久々にユーライア・ヒープのSweet FreedomをLPで聴いて見た。
1973年にオンタイムで買ったレコードなので当然何回も聴いてきたし、CD化されてからもたまに聴いていたので特に新たな感動が生まれたとかというような事はない。
しかし、ふと久しぶりにLPと手に取ると、レコードん中心に貼り付けられたURIAH HEEP所属のブロンズ・レーベルに目がいく。
小さな猿から、類人猿そして原始人を経て現代の人間に至るイラストが描かれている。
普通は平面に進化の状態が描かれているので、現代の人間もしくは数万年もたって誕生する未来人がゴールになる。
しかし丸いレーベルに沿ってイラストが描かれていると現代人がまた元の小さな猿に退化し再び一から進化を始めるようにも見える。
確かに世の中便利になって怠惰な精神が宿り、今まで備わっていた能力が消えてしまって今後人類は退化し猿に逆戻りていくかもしれない。
何〜てことにならぬよう、キーボードに向かってシコシコとブログを更新する。
HEEPさん、私もなんとか元気にやってます〜
満を持してなのか、生誕80周年記念の2015年に突如発売されたのが、エルビスのIf I Can Dreamという企画物アルバム。
(2016年再発されたLP盤のジャケット)
(そのジャケ裏)
なんと、アビーロード・スタジオでロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラとダビングでの共演。
人それぞれ意見はあると思うが、私はエルビスの歌唱は唯一無二で非常にうまいと思っている。
今までも曲によってはストリングスを挿入していたが、今回は重厚な演奏を誇る超大物を起用し彼らをバックに彼の歌唱がいかにマッチするのか非常に興味があった。
なにしろ 、一曲目がロック・サウンド炸裂のバーニン・ラブである。
結果は如何に?
ギターではなく弦楽器のイントロを聴いてどうなる事やと思ったが、ロック・バンドとオーケストラがうまく合体し、ノリノリのサウンド。
さぞかしエルビスはこれを聴いて彼の地(プロミスランド)喜んだのではないかと勝手に思う。
エルビス・オン・ステージでも歌っていた、サイモンとガーファンクルのBridge Over Troubled Water(明日に架ける橋)やバリー・マンのYou’ve Lost That Lovin’ Feelin’(ふられた気持ち)、そしてジェームス・テイラーのSteamroller Bluesをブルージーに歌っている。
最後にタイトル曲、If I Can Dreamを熱唱で締める、バラエティーの富んだ聴き処満載のLP。
売れ行きとなると、やっぱり過去の人という印象かなと思いきや、イギリスではチャート1位を獲得。そしてロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラと共演という事で、アメリカではクラッシック・チャートの17位で初登場し、その後1位を獲得。
この世にすでに存在していないにも関わらず、この人気!
流石エルビスさん。
オレンジ・カラーでおなじみののRCAレーベル、今回はブルー
こ、こっ、これはどこかで見たような記憶が....
(セカンド・アルバム、Clibming!)
確か、映画、ロード・オブ・リングの前日譚にあたる数年前に公開された映画 “ホビット”に出てくる遥か彼方にそびえ立つこの映画の象徴とも言える山のように見えるのだが....
と言う事で、早速ヤホーで検索してみると、Mountainの名前の由来はどうも“ホビット”の原作からインスパイヤーされたらしい。
ところでMountainのファンと自称するには、必ず通り抜けなければならない修行がある。
もうお気付きかとは思うが、それはNantucket Sleighride(To Owen Coffin) 邦題ナンタケット・スレイライドを完クリすることにある。
ブートで出ている音源もあるが、ここではオフィシャルで出ている3種類の音源をスピーカーの前に正座してうやうやしく聴くことにある。
その三つの音源とは、
1971年のアルバム、Nantucket Sleighrideに収録されたアルバム・タイトル曲 収録時間約6分弱
1972年のライブ・アルバムMountain Live(The Road Goes Ever On)に収録されたNantucket Sleighride 収録時間約17分30秒
そして、1974年のライブ・アルバムTwin Peaksに収録されたNantucket Sleighride 収録時間約32分弱
である。
同様の修行に用いられる曲としては、オールマン・ブラザーズ・バンドのMountain Jamがある。
1972年のアルバム、Eat A PeachにLP2面に分割して収録された、33分強のMountain Jamはすでにクリヤー済み。しかしながら1970年のLive At Ludlow Garageの45分にも渡る最強音源は手元にはあるがその長さにビビってまだ未踏となっている。
なかなか厳しい修行で、おいそれと手は出せない。
話は、Nantucket Sleighrideに戻って、
手元の6分弱のスタジオ録音盤は以前に難なくクリヤー。しかし残りのライブ音源2曲が難敵である。
Mountain Liveは現在入手困難で手元にはない。それならTwin Peaksを先に攻略。
Twin Peaksは2015年にプラケース仕様で再発された際に買っておいのだが、その後海外に2年間ほど移住していた事から、忘れられた存在となっていた。そして先日埃が被ったCD棚より約2年ぶりお目にかかる事ができたので、トライしてみることにした。
出だしから4分手前まではボーカルが入っていて、その後ベースとドラムが作り出すビートに乗ってレスリーが色々なバリエーションのギター・ソロを繰り出す。
今回のライブでは新入りキーボード奏者兼ギタリストのボブ・マンがギターを演奏しレスリーの弾くギターに絡んでいくので、いままでのライブとは少し印象が変わり、その掛け合いが単調さを消してくれるような....
この長〜いインプロが28分ごろまで続き、その後ハードな演奏でエンディングへと雪崩込み、曲は終了。
しかし途中でスピーカーの前で座って集中しながら聴き続けるのは困難と感じ、PCの前に座ってインターネットでサーフィンしながらバック・グラウンドとして聴くことでなんとかのりきれた。
“は〜 長かった”が第一印象。
ところでNantucket Sleighrideって一体何のことなのか、またまたヤホーで検索。
曲の中身は鯨を取りに行った捕鯨の船が鯨とぶつかって沈没した内容の歌らしい。
Nantucket Sleighrideとは、アメリカのナンタケット島仕込みの捕鯨の方法で、小型船にオールを持った 何人かの漕ぎ手と船の先頭に銛撃ち師が乗り込み、鯨を発見すれば銛を放ちそのまま鯨が弱るまで、船ごと引っ張られていくという危険な手法である。
即ち、小船が鯨に引きずられる事が“そりに乗っている” という意味でのSleigh-rideとなる。
なるほど、あの長い〜インプロって小舟が鯨に引きずられる様子を表してるのかな?
60年代後期から70年代初めにかけて、この手の長尺ライブ演奏が数々のロック・バンドによって行われたが、常に時間に追われている余裕のない21世紀ではなかなか受け入れられないと思える。
今なら、インプロ端折って早くエンディングに行って鯨を仕留めろ〜!てなことになりかねない。
まだまだ、ロック道修行中の私でありました。
第二回配本のサージャント・ペパーズで、話の種にと去年10月に親戚の家宛で通販にて買っておいたものである。
購入して5ヶ月以上経っているのだが、つい先日日本に帰国し少しばかり余裕ができてようやく開封してみることにした。
当初封を切らずにそのまま寝かしておこうかとも思ったのだが、このシリーズの購入者のレヴューを読んでみると、どうもあまり評判がよろしくないようで....
なんでも盤面の傷による音飛びの発生だとか、盤面が少しワープしているなどのクレームで返品交換を行ったという報告が結構あり、ちょっと心配なので開封して一度聴いてみることにした。
ぱっと見では、レコードの表面についている埃も微小で、指紋や傷も見当たらず、ワープもほとんどないとのことで一安心。
一通り聞いてみると、一箇所だけプチッという小さなノイズがしたものの、まあ許容出来る範囲のもので、しっかりと表面を洗浄すればそのノイズもほとんど聴こえないだろうと想像できるので、一安心。
ところで、ディアゴスティーニ版は、2012年にプレスされたステレオ再発盤と同じマスターを使っているが、ラッカー盤のカッティング(スタンパー)とプレス工場が異なる。
2012年盤のA面のマトリクスはS-740011で、ディアゴスティーニの方は SGTP A2となっている。
(2012年盤のレーベル。)
(ディアゴスティーニ版のレーベル。細かく見れば若干違うが、まあだいたい同じ。強いて言えば、フランスの工場でプレスされたことからMade in EUと原産地が記載されているところだろうか... 2012年盤は、同じラッカー盤から製造したスタンパーを使用し、アメリカとヨーロッパの2箇所でプレスさえたらしい。そのため、原産地の表示はレーベルには記載されていない。)
超繊細な聴力を持つ人が聴けば多分その違いはわかるのかもしれないが、私の駄耳ではどうも違いは感じられないみたいだ。
じゃあ、何故同じような商品を二度にわたって購入するのかと問われると、ちょっと返答に困る。
月並みな答えとして、ファンだからですとしか言いようがない。
こんな体たらくだと、カミさんが洗面台の前に所狭しと陳列している同じ類の化粧品や香水の数々のボトルやチューブに対して“何も言えね〜”てなことになってしまう。
それを見越して、今回のディアゴスティーニ制作のビートルズ・シリーズは、特価の初回配本アビー・ロードとその次のサージャント・ペパーズの購入で打切りとなった。
通りすがりの人:相変わらず中途半端のなコレクターじゃのう〜
どうもすいません。
1966年5月に全米で発売されたペット・サウンズというアルバムはちょっと不思議なアルバム。
(2000年発売のモノのCDと50周年記念のステレオのレコード)
その前作といえば、1965年に出た2枚のアルバム、サマー・デイズとビーチ・ボーイズ・パーティがあるが、内容はいつものビーチ・ボーイズ。
大まかに言えば、軽快なホットロッド・サウンドに分厚いコーラスでカリフォルニアの夏を歌う明るく外に絵エネルギーを発散する様なイメージが個人的に感じられる。
しかしペット・サウンズでは詞の内容は別にして、そのサウンドがベクトルが内向きになってしまった様な曲が多い様に思える。
作風が急に変わって戸惑うリスナーもいたが、ペット・サウンズはそもそもブライアンの作り手としてのぜひ実現してみたいと温めていた構想とレコード会社からの売れ線を作れというプレッシャーのせめぎ合いの末の妥協の産物ではなかったかなと思う。
そのため、一曲目にはWouldn’t It Be Niceを配置。軽快でアップ・テンポのいつものビーチ・ボーイズ。
しかし それでもレコード会社はペット・サウンズがまだまだ地味だという判断をしたのか、同じく軽快なSloop John B を発売前1ヶ月前に急遽録音し、それが収録されている。
発売後そこそこ売れはしたものの、レコード会社が期待したほどは売れなかったため、そのてこ入れとして同年にベスト盤を出した。
このベスト盤が新譜だったブライアン渾身の作品、ペット・サウンズの販売を大きく上回り、その結果を知って彼は相当へこんだと言われている。
今でこそペット・サウンズの評価は高くなったものの、60年代を生きてきた一般大衆は、それを求めてはいなかったのだろう。
まあ、基本的には他人の意見などあまりに当てにする必要はなく、個人的に良いと感じれば聞けばいいしそうでなければ聴かなければいいのだと思う。
な〜んって、偉そうなことを書いたが、当ロック研究所がペット・サウンズを不思議なアルバムというのは、別のところにある。
それは、ジャケ裏の写真。1966年1月に日本公演を行った時のいろいろな白黒写真がジャケ裏に集合。
ライナー・フォトとして、Dave Jampel/Tokyo, Japanとジャケ裏に記載されていて、コンサートでの写真もあるが、目を引くのは彼らが侍の姿に扮して写した写真が混在するなんとも不思議な光景。
CDにも同様のデザインがなされているが、小さくて今までスルーしていたのを、50周年記念のレコードのジャケ裏を見て発見!
そこにはビーチ・ボーイズが、コントで使う様な安っぽいズラと着流しスタイルではなく、結構本格的な時代劇用のちょんまげ姿に大名侍の衣装を着用し侍に成り切っている姿が!
(大名お抱えの武士にヒゲは禁物だが....)
(人力車の様なものに乗り、余は満足じゃ!)
(何処かの映画の撮影所で撮ったのかな? 侍姿の日本人俳優らしき人物が)
おふざけにしても、60年代にロックスターがちょんまげ〜って、ここまでやるか〜と妙に感心する。もしかして、当時のアメリカ人がこれを見て日本ではまだちょんまげが存在するなんて勘違いしたかもしれない。
ペット・サウンズが地味すぎてビーチ・ボーイズの持ち味が出ていないだとか、過大評価のアルバムだとかおっしゃる方がいるが、私は一切耳を貸さない。
彼らのこだわりのサムライ姿を一目し、この何とも言えないアンバランスさを持つペット・サウンズに清き一票! キリッ。
通りすがりの人:ブライアンだけでなく、あなたもちょっと変わってるね〜。
最近はレコード回帰ブームで、いろいろなアーティストのLPが再発されている。
しかし不思議なことにジャクソン・ブラウンの70年代の名盤、72年のJackson Browne、73年の For Everyman、74年の Late For The Sky、76年のPretender そして77年のRunning On Emptyなどは、レコードからCDに移行する前の80年代初め頃まではLPが各国でプレスされていたが、その後はCDだけの再発となっている。
まあ、レコードをプレスする工場が閉鎖され、再LP化の企画はあるものの、まだ全体の生産量が昨今のブームの需要に追いついていないのかも知れないのだが….
新しく設備を計画しても、このブームがいつまで続くかはわからないというリスクが存在するので、メーカーとしても様子見の状態なのかも知れない。
などと思い油断していると、不意に74年の Late For The Skyの再発が決定し、つい最近発売され始めた。
個人的には、73年の For Everymanがお気に入りだが、ジャクソン・ブラウンの70年代の作品の一つが21世紀になって初のレコード再プレスとなると買わずにはいられない。
といつもの病気が発症する。
でこのアルバム、ゲット!
右が75年ごろに買った米盤、左が今回の再発LP、今回の方が空の色が濃くなっている。
まだ、太陽が登る前の朝の闇の中、ふと空を見上げて濃いめの青い空が広がっていれば、今日は晴れ確定!
そう思うと、なんとなく気分がよろしくなるのは、私だけか?
ところでよく言われるのが、ジャクソン・ブラウンの作詞って、韻を踏んで格調高く、表現も比喩などを用い文学的なので、私の様なレベルの低い英語力では、自身で翻訳するにはチート骨が折れる。
例えばアルバムと曲のタイトルになっているLate For The Skyって言葉、これだけじゃなんのことか全く解らない。
そんな場合は、日本盤の翻訳を覗いてみるか、それとも英語が堪能な人がネットなんかで彼の代表曲の翻訳を披露しているので、迷わずそれにおすがりし大体の意味を聴く前につかんでおけばそれで充分。
ネーティブの人だって、彼の歌を聴いて瞬時にそのセンテンスは理解できるものの、歌詞の奥深くに潜む微妙な表現とか意思まではそんなに簡単に理解できないんじゃないかと無理にでも思いたい。
あとはジャクソン・ブラウンが、親しみのあるメロディに乗せて淡々と歌うのとそれに絡んでくるデビッド・リンドレーのスライド・ギターの音色に注力して入れば、それなりにアルバムの最初から最後まで楽しめるのではないかと思う。
洋楽を聴くって人それぞれで楽しみ方が違うと思う。
メロディーが秀逸とか、歌がうまいだとか、その他諸々。
別に歌詞を作者が意図した通りに理解していなくともいいじゃん、聴いて楽しければと開き直る。
えぇ〜と、辞書じゃLate forが何々に遅れるって意味だから、Late For The Skyってその空に遅れてしまう?
ジャクソン・ブラウン:ブブッ〜
えっ!不正解?
キ、キッ、キタ〜 って毎回大騒ぎしてるけど、いつもそんなに大したことないって感じだけど?
そう言われると、まあそ〜だけどね。
で、今回は一体何がキタッ〜って訳?
バッドフィンガーのワーナー移籍第二作目のアルバムがLPで再発されたのだ〜!
タイトルは、Wish You Were Hereでなんとピンク・フロイドの同名タイトルのアルバムよりも一年早い1974年に発売された。
即ち元祖Wish You Were Here (邦題は “素敵な君” 全くピント外れと思われる)。
アップル・レーベルとのゴタゴタから、ワーナーに移籍するものの、ここでもバッドフィンガーのマネージャーがワーナーとゴタゴタを起こし、ワーナー移籍第一弾のアルバム、はプロモーション不足で不発。
心機一転気合を入れてこの第二弾を発売するも、以前そのゴトゴタが解消されず 、業を煮やしたワーナーがアルバムを発売してから少し経って販売店から撤去してしまった。
このアルバムは、彼らの実力を再び証明する力作で、チャート・インしてその後上昇を伺う様な展開だったので、ゴタゴタと直接の当事者ではなかったバンド・メンバーにとっては本当に不幸な状態だった。
そして それがバンド内で最もセンシィティブだったと思われるピート・ハムの自殺という悲劇に至る引き金となったのではないか….
アルバムが販売の途中からレコード会社によって撤去されたため、オリジナルのUS盤は貴重だと聞いた。
またワーナーも1974年の発売後なかなか再発を許可しなかったことから、CDは90年代にようやく日本とドイツでプレスされたのみであった。
ドイツプレスのCD
購入は見送ったが、最近日本で紙ジャケ仕様のCDが再発された様だ。
そしてついに真打ちとでも言えるLPで今年再発されたので、これはスルー出来ないと思い飛びついた次第。
バッドフィンガーの音源がなぜ日本でこれほど再発されるのかと言えば、やはりアップルからデビューし、ビートルズ亡き後になんとはなしにビートルズの残り香を 漂わせていたからではないだろうか?
特にピート・ハムが作曲した、これぞパワー・ポップと呼ばれる楽曲、No Matter WhatとかDay After Dayなんかはさらにプラス・アルファを感じさせ今聴いても素晴らしく思える。
またこのアルバムの場合、日本で話題になったのは、Know One Knowsという曲に、 “誰も知らない〜”と連呼する怪しげな日本語が曲中に収録されているからだったと思う。
これは、プロデューサーのクリス・トーマスが当時バットフィンガーとサデスティック・ミカ・バンドの新譜のプロデュースを掛け持ちしていたことから、ロンドンでのバットフィンガーのレコーディング・セッションの際、ボーカル担当のミカ氏にその録音を持ちかけ実現したとのこと。
Know One Knowsはピートの作品で、彼のパワー・ポップの系譜を受け継ぐアップ・テンポのナンバーでなかなかよろし〜
しかし、長年疑問に思っていたのが曲のタイトル。
日本語で“誰も知らない〜”と言っているのだから、Know One KnowsではなくNo One Knowsなのだが….
何故にこの様になったのかは、今は亡きピートに質問することは出来ないが、単に韻を踏むためにNoの代わりにKnowをお遊びで使ったのではないかと推測する。
それはさておき、オン・タイムでLPを買い損ねた人には、今回のLPでの再発はジャケットのデザインを考察するにはもってこい。何しろ CDサイズでは細かいところがよく見えないね。
ジャケ表、なんとグリーンのカラー・レコード!
ジャケ裏、タバコの吸い殻がいっぱい! 汚ね〜
場末と思われるとあるナイト・クラブのボックスのテーブルに、それに70年代の5ドル香港紙幣、ポール・モールやゴロワーズなどの灰皿から溢れる大量のタバコの吸い殻、ワインかカクテルだろうか?それらの飲み残しのグラスなど無造作に置かれている。
そこにしこたま酔っ払って目が浮いている様なバッドフィンガーのメンバーがセイラー服を着てアジア系の女性の接待を受けている写真が一枚。
写真の枠にはWish You Were Here なるメッセージ。
その昔、香港のバーでダブル・チャージされた苦い記憶がある。
私の場合はまだ可愛いもので、私の知人なんか 、席に座るやいなや女の子が大量にそのテーブルにやってきて許可なしにカクテルをどんどん注文。
これはやばい察知してすぐに勘定を頼むも手遅れで、こわーそうなお兄さんが10倍以上の高額の請求書持って登場。
つまりWish You Were Here、“貴方にここにいて欲しい”というメッセージとは、しこたま飲みまくり手持ちの金では足りない状態ということで貴方にSOSを送っているのではないかと….
なるほど、高額の請求書がキ、キッ、キタ〜 ってことで 大騒ぎなのね。
ワーナー・パイオニア社から、ホット・メニュー ’73という洋楽好きのレコード購入意欲を掘り起こそうとサンプラー盤がリリースされると聞いたのである。
価格はレコード2枚組でなんと1000円を切る980円! 当時LPはメーカーやアーティストによって価格が若干違ってはいたが、大体の2000円前後であったから、販促の商品とはいえ破格だったと言える。
ということで、レコード屋にすっ飛んで行って早速購入。
その中身は、ワーナー・パイオニア社が日本での販売権をもつアメリカのレーベル、 ワーナー・ブラザーズ、リプリーズそしてアトランティックに所属するアーティスト、28組がそれぞれの代表曲を各一曲ずつ、計28曲がこのサンプラー盤に収録されていることだった。
しかし提供された曲のリストを見て、ムムムッ〜とうなる。
これらが選び抜かれた代表曲なのか?
時は丁度、ビートルズは一応イエロー・サブマリンのLPを除いて収集完了し、 ハード、プログレそしてウエスト・コースト関連のロック中心 にレコードをあれこれと聴き始めた頃だった。
そのため、アリス・クーパーの“アリスは大統領(Elected)”とかドゥービー・ブラザースの“Listen To The Music”、パープルの“Black Night”とかELPの“Lucky Man”なんかには興味がいったのだが….
ツェペリンの曲も一応収録されていたが、アコースティック調のHey, Hey, What Can I DoというシングルのB面に収録された知らない曲だった。
その他大部分のアーティストに関しては、名前は聞いたことがあるもののよく知らないとか、全く知らないもしくはあまり興味のあるジャンルの音楽ではないという印象でちょっとガックリした記憶がある。
そしてせっかく買ったレコードもその後聴くこともなくなり、お蔵入りと相成った。
時は過ぎゆき、1973年から数えて45年たった今改めてレコードに針を下ろす。
あら不思議!
どの曲もすんなりと耳に入ってくるじゃないの。
シールズ・アンド・クロフツのSummer Breeze、ドゥービーの派手な“Listen To The Music”の後、ゴードン・ライトフット、ライ・クーダー、アーロ・ガスリーそしてジェーム・テイラーらの穏やかで淡々としたアコースティック・サウンド4連発に癒される。
その裏面にはヴァン・モリソンのWild Nightやマロの“モモトンボ(Momotombo)”なんかもいいね〜
2枚目のサイドー3の頭にあるツェペリンの Hey, Hey, What Can I Doも ブルース系のドクター・ジョンの歌声や スピナーズのR&Bもいけてる。
サイドー4にはスティーブン・スティルス率いるマナサス、ジョン・プラインの寒ストーン、ダニー・オキーフのGood Time Charlie’s Got The Blues(この曲は他のアーティストにカバーされていて結構有名)らのフォーク・ロックやフォーク系もなかなかよろしー。
さらにグッとくるのは最後の曲で、 ロバータ・フラックが歌う初期の初々しいシンガー・ソングライター調の曲“愛は面影の中に(The First Time Ever I Saw Your Face)”
などなど今聴けば聴き処満載の工夫された選曲と言えるこのホット・メニュー ’73。
亀の甲より年の功と言われるように、この45年間に色々なことがあって鍛えられまた変化し、俺もやっと大人に成長したんだな〜
フッ。
ただ、その成長するスピードはち〜と遅かった様な気がしないでもと今更ながら反省するのだが….
助手:アメリカの俳優やらミュージシャンは日本と違って政治の場によく出てくるので驚かされますね。
博士:前回の選挙なんかでもそうじゃったが、著名人の応援合戦が激しかったのう〜
これもお国柄かもしれん。
助手:日本の場合は人気商売を意識してか、中立って立場を取る人が多いですね。
博士:わしの記憶の中では、1972年のアメリカの大統領選挙じゃのう。
ニクソン大統領の二期目の就任を阻止するため、民主党は党の予備選でハンフリー候補を破ったマクガバンを大統領候補に立てた。
当時の日本の洋楽ファンなんかはまだ記憶しておるかも知れんが、サイモンとガーファンクルがマクガバン候補の応援のためのコンサートに登場したことじゃ。
日本じゃこれほどの大物が、最大の政治ショーに絡むのはあり得ないからのう。
助手:そう言えば、ジャズ・ロックが主体であった初期のシカゴ も 結構政治的な発言を含む曲を披露するほど尖っていたようで。
博士:有名なところでは、ファースト・アルバムに収録されている、Prologue, August 29, 1968やSomeday, (August 29, 1968)なんかは、1968年のアメリカ大統領選挙関わる民主党大会の情景を歌っていて結構政治色が強かったのう〜
助手:音楽活動においても、ビートルズや前出のサイモンとガーファンクルのような実績のある大物達のように、売れるからといって彼らの許可なしに自主企画のシングル盤やベスト編集のアルバムを出さないようにレコード会社に申し入れていたみたいで、ここでもかなり尖っていたような…
博士:その通り、ここに貴重なアルバムがある。
CBSソニーは、シカゴの1971年の初来日の直前に、コンサートのプロモートとして日本編集のベスト盤を出したいと考えていたのじゃが、許可が下りるかどうかわからなかったそうじゃ。
そこで日本サイドから練りに練ったアルバムの選曲やジャケのデザインなどを提示したところ、なんと特別に許可がおり、当時としてはシカゴ初のベスト盤だったと記憶しておる。
助手:それが、“栄光のシカゴ”というアルバムですね。
博士:ジャケットのデザインも、星条旗の星をバックに真っ赤のシカゴのロゴをジャケの真ん中に配置する、なかなか当時としては垢抜けたデザインじゃ 。
文字の記載はなく、ただシカゴのロゴのみ
ダブル・ジャケットの内側
アルバムの収録曲、初期故に、小難しいタイトルが並ぶ
助手:その後は、AOR路線に舵を切り、政治色は薄れてバラード中心のヒット・シングル狙いにいってますね〜
それに、もちろん彼等の意向に沿ってだとは思うが、ベスト盤が彼方此方から独自編集でバンバンと出てきて、ちょっとびっくり。
エェ〜、贈り物に、シカゴのギフト・パック・シリーズは如何すっか〜、それともキンキラ・ジャケのゴールド・ディスクなんてのもありますよ〜
博士:あまり尖りすぎると、一般的なファンはついてこれなくなるからのう〜
何事もほどほどで、少しばかり丸みを持った方がいい時もあると思うのじゃが….
わしも帰国後、飯ウマでちょっと体型に丸みを帯る状態となっておる。
助手:それは、ちょっと違うような….
ノーキー・エドワーズ氏の若き頃の勇姿、まだヒゲは生やしておらず、髪型は耳が見える当時の標準タイプ
享年82歳、遅ればせながらこの場を使って哀悼の意を表したいと思います。
ところで日本のエレキのブームはビートルズより早く日本上陸を果たしたベンチャーズの貢献 が非常に大きく、後追いの ビートルズ・ファンにとっては思いもよらないことかもしれませんが、60年代中盤頃の彼らの日本での人気はビートルズのそれを確かに凌いでいました。
当時、ベンチャーズのインスト演奏の影響を多大に受けたテレビの勝ち抜きエレキ合戦や加山雄三のエレキの若大将という映画なんかが人気を博していました。
特に1965年に公開されたその加山雄三の映画は多分東宝の怪獣映画との二本立てだったような記憶があって、怪獣ファンの当時小学生だった私はおふくろと一緒にわざわざ電車に揺られて最寄りの東宝系の映画館に観に行きました。
ユー・チューブにアップされているエレキの若大将の映画のクリップをみると、加山雄三率いるインスト・バンドの面子がすごい。
エレキ・ギターには蕎麦屋のにーちゃんの役の寺内タケシ、青大将こと田中邦衛と加山雄三、ベースには若き日の黒沢年雄、そしてドラムスには科学特捜隊のイデ隊員、二瓶正也。(それらのシーンを見ると加山雄三と寺内タケシ以外は、なんとなく実際は楽器弾けないように思えるんですがね….)
昔が良かったとは言わないけど、こうして朧げながらも記憶に残っているのは、やっぱりあの頃は楽しかったのでしょう。
ノーキーさんに合掌。
我が家にも一枚ベンチャーズ! 懐かしき東芝リバティー・レーベルのポピュラー・ゴールデン・コンパクト・シリーズなる企画もの
33回転4曲収録の7インチ、赤盤です
やっぱり額の中に入れて飾ってる!
どうもすいません。
ギャ〜ッ!
レーベルの下の方に、何か手のようなものが写ってる!
心霊写真?
あぁ〜、それ私の手です。
額の前面にガラスが挟まっていて、その表面に反射した手が写り込んだみたいです。
何がきたのかと思ったら、デビッド・ボウイーのアルバム、Heroesの交換LPだった。
ヨーロッパからダンボールに包まれて送られてきた。
中身は、白いスリーブに入ったLPのみ。ジャケットはなし。
すなわち、オリジナルLPの返品は不要でなので、そのオリジナルのジャケットに差し替えのLPを入れろってこと。
昨年、A New Career In New Placeというボウイーのベルリン3部作を含む中期のボックスセットが出た。
ボックス・セットの箱の裏面
ボックス・セットに入っていたオリジナルのLP。
これはぜひ買わねばと思っていた矢先、先に購入した人がこのボックスの看板アルバム、Heroesに収録されているタイトル曲Heroesの音圧が途中で下がる箇所があるとレヴューに投稿してきた。
その後同じような意見が他の購入者も数多く寄せられ、中には音圧のレベルをグラフ化して、低い箇所があると具体的に指摘した投稿もあった。
リマスターを担当したトニー・ビスコンティやレコード会社も、当初オリジナルのマスター・テープを忠実に再現したと強気の見解を出していたが、クレームが多くなるにつれて、ついに白旗をあげCDもしくはLPのボックス・セットの購入者に手直ししたHeroesのCDとLPをそれぞれ交換することを発表した。
そのため、当初はこのボックス・セット購入に躊躇していて様子見であったが、年が明けてちょっと臨時の収入があったのでついに購入に踏み切ったのだ。
しかしながら、どのような手順で交換を申し出るのかわからなかったので、その方法を記載した海外のサイトを探し出し、メーカーのサイトに交換を申し込んだ。
するとすぐに先方よりメイルが帰ってきて交換の申し出は受け付けられたのだが、交換の商品の在庫切れということで新しい在庫が入り次第発送する内容のメイルを続けて受信した。
それからかれこれ2ヶ月がたったのだが、音沙汰なし。
そこで督促のメイルをメーカーのサイトに送ったのだが、音沙汰なし。
ムムッ〜、これは手違いかなんかで私の交換の申し出がどこかに消えてしまったのではないかと不安になった。
最悪バラ売りのHeroes(このLPは手直しされている)を購入するしかないのかな〜と思いきや、先ほど不意にその交換商品が届いた。
この野郎〜、結構待たせやがって!
精神衛生上、発送完了と一行でもいいからメイルで連絡してくれれば、良かったのであるが….
まあ本業でも、欧米の会社なんかと取引すると、彼らの対応が結構いい加減な場合が多いので、まあ〜こんなもんかと口元はなんとなくニンマリ、そして矛を収める。
助手:博士、早速手直しがうまくいってるかどうか聴いて見ましょう〜
博士:それはならん! これは記念として額に入れて飾っておこう。
助手:エエッ〜、せっかく送ってきたのに聴かないんですか?
博士:Heroesは昔買ったCDがあるじゃろう。わしの耳にはそれで充分。
OMG! 臨時収入が有ったとはいえ、高額なボックス・セット聴かないなんて!
欧米の会社を結構いい加減だと非難するより、先に博士の頭のネジを少し締め直すことが必要ではないかと....
ちなみにボックス・セットのHeroesのマトリックス・ナンバーは、
A面がBH70667-01 A3
B面がBH70667-01 B3
交換されたHeroesのマトリックス・ナンバーは、
A面がBH02087-01 A1
B面がBH70667-01 B3
すなわち、A面のみスタンパーが差し替えられて新たにプレスされたことになる。
博士:あの〜、額に入れるようなことはしません。
聴きます。絶対聴きますからって!
ただ、少しお時間をいただきたく....
山口百恵のシングル、夢先案内人とイミテーション・ゴールドのカップリング。
懐かしい〜
調べてみると、夢先案内人は1977年に彼女の17枚目のシングルとして発売。
作詞・作曲は阿木耀子・宇崎竜童のゴールデン・コンビ。
しかし手元にあるのは、両面がA面扱いの過去のヒット曲を収録したゴールデン・シングルという商品で、オリジナルから2年後の1979年に発売されたようだ。
ということは39年前のレコード。
60−70年代の外国のアーティストは、レコードのジャケットでしかお目にかかれないので、いつ迄たってもあの頃のまま。
しかし、日本の歌手となると懐かしのなんたらなどのテレビ番組にしはしば登場するので年を感じさせる。
山口百恵氏の場合は、歌手引退後全く露出がないのでいつまでも若いイメージのまま。
ほんと、外国のアーティストみたい。
それにイミテーション・ゴールド x 作詞・作曲のゴールデン・コンビ x ゴールデン・シングルとゴールドの三連荘。
ありがたいことで、たまには歌謡曲もいいかもね。
そういや麻雀全くしなくなったね。
こ、こっ、これはサンチアゴ・スタジアムじゃね〜の!
そう言えば、大昔仕事のついでにマドリッドに行ったのを思い出す。
当時は、一昔前の銀河系軍団で、現在監督しているジダン、ロベカル、ラウ〜ル・ゴンザレスらが現役だった頃の話。
チャンピオン・リーグ準決勝のセカンド・レグで、無敵のキーパー、カーン率いるバイエルンがアウェーのマドリッドでレアルと一戦を交えることになっていた 。
当然切符は完売、生で見れるわけがない。
なんとかスタジアム・ツアーに参加し雰囲気だけでもと記念に写真をいくらか撮った次第。ガクッ。
擂り鉢みたいなスタジアムで、すごい客席の数。
試合の当日の夜は、ホテルの自室で テレビで観戦した記憶が残っている。
ところでスペインと言えば、やっぱりこのお方のこれ!
1960年、編曲家のギル・エバンスと組んだ、マイルスのSketches Of Spain。
CDと最近買った限定カラー・レコード盤、ケチくさい性分なのでまだ封したままである。ガクッ。
ジャズの範疇を飛び越えたような印象の作品で、スペインの香り満載。
夜のマドリッドの街角から、かすかに聴こえてきそうな….
夕食にありつこうとホテルの近辺で気の利いたレストランを探そうとうろつきまわるも、なかなかこれといった店が見つからない。
で、結局入ったのは、無難と言えば無難のマドリッドの中華。ガクッ。
何度もガクッとくる博士のSketches Of Spainでした。
朝から結構混雑し、転入の手続き後、年金、 国保や税金などの各部署を一回りするとお昼はとっくに過ぎてしまい、午後からはその足で銀行に行って諸々の手続きをする。
出国時に、非居住者として登録されていた口座を元に戻し、さらに解約させられた銀行系のクレジットカードを再申請するなどで、1日が吹っ飛んでしまった。
とりあえず必要な手続き全て完了と言う事で、今夜はリラックス。
久々にウイスキーを氷も入れずにストレートで飲む。
昔は日本で販売される洋酒は海外の免税の価格と比べると割高で、日本に帰国する際はいつも免税範囲の3本の洋酒を購入したものだ。
しかし、最近日本では、通販なんかで洋酒の価格も免税店の価格とほとんど変わらないような価格で販売されているので、さすが3本の洋酒を空港の免税店で買って機内に持ち込むような人は見かけなくなった。
私は、日本に住んでいたらあえて買わないようなサントリーのウイスキーや金粉入りの梅酒なんかをいつも日本に帰国する際には購入する。
今回は、数年前に免税店で買ったサントリーの白州をチビリ・チビリとけち臭く飲む。
最近は、日本のウイスキーが人気なのか、あまり免税店でもお目にかからなくなった。
少し前なら、山崎とか響が免税店に並んでいたのだが、ここのところ見かけることはなくなってしまった。
久々なので、ど〜んと来る。
と言うことで今日は、スタッフの1976年のデビュー・アルバムなんてのを。
ツイン・ギターにダブル・ドラムを使ったファンキーな演奏で明るく飲める。
このCD2年以上前に買ったものだが、封を切らずにずっと置いていた。ウィスキー、ブランデーやワインなんかは樽の中に封じ込めておくと熟成し味がまろやかになる。
CDの場合はこのようなことはないが、スタッフというバンド、デビューとは言え手練れのメンバーの集合体なので、封を切ろうが切るまいがすでに熟成した演奏をたっぷりと聴かせる。
これが、国内再発の廉価版でわずか1008円で買える。
音楽ファンにとっては本当に良い時代になったと思える。
フッ〜
通りすがりの人:な〜にカッコつけてるの! 学生時代、サントリーのレッドあれほどうまいうまいってカパカパ飲んでたんじゃね〜の?
金さん:そこの者、控えよ〜!
博士:ハハッ〜!