CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

リッチーはご機嫌ななめ ?

2015年03月13日 | DEEP PURPLE-RAINBOW関連

えっ! 今日もパープルネタ? 

すいません。昨日の続きって感じでお願いします。

STORMBINGER、訳せば“嵐を呼ぶ男”ってなり、カッコイイ男が巻き起こす嵐のようなストーリーなの?

早速歌詞を見ると、何々、

どこからともなくやって来た
激しく雨を降らせ
再びSTORMBINGERは雷鳴で踊り
漆黒の雲を集め
陽の光を遮る
逃げても無駄
だってお前のところにやって来るのさ

なんと! STORMBINGERってオカルト超人のこと? 

第3期パープルの2枚目のレコードで、内容は、前作のバーンでの全面に飛び出してくるようなリッチーの印象的なソロギターはそれほど聴かれず、前作と変わらないファンキー路線継続という感じです。そのため、リッチーはやる気を出していないような?

2期のオリジナルの曲は、すべてのメンバーの名前がクレジットされ、誰が作詞で誰が作曲ときっちり分けられているのではなく、各メンバーが色々アイデアを出し合って共同で曲を作りあげる形だったと推測します。しかし今回リッチーが全く関わっていない曲が2曲あり、ご機嫌ななめのリッチーはそれらの曲作りにおいてアイデアを出すのを拒否し、将来の自身のプロジェクトに備えようと考えていたのでは? まあ、そちらはそちらで好きなようにやっていいから、こちらも好きなようにやらしてもらうって感じでしょうか。

二人のリードボーカルも非常に上手く、すべての曲によくフィットしているし、SOLDIER OF FORTUNEのような良く出来たスローバラッドもあり、バラエティーに富んでいて決して悪い出来のアルバムではありません。惜しむべきは、バーンのようなパープルの看板となるキラーチューンが無かった事でしょう。前作が全米9位だったの対して本作は20位と、当時のリスナーも本作の出来を敏感に感じ取っていたのでしょう。

ジョン:リッチー、いくらご機嫌斜めだからって、手抜きの演奏はいけないよ。

リッチー:そんなことは一切無いさ。手抜きなら、親指一本でHOLD ON 弾けないって!


35周年のCD盤、全体的に青みがかっています。

リッチーにファンキーは似合わない ?

2015年03月12日 | DEEP PURPLE-RAINBOW関連

久しぶりに登場の近所のレコード屋の店主が、“今月いい新譜が出たよ~ ちょっとさわりだけ聞いてみる?”と聞かせてくれたのが、新生ディープ・パープルのバーンでした。

一回試聴すると、レコードの場合、厳密に言えば中古になるので、普通は買ってから、傷があるかどうか調べるために試聴するのが一般的でした。今回店主が一押しのアルバムでどうしても私に買わせたいという思いで特別に試聴させてくれたようでした。バーンのイントロを聞かされてかなり心が動いたのですが、その時の予算はLPを一枚を買えるだけしか持っていなく、既に購入するレコードを決めていたので、スキップとなりました。その時、何を買ったのか記憶はありません。

新メンバー、デビッド・カバーディールとグレン・ヒューズのダブルボーカルと彼らが持ち込んだファンキーかつソウルフルな音楽性が、ディープ・パープルを新しい方向へと導きました。しかしこれだけの作品が出来上がった最大の原因は、やはり前作とは違いリッチーのやる気が俄然出てきたことにあるのでしょう。イントロの1小節目でエンジンの一発点火、そしてすぐにエンジン全開しトップギアに一気に昇りつめる迫力を持ったアルバムはあまり見当たらないでしょう。当時リッチーはポール・ロジャースを後任のボーカルにしたかったみたいですが、ポールがバーンを歌うイメージは私にはありません。短命な3期のラインアップでしたが、これはこれで大成功したのではないでしょうか。そのほかの曲も粒ぞろいで、最初から最後まで一気に聴けること間違いはありません。

それ以外の注目ポイントは最後の曲のA-200と言うインストナンバーです。ボレロのリズムに乗って、ジョンロードのシンセがELPの演奏みたいに絡んでくるのですが、ここではリッチーが、ほかの曲で弾くソロのように全面に飛び出してくるような感じではなく目立たなく弾いていて、彼の音楽の嗜好がよく出ている作品ではないかと思います。言い換えれば、A-200を入れることで、リッチーなりに新生ディープ・パープルの方向性に少しブレーキをかけていたのではと思えてなりませんでした。

それから月日が経ち、30周年記念のCDが発売され、それに収められているボーナストラックにCORONARIAS REDIGというシングルB面の曲を発見!
なんとレインボーのフレーズが出てくるではありませんか?

3期新生パープル誕生と思いきや、既にレインボーがの卵が産まれており、やはり次のアルバムで解散するという運命だったのです。

今日の一言、“やっぱりリッチーにファンキーは似合わない。”てことでした。

それから、A-200の曲名はSFがらみではなく、シラミ退治の薬からでした。なんといい加減なネーミング。


後日、

私:ディープパープルのバーン下さい。

店長:それだと、取り寄せになるよ。

私:えー、試聴したやつ売れちゃったの?

遠い昔の田舎の小さなレコード屋での会話でした。


30周年記念のCDのジャケット、ディープ・パープルというよりは、ピンキッシュ・パープル



HANDLE WITH CARE, 取扱い注意

2015年03月11日 | 考察シリーズ

私たち普通の日本人は、日常会話で英語を使うことはほとんどありません。
そのため、英語を音として聞いていることが多いと思います。
例えば、I DON’T KNOW YOUR NAMEが ’おいどんのよね~’ と鹿児島弁に聞こえたりなんて。
少し会話が出来る人であっても、大抵の場合すぐに反応できず、英語を頭の中で一旦日本語に翻訳して理解するというプロセスを踏まなければなりません。

ロックの歌詞はなんでもありの厄介なもので、危険な言葉が歌詞の中に刻まれていることが多く、現状では私たちがその曲を聴いても、漠然と ’ああそうゆう意味だな’ 程度の認識となります。しかしながら、英米人であれば、当然そのような場合ダイレクトに反応します。

その昔、仕事でアメリカ人を車に乗せて走っていて、いろんなロックの曲が入ったカセットをかけていたところ、数曲目にスコットランド出身のロックバンド、ナザレスのHAIR OF DOGが入っていました。ご機嫌なロックサウンドなのですが、歌詞がひどい。そのアメリカ人が飛び上がって、’ゲゲー、お前いつもこんなの聴いているの!’ とびっくりしてしまいました。

1番の歌詞のコーラス・パートでNOW YOU’RE MESSIN’ WITH SON OF A BITCH(おまえはクソ野郎にちょっかいを出している)を4回繰り返し、2番の歌詞には 、その4回繰り返されるコーラス・パートが間奏を挟んで計6回出てきます。すなわち、一曲の中に都合28回のSON OF A BITCH登場となるのです。外国人が私たちの前で ’このクソ野郎’ と日本語で連呼したようなもので、 彼が飛び上がるのも無理はないでしょう。

仕事上でHAIR OF DOGの登場は流石にまずく、大失敗でした。

ちなみに、ストーンズの山羊の頭のスープにも、STAR STARという曲があってコーラス・パートでSTAR-FUCKERのオン・パレードとなっています。真昼間からFUCKERの連呼もやはりまずいでしょう。

カーペンターズが決して歌わないこれらの曲は、一人で聴くか、もしくはアメリカ映画に出てくるような、ビリヤードのあるバーで気のおけない仲間とビールをしこたま飲んでヨッパラッテいるような状態で聴くなど、シチュエーションは非常に限られてきます。

皆様もこのような危険な曲の取り扱いにはくれぐれも御注意下さい。
車でお客さんを乗せるときは、ラジオが一番安全です。

しかしながら、出来ることなら、これらの曲を英米人と一緒に聴いていただき、どのような反応があるのか報告していただければありがたく思います。

それから日本人の同乗者、特に女性がいる場合は、車の中ではジョン・レノン/ヨーコ・オノ作のダブル・ファンタジーにあるKISS KISS KISS(ヨーコ・オノ作)はかけないほうが無難です。
この曲の場合、一人で聴いていても、落ち着きを無くしてしまいます。まあ興味のある方は、こちらもお試しを。

友人:で、結局そのアメリカ人とはどうなったの?

私:顔見知りだったのと、ジュークのわかる人だったのでセーフ。
しかし、初対面で堅物の人だったら、商談に影響はあったかも。

友人:そんな時は、月亭可朝の ’嘆きのボイン’ の方がいいんじゃない。フラメンコの曲と勘違いしてくれるかも。

私:古っる~


HAIR OF DOG、代わりにラブハーツ録音しときゃよかった。


5曲目、STAR STAR, 準メンバーのイアン・スチュワートのピアノ演奏いいですね。


レノン待望の復活アルバム、1曲目のスターティング・オーバーの余韻に感慨深く浸っていたところ、2曲目に問題のこれが登場。ガクッ。

成功へのチーム誕生

2015年03月10日 | ELTON JOHN

スティーブ:エルトンやったな!ホンキー・シャトー全米1位だぜ!

エルトン:だけど、これだけ売れてもなんか実入りが少ないような気がするんだ。

スティーブ:音楽出版社なんてどこもそうだよ。一旦売れるとガバッと彼らの懐に入るような契約になっているんだ。

バーニー:その時は売れるなんて思ってもみなかったし、契約書もよく見てなかったからな~

スティーブ:奴らビートルズの版権(NORTHERN SONGS)売っちまったからな~ 契約が切れるまではドル箱のエルトンで稼げるだけ稼ぐつもりじゃないかな? それなら、自分のレコード会社作ったらいいんじゃない。

ガス:それに一口乗った。

スティーブ:じゃー準備にかかろう。

一同:オー

てな会話が1972年頃にあったかどうか知りませんが、1973年にロケット・レコード・カンパニーが設立され、エルトンも音楽事務所(ディックジェームス)と契約の切れた1976年に加入します。

セルフタイトル、エルトン・ジョンの成功は、盟友バーニーの存在だけではなく、制作チームの頑張りが大きく貢献したと思います。1枚目のEMPTY SKYは商業的には成功しませんでしたが、エルトンはその後ほとんど回り道をせずに2枚目のアルバムで大成功を手に入れました。

そのきっかけは、ジャケット裏のポートレイトで右端に控えめに写っているスティーブ・ブラウンの客観的な判断だったと思います。当時、何でミュージシャンでもないのにここに写っていたのか不思議に思っていました。

当初彼は、EMIのA&R(ARITIST & REPERTOIRE)部門で働き、エルトンの作る音楽を非常に気に入り、エルトンの所属していた音楽事務所(ディック・ジェームス)にエルトンをデビューさせるように働きかけ、また自身もその音楽事務所で働くことになり、自身と知り合いのミュージシャンと共同でエルトンの数枚のシングルや1枚目のLPであるEMPTY SKYを制作しました。

しかし次のアルバムに収録されることになる TAKE ME TO THE PILOTをレコーディングしている最中に、エルトンを成功させるには、自分では力不足と判断し、“プロ”のプロデューサーに任せることが必要と考え適任者を探すことにしたのです。ポール・バックマスターと会った時に、デビッド・ボウイーのスペース・オデッティを手がけたガス・ダッジョンを紹介されました。(彼自身もまたストリングスのアレンジ担当でそのアルバムに参加していました。) 2枚目の制作を彼らに任せることにより、自身は裏方としてエルトンの活動全般のコーディネーターの仕事を担当することになりました。

そしてガス主導により、2枚目のアルバム制作が本格的に開始されます。ポールのストリングス、コーラスグループと有能なセッションミュージシャンなどの導入により、演奏が引き締まりさらに重厚な仕上がりとなりました。このことはリマスターCDデラックスエディションのボーナストラックである、ピアノデモと聴き比べるとよく判ると思います。(ピアノデモの音源はラフですが、聞き応えはあります。)

また楽曲もアメリカのリスナーをターゲットに、英国的なイメージを残す曲の中に、ゴスペル系のBORDER SONG、ダイナミックなロックのTAKE ME TO THE PILOT、そしてアメリカ人が好む甘く感動的なメロディーラインを持つ YOUR SONGを配置しました。それによって 、アルバムのヒットは確約されたようなものでした。(全米4位になる)

もちろんスティーブのサイドも抜かりなく、あのTHREE DOG NIGHTにLADY SAMANTHAやYOUR SONGを先行カバーしてもらうことに成功しています。さらに、そのフォローとしてアメリカでライブ活動を行うためナイジェル・オルソン(DRUM)とディー・マレー(BASE)を含んだ3人組のバンドを結成させます。

英語の歌であれば、アメリカのマーケットでの成功が最重要となります。
アメリカでのゴールドディスク/プラチナディスクは50万枚/100万枚ですが、イギリスのそれは10万枚 /30万枚と市場規模が違うことがよくわかると思います。最初からアメリカをターゲットにした制作チームの狙いは当然頷けるものです。

このアルバムは、エルトンを成功に導くチームが結成された記念すべき作品となりました。

私:ところで師匠、NORTHERN SONGSってディック・ジェームスが持っていたんですか?

師匠:ブライアン・エプスタイン、ディック・ジェームスそしてジョンとポールが設立メンバーでレノンーマッカートニーの曲を管理するための会社だよ。おまけでジョージやリンゴの曲も管理することになっていたんだよ。当時ジョージやリンゴは曲を作っていなかったから問題はなかったんだけど。

私:だからその後ジョージは、ONLY NORTHERN SONGSで、いくら曲を書いて売れても、株主でない俺は儲けがなく、NORTHERN SONGSだけが儲かると皮肉っているんですね。

師匠:ブライアンが死んだ後、ディック・ジェームスは英国のATVに株を売っぱらたのさ。ジョンとポールは裁判を起こしたけど敗訴。そうこうしているうちに、版権の価格が上がり簡単に取り戻せなくなり、大金持ちだったマイケル・ジャクソンがそれを買うことになったのだよ。彼の死後は、SONY/ATVが版権を持っているよ。

私:もしディック・ジェームスが版権を売らずにいたら、すごい大金持ちになっていたでしょうね。

師匠:もしそうだとしても、かなり昔に亡くなっているから、それを実感した期間はそれ程長くはなかったと思うよ。


右端に控えめに写っているスティーブ・ブラウン

羊って何処に出てくるのですか? 

2015年03月09日 | BEATLES-BADFINGER関連

ポールマッカートニーソロアルバム第二作RAMの紹介です。

RAMを辞書で調べてみると去勢されていない雄の羊と書かれています。なんでも、雄が成長すると、肉に特有の匂いが付くため去勢してマーケットに出荷しなければ売り物にならないとのことです。ちなみに、LAMBは同じカタカナでも子羊の肉を意味します。

ラム・オンという曲がこのアルバムにあるので、ジャケットの写真の羊と何か繋がりがあるかというと、そうでもないようで、RAM ONとい言葉はこの曲では動詞として使われていて、押しつぶすというような意味になります。工業関係に詳しい方ならご存知と思いますが、油圧駆動の圧搾機にシリンダー・ラムという部品があります。つまり、ジャケット以外には羊は全く出てこない趣向と思われます。

メロディーメーカーとしての才能はこのアルバムで十二分に発揮されていますが、歌詞となると色々物議を醸し出したものや、全く当事者以外には意味不明のものなどが含まれています。

TOO MANY PEOPLEとDEAR BOYはジョンを揶揄したようにも取れ、3 LEGSは3人の元ビートルズのメンバーを攻撃しているかのようにも取れます。それらの曲と意味不明な歌詞の曲、SMILE AWAYやMONKBERRY MOON DELIGHT(ドラッグのことを意味しているとも言われていますが)などをこのアルバムに収録したことを考えると、当時ポールは周囲に対して結構不満が溜まっていて、その鬱憤を晴らそうと試みたのではないかと想像します 。

それに敏感に反応したのがジョンで、彼のイマジンのアルバムにわざわざHOW DO YOU SLEEPという曲を作り、反歌としてポールを揶揄しています。また前述の羊の写真のジャケットのパロディーとしてご丁寧にも豚の耳を持った写真をアルバムに封入しました。

裏を返せば、ポールとジョンの関係というのは、お互いに対してこれだけの皮肉を言い合えるのは世界で俺たちだけだと思っているわけであり、 喧嘩しているようで実際はそうでもなく、お互いの実力をリスペクトし常に意識し合っているように見えます。

ジョン:つまらない曲作ったな~ お前ならもっとスゲーのが出来るはずなのに。全く期待外れだよ~

ポール:あんたが言うほど出来は悪くなかったよ。ちょっと溜まっていただけなのさ。

UNCLE ALBERTからの ADMIRAL MALSEYへのメロディーの転換の見事さ、 THE BACK SEAT OF MAY CARにおける畳み掛けるようなエンディングなど、ポールにしかできない曲作りであったので、個人的には、歌詞の方をもう少しモデラートにしていたら完璧だったと思うのですが。

ただ、RAM ON(ぶち壊せ)など攻撃的な歌詞で心の内を全て吐き出したことにより、その次の目標、つまりビートルズを超えるバンドを作ることに繋がったのであれば、 それもアリだったかなと思う今日この頃です。

RAM, そうジャケットの羊のことは忘れて、天才メロディーメーカーのポール楽しんでください。

尚、多分ご存知とは思いますが、デンマーク人ロッカーのTIM CHRISTENSENがPURE MACCARTNEYというアルバムを出しており、ライブでRAMの完コピをやってのけています。
CD+DVDというパッケージで売られていますが、これはCDで聴くよりDVDを見た方が楽しめるのではないでしょうか?
多分YOUTUBEで検索すれば、何曲かは見ることができるのではないかと思います。 こちらも是非機会があればご覧ください。


TIM CHRISTENSENのPURE MACCARTNEY

楽団名は楽団って? 

2015年03月08日 | Bob Dylan, Byrds, Band and etc.


キャピトル担当:今度新しく作るあなた方の楽団名教えてください。

ロビー:楽団。

キャピトル担当:あの~、 楽団名聞いているんですけど。

リック:だから楽団って言ってるでしょ。

キャピトル担当:真面目に答えてくださいよ~

リヴォン:楽団名が楽団ってこと。

キャピトル担当:何のことやら?

コントでボケと突っ込みのようなやり取りが実際にあったかどうか定かではありませんが。

簡単に経歴を述べると、アメリカ人のロック歌手ロニーホーキンスのバックバンド、ホークスとして活動を始め、1963年ローニーから独立し、1964年ボブ・ディランのバックに推薦され、ディランのエレクトリック・ロック・ツアーに帯同、そして1966年ボブの交通事故の後、休養中のディランと様々な曲のレコーディングを隠れ家(BIG PINK)で繰り返し、1968年に新しい名前、THE BANDでデビュー。

このアルバムは、初期4枚のスタジオ・アルバムのベストを集めたようなライブ盤で、1971年12月のニュー・イヤー・イブ公演で録音され翌年の夏に発売された、全米と6位となる彼らにとってヒット作となりました。

彼らの作品はルーツミュージックとR&Bがベースで、必ずしもシングルヒットするようなポップでメロディアスな曲や、これがニューロックだというような派手な曲はありません。THE BANDを知らない人が初めて彼らのアルバムを聴くと、なんと地味なという印象を受けるかもしれません。しかし何度も聴くことによって次第にこなされていき、曲が体に馴染んでいくって感じですね。

アルバムタイトルのROCK OF AGESとは、聖書の出てくる千歳の岩(神)という意味がありますが、ここでは岩の意味をROCKにかけて、熟成あるいは年代物のロックという意味でしょうか? また神ということでしょうか? ジャケット正面に黄金のブッダの写真を配置しています。

これはレコードアルバムのアートワークで有名なボブ・ケイトーが制作したもので(仏像の写真は息子のエリックによるもの)、ジャケットの色に濃い紫色を使いビンテージ感を出しています。ボブ・ケイトーはバンド以外にもディラン(GREATEST HITS)、ジョージ・ハリスン(33 1/3)など数多くの有名ミュージシャンのアートワークを手がけています。

2001年にディランと共演した3曲を含む全10曲のボーナス・トラックが含まれたリマスターCDが再発されたり、2013年ロビー主導でニューイヤーイヴコンサートの完全版を5枚組で出したりしましたが、やはりこのアルバムの正しい聴き方は、ボーナス・トラックは不要であり、オリジナル通りDON’T DO ITから HANG UP MY ROCK N ROLL SHOESまで通して聴くことだと思います。何度も聴き、すでに体に馴染んでいるため、曲順が違うと違和感を覚えてしまいます。

リックのベースのイントロから始まり、アラン・トゥーサン監修のホーセクションが炸裂するスタジオ・アルバムにはない迫力のライブ演奏ぜひ一度聴いてみてください。

一回でノックアウトされなくとも、数回聴けばきっと体に馴染むこと請け合いです。

リチャード:俺たちの楽団名理解できた?

キャピトル担当:あの~、楽団が楽団名ということですね?

ガース:そう俺たちはTHE BAND。

キャピトル担当:すいません。あの新米なもので、英語全然わかんないです。

メンバー全員:いいかげんしろ!


偽モノ? ラバーソウル偽モノ事件

2015年03月07日 | BEATLES-BADFINGER関連

偽モノじゃなく、それは偽物のモノ。

ビートルズのレコーディングにおけるモノラル・ミックスの制作はホワイトアルバムまで行われました。
通常ビートルズ立会いのもと、モノにミックスダウンされた後、続けてステレオ・ミックスが行われたようなのですが、その作業にはビートルズはいなかったと言われています。あのサージャント・ペパーのアルバム制作時でさえステレオ・ミックスの作業には彼らは関与しなかったとも言われています。

つまり初期の頃は、モノ・ミックスの制作に重点を置いていました。例えば2トラックの録音をステレオ・ミックスで、一方が楽器で、片方がボーカルとなる場合、非常に聴き苦さを感じステレオ再生のメリットはあまり感じません。つまり、当時通常の2トラックや初期4トラックでの録音体制では、彼らの思い描くステレオでの再生を実現するのは困難だったのに違いありません。サージャント・ペパーのアルバム制作を4トラックと工夫した装置の併用だけで、あの様な複雑な楽曲をステレオ化したのはさぞ膨大な時間がかかった大変な作業だったと思います。ちなみに8トラックの録音装置は、1968年のホワイトアルバムセッション頃まで待たなければなりませんでした。

そのような状況で1965年にラバー・ソウルが制作され、後の2006年のラバー・ソウル偽モノ事件へと繋がっていきます。

英国でのラバー・ソウルのミックスダウン終了後、いつも通りビートルズの立会いなしに、プロデューサーのジョージ・マーチンとエンジニアによってステレオのミックスダウンが行われました。モノ・ミックスと同様にアメリカのキャピトルレコードにそのまま送られました。理由はわからないのですが、その際、ポール作曲のステレオミックスのI’M LOOKING THRUGH YOUの冒頭にあったとされる2回連続の失敗したギターのイントロが削除されずにテープに残っていました。さらにまたしても理由はわからないのですが、そのミックスのままキャピトル編集のステレオ盤ラバー・ソウルとして制作されてしまいました。

キャピトル編集のラバー・ソウルと言いますと、英盤のラバー・ソウルから、DRIVE MY CAR, NOWHERE MAN, WHAT GOES ON とIF I NEED SOMEONE が取り除かれ、英盤HELPから I’VE JUST SEEN A FACEとIT’S ONLY LOVEが新たに加えられました。ラバー・ソウルは今までの路線とは異なる新しいコンセプトのアルバムとして制作されたわけですが、米盤に関しては、HELPからの収録された2曲のために、ビートルズの意図するものとは全く違ったものが出来上がったといえるでしょう。

モノラル盤にはそのような間違いの箇所がもともと含まれていなかったことから、事件は2006年にキャピトルが出したTHE CAPITOL ALBUMS VOL.2いう復刻版のCDボックスセットで起こるのです。

ボックスセットのラバー・ソウルのCDには、アメリカ編集のステレオとモノの両バージョンが入っていました。そのボックスセットの購入者がモノバージョンのI’M LOOKING THRUGH YOUを再生すると、なんと冒頭に失敗したギターのイントロが2回聴こえたのです。

つまりその音源は、オリジナルのモノ・バージョンではなく、ステレオ・バージョンをモノにミックスした、偽物のモノ・バージョンだったのが発覚。キャピトルはすぐに間違いを認め正式なモノ・バージョンが入ったCDと交換しました。同梱されていた米盤BEATLES VIのCDにも同様の手違いがあったそうです。

私は、そのボックスセットを購入し一通り聴いたところ、モノの音源は問題がなかったのにステレオ音源のI’M LOOKING THRUGH YOUのイントロ部が音飛びしているように聴こえました。その時点ではCDの差し替えはすでに完了していおり、また1965年当時の事情も知らなかったため、すぐに欠陥のあるCDという理由でクレームを申し出ました。

そうしたところ、お前が持っているのが正しいバージョンだという回答が帰ってきたのです。 ビートルマニア失格。恥ずかしー

師匠:ビートルズ道とは奥の深いものじゃ。これからも精進し、道を極めるのじゃ。

私:ははーっ。

ところで、I’M LOOKING THRUGH YOUは当時ポールの恋人だったジェーン・アッシャーとの中がうまくいってなかった時期につくられた曲で、彼女に対して見た目は以前と変わらないけど、中身は全く変わってしまった。僕らの仲もこれでお終いだと愚痴めいて嘆く歌です。このメロディーからは想像できませんね。

ラバー・ソウル,出来れば英盤と米盤両方聴いてみて下さい。
ITUNE内にヘルプとラバー・ソウルがあれば、失敗したイントロを除いて、編集して聴く事ができます。曲順や数曲入れ替えることによって、全く違う印象に聴こえます。不思議ですね。


ラバーソウル、キャピトル編集


ラバーソウル、キャピトル編集曲目


ラバーソウル、英国編集曲目


問題のTHE CAPITOL ALBUMS VOL.2

ボンバー? それともボマー? 

2015年03月06日 | JAPANESE

BOMBERとは日本語で爆撃機、そして爆弾テロリストなんて怖い意味もありますが、カタカナで書くとどうしていつもボンバー。
英語の発音では、Bの音が消えてボマーとなります。同じような例として、CLIMBER(登山する人)はクライマーと書き、クライムバーとはなりません。
どうして、BOMBERという単語がボンバーと日本で使われるようになったのでしょうか?

60年代の終わり頃、ローラーゲームというテレビ番組がありよく見た記憶があります。オーバルのローラースケートリンクで、2チームが周回し相手のデイフェンス・ラインをかいくぐれば、ポイントになるというスピード感あふれるローラースケートとプロレスのようなデフェンスラインでの攻防が合わさったようなゲームでした。当初は、アメリカのチーム同士のゲームだけで、白のユニフォームのロサンジェルス・サンダーバードと黒のフォームのデトロイト・デビルス(プロレスでいうヒールの役)の対戦をよく見ました、その後日本のチームも加えるということで、東京ボンバーズなるチームが誕生しました。

そのため、個人的にはBOMBERはボンバーというその時の印象が強く残っています。後に、英語でこの単語を勉強した時、あれ!これって和製の発音だったのかと。

ちなみにドイツ語ではボンバーと発音すると聞いたことがあります。もしそうであれば、元ブンデスリーガー高原直泰が現地でスシ・ボンバーと呼ばれていたのは間違いではありません。もちろん、ドイツ語は勉強したことがないので、その真偽は定かではありませんが。

さてボンバーといえば、もうこの人しかないないですね。
1978年末発売の、山下達朗のスタジオ3枚目のアルバムGO AHEAD に入っているファンク調のノリノリの楽曲です。

山下達朗のことはそれまで知らなかったのですが、ちょうどその頃アメリカで留学していた先輩を訪ねた時、ある日本人留学生がレコードからダビングしたカセットテープ持ってたんですね。 その時聞いたのがこれとゴダイゴのモンキー・マジックだったのです。それらは、彼の地で英語の歌と一緒に聞いても違和感はありませんでした。もちろんモンキーマジックは全編英語なので違和感はないといえばそうなのですが。70年代始めのロックの日本語論争なんてどこに行ったのでしょうかねー 

中身の音だけではなくレコードのジャケットは全て英語表記で、名前もTATSU YAMASHITA だったので相当アメリカを意識して制作していたのだと思います。この時代にアカペラ、ロックバラード、ファンク、ディスコ、そしてスペクターサウンドなどアメリカンテイストをぶち込んだこのアルバムを日本人だけで作ってしまうなんて全くすごいの一言です。
もしかしてひそかにJ-ROCKのアメリカ進出を企てていたのでは? TATSU YAMASHITA、アメリカ本土をJ-ROCKで猛爆なんて感じで。

山下達朗のGO AHEAD、機会があればぜひ聴いてください。力作ですよー

ところで、日本人が好んで使うカナ表記のボンバーの本当の由来教えて~


ジャケ裏の英語表記。アルファベット見えますでしょうか?

2組のプロデューサーとBOB WELCH

2015年03月05日 | AMERICAN ROCK/POPS

元フリートウッド・マックのメンバーでロックバンド、パリスの設立者であったボブ・ウェルチのソロデビューアルバムです。

当初、パリス3としてアルバムを発表することになっていたようですが、パリスが空中分解し、ソロで出すことになりました。その辺りの詳しい事情はわかりませんが、新しいプロデューサーとの話合いによるものではないかと思います。

このアルバムのプロデューサーとして全く目立たなくCARTERとだけ記述されています。本名はジョン・カーターと言い、キャピトルレコードのA&R(ARITIST & REPERTOIRE)部門で働き、主に新人のスカウト, アーティストへの音楽性に関する助言、アーティストとレコード会社の間に立ち調整するコーディネーターなどがその仕事でした。キャピトルレコードでは、ボブ・シガー、スティーブ・ミラー、サミー・ヘイガー、モーテルズそしてボブ・ウェルチなどを担当していました。

実力は評価していたものの、パリスで思うような活躍が出来なかったボブ・ウェルチをなんとかソロでヒットが出せるようにプロデューサー役を引き受けたのではないかと思います。

彼は、ボブがキャピトルレコードと契約が切れるまでに出した計4枚のレコードの全てのプロデュースを引き受けました。同じようなコンセプトの次のアルバムTHREE HEARTSはなんとか成功しましたが、残念ながら続く2枚は、ヒットには至らなかったようです。時が移るごとに流行も次々と変化していくなかで、出すアルバムすべてをヒットさせることは並大抵でないことがわかります。

ジョン・カーターのキャピトルレコードおける最大の功績は、1984年のティナ・ターナーの再生でしょう。アイク&ターナー解散後、他のレーベルでソロになったものの、鳴かず飛ばず状態だった彼女をレコード会社の反対を押し切って契約し、PRIVATE DANCERというアルバムを出し、その中のWHAT’S LOVE GOT TO DO WITH IT(愛の魔力)が全米一の大ヒットとなったことはよく知られています。

そのジョン・カーターのプロデュースのもと、アルバムのサウンドはパリスの曲をもっとソフトにしさらにポップ感を出すことにより、以前より幅広いリスナーを対象に制作されたようです。一曲だけボブがジョン・カーターと共作したOUTSKIRTSという曲を見てもわかるように、当時ヒットしていたスティーブ・ミラーの曲の影響を受けたようなシンセ・サウンドが溢れるポップな曲に仕上がっています。

このアルバムの2組目のプロデューサーは、フリートウッド・マックのリンジー・バッキンガムとクリスティーン・マクヴィーです。
旧知の仲ということでSENTIMENTAL LADYのプロデュースを引き受けました。サウンドはボブが抜けた後の新生マックそのもので、アルバムの中では少し浮いた感じはしますが、話題作りと1枚目のシングルとして出されたこの曲の大ヒットなどがアルバムの人気をさらに押し上げたことは間違いありません。

アルバムは全米12位、そしてシングルカットされたSENTIMENTAL LADYは8位、EBONY EYEは14位と彼にとって最大のヒットとなりました。

ジョン・カーターとマックらの助けがなければ、これほどまでの成功は望めなかったのではないかと個人的に思います。

商業ベースで音楽をヒットさせるには、アーティストの力量だけでなくアルバム制作に携わるすべての人々の尽力、そして時代の流れ、それらすべてがプラスに噛み合わないと難しいことだとよくわかります。

つい最近までボブは音楽活動をしていたのですが、残念なことに難病にかかり、家族にこれ以上家族に看病させるのは忍びないということで、2012年自ら命を絶ったとのことです。RIP.


ソロ第二弾、THREE HEARTS

毎度お買い上げいただき有難うございました。TOTO

2015年03月04日 | AMERICAN ROCK/POPS

既に何を言わんとしているのか解っていらっしゃるのではないかと思いますが。

先月の旧正月の休暇で大量の中国人観光客が日本に大量に押し寄せ、MADE IN JAPANを爆買いし帰って行ったとニュースなどで報じられました。 

爆買いの目玉が温水シャワー付きの便座ということで、これには非常に納得が行きます。海外旅行をすると、それにお目にかかるのは非常にまれで、日本で毎日出ていたものが、海外に行くと急に出なくなるという事を経験された方は多いのではないかと思います。

私も同じで、この原因はやはりトイレにあると思います。冷たい便座の感触に飛び上がることもなく、温水で綺麗に洗うというその感覚を一度経験し、おまけに異臭までも吸い取ってくれるとなると、昔なら事が終われば一刻も早くその場から退散したいと誰しも思うのですが、今では念を入れるため、もう少しそこに留まっていてもいいのではないかとさえ思ってしまいます。

ヨーロッパでは普及していないと聞いていますが、その理由として、水が硬水であるため、ミネラルの結晶がノズルや装置の配管内に付着することがあるためと聞いたことがあります。ただ一番の問題は、洗浄に使われる水が、日本みたいに飲んでも大丈夫かどうかでしょう。日本の水道局クラスの浄水施設がないと、いくら装置がトイレについてあっても少し不安になります。
いま爆買いされている方、その辺りはどうなんでしょうかね?

と言う長い前振りの後、今回その親玉と同じ名前を持つTOTOのデビューアルバムを紹介します。

腕利きセッション・ミュージシャンからなる6人組のバンドで1978年のデビユー。セッション出身のため演奏技量は優れていて、ハード、プログレ、フュージョンなどバラエティーに富んだ曲作りとどんな演奏にも対応出来るのが強みです。

設立の中心メンバーはキーボードのデビット・ペイチ(彼の父親は、ジャズピアニストで有名なマーティー・ペイチ)とドラムのジェフ・ポーカロで、ベースのデヴィッド・ハンゲートを含めたメンバーでボズ・スキャッグスの1976年に出された大ヒットアルバムSILK DEGREESのセッションに参加していたことから、彼のライブのバックなども時々務めているようです。

幾度かのメンバーチェンジを経て、2008年一旦解散したのですが、ポーカロ兄弟次男であるベースのマイク・ポーカロ(1982年脱退したデヴィッド・ハンゲートの後任)の難病救済のため、再結成されライブで現在も世界各地を駆け回っています。最新のツアーには、なんと脱退したデヴィッド・ハンゲートが再加入し、マイクの代わりにベースを演奏するという、メンバー同士の個々の絆が強い長寿バンドです。

このアルバムのオススメはというと、大ヒットしたHOLD THE LINEと行きたいところですが、個人的にはGEORGY PORGYが一番です。

機会があれば一度、彼らのデビューアルバムTOTO を是非聴いてみてください。

彼らとしても、バンド名が、日本が世界に誇る衛生陶器メーカーと偶然にも同一だったことは、不本意だったかもしれませんが、日本でデビューするにあたってこれほどインパクトのあったバンド名はなかったのではないでしょうか?
少なくともこういった場合、普通、メーカーとしては商標登録している社名をバンド名に使用しないようクレームするはずですが、そういったことを聞かないのは、世界的な名声と実力が伴った優れたバンドだったからではないでしょうか?

8トラがなんでジョージ・ハリスンに?

2015年03月03日 | BEATLES-BADFINGER関連

昨日のジャクソンブラウンでTHE LOAD-OUTという曲を紹介しましたが、その歌詞をじっくり読んでみると、WE GOT DISCO IN EIGHT TRACKS AND CASSET IN STEREOという行があります。

このEIGHT TRACKS AND CASETTEとは一体何かご存知でしょうか? そうです、8トラのプレイヤーとカセットの事です。8トラックとはステレオトラック(2トラック)が一本のテープに4つあることです(4チャンネル)。現在のカセットテープの再生装置が小型化されるまでは、8トラのシステムがカーステレオに採用されました。

ただし巻き戻しも早送りもできないので、チャンネルを他に切り替えても、曲の途中である同じテープのポジションから再生されるため、一旦そのチャンネル全てを聴き終える必要がある不便なものでした。しかしながら、雑音のないステレオサウンドがあの狭い車の中に轟くことは当時としては画期的な事でした。

我が家にも70年代の初めに車を買い替えた時、8トラのカーステレオが付いてきて、車の中で音楽を楽しむことができました。その当時はロックの8トラカセットは小さなレコードショップでは見かけず、とりあえず歌謡曲とマカロニ・ウエスタンのテーマソングのカセットが購入されました。エンリオ・モリコーネの荒野の用心棒などを走る車の中での再生すると、なかなか軽快で楽しかった記憶があります。

70年中から後半になると普通のカセットで早送りや巻き戻しまたは頭出しができる新しいカーステレオが出てきたので、カーステ用の8トラカセットはほとんどマーケットから駆逐され、バーのカラオケ専用になっていきました。

前振りが長くなりましたが、この話とジョージが何の関係があるのか? それは単なる駄洒落で、8トラ→エイトラ→エキイトラ→エキストラ→エキストラ・テクスチャー、バンザイとなります。

ビートルズ解散後のジョージの4枚目のソロアルバムで、前作のダーク・ホースが声の調子の悪さからか、評判があまり良くありませんでした。個人的には、無理して全米ツアーを行わないで、もう少しアルバムの制作に重点を置いて制作すれば、もっと良い結果が出たのではと思います。それでもさすがジョージ、全米チャート4位。

エキストラ・テクスチャーは、EMIとの最後の契約で、これ以降はやっと念願の自身のダークホースレーベルから発売されることになります。アルバムの題名のEXTRA TEXTURE(READ ALL ABOUT IT)は新聞の号外などの意味に使われることから、EMIレーベルから最後の一枚という意味ではないかと、またレーベルのリンゴの芯はこれでお終いという意味と想像できます。

米盤と日本盤はジャケットの文字が打ち抜き加工されていましたが、オリジナルの英盤は打ち抜きなしで、その代わりジャケットの表面にエンボス加工がなされていました。すなわちそのエンボス加工がアルバムタイトルの一部のTEXTURE(手触りや肌合い)をも意味していて、また内ジャケットには、OHNOTHIMAGENと書かれていますが、これはジョージ特有のジョークで、OH NOT HIM AGAIN(ジョージはもう御免だ)と自ら前回のアルバムの不人気に対して突っ込みを入れているように見えます。OH NO IMAGINとジョンを揶揄しているわけではないでしょう。

アルバムの内容は、人それぞれ感じ方が違いますが、曲の出来は良く、またジョージもリラックスして歌っているので、一ファンとしては喜ばしい限りでした。

機会があれば、OHNOTHIMAGEN何て言わないで、一度聴いてみて下さい。

つまらない駄洒落を使うなとお叱りを受けるかもしれませんが、ご容赦を。

LPの写真をとるのは面倒でなかなかうまく撮れないので、 最近リイシューされたCDからのものを使っています。


OHNOTHIMAGEN


リンゴの芯


EXTRA TEXTURE, READ ALL ABOUT IT, 号外! 表面のエンボス加工見えますでしょうか?

引越しの季節がやってきました。LOAD-OUT

2015年03月02日 | West Coast Rock


3月になり、転勤の辞令などを受け引越しされる方も多いのではないかと思います。それまで住んでいた所に何にも感じなかったのに、いざ引越しとなると、結構いろいろあったな~と少し感傷的な気分になる時があります。

そこで今回はLOAD-OUTが入ったジャクソンブラウンの孤独なランナー を紹介します。
LOAD-OUTとは運び出すというような意味で、この歌はコンサートツアーの機材をツアーのローディー達が運び出し次の場所に向かうというような内容です。
家の引越しと同じように、ツアーで一日だけの滞在でもいざ次の場所に動くとなるとなんだか名残惜しくなるので、もう少し歌います的な感傷的なメロディーを持った1曲です。これが次のSTAYという曲に繋がって、いつもギターの演奏に専念しているデビッド・リンドレーがボーカルで乱入というお祭り騒ぎになり、その後バックバンドの演奏が続く中、ジャクソンがステージから去っていくというかっこいい演出でこのアルバムは幕を閉じます。

引越しで思い出したのですが、その昔海外に住んでいた頃の話で、普通海外でアパートを借りるときは家主もしくは斡旋業者と賃貸契約を交わします。だいたい2年程度の契約期間で、契約期間が切れてさらにそこに住み続けるとなると、前契約の際に延長期間のオプションを付けていない限り、再契約となります。その際新しい家賃は再交渉で決定するのですが、周りの家賃の相場が上がれば大概の場合連動し値上げとなります。
日本よりもっとシビアな契約社会なので、家賃交渉が決裂すれば当然出て行かなければなりません。私の場合、感傷的になるどころか反対に怒りのLOAD-OUTとなりました。

本題に戻って、このアルバムはコンサート会場での録音やスタジオ以外での録音された特殊な構成です。精密なスタジオ録音と比べると音はラフになりますが、これはこれで味があります。特筆すべきとことは、今回他のアルバムと違い、自作曲以外に共作や他の作者の曲を多く歌っているところです。ローウェル・ジョージとの共作曲やダニー・オキーフ、さらにはダニー・コーチマーらの自作曲と粒ぞろいです。

ジャクソンの孤独なランナー、機会があればぜひ一度聞いてみてください。

それから、皆様も大家さんとはいつも仲良くするよう心がけてください、引越しの際、原状回復のための修理代など敷金から目一杯ガッツリ引かれれば目も当てられません。海外での賃貸の場合は、問答無用に差し引かれました。涙目


小太りの男って誰?

2015年03月01日 | ELTON JOHN

知人の証言によると、その男は小太りでピアノの上で飛んだり跳ねたりしていた。それは、1971年10月に日本で行われたコンサートの様子のことでした。

もう詳しい人ならすでに誰だかお分かりになっていると思います。
そうですエルトン・ジョンです。

アルバム2枚目のELTON JOHNや3枚目のTUMBLE WEED CONNECTIONのジャケットを飾る写真を見ると, 当時とてもそのようなイメージは全く浮かばなかったのですがねー
まあ私はもちろん彼のファンなので、容姿は特に気にならないし、もちろん他人の容姿についてとやかく言える身分でもありませんが。 女性ファンでコンサートに行かれた方は少し複雑な気持ちになられたのでは? 

ちなみに私はライブコンサート派ではありません。クラッシックコンサートのように行儀よく拝聴しろというわけではありませんが、前席の人間がコンサートの初めから終わりまで立ったままだとか、隣の人間が大きな奇声をあげるなどの行動にはちょっと付いていけません。皆さんはどう思われますか?

このアルバムは1971年の来日記念盤として日本のみで発売された当時のベスト盤です。すでに廃盤となっており、また今後CD化もありませんので収録曲を下記に記します。

A VERY SPECIAL COLLECTION ELTON JOHN
A面
1.YOUR SONG
2.JUST LIKE STRANGE RAIN(シングルでの発売)
3.SKYLINE PIGEON
4.COUNTRY CONFORT
5.HONKY TONK WOMEN(LIVE)
B面
1.BORDER SONG
2.LADY SAMANTHA(シングルでの発売)
3.BAD SIDE OF THE MOON(シングルでの発売、LIVEではなくスタジオ録音の方)
4.IT’S ME THAT YOU NEED(シングルでの発売)
5.ROCK AND ROLL MADONNA(シングルでの発売、擬似LIVE作品)

過去の各アルバムからの人気曲とアルバムに収録されていなかったシングル曲を合わせたものです。その当時過去のオリジナルアルバム全て持っていたのですが、日本人ウケする選曲だったので非常に聴きやすく、レコードをかけるとなると、大抵このアルバムだった事を思い出します。

1995年にリマスターされたCDにはオリジナルアルバムに収録されていなかった曲がボーナストラックとして収録されていますので、それらのCDをITUNEに取り込み上記の曲順に聴けば、当時、私などが思い描いていたまだ見ぬエルトンのイメージはこのようなものだったと解っていただけるのではないかと思います。

別の知人の証言によると、その男たちの演奏は迫力のあるものだったと言っていました。これは、1974年2月に日本で行われたコンサートの様子です。バンドにギターのデイビー・ジョンストン、パーカションのレイ・クーパーが加わって五人組となり、ライブの音に厚みが加わった事がその理由だったと思います。

よくそんな古い話を覚えているなと言われるかもしれませんが、ファンとはそういうものです。残念なことに、それ以外の重要なことは結構忘れていますが。


ジャケットの内側の写真、SSWの貴公子て感じですかねー