人間はなぜ生き続けれられるかというと、よく言われることですが、未来がどうなるか判らないからです。
もし将来が全て順風満帆で前もってわかれば、それは毎日が楽しく感じられることでしょうが、もし徐々に悪くなって行き、最終的に破滅する酷い結末のシナリオであれば、誰も好んでそれ以上生き続けたいとは思わないでしょう。
たとえ、状況が前もってある程度推測できたとしても、それはあくまでも推測に過ぎず、何が起こるかはその時になってからでないと判らないということで、次ぎの朝が迎えられるわけです。
年をとると、どうしても昔を懐かしみ、よくあの頃はよかったと思うのですが、それは今まで生きてきた経験から、若かった時よりも明日のことがもっと現実的に想像できるからですね。もちろん年を重ねるとともに、体力や気力も衰え、今のままでいいやと自身を変えてみようという冒険をしなくなるのも理由の一つだと思いますが。
今日はサイモンとガーファンクルの1968年の4枚目のオリジナルアルバムOLD FRIENDを紹介します。
このアルバムは2部構成を取っており、レコードのA面は、BOOKENDS THEMEという小曲に挟まれて、その間(人生のスパンとして)に計5曲が挟まれ、少年期から老年期のまでのストーリーがそれぞれ異なった設定の話として収録されています。
B面は彼らのシングルで出された曲が中心となったものです。
A面を簡単に述べますと、
1曲目は、わずか32秒のアコギのインストナンバーである、BOOKENDS THEME
2曲目のSAVE THE LIFE OF MY CHILDは、少年が飛び降り自殺を測ろうとする光景が、単なる見世物になっているという、人々の無関心を表している。
3曲目のAMERICAは、若いカップルがアメリカを放浪し、なんらかの希望を見つけ出したいと思うが、実生活を営んでいる満たされた環境に居る人々でされ、同じように希望を探し求めているという現実を、彼らは感じとる。
4曲目のOVERSは、これ以上一緒にいても先が見えていると、離婚を考えている夫の憂鬱な状態。しかし、離婚を実現したときのことを考えようとしても、考えがまとまらずまた振り出しに戻ってしまう
5曲目のVOICES OF OLD PEOPLEは、アート・ガーファンクルが実際に老人ホームを訪れて録音したテープで、いずれも過去のことを懐かしむような会話が記録されている。
6曲目のOLD FRIENDSは仲の良い老人同士が将来に向けての不安を思う様が描かれている。
7曲目は、6曲目の終わりからすっと入ってきて始まるBOOKENDS THEMEの後編で、過去の思い出について歌われている。
60年代の アメリカといえば、ベトナム戦争、不景気からの貧困、そして人種差別から起こる暴動など、あらゆる社会問題が一気に噴出。歌の内容がいずれも、それらのことを直接歌ったものではないけれど、これらは当時のアメリカ国民が新しい希望を見出せなかった状況を断片的に表現していると個人的に感じます。
これらのことを踏まえて、ポール・サイモンは次作でBRIDGE OVER THE TROUBLED WATERという曲を出し、手を取りあい痛みを共有し、それらを乗り越えようじゃないかとメッセージを送り70年代が始まるのです。当時の日本といえば、例のあの歌が1967年に発売され、3番まで歌うとなんと”こんにちは”が39回も出てくるのである。その歌が70年の万博で高らかに歌われ、高度成長時代が始まるなんともお気楽な日本であった。
CDではA面とB面が繋がっているのですが、このアルバムを聴かれるのであれば、7曲目のBOOKENDS THEMEで一旦止めていただき、最後のアコー スティック・ギターの演奏の余韻を楽しんでもらえればと思います。
たった15分間で人生を語っているのですが、その内容は非常に示唆に富み、40-50年前の楽曲にもかかわらず、今の時代にも十分当てはまる感じがします。
アルバムは大ヒットし全米と全英、共に1位を獲得しています。
俺たちに未来はあるかと言われれば、返答に困るわけですが、なんらかの希望を持ち続け明るく楽しくやっていく以外にはないでしょう。
助手:今日は重いテーマでしたね。
博士:仕方ないことじゃ、誰しも年をとることを避けては通れないのじゃ。明るく陽気に行こう!
助手:そう思って、博士に楽しんでもらうように20枚組アトランティック・ジャズ・ボックスをバーゲン価格で購入しておきました。お気に入りのハービー・マンのアルバムが1枚入っていますよ。
博士:なんと、ジャズは君の趣味じゃないか! いつも、人にあまり無駄遣いするなと言っといて、自分ではこんなの買っている。仕方ない、ハービーマンでも聴くか。だけど、20枚もCD入っているのにハービー・マンたった1枚だけ?
Simon & Garfunkel - America
Simon & Garfunkel - Mrs. Robinson
再生装置の更新とは、一部の例外を除いて通常グレードアップを図るという意味で、現在のシステムより高価な装置の購入となります。
もちろん、スピーカーのグレードを上げ、それに見合う出力のアンプを使えば、音がよくなるのは間違いではないでしょう。しかしながら投入した資金がグレードアップに見合うものか、正確かつ客観的な判断を下すことは、難しいと思います。
例えば実勢価格が10万円だったセットを30万円のものに更新した場合、 新しい再生装置から出てくる音が3倍の価値になると言うと、それを比較する指標がないため、誰も客観的に断言は出来ないからです。
再生装置の実質的な性能と個々が実際に聴いた上での主観的な評価のコンセンサスが一般の評価として下されると思います。
ここで、主観的にと記述したのは、音の良し悪しを決定するのが人それぞれの感覚に依存するからです。
CDのデジタル音源がCDプレーヤーのD/Aコンバーターでアナログ電気信号に変換され、プリメイン・アンプ経由でスピーカーにそれらの信号が送られ、それが振動板を揺らせ空気中を伝わります。
ここまではみんな同じ条件ですが、音は内耳で電気信号に変換され、神経を通り脳に伝わり音を認識します。すなわち、内耳における変換能力は人それぞれです。また神経を通り脳に送られる信号はスピーカーから発せられる音だけでなく、それ以外にも様々な情報が脳に伝達されています。すなわち、 聴く人個々の状態によって聴こえ方も異なってくるのでは?
上には上がありますが、今の音で特に問題がなければそれで良いのではないかと、常日頃自身に無理やり言い聞かせています。汗~
本当は、JBLの大口径のウーファでぶっ飛ばされたいよ~
やっぱり、最新のサラウンドで音の立体感を楽しんで見たいよ~
助手:博士! 2015年の上半期の錬金術計画、ほとんど失敗に終わりました。 ジャンボに当たりなし。海外投資信託で若干のアガリはありましたが、投資金額があまりに少なすぎたのと、リスクを恐れた円建ての債権だったので、20%のキャピタルゲイン税を払うと、ほぼ全額がいつも行くスターバックのコーヒー代に消えてしまいました。
博士:なんじゃとー! ジャンボ全滅か! ここ何年もの間、この近辺で高額当選者がおったと言う話はとんと聞いておらんのう。
本当に億が当たった人なんておるのかのう? 当選者の話なんて全部作り話だったりして。
助手:2015年の下半期の錬金術計画いかがなされます?
博士:よし。次は最近よく宣伝されているBIGでいってみよう。早速、研究のためJリーグの試合点けてくれたまえ。
助手:あのー ケーブルテレビ契約していないのですが。
博士:前回デジタル・ハイレゾ音源に付いて触れたのじゃが、通常ネット経由でPCにダウン・ロードするか、もしくはSACD、DVDやBLUE RAYなどのディスクを購入する事で音源が入手できる。
これらの音源が永久に保存できるのか?というと、そうでもない。
ハード・ディスクに記録されている音源は、なんらかの物理的な原因でハード・ディスク自体が破損すると、記録されたデータが取り戻せない時があるからのう。また、SACD、DVDやBLUE RAYなどのメディアでは、記録面になんらかのダメージがあれば、読み込みが不可能となってしまうのじゃ。
助手:そう言えば、CDが売り出された当時、その音源は永久だって聞いた事がありますよね。
博士:現実はどうじゃ? 80年代に売り出されたCDの幾らかは、どうゆうわけか、湿気が記録面に入り込み、腐食して記録面が剥げて いるのもあるのう。
これはストーンズの、1986年に旧西ドイツでプレスされたCDじゃがディスクの外周側からポツポツと剥げてきとる。
ポリグラムによる。旧西ドイツでのプレス
外周の記録面が剥がれている。
幸い、CDの場合はレコードと反対で、内側から外に向けて記録されているので、現在の外周のダメージが記録面に到達しない限り、今の所再生は可能じゃ。
助手:1986年製造ですから、30年の間にこんな風になるのですね。
現在製造されているCDはどうなんですかね? 30年経てば同じように劣化していくんでしょうか?
博士:それはメーカーに聞いてみないとわからん事じゃ。80年代CDのプレスはヨーロッパであれば、レーベルに関わらず結構旧西ドイツのポリグラムで行われていた記憶があるのじゃが。現在ではあちこちにプレス工場が新設され、新しい技術を使った生産設備が導入されていると思うので、あまり心配する事もないのかもしれない。
助手:そう言えば、昔のCDのジャケットにはAAD、ADDとかDDDの表記がありましたね。80年代といえば、ほとんどがA(アナログ・レコーディング)、A(アナログ・マスター)でD(デジタル変換)でしたね。
博士:その通り。LPの音をCDで復刻する場合、LP用のアナログ・マスター・テープからD/Aコンバーターを用いて16ビットのデジタル音源に直接変換させるのじゃ。 昔のCDは音量(音圧)レベルが低く設定してあったので、今のCDと比べると音量が少なく頼りない印象を受けるし、また当時のD/Aコンバーターの性能が悪かったので、多分LPよりも音は悪かったのでは?と言っておる人もいるのじゃ。
今では、LP用のアナログ・マスター・テープをデジタル・レコーダーでハード・ディスクにトラック・ダウンする際、リミックスや手直しをしてデジタル・マスターを作成する。それを16ビットに変換しCDを作るので、以前と比べるとよりクリヤーな音になったのじゃ。
助手:と言うことは、80年代に出された海外プレスのAAD編集のCDは音質面や劣化の問題から考慮し、購入は避けたほうが良いかもしれませんね。
博士: 一概には言えないが、その方が無難じゃな。少なくともワシが所有している80年代旧西ドイツのプレスCDは、ストーンズに限らず同じようなダメージがあるからのう。もちろんワシが買ったのだけがそうなのかもしれないが?
80年代のCDは、LPのレコードを忠実に復刻するということで、CDの記録エリアが余っておっても、LPが2枚組なら、CDも2枚組と今の紙ジャケ復刻のように凝っておったし、またCDの価格も結構高かったので、記録面にダメージを発見すると非常に残念な気持になるのう。ELTON JOHN の80年台プレスの2枚組GOODBYE YELLOW BRICK ROADがそうじゃった。(現在のスタンダードのCDは1枚にLP2枚分が収められている。)
現在生産されているCDなどのメディアの品質が改善され半永久的な寿命があることを祈るのみじゃ。もし、今集めているCD全てが同じように劣化することになれば、目も当てられんわい。まあ幸い、80年代のCDが30年以上経って現在散見される程度の劣化のスピードであれば、ワシが生きている間は大丈夫かもしれんがのう。
助手:それよりもあと10年も経てば、16ビットを再生する時代遅れのCDプレイヤーなんてなくなるかも知れませんよ。
博士:いや、 色々と利害関係があるから、そう簡単に全てが全く新しい技術に一気に変わる事はないじゃろう。我々が考えているよりも、案外科学の進歩は遅いと思うよ。
スタンリー・キューブリックの“2001年宇宙の旅”を見てみたまえ。1968年に公開されたこのSF映画では、21世紀初頭において月面に基地がすでに存在し、コンピュータHALを搭載した有人宇宙船が木星付近まで行っておる。
現実を見てみたまえ。2015年の段階で、月面基地はおろか、映画に出てきた大型宇宙ステーションもない。10名足らずの乗組員の小さな国際宇宙ステーションが地球の周りをぐるぐる回っているだけじゃからのう。
ハイレゾ音源がネットで配信されているにもかかわらず、CDよりさらに古い規格のレコードのプレスが最近増えている。ハイレゾ音源であれば、音の劣化はなくハード・ディスクさえあれば、収納スペースの問題もない。再生するのに手間がかかり不便で、且つ再生するごとに盤面が劣化するレコードが今になって好まれるとは。
人間とは時に非合理的な行動をする事をあえて好む不思議な生き物じゃ。
1988年アメリカプレスのCD。内側から記録面が劣化している。5-6年目にポリーカーボネートに劣化したところを赤のサインペンでなぞってみた。
これからすると劣化した箇所少しづつであるが広がっているみたいである。この場所にはデーターが記録されていないので、CDの読み取り可能。
それでは、始まり、始まり~
博士:今朝は、晴れた天気で清しい風が吹き込み気持ちいいのう。
このような時は、たとえAMラジオでも、好きな曲が流れてくれば素晴らしく聴こえるものじゃ。反対に1本100万円もするようなスピーカを組み合わせた高額のオーディオセットを持ってしても、 寝起きに無理やり音楽を聴かされりゃ、それは単なる雑音じゃからのう。
助手:近頃ネットなんかで販売されたり、高額のボックッス・セットを購入すればおまけで付いてくるハイレゾの音源ですが、実際の所どうなんですかね? 一体何人の人が、ハイレゾ音源が既存のもより素晴らしいと実感できるのでしょうかね?
博士: 客観的に通常のCDの音源のスペックはサンプリング周波数が44.1kHz、ビット深度が16、周波数レンジ20Hz-20kHzそしてダイナミックレンジが96dBじゃ。
対するハイレゾ音源は、サンプリング周波数が48kHz/96kHz/192kHzあるいはそれ以上、ビット深度が24/32、周波数レンジ20Hz-88kHz(192kHzの場合)そしてダイナミック・レンジが146dB(24ビットの場合)だから、数値的には当然ハイレゾが勝っておる。
まあ、サンプリング周波数を拡大する事によって、人間が聴こえない音も取り込み自然さを出すこと、そしてビット深度を増やすことにより、アナログ音源のスムースな波形に近づけることなどが、優れた音源という考え方なのじゃろう。
助手:つまり、数値で比較させることによって、スペックの高いハイレゾ音源が通常のCDの音源に勝っていると誰にでも即座に客観的に判断させたい意図があるのですかね?
まあ、車のスペックの比較とおなじようなものですね。
博士: その通り、車の最大限のスペックを実感するには、サーキットのコースを走るしかないし、また最大限のスペックを操れる運転技術があっての事じゃ。
CDの場合は大体22kHz以上の音をカットするのじゃが、儂みたいに歳を取ると、聴力は落ち16kHzの音ぐらいがギリギリじゃから、サンプリング周波数を拡大する事が果たしてどれだけ意味があるのかのう? まして、アナログの波形に近づけた音は、デジタルで原音再生という意味で、それが本当に聴いていい音なのかの判断もつかんし。
助手:最近ではデジタル技術が進み、レコードやテープの再生で起こる雑音を消せるだけでなく、リスナーの好みに合わせて音を加工しているみたいですね。
博士:昔のCDの音は今と比べてレコーディング・レベルを低く設定したものじゃった。CDに収録できるダイナミック・レンジ内に曲を収めないと、音量がピークを越えた場合音が歪むからのう。
昨今のCDの音は、パンチのある音が良い音だと考えレコーディング・レベルを上げる。ダイナミック・レンジに収まることが出来ず歪む可能性がある箇所には、録音時にコンプレッサーやリミッターなどをかけて加工し音の歪みをなくし雑音を排除する。原音再生とは相反する事じゃと思う。
助手:ステレオ・コンポなどについているラウドネスのボタンも、音量が少ない時でも、加工する事により高域/低域の音を補正して派手にするから、同じような考えですね。
博士:デジタル・ハイレゾ音源を高額の再生装置でアナログ原音再生という試みは、趣味としてそれに投資できる金が潤沢にあるなら第三者が口を挟む事もない。まあ、我々一般庶民はカジュアルに聴いていて楽しめることがベストの音だと思う。また加工された音も、それが良い音に感じるかどうかは本人次第じゃ。
助手:じゃ、博士は同じアーチストの音源をいろいろ持っているのはどうしてですか?
博士:痛いとこをつくのう~
儂の場合は単に所有欲を満たす事から得られる快感を楽しんでおるだけじゃよ。レコード会社の陰謀にまんまとのせられているのじゃ。だって、普段聴くのは取り出しにくいボックスや紙ジャケには入っているメディアの音源じゃなくプラケースのCDかPC内のMP3じゃからのう…汗
此処にも有りますね~ CDとそれ以上のスペックのハイレゾ音源を聴き分けることできますか? 私は、前もって言われれば、なるほどそういうものかと思う程度です。
ROXY MUSICのCOUNTRY LIFE、USプレスのジャケット
注:アメリカとカナダでアトランティックの子会社のATCOからレコード番号 SD36-106で1974年発売された。センサーがかかったジャケットだけかと思っていたが、オリジナル盤も袋に入れて当時出ていたようで、多分それを見て苦情が来てセンサーがかかったジャケットに変更されたのでは? 1982年の再発盤ではアメリカとカナダはセンサー・ジャケットで出された。CDになってから、オリジナルに復帰。
少年2:だけど、お前のお袋さんに見つかりゃ問題だぜ。
少年1:大丈夫さ。レコード棚にレコード目いっぱい 詰め込んでおいて、まずいやつは一番端に置いておくのさ。そうすりゃ、端っこのレコードは取り出しにくく、そのレコードを聴きたいと思って取り出さない限り安全さ。うちのかーちゃんには無理だね。
少年2:実は内緒ってことだったんだけど、お前のお袋さんに、最近学校で何かなかったかと聞かれたんだ。なんでもレコード棚から変な写真が見つかったてことで。
少年1:ゲー、なんと間抜けな ~(ASS)
ASS は、ロバいう意味ですが、その風貌や動作から間抜けというような意味もあります。
前作STRAIGHT UP が1971年12月 アメリカで(英国は1972年2月)に発売された後を受けて、4作目のASSが前作のプロデュースを行った トッド・ラングレンと一緒に1972年1月からレコーディングを開始する。
しかしながら、トッド・ラングレンがすべての楽曲の最終ミックスを行なったにもかかわらず、STRAIGHT UPにCO-PRODUCERの表記がなかった事に対する不満から、プロデュサーの仕事を途中で降りてしまった。またバンド内のメンバーどうしのゴタゴタもあり、結局セルフ・プロデュースでアルバムのレコーディングが完了したのは翌年の1月と丸1年を無駄にしてしまった。
新人バンドで、多少プロダクションのレベルが落ちようとも、積極的にアルバムを一定の間隔で出していかないといけない時期に、様々なゴタゴタに巻き込まれたのは致命的であった。しかし、なんとか生き延びることが出来たのは、ポールやジョージのサポートもかなり寄与したが、本質的には彼らが作り出す楽曲に魅力があったからだろう。
当時アップルのマネージメントとの確執があり、希望を失った彼らはアメリカのワーナーと契約を交わし、アップルの契約が終了するや否や、ワーナーから新しいアルバムを出すことを画策していた。しかし、ワーナーとの契約に関して詳しい知識がなかったのか、彼らの雇ったアメリカ人のマネージャーに契約金のほとんどをむしり取れる結果となり、彼らの手元には お金はほとんど残らなかった。
さらに悪い事は続き、新規の契約締結に立腹したアップルは、ASSの発売をわざと遅らせ、ほとんどプローモションなしに販売されたので、アルバムの発売は当時全く話題に登らなかったのである。
彼らの苦境は、ワーナーに移籍してからも続くのであるが、このあたりで一旦筆を置きたいと思う。
ASSのジャケットのコンセプトはメンバーのトム・エバンスの発案という事で、ヘッドフォンをつけたロバ(BADFINGERのこと)が空に浮かぶ差し出された餌の人参(ワーナーが差し出す契約書のこと) を眺めているという、アップルに対しての当てつけを示す意図なのだろう。
ロバを自身にかけて間抜けだった(ロバのASSが自身のUSに発音が似ている事から)という意味と、悲劇の三部作のタイトルを繋げるとNO DICE, STRIGHT UP (YOUR)ASSとなり、この場合ASSは、アップルに対して“クソくらえー”というニュアンスになる。
このような状態では、どうしてもやっつけ仕事になってしまい、 キーになる曲もなく平凡な内容となったが、その中でも、 律儀なピート・ハムがアップルに対する感謝の思いを歌ったAPPLE OF MY EYEは 彼の真面目さがよく表れています。
しかしあまりにも真面目すぎたのが、追い詰められて自殺に繋がったことも否定できません。
この世の中、全ての事にあまり真面目や神経質になり過ぎず、 成るようにしか成らないと言う感じの少し開き直った気持ちで生きて行った方が良いのでしょう。お金以外は溜め込むとろくな事にならないみたいです。
少年1:じゃー、それを逆手にとって、100点取ったテストでもそこに紛れ込まそう。そうすりゃ、かーちゃんだって俺の行動に一目置いてチェックも緩むんじゃねーか。
少年2:一つ問題があるんだが、お前100点取ったことあるの?
少年1:キック・ユア・アス(ASS)! 俺だって、昔 ローマ字を書くテストで100点取ったことがあるぞ!(くれぐれも英語のわかる人に対してはこのような野蛮な言葉を吐かないようにしてください。必ず、パンチが飛んできます。)
少年2:それ、いつの話よ?
お袋さんを甘く見てはいけません。知っているけど知らん振りしているだけです。
1990年アメリカの独立レーベルRYKOから発売されたライブ盤のCD
生き残りのギター担当のジョーイ・モランドが、発掘されたライブテープの音が痩せているという理由で大胆にも自身のギーターをオーバー・ダブし不評を買う。
しかし、BADFINGERの資料としては貴重
CD裏ジャケの写真。メンバーのライブでの立ち位置がわかり貴重な写真
Day After Day Badfinger LIVE! 1972
少年2:今日はおじさんいないみたいだね。仕方がない、そこは堂々とROCK通の顔を作りさらっと買うしかねえな。それともNO DICEだけ買ってインパクトを落とすとか。
少年1:いや、ROXY MUSICのCOUNTRY LIFEだけは外せねーよ。なんせジャケ買いだからな。
少年2:そこかー やっぱ、ガチのませガキじゃん~
STRAIGHT UP は、ストレートの真っ直ぐという意味から派生し、 正直なとかシリアスな、もしくはくだけてガチという意味で使う。
前作NO DICEが1970年末頃に発売され、1971年1月に前作のプロデュースを受けたジェフ・エメリックとニューアルバムのレコーディングを開始する。
12曲が完成しアメリカツアーからの帰国後、 すでにシングルの発表が決定されていたにもかかわらず、アップルはシングルとアルバムの発売を再び拒否したのだ。それを見かねたジョージハリソンが手を差し伸べ、没テイクになった12曲から6曲を再録音し、新たに新曲を加えることでようやくレコーディングが再開された。
事は順調に運ぶかと思われたが、ジョージのシタールの師であったラビ・シャンカールから頼まれ、バングラデェシュのチャリティー・コンサートを開く事となり、その準備のため、ジョージのSTRAIGHT UPのプロデュースの作業は未完のまま終わってしまった。コンサート終了後、ジョージの後をトッド・ラングレンが引き継ぐ事となった。
コンサートにはジョージの要請でBADFINGERも客演した、と言ってもボブ・ティランの出演が決まり、後半はディラン中心のコンサートと変更され、彼らの唯一の見せ場はピート・ハムがアコースチック・ギターでジョージのHERE COMES SUNを後ろで伴奏したところぐらいであった。 もちろん大きなライブ・イベントに彼らが参加出来た経験は全く無駄とは言えないが、アルバム製作中にそれをやられるとやはり集中力は途切れるのではないか。
なんとなく、前作のNO DICE 制作の時と全く同じストーリーが繰り返されたような。
没になったテークは、売れるか売れないかは別にして、BADFINGERらしいシンプルなフォーク・ロックに仕上がっていたように思える。参考のため、NAME OF GAMEペーストしておく。このバージョンはジェフ・エメリックがプロデュースし、没になったバージョンをアル・クーパーがリミックスしている。ジェフ・エメリックのバージョンは少し古めかしいホーンのアレンジメントが強調されていたが、アルはそれらの音をひかえめにし、キーボードを加えて聴きやすいようにかえた。一方ジョージが再録した、正規版のNAME OF GAMEは全く違うアレンジで、曲の進行スピードも遅くしてありストリングスが強調されたものとなっている。私はアルの没テイクをベースにしたバージョンが好みである。
ジョージやビートルズ・フリークのトッド・ラングレンがプロデュース したことによって、バンドとの力関係から、当然の事ながらビートルズのサウンドに近いものになってしまったのは仕方のないことで、ジョージのプロデュースした楽曲は 、ビートルズというよりは、まさしく自身の アルバムALL THINGS MUST PASS 風(ジョージ+フィル・スペクター風)のようだ。
今回もいろいろと振り回されたBADFINGERだが、“ビートルズのような”という形容詞がいつも付きまとうのを、メンバーがどのように思っていたのか再び確認する術は今はない。
ピート・ハムが作曲したBABY BLUE、 NAME OF THE GAME やDAY AFTER DAY など素晴らしい楽曲が収録されいるので楽しめると思う。ちなみに、ジョージはDAY AFTER DAYのスライドは弾きたいと申し出て、ピートはそれを快諾し、ピートとジョージの2本 のオーバダブされたスライドを聴く事ができる。
少年1:仕方がない。今回はあきらめよう。だけど、せっかく来たのだから、1枚だけ買って、今日のところは,これで勘弁してやる。
プログレバンド、FLASHのセカンドアルバム。イエスもどきと言われるが、なかなかいい味出しています。
少年2:やっぱ、そこかー
Name of the Game - Badfinger [Al Kooper version]
Name Of The Game - Badfinger [George Harrison Version]
Day After Day - Badfinger
当時このアルバムの存在は知らなかったのだが、たとえロック通でそのことをよく知っていても、もし中高生の身分だったならなかなか買い辛いものがある。これとよく似たことは 、 ROXY MUSICのCOUNTRY LIFEを筆頭とした一連のアルバムやプログレのFLASH、そしてファンクの OHIO PLAYERなどを購入する際に起こる。
もしレジに若い美しいお姉さんがいたら、とてもじゃないが買うことが出来ない。おじさんがレジに座るまで待つことにしようか?
オォット、これもかなり危険な物だ。やっぱりおじさんを待とう。
さて、彼女はなにを言おうとしているのか?
まさか、“都営板橋本町駅はそっちの方向よ。”とは言っていないだろう。
NO DICEだから、ボードゲームなどの遊びで、ふられたさいころがボードからはみ出し、出た目をカウントしないという意味から派生した意味の“絶対ダメ”とでも言っているのであろうか?
よく、BADFINGERがビートルズの弟分だとか、楽曲からビートルズの香りがするなどと言われるが、これは彼らがアップルレーベルに所属していたので、当然アルバムのプロダクションは、ビートルズ関連の人が中心になり音を作りこむのでそのようになったのだと。いつまでもビートルズカテで扱われているのが非常に残念である。
もちろん、アップルレーベルで2作目のオリジナルアルバムが制作できたのは、1作目のMAGIC CHRISTIAN MUSICの制作で後押しをしてくれた ポール・マッカートニーらの協力あってのことで、BADFINGERはそれらに対して非常に恩義を感じ、レーベルの指示によって動かざるを得ず、結果いたずらに時間を無駄に使ってしまったため成功するタイミングを掴み損ねたと思う。
新人バンドの場合、2曲ほど先行シングルをヒットさせ、その後アルバムを投入し、コンサートツアーに出ます。その後大体6-8ヶ月ぐらいで、シングルとアルバムと出していくというようなルーティーンを取り固定ファンをつかむ。一旦メジャー・バンドのステータスを獲得すれば、アルバムの発売の間隔がたとえ 1-2年あったとしても、内容が期待通りであればファンは待ってくれるようになるのだが。
残念ながらBADFINGERにはマーケティングを強力にサポートするスタッフがいなかったので、タイムリーにシングルやアルバムを制作が出来なかったことで、特に最大のマーケットアメリカで効果的な売り込みが出来無かったと言える。それは アメリカに進出する際のマネージャーの選定で 最悪のマネージメント契約をしたことから始まった。結果アメリカでのプロモーションが大失敗となり、良いアルバムを制作しても全く売れない状況となり、後日主力メンバーだったピート・ハムやトム・エバンスが失意のうちに自殺するという最悪の事態を招いた。
このアルバムは、1970年4月から6月の間 、ビートルズのツアー・マネージャー だったマル・エバンスがプロデュースを担当したのだが、出来の悪さにレーベルが発売を拒否し、ようやく後日ビートルズのレコーディング・エンジニア だったジェフ・エメリックらプロによるレコーディングセッションが再開され 半年遅れの年末にアルバムをようやく出すことに漕ぎ付ける。
そして、最初の レコーディングの時期にレーベルの指示によりリンゴのシングルやジョージのアルバムの制作セッションに参加することになる。もちろんそれらのセッション参加が全く無駄とは言えないが、少なくとも彼ら自身のアルバム製作中にそれをやられると集中力は途切れるのではないか。
まあ、ビートルズあってのアップル・レーベルだったので、彼らが解散すれば方向性が全く定まらず、BADFINGERが期待するようなサポートは到底受けられなかったのが現実。
では、もしBADFINGERがMAGIC CHRISTIAN MUSICのヒットの後、アップルレーベルを離脱したとしたら果たして成功出来きたかと言うと、その確率は高かったと考える。
なぜなら、ピート・ハムの類稀ないソング・ライティングの才能があったからです。 ポールが書くようなメロディーも若干見られるが、オリジナリティーに溢れる素晴らしいメロディー・ラインは後年十分に有名バンドの仲間入りをしたし、WITHOUT YOUのような名曲のカバーから発生する印税でさらなる大金を手にしていたことと個人的に思える 。
WITHOUT YOUといえばピートとトムの共作となっている、詳しく言うと、ピートのIF IT’S LOVEとトムのI CAN’T LIVEの2曲を合体させたものだと言われていて、曲の前半のメロディーがピートで、サビのI CAN’T LIVEの所がトムだと推測できる。当然前半のフレーズが後半のサビで曲を盛り上げるのに大きく貢献しており、これを作ったピートの実力が証明されたのでは 。カバーが大ヒットしたので、本人たちは意地があったのかどうかしれないがこの曲をほとんどライブで演奏しない、言い換えればカバーが当たるのは名曲である証拠でもある。
これ以外にNO DICEにはピート個人で書いた、今聴くとアレンジは若干古く感じるかもしれないが、 MIDNIGHT CALLER、 NO MATTER WHATや WE’RE FOR THE DARKなど素晴らしい曲がある。
ここまで書いてやっとわかった。
彼女は“アップルには気~つけなはれや~、アップルは絶対ダメよ~”予言していたのであった。
情けない! 1-2周遅れのギャグを未だに使うなんて。頭古う~
。
マニアにとっての信頼の2005年の紙ジャケ・リイシュー。2010年のリマスターでは、ジャケットのレイアウトの関係で、女性の胴体がブッタ切られていて残念なことに。
Badfinger - No Matter What - Promotional Film (Music Video) - HQ
Without you - Badfinger
博士:ちょっと、古い資料を見ていると新たな発見があったので、調べていたところじゃ。ところで君、1979年8月29日て何があった日か知っておるかね?
助手:そんな古い時代のことはわかりませんが。
博士:なんと、8月29日から3日間に渡って、あの帝国ホテルに於いて、日本で初めての“国際ディスコ会議”なるものが開催されたのじゃよ。
助手:博士、よくご存知で。
博士:古いレコードのライナー・ノートを読んでいると、たまたまそのことがわかったのじゃ。特に昔のライナー・ノートを読むと突っ込みどころ満載で読んでいて楽しいのう。参考になる資料が少ないにもかかわらず、所定の枚数の原稿用紙を埋めていかないとだめだから。直接関係のないネタや空想はたまた妄想を膨らまして書くのじゃ。
読んだこのライナー・ノートはアラベスク-IIというアルバムのもので、なんとアラベスクとは直接関係のない国際ディスコ会議というネタで、2/3 の量の原稿を埋めているのじゃ。おまけにアレンジを担当した人物に関しては、“残念ながら詳しいことはわからない”と堂々と述べておる。なんのためのライナー・ノートなのか? まあ、すごいの一言じゃ。
助手:アラベスクと言えば、1977年に、当時の西ドイツからデビューした女性3人組のディスコ・シンガー・グループですね。なんでも、当時世界的に売れた、ユーロ・ディスコのスター、ボニーMにインスパイヤーされて結成とか? そう言えば、シルバー・コンベンションなんていうのもありましたね。
博士:残念ながら、ボニーMのように世界的なヒットとはならなかったようじゃ。しかしどうゆう訳か、日本では人気が出てその勢いで他のアジア諸国や旧ソ連などで局地的に受け入れられたみたいじゃ。 本国では3枚のオリジナル・アルバムと1枚の編集盤のみが発売されたが、なんと日本では9枚のオリジナルが出たという、日本の御用達ディスコ・サウンドと言えるじゃろ~。
助手:博士~、大変です。オリジナル9枚に、ボーナスCDとDVDが各1枚がついた11枚組の世界初紙ジャケ限定ボックス21,600円で今年の2月に発売されています。博士いかがですか?
博士:値段的にきびしいのう。そもそも、ディスコ・サウンドは苦手ではないが、熱心に聴く方ではないんじゃ。それに、このレコードが当時何故購入されたのか経緯もわからんのじゃ。しかし、これほどのものが商品化されたとは! 日本のディスコ・ファンの勢力も侮れんのう。資金力から言えば、我々は完全に負けておる。
助手:じゃ取り敢えず、聴いてみることにしましょう。
博士:なになに、1曲目はペパーミント・ジャックだと? なかなか、 爽やかでよろし~
助手:博士~、大変です! さらに調べたところ、このアルバムからメイン・ボーカルに当時17歳だったサンドラ・アン・ラウアーが新しく起用され、美形かつ小顔で手足が長いモデル・タイプの美女で、当時日本のアイドルがいないタイプで人気を牽引したとなっています。
博士:それがどうかしたの?
助手:ジャケ裏の写真みてください。メンバーの名前が記載されていないので、誰が誰かは区別できませんが、メンバーのうち2人がタバコを吸っており、あと一人が灰皿を持っています。灰皿を持っている人の容姿が、失礼とは思いましたが、とても17歳には見えないので、たぶん残りの2人のどちらかが サンドラ・アン・ラウアーで、タバコを吸っているものと推測されます。教育委員会からクレームがつくのでは?
博士:それはたぶん、オリオンのココア・シガレットじゃないかのう? わしも大昔買ったことがある。
この商品にはすっきり爽やかな気分にさせるハッカが入っておって、たぶんペパーミント・ジャックのペパーミントの爽やかさを日本人に知らしめるために裏ジャケ採用された写真ではないのかな?
助手:なるほど!さすがは博士ですね。感服しました。
Arabesque - Peppermint Jack
この場合のシチュエーションとしては、大まかに2通りある。
一つは金の有り余っている人が、“人生金だけじゃないよ。”と余裕を持って諭す場合と、もう一つは金を持っていない人が、“金がどうした!”と若干負け惜しみ口調で言う場合である。
別に金色の風呂桶や便器などを持ちたいとは思わないが、金はないよりはあったほうが良いし、それも多ければ多いほうが良いので、どうしても前者のシチュエーションで宣ってみたい。しかしながら、現実としては、私を含めたほとんどの方々は後者に属するのでは。
日本の場合は、資産上位10%の人たちが、全体の富の約50%程度の日本全体の資産を持っていると言われている。これは、世界の他の国々と比べればそんなにも悪くはなく、比較的富の分散がなされているほうであろう。アジア圏では、資産上位10%の人たちが、全体の約90%程度を保持しているという富の集中度が非常に高い国々も見受けられる。
日本の場合は、累進課税方式で所得税が算出されるので、年収が数千万円を越えると税金でごっそりと持っていかれるからである。例えば年収が1800万円を超えると、租税控除額を差し引いた後に、所得税が40%プラス地方税10%がかかる。
サラリーマンの場合、会社の経理が税率を計算するのであまり実感というものが湧かないのであるが、もし個人事業者の方であれば確定申告する際、なんでこんなに払わねばならないの?と思うに違いない。
給料制でないプロ・スポーツ選手や芸人などがある年にしこたま稼せいだ場合、もし調子に乗ってお金をあるだけ使ってしまったら、翌年の確定申告時にお金が足りず、借金して税金を払うという笑い話みたいなことになるのである。
現在、日本では大体年収1000万円以上の世帯とそれ以下と2分され、以下の世帯が80%以上になることから、中流という概念の世帯はなく、特別なケースを除き一般家庭は後者のグループに大体集約されると思います。昔は、一億総中流なんていった人がいるけど、所得税、市町村税、消費税、健康保険料やその他もろもろ差っ引かれると、たいしてお金が残らない。そのため、現実的に中流を称される人が “人生金だけじゃないよ。”としたり顔で諭す事例は日本ではあまり見受けられないと思うのである。
しかし海外では、そのセリフを声を大にして歌にした人がいる。ダイヤー・ストレイツのマーク・ノップラーである。
MTVに出ている連中は、口パク・エヤー・ギターで演じて、俺たちから見れば“そいつは仕事じゃねよ。”と思うのだが、彼らはそれでいとも簡単に金を稼いじまう。
そして“金なんてたいしたことねぇよ~”と宣い、タダで若い娘をものにする。
今の俺たちは電子レンジ取り付けたり台所用品やカラーテレビ運んだりする仕事をしているんだけど。ああ~、こんなことなら、ギターやドラム習っときゃよかった。
なんて歌ってます。
1978年にセルフ・タイトルのアルバムでデビューしたダイヤー・ストレイツは、アルバムが全米2位、シングルSULTANS OF SWING も4位と大ヒットさせ一躍有名となりました。
その後1979年から1982年までに3枚のスタジオ・アルバムを出すも、楽曲自体がもともと低年齢層に受けるポップ・ソングではなかったので、シングル・ヒットがあった1枚目と比べると売り上げは落ちましたが、ロック界におけるそこそこの地位は築いたと思います。
80年代初め頃のMTVに出ていたミュージシャンたちを揶揄していますが、たぶん口パク・エヤーギターのメガスターを対象にしたものだと思われます。またギターやドラム習っときゃよかったとも歌っていますが、それはカッコだけで売るもんじゃなく、ロックは実際の演奏で勝負と、それまでのグループ活動の実績に裏付けられたことからくる自信を、裏返して言った皮肉でしょう。
全米1位となったシングルMONEY FOR NOTHINGが入った1985年の彼らの5枚目のスタジオ・アルバム BROTHER IN ARMは同じく全米1位となり、なんと売り上げが世界で累計3000万枚を超えるメガ・ヒットと成りました。MTVを皮肉った歌が、反対にMTVのビデオ・クリップで人気が急上昇となりアルバムの売り上げに貢献したというおかしな事態となりました。
マーク・ノップラーは、当然彼も自信の作品が売れれば売れたほうが良いとは思っていたでしょう。しかし、決してMTV流のポップ・ソングの売り方に迎合したわけではなく、それは彼がグループを解散してから出し続けている、以前紹介しました最新アルバムTRACKERを含む一連のソロ・プロジェクトを聴けば解ると思います。
ところで、BROTHER IN ARMというアルバムどういうわけか買いそびれていました。最近、ネットにこのアルバムのレコードが半額以下のバーゲン価格で販売されていたので、早速購入してみました。(通常価格では絶対買わない。)
BACK TO BLACK から出ていた、なんと180グラムの重量盤で、しかもレコード2枚に分けて収録していますので、余裕のカッティングで円周が短いレーベルに近い付近でよく発生する音の歪みの心配なく、低音も良く出た自然な マスタリングで“やっぱりレコードはいいな”と思った矢先、ブチッと大きな雑音が。
信頼の重量盤2枚組と思いきや?
MP3のダウン・ロード・カードも付いてきた。
拡大鏡で見るとレコードの溝に、一見ではわからない小さなミス・プレスと思われる箇所を発見。ミスプレスの箇所に埃が詰まっているのか? ベルベットのレコードクリーナーじゃそれは取れない。一度丸洗いでもしてみよう。
やはり海外から直接買うとこのようなリスクがいつもある。
こんな場合、余裕で“金なんてたいしたことねぇよ~”なんてとても言えない。
やっぱり庶民は出来ることなら“金返せー”である。
このアルバム、出足から、SO FAR AWAY、MONEY FOR NOTHINGとWALK OF LIFEのシングルヒット3連発。特に、MONEY FOR NOTHINGのギターのイントロはかっこいいの一言!
それでは、MTVでオンエヤーされたMONEY FOR NOTHINGです。
Dire Straits - Money For Nothing
ボブ・ディラン 1941年5月 74歳
ポール・マッカトニー 1942年6月 73歳
ミック・ジャガー 1943年7月 71歳
キース・リチャード 1943年12月 71歳
チャーリー・ワッツ 1941年6月 74歳
ニール・ヤング 1945年11月 69歳
ディランは現在11月まで続くヨーロッパ・ツアーの最中で、ストーンズは現在ZIP ROCKツアー(例のステッキー・フインガーの再発のプロモーション)で全米15都市を回り、ニールも全米ツアー中。ストーンズの新譜はご無沙汰であるが、 ライブやアーカイブのアルバムの再発などで忙しく、他の人はライブ活動以外に新譜を出している。
もちろん全員一財産を築きあげ、経済的な余裕があるとしても、この年齢に成っても未だにトップ・アーチストとして音楽活動が出来る力はいったいどこから湧き出てくるのであろうか?
所謂“死に”で42歳が厄年になるとは、よくいったもので、自身を振り返ってみても実際その通りである。
30代は仕事で徹夜や深酒しても、次の朝いつも通りに眼が覚めるのだか、40歳の声を聴く頃から、なかなか疲れが取れなくなり、病院に行って検査すると生活習慣病にかかっていると言われる。
慌てて酒の飲む量を抑えたり、運動を始めたりするのだが、毎日欠かさず実行するとなるとなかなか長続きせず、今日だけと自身につい言い訳してしまいます。そのため40代を中途半端に過ごしてしまうと、50代になれば体のあちこちにガタが来て、医者に通うはめになる。平均寿命は延びたと言われるがそれはあくまで平均値であって、今後どうなっていくのか不安ですね~
1962年にBOB DYLANというセルフ・タイトルでアルバム・デビューしたボブ・ディランは、当時21歳だったにもかかわらず、老成したようなしゃがれた声で淡々と歌った。もっとも違う声も出せるようで、ナッシュビル・スカイラインというアルバムではクリーヤーな歌声を聞かせてくれた。しかしながら、彼のキャリヤ全般を通しては、デビュー当時の老成した歌い方が引き継がれていると言っても間違いではないだろう。
司会:今日はゲストにディランさんに来ていただきました。今でも新譜を出したり、ツアーを精力的にこなしたりされていますが、その原動力は一体何なのでしょうか?
ディラン:それは若さだよ。自分はいつも若いという気を持つようにしているからだよ。まず実際より自身がかなり年をとっているというイメージを持つのさ。そうすれば、実年齢はそれより若いわけだから、そのイメージと比べ、若いと思えば、若くなれるのだよ。年を重ねて、最終的には初めにイメージした年齢と実年齢と同じになる時が来ても、何の違和感もないのさ。
私の歌にMY BACK PAGESという歌がある、内容は抽象的な描写があり、 実際俺が歌っていても難解に思えるので、サビの部分のみを自身に言い聞かせ新たに若いとイメージすればいい。“当時はひどく年を取っていたようだが、今ではその時よりずいぶん若くなっている。”てね。
司会:おおー! そうゆうことですか? いままで歌詞が難解で今までなんのことを歌っていたのかよく解らなかったのですが。そこを強調すればいいのですか?
ディラン:そう、そこのところ。他の歌詞は無視してもいいよ。
司会:なるほど、わかりました。毎朝起きてサビの部分を十回唱え、イメージしてみることにします。それでは、練習としまして、今回は、ディランのガラガラ声でなくバーズの爽やかなコーラスがついたバージョンでいきます。
ではみなさんご一緒に。
AH, BUT I WAS SO MUCH OLDER THEN, I’M YOUNGER THAN THAT NOW♪♪~
というような会話があったかどうかは定かではありませんが、ポジティブなイメージをいつも持つことは重要と思います。
私:ちょっと、ちょっと! あまりいい加減なこと勝手に書いたら怒られますよ。
The Byrds, My Back Pages (lyrics on screen)
そのため、一般庶民はLOW BUDGET LIFEを追及し、なんとかやり繰りをしていかねばならないのです。
1979年初頭、英国にて
クライブ・デービス(アリスタレーベルの社長):レイ、君の飛び向けた才能を考慮した上で、うちのレーベルとサインをしたわけだ。アリスタから出した2枚のアルバムも肩慣らしとしては及第点だが、そろそろ、ラジオで常時オン・エヤーされるような曲を書いてくれんかね?
レイ・デービス(キンクスのリーダー): 取り敢えず、次のアルバムの先行シングルとして (WISH I COULD FLY LIKE)SUPERMANを制作しました。
クライブ:今流行りのディスコ調みたいだな。 (心の中では、ゲッ! ディスコ・ミュージック苦手なんだが。キンクスがディスコって、大丈夫かな?)
レイ:残りはアメリカのスタジオでアメリカのマーケットに即した曲をレコーディングします。
クライブ:じゃあ、よろしく頼んだよ。(一抹の不安を覚える、なぜなら以前所属したRCAレーベルでは、コンセプト・アルバムと称し全く売れ筋のサウンドではなかったアルバムを連発して制作したからだった。)
しかし、クライブの不安は杞憂のものとなり、制作された3枚目のスタジオ・アルバム、LOW BUDGETは比較的簡素なアレンジでハードな面が強調されたロック・アルバムになり、彼らとしては、全米11位(シングルは41位)でアメリカで最大の成功を収めました。
どうゆうわけか、アメリカ・マーケットを意識して制作すると、イギリスでは全く受けない。しかしアリスタとしては、当然マーケットの大きいアメリカでより多く売れたほうがよいので、今後のアルバムも同様の方向で制作されることになりました。
クライブ:あー よかった。 ディスコ調とわかった時心臓が止まりそうだったよ。
ところでLOW BUDGETというタイトル曲は、第2次石油危機を受けた緊縮経済において、LOW BUDGETのライフスタイルを実践しようじゃないかと皮肉ぽく歌っています。それと同時に、自分自身の境遇にも掛けた内容で、過去パイ・レーベルで大ヒットし一流のステータスを得たものの、RCAレーベルに移籍後、上述の通り、一般受けしない内容のコンセプト・アルバムを次から次に作成し低迷しました。そのような状況を反対に強がって歌っています。
時は金なりだが、芸術は理解されるのに時間がかかる。
だから金がないのは、おかしいことじゃない。
億万長者は過去の事さ 。
俺たちは何も続きはしないロー・バジェットの映画にいるのさ。
お金は希少で、そこでは何も見つけられない。
だからもし俺がみんなに買い与えなくとも、 俺が厳しい状況だとは思わないでくれ。
その思いが通じて、アルバムがヒットしたのかな? 反省の意味を込めてLOW BUDGETの意識を持つのは良い事である。
ところで、このアルバムのジャケットに、3本の口紅のついたタバコの吸殻と赤いハイヒールのサンダルを履いた女性の足が映されているが、LOW BUDGETとどう関係するのですかね?
博士:よし。わしもLOW BUDGETでいくぞ! タバコはやめて、フリスクにする。ラルフローレンやラコステはやめてユニクロじゃ! おまけに、ビールはやめて発泡酒じゃ!
助手:了解、それじゃZEPのボックスも諦めて、古い音源で我慢する!
博士:ちょっと、それは待ってくれ~
ディスコ調のスーパーマンです。
The Kinks - (Wish I Could Fly Like) Superman
1963年にWITH THE BEATLESでデビューして、わずか7年間の短い期間にマジカル・ミステリー・ツアーのEPを入れて13枚のオリジナル・アルバムと22枚のシングルを発売したにすぎない。同時期にデビューしていて、未だに活動を続けている、ストーンズやディランも再発物やアーカーイブ物を結構出しているが、それは50年以上の連続した活動からの結果であって、 それはそれですごいと言えるのだが、ビートルズのように短期間の活動で、未だに現役の連中と同じように商品が売れ続けることが出来るのは、他に例を見ない。
昨年、2009年のリマスターと同じ音源で、日本独自のSHM-CDの紙ジャケを発売した。 当初はメーカーのなんでもありの戦略には乗るまいと、不買を決めていたのであるが、最終的はなんとも情けなく夢遊病者の様に紙ジャケを購入してしまった。
賢明な他のマニアの人は、私のようにメーカーの戦略に簡単に引っかかることはあるまいと思っていたのだが、なんと初回限定版が完売。メーカーも初回限定と謳っていたのだが、悪乗りしてアンコール・プレスで販売を続け、大手の通販ショップで再度完売となっているアルバムもある。
単に通常のCDがSHM-CDに変わっただけで、それらのメディアの違いによる音質の変化に特に感動もなく(むしろ違いがあまりわからない聴力と言える)、それらの紙ジャケは聴かれることもなく寂しげにCD棚に鎮座しているのである。
一体世の中どうなっているのだろう? 何がビートルズの商品を出るたびになんでも買ってしまう気持ちにかりたてているのだろうか? 彼らのは紙ジャケではなく神ジャケだから、神の啓示なのか? はたまた催眠術の一種なのか?
と考えたところ、押入れの中にある白いボックスを思い出した。2009年のリマスターCD発売に乗じて、アメリカのBOX OF VISION社が、なんとビートルズのCD収納ボックスを作った。当時1万数千円と結構高額だったので、購入意欲はあまり起こらず、実際売れ行きも芳しくなく、タワレコではバーゲン価格で在庫処理をして売り切ったようである。
しかし、いざマーケットから現物がなくなると思うと、急に欲しくなりいろいろと安く買えるショップを探してみたのだが、少数ながらネットショップで販売されていた価格は非常に高く、BOX OF VISION社のサイトで直接購入を試みようとしたが、日本向けは代理店があるので、直接販売は出来ないとのことだった。その後いろいろ調べて、なんとアマゾン・カナダでバーゲン価格で販売されていたのを発見、2-3日で届く数千円もかかる海外クーリエ・サービスを使っても9000円程度ということでついに手に入れた。
到着してみてみると、付属していた2冊の本は結構価値があると思ったのだが、肝心のCD収納機能は使い勝手が悪くまた、全部のCDを収納すると、中のビニール製の収納袋が多分CDの重さに耐えられなく破れてしまうのではないかとの懸念から、CDの収納は諦め、この収納ボックス自体が押入れに収納されるという自体となり、購入は失敗に終わった。
一冊は、発売された全アルバムのデータブックの様な冊子
もう一冊はハードカバーで、発売された全アルバムの表と裏、そしてゲートフォールドのアルバムは内側の写真を30X30CMのサイズで載せている。本当に綺麗な本です。
ビニール製のファイルに、各CDアルバムの収納するポジションが写真で示されている。
CDのジャケット入れた後、その上にCDを固定して入れる別のスロットがある。
しかし、元の状態に戻して押入れにしまってしまうと、なんとなくかわいそうな収納ボックス!と擬人化された変な気分になり結局レコード収納棚に他のレコードと一緒に置くことに決めた。
古いレコードのボックセットと仲良くラックに収納
例の紙ジャケSHM-CD達と同様に暗室ではない部屋に置いておくと、紫外線などで印刷などが褪せたり、またホコリやカビが付くことで商品が劣化するリスクがある。でももう気にはしない。これらのコレクションと同じ空間で一緒に年を取っていくと決めたのでした。
ちなみにBOX OF VISION社は、この後同じデザイン・コンセプトで ジョン・レノンとボブ・ディランお収納ボックスを作ったみたいですが、まあ、完全にマニア向けの商品で、世界中で爆発的に売れるものでは元々ないので、完全にマーケットから消えてしまった。BOX OF VISION社が解散したのかどうかは不明であるが、彼らのネット・サイトはかなり前に閉鎖されたみたいである。結局メーカーにとっても無意味なグッズだったわけだ。
本当に、実用性のないものに無駄遣いしてしまい、反省の日々である。もし返品してお金が帰ってくるならそうしたい。
ということで、今日はGET BACK 聴いてください。お金よー 元いた場所(俺の財布の中)に戻ってきなさい!
The Beatles Get Back Rooftop Concert, 1969 360p
40年ほど前のレコードではあるが、比較的コンディションはいいのだが、やはりB面1曲目の静かなムーンチャイルドを聴くと、CDの音源のように完全に雑音なしというわけにはいかない。しかし“ながら聴き”で且つひっくり返してレコードの両面を聴くという一手間が、かえってのんびりした気持ちにさせ、雑音はそれほど気にはならなかった。
このアルバムは、あのビートルズのアビー・ロードを1位から引きずり降ろしたとよく言われているが、オフィシャルのチャート・アクションは全英が5位、全米が28位だったので、実際は引きずり降ろすくらいの勢いだったという事かな?
また、当初ムーディー・ブルースのプロデューサーであったトニー・クラークがレコーディングの制作を引き受けたのだが、メンバーがムーディー・ブルース調になるのを嫌がり、セルフ・プロデュースとなったと言われている。
1969年頃というと、ムーディー・ブルースはメンバー・チェンジ後の3枚目にあたるアルバム、ON THE THRESHOLD OF A DREAM(邦題、夢幻)を出したばかりで、トニー・クラークはそのアルバムの マイク・ピンダー作のメロトロンが使われたゆったりした感じのプログレ組曲、HAVE YOU HEARD PART-1 – VOYAGE - HAVE YOU HEARTD PART-2 あたりのサウンドを狙っていたのかもしれない。
もしトニー・クラークがプロデュースを続けたなら、アルバム冒頭のキング・クリムゾンの宮殿における、あの破壊的なサウンドはまろやかな感じになったのだろうか?
それから、今回、レコードの中央に貼り付けられた丸いレーベルについて少し書いてみよう。
非常にマイナーな事だが、ジャケットの中とレーベルにIN THE COURT OF CRIMSON KING AN OBSERVATION BY KING CRIMSONと記載され、バンド名としてはKING CRIMSONの表記はなかった。この手の表記は次作以降みられない。
ジャケット内側の表記
AN OBSERVATION BY KING CRIMSON(キング・クリムゾンによる観察?)はWIKIによると、このアルバムの副題と称されているが、のちにレーベルの変更などによる再発でAN OBSERVATION BYという表記がレーベル面(特にCDのレーベル)から消えている。これはどうした事なのか?
もう一つは、レコードがアトランティック・レーベルになっている事である。
P-10115A アトランティック・レーベル
これは、英国のE.G.PRODUCTIONという音楽関連の出版社に所属していたことから、アイランド・レコードと販売契約を結ぶのだが、テリトリーはヨーロッパ限定で、アメリカ、極東やその他の地区ではアトランティック・レコードと契約を結んだからである。
初期ピンクアイランドのレーベル
40周年記念盤のレーベル
アトランティックは元々R&Bやソウル専門のレーベルで、日本ではオーティス・レディングやアレサ・フランクリンらが特に有名であったが、1967年ワーナー・ブラザーズの傘下となり、ロック・アーチストの契約獲得に積極的に乗り出した。まあ、アメリカのレコード販売のマーケット規模が大きいので、 世界各国に拠点をもっていない英国のインディペンデントのレコード会社と比較すれば、当然アメリカの会社と契約をかわすのは妥当であろう。
レッド・ツェッペリンなどは、その辺の事を見据えて 有利な契約を勝ちとろうと思ったのか、マネージャーのピーター・グラントが直接ニューヨークに乗り込みアトランティックと専属契約を結んだ。そのため、英国でも同レーベルで販売している。レッド・ツェッペリンはデビュー・アルバムから売れに売れアトランティックのドル箱となった。大型契約のリスクを考えるとなかなか優れたバンドに対する目利きだったといえる。
その後、レッド・ツェッペリンやキング・クリムゾン以外で同様に英国バンドのイエスやELPなどの大物バンドもアメリカ経由で70年代初めに日本にやって来る事になったのである。
そういや、当時は少し違和感を感じたがディープ・パープル(ワーナー・レーベル)やクイーン(ワーナー系エレクトラ・レーベル)らもアメリカ経由だった。
現在、業界は寡占化が進み、ユニバーサル、ソニーとワーナーのグループに集約されアメリカ経由というような事は無くなった。しかしレーベルごとに独特な個性を出していた中小のレーベルも大手に吸収されると、名ばかりのような存在となり少し残念に思う。
King Crimson - 21st Century Schizoid Man - BBC session (1969) HQ
助手:同じネタばかりやると嫌われちゃいますよ!
博士:そんなこと言わないで。一度あきらめたものの、今でもなんだか後ろ髪が引かれるようでのう。
助手:後ろ髪って言っても、引っ張るほどの長さないじゃないですか。仕方ないですね~ じゃあ、とりあえずどうぞ。
博士:それじゃ、始めることに。
1公演あたり95分として7公演であればトータルは11時間強となる計算じゃ。このボックスを購入したとすると、最初一通りは聴いた後、お気に入りの数枚を除いて、もう一度7公演分のCD全てを聴くことはほとんどないだろう。レコード会社はそれ以外のCDは無駄になるのではないかと思わなかったのじゃろうか?
また、レコード会社のプロモーションにも疑問があるのじゃ。宣伝広告に、“まさに一つの頂点を迎えようとしていた時代の未発表ライブ音源が新たに発見された!”と言っているが、WIKIによると異なった公演で演奏された8曲がYESSONGSで既出となっているわけで、“新たに発見された!”ってちとやりすぎな表現じゃと思うのだが。
もちろん、PROGENYがそれらの録音テープから苦心して公演全体を出来るだけ忠実に再現されたので、YESSONGSとは全く性格の違うものではあるのじゃが。
助手:じゃあ、どうなれば気がすむのですか?
博士:以前発売されたTHE WORD IS LIVEという3枚組のライブ・コンピ・セットがあるのじゃが、そのセットに4曲のライブ音源が1971年YES ALBUM TOUR(ロンドン公演)から収録された実績があるのじゃ。
だから、CLOSE TO THE EDGE TOURから同時期7公演をボックス・セットに収録するのではなく、FRAGILE TOUR、 TALES FROM TOPOGRAPHIC OCEAN TOURや RELAYER TOURなどからも良い音質のライブ音源が存在するのであれば、各時期の完全公演の音源を集めてボックス・セットにすれば、もっと多くの人にアピール出来るのではないかと。
助手:なるほど。
博士:発売されるボックス・セットが近年特に多くなり、中身が充実したものもあれば中途半端なものもあるのじゃ。多分自由に金を使える中高年をターゲットにしておるので、なんでもありで売り出してもある程度の数量は捌けるようじゃ。
わしの場合、使えるお金が決まっているからのう。もう少し充実した企画のボックセットを出してもらい、中途半端なのは今後出さないでほしいと思っておるのじゃ。わしも今まで少し流されるとことがあって非常に反省しておるのじゃ。
実購買者であるマニアの方々の意見はレコード会社に取って重要になってくるから、アマゾンにレビューされる時は、もう少し辛口のシビアなものにして欲しいと思っているのじゃ。
マニアの方々が買わなければ、高額のボックス・セットは誰も買わないからのう。マニアの方々の辛口のシビアなコメントはレコード会社に対して効果的なのじゃよ。
助手:だけど、今更そんなことを言っても、何も変わりませんよ。今回は、本当に購入見送りということで。
博士:あの~ だから、ボックス・セットは諦めるが、ハイライト盤の購入検討だけでも、なんとか~
助手:回りくどいことを話して、本当はそれが言いたかったんですか?
と往生際の悪い、相変わらずの博士でした。
私:THE WORD IS LIVEなかなかいいですよ。コンピで出されたのが本当にもったいない。特にディスク1の初期のライブ音源こそPROGENYの音源のようにフルで公式に出すべきと思うのですが。初期の頃は、小さな会場でやっていてバンドとの距離感があまりないので新鮮に感じます。
助手:AP-9009と番号がついたシングル・ジャケットのやつですね?
博士:LET IT BEのアルバムには、1970年に限定版のボックスセット仕様があって、通常盤と違いシングル・ジャケットのアルバムにボックスと写真集がついたやつじゃ。限定版のため発売枚数が少ないので、東芝のアップル帯がついたコンディションの良い中古はなんと数万円でオークションなどでしばしば取引されておる。
わしが所有しているのは、ジャンク・コンディションのアルバムだけで、ボックスや写真集はついておらん。かなり以前にヤフオクで安く落札したのじゃ。
助手:レコードの表面が薄キズだらけですが、雑音はあまり気になりませんね?
博士:中性洗剤で丸洗いすると、結構雑音の原因になるレコードの溝についたホコリや昔かけられたレコード・スプレーなどの汚れが取れるのじゃよ。
マニアの人に言わせると、水道水で洗うと、塩素などが入っていてレコードの素材を痛めるので、レコード・クリーニング専用のウォシャー液で洗った方がよいとのことじゃが、ジャンクのレコードの場合それほどお金をかけてシビアに扱う必要もないと思うのじゃ。
ホーム・センターで買った30CM X30CM X3MMのゴムマットを流し台のシンクにおき、その上にレコードおいて、洗剤のついたコットン・パフでレコードの溝に沿って結構力を入れて擦り、あとは水で洗剤を綺麗に洗い流し乾燥させてオーケーじゃ。
この方法が正しいかどうかわからないが、洗ったあとは雑音が少なく感じるのじゃ。
薄く木工ボンドをレコードの溝全体に均一に伸ばして、乾燥後剥がすと溝についていたホコリも一緒に取るという方法などもあるが、この方法は乾燥後、ボンドが全てきれいに剥がれない場合は大変なことになるので、少し危険な方法と思う。まあ、それ以外にもネットなどにいろいろな方法がアップされている、一度検索してみて自分に一番合ったのを試してみるのも良いのう。出来るだけお金のかからない方法でうまくクリーニング出来ると、なんだか得した気分に成る。
助手:なるほど
博士:それから、大きな傷で針飛びがあるのは直しようが無いが、小さい傷の場合は、針圧を少し下げて再生すれば、傷のところでプチ音はするが針は飛ばないこともある。プロ用の倍率の高い拡大鏡と使い、裁縫用の針で針飛びが起こらないように、傷のある溝をなぞって修復するという高度な技術を使う人もいるが、これも危険じゃのう。
助手:そうこうしているうちに、サイド1終わりましたね。それでは、サイド2のI’VE GOT A FEELINGからかけてみましょう。
博士:レコードは、片面聴き終えるとひっくり返さなければならないので、面倒じゃが、わしとしては、片面に収録されている長さがちょうど集中して聴くにはぴったりなのじゃ。70分目一杯に収録したCDでは集中が持続せず聴き疲れしてしまうのじゃ。
と本ネタが思い浮かばない一日でした。
I've Got a Feeling - The Beatles