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CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

アメリカン・プログレ

2025年06月06日 | PROG ROCK

イエスのサウンドに憧れてプログレ不毛の地アメリカで誕生したバンド、スターキャッスル。

ボーカルは、REOスピードワゴンの初代ボーカルのテリー・ルトゥレルで、イエスのジョン・アンダーソンに寄せた感じでそれに絡むコーラスもバッチリ決まっていていい感じだし、さらに複雑な構成の曲も高い技量の演奏でサラッとこなす。

大手コロンビア傘下のエピックから1976年のファースト、Stacastleを出し、続いて1977年にはセカンド・アルバム出すもヒットには繋がらなかった。

前2作のセールス不振を教訓にラジオでのオン・エヤーに不利な長尺の曲をなくし、各曲3から6分程度の長さの曲に纏めることに。そして前作と同様にクイーンの初期の作品で有名だったロイ・トーマス・ベイカーを再度プロデューサに起用しリベンジに出る。

本日はその1977年出た全8曲からなるサード・アルバム、CIitadelでも。

残念ながらこれもヒットに繋がらなかった。

北米のリスナーにとっては、このジャンルでわざわざ一周遅れの70年代後半に登場したアメリカ出身のバンドにそれを求めなくとも、すでに成熟したヨーロッパのプログレ・バンドを聴いておけば十分と考えたのかもね。 

悪い出来じゃないんだけれどね….


マカロニ・プログレ

2025年06月05日 | PROG ROCK

1965年、イタリアで製作されたクリント・イーストウッド主演のウエスタン。日本ではマカロニ・ウエスタンと呼称され人気を博した。アメリカ製のものと違って結構迫力のあるバイオレンス・シーンがあり、特に銃撃戦の脳天が撃ち抜かれる刺激のあるシーンは結構攻めた製作手法だった。

荒野の用心棒が大ヒットしたおかげで、フランコ・ネロ、ジュリアーノ・ジェンマにリーバン・クリーフら新しいスターが誕生し、新しいアイデアも取り入れ進化していった。

同様に音楽界も従来のカンッオーネと称されたポップ・ソングだけでなく、70年代にはイギリスやアメリカの影響を受けたロック・バンドが続々登場。特にこれぞヨーロッパって雰囲気のイタリア語で歌われるプログレ・バンドに新鮮さを感じた。

本日は1970年にローカル・デビューを果たし、ディープ・パープルやイエスのイタリア公演の前座として登場したPFM(プレミアータ・フィルネリマ・マルコーニ)の演奏が高く評価され、1973年ELPが設立したマンティコア・レーベルから歌詞を英詞化して世界デビューすることに。日本のプログレ・ファンの中でも注目を集め結構高い評価を得た。

本日は彼らが1973年から1977年まで在籍したマンティコア・レーベルに残した4枚のスタジオ・アルバムと1枚のライブ・アルバムから厳選して収録された2000年に日本ビクターから出た日本独自の編集ベスト・アルバム、Pieces From Manticoreでも。

PFMを一気に味わうならこのコンピ盤が最適。

ただ歌詞をダイレクトに理解出来ないオイラからすれば別に英語よりイタリア語で歌った方がマカロニ・プログレらしくていいんじゃねぇ?って思う。


またまたプログレ・バンド登場

2025年06月04日 | PROG ROCK

1972年に出たジェネシスの4枚目のスタジオ・アルバム、Foxtrotと次に予定しているスタジオ・アルバム(Selling England By Pound)のインターバルが少々長いということでレコード会社がライブ・アルバムを制作してその穴を埋める事とした。

ちょうどアメリカ向けのラジオ放送に使う予定のライブ音源があったことから、その出来が良くないと反対したメンバーの意見を了承しないで制作に踏み切った。

それが1973年のGenesis Liveだった。

(ピーターが被り物を使って歌唱する演劇風プログレ・ライブ。他では中々見られない絵面)

ピーターガブリエル、マイク・ラザフォード、トニー・バンクスらに加えて、セカンド・アルバム制作後ギターのアンソニー・フィリップスの病気による脱退と技術不足で解雇されたドラムスのジョン・メイヒューの代わりに、スティーブ・ハケットとフィル・コリンズがバンドに加入したジェネシスが最もジェネシスらしい頃のバンド編成でのライブ・レコーディングだった。

選曲はセカンドのTrespass、サードのNursery Crymeと前作のFoxtrotからの選曲で計5曲が収録された。ガチのジェネシス・ファンからはあるべき曲が抜けていて寸足らずとの不満もあったらしいが、LPレコード1枚の時間枠で制作するならばこの選曲が限界かな。

それよりも、結構複雑な構成の曲をライブで力強く演奏しているのには好感が持てるし、またこのライブにおけるオイラの好きなメロトロンの音色も申し分無い。


本日も懲りずにプログレ・バンド

2025年06月03日 | PROG ROCK

70年代の半ば頃ごろからそれまでのハード・ロックやプログレ・ロックがある意味ネタ切れ状態となり、各々のバンドがそれぞれ生き残りをかけた工夫を凝らすものの、音楽の巨大な流行の波に飲み込まれ立ち行かなくなった。

本日は、そんな流行に立ち向かうが如く80年代初頭に登場し活動を続けて来た英国ネオ・プログレ・バンド。マリリオンでも。

1983年、EMIからアルバム、デビューし1983年の3作目、Misplaced Childhoodで全英1位を獲得し注目を集める。

商業的な成功を求めてのポップ化には流されず、敢えてプログレ・ロックの様式美を追求しストーリー性をもったコンセプト・アルバムを制作する正攻法が受け入れられたのだろうか… 

1985年の4作目のアルバム、Clutching At Strawsも全英2位と人気も定着。アルバム・タイトル、Clutching At Strawsは藁にもすがるってことで絶体絶命!

29歳の男が何をやっても成功を掴めずアルコールに助けを求める心の叫びを表現したストーリーだそうで、ジャケのイメージからしてなんだか負の暗~い雰囲気が漂う。

ただサウンド的にはオイラのような英語が増えての人間位はそれほど悲壮感は感じられない割と穏やかなサウンドかな? 

それからフィッシュのヴォーカルの声質がジェネシスのピーター・ガブリエルに似ているのも印象的であります。


本日もプログレ・バンドで

2025年06月02日 | PROG ROCK

アメリカ出身のプログレ・バンド、カンサスの6枚目のスタジオ・アルバム、Monolithが1979年に出た。

芸風は基本的に変わっていないが、やっぱり1977年に出て大ヒットした前作、Point Of Know Return(全米4位)と比べるとインパクトに欠けるし、前作からシングル・カットされ大ヒットしたバラード、Dust In The Windのようなキラー・チューンが収録されていなかったのが痛かったかな?

ちなみに、アルバム・タイトルのモノリスって映画2001年宇宙の旅に出てきた、地球外知的生命体の置き土産の石板。

映画では確かモノリスが類人猿を人類に進化させるのに影響を与えるってストーリーから始まったような。そして2001年には人類が宇宙空間にかなり進出しているように描かれていたが….

このアルバムが出た70年代はオイラも21世紀頃にはさらに進歩した人類による明るい未来が待っているって子供心に思ったけれどね。

少しは便利にはなったけれど、2025年になった今基本的には相変わらずかな。

今更ながらちょっとガッカリ。


プログレ・メタルは暑くなる前に

2025年06月01日 | PROG ROCK

今日から6月。

今年も時経つのが早かったな~

6月のオープナーは、プログレ・メタルのドリーム・シアター。

プログレ不毛の血、アメリカで誕生したバンド。名門バークリー音楽院に通っていたジョン・ベルトーシ、ジョン・マイアングとマイク・ポートノイらが中心となって結成。1992年のセカンド・アルバム、Image and Worldがそこそこヒットし注目を集めた。

本日は彼らの1994年のサード・アルバム、Awaken。アメリカで32位、そしてメタルが大好きなドイツや北欧でもそこそこヒット。特筆すべきは日本でオリコン7位に食い込みこの地のプログレやメタル・ファンを唸らせた。

メタル系のギターがシンセと絡み、そして手数の数の多いドラミングと重いベース・サウンドのリズム・セクションが脇を固め、おいでおいでとプログレ・メタルの世界へと誘ってくれる。

この手のロックは、やっぱり冷んやりとした暗い小部屋でキーンと冷えたビール片手に大音量で聴きたいものだ。

ただ6月になって西日が燦々と降り注ぐオイラの小部屋じゃもう無理かな?

もう既に、あちぃ~


フィナル・カット

2025年05月29日 | PROG ROCK

本日はピンク・フロイドの1983年の12作目のアルバム、The Final Cutでも。

このアルバムは出た当初から物議を醸したアルバムで、アルバムの全作品がロジャーの手によるもの、そしてリチャード・ライトは既に正規のバンド・メンバーじゃなくなり、またニック・メイソンのパートを他のセッション・ミュージシャンの演奏に差し替えたりデビッド・ギルモアとも衝突したりとメンバー間の関係が最悪で、もうロジャーのやりたい放題。

オイラが感じたのは、全体的には薄暗いイメージであっさりしたボーカルは変化に乏しくあまり印象に残らない曲ばかりで、唯一ポジティブな印象を持ったのはデビッド・ギルモアがボーカルをとるNot Now Johnぐらいかな….

勿論バンドの中核を担うロジャーのサウンドはピンク・フロイドには欠かせないけれど、このアルバムに関してはフロイドのアルバムではなくロジャーのソロ・アルバムかな。

自身でもっとやりたい事があったのならフィル・コリンズみたいにバンドとソロは別物として二刀流でやればメンバー4人によるバンドはもう少し長続きできたかも。

この2年後にロジャーはピンク・フロイドから脱退、それを予期したかの如くアルバム・タイトルはThe Final Cut。


ストローブスとリック

2025年05月23日 | PROG ROCK

60年代ストロベリー・ヒルズ・ボーイズなるフォーク・バンドを結成し活動していたデイブ・カズンズとトニー・フーパーがベーシストのロン・チェスタートンを加えトリオ編成でストローブスを結成。トラッド系アコースチックなサウンドが売りで、後にフェアポート・コンベンションに加入するサンディー・デニーとレコーディング・セッションを行うも当時は商品化されなかった。

そしてトリオとして1969年にファースト・アルバム、Strawbs、翌年にセカンド・アルバム、Dragonflyを出すもいずれも不発。ベーシストが脱退し、新しいベーシストとキーボードにはリック・ウェイクマンが加入しツアーを行ったが反応がイマイチだった事から、新たにエレキ・ベーシストとドラマーを加入させリズム・セクションを一新。

1970年ロイ・ハーパーのコンサートの前座で以前の作品をエレクトリック化したライブ公演を行い、続いて7月11日にはQueen Elizabeth Hallでの公演をレコード化したアルバム、Just A Collection Of Antiques And Curiosが出た。

リズム・セクションを強化したことによって曲にメリハリがつき、さらにリックの華麗なるキーボードの演奏が話題を呼んでUKチャート27位と大躍進。

この時のリックの演奏だけでなく初期のデビッド・ボウイのアルバムやキャット・スティーブンスのMorning Has Brokenでの演奏が評判となりイエスはストローブスからリックの引き抜くことに。当時シンフォニックなプログレ・サウンドに歩みを進め始めたイエスとしてはストローブスのこれらの音源を聴けばリックが打ってつけの人材だったのは間違いない。

ストローブスもイエスの後を追うかのごとくさらにエレクトリック化を推し進めフォーク・ロックからプログレ・ロックへと変遷を遂げていく。

リックのファンならストローブスの初期のアルバム聴けばきっとニンマリすること間違いない。

(ロイ・ハーパーの前座でのライブ音源が2006年にRecollectionとして発売された。)

(何だかStrawbsって言うよりはRick Wakeman with Strawbsって感じがしないでもない。)


絶滅危惧種、プログレ

2025年05月22日 | PROG ROCK

2001年イエスはリック・ウェイクマン抜きで制作したアルバム、Magnificientを出した。

その後リックも再加入しライブ・ツアーを続けることに。そして35周年記念のライブ終了後はリックは体調不良でバンドから離脱。更にジョンも病気となりバンド活動が停滞するも、リックの代わりに息子のオリーバーと新しいボーカリスト、ベノワ・デビッドをリクルートし活動を再開。

そこでニュー・アルバムの制作が浮上し、1980年のアルバム、Dramaに参加したバグルス(プロデューサーにトレバー・ホーン、キーボードにジェフ・ダウンズ)のメンバーを加えてレコーディングを開始することに。

10年ぶりに出来上がったアルバムがFly From Here。アルバム・タイトル曲はDrama制作時代にバグルス組が書いた曲を再構築し組曲化したもの。

時折クリスの太いベース音やスティーブのらしいギター・フレーズが聴く事ができるが、やっぱりジョンの特徴あるあのハイトーン・ボーカルがないとなると70年代からイエスをフォローしてきたオイラとしては物足りない。とは言え、ポップ調のプログレで前作と比べるとかなり聴きやすくなっているし久々の彼らのスタジオ・アルバムだった事もあって全米チャート36位とそこそこヒットした。

でもこれって多分往年のファンの購入によるご祝儀相場じゃなかったかと思う。

それからさらに時は流れ15年経った現在、さっきMusic Award Japan 2025なる番組をNHKでチラ見したけれど、若い人に支持されている人気のアーティストの名前だけはかろうじて何処かで聞いた事があるけれど曲に関してはほぼ知らない曲ばっかり。

最近のトレンドがこれだとすると、若い人はもうプログレなんて見向きもしないだろうね。


まだまだ試行錯誤中

2025年04月26日 | PROG ROCK

ロイ・ウッドとジェフ・リンがタッグを組み弦楽器を全面に押したしたELOのデビュー・アルバムにポップな味付けを施した作品が1973年のサード・アルバム、On The Third Day。

(UK盤に採用されたジャケ)

(US盤のジャケは海賊野郎どもだった。GEのロゴを真似ているELOのロゴ)

まだまだプログレ色が濃く、またポップ度も控えめで少々地味目な仕上がり。

ただ、彼らの後にやって来る大ブレイクを知る者にとってはELOの成長過程が分かってニンマリ。


なんだか臭う

2025年04月20日 | PROG ROCK

本日は1984年のアラン・パーソンズ・プロジェクトの7枚目のアルバム、Ammonia Avenueでも。

(ヒプノシスのアート・デザインも相変わらず奇抜)

(2008年のボートラ付き再発リマスターCD。ボートラ別に要らないね。)

ライト・ポップなプログレ系サウンドは気を張らずにリラックスして味わえる作品。前作、Eye In The Skyと比べると売り上げは落としたものの、ヒット・チャート全米15位にランク・インしそれまでと変わらず好アルバムに仕上がっている。

フィル・スペクターのウォール・サウンド調のDon’t Answer Meだとか、インスト曲のPipelineに哀愁を帯びたサウンドのSince The Last GoodbyeやAmmonia Avenueなど聴きどころ満載。

ただぁ〜、一言言えわせて貰えばアルバム・タイトルなんとかならなかったのかな?

 


ロックに育てられ

2025年04月16日 | PROG ROCK

気を取り直してブログ再開。

ここまで来れば最後までお付き合い。Rock On!

本日はムーディー・ブルースのベーシスト、ジョン・ロッジの作品でも。

1972年のムーディー・ブルースのアルバム、Seventh Sojournの発売後、一旦バンドとしての創作活動を休止し、バンド・メンバーそれぞれがソロ・アルバムを制作していく事になる。

その第一弾は、ジャスティン・ヘイワードとマイク・ピンダーのコラボ・アルバムだったが、マイクが参加を取りやめジョンが代わりを務める事になり1975年にアルバム、Blue Jaysが出た。

後にジョン曰く、余りにムーディー・ブルース寄りの作風だったことから次作は自身の個性をより出した作品を制作することに。完成したのが1977年のソロ・アルバム、Natural Avenue。

人生は自身で判断したそれぞれの道を歩んでいるって思われているが、案外それぞれの道は既に定められていて、その自然の道、Natural Avenueに沿ってそれぞれが人生を歩んで行くって考えから命名されたアルバム・タイトルだそうだ。

そしてこのアルバムを締める曲が、ロックンロール讃歌とも言えるChildren Of Rock ’N’ Roll。

ロックンロールで育てられた子供たち。

Eight Miles Highまで駆け上がってもまだまだ先は見えない、Beautiful Dayを過ごせばGarden Of Dreamsへ到達。

得られた答えはやっぱりロックンロールの子供たち。

オイラもロックンロールに育てられ、オジンになった今でも聴いているしこのブログも懲りずにシコシコ書き続けている。


売れ過ぎるのも困りもの

2025年04月12日 | PROG ROCK

ジェネシスのアルバムの中では一番売れたのが1986年の通算13枚目のスタジオ・アルバム、Invisible Touch。

前年に出たフィル・コリンズのソロ・アルバム、No Jacket Requiredが大ヒットした事によりそれに後押しされた形でこのアルバムも全英・全米それぞれ1位と3位と大ヒット。さらにアルバムからカットされた5枚のシングルもそれぞれヒット。

あまりのポップ路線に、ピーター・ガブリエル時代のファンからしたら賛否両論。しかしながら時は80年代半ばを過ぎ、いつまでも70年代のプログレでござい~って訳にも…

ただ一気に頂点に達してしまうと、次作の制作において目に見えないプレッシャーがかかってきて精神衛生上宜しくないってな事に。

そのためなのか、次作のWe Can’t Danceは5年のインターバルの後1991年にようやくリリースされた。

持続力を保ち続けるには、やっぱり腹8分目がいいってことね。


星空のドライブ

2025年04月06日 | PROG ROCK

1967年、ロック界にもサイケデリック・ムーブメントが到来。それまでにはなかった発想で曲作りに挑む。

ビートルズならペパー軍曹、ストーンズなら例の不人気だったサタニック・マジェスティーズ・リクエスト。それ以外にも新人グループ、ドアーズ、ジミヘン、トラフィックやバニラ・ファッジら数多く登場した。

この頃のこの手のサウンド制作にはドラッグの影響を受けている場合が多く一般のR&Bを基調としたビート・グループ達とはそのサウンドの展開や歌詞の内容がかなり異質なものだった。

我らがピンク・フロイドも1967年のアルバム、The Piper At The Gates Of Dawnでアルバム・デビュー。

(2011年に出たリマスター盤)

そのサイケデリックなサウンドは今聴けば時代が時代ゆえ聴き手によっては古めかしく感じるかも… ただ当時としてはエポック・メイキングなアルバムだったと思う。

このアルバムのハイライトとでも言えるAstronomy DomineやIntersteller Overdriveなんかは特にドラックの影響下によるトリップが単なる幻想世界の枠を飛び出し宇宙にも通じ先進性を感じさせた。(ピンク・フロイドの存在を知ったのは70年代を過ぎてからの後追いのオイラなので、あまり偉そうなことも言えないのではあるが....)

因みに星空のドライブってオイラには満天に光り輝く星の下でのドライブなる何だかロマンチックなイメージが浮かぶが、Interstellar Overdriveとなるとトップ・ギアを入れての恒星間航行ってもうSFの世界。

その後テレビ・シリーズ、宇宙大作戦(Star Trek)を見て遅まきながら恒星間航行でのワープ航法を知ることに。(これまた多分70年代の再放送版だったと思う。)


Open Your Eyes!

2025年03月28日 | PROG ROCK

1991年、トレバー・ラビンが在籍していた90125イエスとジョン・アンダーソンら旧イエス・メンバーが結成したABWHが合体し、総勢8名による拡大版イエスが誕生し1991年にはアルバム、Unionを出す。

ツアー終了後、スティーブ・ハウ、リック・ウェイクマンとビル・ブルーフォードが抜け、90125のメンバーが残った形で1994年にニュー・アルバム、Talkを出すも、アンダーソンとラビンのなかが良くなくラビンが脱退後トニー・ケイも脱退し90125バンドは解体。

そこにウェイクマンとハウが再加入し、Keys To Ascesionなるイエス全盛期のメンバーによる当時の曲を収録したライブとスタジオでの新曲の録音をスタートさせライブと新曲が合わさったアルバムを1996年に出す。その勢いでツアーを計画するもウェイクマンのソロ・プロジェクトが重なり結局ウェイクマンはバンドから脱退しバンドは活動停止に追い込まれる。

その頃、イエスの裏方としてバンド活動に貢献していたビリー・シャーウッドがクリス・スクワイヤのソロ・アルバム制作に準備していたクリスとの共作による新曲のデモをバンドのメンバー達に聴かせたところ、全員が気に入りリックの代わりにビリー・シャーウッドが正式メンバーとしてバンドに加入し、曲を全員で再構築しニュー・アルバムの制作に取り掛かる事に。

そして1997年の17枚目のオリジナル・スタジオ・アルバム、Open Your Eyesがついに完成。

このアルバム発売当時評論家にかなり叩かれ、不人気なアルバムとなった。オイラも買った当初聴いているうちに不覚にも眠りに落ちる退屈感があった。

リックが参加していなかったからなのかKeys To Ascesionと比較してキーボードの使われ方がかなり変わって、何故かラビン在籍時代のポップな90125イエスに逆戻りした感があったね。

個人的には曲数を減らしまた曲の長さも短縮しアルバム自体をもうコンパクトにし、更にもう少し刺さるより印象的なメロディーを所々に配置すればアルバムの印象はかなり良くなったかなと思う。特に12曲めのThe Solutionなんて実際5分程度の曲であるが、この曲の後に隠しトラック、約2分間の無音の後なんとナチュラル・サウンドに時折コーラスが被さるサウンドコラージュが16分程度続く続く展開となる。トータルすると23分の長尺曲。音の無駄な垂れ流しとしか思えない。

メンバーの出入りが激しすぎた故、バンドの音楽志向がいまいち定まらずリスナーの嗜好など現状を上手く捉えきれなかったのが原因ですかね?

その当時、Open Your Eyesといってあげればよかった。

まあ何度も繰り返し聴いていると、それほど悪いアルバムいう感じでもなくこれはこれでイエスの歴史の一部だと捉えている。