先ほど、JEFFERSON AIRPLANEのリーダー、ポール・カントナーが死去したというニュースを目にした。
JEFFERSON AIRPLANEといえば、個人的にも1967年の2枚目のスタジオアルバム、SURREALISTIC PILLOWから、シングル・カットされ大ヒットしたSOMEBODY TO LOVEだ。
SURREALISTIC PILLOW
以前にもこのブログにも登場した通り、“DON’T YOU おっさんBODY TO LOVE, DON’T YOU 兄さんBODY TO LOVE♪~”と言うフレーズは、ロックが何かも分からなかった子供だった頃、ラジオから聞こえてきてインパクトがあったのを思い出す。
その後、同じようなインパクトを持つヒット曲がなかったせいか、私の中ではJEFFERSON AIRPLANEは忘れられ、次回登場するのは、JEFFERSON STARSHIPと改名されだした、1978年の4枚目のスタジオアルバム、EARTHである。
EARTH
ロックとポップの中間ぐらいのサウンドで非常に聴きやすく、シャウトするグレース・リック、落ち着いた伸びのあるボーカルのマーチン・バリンそしてポールの場合ボーカルというよりはコーラス主体だったが…、三者三様で楽しめ愛聴盤となった。その後数枚のスタジオ・アルバムを購入し彼らの活動を追いかけていくわけだが、ポールが脱退しSTARSHIPとなってからは、シングルがヒットしたもののあまりにもポップになりすぎ、私が思い描いていたJEFFERSON STARSHIPのイメージではなくなったことからアルバムの購入は見送った。http://blog.goo.ne.jp/admin/
この手のポップ・サウンドであるなら、グレースやミッキー・トーマスらの破壊抜群のロック向けボーカルでなくとも、良かったのではないかと今でも思う。
多分、仕事とは言えグレースも歌いたくなかったのでないかと勝手に想像するのだが。
やっぱり、JEFFERSON AIRPLANEやJEFFERSON STARSHIPは、音楽活動に情熱を費やし続けたポールあってのバンドだったと再確認となった。
と思っていると、エリック・クラプトンの名前も、ネット・ニュースにアップされている。
一大事かと思いきや、なんでもエリックが、フランス人画家が描いた絵を1970年にその息子から貰った後、それを後日デレク・アンド・ドミノスの唯一のスタジオ・アルバム、“愛しのレイラ”のジャケットに使用したことが発端だった。
LAYLA AND OTHER ASSORTED LOVE SONGS
時代は流れ、そのアルバムが2011年にリマスターされた際、スーパー・デラックス・エディションとしてボックス化され、そのデザインにボックスを開けると“愛しのレイラ”のジャケに使用された女性の絵が飛び出る仕掛けであった。この作りに関して、画家の家族から絵に関して、作者もしくは作者の遺族の同意を得ずに間違って使用されているとの訴えで、フランスの裁判所の判決として約200万円の罰金がエリックに言い渡されたそうな…
2011年の話が、今頃裁判で判決が出るのって一体どうよ!
そう言えば、我が家にもそのボックスがあるのだが、ずっと忘れ去られた存在で未だ開封もしていない新品同様の状態である。その飛び出す絵をどのように感じるのか、ボックスを開けてみたい気持ちもあるのだが、やっぱり今回はやめておこう。何かいいことがあったときに開けようではないか!とかなりおじいさん臭いような考え…
4-5年前に買っておいて、未だに封を切らずほったらかしにしておくなんて、なんていい加減な自称音楽コメンテーターであることが証明された。
まだまだ、エリックには枯れないでギターをギンギンと弾き続けて欲しい。
今回はしっとりと、マーチン・バリンのボーカルで
Jefferson Starship - Count on Me
CD、DVD、B-RAYそしてレコードで音楽のソフトを所有するとなると、それらの収納スペースが必要となるし、またそれなりの再生装置も所有しなければならない。
データのダウンロードでは、収納についてはハード・ディスクとPCがあれば事足りるが、それをPC経由で再生するにはD/Aコンバーターとこれまたそれなりの再生装置が必要となる。
ハイレゾ音源の再生においてその音響効果が十分に満喫出来る装置となるとやっぱりお金がかかるが、バック・グラウンドで流すだけであれば、安価でコンパクトの装置で十分である。
音楽のストリーミング再生は、さらに再生に係る経費の削減が可能で、さらに多くのデータを記録するハード・ディスクは不要となり、また圧搾音源の配信なので、高価な再生装置でそれらを再生してもあまり意味はない。
ハイレゾではない圧搾音源ということで、特にハード・ディスクに残すほどのこともなく、また楽曲のデータがクラウドに記録されている事からいつでもそのデータ取り出せるので、少し乱暴な言い方をすると携帯端末経由の聴き捨てという新しい使い方になるのであろう。
すなわち手持ちの スマート・フォンで十分となる。
近年ストリーミング再生という方式で定額制聴き放題というサービス、LINE MUSICやAPPLE MUSICなどが相次いでサービスを開始した。
APPLE MUSICを例にとると、数百万曲の楽曲が月額980円で聴き放題というのが売りで、ネットなんかでも素晴らしいサービスで加入をお薦めするなどと煽っている人もいるみたいだが…
APPLE MUSICの説明には楽曲の配信スピードのスペックは記載されていないが、多分iTuneなどでお馴染みの圧搾フォーマットAAC 256kbpsではないかと推測する。
256kbpsのパケ・スピードと仮定すると、一分間にダウンロードするデータの量は、256kbps x 60sec. = 15360kb = 1.92MB (8bits=1byte)となる。
毎日の通勤の行き帰りに90分聴くとして、それをひと月あたり二十日続けるなら、1.92MB x 90min.x 20days = 3.456GBとなる。
これはあくまで計算値であって、実際のパケ使用量は使用している配信業者のソフト、利用している時点での通信回線のコンディションやその他もろもろの状況によってさらに増えていく可能性がある。
上記のようなコンディションで使用するには、最低でも5GBの高速通信枠は必要で、さらにそれ以外にネットを利用するヘビー・ユーザーとなると7-8GBは必要と思われる。
通常のネット利用だけでは、パケの使用量もそれほどではないが、もし途切れのない音楽配信サービスを日常的に使うヘビー・ユーザーになってしまうと、よく理解しないで契約した余計なオプションを含めた携帯電話のトータルの年間使用料金は10万円を軽く超えてしまうだろう。
自宅に高速ネットのラインとWIFIのルーターがあれば、WIFI経由でパケの消費なしに音楽鑑賞出来るのだが、わざわざ自宅で携帯のイアフォン経由で圧搾音源を聴くのもナンダカナ~
やはり、私のようなオールド・ジェネレーションとしては、形ある物を好むが故に、好きなアーチストのCDやレコードをひたすら購入し、たとえそれらを再生しなくともジャケットや解説文を眺めてニンマリし、またスプレーかけすぎのホコリだらけの古いレコードを聴く場合は、水と中性洗剤による丸洗いの儀式があるため一枚聴くためにはその収録時間の数倍はかかるという事になってしまうだろう。
そしてストリーミングを利用するにしても、それは無料のユーチュブのみで、CMがたとえ付いていても途中でスキップしてなんとかやり過ごす。
とてもストリーミング世代には理解出来ない楽しみ方であろうか…
ストリーミングの定額配信は昨今のメディアの売り上げ減少からして音楽業界にとっても避けては通れないこととなっていて、将来はこの形が主流になるのであると思っているが、ここで一言!
携帯電話の使用料が高すぎる! 高速通信し放題の価格も今後限りなくゼロに近づくのが好ましい。それに携帯端末の機能が複雑且つそれに付随するオプション契約についても何がなんだか?
以上、私見ではあるが…
1975年作 FLEET WOODMAC、全米1位
新生マックの売りは、三人のソング・ライター兼リードボーカルがグループに存在したことだ。それぞれの優れた作詞・作曲の能力に加え、 三者三様の個性的なボーカルにより、今迄のマックになかったバラエティーさが大いに受け大ヒットに繋がったと思う。
元気発剌スタイルのリンジー・バッキンガム、ハスキーでミステリアスな雰囲気を醸し出すスティービー・ニックス、そしてシンプルであるが味わい深いクリスティーン・マクヴィとこれだけ役者が揃えば、後は楽曲の出来さえ良ければ、これほどまでの大ヒットはともかくとして、過去の作品と比べればある程度のヒットは予測出来ただろう…
1979年スタジオ・アルバム、TUSKを出した後、バンドの活動を小休止し、リンジーとスティービーがそれぞれソロ・アルバムを出した。
リンジーのアルバムは少し自身のやりたかった事にのめり込みすぎて一般受けしなかったのか全米32位の中ヒット!
1981年作 LAW AND ORDER
スティービーは、マックの活動の延長にさらなる個性を出したのが、リスナーの嗜好にドンピシャで全米1位の大ヒットとなった。
1981年作 BELLA DONNA
クリスティーンは遅れて1984年に自身の名前を冠したソロ、CHRISTINE MCVIEを出し、安定の全米26位を記録した。
1982年作 CHRISTINE MCVIE
マック初期の主要メンバーだったピーター・グリーンの後を受け、1971年のFUTURE GAMEから正式メンバーとなり、バンドを脱退する1990年までの20年間、メンバーが何度も入れ替わろうともバンドを献身的に支えてきた彼女は、新メンバーになったリンジーとスティービーの派手さを落ち着かせるような楽曲を提供してきた。
個人的にはマックでの彼女の立ち位置を考えると、彼女のソロ・アルバムは少し地味な感じのアルバムになるのではないかと当時思ったが、それは杞憂であったと思う。
何故なら、シンプル・イズ・ベストという言葉があるように、楽曲はシンプルで少し淡白な雰囲気を感じさせるのだが、これが聴く者の心に落ち着きを与え、同じ楽曲を何度聴いたとしても飽きが来ない理由ではないかと…
ボブ・ウェルチ在籍時の中期マックがなぜ成功に至らなかったというのは、ボブとクリスティーンの作る楽曲が双方ともシンプルというか落ち着いたイメージの曲調であったから、若干被っているようなイメージとなりバンドとしてバラエティーさを打ち出すことに欠けていたのが原因ではないか…
そのため、マックから離れ、パリスでのバンド活動を経由しソロになった時、今までになかった弾けたボブ・ウェルチが見られ、後日ソロでのヒットにつながったと思っている。
1976年作 PARIS、不死身のハード・ロックなり
但し、ボブにとってマック時代の曲かそれとも脱退してからのものが好みだったのかは判らない。しかしながら、大ヒットしたEBONY EYEを行く先々のコンサートやテレビ番組などでいつも要求され演奏するのは苦痛ではなかったかと…
ちなみに、クリスティーンはかなり以前にクリスティーン・パーフェクトという名義でソロを出している。マックのベーシストであるジョン・マクヴィーと結婚(その後離婚)してマクヴィーと苗字を変えたわけだが、このパーフェクトはどうも本名のようである。
日本風に書けば、彼女の本名は、完璧クリスティーンでとなる。音楽家としては、後期のマックで大成功を収め完璧と言えるが、もし音楽家でなかったなら…
誰しもこの苗字の家系に生まれたなら、何をするにもさぞかしやりにくい事になっただろうなと思う。
Christine McVie - Got A Hold On Me
バンドを一旦解散した後、以前の活動とは全く異なる方向性で再結成をすれば、その新しい試みがよほど優れたものでない限りリスクはある。
やはり再結成されたバンドは、再出発という新鮮な雰囲気に過去の活動の香りをミックスした活動となるのだろう。
オランダ生まれのロック・グループ、FOCUSの10作目のスタジオ・アルバム、FOCUS Xを今回聴いてみた。
1975年の五作目のスタジオ・アルバムMOTHER FOCUSを出した後、中心メンバーだったギタリストのヤン・アッカーマンがバンドから脱退、1978年新メンバーでFOCUS CON PROBYを制作、活動休止の後、1985年にはバンド・リーダーのテイス・ヴァン・レールとヤン・アッカーマンの二人が中心となって、アルバムを出すが不発となりバンドはいったん解散。
2002年に新メンバーで8作目のスタジオ・アルバム、FOCUS 8で再出発、2006年のFOCUS 9を挟んで2012年に出たのがこのアルバムとなる。
今回、ジャケットのデザインにロジャー・ディーンを起用しやる気満々。
テイス・ヴァン・レールも歳を取り、さすがに往年のオペラチックな高音ボーカルはなくなってしまったが、 アップ・テンポのロック、それにクラッシックやジャズ調の楽曲が組み入れられ、全盛期の作品をイメージした無難な仕上がりになったのは流石である。
とは言え、このアルバムが誰に向けて制作されたのかとなると、やっぱり往年のファン向けが主だと思え、果たしてこれで新たなファンが獲得できるのであろうか?
再結成となると、過去の実績やイメージがバンドに付きまとい、どうしても保守的になりがちであるのはある程度仕方の無い事だが、単なる懐メロバンドに陥る事だけはやっぱり避けなければならない…
少し辛口の批評ではあるが、復活後の第三作目のアルバムだったので、過去を全て吹き飛ばすような思い切った冒険をしてみたらよかったのでは …
Focus X 01 Father Bacchus
UNDER THE COVERS, VOL. 1、60年代のカバーを収録
その仕上がりは、原曲の良さを引き出そうと考え、今風のアレンジでオリジナルに結構忠実に制作された。昔からロックをよく聴きこまれている諸兄にとっては”原曲に忠実なカバーは退屈だ”と嘆かれるかも知れないが、これはこれでアリだと思う…
ロックなるものが発展してきた60年代から80年代にかけて、素晴らしい楽曲が数多く存在し、少し大げさではあるが、これを知らずに生きていくのはなんともったいないこと。
未聴だった新しい世代の多くのリスナーに出来る限り、それらの良さを聴いて感じて欲しいという制作のコンセプトではなかったかと推測する。この様な音楽活動は重要で、カバーされた曲を聴いて原曲まで遡り、温故知新とでも言う状況を作るのは、音楽産業にとってもプラスとなるはず。
しかし通常ミュージシャンが新譜を出す場合、特にカバー曲であると強調しなければ、その新譜制作用として提供された外部の作者による書き下ろしの新曲と勘違いさられ、オリジナル作者にスポット・ライトが当たらない事も…
WITHOUT YOUという名曲は、1970年バッド・フィンガーのピート・ハムとトム・エバンスによって書かれた作品で、アルバムNO DICEに収録されていて、当初ビートルズの楽曲だと勘違いしたニルソンが、翌年自身のアルバムNILSSON SCHMILSSONでカバーし、シングル・カットされ全米と全英で1位を獲得した。
NO DICE、ニルソンのバージョンが大ヒットし本家より有名になったことから、ライブでは意地でもこの曲を取り上げなかったそうな…
NILSSON SCHMILSSON、ニルソンは個性的な歌手で、自作曲も出しまたランディー・ニューマンや他数多くのカバーも手がけているが、この曲の大ヒットでイメージとしてはWITHOUT YOUのニルソンとなっているみたい。
その20数年後の1993年、マライヤ・キャリーが、MUSIC BOXのアルバムでカバーし、そのシングルは全米3位全英1位を獲得と再び大ヒットとなる。しかしながら、特に当時大人気を誇ったマライヤの大ヒット曲だったから、多分一般のリスナーは原作者のピートやトム、そしてニルソンらのことなど知らなかったかもしくはそれほど関心がいかなかったケースだったのでは…
マライヤもこのアルバムの大ヒットで、その地位を築いたため、90年代でWITHOUT YOUと言えばマライヤとなる。
バッド・フィンガーの場合、プロモーションの不備などで制作したアルバムが不発だったり、不平等なマネージメント契約によりそこそこヒットしても実入りが少なかった現実に絶望し、また精神的に追い詰められ、ピートやトムは絶望し自殺してしまった。
そのため、たとえ後日彼らにスポット・ライトが当たったとしても、死去した後では複雑に感じるのだが…
これ以外にカバー曲を制作する手法として、ミュージシャンの音楽志向や楽器を操る技量を存分に取り入れることが挙げられる。そういった場合、原曲の主旋律や歌詞の断片などが時折現れる程度に原曲を崩すことになれば、一聴してもカバー曲かどうか直ぐに判らない事になってしまう。
最近買ったCDで、ジャズもしくはフージョン・ギタリストと称される、AL DI MEOLAがビートルズの曲を全編カバーした、2013年発売のALL YOUR LIFEなんかはそれにあたる。自身の名前に由来するのか、ラテン系のサウンドに影響を受けた様な演奏である。今回はエレキを使わずナイロン弦を張ったアコースティック・ギターとパーカッションでのシンプルな編成でビートルズの曲をカバーしている。
編成はシンプルでも、お得意の超高速弾きによってギターを演奏するので、彼のアレンジによるギター・サウンドの音譜が各小節にぎっしりと詰まっていてスカスカのイメージは全くないが、別物にも聴こえる。
初めてこのCDを聴いた時、2曲目AND I LOVE HERの1分37秒あたりで音飛びのように聴こえた箇所があったのだが? ユーチューブにアップされていた音源も同じ様に聴こえたし、その箇所をCDで繰り返して聴くうちに、多分超早弾きのギター奏法で旋律をくずしたため、そのように聴こえたのだと思うが?
ロックでも、ハンブル・パイの1975年のスタジオ・アルバム、STREET RATSでWE CAN WORK IT OUT、DRIVE MY CARとRAINなどをカバーしているが、ボーカルのスティーブ・マリオットが原曲を崩しブルージーに歌いまくっているので、曲のクレジットにレノンーマッカートニーと記載されていなければ全く別物に感じる。
ハンブル・パイのA&Mレーベルの最終作、少しまとまりに欠けるがスティーブのソウル・フルなボーカルやベースのグレッグ・リドレーの力強いボーカルは聴きどころである。
まあ、これらは多くの人が知っているビートルズの楽曲をカバーしているので、オリジナルと異なるアレンジでも”なるほど”となるのだが、それ以外のアーティストの曲では、彼らの自作曲と勘違いされる可能性もなきにしもあらずとなる。それにしても、ビートルズのカバーはどのような形態であれ、興味を引くのは間違いがない。
そういやもう一つ忘れていた、ひどい痛みのあったバネ指治療の手術後に包帯でぐるぐる巻きにカバーされた私の左手。まるでドラえもんの手!
カバーも色々あるってばよ~(今回は渦巻きナルト風に )と言ってもこの手のカバーは、2度と御免被りたいものである。
We Can Work It Out - Humble Pie
一つは新譜で発売されるCDで、もう一つは旧譜の再発である。
旧譜を再発するとなるとやっぱり、過去にレコードやテープの形態で販売されたオリジナル・アルバムの売り上げ状況が再発の決定に重要な要素となる。もし過去に売れ行きが芳しくないアルバムであれば、購入は特定のコレクターやマニアックなファンに限られ、大手のレコード会社としては再発することで利益が見込めないと判断し、再発を却下することになるのであろう。
反対に過去のヒット・アルバムであれば、当然CDに買い換える需要があり、紙ジャケ、リミックス/リマスターそしてメディアの変更(SHM-CD,SACD, DVDB-RAY)と形を変えてなんども再発されるのである。
そのため、中小の再発専門の会社が細々とその仕事を続けていくわけであるが、過去のヒット・アルバムもなんども形態を変えて再発され続ける手法が賞味期限切れとなると、新たな手法を出していかないと立ち行かなくなる。
そのような状況下で生まれてきたのが、ヒットしたアルバムとそうでなかったものを頒価版のボックスとして抱き合わせで売ること。
一気にそのアーチストのアルバムを揃えてみたいといった新たな購入者が生まれるであろうし、コレクターにとっても再発されなかった盤が含まれていたなら、他のアルバムが手持ちの音源とダブったとしても、つい買ってしまうという構図である。
詳しい解説や訳詞も付いていない輸入盤で、安っぽいボックスの作りであるが、何しろ国内制作盤1枚の価格に毛の生えた程度で、5枚組のCDが買えるのである。 同じものを一品ずつプラケース仕様で集めることと比べると価格的かつ収納スペースの節約など実践的な魅力的がある。
音に関しても、素晴らしい再生装置を持っていたり、再発されたCDのマスタリングに一家言あるマニアの方はさておいて、バック・グラウンドで流したり、圧搾を加えてiTuneやiPodで聴く分にはさほど問題がないと思えるのだが…
というわけで、最近この手のボックス・セットが数多く販売され、目ぼしいものをちょくちょくと買っているのだが、今回はボブ・ウェルチのものを買ってみた。
厚手の紙の小箱にキャピトル・レーベルのソロ時代の四枚組と解説書が収まったものある。
一枚目のFRENCH KISSはすでにレコードとCDは所有しており、また二枚目のTHREE HEARTSもレコードで所有しそれをMP3に変換しiTuneに取り入れているので、今回の場合は、三枚目のTHE OTHER ONEと四枚目のMAN OVERBOARDが私にとって目玉となる。
FRENCH KISS、おー、セクシー美女にキスされ羨ましい~
THREE HEARTS、なんと美女が今回二人ではないかー
THE OTHER ONE、手先で影絵の狼を再現、見てくれと中身は違うぞー、って意味かな?
MAN OVERBOARD、よく意味はわからぬが、下船した男はどこに向かうのやら? 街中のモーテルなのか?
THREE HEARTSは完全に一枚目のFRENCH KISSの姉妹版とも言うべきアルバムで、サウンドもアルバム・ジャケットも大体同じコンセプトで作成さえている。全米12位、プラチナ・セールスだった一枚目と比べると全米20位のゴールド・セールスということで、前作の勢いはなくなったが、これは多分シングル・カットされた曲が若干弱かったということで、姉妹版としては悪くないと思えた。
レコード会社は売れるのであれば、ボブが前作を模倣すれば良いと口を挟むかもしれないが、彼自身が進んで同じようなアルバムの制作を試みたかどうかはわからない。しかしながら、もしレコード会社の意向に沿って前作の続編を作ったなら、THE GHOST OF FLIGHT 401という他の曲と毛色の変わった楽曲の収録は、自身がコントロール出来る範囲で少しは前作との違いを見せたかったからなのかも…
その反動が、三枚目のTHE OTHER ONE(別のやつ)によく表れていて、タイトル通り今までとは違った制作手法を用いたアルバムで、アレンジも簡素化しまたバンド・メンバーの作品を三曲収録して、ボブがバンドと一体化したサウンドをこのアルバムでアピールしている。
作風は、全く変わったとは思えないが、全体的に落着いたもしくは地味な味わいであった。シングルカットされた楽曲に、以前出した弾けるようなヒット・ナンバーがなく、リスナーも敏感に反応し、全米105位と不発に終わった。
そしてさらなる反動が四枚目のMAN OVERBOARD(丘に上がった男)に現れていて、前作の地味だった箇所を改めようと以前のような耳に馴染みやすいサウンドに転換を試みるが、それもなんとなく中途半端に終わった感があり、結局チャート的にも162位とさらに悪化。その後、ボブは契約切れでキャピトル・レーベルを離れることとなる。
それより、当時もう少し開き直ってFRENCH KISSの姉妹版第三部はどーよ!というノリで作っていたら…などと今更ながら思うのだが…
ミュージシャンとしては、いくら過去にヒットしたとしても同じような焼き直しを作るのは良しとしなく、その都度演奏したい音楽を発信して行きたいなど言う、常に変化を求めて行く理想のようなものがあるみたいだがが、やっぱりお客あっての商売。
ドゥービー・ブラザーズなんか、1982年にいったん解散したその7年後 、リーダーだったトム・ジョンストンがバンドを再結成。その時出したアルバムCYCLESを聴くと、かつてのあのギターをかき鳴らすドゥービー節が復活したではないか。
CYCLES
マイク・マクドナルドのあのAOR路線も悪くはなかったが、初期からのファンは過去のサウンドの焼き直しなんて評論はどこ吹く風、あのギター・サウンド中心の初期ドゥービーの復活を喜んだことと思う。
4年もの間、中期のフリート・ウッドマックを支え、かつ作曲能力を磨き自身のバンドだったパリスを経て、ソロ・デビューで遂に大ブレーク。
今回のボックスを聴き通し、せっかくの大ブレークしたのだったから、同様にマンネリと言われようが同じ路線でもう少し長くボブ・ウェルチを聴きたかったという感想となった。
例えば古典落語は、もちろん噺家の技量や個性によって聞く印象は異なるかもしれないが、基本的には話の筋がわかった上で何度も同じ話を聞いて楽しむ。
もちろん、これをマンネリと称していいのかどうか議論の余地はあるのだが…
まあ、マンネリも上手に長く続けていければ、後には偉大なるマンネリとなり反対に親しみを持って受け入れられる可能性もあるのではなかろうか?
Bob Welch, Ebony Eyes
イーグルスのメンバーであるグレン・フライが病気で死去したってニュースが飛び込んできた。
今年の7月までHISTORY OF THE EAGLESと言うワールド・ツアーに参加していた事とか、相方のドン・ヘンリーの新しいソロ・アルバム、CASS COUNTYを出した事の記事をついこの前アップしたばかり。
どのような偶然か、昨日は昨日で、ポコのスタジオ・アルバム、INDIAN SUMMERについて記事をアップした際、ティモシー・シュミットのイーグルス移籍の話題に触れたわけだが…
享年67歳ということで、まだまだ現役のミュージシャンとして活躍できた年齢だった。
なんとも残念なことである。
グレンはイーグルスのアルバムに収録する楽曲を、主にドン・ヘンリーと共作していたのだが、それ以外にジャクソン・ブラウンと組み、TAKE IT EASYを作ったり、友人のジャック・テンプチンの曲を取り上げカバーしたりして、比較的明るいイメージ、所謂ウエストコーストサウンドの爽やかさ、をグループに持たらす役割だったように思える。
ドン・ヘンリーと組むと、どうもサウンドが重苦しくなったり、そうでない美しいメロディーの曲の場合でも、歌詞に重苦しさがあったような気がする。
その反動なのか、1982年の彼のソロ第1作、NO FUN ALOUD(全米32位)では、かっての重苦しく感じるサウンドや歌詞は排除され、二曲のカバーを除いてはすべてオリジナルなのだが、昔の懐かしのヒット曲を集めたようなアルバムであった。
十曲のアルバム収録曲の内、その半分がジャックとの共作、同じく旧友のデトロイト・ロッカーのボブ・シガーとも一曲を共作し、そしてオールディーズのカバー、I’VE BEEN BORN AGAINとSEA CRUISEを取り上げた。
また、収録曲の中から、二曲(I FOUND SOMEBODY-全米31位とTHE ONE YOU LOVE-全米15位)がシングル・カットされ、それぞれヒットした。それはイーグルス後期のアルバムとは異なる、非常にリラックスして聴くことのできる雰囲気を持った曲であった。
アルバム・ジャケットやインナーには、真っ白のジャケットに赤のネクタイと赤の星が入ったコンバースのスニーカーという出で立ち。多分イーグルスの頃のイメージを消し去るつもりで、彼のジョークとしてこの姿となったのでは?
インナーには白黒写真が使われているが、スニーカーに赤で色づけをわざわざして、若者に流行しているコンバース履いてますよと、そのダサさを強調しているように見えるのだが…
そして、ギター禁止のイラストにアルバム・タイトルのNO FUN ALOUD、それは“大音量はつまらない”とでも訳すのだろうか? また、アルバム・タイトルとよく似た発音のNO FUN ALLOWEDに掛けて“楽しい事はお終い”と二重の意味を表現しているのだろうか?
すなわちこれらの事は、第1期の活動末期の病んだイーグルスに別れを告げたのだと個人的に思うのだが…
このアルバムで最も好きだった曲がTHE ONE YOU LOVEで、昔カラオケでよくこの曲をよく歌ったものだった。そのため、英語の歌詞が今でも頭にこびり付いていて、レコードをかけたなら歌詞カードを見なくともグレンと一緒に歌うことが出来るのである。しかしながら、此処何年もカラオケに行くこともなく、また歳のせいでもあるのか、高音の箇所は声が今ではひっくり返ってしまう。
まあ、誰しも歳をとるとこうなってしまう運命なのだが…
それにしても、オー、グレン! お主少し早過ぎたんじゃないかね?
MR. GLENN FREY, RIP
Glenn Frey - The One You Love
今年はずっと暖冬気味でスキー場も雪不足で困っているニュースなんかもあり、“やっぱり冬は例年並みに寒さも必要だな”なんて気楽にほざいていたのだが、ここ数日急に寒くなり、今朝は大雪のせいで各地の交通網に大混乱が生じているとのこと。
路面がシャーベット状態で、溶けた雪が冷たい水となりそれが薄い革靴内に侵入してきたら、スペアの靴と靴下がない限り、一日中気持ち悪く過ごすことになる。
冬にはある程度の寒さは必要だが、急な大雪は困りものである。
ところで北緯34度に位置するロサンゼルスは、位置的には日本では大阪より少し南に位置する徳島辺りと同じとされる。しかしながら、彼地の気候は地中海性気候に分類され、夏は暑く雨が少なく乾燥し、冬は雨も降るが温暖な気候である。
その昔、サンタモニカ市の東に接する ウエスト・ロサンゼルスという地区に住んでいた時、2月ごろは暖かく日中半袖のTシャツを着ていた記憶がある。これがよく言われるインディアン・サマーだなと思っていたのだが、その後ネットで調べてみると、“小春日和”もしくは“北米のニュー・イングランド地方で使われる言葉で、秋から初冬にかけて日中暖かい穏やかな天候”と記されていて完全に間違ってその意味を理解していたような…(汗)
アメリカのカントリー・ロック・バンド、ポコが出したアルバムにINDIAN SUMMERがある。これは、1977年の通算10枚目のスタジオ・アルバムに当たる。
全米57位と大ヒットしなかったものの、特にギター担当のポール・コットンの地味というか落ち着いた雰囲気の楽曲に心が和む。そして、このアルバムは、ベースのティモシー・シュミットがイーグルスに移籍 する前の最後のアルバムとなる。
ところで、このアルバムに収録されているポールが書いたアルバムタイトル曲、INDIAN SUMMERの歌詞の一部に、
INDIAN SUMMER IS ON THE WAY (インディアン・サマーがやって来る)
COOL AT NIGHT-AND HOT ALL DAY (涼しい夜-暑い日中)
AIN’T NO BLACK CLOUDS FILLED WITH RAIN(雨を伴う黒い雲はなく)
SANTA ANA WIND BLOW THEM ALL TO MAINE(サンタ・アナの風は雲を全てメインまで吹き飛ばす)
とある。
ロサンゼルス・カウンティーにあるサンタ・アナ市の風が、雲を東海岸ニュー・イングランド地区のメイン州まで吹き飛ばす、となっているのでやっぱりロサンゼルスでもインディアン・サマーという言葉は使われているのだろう。ただし、10月頃にそれはやって来るみたいだが…
この曲には、スティーリー・ダンのドナルド・フェイガンがゲストとしてシンセサイザーを弾いている。もともと、ポコは前々作のHEAD OVER HEELで、スティーリー・ダンの幻の曲と呼ばれるDALLASをカバーしているし、ティモシーが彼らの幾らかのアルバムにバック・コーラスとして参加した縁もあるので、そのようなことが実現できたのかもしれない。
しかし、中後期のスティーリー・ダンと言えば自作のアルバムやコンサートなどで彼らより演奏技術の高い凄腕セッション・ミュージシャンを大量に起用しこだわりのアルバムの制作やライブ活動をしていた特別な存在だった。しかもセッション・ミュージシャンの方が、オリジナル・メンバーの二人より時給が高いなんて話も聞いたことがあった。
プロデューサーのスティーブ・カッツを含めた三人はとても気むずかしく完璧主義者で”自身のアルバムが想い通りに制作出来るのなら、他のことなんてどうでもいいからね~”という印象が個人的にあった。
そのため、まさかスティーリー・ダンのメンバーが自ら出向いて他のアーティストのオリジナル・アルバムの録音セッションにゲスト参加する正反対のようなことが起こるとは!
まあ、それはインディアン・サマーと言う季節はずれ事象のように珍しい出来事だったのではないかと無理やりこじつけてみる…
しかし、ポコのINDIAN SUMMERはファンにとっては、何のこじつけも必要としない、何時聴いても落ち着く素晴らしいアルバムなのである。
Indian Summer by Poco
博士:おおー、これは赤い鳥のシングル盤“赤い屋根の家”じゃないか! いつ買ったのじゃろうか?
助手: 1972年発売に彼らの8枚目のシングルとして発売されたようですが… 作詞は、山上路夫(“世界は二人のために”とか赤い鳥関連では、“翼をください”と当時の売れっ子作詞家だった)作曲は村井邦彦(アルファーレコードの創設者で売れる前の荒井由実と契約した、作曲ではグループサウンズから歌謡曲まで幅広く活動し、ヒットを飛ばしたこれまた売れっ子作曲家)ですね。
博士:おおー、思い出したぞ。徹夜の試験勉強の時に、ラジオの深夜放送でこの曲をやっていて、その数日後発作的にダイエーが入っていた近所のショッピング・センターのレコード屋で買った記憶があるのう。
当時は、自作自演ではなく専門の作詞家や作曲家を起用するのが普通じで、作曲では、村井邦彦以外に、すぎやまこういちや筒美京平などが売れっ子じゃった。
関係がないが、そのダイエーが入ったビルも取り壊しとなり、今では食料品だけを扱うグルメ・シティーになっとるのう。時はあっという間に過ぎるものじゃ。
助手:歌詞を見ると、
赤い屋根の家を建てたい
丘の上に二人
旅を続ける二人の夢は
いつも同じ夢
いつか旅路が終わるところに家を建てたい
愛の家
幼稚だと誰もが笑うけれど
それでも構わない
楽しい夢だから
なんともメルヘンチックじゃありませんか。
博士にはあまり似合ってないみたいですが…
博士: ワシもその当時は、ヤングしていて、真っ赤なスリム・ジーンズにロー・カットのバッシュを愛用していたぞ。しかもジーンズはウエストが29インチじゃった。
もし、今そのジーンズを履く事が出来たとしたら、ジッパーが吹っ飛ぶのは間違いない。
助手:60年代後半から、日本にもフォーク・ミュージックが出てきて、70年代には結構流行しましたね。
博士:当時は、テレビやラジオ向けの一般的な歌詞で歌っていた 人気グループも一部いたが、ほとんどはコンサートをメインに活動していたのじゃ。無論、放送禁止歌になるような政治あるいは社会的なメッセージを含む歌を歌っていた連中は、テレビやラジオではオン・エヤー出来ない時代じゃった。今なら言論の自由となるのだろうが…
助手:“赤い鳥”は“竹田の子守唄”みたいな和風のフォークも演奏するが、基本的にはほとんど政治や社会的なメッセージを含まないアメリカのポップ・サウンドが主体で、仲間内では彼らの実力は非常に高く評価されてましたね。
博士:2番の歌詞のサビの部分を今読むと、アメリカ・ポップ・サウンドのイメージとは正反対のなんと消極的な表現なんじゃ! とても若者を代弁したものとは思えないのじゃが…
穏やかな人生
送りたいの
小さめの幸せ
それだけあればいい
なんとか戦後の荒廃した日本を再生しようと60年代をモーレツに生きてきて、64年の東京オリンピックや70年の大阪万博を成功させた後、それまでの価値観に変化が起こったのかも知れんが…
助手:そう言えば、当時モーレツからビューティフルなんて云う標語も当時ありましたね。
ところで、今からでも赤い屋根の家を丘の上に立てるのはいかがですか?
博士:今のワシとしては、建てるなら同じ赤でも備中高梁のベンガラ色の屋根になるのかのう… しかしそれ以前に、もしそうなったなら、買い物や医者に行くために、毎日繁華街まで丘を降りていきまた登って戻って来なければならない。丘の上に建てるのは体力的に無理じゃ。
助手:なんと現実的な!
博士:やっぱり、70年代の楽しい夢の中の話じゃろうなぁ~
といつものワン・パターンで、グダグダながら昔を思い出す博士である。
そう言えば、テレビで“年をとると結構昔のことはよく覚えていて執着心もあるが、最近の事となると無頓着で印象も薄いみたいな…”なんて言っていた。
全く本当と実感する今日この頃であった。
巷では、新ロック三大ギタリストとは、ジョン・メイヤー、デレク・トラックスそしてRED HOT CHILLI PEPPERSのギタリストであるジョン・フルシアンテだそうな。
ジョン・メイヤーはスティーブ・レイボーン、デレク・トラックスはオールマン・ブラザース繋がりで名前を知って聴くことになったのであるが、ジョン・フルシアンテについては、RED HOT CHILLI PEPPERSと云うバンドの存在は知っていたのだが、生憎彼らの楽曲をほとんど聴いたことがなかったので、三大ギタリストとの一人だと言われてもピンとこない。まあ今後機会があれば視聴してみようと思う。
そこで今回は、デレク・トラックスについて書いてみよう。
1979年生まれで9歳からギターを弾き始め、1995年に自身のバンドを結成、その活動に並行し1999年叔父であるブッチ・トラックスがいるオールマン・ブラザーズ・バンドに正式加入、2010年妻のスーザン・テデスキのバンドと合体し、テデスキ・トラックス・バンドを結成、自身のバンド活動に専念するため2014年のコンサートを持ってオールマンから脱退。
ロック、ブルース、ジャズだけでなくエスニックなフレーズも弾きこなし、愛用のギター、ギブソンSGをオープンEのチューニングにセットしピックを使わず親指で弾く。スライド・プレイはデュアン・オールマンと同様にメディシン・ジャーを指にはめて弾きまくる。
早速聴いてみようとCDを取り出す、と言っても最近彼を知ったばかりだから、2009年のスタジオアルバム、ALREADY FREEとそれに続いた2010年のライブアルバム、ROADSONGSしか持っていない。
ALREADY FREEとROADSONGS
なるほど、噂通りうまい。ギター・ソロも心地良く聴こえるし、スライド・プレイも唸りまくる。上記2枚のアルバムで演奏されたボブ・ディランのDOWN IN THE FLOODのカバーも自身のオリジナルに聴こえるほど素晴らしい出来だと思う。
ディランのGREATEST HIT 2、2枚目の最後にオリジナルが収録されている。
とは云え、この2枚のアルバムだけを聴いた印象としては、メジャーになるには楽曲が少々地味ではないかと…
オールマン・ブラザーズは、アルバムの頭にこれぞオールマンと云う派手目の曲を持ってきている。
例えばファースト・アルバムではDON’T WANT YOU NO MORE、フィルモア・イースト・ライブでSTATESBORO BLUESを一曲目に配置し一気に彼らの音楽に引き込んでしまう手法である。
また、デュアン・オールマンの場合は、デレク・アンド・ドミノスにゲスト参加し、LAYLAでエリック・クラプトンと共演できたことで、一気に知名度が上がったこともプラスになった。
デレク・トラックスが、今後自身のバンドにおける活動をどのように進めていくのかは定かではないが、私見としては、彼の本意ではないかもしれないが、オールマン・ブラザーズのように彼のギター演奏が光りさらに通だけでなく一般受けするような楽曲を数曲取り入れてくれればと、個人的に思う。
せっかく新三大ギタリストに祭り上げられたのだから、単なるギターが特別上手いギター職人というような立場ではなく、メジャー級ヒットもガンガン飛ばし、将来カリスマ的存在として君臨していただきたい。
尚、合体したテデスキ・トラックス・バンドは、結構いい線いってるみたいで, ひょっとすると楽曲次第で将来ボニー・レイット姐さんみたいに大化けするかも…
テデスキ・トラックス・バンドの一枚目のアルバム、リベレーター
Derek Trucks Band - Down in the Flood
高性能のカセット・デッキなども発売され始めたが、日本の場合その用途はレコードからカセット・テープへのダビングもしくはFM放送の番組のエア・チェックが主なもので、オリジナルのカセット・テープ版を購入してテープ・デッキで聴く人は少なかったのではないかと…
というわけで、当時未知のアーチストの音源を聴くには、ラジオ以外では知人の間でのレコードの貸し借りとなる。
レコード店がレコードを購入した時にくれる厚手の紙袋を抱えて学校に持って行った記憶がかすかに残っている。
CDの場合は、よほど変な扱い方をしない限り音源の記録面にダメージを与えることはないし、最悪薄傷がついても再生に影響のない場合が多い。
しかしレコードとなると、レコード・プレーヤーのセッティング、レコード針の状態、レコード針を盤面に落とす手法の違いなどで盤面にダメージを与える可能性が高い。それゆえ、友人の好意で借りたレコードも傷がつかないよう恐る恐る通しで2-3回聴く程度となる。
一度、”これは素晴らしいアルバムで、是非聴いてくれ”とイエスの危機というレコードを貸して貰ったのだが、傷がつくのを恐れて2回通しで聴いて返却してしまったので、複雑な構成を持った長尺の楽曲の良さを解することは出来なかった。
イエスの危機、当時、全3曲のみ収録というポップ路線から外れた構成は、イエスを全く知らなかった人にとっては、何となく難解なイメージもあった。当時、彼らのレコードを聴く前のイメージは、英語での肯定を示すイエスではなく、イエス・キリストが個人的には浮かんだ。また通常のポップ・アルバムであれば収録曲の1曲がハズレであっても、残りの10数曲に望みを卓すことが出来るが、この場合は3曲のうち1曲がハズレであれば、残すは2曲のみ。最悪その2曲も好みにマッチせねば全滅という憂き目に遭ってしまう。
また、気に入った箇所のみを何度も繰り返して聴くなどは御法度であった。何回もトーン・アームの操作を行うとこれまた盤面に傷をつける可能性が高くなる。LPの場合は、レコードの頭の音源が記録されていない頭の箇所に、できるだけショックを与えないように針を降ろし、最後まで通して聴くのが安全である。
またこちらから貸すときも、恐々であった。相手がどのような再生機器を持っているか判らなかったからである。
当時、マニアでない一般家庭でカラー・テレビも買ったし次はステレオでも買おうかとなる場合、プレーヤー、アンプそしてスピーカーが一体となった家具調足付きのものを購入したであろう。
そのため、ステレオ・サウンドが楽しめれば問題はないとことで、特にレコード針の管理には無頓着で購入した当時のものがそのまま使用されている場合も多い。
ステレオ・セットで聴くならまだしも、相手の環境がポータブルの電畜で寿命が短い摩耗したサファイヤ針での場合はかなり不安になったのでは… そのため、本当に信頼の置ける人だけに貸したうような記憶も…
そんな中、貸して貰ったレコードで、自身が所有していたレコードのごとく良く聴いたのが、キャロル・キングのタペストリー(つづれおり)。
少し鼻にかかった個性的な歌い方で、人によっては好き嫌いがあるかもしれないが…
このレコードは、1971年に出され、チャート全米15週連続一位獲得、アメリカだけで1100万の売り上げ、グラミー賞4冠達成、さらにシングル・カットされたI FEEL THE SEARTH MOVE、SO FAR AWAY、IT’S TOO LATEとSMACKWATER JACKはそれぞれ大ヒットとなる超名盤であった。
ジャケ裏に歌詞がびっしり書かれていた。後にCDの紙ジャケも同様に再現されたが、小さすぎて判読できない。
当時キャロル・キングの存在を知らず、レコードを借りたことがきっかけで、数年遅れでファンとなった。このことから、他の女性シンガーソングラーターにも目が向くようになった。
名曲YOU’VE GOT A FRIEND(君の友達)はシングル・カットされなかったが、ジェームス・テイラーがカバーし大ヒットさせた。
ワーナー移籍2作目に収録
この曲は多くのシンガーにカバーされたのだが、ジェームス・テイラーは別格として、知っている範囲で上出来なのは、個人的にはやっぱりダニー・ハサウェイのライブでのカバーだろう。
ダニーのライブ盤、マービン・ゲイやジョン・レノンもカバーしている。その他の曲も出来が良い。
YOU JUST CALLから始まるコーラス・パートのところをライブに来ていた観客に歌わせるのだが、ダニー・ハサウェイとあまり距離感を感じさせない小規模のライブ・ハウスのアット・ホームなコンサートの雰囲気に、あたかもそこに存在しているかのように、スピーカーの前で聴いている私もつい歌いだす。
ちなみに、借りたレコードでイエスの危機の良さを解ることの出来なかった私は、そのリベンジを果たすべく後日大枚をはたいて、イエス・ソングスを購入。
3枚組のイエス・ソングスは、プログレロックの金字塔と言える。
このライブ盤の出来にぶっ飛び、イエスの信者となる。しかしながらライブ盤のあまりの迫力に、旧作のスタジオ盤では物足りなく、それらの購入は後回しとなった。
当時のレコードの価格は、現在の国内盤CDの価格と同じくらいで、当時と現在の物価を比較するとかなり高価なものだったと言える。また洋楽の情報も雑誌やラジオが主体でなかなかピン・ポイントの情報は得られなかった。
そのため、レコードを傷付けるリスクがあるものの、レコードの貸し借りは情報を入手ための重要な手段だと言える。
インターネットやCDレンタルで簡単に音源が入手出来る昨今、非常に便利になったとは言えるが、いつでもその手の情報を入手出来る気軽さからか、その昔私が体験してきた一期一会の緊張感を味わうことは出来ないだろう…
と不便さの中で得られた充実感を懐かしむ博士であった。
まあ、他の人から見れば、そう大したことでもないのであるが…
Donny Hathaway - You've Got a Friend
ネットでニュースを見ていると、なんとデビッド・ボウイーが死去したニュースが飛び込んできてびっくりした。
ニュー・アルバム、BLACKSTARを出したばっかりで、健在と思っていたのだが…
コアなファンであれば、当時1969年の2作目のオリジナル・アルバム、SPACE ODDITYあたりから彼をよく知っていたと思うのであるが、私としてはやっぱり、72年にステレオを買ってもらった時に遭遇した、5作目の“屈折する星屑の上昇と下降、そして火星から来た蜘蛛の群れ”と邦題がついたTHE RISE AND FALL OF ZIGGY STARDUST AND SPIDERS FROM MARSであろう。
SPACE ODDITY (日本では、このジャケとは違っていた。)
THE RISE AND FALL OF ZIGGY STARDUST AND SPIDERS FROM MARS
おどろおどろしい邦題に腰が引けて、初回盤購入とならなかったのは今思うと非常に残念であったが、そのアルバムに収録されたSTARMANは私にとって非常に耳に馴染む曲で今でもよく聴く定番中の定番である。
ボウイーは、ファン離れを恐れず、いとも簡単に音楽の方向性やビジュアルを常に先取りし変化させ自身の道を突き進んでいったわけだが、私としてはジギーのスタイルをもう少し継続させてくれればと思った。
なぜなら、ZIGGY STARDUSTの次に好きなアルバムが1974年7作目の同路線最終作であるDIAMOND DOGSなのである。当時金欠で、レコードを購入する事が出来ず、深夜のFM放送をエヤ・チェックしアルバムをこの時のために採っておいたダイナミック・レンジの広いメタル・テープに録音した記憶がある。今ならアマゾンでの余裕のポチッでいとも簡単に購入できるわけだが、当時はこれしかなかった。
DIAMOND DOGS
ベルリン三部作がボウイーの頂点だと思っている人達からは、“何寝言言ってんの!このおっさん。寝言は寝てから”と言われるのだろうが…
それから、1971年作のHUNKY DORYも捨てがたい。
HUNKY DORY
その昔仕事でパリ郊外の客先にタクシーで向かっていた時、ラジオから不意にそのHUNKY DORY に収録されたCHANGESという曲が流れた。
“ヘェー、フランス人も結構英語の曲聴くんだな”とその時思った。
なぜなら、日本人が行かないような街のこじんまりしたレストランに入った時、そのレストランのお客も含めて全く英語が通じなく往生した経験があり、当然のごとく、大学の教養課程で選択したフランス語で覚えた怪しい発音のコマンタレ・ブー、コムシ・コムサー程度では全く使い物にならなかった。
通常仕事の場合は英語を使っていたので、自身の経験上フランス人はある程度英語を喋る事が出来るのでわざと使わないのかと思っていたのだが、実際のところはどうだったのだろうか?
とボウイー繋がりの回想で忘れていた古い話が一気に蘇った。
今夜は、追悼の意を込めてジギー時代のアルバムを一人静かに、いや! 音量は TO BE PLAYED AT MAXIMUM VOLUMEという指示に従いたいと思う。
RIP 、MR. BOWIE
Starman/David Bowie
助手:おや、博士ですか? お勤めご苦労様でした。
博士:そういう言い方をされると、何か年末に怪しからん事でもして、正月の間、さる所にお世話になってやっと帰宅を許されたように聞こえるのじゃが。
助手:気のせいですよ。それにしても正月休みだったのに仕事で出張とは大変でしたね。
博士:今年は元日が金曜日で、土曜日を挟んで3連休じゃったが、海外の場合は、普通一日だけが休みでHAPPY NEW YEARと言ってもそっけないものじゃ。今回は長い間トラブっていた件を一日でも早く解決するため、双方とも休みだったのじゃが、無理して予定を組んだのじゃ。
しかし、たまに海外に赴くと不便を感じるのう。特に、海外ではシャワー・トイレットが普及していないのが問題じゃよ。シャワー機能が付いてないと、なんとなくお尻がモゾモゾする感じなのじゃよ。
助手:そうですね。水道水に硬水を使っているところは、水に含まれるミネラルが結晶化され、ノズルを詰まらせる問題があるとか、またシャワーに使う水質が悪く、ヒーターで温水にしてタンクに長時間置いておくと細菌が発生する可能性があるなど色々あるみたいで、先進国と言われている国でも、日系のホテル以外ではあまり見かけませんね。
博士:まあ、それらの問題を解決するために、メーカーの改良は適宜加えられているようじゃが…
しかし、日本の場合トイレに供給されている水は塩素消毒された飲料可能な水道水じゃから衛生面での問題はないと思うが、この辺りのインフラが成熟していないと、海外での普及は中々難しいかもしれんのう。
助手:海外の場合は、水道の水はそのまま飲めない場合もありますし、蛇口のところに飲料可と書いてあっても、一度沸騰させてからでないとやっぱり躊躇しますね。
博士:だから、帰国する日だけは、大の方は自宅まで取っておいて、いつも自宅で気持ち良く爆撃というように心がけておるのじゃ。
助手:何もそこまでしなくとも?
博士:それが習慣となっておるのじゃよ。しかしながら、なんと今回、飛行場での食事が悪かったのか、飛行機の中でトイレに2回も行く羽目になったのじゃ。おまけに、使用中に例の“ただいま気流の悪い所を通過…”というアナウンスが聞こえ、機体が急にガタガタしだし大変じゃった…
もし、機体が急降下しその反動でどこかに頭をぶつけトイレ内で気絶し、お尻丸出しで救助でもされるような事でもあれば、目も当てられんわい。
モゾモゾ感を持ったまま日本の空港に到着し、本日3度目のトイレ。
シャワー・トイレットですっきり爽やか! この快感、ああー、日本に生まれてよかったわい…
助手:次回から、ポータブルのもの持っていけばどうですか?
博士:それは、名案じゃ! しかし、それに詰めておく水はどうするかのう? まさかエビアンで洗うわけにもいくまい…
とトイレ談義が延々と続く中、今回、”日本に生まれてよかったー”ということで、和製ビートルズもしくはマッカートニーと呼ばれた“チューリップ”はいかが?
1974年作、4枚目のオリジナル“ぼくがつくった愛のうた”
1973年、シングル“心の旅”がヒットしたためバンド活動も安定し、ついに憧れの、ロンドンはアビー・ロード・スタジオなどでレコーディングを敢行。
当時チューリップはアイドルグループみたいな存在で、コンサートをやれば女の子の黄色い声援が多く、少し距離を置いていましたが、いま改めて聴いてみると、中々良いではありませんか。
“ぼくがつくった愛のうた”に収録されている”私のアイドル”(ビートルズのBACK IN THE USSRのように、ビーチー・ボーイズ風のコーラスを取り入れた軽快なナンバー)
博士:しかし、長い時間洗いすぎたり、あまり水圧を強めて洗うのはかえって体に良くないから気をつけることじゃ!
助手:つまり、付かず離れずの距離感を保つことが、アイドルとの存在と同様に長年付き合っていくことが出来るってわけですね。