本日は久々にギルバート・オザリバンの1973年のサード・アルバム、I’m A Writer, Not A Fighterを聴いてみる。
1972年のシングル、Alone Again (Naturally)の全英・全米チャートそれぞれ2位と1位の大ヒットで一躍有名になった彼がアルバムでも同様の成果を収めようと目論んだ作品。
市場の大きなアメリカ・マーケットの攻略には、従来のシンガー・ソング・ライター系のソフト路線のアコースティック・ピアノだけでなくエレピやクラビネットを多用したアメリカ向けにロック色を濃くしファンキーかつソウル風なアレンジも取り入れることに。
アルバム・タイトル曲を始めシングル・カットされたOoh BabyやGet Downなんかがそれに当たる。Get Downは全英・全米チャートそれぞれ1位と7位とヒットしたもののOoh Babyは中ヒットにとどまり、肝心のアルバムは全英チャートは2位を記録したものの何故かアメリカでは100位以内に入ることが出来なかった。
これを境にして人気やアルバムの売れ行きも下降していく事に....
一体これってどう言うことなの?
同じ英国出身のシンガー・ソング・ライターのレオ・セイヤーは1973年にアルバム、Silverbirdでデビューしその後2枚のアルバムを出し英国では評価されるもアメリカではそれほどまででもなかった。そこで渡米し次作をアメリカ人の敏腕プロデューサーのリチャード・ペリーに依頼しアメリカのスタジオでレコーディングした事によって完成した1976年の4枚目のアルバム、Endless Flightは何とアメリカで大ヒット。
一方ギルバートの場合、本作は英国人の音楽プロデューサーのゴードン・ミルズがプロデュースしイギリスでの録音といつもの通り。
オイラが思うに、音楽のヒットは水物でいくら良く出来た作品であってもその時々の状況によって結果が異なる場合が多く、また両国文化の違いはあることから郷に入れば郷に従えで本作に関してはアメリカ人のプロデューサーを起用とアメリカでのレコーディングとすれば結果は違ったのかも?
例えばヒット曲、Get Down一つとっても、アメリカ人が感じるニュアンスは悪い方に解釈されることもあると言うから、アルバム制作全体においてちょっとしたボタンの掛け違いがあったのかもね。
その昔知人の英国人が小噺をオイラに披露。
ある時彼が商用でアメリカに行った時、書き綴った原稿に訂正したい箇所を発見。現地スタッフのアメリカ人のお嬢さんにRubber(消しゴム)貸してって頼んだところ、そのお嬢さん一瞬ハァ?ってなったそうな。
何しろアメリカじゃRubberって近藤さんのことだから….
アメリカに殴り込みってことで早速アリさんに教えを乞う。これは正解。