CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

招待状のR.S.V.P.には返事は出すな! BEGGARS BANQUET

2016年10月28日 | ROLLING STONES関連
ウッ!

ご飯を食べている時、急にこのジャケットを見せられると、食欲が衰退する。

それほどの負のインパクトを持ったジャケットと当時も思われていたため、デッカ(英国)とロンドン(アメリカ)の両レコード・レーベルはそのアルバム・ジャケットのデザインを却下。

そのため、オリジナル・ジャケットを手直するため、当初発売が1968年の初夏の予定が、その6ヵ月後の遅れることとなった。

変更されたジャケットは、真っ白な背景に、ROLLING STONES、BEGGARS BANQUETそして R.S.V.P.と記載された、結婚式やパーティーの招待状を模したシンプル且つ無難な物になった。


余談ではあるがR.S.V.P.といつも招待状の締めにこの暗号のような記載が気になって、どういう意味かと調べてみると、フランス語でREPONDEZ, SIL VOUS PLAITの略で“連絡乞う”ということらしい。

オリジナルのジャケットは、これまた調べてみるとロス・アンジェルスの、とあるポルシェのディーラーのトイレ内の落書きを写真に取ったみたいで、ミックとキースもアルバムのクレジットや一部の一行落書きに関わったようだ。

彼ら自身も過激なデザインに対する批判を避けるため、便器の上部にある落書きのみをジャケットの使用するつもりだったと言っていたようだが、最終的には便器が写りこんでいたのでどうも確信犯的な感じはするのだが…

そして1985年頃のCDによるリイシューによってオリジナル・ジャケットは解禁されようやく陽の目を見ることとなる。

助手:博士! ストーンズからバンケットの招待状届きましたよ。

博士:最近出たモノ・ボックスを買えって事なのかのう… ベガーズ・バンケットなんて言ってる割には、ワシらと比較にならない超大金持ちの連中じゃ。信用できん!

今回のお布施はスキップじゃ。

しかし、待てよ? レコードのボックス・セットの場合、チョット値は張るが世界で10,000セット限定生産と言う事じゃから、開封しないで10年ほど暗所に寝かしておけば、ひょっとすると価値が出るかも知れん。

と甘い誘惑に負けて、こじつけた理由でまたもや無駄遣いをしてしまいそうな博士であった。

誰か助けて~!

トランスフォーマーはいかが? ロボットのやつじゃなくルー・リードなんだけど。

2016年10月20日 | AMERICAN ROCK/POPS
漫画やテレビ・アニメでヒットした、あの冴羽りょうが主人公のシティー・ハンターが中国で実写版で制作されると聞いた。

見たことは無いのだが、以前ジャッキー・チェン主演で制作されたらしいので、今回は実写版第二弾となるらしい。

この原作の人気の秘密というのは、やはり主人公のかっこよさに釣り合わない女好きの性格というギャップがツボなのであるが…

果たして中国制作で、冴羽りょうのもっこり感がどの程度表現出来るのか、興味のあるところである。

そのもっこり感で思い出すのはなんといっても、このアルバムの裏ジャケ。


写真撮影の際、ジーンズにバナナを入れたとのことらしいが、もっこり感満載のマッチョ・スタイルな男性が、セクシーな女性にトランスフォームするというイメージを意図したのだろうか?

1972年発売のルー・リードの2枚目のソロ・アルバム、トランスフォーマーはデビッド・ボウイーやミック・ロンソンの力を借りて、それまで一般社会でタブー視されたアンダー・グラウンドの世界を、地上に引き上げたって感じではないだろうか?

100%認知とは行かずとも、トランス・ジェンダーなんて言葉もあちこちでよく聞かれるようになった現代では、そうゆう世界もあるのかなってなるのだが、当時まだ子供だった我々はもちろんのこと、日本の社会ではまだ良く理解の出来ない世界であった。

と此処でふと思い出したのが、1971年当時日テレ系の読売テレビで“さかさまショー”なる公開録画番組。

桂三枝の司会で、何組かの一般参加の人が女装したりもしくは男装したりして、一発芸で海外旅行獲得を目指す30分番組で半年ほど続いたように記憶している。

何故、お前がこんなマイナーな番組を知っているかと言うと、実は近所の市民会館のホールで公開録画があるというニュースを知って、我々クラスの悪がき軍団が放課後その収録会場に出かけたからだ。

主たる目的は、番組そっちのけで、テレビ・カメラが客席を撮影したときに、大げさに手を振ったりはたまたジャンプしたりして一体誰が目立ってテレビに映るかを競うためであった。

残念ながら、当時のテレビの画面は小さく、また解像度も低くそしてビデオ録画もない時代であったので、その後自宅でテレビを見たとき、数秒で画面がステージに切り替わり、果たしてそこに写っていたかどうかさえ確認出来ない間抜けな結果となった。

まあ、実質関西のノリで笑いを取るゲテモノ扱いの番組だったよう記憶する。

そう言う意味では、あちらはやっぱり進んでいて、このアルバムが全米29位、シングル、Walk on The Wild Sideが16位(全英10位)となったことがそれを物語っている。

ところでルー・リードと言えば、作品ごとに方向性が違い、ひとくくりでは評価出来ないアーティーストではないかと。

人によっては、このトランスフォーマーや次作のベルリンなんかを押す人もいるのだろうが...


私としては、ここはあえてライブ盤のロックンロール・アニマルを押したい。


数分間のギターのイントロが続き、ベルべット時代のスィート・ジェーンのイントロにふと繋がった時、ルー・リード、来た~!

わしゃ買わないよ、Queen On Air

2016年10月18日 | Queen

Queen On AirなるCDセットが11月に発売されるようだが…

なんと、日本盤スーパーデラックスエディションなるものは、ボックスセットで販売されその内訳はと言うと、輸入盤国内仕様のタバコ型ボックスに6枚のSHM-CDと36ページのブックレットが付き、なんとお値段10,800円也。

DISC 1は BBC LIVE 1973  12曲収録、これって1995年に出たCD、AT THE BBC(8曲収録)と同じ音源?

Queen At The BBC

DISC 2は BBC LIVE 1974/1977  12曲収録

DISC 3はLIVE 1973/1981/1986、3箇所でのライブの詰め合わせ、計24曲  

それから残りのDISC 4/5/6 はメンバーのインタビュー

オリジナルよりクオリティーの劣るデモ音源や、残念にもオリジナルの選から洩れたアウトテークであればまだしも、インタビューだけでSHM-CD3枚はちと多すぎじゃないのかね~ 

英語が聞き取れない日本人に、英語を映像も字幕もない3枚分のCDで聴かせていったいどうしようと考えてるのかね?

インタビューなら、映像と字幕込みのDVDかブルーレイ1枚で充分と思うけどね。

大金を使ってユニバーサルがEMIの版権を買って、その元取るためかどうか、ドル箱のビートルズやクイーンなんかの旧音源を使って、あの手この手で新商品として出しまくってるけど、特に今回の高額商品、誰が考えてもおかしいと思うけどね…

ちょっとぼり過ぎ。


間違い電話? YES, YOU ARE CALLING THE WRONG NUMBER.

2016年10月18日 | Bob Dylan, Byrds, Band and etc.

先ほど、ネットのニュースで、“ノーベル賞選考に関わったスウェーデン・アカデミーはディラン氏への直接の連絡断念”と言う記事があった。

リーン、リーン、リーン

もしもし、ディランさんいらっしゃいますか?

も~、さっきから何度も電話をかけてきて。うちにはそんな人いないって。
うちは普通の石材店。

ROLLING STONEなんて売ってないってば!

TOMB STONEは作ってるけどね。

間違い電話をかけていた?なん~てことはありえない。

やっぱりMost Likely You Go Your Own Way (And I'll Go Mine)、“我が道を行く”なのかな?

オリジナルは、アルバム、ブロンド・オン・ブロンドに収録。ライブとは雰囲気がまったく異なる。

この際、ディラン氏の芸名の由来に実際に関係しているのかどうか良くわからないが、20世紀の偉大な詩人の一人だった、故ディラン・トーマス氏に差し上げたら如何でしょうか…


リビー・タイタスって何者?

2016年10月17日 | SSW

1977年発売のアルバム。

自身の名前、リビー・タイタスがアルバム・タイトル。

これは彼女の2枚目のアルバムで、デビュー・アルバムは1968年に出したポップやフォーク・ロックのカバーだったが、ほとんど話題にならなかったので、実質的にはこのアルバムを1枚目と数えても良いのではないかと。

しかし、この後彼女のアルバムは制作されなかったので、なんとこれが最終作品となる。

注目曲は、70年代初めに、エリック・カズと共作したし、リンダ・ロンシュタットやボニー・レイットらに取り上げられたLOVE HAS NO PRIDEを自身でしっとりとカバーしている。

アルバムのプロデューサーは、曲ごとに異なり、 ビリー・ジョエルで有名なフィル・ラモーン、ポール・サイモン、カーリー・サイモンにバンドのロビー・ロバートソンらが大物が引き受け、さらに一曲目の楽曲はあのアル・クーパーと共作。

私生活に至っては、一番目の旦那がバンドのリボン・ヘルムで、離婚後ドクター・ジョンと付き合い、93年にはスティーリー・ダンのドナルド・フェイゲンと再婚。

この人一体何者?って感じで、ロック・スター総登場。

アルバムは、ジャズぽいAOR路線と言うか、大人の雰囲気満載。

アルバムのCD化はずっとなかったのだが、ようやく2007年に紙ジャケで出るとあっという間に売り切れ、買い損ねる。

そして、つい最近再発日本盤CDがプラケース廉価版で出たみたい。

前回の轍を踏むことなく、売り切れ前に買おうかどうか迷ったが、わざわざ日本から取り寄せるのもなんだか面倒なので却下。

それに自宅には当時買ったレコードもあるし、このアーティストに関してはレコードで聴いた方が雰囲気出るんじゃないかと。


紅茶で一服、アール・クルー・トリオ、Vol.1

2016年10月15日 | JAZZ・FUSION
ふと、ヤフー・ジャパンの天気予報のコーナーに目が行くと、自宅のある地域は日中は20度を越えるものの、朝夕は15度あたりと秋も徐々に深まっていく。

そんなウィーク・エンド、外に出る用事が無ければ家でゆっくりとくつろぎ、紅茶でも入れて軽めの音楽を聴くのもいい。

ウッド・ベースのラルフ・アームストロングとドラムスのジーン・ダンロップを従えたギタリスト、アール・クルーがリーダーのアコースティック・トリオによる1991年作。

アール・クルーといえば、アコースティック・ギターを操り、フュージョン系もしくはイージー・リスニング系のインストがメインの印象だが、今回はジャズ色が強くしかもトリオでシンプル且つスッキリ爽やか。

どこかで聴いたような曲が並び、思わず鼻歌。

ちなみに、私は紅茶を砂糖もミルクも入れないブラックで楽しむ。

紅茶の出す香が好きなのである。

果物のフレーバ-をつけた紅茶などもってのほか。

とは言え、いつもの安物のティーバッグを買っているため、肝心要の紅茶のふくよかな香があまり漂ってこない。

今日もこちらは30度越え。

ここでは、紅茶を飲むのは水分補給も兼ねている。少しぬるめをガブ飲みするので香を楽しむ事はあまり無い。

だったら、安物のティーバッグでいいか。

ちなみに、1993年同じ面子でVol.2を出したが、こちらはオーケストラ入りで個人的にはチョット残念。


やっぱり、秋はスッキリ爽やかが良い。

拝啓、ディラン様

2016年10月14日 | Bob Dylan, Byrds, Band and etc.

このたびのノーベル賞受賞おめでとうございます。

私は、あなたの出した作品をほぼカバーするレコードやCDを集めている一ファンであります。

CD47枚組みコンプリート・コロンビア・アルバムのボックスはもとよりバイオグラフのボックスやブートレッグ・シリーズなども所有しております。

但し、ブートレッグ・シリーズに関しましては、諸般の事情があったのと、第12弾THE CUTTING EDGE1965-66デラックス・エディションの、20曲分のライク・ア・ローリング・ストーンを一気に聴く体力も無かったため、申し訳ないとは思いましたが、輸入通常盤の購入となりました。

まあ、バーボン片手にディランを語ろうというような、ディラン友の会には入会はしていませんが、そこそこのファンではないかと自負しております。

今回の受賞に関して、私が特に注目するアルバムといえば、
1962年のデビューアルバム、Bob Dylan、

1973年のDylan、

1992年のGood as I Been to You、

1993年のWorld Gone Wrong

と2009年Christmas in The Heart

なんてジョークを言えばぶっ飛ばされるかも知れませんが...

正直1962年のアルバム、Bob Dylanに関しましては、後追いで聴いたのですが、デビューにおいてあの若さでボブ・ディランなるアーティストは既に完成していたと感服した次第であります。

数年前、あるショップの店先で180グラム重量盤の復刻レコードが売られていたのが目に止まり、記念にとつい買ってしまい、針を落とさず大切に保管しています。(なんと無駄な事を...)

あなたの詞に関しましては、バーズがカバーしたミスター・タンブリンマンやバンドの歌うアイ・シャル・ビー・リリースドなど名曲が数多くあり、それらノーベル賞受賞に貢献した詞を深く味わいたいと思っても、英語のつたない私の実力では辞書をもって格闘したところで、結構抽象的な表現が多く残念なことにいまいち正確に理解出来ないのです。

なんでも、アメリカでは1965年にサイモンとガーファンクルのパセリセージのアルバムに、A Simple Desultory Philippic(or How I was Robert McNamara’d into Submission)邦題は“簡単で散漫な演説”なる歌が収録されています。


この曲は、完全にあなたの演奏や歌詞のスタイルをパロッていて、特に“奴はいけてない、君がディランといえば、奴はウェールズの有名な詩人ディラン・トーマスのことを思う”って歌っているところに注目ですね。

言い換えれば、当時いけてる奴なら、ディランを知らないなんてありえないって事ですよね。

彼らは同業者としてあなたのことを尊敬し、一目も二目も置いていたんでしょうね。

まあ、当のポール・サイモンもあなたが、ディラン・トーマスを差し置いてノーベル賞をとるなんて夢にも思わなかったでしょう。

そんなこんなで、あなたは当時の社会に深く浸透し、その大きな影響を受けてきた当時の若い世代が、今回のあなたのノーベル賞の受賞の審査に関わったり、もしくはノミネートを強く後押ししたのではないかと個人的に思います。

ところで、授賞式には出向かれるんですかね?

あなたが燕尾服を着て、式に参加するなんてチョット想像がつかないのですが。

もしアルバム、Love And Theftのようなハットをかぶり、ジャケットにジーンズのスタイルで登場されたらかっこいいと個人的に思うのですが。


如何なものでしょうか?

ところで一つお願いがあるのですが。

いいえ、ノーベル賞受賞のおすそ分けをくださいって言うんじゃなく、一曲歌って欲しいのですよ。

あなたがツアーごとにアレンジを変えて歌うことは十分承知していますが、出来ましたらライブ・アルバム、Before The Floodの一曲目Most Likely You Go Your Own Way(And I'll Go Mine)、“我が道を行く”を同じロック・アレンジでぶっ飛ばして欲しいのですが。


バックのザ・バンドのメンバーもロビーとガースのみとなりましたが、特にロビーのあのドライブ感溢れるギターによる力強い演奏は必要で、彼らにもその旨お願いしたいわけです。

You Go Your Way, I'll Go Mineと言うフレーズには、他の人がそうしてるからって、何も同じ事をする必要は無く、自身の思う道を進むって私なりの解釈で、今まで何らかの決断を下すときは、それを忘れない様胸に刻み込んできました。

私としては、あなたの受賞は、“風に吹かれて”などの超有名な曲の詞ではなく、この曲のこのフレーズだと思っています。

それでは授賞式の様子、テレビの前で楽しみにしています。

追伸

最新情報として

ディランは13日夜ラスベガスで1時間半のコンサートを終えたが、自身からのノーベル賞受賞の言及は無かった。

また、アメリカ・メディアは例年ノーベル賞受賞の関心は低く、三大ネットの一つであるCBSは、ディランの受賞を短く伝え “アメリカの若者の多くはディランの歌詞をまったく知らない。”とレポートした。

こ、こっ、これはいったい...

You Go Your Way, I'll Go Mine


今日の一枚、ディスコのジョンって? YOUNG AMERICAN

2016年10月13日 | Bowie, T.Rex, Hoople and Glam.

1975年発売のアルバム、俗にボウイーのプラスティック・ソウルと呼ばれる、YOUNG AMERICANには色々な意味で驚かされた。

後から思うと、1974年のスタジオアルバム、DIAMOND DOGは最後のグラム・ロックであった。


そして同年DAVID LIVEなるDIAMOND DOGのアメリカ・ツアーを実況録音したライブ・アルバムが実質的にFINAL DEATH OF ZIGGYとなる。


YOUNG AMERICANはファンクやソウル系のミュージシャンを起用して制作されたアルバムだったが、一年も経たずにこれほど簡単に音楽指向を変えることが出来るのか?と思った。

DAVID LIVEでなんとなく場違いな1966年のソウル系ヒット曲、KNOCK ON WOOD(エディー・フロイドとMG’Sのスティーブ・クロッパー作、オーティス・レディングのカバーも有名)を取り上げていたのは、当時アメリカの聴衆向けのサービスだったのでは思っていたのだが、なるほどそれは次作の方向性を示すイントロだったのかもしれない。

だが私が一番驚いたのは、ボウイーがこのグラムからプラスティック・ソウルへの急な変化についてではない。

それはジョン・レノンがこのアルバムの2曲のレコーディングに参加したことである。

ビートルズ時代のACROSS THE UNIVERSEのカバーは、ボウイーが頼めばジョンは演奏や歌唱に加わることは有り得ると事だとまあ理解出来たが、シングル全米1位になったこのアルバムの看板とでも言える、スローなディスコ・ナンバー、FAMEに作詞・作曲者としてボウイー、ギターのカルロス・アロマーと共にジョンが名を連ねていた。

ジョンがディスコだって!

ビートルズ・ファン友の会に入会していない、ごく一般的なファンとしては、未だに不思議に思う今日この頃である。


今日の一枚、ジョン・レノンのMind Games

2016年10月12日 | BEATLES-BADFINGER関連
前作の二枚組みSome Times in The New York Cityは苦手だった。

強烈な政治的あるいは社会的メッセージが散りばめられていて、明らかの通常のポップ・ソングと一線を隔し、音楽を聴いて楽しむって感じではなかった。

何しろ、一曲目から、例のWoman is The Nigger of The World、女は世界の奴隷か?なんて邦題がついている曲があると、ちょっと聴くのを躊躇してしまう。

それに、二枚目のレコードに収録された前衛的ライブも、長年に渡って数多くのアルバムを聴き続けてきた今でさえ、肌に合わない感じで遠慮したい。

よくネットなんかで目にするジョン・レノンのアルバム・レビューをかいているようなコアなファンからは、君ね、それじゃレノンを語るには、片手落ちだよっていわれるかも知れないが...

まあ、私のような、レノン友の会に入会していない、一般的なジョン・レノン・ファンとしては、翌年1973年にでた次作、Mind Gamesの方が好ましく思える。

アルバムが、彼にとってフル・スイングのレベルの出来では無いとしても、よく戻ってきたねって感じで…

ただ、アルバム・デザインに関しては、ちょっと?って感じはあるけれどね。

もう少し何とかならなかったのか知らん...

渾名で呼んで大丈夫? ZEPの場合、ところでボンゾって誰よ?

2016年10月11日 | LED ZEPPELIN関連
日本人が海外のタレントやミュージシャンの名前を省略形で呼ぶ場合がある、例えばジョニー・デップであればジョニデ、ブラッド・ピッドであればブラピ、古いところではジミ・ヘンドリックスをジミヘンと呼ぶ。

まあこれらは、海外では通じない渾名日本固有の省略形ではないかと。

ところで渾名を英語で言うとご存知の通りニックネーム、NICKNAMEとなる。

調べてみると、中世時代の英語でAN EKENAME(付け加えれれた名前、もしくは補完する名前と言う意味)の言葉がある。

これが時代と共に訛って行って、アン・エケネーム→ア・ネケネーム→ァ・ネケネーム→ネケネーム→ニックネーム、バンザイ!となったのでは...

一般的には、実際にある名前を言い易いように変形する。

例えば、ロバートであればボブとかボビー、ジェームスならジム。

と言うのが、彼の地での人の呼称におけるニックネームであろう。

我等がレッド・ゼッペリンのメンバーの場合どうよ?

これまた調べてみると…

JIMMY PAGEは PAGEY(ペイジー)。
音的にはペイ爺とおじいさんみたいに聴こえる。

ペイジーって呼び名、私にとってはあまり馴染みがないのだが…

多分、私自身がレッド・ゼッペリン友の会ような団体に入会するコアなファンではないので、単に知らなかっただけかも知れない。

それ以外に、LED WALLETと言われていたとの証言もある。バンドの財布の紐をコントロールする立場だったから、そのような呼称になったのかも知れない。またケチというイメージからこの渾名を拝命したという未確認情報も付け加えておく。

ROBERT PLANT はPERCY(パーシー)
これも余りピンと来ない。ペイジーの場合と同様、コアなファンでないため、単に知らなかっただけなのかも知れないが...

スタジオなんかで、おいパーシー、ボーカルもう一度取り直しなんて言っていたのだろうか?

パーシーといえば、どちらかと言うと機関車トーマスに登場するパーシーを思い起こす。

JOHN PAUL JONESは JONSEY(ジョンジー)
これも知らなかった。ただ、ブログやアマゾンのサイトなんかでよくある、レッド・ゼッペリンのアルバム・レビューを読んでみると、ジョンジーのベースがどうだとか、キーボードがこうとか書いてあったのを見て、アアー、ジョンジーって言うのかって判った次第。

但し、JOHN PAUL JONESにハーイ、ジョンジーって挨拶したら、あんた誰?ってなるのは間違いない。

また音的にこれもジョン爺とジーさんに間違われる場合もある。

JOHN BONHAMは BONZO(ボンゾ)
これは有名で、よく使われている。

実際アルバム、CODAにBONZO’S MONTREUX(ボンゾのモントルー)なんて曲があるので、かなり認知された渾名だと思う。

ただ、アルバム、CODAはJOHN BONHAMが死去したため、アウト・テークや未発表曲を集めたコンピ・アルバムだったので、もし彼が存命していれば、この曲が世に出たかどうかは判らない。

多分、曲自体が焼き直され、改題されて後のオリジナル・アルバムに収録されたかも知れない。


通りすがりの人:そこのあなた! ZEPって言葉を通ぶって使ってるみたいけど、レッド・ゼッペリンのメンバーに近い関係者なんでしょうか?

私:レッド・ゼッペリンのメンバーのジミー・ペイジさんのファンの友達の友達のまたその友達って感じの存在なんですが...(汗)

通りすがりの人:それなら地味頁友の会に入会してZEPトリビア3級の検定に合格しないと、気安く使っちゃだめですよ。

私:ハハッー、仰せの通りに

やはり渾名と言うものは、親しい相手以外は、相手方に確認を採ってから使った方が無難だと言う事で。


渾名で呼んで大丈夫?

2016年10月10日 | JAZZ・FUSION
好き嫌いは別にして、人生において渾名と言う別名を一度や二度と持たされたことは誰しも経験があるのではないかと。

かっこいい響きの渾名なら、まあ良いかってなるのだが、そうでない場合はやっぱりもしそう呼ばれるとうっとうしい気分になる。

かく言う私も、自身にとって不本意な渾名が有ったわけで、これが小学校の高学年になって、名付け人不詳でクラス内で認識された。

小学校を卒業すると、児童のほとんどがこれまた近所の中学校に進学するので、狭い地域での子供同士の付き合いが消滅する高校進学まで、そのうっとうしさは解消されない。

高校に入学したとき、その渾名によって呼ばれなくなったとき、大げさかもしれないが新しく生まれ変わったような気もした。

子供のときは、言葉の適切性を判断する力が無く、不適切な渾名を直感的につけてしまい物議をかもしてしまうことがある。

しかし歳をとると、さすがにそれはまずいとなり、渾名といっても大半が姓名をもじった無難なものになるのではないかと。

例えば、山田幸一なる人がいれば、親しみ系の山ちゃん、省略系の山幸、脱力系のヤ~マダ~なんてことになる。

しかし、この手の特に問題とは渾名であっても、その使用はやはり仲間内だけが推奨される。あまり面識の無い人や年下の連中に呼び捨て感覚で使われるとやっぱりカチンと来ることもある。

ところでこのお方の場合、どう思っているのかな?

ナベサダこと渡辺貞夫氏。

いわずと知れた、日本のトップ・ジャズ・ミュージシャン。

この人のおかげで、それまでのジャズがある特定の尖った連中だけが聴く音楽と言うイメージを覆した。

日本人離れしたラテンやアフロのリズムを取り入れることによって、眉間に三本のしわを入れスピーカーの前に正座してて聴くだけのものじゃなく、リラックスして楽しく聴くことを教えてくれた。

1974年、THE WHOがコンピ・アルバム、 ODDS & SODSで LONG LIVE ROCK(不死身のハード・ロック)を歌ったものの、

ハード・ロックもプログレもネタ切れか、一時の勢いをなくした。

その後登場したパンクの連中に“ロックは死んだ”と言われた70年代後半、ジョージ・ベンソン、スパイロ・ジャイラ、ジョー・サンプル、ハービー・ハンコック、チック・コリア、などなどフュージョン系アーティストにすぐに飛びついた。

渡辺貞夫は60年代から継続的に活躍し人気を得て来たが、70年代後半頃、折からのフュージョン・ブームの到来もあって、当時行き場を失ったロック系リスナーを取り込んだ。

その火付け役が1978年のロサンジェルス録音のCALIFIORNIA SHOWER

や1979年のニューヨーク録音のMORNING ISLANDあたりではないかと。


ロスではリー・リトナー、ハービー・メーソンなど、そしてニューヨークではスティーブ・ガットにエリック・ゲイルらそれぞれ腕利き大物ミュージシャンが録音に参加。そしてそれらを取りまとめたアレンジャー兼キーボードのデーブ・グルーシンの活躍も見逃せない。

両アルバムは日本でヒット。そして今でも現役で活躍中の大御所、渡辺貞夫。

もちろん、ファンあってのプロ・ミュージシャン。

しかし見知らぬ人に、“オーイ、ナベサダ!”って言われたら我々と同じで、やっぱり気分害しちゃうかもしれないね。

ちなみに、氏名の中抜きでのナベサダ系渾名には、世界のナベアツ(かなり古い)そして某大新聞社主のナベツネなどがある。

リラックスの薦め、その2、リー・オスカー

2016年10月09日 | AMERICAN ROCK/POPS
昨日に続いてまったりサウンド。

オオ~、これは懐かしい。1978年のリー・オスカー2枚目のソロ・アルバム、BEFORE THE RAIN。

このレコード何時買ったっけ?

タイトル・チューンのBEFORE THE RAIN。

ミッド・テンポのファンキーなリズムにのせてハーモニカが絡んでいく。

そしてBEFORE THE RAINが終わると雨音のSEが次第に聴こえ、それがバック・パイプの音に転換すると2曲目のこれまた、ミッド・ファンキーなSTEPPIN’ OUTに展開。

日曜日、何もやることが無くぼんやりしているときのバック・グラウンドに最適。

全体的にほんわかしたサウンドの連続でなんともいい感じ。

リラックスの薦め、あのころ、古澤良治郎とリー・オスカー

2016年10月08日 | JAZZ・FUSION
あのころと言うと、いったい何時の頃をさすのだろうか?

まあ一番リラックス出来て楽しかったのは、学校に行ってた時じゃないかと思う。

その反対に、親はその当時、毎日生活していくためのお金のことを考えないといけなかったから結構大変だったと、働きだしてから始めて思った。

何しろ、就職したときの社長さんは、毎日口癖のように、日銭を稼げ~と新米社員にプレッシャーかけていたからね。

まあ昔から、受験戦争って言葉はあったけど、中学生の時代、私の周りで塾に行っていた人はいたけど、少数派。

まとまった勉強も定期考査の一週間前ぐらいで、それ以外はクラブ活動に励んでいた。

なぜかって言うと、井の中の蛙大海を知らずということわざの如く、外の世界を知らなかったわけで...(汗)

当時の公立高校の入試は、実際の入試の得点に内申書に記載された中学3年生の成績を十段階評価を足したもので合否判定がなされた。

現在はその方式は不公平とされているので、内申所の評価は絶対評価の採用に改められているようだが。

私もその恩恵を十二分に受けて、某高校に入学した。

そして一回目の定期考査を受けたところ、ついに本当の実力が判る時がついにきた。

なんとそのテストの成績は、お尻から数えた方が非常に楽であるという、今までありえなかった位置だった。

今までは一体なんだったんだろうと思いはしたが、まあ何とかなると、中学時代と同様まとまった勉強も定期考査の一週間前だけ、それ以外はクラブ活動。

まあ、そんな持ち前の楽観的な考えでも何とかやっていけたあの頃。

そう思うと今の子供は少しかわいそうな気もする。

自宅の最寄の駅には、チェーン展開する塾が7件もあってしのぎを削っている。近所に住んでいた子供なんか、そこには行かずわざわざ電車で3駅の距離にある塾に通っていたみたい。

基礎学力というか、例えば数学的な考え方とか、社会学的な考え方、その他一般的な考察力を養い、且つ常識とか道徳的な感覚を身に付ける事に力を注げば、人生何とかやっていけるのではないかと…

ほとんどの人が微分・積分、サイン・コサイン・タンジェントなんて実生活で使わないからね。

とこれまた楽観的なことを。

しかし、現実的には“敵は本能寺、いや諸外国に有り!”と言う事で、開発途上国が教育熱心に成るなか、日本国内だけを見ていたら、何年か後、日本人が井の中の蛙大海を知らずとなりかねないので、後戻りは出来ないのかも知れないけど…

ところで、古澤良治郎とリー・オスカーがコラボしたアルバム、“あのころ”。

ゆる~いレゲエ・タッチのリズムにアメリカのファンク・フュ-ジョン・バンド、WARのリー・オスカーのハーモニカがヒャラ・ヒャラ~と被さりなんともリラックス出来る。

そして、ゲストの渡辺香津美もマハビシュニュ・オーケストラのマクラフリンにギター対決の果たし状を出すという弾き方ではなく、このアルバムの趣旨ぴったりの演奏をしている。

1981年購入のレコードなので、私の言うあの頃とは時代が違うが、共通項はある。

ずっと生き抜きっぱなしじゃ退化しちゃうけど、たまには息を抜いてリラックスすることも必要かと。

長けりゃ良いって言うものでもない、BEATLESはどうよ?

2016年10月07日 | BEATLES-BADFINGER関連
長雨、長電話に長いトイレなどは本当に困る。

特にトイレの場合、急におなかがゴロゴロとなって、トイレに駆け込もうとする時に限っていつも先客がいる。

ショッピング・モールなんかで、急に行きたくなってようやく探し当てると、個室は満杯。

オオー、一番端っこが開いているぞってあわてて飛び込むと、故障中だったり紙が無かったりと大変な目に遭う。

リスク覚悟で非常階段を使って別の階のトイレに行くも同じ状態で、今日は便所の日なのかと毒づく。

空きが来るまで待つしかない。

ところで便所の日なんてあるのかと調べたら、11月10日が“いいトイレ”と苦しいごろ合わせではあるが、日本では存在するらしい。多分衛生陶器製造の業界団体が設定したものではないかと推測するが…

日本とちがって、此処シンガポールのアパートに住んでいれば、トイレは少なくとも主寝室とリビングに一箇所づつあるので、少なくとも自宅にいる場合はほぼ待ち時間なしに利用できるので辛い思いをする必要はない。

長いという言葉はロックの場合、60年代後半から70年代にかけてよくライブで演奏された長尺の曲が浮かぶ。

オリジナルで3-4分程度の曲を各奏者のソロを挿入して膨らまし、10分以上の曲にする手口である。さらに長い場合だとレコードの一面全部を費やすものなどがある。

これらの長尺曲を是とするか非とするか?

加えられたインプロビゼーションが起伏にとんだ変化のあるものならば、聴き手も曲の最後まで付いて行く事が出来るかも知れないが、同じような調子でピーヒャラ・ピーヒャラと単に尺だけが長いとなると中々厳しいものがある。

ビートルズの場合、デビューが60年代前半で、当時は3分程度の長さの曲が主流だった。しかも60年代後半になって長尺の実験的な曲が巷に現れだしても、彼らの楽曲は概ね4分程度に収まっていて聴き易い曲ばかりだった。

反対にジョージのI ME MINEなんて短すぎて、テープを継ぎ接ぎして曲を長くした例もある。

ちなみに、ビートルズ長尺曲ベスト・スリーと言えば、

例のREVOLUTION 9 8:22、

I WANT YOU(SHE’S SO HEAVY) 7:47

にHEY JUDE 7:10(モノは10秒ほど長い)となっている。


子供の頃、よく深夜放送を聴いてたクラス・メートがHEY JUDEは長い曲だと言っていたのを思い出す。

ビートルズであれば“ナー、ナナ、ナナナナー”と7が連続、エルビスであれば“ダァー、ダァダァ、ダァダァダッダァー”となるコーラスの行が、ビートルズのオリジナルの場合、3:09あたりから約4分間終わりまで続く。AMでのオン・エヤーの場合、大概後半部はフェード・アウトされた様に記憶する。

I WANT YOU(SHE’S SO HEAVY)の場合“SHE’S SO HEAVY”のコーラスが4:36あたりから約3分間終わりまで続く。この曲の場合、SHE’S SO HEAVYのコーラスが急に切れて曲が終わる形なので、子供の頃大音量で聴いていて、急にブツッと曲が終了した時、隣の部屋にいた親が、ステレオが壊れたのか?と聴いてきたのを思い出す。

長尺曲に関して、彼らは“リスナーがいったいどのあたりまで聴くことに耐えられるのかを実験していたのでは?”な~んて思ったりするのだが…

これらの3-4分のコーラスの繰り返しが、子供の頃には単調で長く感じられたが、今聴くとそうでもない。

まあ、現在の聴き方がバック・グラウンドとして流して聴いているからかも知れない。

4分と言えば、“ナー、ナナ、ナナナナー”が始まった頃に局地爆撃の任務でトイレに行けば、ステレオの前に戻ってきても“ナー、ナナ、ナナナナー”がまだ続いている。

次の曲にまだ移っていない状況なので、取り残されていないと言う安心感があっていい。

ちなみにREVOLUTION 9の場合は、ナンバー・ナインとアナウンスが始まれば、4分で事が終わらない重爆撃の任務になる可能性もあるので、最初から余裕を見てトイレ・タイムとなる。

今日は朝から雨、気温は30度以下となったが、昼過ぎまでシトシトの長雨のため風もほとんど無く、非常に蒸し暑い。

何でもほどほどの長さが良いようで。


今日の一枚、周期と臭気の関係、DOOBIE BROTHERS

2016年10月06日 | West Coast Rock

これ、これ、これじゃないと。

やっぱりこれだよ。

5枚刃のシェーバーをワン・ストローク滑らしたが如く、ざっくりと余計な物を一掃しスッキリさわやか。

それが1989年のドゥービー・ブラザーズ再結成のアルバム、CYCLE。

トム・ジョンストンがバンドから離脱し、代わりにマイク・マクドナルドのボーカルとキーボードを中心としたR&BプラスAOR路線は、悪くは無かった。

実際、グループとしては一番売れた時期ではある。

その象徴とでも言える大ヒットしたWHAT A FOOL TO BELIEVEの軽快なキーボードのピロピロ・サウンドは、車の運転中にラジオから聴きえれば小躍りしたくなるノリではあった。

しかし何か違う。

ドゥービーといえばやっぱり、彼らの2作目、TOULOUSE STREETのからファンになった者としては、軽快なギターのストロークやカッティング中心のサウンドで無ければ何か物足らない。

サイドー1のオープナー、THE DOCTORやこれまたサイドー2のオープナー、アイズレー・ブラザーズのカバー、NEEED A LITTLE TASTE LOVEは第一期のギター・バンドのころのドゥービーそのものであった。

お馴染みのリトル・フィートのビル・ペインらをキーボードに起用しているが、前面に出てきて主張するのではなく、あくまでもサウンドの一部としてに全体的に厚みを持たせる役割に徹している。

しかしながら、人間は多少なりとも飽き易い性格が備わっているので、ある程度の周期を持って変化していかねばならない場合も有る。

ギター・バンドを続けていけば、ドゥービーとてマンネリ化を避けられなかったかも知れないので、当時アルバム、TAKE IT TO THE STREETからのAOR路線への転換は、今思えば人気を持続するためには必須だったのかも?

このアルバム・タイトルのCYCLEは、結成当時からのギター・バンド期やマイク中心のキーボード・AOR路線期経て、ギター・バンドへの再結成で、転換の周期がやって来たと言う事だろう。

博士:ワシなんか、いつもワン・パターンじゃから、周期なんて特に意識はしないがのう~

イギリスのステータス・クゥオーの様に、彼らがエレクトリック・ブギーバンドでの継続的な活動に拘るのと同じで、毎朝カレーうどんでもまったく問題ない。

しかし、毎朝カレーうどん食べたいと言うと、カーちゃんが“そんな面倒なこと毎朝できるか!”って却下するから実現しないわけじゃが。

それにカレーうどんを食べているときに、もしカレーのスープが誤って新品の白いカッター・シャツに飛び散ると朝から大変怒られることになるので、インド人以外の方々にはお勧めは出来んかのう~

助手:博士! それより、カレーうどんを食した後のおならの臭気だけは抑えいただきたいと...


The Doobie Brothers - The Doctor