CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

ワイルドで行こう!

2024年03月31日 | American Hard Rock

On Your Feet~ (立ち上がれ!)

Or On Your Knees~ (さもなくは、跪け~)

Here! They are amazing Blue Oyster Cult! (我等が教祖様、ブルー・オイスター・カルトの御成りじゃ~)

(BOCの1975年の4枚目のアルバム、On Your Feet Or On Your Knees は2枚組ライブ盤。全米22位を記録しついにアンダー・グラウンドの境を越えて地上に降臨!)

(ベースを含めた5本のギターでステージ狭しと大暴れ!)

ニューヨーク・パンクの女王と呼称される直前のパティ・スミスによる芝居がかったMCに続き、バンドの定番中の定番のナンバー、Bone to Be Wildが演奏され魔界の集会は盛り上がり頂点に達する。

本家のステッペン・ウルフを凌駕する迫力かつスピード感溢れる演奏。

ここのところ気温も上がり春めいてきた。

そろそろギアをシフトしてアゲアゲで行こうじゃないの。

いつの間にかオジンになってしまったけれど、ワイルドに生まれ変わり、硬派として生きていくのじゃ~!


サブ・ウーファいい感じ

2024年03月30日 | JAZZ・FUSION

ジャズ・フュージョン系の音源に心持ち低音を強調すれば立体的になっていい感じ。

1978年の渡辺貞夫のリーダー・アルバム、California Showerを聴いてみる事に。

Seventh Highかっこいいね。チャック・レイニーのベースとハービー・メイソンのドラムスが主張しまくる!

とても45年以上前の音源とは思えない。

豪華なセッション・メンバー。リー・リトナー若い!


これでやっつけ仕事?

2024年03月29日 | ROLLING STONES関連

ストーンズは1980年にアルバム、Emotional Rescueを出しツアーする計画であったがミックとキースの仲が険悪になりツアーは延期。

翌年ニュー・アルバムの制作に取り掛かるも両者の仲違いは続き限られた時間で新曲を一から作るのは困難だと思われ、追い詰められた彼らは苦肉の策としてプロデューサーがかき集めた70年代のアウト・テイクをベースに肉付けを施した9曲と純粋な新曲2曲を合わせた全11曲収録のアルバム、Tattoo Youを完成させた。

(これだけびっちりTattoo入れると、日本の温泉施設は入場拒否確実ね)

(いつ買ったのか失念したが、なぜかアメリカ盤!?)

そのような寄せ集めの背景からかアルバムとしては若干統一感に欠けるものの、彼らの70年代の残香を全体に感じさせる雰囲気が却って受けたのかイギリスでは2位と前作を下回るもアメリカでは1位を獲得さらに前作倍以上売り上げる大ヒットとなった。

ちなみにミック・テイラーが在籍していた1972年の“山羊の頭のスープ”のレコーディング・セッションのアウト・テイクも2曲含まれていて、彼のギターがまたまた聴ける優れもののアルバムでもある。

ハイヒール・スタイルの馬の蹄は一体何を意味するのか? 謎?


クラシック・ロック・フロム・カナダ

2024年03月28日 | American Hard Rock

カナダにもたくさんの著名ミュージシャンがいるけれど、人口の少ないローカルのマーケットだけじゃ大きな成功は望めない。

古くはニール・ヤング、ジョニ・ミッチェルやゴードン・ライトフットらがアメリカに進出し大きな人気を得た。

ゲス・フーも同様にアメリカのマーケットでブレークしたカナディアン・ロック・バンドのひとつである。

60年代中頃にメンバーが固まり活動していたが1968年にアメリカ大手のRCAと契約を交わしたことでより知られるようになった。

メンバーの中核をなすのはバートン・カミングスと後にBTOを結成するランディ・バックマンのソング・ライター・チームであり、1970年に出したAmerican Womanが大ヒット。ただこの後ランディーがバンドから抜け人気も下降気味となり1975年バンドは解散。

その彼らの最も成功を収めた1968年から1970年の頃の活動を切り取ったのが1971年のコンピ・アルバム、Best Of The Guess Who。

日本ではシングル・ヒットしたAmerican Womanぐらいでそれほど知名度も高くないのだが、このベストものを聴けばそれまでの印象はガラッと変わるのではないかと。


メガ・ヒットの後は

2024年03月27日 | SSW

何事も一気に大ブレークしてしまうと、その次が困る。

さて次はどうしたものかとあまりに肩に力が入りすぎて思うような結果が出ず、3歩進んで2歩下がるってなことになりかねない。

シンガー・ソング・ライターのビリー・ジョエルは、1977年のStranger がアメリカだけで1000万枚を売り上げるメガ・ヒットを記録した後を受けて、次作が前作の二番煎じにならぬよう自然体で制作に取り組んだそうな。

翌年1978年に出来上がった作品、52nd Streetはより洗練されたアレンジメントで少々ジャズよりの良質な作品に仕上がった。売り上げは前作を越えられなかったもののグラミー賞受賞など2作連続で素晴らしい結果を残せたと思う。

サイドー1からBig Shot、HonestyにMy Lifeと続くシングル・ヒット3連発は圧巻。さらに急にトップ・スターに上り詰めた自分自身を初心忘れべからずと戒めているようなBig Shotは興味深く感じる。

ちなみにメガ・ヒットを記録したイーグルスのHotel Carifornia 、フリートウッド・マックのRumorやレッド・ツェッペリンのIVなどの後を受けたアルバムは同様に販売実績においていずれも前作を超えることはなかった。

ただ、個人的にはゼップのHouse Of The Holyは前作より革新的で好ましく思う。マックのTuskはビートルズ的に言えばホワイト・アルバムよりもアビーロードを目指す、すなわち1枚ものに集約すべきだったかな? そしてイーグルスのLong Runはちょっと空回り、またHotel Cariforniaよりはその前作のOne Of These Nightsの方がいいと感じるのだけれど...

まあ、あくまでも個人的な意見では有りますが...


シンプル・イズ・ベスト

2024年03月26日 | American Hard Rock

レッド・ツェッペリンのアメリカ公演の前座を務めたグランド・ファンク・レイルロードがツェッペリンを食ってしまったなんて話がライナー・ノートに書いてある。

やっぱりアメリカの聴衆は不要な飾りを省いた明快さをハード・ロックに求めるのだろうか?

グランド・ファンク・レイルロードのレッド・アルバムとも呼ばれる1969年のセカンド・アルバム、Grand Funkはまさにその求められているものをしっかり表現していた事がバンドの成功に繋がった。

シンプルでハードなインプロヴィゼーションに時折サイケデリックな香りも漂い60年代末という時代を感じさせてくれる。

オレンジ・キャピトル・レーベルの1978年の再発国内盤。


多作なのも困りもの

2024年03月25日 | PROG ROCK

リック・ウェイクマンは多作なアーティストでソロや他のアーティストとのコラボを含めると現在までに軽く100枚を超えるアルバムを出している。

一体どこから聴いてゆけばいいのか? 

有りました! 2000年発売のCDアルバム、The Very Best Of Rick Wakeman(1973-1979)。

A&M時代に出した全アルバム、Six Wives of Henry VII、Journey To The Center of The Earth、 The Myths & Legends O King Arther And The Knights Of The Round Table、No Earthy Connection、White Rock、Rick Wakeman’s Criminal Recordsと Rhapsodiesから満遍なく選曲されている。

これにPiano Portraitsなどのソロ・ピアノものを押さえておけばなんとなくリックの全貌が浮かび上がってくるのではないかと…

大好きなミュージシャンなんだけれど、お金も時間もないから全部追いかけるわけにいかないですね。


Time Out!

2024年03月24日 | JAPANESE

1989年の6作目のイギリス録音のアルバム、ナポレオン・フィッシュと泳ぐ日と1992年の8作目の矢野顕子やヨーコ・オノ親子らがレコーディングに参加した話題作、Sweet16に挟まれ少々地味に感じられた佐野元春の1990年のアルバム、Time Out!。

世の中色々あって内向きになることも多々あるけれど、肩の力を抜いてやり過ごせばきっとBig Timeが訪れる。そう精神的にオイラも大人になった。

Time Out!

一回休みの癒しのアルバムですかね。


バッド・カンパニーのサード・アルバム

2024年03月23日 | BRITISH ROCK

バッド・カンパニーの1976年の3枚目のアルバム、Run With The Packを聴いてみる。ファーストやセカンド・アルバムと比べると売り上げは落ちたもののこのアルバムのクオリティーも高く保たれていて、アルバムは全米5位・全英4位とヒットした。

彼らの成功はやっぱりモット・ザ・フープルのミック・ラルフスの加入ですかね。

フリー時代のミディアム・テンポのブルージーなロックも悪くないが、ミックのちょっぴり弾ける様な作風がポール・ロジャースの歌唱にさらに幅をもたらし多くのリスナーに受け入れられたと思える。

 


また買っちまっただ!

2024年03月22日 | 特になし

ロック・サウンドの迫力のある低音再生をなんとか集合住宅の小部屋で味わってみたいと3年前25cmのウーファ搭載のケンウッドの3wayの中古のスピーカーを買ってみたものの今ひとつ思い通りの音が出ない。また狭い部屋ゆえ置き場所にも苦労していたので結局なんちゃらオフにて買取してもらった。

しかしながら手持ちの小型スピーカーではやっぱり低音不足で迫力に欠ける。

どうすればいいのかと長考していると、よからぬ悪魔の囁きが…

サブ・ウーファで低音を補強してみれば?

また無駄使いかよとカーチャンからの鋭い視線を浴びることに。

でももうポチっちゃったもんね。

てな事でサブ・ウーファが到着。

でも実物を見ると思ったより結構場所を取る。仕方がないので足元に設置。

それではいざ試聴へ!

集合住宅内の極小部屋ゆえ小型スピーカーの音量は絞って低音のみをサブ・ウーファで少しだけ補ってみる。

ビートルズのペパー軍曹を再生してみると、オォ~!ポールのベース・ラインがド~ンと浮かび上がってくる。

結構立体感が出ていい感じ。もうジャイルズ・マーチンによる低音強調のリミックス盤いらんね。


オイラもヒーロー?

2024年03月22日 | AMERICAN ROCK/POPS

1986年、大ヒットした前作、Faster Than The Speed Of Night同様ジム・ステインマンのプロデュースによるボニー・タイラーのアルバム、Secret Dreams And Forbidden Fireがリリースされた。

ジム・ステインマンの曲以外にデスモンド・チャイルドやブライアン・アダムスら外部の作曲家を起用し前作同様のクオリティーに仕上がった力作だと思ったのだが、当時欧米では何故かそれほどヒットしなかったような。

前作から3年経ってからのアルバムだったのでリスナーのトレンドが変わってしまったのか? はたまた映画、Footlooseに収録されたHolding Out For A Heroが2年前にすでにシングル・カットされていたことから新鮮味が薄れたのか?

日本じゃヒーローのタイトルで朝倉未稀と葛城ユキがカバーし、前者はテレビ番組の主題歌として採用され覚えている人も多いのではないかと…

オイラはボニー・タイラーとよく似た掠れ声の葛城ユキ版をカーステでよく聴いていた覚えが。

この手の曲を聴いているとオイラもヒーローって感じで精神が高揚するのか、ついアクセルに力が入り危ない、危ない。


掘り出し物のライブ盤

2024年03月21日 | BRITISH ROCK

プロコル・ハルムのギタリストとして60年代末ごろから活動してきたロビン・トロワー。

1971年の5枚目のスタジオ・アルバム、Broken Barrigatesが完成後バンドから脱退、トリオ編成のロック・バンドを結成し3枚のスタジオ・アルバムをリリース後、1975年のヨーロッパ・ツアーのストックホルム公演の音源を使った通算4枚目のアルバム、Robin Trower Live!が1976年に登場した。

ジミ・ヘンを敬愛するロビンはストラトを縦横無尽に鬼神の如く弾きまり、またベースとドラムスのリズム隊によるサポートもバッチリでトリオの良さでもある荒削りで豪快な演奏を楽しめる。


ジミ・ヘン

2024年03月20日 | BRITISH ROCK

本日はジミ・ヘンでも。

1966年にオーディションを受けるため渡英し、ザ・フーが所属していたトラックレコードと契約。Jimi Hendrix Experienceなるトリオのロック・バンドを結成し1967年にアルバム、Are You Experiencedでデビュー。

1970年9月に急死するまでの約4年間にExperience名義のスタジオ・アルバムを3枚、コンピ・アルバムSmash Hitsとバディー・マイルスと結成したBand Of Gypsysによるフィルモアでのライブ・アルバムぐらいであるが、彼の死後には未発表曲やライブ音源などが発掘されそれらを集めたコンピ・アルバムやライブ・アルバムが大量に登場。

ジミ・ヘン初心者としては初期の3枚のスタジオ・アルバムから順に聴いていけばいいわけだが、そこまで熱心でなければベストものでいいかも。

ベストものも玉石混交で大量にあるけれど、1997年に出たExperience Hendrix, The Best Of Jimi Hendrixあたりが代表曲20曲をコンパクトに収録しているのでおすすめですかね。ウッドストックでのアメリカ国歌も入っています。

2000年に再発された輸入盤には5曲の未発表曲を含む8曲が収録されたボーナスCDが付いてきてチョッピリお得。

右利きのストラトを左で弾くのがジミ・ヘンのトレード・マーク。ハイ・ポジションのフレット押さえにくい思うけれどね。


Sprit Coconut

2024年03月19日 | AMERICAN ROCK/POPS

973年にブルーサム・レーベルからコロンビアに移籍して3枚目のアルバム、Split Coconutが1975年に完成。

一聴してデイブ・メイソンがイギリス出身のミュージシャンだとは想像がつかない。

ファンキーなSplict Coconutでアルバムは始まり、続いてトロピカルな味付けのバディー・ホリーのカバー、Crying, Waiting & Hoping、さらにウエスト・コースト風のさわやかなフォーク・ロックへと繋がっていき、イメージ的にウエットなイギリスの風土は微塵にも感じさせないカラッとしたアメリカン・ロック。

前作と比較するとちょっぴり地味目のライト級と感じないわけでもないが、軽やかなデイブ・メイソンのギターが楽しめあっという間に聴き終える。

あたかもココナッツ・ウォーターの如くカロリー控え目、スッキリ爽やか!


通常運転です

2024年03月18日 | Southern Rock

レイナード・スキナードは1975年のサード・アルバム、Nuthin’ Fancyが全米9位にランクされほぼ完全に南部のローカル・バンドからその地位を全国区へと確立させた。

ただファースト・アルバムから担当してきたプロデューサーのアル・クーパーは本作を最後に退任することに。どうもメジャー・デビューする前に蓄えてきたものがそろそろ枯渇するタイミングでもっと売れ線に沿って芸風を転換する必要があると考えた製作陣とバンド・メンバーとの対立があったらしい。

レコード会社としては売れなければただの自己満足。ただバンドとしてもバンドの存在の根幹に当たるこれまでの信念を曲げたくないのも一理あり、中々難しい線引きとなる。

その様な状況が反映されたのかどうかはわからないが、アルバム・タイトルにはNuthin’ Fancy(いつも通り)と付けられたのが何か訳ありな印象。

ただ1曲目に収録されたSaturday Night Special はバート・レイノルズ主演の1974年のThe Longest Yardのサントラにも収録されたご機嫌な曲。

オイラとしてはこれ1曲で問題なし!