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CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

70年代末頃期のポップ・バンド

2025年05月06日 | BRITISH ROCK

本日はアイルランド出身のポップ・バンド、ブームタウン・ラッツでも。

ボブ・ゲルドフが中心となって1975年のバンドが結成され、デビュー・アルバムは1977年、更に翌年のセカンド・アルバムは全英8位と一気にブレイクを果たす。

そして1979年の3作目のアルバム、The Fine Art Of Surfacingも全英7位とヒット、またシングル・カットされたI Don`t Like Mondayは全英1位に輝く大躍進。

バンドは成功の方程式を道を掴みかけたものの、ボブ・ゲルドフが自身のバンド活動だけでは飽きたりず映画出演だったりバンド・エイドやライブ・エイドなど世界的規模のコンサートを企画したりとマルチな活動を展開したことによってバンド活動が疎かになり、結局バンドは解散。

ところで現在大阪で関西万博が開催されていて、確かテーマは”いのち輝く未来社会のデザイン”、更に1970年の大阪万博では”人類の進歩と調和”だったっけ。

大ヒットしたブームタウン・ラッツが残したヒット曲、I Don`t Like Mondayは当時のアメリカのユルユルの銃規制に警鐘を鳴らした作品であるが、それから人類は進歩したはずなのに45年程経った今でも相変わらず.....

むむ~


聴かず嫌いはおやめ下さい

2025年05月02日 | BRITISH ROCK

60年代、ブリティシュ・インヴェイジョンの一員としてアメリカ・マーケットに進出し成功を収めたのに、何でヘンテコリンな方向に作風が変化したのか…

デビューから数年、ビート・バンドとして英米で大成功を収めたキンクスではあったが突如別バンドにに変身したかの如く作風が変わった。そんなこんなで、彼らが練りにねって制作したアルバムを出しても特にアメリカでの反応がイマイチで、またツアーに出ても受けない辛い時期が継続した。

そして時は1970年、彼らの9作目のスタジオ・アルバム、Lola Vs Powerman And The Moneygoround, Part 1とこれまたアルバム・タイトルからしてバンド・リーダーのレイ・デイヴィスの捻くれ度を十二分に感じさせる作品が出た。

これが意外や以外、きらりと光る何かがあったのかアルバムはアメリカで35位にチャート・インされシングル・カットされたLolaも全米9位・全英45位と息を吹き返した。

ただ、レコード会社のパイ・レーベルはそれまでのセールスがイマイチだったので、サントラ盤を契約上の最終アルバムとして出し契約を延長をしなかった。そして彼らはこの後大手レーベルのRCAと契約を交わし意欲的なアルバムを制作していくことに。ところがまたまた例の悪い癖が出たのか、あまり売れそうにないコンセプト・アルバムを出していくことに。

低迷期の中久々にヒットしたこの作品、ヘンテコなアルバム・タイトルやジャケ・デザインを除けばイケてるアルバムだと思う。

興味のある方は是非ご一聴!


不死身のヘビメタ

2025年04月22日 | BRITISH ROCK

80年代に活躍した英国出身のヘビメタ・バンドと言えばジューダス・プリーストとかアイアン・メイデンなんかが挙げられるが、彼ら以上に爆発的に売れたバンドがデフ・レパード。

本日は彼らの1987年の4枚目のアルバム、Hysteriaでも。

1983年の前作、Pyromaniaもかなり売れたが、それを大幅に上回る全世界での通算売り上げが2500万枚を超えるお化けアルバムとなった。

一聴して、確かにヘビメタ・サウンドにポップよりの要素を組み込み万人受けするサウンドではあるが、まさかこれほどまでに売れるとは….

ドラマーのリック・アダムスが事故で左腕を失いバンド存続できるかどうかの苦難に直面し、結局完成までに前作から4年余りの歳月がかかったものの不死鳥の如くシーンに蘇った。

これがロック・ファンの琴線に触れたのかもしれないね。

1999年に英国で再発された2枚組LP。

オリジナルLP1枚を2枚に分割してカッティングすることによってカッティング・スペースに余裕が出来、よりダイナミックな再生音が得られる。

ただオジンなオイラにとっては、老化現象による聴力低下でその恩恵はさほど受けられず、3曲聴けば盤面を裏返すのが却ってめんどくさい。


死ぬのは奴らだ!

2025年03月20日 | BRITISH ROCK

1971年のウィングスのファースト・アルバム、ワイルド・ライフはポールとしては低評価を受けた。

名誉挽回として翌年の次作、レッド・ローズ・スピードウェイのレコーディングに励んでいた頃、007の映画の主題歌の制作を映画プロデューサーから依頼されLive And Let Dieの録音もしていた。

特に映画のサントラに使用されたこのシングルはポールのお家芸とでも言える組曲形式の手法を3分間にぶち込んだ。

テーマのスロー・バラードでスタートするとその後ジョージ・マーチンの重厚なストリングスがハイ・テンションを持たらし、中盤はレゲエ・サウンドに展開し再度ストリングスが登場し、終盤にはテーマのバラードの後は再々度ストリングスの登場で一気に盛り上るダイナミックな展開。

1973年に完成したレッド・ローズ・スピードウェイが発売されると全米1位の大ヒット。更にLive And Let Dieのシングルも大ヒットしたことでようやくポールの実力が十二分に証明されたと言える。

ワイルド・ライフをボロカスにこき下ろした評論家達に対して、せこいオイラだったら死ぬのは奴らだって言ってたかも….?


ライブ盤でも色々編集が入ります

2025年03月13日 | BRITISH ROCK

常にバンドにとって何がベストかを第一義に掲げる我らがリッチー師匠、何とファースト・アルバムのバンド編成を解体。ヴォーカルのロニー・ジェイムス・ディオを除いてメンバーを総入れ替えするシビアな決断を下した。

そしてそのメンバーでセカンド・アルバムを制作しその後ツアーに出ることに。

完成したのが1977年の初のライブ・アルバム、On Stage。

当初はパープル時代の良き思い出をもう一度と日本公演での録音で全編を制作する予定だったが、収録された音源の出来が気に入らず結局日本で録音した音源とヨーロッパでの音源を合わせた計6曲でアルバムが制作されることに。

ただ選ばれた曲でもドラム・ソロなど幾らかの不要と思われた箇所は削除され、また別の日に収録した良好な音源に差し替えたりと制作段階で結構編集が入ったそうな。

そんな話を聞けばこのアルバムはライブ・ショーとしては一貫性に欠けるのかな? それ故1977年のミュンヘンでのコンサートをガッツリ収録し2006年に発売されたライブ盤がレインボーのベスト・ライブだと言う人もいるそうな。

とは言えオイラとしては、70年代に出たメタルの入り口に誘うハード・ロックのライブ盤としては上々の出来だった思う。


そうなの? いや、そうじゃないんだ。

2025年03月10日 | BRITISH ROCK

本日はキャット・スチーブンスの1977年の通算10枚目のスタジオ・アルバム、IZITSOでも。

実は1975年のアルバム、Budda And The Chocolate Box以降は全くフォローしていなくて、2001年にアイランド時代の作品がリマスターされたのを機にその後のアルバムを買ってみたところ、70年代は初めのミリオン・セラーを連発していた頃と比べると大ヒットしたシングルも見当たらず、このアルバムに関してはちょっと地味な印象だったかな?

このアルバムにはいつものフォーク・ロック調の曲だけでなく、何を思ったのかシンセ・ベースのエレポップ調のインスト・ナンバーが2曲収録されている。今回久々にアルバムを通して聴いてみるとこれが案外箸休め的に作用し他の曲を引き立たせる役割を果たしているような…

てな事で、かっての印象とは違って好感を持った次第。

因みにアルバム・タイトルがIZITSOってなっているけど、これってそのままシンプルに読めば、Is It So?、そうなの?てことなのかな?

(I Never Wanted) To Be A Starって曲をこのアルバムで歌っている。

スターになりたくなかったって?本当にそうなの?

本当は心に少しの愛を持ってそして君の心のベルを鳴らしたかったのさ。

この頃にはイスラム教に関心を持ち改宗を考えていた頃で、自身の新たに行くべき道が見えていてその気持ちをリスナーに対して語りかけているような。


メタルの始祖、その暗さが売り!

2025年03月08日 | BRITISH ROCK

1971年にブラック・サバスの3枚目のアルバム、Master Of Realityがでた。

このアルバムはUK/USAそれぞれのチャートで5位と8位を獲得しミリオン・セラーとなり、サバスの人気がさらに強固になった。

基本ギター、ベースにドラムスのシンプルな編成によってヘビーなサウンドを生成。勿論オジーの闇の底から聞こえてきそうな暗~いボーカルも存在感があるが、やっぱりヘビーなリズム・セクションに被さるトニー・アイオミの奏でるドロドロしたトーンのギター・リフが魅力的。


ハードなサウンドに拘らず

2025年02月24日 | BRITISH ROCK

60年代中期から後期にかけてサイケデリック・ムーブメントなる新しい動きが登場し数多くのバンドが追従した。

そのムーブメントにあえて逆らったのが、キンクスのリーダーのレイ・デイビス。

1967年のアルバム、Something Else By The Kinksからそれまでのエレキ・ギターによるエッジの効いたロックだけでなく、別のジャンルにも踏み込みアクセントを加えた。特にWaterloo Sunsetはビートルズのポールがお得意とする郷愁を誘うシンプルなメロディーのバラードでそれ迄のキンクスのイメージを覆した。

1968年には2年の歳月をかけて制作した、The Kinks Are The Village Green Preservation Societyがようやく発売された。当初LP2枚組で制作するもレコード会社から拒否され、レイがシングル・アルバムとして再編集するなど紆余曲折があったらしい。

(2016年に出たモノ・ボックスからの一枚。このアルバムの中古ってあまり出回っていなくて、たまにオークションで見かけても高い!)

田舎によくある緑豊かな公園(ヴィレッジ・グリーン)を保護する架空の団体がタイトルのコンセプト・アルバムで、イギリスのノスタルジーや田舎の生活に敬意を表した内容と言われていて、それに伴ってハードな演奏はなく全体的にシンプルで大人しめ。

デビュー当時のキンキー・サウンドは一体どこに行ってしまったのか!

玄人筋からは傑作といわれたものの、それ迄の一般のファンは引いてしまい当時はチャート・インさえしない失敗作と言われた。

オイラはのんびりしたこのアルバム結構好きなんだけれどね….

しかしながら、2018年に50周年記念として再発されたこのアルバム、なんと全英チャートで48位を記録。

発売から50年経って、ようやく時代が追いついたってところですかね。


トラファルガー

2025年02月15日 | BRITISH ROCK

本日は1971年、ビージーズのメジャー・デビューから数えて7枚目、またバリーと喧嘩して脱退したロビンがカム・バックして2枚目のアルバム、Trafalgar。

(19世紀初頭、ネルソン提督率いるイギリス艦隊がフランスとスペインからなるナポレオンの連合艦隊をトラファルガー岬沖海戦にて勝利した。)

アルバム全編はバラードで構成され少々地味、しかしながらシングル・カットされたHow Can You Mend A Broken Herart(傷心の日々)は彼らにとって初の全米1位を記録。ただアルバムは全米34位と中ヒット。更にイギリスのチャートではシングルとアルバムの両方が何故かチャート・インさえせず。

やっぱりバラードばっかりじゃ全体的に冗長な印象をもたらし売れ行きに影響したのかも….

かってイギリス軍は海戦では勝利したものの、本作のイギリスにおけるレコード商戦では敗北。


ロッドのソロ4作目

2025年02月13日 | BRITISH ROCK

第1期ジェフ・ベック・グループ解散後、ロッド・スチュワートとロン・ウッドは、スティーブ・マリオットの抜けたスモール・フェイセズのメンバーと合体しフェイセズを結成、また並行してロッドはソロ活動も行うことに。

そのソロ活動による第4弾のスタジオ・アルバムが1972年のNever A Dull Moment。

前作のEvery Picure Tells A Storyに収録されたMaggie Mayが大ヒットしアルバムも同様に大いに売れた。

同じ方向性で制作された本作も大ヒット。アルバム・タイトル通り、退屈さを感じさせない。

因みに個人的にはマーキュリー・レーベル時代のロッドの方が後のアメリカに進出したワーナー時代より好みかな。

アメリカに渡ってからはどうも売れ線を狙って妙にスマートにまとまり過ぎるって感があるのがオイラの見解。

マーキュリー時代の荒削りなロッドに一票!


甘美のハード・ロッカー!再び

2025年02月05日 | BRITISH ROCK

本日はロック・バンド、Mr. Bigに再登場してもらおう。エリック・マーチンがいたアメリカン・ロック・バンドMr. Bigではない70年代に登場した幻の英国ハード・ロック・バンド Mr. Bigの事である。

このブログを立ち上げた9年ほど前にこのバンドは一度登場しているがその時結構腐していたので、名誉挽回、汚名返上ってことで9年ぶりにそのレコードを再び手に取ることに。

バンドはギター・ボーカルそして作詞・作曲を担当のディッケン、ベースとツイン・ドラムスの変則的な編成の4人組ロック・バンドだった。1974年エピックと契約しシングルを出すものの不発。1975年EMIに移籍して出したのがアルバム、Sweet Silence。

ツイン・ドラムスが関わるハードな演奏にディッケンの少々ねちっこくしゃがれたボーカルが絡み独特な雰囲気を醸し出すWonderful CreationやSweet Silenceなんかがバンドの売りだが、それだけでなくスロー・バラード、カントリー、中華風、ボードビル調の曲などが散りばめられて収録されるなど工夫が凝らされていて悪くない。

残念ながらアルバムのライナーに記された”ビッグ・グループになることはもう既に運命付けられている”なる当時の宣伝文句を果たし得ることはなかった。

しかしながら改めてレコードを再生すれば買った当時の70年代の次から次に登場した新しいバンドでワクワクだった記憶が蘇ってくる。まあ悪しき思い出はなかった事として脳内で改竄されているのではあるが…

久々に甘味な思い出を味わわせてくれるハード・ロッカー達だった。


悪くはない

2025年02月04日 | BRITISH ROCK

10ccのメンバー達は60年代からそれぞれのバンドで活動しながら腕を上げてきた。そして70年代になって意気投合した4人が10ccを結成したが、当時は他のミュージシャンの裏方に回るセッション活動に時間を取られ、自身のバンド活動がおざなりとなっていた。

メンバーの一人、エリック・スチュワートの友人のジョナサン・キングがレコード会社、UK Recordsを設立した事を聞きつけ、新曲のDonnaのテープを送りなんとか契約に漕ぎ着ける事に。

そして1972年にDonnaがシングルとして発売されるとなんとUKチャート2位と人気を博し、翌年セルフ・タイトルのアルバムを出すことに。アルバムからカットされた3枚目のシングル、Rubber Bulletsがチャート1位に輝きアルバムも36位と幸先の良いスタートを切った。

その翌年の1974年にはセカンド・アルバム、Sheet Musicが登場し、これまた全英9位とさらに躍進することに。

ただ弱小レーベルからレコードを出すと、どうしてもマーケティングが弱い。一応販売ルートはイギリスがデッカ、アメリカはロンドン・レコードとストーンズと同じ販売ラインではあったが大手のレーベルが直接管理するバンドではなかったので、後一押しが足りないと10ccのメンバーは考えたのか、彼らは1975年大手のポリドール系のマーキュリー・レーベルに移籍して3作目のアルバム、Original Soundtrackの制作することに。

一方ドル箱の10ccが抜けると売り上げに影響が大きく出たのか翌年にUK Recordsはあえなく解散する羽目に。

その後80年代、10ccの初期2枚のアルバムはマーキュリー・レーベルが再発し、90年代になるとイギリスのキャッスル・コミュニケーションが再発の権利を獲得も、その後廃盤

ちなみに日本ではオリジナル盤はキング・レコードが出していたが、UK Recordsの解散によってその後は廃盤扱いとなる。2000年代になってテイチクがインペリアル・レコード名義で日本での再発権を獲得するも再発されたのはCDのみ。

このセカンド・アルバム、Sheet Musicを持っていなくて、いつか手に入れようとオリジナル盤の中古を探していたのだがコンディションが良くない割に結構な値付けされているので諦めていたところ、イギリスの再発専門レーベル、ノット・バッド・レコードがジョナサン・キングからの許諾を得て2014年に再発したので衝動的に買ってみた。

(赤丸に白抜きの宣伝文句が記載されているが、これがシュリンクの上に貼られたスティッカーではなくジャケに直接印刷されていて、ヒプノシスの渾身のデザインをぶち壊し)

(透けて見える黄色のカラー・レコードはジャケの色合いにマッチしていてNot Badかな?)

(OKの指サインがNot Badを意味している)

ジャケの仕様が完全にオリジナルに準拠していないのは残念だが、レコードは180グラム重量盤の黄色のカラー・レコードで針を下ろしても新品のレコードだけの特典とでも言えるビチパチ音が全くなくオイラは大満足。

社名通りノット・バッドなレコードだった。


まだまだ通過点

2025年01月27日 | BRITISH ROCK

そこそこの成功を収めた前年のコンセプト・アルバム、Eldoradoの作風を継承し更にポップになったのがELOの1975年の5枚目のスタジオ・アルバム、Face The Musicだ。

アルバムは全米8位、アルバムからカットされた2枚のシングル、Evel WomanとStrange Magicもそれぞれ10位と14位とアメリカでの大ブレーク寸前だった。

天邪鬼なオイラとしては、大成功前夜のまだまだ未完成な彼らではあるが何かヒントを掴んだこの頃が大好物。

大成功を一気に成し遂げてしまうと、レコード会社からの圧などもありどうしても次作の制作において冒険をする事なしに無難な方向へと妥協してしまう事が常である。

1977年のダブル・アルバム、Out Of The Blueで頂点を極め、その後のアルバム、DiscoveryやXanaduなんかは売れに売れたが、頂点を極めれば大体その後は下り坂、オイラとしては普通のポップ・アルバムって印象だった。

やっぱり成長過程のアルバムであったFace The Musicを聴いた後、次のアルバムでどんな新しい進化を見せてくれるのかって思うと当時ワクワク感で一杯だったね。


ノン・ストップ・ハードロック

2025年01月17日 | BRITISH ROCK

コレよ、コレ!

メタルなパープル、アトミック・ブルースのZep、そしてハードとくればThe Who!

本日は彼らの1970年のライブ・アルバム、Live At Leedsでも。

(1980年MCAレーベルから出た再発アメリカ盤であります。)

ロック・オペラ、トミーの後に出たからハードさが余計に際立って余は満足。当時のLPのサイドー1が4曲、裏面に2曲のたった6曲だけ収録と聴くまでは少々物足りなく感じたが、聴いてびっくり!これぞハード・ロックと思えたものだった。

後年、25周年記念としてCD2枚組がでて、CD 1には新たに曲が追加され13曲。またCD2にはトミーがライブで丸ごと収録の大盤振る舞い。ただロートルなオイラはオリジナル盤で迫力満点さを十二分に楽しめるって言うか、CD2枚を全曲ボリューム・マックスで聴く体力がない。

ピートのギターやロジャーのボーカルは勿論の事、トミーで少々抑え気味であったジョンの唸るベースとキースの乱れ打ちをこのアルバムで是非とも倒しんで頂きたい。


なかなか掴みどころの無い奴ら

2025年01月13日 | BRITISH ROCK

1967年、スティーブ・ウィンウッド、ジム・キャパルディ、クリス・ウッドとデイブ・メイスンの4名で結成されたバンド、トラフィック。スティーブの伸びやかなボーカルはもとより、当時の時代を象徴したポップでサイケデリックがかったバンド・メンバーによる自作曲も好評でそこそこヒットしていたが、2枚のオリジナル・アルバムを出してデイブ・メイスンがバンドから脱退。

その後スティーブもバンドから脱退しクラプトンやジンジャー・ベイカーらとスーパー・バンド、ブラインド・フェイス結成も、1枚のアルバムを出して会えなく解散。

スティーブは更にジンジャー・ベイカーの新たなバンド、ジンジャー・ベイカー・エア・フォースに暫し参加した後、トラフィックのメンバーだったジムとクリスのサポートを得てソロ・アルバムを制作する事に。

そしてJohn Barleycorn Must Dieと名付けられソロ・プロジェクトはトラフィック再結成のアルバムに昇格し、1970年に発売された。

(遅ればせながら2019年の再発LPを購入。70年代に聴いた頃にはピンと来なかったけれど、ようやく55年の時を経てオイラが追いついた。)

ジャズ系ジャム、トラッド・フォークにR&Bなど毛色の違った曲が配置され、当時のイギリスのボップやハード路線のロックとは方向性が違うしまたアメリカンナイズされたサウンドでもない。

一体トラフィックというバンドを一言でどう形容すればいいのか….

オイラとしてはシンプルに彼らをプログレ・バンドと呼ぶ。

当時のクリムゾンやイエスらは超絶演奏テクニックよるエッジの効いたサウンドが売りだったが、トラフィックの場合は何となくマッタリした感じの演奏で一発では刺さらない。

ただ何度も繰り返して聴いていくと、あら不思議!そのサウンドにどっぷり浸かってしまう不思議な作用が…