久々にアルバート・ハモンドの1973年に発売されたアルバム、 The Free Electric Bandでも。
イギリス出身のSSWで、1970年にアメリカに移住し彼の地での音楽活動をスタートし、デビュー・アルバムは1972年のIt Never Rain In The Southern Californiaで、シングル・カットされたタイトル曲が大ヒット。
続く彼の第二弾の本作もいつ聴いても非常に爽やかで親しみのあるメロディーの自作曲で構成されていているのが売りだったが、シングル・カットされたタイトル曲が少々目立ったぐらいで当時それほど話題には登らなかったような。
また日本受けしそうなFor The Peace Of All Mankind(落ち葉のコンチェルト)が日本のみでシングル・カットされたものの不発に終わった。確か、彼の来日公演で歌っていた映像をテレビで見た記憶がある。
ただこの曲を聴くと90年代当時男女3人組の日本のバンドがよく似たやつを演っていたのを思い出す。ラジオか何かで聴いて初めて聴いた時は驚いたものの作曲者からは何のクレームもなかったような。
因みに1980年八神純子作のパープル・タウンも同時期に出たレイ・ケネディー作のYou Ought To Know By Nowにそっくり。この時は両者が和解しパープル・タウンのタイトルにYou Ought To Know By Nowも併記され、また作曲者としてレイ、デビッド・フォスターらの名前も記載されることに。
この違いは、やっぱりアルバートの作品の場合発売されてから日本で新たに曲が出るまで20数年のスパンがあり、それ曲の存在自体が忘却の彼方へとなってしまったことで結局作スルーされてしまったのかな?
ただ曲が世界的にヒットしたとなると、そう簡単にはいかない。
1969年のジョン・レノンが作ったCome Togetherはチャック・ベリーが歌ったYou Can’t Catch Meに酷似していると言うクレームで、曲の権利保有者、モリス・レヴィーから訴えられ最終的にモリスが権利保有する曲、数曲をジョンのその後のソロ・アルバムでカバーすることで和解。
またジョージのゴスペルの影響を受けた1970年のMy Sweet Loadは、シフォンズ歌ったHe’s So Fineに酷似していたことでこれまた曲の権利者達と裁判で叩くこととなり、結局ジョージが多額の賠償金を支払うことに。
更にZeppはクレイムの宝庫。ただ彼らの演奏スタイルは唯一無二なので、特に歌詞の引用についてよく争われることに。結局ファースト・アルバムから2曲とセカンドから3曲に新たに作詞者名が後に追記された。
これ以外にも多くの似通った事例があるような....
それとも、オイラの気のせいかな?