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CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

新生ザ・フー

2025年08月15日 | BRITISH ROCK

キース・ムーンの死去により、フェイセズのドラマーだったケニー・ジョーンズが加入し新生ザ・フーが誕生。

その彼らの1981年に完成したアルバムがFace Dances。個性的なドラミングのキースの後を受けての演奏となるとキースの演奏に寄せるのか、もしくはケニーのオリジナリティーを出していくのかと難しいところはあるが、その演奏を聴いてみると結構バンドの中に溶け込んでいてケニーの健闘ぶりが分かる。

完成したアルバムは全英・全米チャートでそれぞれ2位・4位を獲得し大ヒットした。

ただ肝心のピートがその頃ソロ・アルバム制作にも注力し始めてバンドの将来になんとなく一抹の不安が漂い始めた。

そこそこヒットしたピートのソロやロジャー更にジョンもソロも何作か出したものの、個人的な感想はそれぞれの個性は表現出来ていて悪くはなかったけれど何となくパワーが分散したみたいな感じで各自のソロ・アルバムを買うまでには至らず。

やっぱり彼ら4人がザ・フーとして活動することで初めて相乗のパワーが得られる。

それはさておき、このアルバムのジャケット、月夜の晩に踊り出すって雰囲気たっぷりで良い感じ。


ロリーの置き土産

2025年08月08日 | BRITISH ROCK

1976年、ロリー・ギャラガーはロジャー・グローバーをプロデューサーに迎え制作したソロ名義通算8作目のハード・ロック路線のアルバム、Calling Cardを発売。

その翌年にアルバム制作時のメンバーを従えてツアーに出かけ、その模様が良好な音質でレコーディングされた。

2020年になって突如その音源が正式に2枚組CDのライブ・アルバム、Check Shirt Wizard Live In ‘77として登場。

チェック柄のシャツを羽織ったギターの魔術師ロリー、ギンギンにギター弾きまくっていますな。

1995年、残念なことに47歳の若さで亡くなったロリーだったが、良い音質のライブ・アルバムが近年になって新たに発掘される事によって彼の素晴らしいギター演奏をまた味わえるのは嬉しい限り。


大ブレイクするまで後一息

2025年07月31日 | BRITISH ROCK

本日は英ロック・バンド、スウィートでも。

60年代末バンドを結成し活動をスタートさせたものの不発に終わる。70年代になってRCAレーベルと契約しヒット・メーカーのニッキー・チンとマイク・チャップマンとタッグを組み、彼らコンビによる当時バブルガム・サウンドと称されたアップ・テンポなポップ・サウンドを取り上げシングル・ヒットを飛ばし知名度を上げた。

そして、1974年にはチン・チャップによる曲を2曲収録するもその他の曲はほぼバンド・メンバーによる自作曲で固めよりヘビーさ増したセカンド・アルバム、Sweet Funny Adamsを出す。

英チャートで29位にランクされ、ようやくアルバム・アーティストとして認知されたものの、発売国のレーベルによって異なったイメージ戦略が採用され収録曲が統一されるのはまだ少し時間がかかることに...

本作は彼らの大ヒット・シングル、Fox On The Run(全米5位/全英2位)を収録した次作アルバム、Desolation Boulevard(全米25位)が出る前夜的な色合いを持ったアルバムと言える。


クソ暑い日々が続く中、Let’s Stick Together

2025年07月29日 | BRITISH ROCK

本日は1976年のブライアン・フェリーのソロ3作目のLet’s Stick Togetherでも。

ロキシー・ミュージックは1975年5枚目のアルバム、Sirenを出した後活動を停止、ブライアンはその翌年ロキシー時代の曲とエバリー・ブラザーズやレノン・マッカートニーなど他のアーティストの作品のカバーをしたソロ・アルバムを出す。

ロキシーのサウンドと違ってそれほど暗い印象は感じられずまた肩の力が抜け結構サラッとした仕上がりで、これならLet’s Stick Togetherって歌っても暑さは感じられずサクサク聴けるね。


君のテレフォン・ナンバー、5.7.0.5.

2025年07月26日 | BRITISH ROCK

Gooのサイトで当ブログを開設してから今日で3829日となる。

このサイトも9月末で終了ってことで多数の人が既に別のブログに引っ越ししているのか以前と比べるとなんとなく少々閑散とした雰囲気が漂う今日この頃。なんとか最終月である9月まではシコシコと頑張りたいと思っている。

本日は英ロック・バンド、City Boyの1978年の4枚目のアルバム、5.7.0.5.でも。

ポップなサウンドに若干プログレ色のついた複雑な演奏にバッチリ決まったコーラスは10cc、サッド・カフェやセイラーなど英バンドお得意な捻くれ系サウンドと言える。

万人ウケはしないこの手のサウンドに何故かオイラは惹かれる。

因みにこのアルバルに限ってはシングル・カットされた曲、5.7.0.5.がイギリスで5位、アメリカでも27位にチャート・イン。5.7.0.5.かけたのに誰も出ない。誰も出ないっておかしいんじゃない?てな内容のよくある身近な話をポップに歌ったのがヒットした。

これをスプリング・ボードにして次作でブレークするかと思いきやチャート・インせず不発に終わり淡い期待は消滅。その後2枚のアルバムを出して1982年に解散となる。

デビュー時から結構才能あるバンドに感じていたが、俺たちの感性に付いて来れるかな?ってちょっと一方通行的な作風だったのが災いしたのかな… 

天邪鬼なオイラにはかえって魅力的に感じるんだけれど。


レインボーのデビューで思う

2025年07月24日 | BRITISH ROCK

久々に1975年発売のレインボーのデビュー・アルバム、Ritchie Blackmore’s Rainbowを聴いてみる。

第3期のパープルになって自身のやりたい事がバンドの方向性と異なって来たことから悶々とした時を過ごしていたリッチー。

てな事でソロ・プロジェクトを立ち上げることに。確か当時パープルの前座バンドだったエルフのメンバーらとシングルの制作を制作、その出来が思ったより良かったのでパープルを脱退し新規のバンドを設立。リッチーの世界観らしいハードでメロディアスなサウンドでアルバムが完成。デビュー・アルバムとしてはとしては上出来のチャート全英11位と全米30位の成績を収めることに。

それよりもリッチーが抜けてトミー・ボーリンが加入した第4期パープル。アルバムのセールスは落ちたものの個人的には中々良いアルバム作ったのではないかと…

その後解散することなくリッチー時代のパープルの幻影など捨てて例えばジャズ・ロックなんかを取り入れもっと尖った芸風で活動を続けたら凄いアルバム出来たと個人的には思うけど。

 


置いては行けないもの全てがここに

2025年06月12日 | BRITISH ROCK

21世紀になり90年代の実験的テクノ・ポップ三部作とは別れを告げたU2。

新たな方向性を求めてイーノとダニエル・ラノワを再びプロデューサーに起用しアルバムをレコーディング。

2000年に完成したアルバムがAll That You Can’t Leave Behind。

原点回帰とも言えるバンド・サウンドに空間をうまく使い浮遊感を感じさせるアプローチはU2サウンドの王道。前作や前々作で求めていたU2とは違う思っていたファンは本作に飛びつきマルチ・ミリオンセラーを達成し、全世界でも通算で1000万枚を超えるセールを達成。

ZooropaとPopにイマイチ馴染めなかったオイラも恥ずかしながら同じく飛びついた。

やっぱり奇を衒うことなく、シンプルにやることが一番。

それから、ブライアン RIP

最近こんなのばっかし。

 


解散コンサートかと思いきや

2025年06月11日 | BRITISH ROCK

本日は昨年急遽発売されたフーのCD2枚組のライブ・アルバム、Live At Shea Stadiumでも。

1982年にアルバム、It’s Hardが発売されその後解散ツアーが企画され、そのツアーにおけるニューヨークのシェア・スタジアムで演奏をレコーディングしたもので、映像化されたものは一足早く2015年にDVDで発売された。これ以外にも同時期のツアーのライブを収録した1984年に出たWho’s Lastなんかもあるが、今回のCDは収録曲が異なっているのでついポチってみた。

内容はいつものフーでエネルギッシュな演奏が味わえるが、注目点はキース・ムーンの急死を受け代わりに加入した元フェイセズのドラマーだったケニー・ジョーンズの演奏かな。

キースのドラミングが手数の多い圧倒的な個性を出していたので、過去のバンドのイメージを保つのに苦心したと思われるがケニーのドラミングも結構イケてるね。

因みにこの後フーは一旦解散するのでではがあるが、その後事あるごとに何度も復活していて、まさに不死身のハード・ロッカー!


モットのライブ、もっともっと

2025年05月31日 | BRITISH ROCK

1974年、アイランド・レーベルからコロンビア・レーベルに移籍し3枚目のアルバム、Hoopleを出したモット・ザ・フープル。

その後加わったばかりのリード・ギターの元スプーキー・トゥースのメンバーだったアリエル・ベンダー(ルーサー・グロヴナー)がバンドから脱退し、代わりにミック・ロンソンが加入しレコーディングをスタートさせた。

レーベルは当時ライブ・アルバムの発売を企画していたのだが、ライブ・アルバムが発売される頃にバンドのリーダー格のイアン・ハンターとミックが急遽脱退する事になり、バンドは空中分解することに。

本日は1974年11月に出たイアン・ハンター在籍時代の最終アルバムとなったLP1枚の編集されたライブ盤、Mott The Hoople Liveでも。

このアルバムのサイド−1はNYのブロードウェイの小ぶりな劇場で録音された5曲、サイド−2はイギリスのハマースミス・オデオンでのライブでメドレーを含む3曲の計8曲が収録された。中々ガッツ溢れたパワフルな演奏で非常に楽しめたのだが当時は8曲じゃ少々物足りないとも感じた。

そして2004年、何と発売30週年を記念しCD2枚組の増補改訂版が登場し、ホルストのジュピターを使ったそれぞれの会場でのオープニング2曲を含めると15曲が新たに追加され聴きごたえ抜群となった。

確かにイアン・ハンター中心のバンドとは言えるけれど、リズム・セクションはパワフルでアリエル・ベンダーのリード・ギターもかっこいいし、モーガン・フィッシャーのピアノいい感じ。

このメンバーで新しいアルバム聴いてみたかったな。


サン・バースト時代のホワイトスネイク

2025年05月25日 | BRITISH ROCK

ディープ・パープルが1975年のCome Taste The Band発売後に解散。ボーカルだったデイヴィッド・カヴァディールは2枚のソロ・アルバムを出すも当時のミュージック・シーンでは爪痕を残す事ができなかった。

そして1978年、彼は自身のバンド、ホワイトスネイクを結成しバンドとしての活動を再開。

1980年のホワイトスネイク3枚目のスタジオ・アルバム、Ready An’ Willingが出た。

バンド・メンバーにはホワイトスネイク結成時からのパープルのジョン・ロード、更にこのアルバムからイアン・ペイスも加入しプロデューサーにはパープルの第3期のアルバムを担当したマーチン・バーチが…

てな事でパープル・ファンとしては期待が高まり、アルバムは全英チャート6位を獲得し注目を集める。

R&B路線よりのアルバムでそれほどヘビーに仕上がっていなくて割とあっさりとした感じで構える事なく楽しめる作品。

80年代の中頃、彼らはゲフィン・レーベルに移籍しアメリカ・マーケットにターゲットを定め大ブレイクを果たすが、オイラとしてはマイナー・レーベル時代のホワイトスネイクの方が何故かしっくり来るんだけれど…


To Whom It May Concern

2025年05月15日 | BRITISH ROCK

英文のビジネス・レターを書く際担当者の名前がわからない時は普通 To Whom It May Concern、即ち関係者各位と書いていく場合が多い。

同じ文言をアルバム・タイトルに使ったのが1967年にイギリスでメジャーでデビューしたビー・ジーズの1972年の8枚目のアルバムだった。

(ダブル・ジャケットを広げると、ビー・ジーズの面々がポップ・アップするギミックが仕込まれている)

因みに日本盤のLPには “ラン・トゥ・ミー/ビージーズの新しい世界” と改題されている。レコード会社の販促担当者もTo Whom It May Concernのアルバム・タイトルではイマイチと考えたのだろうか? ただこの盤一聴してみるとビー・ジーズの特徴であるスローからミディアム・テンポのメロディアスな曲に3兄弟のハーモニーとストリングスが加わる従来と変わりない彼ららしい作品で、新しい世界とはちょっと言い難く感じる。

少々煮詰まって来たかなと言う状況で、シングル・カットされたRun To Meを始めAliveなど聴きどころは多く、アメリカではチャート35位にランクされソコソコヒットした。

後にメンバーが語った事によると、当時彼らはどの層に向かって彼らのミュージックを発信してるのかイマイチ確信できず、俺たちのミュージックを聴いてくれる方々へって感じでTo Whom It May Concernと題したそうな。

この後全米チャート100位以内には入らなかったものの、試行錯誤でアルバムを2作制作し1974年に出たその2枚目の1974年のアルバム、Mr. NaturalではプロデューサーにAdif Mardinを起用し当時流行り始めたR&B、ソウルやディスコの風味を効かし方向転換を試みた。

そしてその翌年にその進化系のアルバム、Main Courseが出た。彼らの新しい方向性と大衆リスナーの好みがようやく合致し久々に大ヒットを記録し再び表舞台へと返り咲いた。

もうTo Whom It May Concernなんて不要の快進撃が始まることに。


メタル・ロック、ここに誕生!

2025年05月10日 | BRITISH ROCK

70年代初め頃にバンドを結成し経済的な問題も含めて不遇だった下積み時代を経てようやく1974年にブラック・サバスのプロデューサーであったロジャー・ベインのプロデュースにより弱小レーベル、ガルからRocka Rollaでアルバム・デビュー。

ただメンバーの思い描いたサウンドと異なったミックスで処理された事と弱小レーベルからデビューゆえお金をかけたプロモーションもままならず残念ながら不発に終わった。

新規一転、1976年に意欲作のセカンド・アルバム、Sad Wings Of Destinyを出した。

本作は評論家筋からも好評価を得られたものの残念ながらこれまた売り上げにはつながらなかった。ただ新しい何かを感じさせた事から大手のコロンビア・レーベルの目に留まり契約を交わす事になり、後にメタル界での第一人者しての一翼を担う活躍は周知の通り。

このアルバム一聴すると何となくサバス、パープル、Zepやクィーンなどの影響とかプログレの雰囲気も感じられ無い事もないが、基本的には彼らのメタル・サウンドの様式美がここに誕生したと言える作品だと思う。

うなぎの寝床のような細長くタィニーな集合住宅の我が家であるから、スピーカーからの爆音での再生はNG。

ヘッドフォンを装着しての高出力再生がおすすめ、但し歳も歳だからヘッド・バンギングは控えめに。


70年代末頃期のポップ・バンド

2025年05月06日 | BRITISH ROCK

本日はアイルランド出身のポップ・バンド、ブームタウン・ラッツでも。

ボブ・ゲルドフが中心となって1975年のバンドが結成され、デビュー・アルバムは1977年、更に翌年のセカンド・アルバムは全英8位と一気にブレイクを果たす。

そして1979年の3作目のアルバム、The Fine Art Of Surfacingも全英7位とヒット、またシングル・カットされたI Don`t Like Mondayは全英1位に輝く大躍進。

バンドは成功の方程式を道を掴みかけたものの、ボブ・ゲルドフが自身のバンド活動だけでは飽きたりず映画出演だったりバンド・エイドやライブ・エイドなど世界的規模のコンサートを企画したりとマルチな活動を展開したことによってバンド活動が疎かになり、結局バンドは解散。

ところで現在大阪で関西万博が開催されていて、確かテーマは”いのち輝く未来社会のデザイン”、更に1970年の大阪万博では”人類の進歩と調和”だったっけ。

大ヒットしたブームタウン・ラッツが残したヒット曲、I Don`t Like Mondayは当時のアメリカのユルユルの銃規制に警鐘を鳴らした作品であるが、それから人類は進歩したはずなのに45年程経った今でも相変わらず.....

むむ~


聴かず嫌いはおやめ下さい

2025年05月02日 | BRITISH ROCK

60年代、ブリティシュ・インヴェイジョンの一員としてアメリカ・マーケットに進出し成功を収めたのに、何でヘンテコリンな方向に作風が変化したのか…

デビューから数年、ビート・バンドとして英米で大成功を収めたキンクスではあったが突如別バンドにに変身したかの如く作風が変わった。そんなこんなで、彼らが練りにねって制作したアルバムを出しても特にアメリカでの反応がイマイチで、またツアーに出ても受けない辛い時期が継続した。

そして時は1970年、彼らの9作目のスタジオ・アルバム、Lola Vs Powerman And The Moneygoround, Part 1とこれまたアルバム・タイトルからしてバンド・リーダーのレイ・デイヴィスの捻くれ度を十二分に感じさせる作品が出た。

これが意外や以外、きらりと光る何かがあったのかアルバムはアメリカで35位にチャート・インされシングル・カットされたLolaも全米9位・全英45位と息を吹き返した。

ただ、レコード会社のパイ・レーベルはそれまでのセールスがイマイチだったので、サントラ盤を契約上の最終アルバムとして出し契約を延長をしなかった。そして彼らはこの後大手レーベルのRCAと契約を交わし意欲的なアルバムを制作していくことに。ところがまたまた例の悪い癖が出たのか、あまり売れそうにないコンセプト・アルバムを出していくことに。

低迷期の中久々にヒットしたこの作品、ヘンテコなアルバム・タイトルやジャケ・デザインを除けばイケてるアルバムだと思う。

興味のある方は是非ご一聴!


ポップなスーパートランプ

2025年04月28日 | BRITISH ROCK

本日はイギリス出身のプログレ・バンド、スーパートランプの7枚目のスタジオ・アルバム、Famous Last Wordsでも。

1979年の大ヒット・アルバム、Breakfast In Americaの次作にあたり、1980年のライブ・アルバムを挟んで1982年にようやく発売された。前作の作風を踏襲しポップな好アルバムに仕上がり楽しめたものの、前作が余りに売れ過ぎてちょっと影が薄く感じられたかな?

因みにスーパートランプはバンドの2枚看板でもあるバンド創設者のリック・デイビスとギター担当のロジャー・ホジソンの両者がそれそれの作品をバンドに提供し、作風としてはリックがプログレ系、ロジャーがポップ志向の強い作風だった。

ただ前作でシングル・カットされ大ヒットしたポップな作品、The Logical Song、Breakfast In AmericaやTake The Long Way Homeなどがすべてロジャーの作品だった事からロジャーにそれまで以上により注目が集まりバンド内でのパワー・バランスが崩れた。

よって本作の制作過程においてバンド内がギクシャクしたのか、発売までに時間がより多くかかったのと、音楽の方向性が異なる事からバンドは解散せずに結局ロジャー一人が本作をもってバンドから脱退することに。

ところで、1992年にイエスがニュー・アルバム、Talkを制作する少し前、トレバー・ラビンがロジャー・ホジソンとコラボ・アルバムの制作をしていたと言う話を伝え聞いた。

もしロジャーがジョン・アンダーソンの代わりに新生イエスに加入していたならよりイエス史上最大のポップな作品が産まれていたかも知れない。