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CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

ストリート・サバイバーズ

2025年05月28日 | Southern Rock

70年代のサザーン・ロック・バンドの雄、レイナード・スキナードの個人的に好きなアルバムといえばやっぱり1973年のファースト・アルバム、1974年のセカンド、Scond Helpingそして1976年のライブ・アルバム、One More From The Road。

MCAレーベルからメジャー・デビューする前に、ローカル・バンドとして地元のライブにおいて練りに練られ修練されたとっておきの曲をドドーンと蔵出しするから悪いはずがない。

ただ芸風がシンプルなR&Bやカントリー・ブルースなどをベースにしたサザーン・ロック・バンドとなると作を重ねるごとにやっぱりマンネリ化してしまう事もよくある話。

彼らの1977年の5枚目のスタジオ・アルバム、Street Survivorsも当初トム・ダウドのプロデュースの元レコーディングされたものの、少々インパクトに欠けると思ったのか彼ら自身のプロデュースで再録を敢行し、全米5位と大ヒットを記録。

(右がオリジナルのジャケ、左は航空機事故の後炎が消されたジャケで再発されることに)

ただ完成したレコードが発売された3日後になんとバンド・メンバーが搭乗していた飛行機が墜落し、リーダーでボーカルのロニー・ヴァン・ザント、新ギタリストのスティーブ・ゲインとバック・コーラスのメンバーを亡くすことに。

生き残りをかけた納得の行くレコードが仕上がり、さあこれからって時に。

世の中うまくいかないもので….


あの頃のオールマン・ブラザーズ

2025年05月09日 | Southern Rock

1972年、アルバム制作中バンドの精神的支柱とも言えるデュアン・オールマンを交通事故で亡くしたもののなんとかアルバム、Eat A Peachを完成させたオールマン・ブラザーズ・バンド。

バンドは解散か?と思われたものの、翌年デュアン抜きの新生オールマン・ブラザーズが誕生。レコーディングではデュアンの代わりはいないとギター・パートはディッキー・ベッツとゲスト・ミュージシャンの起用でやりくり、その代わりにキーボードにチャック・リーベルが加入しツイン・キーボードでバンドは新しく生き返る。

そして完成した1973年のアルバム、Brother And Sistersは売れに売れて全米1位を獲得。ただ本作はディッキー作のカントリー調のRumblin’ Manや長尺インストJessicaによる貢献度が大きく、デュアン亡き後バンドでの主導権を取ろうとした弟のグレッグ・オールマンとしては自身の目指すバンドの方向性とは違うと感じディッキー抜きで並行してソロ・アルバムを制作した。

Brother And Sistersから2ヶ月遅れで登場したのがグレッグのソロ、Laid Back。アルバムはそこそこ売れたのでそのメンバーでツアーに出てニューヨークでのライブ・レコーディングを商品化したのが1974年のアルバム、The Gregg Allman Tourだった。

(カーネギー・ホールでライブやったのね。)

(ギター・パートはボイヤーとタルトンのデュオ、Cawboyが担当。彼らのギター・プレイは聴き応えがある。)

売りはバンド・サウンドに24名のオーケストラを加えた事だろう。南部の泥臭いサウンドがオーケストレーションによってソフィストケートされ都会的な響きとなり、グレッグのボーカルが好きな人には堪らない作品。

個人的には全体的に地味感はあるし、オールマン時代のもう少し著名な曲を数曲演ればよりメリハリがついて良かったかも?

そしてディッキー外しのこのツアーで、グレッグとディッキーの中は最悪となる。そしてディッキーは1974年に初のソロ・アルバム、HIghway Callを出しヒットさせ、オールマン・ブラザーズは1975年の次作、Win Loose Or Drawを出してついに分裂となる。

まあ色々ありました。


シンセ導入

2025年05月03日 | Southern Rock

従来の泥臭いブルース・ロックもいいけれど、時代は80年代に突入。

それまでの作風に何かアクセントをつけたいと考え、バンド・リーダーのギボンズはシンセによる正確無比なエレクトロニック・リズム・セクションを導入。

完成したのが1983年のZZ Top通算8枚目のオリジナル・アルバム、Eliminator。

泥臭さが抜けた作風に拒絶反応を起こした従来のファンもいたが、80年代のブルース・ロックとして数多くの新たなファンを獲得しこのアルバムは売れに売れた。

このサウンドって、オイラが高速道路において巡航速度でクルージングしていると、シンセ・サウンドの正確なリズムが車のエンジン音と妙にシンクロして心地よさを感じる。


ウエスト・コースト・ロックは何処へ?

2025年02月12日 | Southern Rock

シンガー・ソング・ライターのダン・フォーゲルバーグのバック・バンドだった4人組バンドのFools Goldが1976年にセルフ・タイトルでアルバム・デビューした。

このアルバムは初期イーグルスのアルバムを担当したグリン・ジョンズがこのアルバムの5曲をプロデュースし、更にグレン・フライやジョー・ウォルシュらも数曲プロデュースに関わっている事から聴かずともウエスト・コースト系ロックを絵に描いたような爽やかさ溢れるコーラスのついたバラードやカラッとしたロック・サウンドが売りとなっている。

この手のサウンドが好きな人にはもう間違いない仕上がり。

本国アメリカでは、大ヒットはとはならずとも最高チャート100位と無名の新人バンドとしてはマズマズ。

当時のオイラもこの手のレコードを愛聴していたものだ。

ところで最近のヒット・チャートをチラッと眺めていると和洋問わずもう知らない人ばっかり。更に今の若い人は特にヒップ・ホップ系を好んで聴いているなんて話も。

もうウエスト・コースト・ロックなんて言葉、お前はもう死んでいる…って感じかもね。

ところで、カニエ・ウエストってウエスト・コースト・ロックの人だっけ?


いつまで経っても変わらない

2025年01月12日 | Southern Rock

ロビンソン兄弟を中心に1989年に結成されたBlack Crowes。

翌年のデビュー・アルバム、Shake Your Money Makerが全米4位となる大ヒットを記録。その後紆余曲なるも、バンド活動は継続され2010年のセルフ・カバー曲を集めたアルバム、Croweology発売後活動停止を決定。

昨年、2009年の8枚目のオリジナル・スタジオ・アルバム、Before The Frost….Until The Freesから指折り数えて15年ぶりに全て新曲が収録された9作目のスタジオ・アルバム、Happiness Bastardsが発売された。

彼らが登場した90年代のアルバムは70年代のストーンズやハンプル・パイの香りを漂わせたサザーン・ロックでオイラを夢中にさせたっけ。そんなオイラも2000年に行われたジミー・ペイジとのツアーのライブ盤以降はご無沙汰だったのだけれど、去年出た再結成のスタジオ・アルバムが結構いけるって聞いてつい買ってみた。

いゃ~ いい響き! ちっとも変わっていないね。


デュアンのアンソロジー

2024年10月08日 | Southern Rock

デュアン・オールマンがモータ・バイク事故で亡くなったのは1971年。

バンドは彼の亡き後も活動を継続する事を決定し、中断していたレコーディングを再開させ翌年に2枚組のアルバム、Eat A Peachを出す。

また所属レーベルのキャプリコーンもデュアンの死去を追悼する意味で、自身のバンド、アワー・グラスやオールマン時代の代表曲以外にウイルソン・ピケット、アレサ・フランクリン、ボズ・スキャッグス、デラニー・アンド・ボニーにデレク・アンド・ドミノスらのセッション音源をレーベルを超えてまとめたアルバム、An Anthologyを同年にだす。

本日はAn Anthologyを久々に聴いてみる。

ブルースやカントリーなど泥臭い南部のルーツ・ミュージックがメインとなっていて中々聴き応えがある。

特に印象的なのはボズ・スキャッグス1969年制作のセカンド・ソロ・アルバム、Boz Scaggsに収録された13分に及ぶLoan Me A Dimeかな。後のAOR路線と異なりブルース色全開!

ちなみにアメリカでは1セント、5セント、10セント、25セントそして50セントのコインがそれぞれペニー、ニッケル、ダイム、クウォーターそしてハーフ・ダラーと呼ばれている。 

どうも公衆電話から昔の彼女に電話をかけたかったみたいで、Loan Me A Dime、誰か10セント貸してくれないかって歌っているような… 


暑い日には無法者達でも

2024年07月28日 | Southern Rock

本日はサザーン・ロック・バンド、アウトローズの1976年のセカンド・アルバム、Lady In Waiting。前年のデビュー・アルバムが全米チャート13位と大成功を修め、バンドの個性を固めるべく制作された彼らの第二弾。

他のサザーン・バンドと比べるとR&Bをベースにした泥臭さは控えめでカントリー系の軽やかなツイン・リードにウエスト・コースト風の爽やかなバッキング・コーラスが特徴。

猛暑が続く日々、聴く音楽だけでもスッキリ・爽やかに行きたい。

ところで近頃はサザーン・ロックって死語になってしまったような…

オイラがよく聴く90年代以降のバンドといえばロビンソン兄弟が結成したブラック・クロウズやオールマン・ブラザーズに在籍したブッチ・トラックスの甥に当たるデレク・トラックスぐらいですかね。

アリスタ・レーベルといえばポップスやAOR系アーティストがメインで、個人的なアリスタのイメージといえば、ベイシティ・ローラーズ、バリー・マニロウやエリック・カルメンだったので、ドアーズで有名だったのポール・ロスチャイルドによるプロデュースでサザーン・ロックのアウトローズのアルバムが制作されたのは当時少々場違いな感じがしたね。

 


マーシャル・タッカー・バンドの2枚目

2024年05月25日 | Southern Rock

サザーン・ロック・バンドの代名詞と言えばオールマン・ブラザーズやレイナード・スキナードなんかがすぐに浮かぶが、このバンドも忘れてはならない。

60年代にトイ・コールドウェルが中心となったトイ・ファクトリーが原型で、兵役のため一時活動を停止したトイが兵役終了後70年初めにマーシャル・タッカー・バンドと改名し活動を再開。

1973年にオールマン・ブラザースと同じキャプリコーン・レーベルからデビューし、翌年に出したのがセカンド・アルバム、New Life。

カントリーやブルースを基調としたロック・サウンドではあるが、泥臭さやねちっこさは感じられないカラッとした演奏で時折管楽器からのジャズ・フレイバーを漂わすのがこのバンドの特徴で他のサザーン・バンドとは一味違う。

シングル・ヒットをそれほど意識しない制作志向なので、まあ地味と言うかリラックス出来る落ち着いた仕上がりですかね。

21世紀になって四半世紀に達しようとする今、70年代のこの手のバンドを愛聴する人がいるのかな?

やっぱり今は、Hey Yo! Yo, Yo〜🎶 ですかね?


通常運転です

2024年03月18日 | Southern Rock

レイナード・スキナードは1975年のサード・アルバム、Nuthin’ Fancyが全米9位にランクされほぼ完全に南部のローカル・バンドからその地位を全国区へと確立させた。

ただファースト・アルバムから担当してきたプロデューサーのアル・クーパーは本作を最後に退任することに。どうもメジャー・デビューする前に蓄えてきたものがそろそろ枯渇するタイミングでもっと売れ線に沿って芸風を転換する必要があると考えた製作陣とバンド・メンバーとの対立があったらしい。

レコード会社としては売れなければただの自己満足。ただバンドとしてもバンドの存在の根幹に当たるこれまでの信念を曲げたくないのも一理あり、中々難しい線引きとなる。

その様な状況が反映されたのかどうかはわからないが、アルバム・タイトルにはNuthin’ Fancy(いつも通り)と付けられたのが何か訳ありな印象。

ただ1曲目に収録されたSaturday Night Special はバート・レイノルズ主演の1974年のThe Longest Yardのサントラにも収録されたご機嫌な曲。

オイラとしてはこれ1曲で問題なし!


時代遅れのアナログなオイラ、今宵はサザーン・ロックでも

2024年03月06日 | Southern Rock

本日はオールマン・ブラザーズを味わってみる。

1971年バンドのリーダーだったデュアン・オールマンがモーター・バイク事故で死去。大黒柱を失ったバンドはセカンド・リードギターのディッキー・ベッツが中心となってバンドを維持する事に。

そして翌年にデュアン追悼アルバムとも言える2枚組アルバム、Eat A Peachが発売され、全米4位まで駆け上がり大ヒットを記録した。

(サイドー2にMountain Jam Part-1そしてサイドー4にPart-2がそれぞれ収録されている。)

収録曲はデュアン存命時にスタジオ・レコーディングした新曲3曲とフィルモア・イーストでのライブ音源3曲、更に新しい体制でのスタジオ録音での新曲3曲が収録された計9曲からなり、スタジオとライブ音源それぞれ特徴が生かされたレコーディングで完成度の高いアルバムだと感しる。

ちなみにこのアルバムには収録時間約33分にも及ぶMountain Jamが2分割されてLPレコード片面にそれぞれに収録されている。CDだと当然の如く一気に全編を通して聴く事になるのだが、長きにわたりアナログ人生を歩んできたオイラとしては2分割されたレコード音源の方が気分を新たにして後半を聴けるのでしっくりくる。

演奏の終わったレコードを裏返したり取り替えたりするのは結構面倒なんだけれど、この一手間がオイラの集中力を回復させてくれる様な…


弾返してもらえる?

2024年02月01日 | Southern Rock

無名バンドから一気に大成功を成し遂げたレイナード・スキナード。

“いろいろ困難なこともあったけれど、仕事に励めばツキも変わる。

もう大丈夫、無茶はしない。だから俺の弾丸、元あったところに戻してくれる?”

とでも言っているような歌詞ですかね?

本日はアルバム・タイトル曲でもあるGimme Back My Bulletsが収録された1976年のレイナード・スキナードの4枚目のスタジオ・アルバムでも。

ギターのエド・キングがバンドから離れ6人編成となり、またプロデューサーもアル・クーパーからトム・ダウドに変わったことからそれまでのアルバムと比べてサザン・ロック特有の泥臭さが薄らいだように感じる。

また、このアルバムにはかってのFree Bird、Sweet Home AlabamaやSaturday Night Special などシングル・ヒットしたキャッチーな曲がなかったので更に地味に感じたのか残念ながら前作よりは売り上げが落ちたそうな。

とは言え、それぞれの曲の出来は悪くなく泥臭さの薄れたあっさり目のサウンドはドライブのお供には最適かも。車のカーステでよく聴いたね。

 


髪型問題について

2023年10月03日 | Southern Rock

本日は1973年にセルフ・タイトルのデビュー・アルバムを出したサザーン・ロック・バンド、Lynyrd Skynyrdでも。

このアルバム、出た当初はすぐにヒット・チャートを駆け上がることはなかったが、翌年にはゴールド・ディスクを獲得しさらに1975年には全米27位にチャート・イン。その後時間をかけて売り上げをどんどん伸ばしていく事に。

確かに何度も聴き返していくごとにその良さがじんわり染み込んでくる感じ。

ちなみにこのバンド名の由来は高校の風紀担当の教師、レオナルド・スキナーの名前をもじったそうな。

大昔私が中学生だった頃、校則で男子の髪型はもれなく2枚刈り(5mm)の坊主頭で、だった。毎朝登校時には学校の正門にコワモテの風紀担当の教師が立っていて、髪の毛が長いと指導が入り一両日に散髪屋に直行てな事だった。

自由の国のイメージである彼の地でも、メンバーと風紀の教師の間でトラブルがあったんだろうね。

(70年代ロック・バンドの定番ファッションといえばロン毛にベルボトム・ジーンズ。2枚刈りのスタイルはパンクの時代まで待つ事に...)

まあ髪型に関しては日本のような2枚刈り一択ではなく、ヒッピーが好むロン毛が多分ダメな緩めの校則で状況はかなり違う...

丸坊主になると顔が全く変わるような印象が... 当時は早く髪型自由の高校生になりたいって思っていた。

そして長い~月日が過ぎると昔はフサフサしていた私の頭髪も髪の毛が抜けたり細くなったりして心許ない状況に。

今となっては短くした方が楽ちんかも?


もしオイラのデキシー・チキンになってくれたら.... みんな兄弟。

2023年09月02日 | Southern Rock

1973年、ローウェル・ジョージ率いるリトル・フィート3作目となる渾身のアルバム、Dixie Chikenが出た。

南部のルーツ・ロックが芸風で、このアルバムでもそれを象徴するかのようにテネシー州メンフィスとかルイジアナ州ラファイエットなんて南部の地名も登場。

特定のリスナーからは高い評価を受けるものの残念ながらあまり売れなかったそうな。全国区の人気を得るにはまだまだ地味な存在だったのかな?

リーダーでスライドの名手ローウェル・ジョージはカリフォルニア出身で、同じカリフォルニア出身でドロっとした南部サウンドを求めたCCRと方向性はなんとなく似ていた様な気もするし、個人的にはもう少し一般ウケする様なロックンロール1−2曲ブッ込めばもっと人気が出たかも…

キーボードのピル・ペインなんてドゥービー・ブラザーズのレコーディング・セッションでポップな曲弾きまくっていたしね。

まあ、リトル・フィートとしてはそっちじゃない!ってことだったのかな?


2曲で56分

2023年09月02日 | Southern Rock

本日はオールマン・ブラザーズ・バンドの1971年のThe Fillmore Eastのライブでも。

このライブは3月12と13日の2日間に渡って繰り広げられた。

その中から9曲が選曲され1971年のAt Fillmore Eastとして2枚組のライブ盤として発売。また未収録の3曲は次作、Eat A Peachに収録された。

今日は週末、少しばかり時間に余裕があるので普段聴くことの無い長尺曲に挑戦。

2003年に出たAt Fillmore Eastの増補再発盤CDのセカンドCDには4曲が収録されていて、中でも23分に渡る熱演を収めたWhipping Postとレコード片面に収めきれない全編33分以上に渡る規格外ジャム・セッション、Mountain Jamでもトライしてみようかと...

いや~やっぱり長い! トイレ休憩が必要だね。

若かった頃のように、ヘッド・フォンを付けて神経を集中して聴いていくのはもう無理。

何か他の事をしながらBGMとして流し、デュアン・オールマンとディッキー・ベッツのギターの掛け合いに時折耳を傾けるのが正しい楽しみ方なのかも...


チャック・リーヴェルって知ってる?

2023年06月22日 | Southern Rock

デュアン・オールマン亡き後、キーボードにチャック・リーヴェルが加わり新生オールマン・ブラザーズ・バンドが誕生。

それまでのデュアンとディッキー・ベッツのツイン・リード・ギターの掛け合いが売りだったのが、彼のピアノが加わる事によりバンドとの方向性が合致したのか演奏に新たな魅力を生み出し、1973年に出たBrother And Sistersは大ヒットを記録。

ただメンバーのドラッグ中毒によって、その絶好調も長続きせずその後スタジオとライブ・アルバム各1作を出してバンドは空中分解。

残ったメンバーのチャック(キーボード)、ジェイモー(ドラムス)とラマー・ウイリアムズ(ベース)に外部からギターのジミー・ネイルズが加わり新バンド、Sea Levelが結成された。

ボーカルがついた曲もあるが、1977年のファースト・アルバムではオールマン風の軽快なフュージョン系インスト曲が味わえ、これがなかなかの出来だった。

1977年のファースト・アルバム

その後3枚のアルバムがキャプリコーン・レーベルから発売されたが、マイナーなバンドのため、初回盤の購入を逃すと直ぐに廃盤となり中々手に入れ難くその後の3枚のアルバムの入手を諦めていたところ、1990年にそれら4枚のアルバムからの選曲でベスト・アルバム、Best Of Sea LevelがCD化されようやくゲット。

因みにチャックはSea Levelから脱退後、ローリング・ストーンズのサポート・キーボード・プレイヤーとしてオリジナル・アルバムやライブなどで長年活躍してきたのは有名な話。