CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

忘れ去られたアルバム、Eye Of The Zombie

2020年11月30日 | CCR and John Fogerty

1985年久々に発売されたジョン・フォガティのソロ・アルバム、CenterfieldはCCR時代を彷彿させる内容で全米1位の大ヒット作となった。これに気を良くしたジョンはソロになってから最も短いインターバルで翌年にアルバムを出すことになる。

それが1986年の問題作、Eye Of The Zombie。

何を思ったのか、ジャケのアート・ワークにちょっとグロテスクな獣と人間が合体したようなミュータントが登場。

さらにびっくりしたのは1曲目のGoin’Back Home。のっけからシンセによるコーラスが登場し後半にはギターも出てくるインスト・ナンバーでが本人の歌唱は一切なしと言う異例の幕開け。

2曲目のEye Of The Zombieから従来通りの通常運転と思いきや4曲目のKnockin’On Your Doorそして8曲目のSoda Popなんかはモータウン系の軽いサウンドで違和感が…

ドラムスにはJohn Robinsonなる人物がクレジットされているが、打ち込み系のドラムのような演奏はジョンのアルバムにはふさわしくない気がする。

やっぱり前作、CenterfieldのようにR&B、ブルースそしてカントリー・ポップをあの豪快なボーカルで歌いまくるのがジョン・フォガティだと思っている昔からのファンとしては、良い曲もあるがちょっと取っ付きにくいアルバムてな印象。

また、前作に収録されたThe Old Man Down The RoadがCCR時代のRun Through The Jungleと酷似しているとCCR時代のジョンの曲の版権を持つ前所属レーベルのファンタジーから訴えられることに。

そして当時のファンタジー・レーベルの経営陣を憎しみを持って揶揄した前作収録のMr.Greed (ミスター守銭奴、ファンタジーの経営者、Zaentzのこと)とVanz Kant Danz (Zaentzとキャッスル投資銀行のKanterの名前をもじった)なども訴訟の対象となった。

これらの厄介な訴訟問題とEye Of The Zombie自体の売れ行きも芳しくなく、嫌気がさしたのかジョンは音楽活動から一時身を引く事になり、次作Blue Moon Swampが出るのに10年以上待たされる事となった。

その後ジョンのコンサートでもこのアルバムから2009年に出たアルバム、The Blue Ridge Rangers,Rides Againで再録されたChange In The Weatherを除いてはほとんど耳にすることはなかった忘れられたアルバムとなった。


ポップ仕立てのシンフォニック・ロック炸裂! Eldorado

2020年11月29日 | BRITISH ROCK

みんな大好き炸裂シリーズ、本日はElectric light Orchestraの1974年の通算4枚目の作品、Eldorado。

(ドロシー危ない! 魔法の靴を狙う魔女の手が〜)

お抱えの三人の弦だけじゃ足りぬと思ったのか、リーダーのジェフ・リンは本格的なオーケストラを配して大々的にシンフォニック・サウンドをダビング。それによって厚みのある奥の深いサウンドが構築された。

(バイオリン1名とチェロ2名、計3名のお抱えストリングス)

マイナー音楽愛好会の方々の御用達だった結成当時のプログレ的サウンドはゴージャスなポップ路線に変身。万人ウケするサウンドへと変化した。

特にシングル・カットされたCan’t Get It Out Of My Head(見果てぬ想い)はメロディーの良さもあって初のビルボード・チャート・トップ10入りを果たす大ヒットし、70年代後半にかけてのあたかも金脈を掘り当てたような大ブレークのきっかけとなった。

(UK盤)

ワシも一生に一度は訪れてみたい黄金郷。金の延べ棒2−3本授かって余生を悠々と過ごしてみたいものじゃ。

なぬ! スーパーで売ってるフルタのゴールドバー・チョコが現実の世界じゃと?

確かにEldoradoに行けるってインディー・ジョーンズぐらいで、凡人にはやっぱり見果てぬ想いなんじゃのう〜


エルトンのボーカル炸裂! Madman Across The Water

2020年11月28日 | ELTON JOHN

本日は久々に1971年のエルトン・ジョンの4枚目のアルバム、Madman Across The Waterを聴いてみた。

(ブルージンー ベイビ〜♪♪って事でジャケもジーンズなのかな?)

シンガー・ソングライターとして順調に実績を積んで来たのだが、何故かこのアルバム発売当初の売れ行きは前作よりも良くなく、特にイギリスではチャート41位と大幅にランク・ダウン。

エルトンの熱唱によるタイトル曲のMadman Across The Waterはじめそれ以外の曲も何となくヘビーで暗いイメージの曲調にポール・バックマスターの攻撃的とでも言える重厚なストリングスがさらに振りかけられた事で、あまりの迫力に一般のリスナーがたじろいでしまったのかもしれない。

(シリアスなお顔付きで少々取っ付きにくい印象はあるかも?)

確かにオーバー・プロダクションの感は無きにしも非ず。

ただ、今ではこのアルバムに対する当時の評価が低過ぎたという認識で名誉回復。

また、このアルバムがあったからこそポップな次作、Honky Chateauが翌年誕生したわけで、エルトンにとっては後にポップ・スターの頂点で輝く過程での必然的な産物だったと感じる。

サイドー1の4曲サイコー!


ソロ・ピアノ炸裂! キースのユーロピアン・コンサート

2020年11月27日 | JAZZ・FUSION

本日は1982年に出たキース・ジャレットのConcerts。

オーストリア西端に位置し、ボーデン湖を挟みドイツとスイスに接しているブレゲンツとドイツ、ミュンヘンの2箇所で1981年それぞれの地で行われたソロ・ピアノ・コンサートを収録したもの。

LP三枚組で収録時間140分を越える完全即効演奏の大作。

(演し物一覧)

位置付けとしては1975年の大ヒット作、ケルン・コンサートなんかと同じ系列とでも言えばいいのか。

キースの時折見せるいつもの唸り声やピアノ・ボディーを叩くパーカッシブな演奏も健在。これらも彼のソロ演奏の一部で取り立てて気にはならない。

(中腰での演奏基本体、これやり過ぎると腰にきます)

私のようなトウシロ・リスナーの場合、余り肩肘張らずにバックグランド・ミュージックとしてながら聴きすれば良いのではないかと…

気に入ったメロディーやフレーズが演奏されれば耳を傾け向け、そうでないときはどうぞ御自由にって感じで…


ブルース・ハープ炸裂! J Giles Band

2020年11月26日 | AMERICAN ROCK/POPS

1970年にデビュー・アルバムを出し、翌年のスタジオ録音のセカンド・アルバムを挟んだ3枚目のアルバムはライブ・アルバム、Full House。

まだまだ駆け出しの彼らがその魅力を伝えるにはやっぱりライブが一番本領を発揮出来るってことで企画されたんですかね?

泥臭いR&Bやブルースをワイルドかつソウルフルに演奏するその様はアメリカのストーンズか?って形容が付いたそうな。

ボーカルのピーター・ウルフも魅力的だが、ライブではマジック・ディックの奏でるブルース・ハープもアクセントになっていい感じ。

小さめの会場でこのライブに遭遇したならノリノリ間違いなし。

LPの両面合わせて全8曲で収録時間は35分と少々物足りなく感じるが、つかみは十二分に果たし、彼らの人気もこのあと全国区となって行く。


ロックのCyan

2020年11月25日 | AMERICAN ROCK/POPS

Cyanといえば今ならプリンター用カラー・インクの緑がかった青色のサイアンを思い起こすが、クラシック・ロックとなるとやっぱりThree Dog Nightの1973年の7枚目のスタジオ・アルバムCyanですかね?

Seven Ball, Center Pocketてなアルバムタイトルでレコーディングに取り掛かったらしいが、のちにCyanに変更されたとのこと。

Cyan故にジャケのデザインもブルーが基調となっている。

ただ、なぜCyanなのかはアルバム収録曲からは判断がつかない。

アート・ワーク用の写真撮影の種明かし

このアルバムからシングル・カットされたShambalaやLet Me Serenade Youはそれなりに健闘したしたものの、 かってのJoy To The World、 Old Fashioned Love SongやBlack And Whiteのような大ヒットには至らなかったことから少々地味目なアルバム。

それでもボーカル・トリオによる迫力のあるソウル・フルな歌唱は健在でアルバムを何度もじっくり聴けば結構楽しめる。


全てはここから始まった

2020年11月21日 | BEATLES-BADFINGER関連

ビートルズの音源のリミックスと言えば、1987年アナログ音源をデジタル化した際、ジョージ・マーチンがHelpとRubber Soulの旧ステレオ・ミックスが気に入らなかったとのことで両アルバムのリミックスを行ないCD化したのが最初じゃなかったかと思う。

それから10年ほど経った1999年、映画イエロー・サブマリンの映像がDVDのフォーマットで発売されることになり、その映画に登場する曲、ただしA Day In The Lifeは未収録、を集めたCDも発売された。旧音源は収録にあたってリミックスされた。

特にヘッド・フォンなどでは聴き辛い左右の音圧のバランスが一定でない泣き別れの旧ミックス曲は、それを補正する事によって聴き易くなった。

これが、1999年のYellow Submarine Songtrackである。買った当初ペパー軍曹のボーカルがセンターに固定してあって何かの間違いじゃないかと驚いたのを覚えている。

このアルバムはそもそも新たに生み出された映画のサントラ盤としての位置付けがあったから、オリジナル・ミックス一択の原理主義者からのクレームもさほどなく、好意的に受け取られそこそこ売れた。

これに味をしめたのか、翌年ヒット・チャート1位を記録したシングルを集めた“1”が発売される。このアルバムはリミックスではなく24ビットでのリマスターの作業が施された。すなわち高域と低域の分離を強調し、さらにノイズの低減を図った上でCD規格の16ビットに落とし込む。

従って結構攻めたリマスターではなかっただろうか?

派手目に聴こえるクッキリした現代的な音質になったおかげか、全世界で大ヒットを記録しビートルズここにありを示した。

その後はなし崩し的にリミックスやリマスターが施され旧ミックスから多くの音源が大量に生み出されていったのはよく知られたところで、2003年のLet It Be, Nakedから始まって、2006年のシルク・ド・ソレイユ向けのサントラ盤Love、2009年の全既発アルバムのステレオ/モノ音源のリマスター化、2015年には最新リマスターとリミックスを旧アルバム“1”に施した“1+”の登場。そして2017年から2019年に掛けてのペパー軍曹/ホワイト・アルバム/アビー・ロードの3年連続リミックス化。

息つく間もないぐらいのリミックスやリマスター攻勢で令和の世の中、もうオリジナル・ミックス一択の原理主義者なんて息絶えてしまったじゃないかな?

えっ! 私?

原理主義者じゃないけど、2009年の既発アルバムのステレオ/モノ音源のリマスター化で完結したんじゃないかって思っていた口で…

しかし最近ネットを賑わせているお方ほどではないけど、どうもかなり洗脳されているような…

昨今のリミックス・シリーズ結構追っかけています。

今年はLet It Be(リミックス?)の発売が来年に延期になったってことで4年連続のご奉公とはならなかったのが唯一の救いだったかもしれません。

何故って、これだけ買い集めてもビートルズ音源のリミックスやリマスターに於ける違いを語れるような耳の持ち主じゃありませんから。

まあ連休の頭、久々にYellow Submarine Songtrackでも聴いてリミックスとはなんぞやてな事、大した知識はないけれどじっくりと考察に励んでみたいと思っています。

音質がどうとかこうとかとあまり関係のないピクチャー・レコード何故か買ってしまいました。

博士:お主、かなり洗脳されとるのう〜

 


もうすぐクリスマス

2020年11月19日 | JAPANESE

博士:クリスマスまで一ヶ月を切った11月も下旬さしかかろうしておるのに、何を血迷ったか日本全土が高気圧に覆われてこの季節に夏日を記録だそうじゃ!

助手:イヤ〜 今日も暖かかったですね〜 うっかり長袖の重ね着の冬装備仕様で外出すると汗がにじみ出てきますね。

博士:最近は季節外れのナンチャラって言葉にあまり驚くことはないが、11月の観測史上最高気温を記録ってなると、それって大丈夫? なんて事になるのう。

助手:もう少ししたら北半球と南半球がひっくり返って、真冬にビーチでサーフィンてなことになるかも?

博士:高気圧にビーチでサーフィン、そしてクリスマスの3点セットときたらもうアレしかない! アレじゃよ。

助手:アレって?

博士:1983年の山下達郎の通算7枚目のオリジナル・スタジオ・アルバム、Melodies。

助手:高気圧ガールにクリスマス・イブはわかりますけど。ビーチでサーフィンって?

博士:ばっかも〜ん! ブライアン・ウイルソンがラス・タイトルマンとの共作で1965年にグレン・キャンベルに提供したGuess I'm Dumbが収録されておる。

助手:なるほど、それでビーチでサーフィンですか。ですがかなり強引な展開。

博士:Melodies、中々よろし〜

 

山下達郎も設立メンバーとして関わったMoon Recordから第一弾のリリース

 


オイラはDark Horse

2020年11月18日 | BEATLES-BADFINGER関連

ジョージのソロ3枚目、Dark Horseが1974年に発売された。

それまでの作品よりもっとアメリカのルーツ・ミュージックに根ざした作品だと思う。

当時北米ツアー(Dark Horse Tour)を企画し、Jazz-Funk色の強いトム・スコット率いるLA ExpressとSoul-R&B系のビリー・プレストンとウィリー・ウィークスをバックに起用し一味違う脱ビートルズ化を図っていたのだと…

当時離婚問題や色々なプロジェクトを抱え込みかなりお疲れ気味だったジョージ、その影響は別人とでも言えるそのしわがれた彼のボーカルが物語っている。

声の不調にも関わらずなんとかツアー前にレコーディングを完了させアルバムを発売させたかったのだが、それも叶わずアルバムはツアー終了後の発売となる。

ジョージの声が出ないとの不評、オリジナルの音源にノスタルジーを非常に感じるビートル・マニアにとってはツアーでの斬新なアレンジは言語道断、更にノーモア・バングラデッシュ・コンサート・パート2と言うか正統派インド・ミュージックを奏でるラビ・シャンカールに退屈さを感じる不満などなどでツアーは散々だった様で、これ以降ジョージはコンサートから一旦撤退。

そのためその後の正式なソロ・ツアーは90年代の日本ツアーとなる。

英国ではチャートインしなかった。ただ今回色々な問題が重なりあったとは言えそこはEx-ビートルズ、また内容的にアメリカ志向の作品だったことからか全米4位を獲得したのはご立派。

個人的にはシングル・ヒットがあまり期待出来ない地味さは感じるものの、個々の曲はよく出来ているし特にソウル調のFar East Manなんか結構きますね。

ポールの同時期のアルバム、Band On The RunやVenus & Mars、ジョンのWalls & Bridgesあたりと比べるとビートルズ色はかなり退色傾向に…

解散して4年、いつまでもビートルズ・ブランドで括られる事を良しとしないジョージは、このアルバムや北米ツアーで彼のソロとしての新たな立ち位置を示したいと思っていたのではないか?

そう考えれば、ジョージは旧メンバー間での脱ビートルズ・レースに於いてはDark Horse的存在だったと思えてくる。

かってのカミさんへの惜別の歌としてBye Bye,Loveのカバー・バージョンがアルバムに収録されているが、レコードのレーベルには何と新しいカミさんのお姿が!

流石仕事が早い!


ディランのMTV Unplugged

2020年11月17日 | Bob Dylan, Byrds, Band and etc.

それではイントロ・クイズ第3問!

チャララン〜 ♪

ピン! “ハリケーン”です。

ブズッー 残念。正解は“見張塔からずっと”でした。

とライブ盤におけるディラン物の早押しイントロ・クイズは中々難易度の高い代物である。

名曲であっても演奏のアレンジをライブの時期によって変えちゃうし、オリジナルのメロディーも崩して歌うので歌い出しの2小節の歌詞を記憶していないと厳しい。更にアルバムに収録されていない過去のアウト・テイクなんかを演られるともうグリコ。

難解な歌詞の意味をバイリンガルの如く頭で即座に理解出来る能力もなく比較的メロディアスなサビの部分を断片的に記憶している程度の私の様なディラン初心者には彼のライブ盤をどの様に聴けば良いのか…

本日はディランのライブ・アルバム、MTV Unplugged。

90年代になってオリジナルとは一味違うアコースティック・ライブの模様をMTVでオン・エヤーするのが流行り、クラプトン、ロッド・スチュワート、ニール・ヤングその他有名どころのアーティストが続々と登場した。

本作は1994年ニューヨークのソニー・ミュージック・スタジオでのライブ録音で、翌年のリリースとなった。

(John Brownってどのアルバムに入ってたっけ? 1962年作だけどオリジナル・スタジオ・アルバムには未収録。それじゃDignityは? これは1989年のアルバム、Oh Mercyセッション時のアウト・テイクだって! そんなの初心者にわかる訳ないって〜の! 新曲かと思った...)

ペダル・スティールやハモンド・オルガンが登場している事からタイトルに偽りありと感じないでもないが、ただ難易度の高いギター一本での弾き語りではなくアレンジ的には私好みのフォーク・カントリー・ロック路線なので結構聴き易い。

ちなみにスタジオに招かれたお客さんもイントロからどの曲が歌われるのかよくわからない様で、歌が始まったところから拍手が...

これは1978年の日本公演を収録し、当時日本のみで発売されたライブ・アルバム、ブドーカンと同じ様な反応で、“ブズッー 残念でした”は私だけじゃないんだ〜!と妙に安心。

って事は難し考えないでただ流れに任せて何んとなく聴いてりゃいいんですね。

まあ、生きてるうちにディラン道を極めるのは不可能だとも改めて思い起こす晩秋の一夜でありました。


ポリティカル・メッセージとロック

2020年11月16日 | Chicago

11月3日に投票が行われすでに開票結果が出ているにも関わらず、未だに収拾がつかないアメリカの大統領選挙。

先ほどワシントンで数万人の人々が開票結果に異議を唱えるデモに参加!てな最新状況をニュースで知ることに。

我々日本人にとって中々理解し難い状況と言って差し支えないだろう。

本日はシカゴのロゴを編み込んだボロボロの星条旗をアルバムのアート・ワークに使った1971年の3枚目のオリジナル・アルバム、Chicago IIIでも。

付属のポスターなんかを見ても当時こう着状態で戦死者が数多く出ていたベトナム戦争に対する反戦のメッセージを意図していたことが判る。

アルバムの初っ端の Sing A Mean Tune Kidからエンジン全開。

酷い曲歌ってやるぜ

ショックを受ける様なやつをさ

酷いの歌ってやるぜ

ショックを受ける様なやつをさ

お袋さんに泣いてるところなんて見せない様にな!

イェイ イェイ イェイ

 

酷い曲演ってやるぜ

みんなが憂鬱になるやつをさ

酷い曲演ってやるぜ

みんなが憂鬱になるやつをさ

あんただけが嘘をついてるって誰もわかりゃしない

イェイ イェイ イェイ

と悪態をつき体制に突っかかっていく様な…

結構きてるね〜

(CBS/SONY設立10周年記念の再発廉価盤、お値段二枚組で当時二千五百円でした。)

色々議論はあると思うが日本ではなかなかできない事。

当時は歌詞の内容にそれほど注意を払うこともなく、これがロックにジャズやカントリーその他モロモロが融合して誕生したニュー・ロックだぁ〜!と脳天気に一人悦に入っていたが、今改めて聴き直して結構過激。

ただアメリカ大統領選後の現状を鑑みると、強烈な主張をしなければ負けを認めることになる。

そう考えると、何となくChicago IIIでの政治的なメッセージを込めたアルバム制作の意図が見えてくる。

即ち我々農耕民族である日本人にとっては過激に思えても、これぐらい吠えなければ相手が聞く耳を持たないってことですかね?

その昔海外での商談に於いては、あまり一方の肩を持ちすぎるとどこに地雷が潜んでいるかわからないので政治的発言は差し控えること!とキツ〜く言われていた。

特に主張の強いお国柄の場合、下手な軽口は最悪商談の成立に危険を及ぼすことだってあるので、第三者としては議論には巻き込まれない様遠巻きに静観を決め込むのが正解てなことを思い出した。

てなことで、コロナもそうだけれど大統領選後の軋轢も早く終息することを願ってやまないと遠くから傍観することに。


スーパー・グループ誕生!

2020年11月15日 | PROG ROCK

1981年、クリムゾンのジョン・ウエットン、イエスのスティーヴ・ハウとジェフリー・ダウンズにELPのカール・パーマーが加わり正真正銘のスーパー・グループ、Asiaが誕生。

本日は彼らの第二弾、1983年のアルバム、Alpha。

69年ごろからイエスやクリムゾンの鮮烈なデビューによってプログレ・ロックが盛況を極めるが、徐々に息切れして来たのか75年ごろにはアルバム発売毎時における都議はどんなことをやってくれるのかといったワクワク感がなくなってしまった。

例をあげると、クリムゾンの1974年のRed、イエスの1974年のRelayer、ELPの1973年のBrain Salad Surgeryそしてピンク・フロイドは1975年の Wish You Are Hereなどのアルバムを最後にこれといった目ぼしいアルバムがなくなってしまった。

パンクやディスコの吹き荒れる嵐の下、もう一度輝きを取り戻そうと機会を伺っていた70年第後半を経て遂にスーパー・バンドが誕生することに。

プログレ界の重鎮ともなった彼らは、かっての輝きを取り戻すにはそれまでのプログレの焼き直しでは懐メロバンドか!と言われるのがおちで、やはり新バンドとしては革新的な何かを示す必要があった。

新たな音楽的志向として、プログレ時代に養われた高度な演奏テクニックを持ってキャッチーでメロディアスな曲を演奏。

但し複雑な構成の曲は避け、長尺曲の廃止と曲中に不必要なインプロビゼーションなしなどのコンセプトを持って歌モノ中心に集うを展開することに。

プログレ不毛の地アメリカではこの手法が受けて、1982年のデビュー・アルバム、Asiaは全米1位の大ヒットを記録。

本作は前作と同じコンセプトをさらに磨き上げ無駄を排し売れ線を狙った作りとなっている。多分スティーブの作った曲もあったのだろうが、当アルバムには不向きということで 全曲ウエットンーダウンズのコンビの作品が採用された。

(自作曲が取り上げられなかったにも関わらず、スティーヴの謙虚な有難〜いお言葉)

ただアメリカでも大ヒットはしたものの前作と比べると売上はかなり落ちたらしい。

個人的には個々の曲の出来はいいと思ったものの、アルバム全体となるとなんとなく平坦で盛り上げに欠ける当時の印象だった。

安定性ばかり追い求めるとマンネリの評価、かと言って冒険しすぎると失敗作って烙印押されてしまうリスクも…

ジョンはこの後フラストレーション解消のため一回休みてなことで、日本のファンは日本公演でグレッグ・レイク率いる変形Asiaをブドーカンで目撃する特典を得る。

さらになんらかの不満があったのか定かではないが、スティーヴは3作目のアルバム制作を欠席、その後非常勤となる。

飛び抜けた個性のぶつかり合うスーパー・グループをうまく運営するってかなり難しいみたいですな。


Same Old Song、いつものヤツ

2020年11月08日 | AMERICAN ROCK/POPS

前出海援隊と同じ年の1972年、アメリカではSSWのダン・フォーゲルバーグがCBSからアルバム、Home Freeでレコード・デビューを果たす。

残念ながら彼は2007年病気のため死去 、享年56歳だった。

今から思えばこの通算7枚目、1981年の2枚組アルバム、The Innoent Ageが彼の集大成アルバムだったと言えるではないか。

(イノセントを意味する白いジャケットも40年間レコード棚にひっそり収納され、それなりのビンテージ感に染まっている。)

基本マルチ・ミュージシャンであるダンがボーカル、コーラス、ギター、ベースにキーボード、そしてラス・カンケルのドラムがデフォーで、曲によってジョニ・ミッチェル、エミルー・ハリス、イーグルスの面々、リッチー・フューレイ、トム・スコットやマイケル・ブレッカーら豪華なゲスト・ミュージシャンを起用しここも聴きどころとなっている。

ライブ盤を除くと2枚組のアルバムの制作は通常のLPアルバムの倍の収録時間となるので、聴き手に飽きがこないようにアルバムに対する関心や緊張感なりを持続させるにはいろいろと工夫が必要で単に収録曲を倍増させるだけでは事は成し得ない。

単調にならないようにメリハリをつけた編成であると同時にアルバム自体の自然な流れを途中で塞き止めるような事があってはならない。

このアルバムではサイドー2のそれぞれシングル・カットされヒットした3曲(Run For The Rose-Leader Of The Band-Same Old Lang Syne)が連続して並んでいるのが圧巻。

派手なロック・ナンバー曲ではなく、ミディアム・テンポの3曲が自然な流れに沿って淡々と歌い継がれていく。

特にサイドー2最後のSame Old Lang Syneは歌詞が心に残る。

クリスマス・イブに故郷に帰った作者がかっての恋人に地元の食料品店で偶然出会う。時が過ぎ去りその間にお互い新たな境遇を築いていて、なんとなく打ち解け合い遠い昔を回想するもののもう過去には戻れない。そして二人は現実の世界へと静かに帰って行くてなお話で、若干脚色はあるそうだが実話らしい。

海外では年末年始にかけてのフェスティブ・シーズンによく聴くAuld Lang Syne(蛍の光)がマイケル・ブレッカーのサックスによる演奏に引き継がれ物語はまるで映画の1シーンのように静かに幕が閉じる。

助手:日本では蛍の光は別れの歌ですが、この歌はもともと昔を懐かしむって感じのスコットランド民謡で海外では年末年始など区切りをつける時期の節目節目で歌われるそうで…

博士:しかし今回のはなんとなく別れの歌っていう雰囲気はあるのう〜 わしもそんな映画の1シーンに一度登場してみたい気もあるのじゃが...

助手:いや〜 博士に一番ピッタリくるシーンってやっぱりパチ屋の館内終了放送の時じゃないですかね?


あんたが大将!

2020年11月07日 | JAPANESE

1972年マイナー・フォーク系レーベルのエレックからデビュー。

その翌年の暮れシングル・カットされた“母に捧げるバラード”で注目を浴び1974年のNHK紅白出場と一躍有名なフォーク・グループへとなった海援隊。

当時深夜にかけての名ばかり受験勉強の最中、本業そっちのけで深夜ラジオをよく聴いた。

デスク・ライトだけが灯る真冬の寒々とした部屋の中で、ラジオから語りかけるように流れたこの曲に温かみを感じた記憶が…

その後彼らは1975年にテイチクに移籍したもののヒット曲が続かなかったことから低迷期を迎えることに。

そして1976年の暮れ、移籍第2弾(通算5枚目)のオリジナル・アルバム、“心をこめて、回天編”を世に出す。

何故かロックな我が家にもその一枚が…

アルバムからシングル・カットされた“あんたが大将(Your Are The King Of Kings)”が何故かお気に入りってことでアルバム購入となる。

(著名漫画作家、長谷川法世氏によるイラスト)

(テイチクと言ってもサブ・レーベルのブラック・レコードから)

数年後社会に出ていく我が身にとっては、コミカルな雰囲気だが色々と含蓄がある歌詞になるほどって感じた。

このアルバム、多少おちゃらけた面も見られるがフォーク・アルバムとしては結構完成度が高いように感じる。

この曲以外にも武田鉄矢のテーマ・ソングとも言える“竜馬かく語りき”とかクイック・シルバー・メッセンジャーズのメンバーだったディノ・バレンティ作でヤング・ブラッズのカバーで有名なGet Togetherの日本語カバー(邦題、愛の詩)、さらに“母に捧げるバラード”の対となる父親編“おやじ”など聴きどころ満載。

そこのお父さんいかがですか?

わしゃ〜 どちらかと言えば海援隊チート苦手でな。

お父さんの大好きな金八先生もいますよ〜

えっ、金髪だって?

お父さん! あなた結構ガタきてるね〜

でもわかりました。それじゃ特別に予備校講師の金髪先生ご用意させていただきます。

あんたが大将!


Demons And Wizards(悪魔と魔法使い)

2020年11月06日 | URIAH HEEP

ユーライア・ヒープのケン・ヘンズレー氏が亡くなられたというニュースが…

1945年生まれ、今年で御歳75歳だった。

最近盛んに50周年記念なんちゃらって宣伝文句でロックのメディアが再発される。

60年代末から70年代初め頃に活躍した人達が当時20代から30代だったとすれば、あれから50年も経てば体のどこかにガタが来る年齢に達し、いつまでもForeverというわけには行かないようで…

ただ彼らが残したレコードは今尚現役、当時を10代で過ごした私のようなロックファンは彼らの功績を後世に語り継いで行く使命と言えば少々大げさではあるが、微力ではあるがこの弱小ブログでもこのバンドに関してさらなる何か発信していければと思う。

ヒープと言えば当時中坊だった私は1971年のアルバム、Look At Yourself(対自核)で彼らを初めて知る事となりケン・ヘンズレーが操るハモンドの演奏に度肝を抜かれた記憶がある。

ただアルバムを1枚選べと言われれば、過小評価された感のある1973年の Sweet Freedomも捨てがたいが、やっぱり1972年のDemons And Wizards(悪魔と魔法使い)ですかね。

(オリジナルのアートワーク)

(2018年再発盤のアートワーク)

(ロジャー・ディーンの描く宇宙)

アコースティック・ギターの演奏で静かにゆっくりと幕が開き、ミディアム・テンポのハードなTraveller In Timeに続いて駄目押しとなるアップ・テンポのEasy Livin(安息の日々)、これら3連発でもう完全に非日常的なヒープの世界に。

Demons And Wizards、ホントいいですな〜

えっ、レモンにデザート?

あんたも結構ガタきてるね〜

RIP