悟りなるものを人々に伝え広めていく。

そのことが、1974年に出た次の次のアルバム、Buddha & The Chocolate Boxに繋がり仏教の教えに目覚めたのだと思いきや、意外や意外1978年にイスラム教を信仰することになる。


当時はその変わりっぷりに驚いたのではあるが、ふと我を振り返ると、助けてくれれば誰だって神になる、すなわち八百万神を信仰する我ら日本民族にとってはその程度の事別にど~ってことないかもね。

お正月には何かご利益が無いかと神社仏閣手当たり次第お参りするし、家に帰ればお小遣いを支給していただく山の神もいるしね。

マナ(Manna)のChabako Trick、我が家の地味なレコード紹介シリーズ、その十五

2017年10月07日 | JAPANESE


1978年に出たLiving In The USAのジャケットで髪を短くしパーマを当てたリンダ・ロンシュタットのようなお方が写っていますね。

細野晴臣が提供したほんわかムードで落語家の柳昇さんも登場するYellow Magic Carnivalや歌謡ポップ路線の浜口倉之助や筒美京平の作品なんかを歌っています。


同じ細野晴臣作でも、以前紹介したテクノ・ロック系のサンディー(Sandii)とは違った味わいが。

このアルバム以外にも、このお方のアルバムもう一枚購入しています。全体が水色で真ん中辺りにシンプルな漫画チックに描かれたマナのイラストがあるアルバム。Tokio通信(トキョー・コール)と言うタイトルの歌謡曲っぽいのを歌ってました。

Chabako Trickのジャケットは一応写真にとってデータ化しているのですが、2枚目のアルバムは写真をとって無かったので今回画像はアップ出来ませんでした。

2枚のレコードは自宅にあるため、インターネットで何らかの画像を探したのですが、ちょっと見当たらない。

またWikiで更なる情報を集めてみようと試みるも、“ドラゴン・ボールの主題歌を歌う”と一行のみの記載。

知る人ぞ知るって感じで、地味と言うよりは希少価値あり!

私のお気に入りのグループで、Bread & Butterの兄弟のどちらかの人と結婚されたとはちょっと昔に聞いた様な。彼らのSurf Cityってレコードもそういや買っていますね。

今度帰国したら、聴いて見よ~っと。

フィル・コリンズのFace Value、我が家の地味なレコード紹介シリーズ、その十四

2017年10月06日 | BRITISH ROCK
これを地味と言えば怒られるかも知れない。

何しろ、1981年に大西洋を挟んでイギリス (全英1位、約百五十万枚以上の売り上げ)とアメリカ(全米7位、約5百万枚以上の売り上げ)で大ヒットを記録アルバムだから。


しかし我が家では少し事情が違った。

異論は有るかも知れないが、イエス、フロイド、クリムゾン、ELPそしてジェネシスからなる当時の5大プログレ・バンドの中では、ジェネシスは少し苦手であった。

1974年にボーカルのピーター・ガブリエルが脱退し、1976年からドラムのフィル・コリンズがリード・ボーカルを取るようになってからは、少しばかりポップ寄りになり、若干の親しみは芽生えたのだが、即アルバム購入とはいかなかった。

このアルバムはジェネシスがポップ度満開の時期に当たるちょうど1980年に出したDukeと1981年のABCABの間に出された。

それでもまだ地味な印象が心の中にあって、アルバム発売当時はあまり興味を持たなかったのだが、アルバムに収録されたフィル・コリンズの自作曲(共作も含む)以外に唯一カバーされた曲にふと目がいった。

ビートルズのTomorrow Never Knowsだった。

イエスも初期の頃、ビートルズやサイモン・アンド・ガーファンクルの曲をカバーしていて、おなじみの名曲をフィル・コリンズが如何に料理するのかに興味が沸き購入と相成った。

しかしレコードに針を下ろすと、私の興味はビートルズのカバーよりも、アース・ウィンド・アンド・ファイヤーのホーン・セクションを起用し、ファンキーな味付けにされた曲に移ってしまった。

フィル・コリンズは、プログレのイメージがあるが、アメリカのR&Bに親しみを持って聴いていたようで、後になってなるほどと判った次第。

後の更なる成功を収めたソロやジェネシスのアルバムなんかにもホーン・セクションを使ったファンキーなR&Bの影響が見て取れる。

ただアース・ウィンド・アンド・ファイヤーのホーン・セクションの起用は、下手すればその派手さによって自身の曲が食われてしまうリスクもあったのだが、そこは旨くプロデュースされ英国版ファンキー・プログレの誕生となった。

見た目優先のポップ・アイドルでも無いのに、一見してちょっと引いてしまうような彼自身の顔のド・アップをジャケットに使用し、タイトルをFace Value(額面)とつけたのは、聴けばわかる!って感じでこのアルバムの内容によっぽどの自信があったのか?

裏ジャケ、まだまだフサフサしている。

ゲートホールド・ジャケットの内側、なんとなくプログレって感じのしないポップなデザイン。

芸は身を助けるとよく言われるが...

ほんと!容姿端麗でもなくまた芸無しの私からすれば本当にうらやましい限りといつも実感する。

ジム・クロウチのPhotographs & Memories、我が家の地味なレコード紹介シリーズ、その十三

2017年10月05日 | SSW

ギターギンギン、ベースブンブン、ドラムドコドコそしてキーボードがギューンと大音量でハード・ロックを聴いてばかりいると、静かで心温まる音楽が恋しくなる。

そんな時はアコースティックなサウンドのシンガーソング・ライター、例えばジェームス・テイラー、キャット・スティーブンスや渋いところではカナダ出身のエリック・アンダーセンなんかが個人的にはお奨め。

もう一人忘れていた。

大ブレークした翌年、30歳の若さで飛行機事故で亡くなったジム・クロウチである。

亡くなったちょうど一年後の1974年に出したベスト・アルバムがこれ、Photographs & Memories(全米2位)。


ブレークした1972年から翌年にかけて出た3枚のアルバム、Don’t’ Mess Around with Jim(全米1位)、Life and Times(全米7位)とI Got A Name(全米2位)からヒット曲や名曲がてんこ盛りになっている。

たった2年での短期間でアメリカで大成功を収めたにもかかわらず、日本ではそれほどでもなかったみたいで少し残念。

Photographs & Memoriesとは、古い写真を見て、昔を思い出す。

自分に当てはめると、写真に写っていた若い頃ってあまり遠い未来のことは考えていなかった様な。

明日、明後日、長くとも1週間後辺りまでだっただろうか。とてもじゃないが、当時は数十年後の今ある暮らしなんてまったく想像がつかなかった。

人間は未来が分らないから何とか生きていけるわけであって、将来ドツボの人生が待っていると分れば本当に憂鬱な毎日となり、心が折れてしまうに違いない。

その日暮らしの連続がその遥か彼方の延長線上に漠然と存在するであろう未来に繋がっているって感じで、あまり深く考えることも無く多くの時が過ぎ去り現在に至っている。

人生はやっぱり楽観主義で過ごした方がいいと新ためて思う。


ニール・ヤングのZuma、我が家の地味なレコード紹介シリーズ、その十一

2017年10月02日 | CSN&Y

前回がスティーブン・スティルスとくれば、次はこのお方、ニール・ヤングとなる。

その彼が1975年に出したスタジオ・ソロ、ZUMA。


フォーク路線だったアルバム、ハーベストの頃のように爆発的に売れたわけでは無いが、当時全米25位、そして苦節22年後の1997年にゴールド・アルバムの認定を受けたので地味とは言えない存在である。

アルバム・タイトルの意味は良くわからないが、多分ニールがCortez the Killer(殺し屋、コルテス)の原曲を高校時代に作ったとき、Montezuma’s Revenge(中米でよくある下痢)にかかっていたことからZumaとつけたのではないかと考えられているらしい。

そしてこのアルバムのジャケットのデザインを見ると、中世にスペインの帆船ある入り江に到着し、まさに中米に進行しアズテック文明を征服しに来た頃を、まるで子供が描いたようなサイン・ペンの一筆書き感覚でシンプルに描かれている。


ジャケットの拙いイラストを見て、もしニール・ヤングの作品でなければ、私の感覚では、このアルバムに関してはジャケ買いの衝動は多分起こらなかっただろう。

しかしレコードに針を下ろすと、ジャケットのイメージに関する曲は得意のアドリブ・ギター・ギンギンのCortez the Killerぐらいで、残りはいつものニール・ヤング節で抵抗はまったく無い。

そのため凡人の私などは、もう少しジャケットのデザインやアルバム・タイトルなんかにも力を注げばもっと売れたのではないかといつも思う。

まあ、それが何時ものニール・ヤング。

凡人の淡い期待などいとも簡単に打ち砕く。


スティーブン・スティルスのILLEGAL STILLS、我が家の地味なレコード紹介シリーズ、その十

2017年10月01日 | CSN&Y

かっては、仕事柄、接待で客先の連中と良く酒を酌み交わしたものだ。

私の場合は、その相手が熊みたいな白人のオッサンばっかりだったので、毎回結構な量のお酒を飲んだ。

彼らと飲むときは、最初はレストランで夕食と一緒に飲む、その後気が向いたら、ホテルのバーかパブみたいなところで飲みバカ話をするのが常だった。

最初のレストランで、勘定書きをみると酒代が料理の代金の数倍になることがほとんど。

そして、日本人みたいに居酒屋に入ると取り合えずビールてなことには決してならない。

ワインも飲むが、通常ハード・リカーから始まり、ジン・トニックのダブルとかウイスキーのオン・ザ・ロックを注文しカパッ一気飲みに近い形で胃に流し込んだ後、ワン・モア・ラウンドとなる。

比較的お酒には強い方であるが、彼らと同じように飲んでいてはやっぱり体が持たない。

結局ガンマGPTの数値が高いとか、エコーで肝臓を調べてもらうと、医者から“油のってますね~、脂肪肝ですね~”なんて言われた。

それはまずいと思い、歳をとってからはお酒は控えると決め、飲み会なんかも近い親戚とか友人関係だけと絞り込み現在に至る。

おかげで、ガンマGPTなど肝臓に関する数値は、通常状態に何とか持ってこれた。

みなさんも、これから年末にかけて飲む機会が多くなるのでくれぐれもリミットを越さないようにするための何らかの工夫が必要かと。

そこで思い起こすのが、スティーブン・スティルスのソロ・アルバム。

1976年に通算4枚目のスタジオソロ、ILLEGAL STILLSを出した。


ジャケットのデザインでわかるように自身の名前と非合法の酒の蒸留所をかけたタイトルだった。

ジャケ裏のデザイン

アルバムの作風は、これと言って特に記述するような目だった曲も無く、地味というか中庸って印象で、唯一盟友のニールヤングのTHE LONERを何故かカバーしている位だろうか。

当時のスティーブンは未だスマートな体型を保っていて、近年良く映像などでよく見かけるようなブクブク体型には未だなっていなかった。

やっぱり、酒を食らって、たらふく飯を食らい、そして運動しなければ誰しもこうなるのであろう。

このジャケを見てお酒は控えめにって思い出させば、レコードをあまり聴かなくとも十分役には立つのでは無いかと思う今日この頃である。