CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

ランダムにレコード紹介、その2 ポインター・シスターズ

2018年10月28日 | R&B

あるアーティストのアルバムを年代を追ってシリーズで聴いていくと、絶長期のイメージというのが固定されがちで、そのラインから外れるようなアルバムがあるとつい駄作と思われがちになる。

ランダムでアルバムを選択し、先入観なしで聴いてみると案外これはいける!てなレコードを発見する。

ポインター・シスターズ、1979年のアルバム、Priorityがそれに当たる。

モノクロの集合写真に、事務所なんかで使われるハンコで赤い文字でPriorityとタイトルが表示されている


レコード収納のスリーブの写真。アルバム同様、ノリノリの彼女たち

かってジャズ風のコーラス人気を博した4人組女性ボーカル・グループも、1978年にプロデューサーにリチャード・ペリーを迎え、彼の指揮の下精鋭のスタジオ・ミュージシャンを起用し芸風をR&Bに変更することで再度ブレークを果たした。

しかし、ブルース・スプリングスティーン作の大ヒット・シングル、Fire(全米2位)を収録した1978年のアルバム、Energy(全米13位)とこれまた大ヒット・シングル、He’s So Shy(全米3位)を収録した1980年のアルバム、Special Things(全米34位)に挟まれて発売されたリチャード・ペリー・プロデュースの第2弾となったアルバム、Priority(全米72位)は忘れられた存在となってしまった。

収録曲は、モット・ザ・フープルのイアン・ハンター、ボブ・シガー、ジェリー・ラファティー、リチャード・トンプソン、スプリングスティーンらの作品、さらにストーンズのジャンプ・ナンバー、Happyとザ・バンドのロビー・ロバートソン作、 The Shape I’m Inなど盛り沢山で、彼女たちの迫力のある歌声は結構聴き応えがあり楽しめるのだが….

プラネット・レーベル、サイド1の最後の5曲目にストーンズのHappyが収録されている。

因みに他のアルバムのように大ヒット・シングルが収録されず少々地味に感じられたのか、このアルバムは初回プレス以降日本盤のレコードやCDは未だに再発されていない。

残念!

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ランダムにレコード紹介、その1 ロビン・トロワー

2018年10月28日 | BRITISH ROCK
ゲイリー・ブルッカーが在籍したパラマウンツやプロコル・ハルムでギターを弾いていたロビン・トロワーの1976年のソロアルバム第4弾、 Long Misty Days。

ミスティーな空間から、新しい世界が広がっているのを眺めてみる。

3人組のシンプルな編成

ジミヘンの再来とも呼ばれたギンギンのギター・テクニックで人気を得た。

この4枚目のアルバムでは、ロッド・スチュワートが歌っていたSailingなんかもカバーされていて少しばかりブルース色が後退し全体的にポップな味付けとなった感があり、それまでのファンをがっかりさせたなんて言われてきたけど、ランダムにレコード棚からこのアルバムを取り上げて聴いてみれば、私のような雑食系リスナーにとっては聴きやすく、これはこれで宜しいんじゃないかと…

懐しきクリサリスレーベル。サイドー2の2曲めに確かにセイリングが収録されています。
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デッ、デッ、デタァ〜

2018年10月21日 | BEATLES-BADFINGER関連
ポールの、ワイルド・ライフとレッドローズ・スピードウェイの抱き合わせスーパー・デラックスがデタァ〜!


お金がいくらあっても足りないよ〜
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爽やかウェスト・コースト系サウンドを求めて

2018年10月21日 | West Coast Rock

1976年、SilverとFools Goldがアリスタ・レーベルからデビューしたと言う話になると、このお方達も忘れてはならない。

Funky Kings!

イーグルスのグレン・フレイの盟友で、イーグルスのアルバムやグレンのソロ・アルバムに楽曲を提供していたジャック・テンプチンが在籍した伝説のバンド。

同年にアリスタからアルバム・デビューしたものの、1枚のアルバムを残して解散。


彼らのアルバムも本国アメリカでは、 あえなく廃盤となってしまったのだが、日本ではCDが1995年以降3回再発されているそうな。

このレコード・アルバムは当時買い損ねて所有していないし、再発されたCDもまだ買っていない。

このアルバムを聴いたこともないのに、通ぶってウエスト・コースト・ロックを語るでない!とお叱りを受けるかも知れない。

てなことで、1976年にデビューした別のレアなウエスト・コースト系のロックバンドをここに紹介したい。

Buckacre(バックエイカー)と言う5人組のイリノイ州出身のバンドで、 1976年にMorning Comes(邦題、まぼろしの朝)でMCAレーベルからデビュー。



当時MCAからこの手のバンドがデビューってちょっと珍しかったのでは? POCOもABCからMCAに移籍したけど1978年だった記憶が....

1978年に2枚目のアルバムを出したもののその後解散と、このバンドも短命に終わる。

なんで全く知らないバンドのLPを買ったのかと問われると、プロデューサーがグリン・ジョンズだったからで、ひょっとすれば心地よいサウンドを聴かせてくれるのではないかと期待したからである。

なるほど、これでオイラも少々詳しいロック・ファンの仲間入りってことか。

話は変わって、なぜ1976年に一気にウエスト・コースト系のロック・バンドがデビューしたのかと?

私が思うにはやっぱりアレですね。

そう1976年2月にイーグルスがGreatest Hits 1971-1975出したからではないかと密かに思っている。


1975年に大ヒット・アルバム、One Of These Nightsを出したあと一向に新作が出てこなかったことから、レコード会社が業をにやして繋ぎとしてベスト・アルバムを出した。

これが予想に反して大ヒットし全米1位を獲得。2018年の統計でもアメリカのマーケットだけで累積販売数が3,800万枚のおばけアルバムになった。

各レコード会社も、その漁夫の利にあやかろうと同系列のバンドを急遽デビューさせたのではないかと….

しかしながら、時代は変わり音楽の嗜好もこれまた変わり、イーグルスとてかつての爽やか系だけでは後がないと感じ、少しばかり暗いイメージの曲を徐々にアルバムに取り入れながら変化に対応しようとしていた矢先で、翌年出たアルバム、Hotel Californiaが彼らからの回答だったのではないかと密かに思っている。

つまり、1976年に急遽デビューした爽やか系のサウンドは既に時代遅れで、後が無かったため、1−2作でのアルバムで解散となったのではないかと思う。

Buckacreのレコードを今一度聴いて、まあ及第点ってところではあるが、ブームは去ったと言う印象かな?

日本盤のライナーに、“今アメリカン・ミュージックの新たなる陽が昇る”だとか“「5人のジョン・デンバーとZ Zトップの感じーそれがバックエイカーだ」とヘラルド・エクザマイナー紙のリポーターが語った”なんて提灯記事が堂々と載っていて、ちょっと笑ってしまった。


ライナー・ノート書く人は辛いよって感じだね。少ない資料からなんとか褒め言葉を探し出すも、決して悪い印象を与えるようなことは書けないからね。

で、5人のバンドに5人もジョン・デンバーいらないってば!

これが5人のジョン・デンバーの正体!

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Fools Goldから本物のゴールドへ

2018年10月20日 | West Coast Rock

爽やかウェスト・コースト系サウンド、1976年デビューのSilverが登場となると、このお方達も忘れてはならない。

シンガーソング・ライターのダン・フォーゲルバーグのバック・バンドだった4人組バンドのFools Goldが同じ年にセルフ・タイトルで遂にアルバム・デビューした、



ダン・フォーゲルバーグの持つモーニングスカイ・レーベルでの制作で、販売はアリスタ。

こちらも初期のイーグルスのような美しいコーラスのついたバラードやミディアム・テンポのポップ・ナンバーが売り。

なにしろ、ビートルズ、ストーンズ、フーやツェッぺリンらのアルバム制作に関わったことや、初期イーグルスのアルバムのプロ デューサーとして有名なグリン・ジョンズがこのアルバムの5曲をプロデュースし、またイーグルスのメンバーのグレン・フライやジョー・ウォルシュも数曲プロデュースを引き受けていることから、期待は高まる。

本国アメリカでは、大ヒットはとはならずあえなく廃盤となってしまったのだが、日本ではCDが1995年とそして2013年に再プレスされている 。

翌年のセカンド・アルバムは、正式メンバーがトム・ケリーとデニー・ヘンソンのだけになったが、レコード会社は彼らの素晴らしい才能を見抜いて、TOTOのメンバーやその他腕利きのセッション・ミュージシャンを投入しテコ入れを図ったものの、ヒットには至らずバンドは解散。

左がファーストアルバムのCD、右がセカンドアルバムのCD、Mr. Lucky。Fools Goldのロゴがセカンドではさらに黄金色に輝きを増したがセールスは惨敗。

しかしメンバーの一人だったトム・ケリーはここからが彼のキャリア・ハイのスタートとなる。

Fools Gold 時代と同じマネージメント下にあったREO Speedwagonのバック・コーラスやメンバーとの楽曲の共作によって頭角を現し、他のアーティストのいろいろなセッションの参加や楽曲の提供など、裏方に回った。

特に80年代には共作した作品シンディー・ルーパーのTrue Color、マドンナのLike A Virginそしてセリーン・ディオンのAloneなど5曲を全米ナンバーワン・ヒットに送り込み一躍超売れっ子作曲家となる。

全く売れることのなかったFools Goldのセカンド・アルバム・タイトルの如く、本当に彼はMr. Luckyだったのではないか。

あのまま売れなくともFools Goldを意地で続けていたら、売れ期のタイミングを逃してしまったかも知れない。

積極的に裏方専門に舵を切ったお陰で、彼のFools GoldはGenuine Goldになったのではないかと思う。

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今宵この夜、優しい気持ちになる

2018年10月19日 | JAZZ・FUSION
金曜日の夜が一番リラックスできる。

お酒でもやりながら音楽でも。

今宵のお供は、いつもの焼酎ではなくウヰスキー。

LAPHROAIG、ラフロイグのSelect Caskをストレートでチビチビ。

ショット・グラスがないので、サントリーのプレミアム・モルツを買った際おまけで貰ったグラスに注ぐ。

この銘柄全く知らなくて、飛行場の免税店で買った物をお土産として頂いた。

ちょいとインターネットで調べてみると、日本ではサントリーが代理店らしい。

キャッチ・フレーズは“好きになるか、嫌いになるかのどちらか”だって。

確かに香りが強すぎて、最初は飲みづらかった。

何でも、スコットランドのアイラ島で蒸留された、所謂、アイラ・モルトと呼ばれるお酒で、大麦麦芽をビートで燻す昔ながらの工程があって、スモーキー・フレーバーが強烈に漂う。

しかし何度も飲むうちに、この独特の香りは個性としてこれはこれで有りだと思えるまでになった。

その境地にたどり着くのに、既にボトルの3/4のウヰスキーが胃に流し込まれたことになる。

こんな夜には、キース・ジャレットのThe Melody At Night With Youはどうだろうか?


少しばかり口に含んだウヰスキーが喉を通って胃に流れ、ほんのりと暖かくなる。

そしてキースの優しいピアノが静かに響き渡る。
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爽やかウェスト・コースト系サウンド、Silver

2018年10月19日 | West Coast Rock

日本人好みの、爽やかウェスト・コースト系サウンド。

1976年に、セルフ・タイトルのアルバム、Silverを出し、何故かこれ一枚で解散。

アリスタ・レーベルから出たアメリカ盤を当時購入。



初期のイーグルスのような美しいコーラスのついたバラードやミディアム・テンポのポップ・ナンバーは、歌詞が分からずとも日本人の大好物。

本国アメリカでは廃盤となってしまったのだが、日本では、1980年にLPが再発、CDに至っては1991年、1995年そして2016年に再プレスされている不思議なアルバム。

当時レコード・プレイヤーが廃棄処分でだったため,1995年に出たCDも購入。録音年代が古いため、一部ノイズが入りますがご了承くださいとの注意書きが目をひく。

でっ、その中で唯一異彩を放つ曲がある。

シングル・カットされアメリカで16位と大ヒットした、Wham Bamもしくは Wham Bam (Shang-a-lang)だ。

邦題は“恋のバンシャガラン”ってなんとなくノリで付けたような意味不明のタイトルとなっている。

リーダー格で、デュオ・グループ、バドロフ&ロドニー出身のジョン・バドロフがウエスト・コースト系の爽やかさとは一味違う歌唱を聴かせる。

レコードのインナー・ジャケット。真ん中に立つ男がジョン・バドロフ。

サビのコーラス・パートで、We got a Wham Bam Shang-a-lang and a Sha la la la la la la thing.と歌うわけだが、Wham Bam やShang-a-langは擬音的な表現でドタバタした様子、Sha la la la laはこれまた歌の一節に使われるシャラララララ〜♪ってことで意味は特にない。

つまり、男女間の考え方の違いから、それじゃ別れましょうかてな曲だから、“俺たちって本当ドタン・バタンで、何となく能天気にシャララララ〜♪ってノリでやってきたね〜”とでも訳せば良いのだろうか?

このグループ、何故アルバム一枚で解散したのかは分からないが、アルバム全体を通して聴いてみて、ウエスト・コースト系の爽やかさを売りとするバンドの方向性とはちょいと異なるポップなこの曲がまさかの大ヒットしてしまったからじゃないか?なんて妄想する。一曲めで、Musician (It's not an easy Life)って歌ってるから、能天気なWham Bamがいとも簡単に大ヒットしてしまうと、ちょっとカッコがつかなくなってしまったのかな?

まあ、この歌詞通りドタン・バタンで シャララララ〜♪てな感じの人生送ってきた私としては、続編を期待したわけだけど …..

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ナザレの民のお話

2018年10月11日 | BRITISH ROCK
いや〜、はるか遠くからお越しいただいてご苦労様でした。

本日ようやくナザレの民が我が家に到着した。

ナザレといえばあのお方が幼少期から暮らした土地である。

そう、あのお方とはイエス様のことである。

しかし、イエス様と言っても私の敬愛するプログレ・バンドのことではない。

あちらは“イエス!高須クリニック”と同様、肯定の意を示す。

欧米では、ジーザスと呼ばれていて、なんで日本でイエス発音されるのかと不思議に思い調べて見ると、元々ギリシャ語やラテン語でイエースースと発音されていたのが、キリスト教伝来の際、少しばかり訛ってイエスとなったそうな。

今回やって来られたのナザレの民は、ちょいと不良っぽ過ぎてイエス様と関連付けて同列で語ることはばかれるのではなかろうか…..

そう!スコットランド出身のハードロック・バンド、ナザレスのことである。

1971年にアルバム・デビューし、1973年に出た3枚目のアルバム、Razamanazでその存在を知り、1975年のアルバム、Hair Of The Dogに収録されシングル・カットされたLove Hurtsでノック・アウト。

人気絶頂となる。

但し、ボーカルだった故ダン・マックファーティーの独特なガラガラ声シャウト唱法の好き嫌いで好みが別れるだろう。

それに、アルバム・タイトル曲のHair Of The Dog(二日酔い)を聴いていると、コーラスパートにはちょいと下品なSon Of A Bitchのオン・パレード。

その昔、私の乗っていた車のカセットにたまたまこの曲が入っていて、同乗者にはアメリカ人の取引先の担当者。OMG!

初めはびっくりしていたが、バンドのビートにノリノリの様子で事無きを得た。

この辺りの下品さを許容できるかも、好き嫌いのポイントとなるだろう。

で、本日我が家にお越しいただいたのは、彼らの活動の集大成となるボックス・セット! お待たせ〜

実はつい先月通販サイトをサーフしていると、彼らのLoud &Proud!と言うボックス・セットを発見つい愚かにも発作的にポチってしまった。

シュリンク剥がしてないので、反射して綺麗に撮れない。


なんと厚さ9センチ弱の超弩級ボックス。


思わずスゲェ〜と言ってしまう、充実した内容。5000ボックスの限定品らしい。

ナザレスのアルバムはレコードやCDで数枚持っているのだが、この豪華盤から発される輝きがイエス様の導きの様に思えたのではないか?…. とつまらない言い訳。

しかしながら、せっかく届けられたセットをじっと眺めているうちにいつもの貧乏性が出てきたのか、すぐに開封してしまうのは何と無く勿体無い気持ちになり、開けてはならぬパンドラの箱と自身に言い聞かせ当分は外から眺めってニンマリってことになりそう。

アァ〜 情けない!

通りすがりの人:今ナザレス聴かないんだったら、Judas Priestでも聴いていれば?

私: アイアイ・サ〜 、Hellion発進!

未知の大地から大空を長駆して飛来した翼の戦士、ヘリオン。

イエス様:バッカも〜ん、この裏切り者!
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暇人によるある発見、Dark Side Of The Moon

2018年10月11日 | PROG ROCK
ピンク・フロイドのDark Side Of The Moon久しぶりに聴いてみた。

1973年の発売と同時に世界的な大ヒットとなり、全米1位はもちろん日本でもオリコン2位と驚異的な売り上げを達成し一躍世界のトップバンドに上り詰めた。

何しろ累積販売数が全世界で5000万枚以上と言われていているらしい。

このアルバムのMoneyという曲には レジスターの動作音を再現した SEをループで再生しその上にベースが被さって演奏がスタートしたり、そのほかの曲に色々とSEによる細工が施された凝ったプロダクションだった。

当時これを聴いて私は“スゲェー”って感動したものだ。

今回は、2011年に出たImmersion Box Set、熱中ボックス・セットと呼ばれる特別版で、CD4枚、DVD2枚そしてブルー・レイ1枚に、ブックレット類以外にマフラー?、ガラス玉3個にコースターなど訳の分からぬオマケが付属の豪華版。

ピンボケですいません

訳の分からぬオマケのてんこ盛り

このボックス・セットも実はオリジナル音源のリマスターとライブ音源のCD2枚を何回か聴いてお蔵入り。

久々に開けると、B5サイズぐらいの黒の封筒が目に止まった。

ミニ・ポスターかカード類のおまけと思って今までに手にとったことがなかった。

開けてみると、白いコピー用紙に手書きのメモ。

仕事柄、海外の連中の手書きのメッセージを見る機会が多いのだが、彼らの文字の崩し方が尋常じゃないので本当に読みにくいと思う。このメモも例に漏れず個性溢れる筆記体で読みにくい。

取り敢えず何が書かれているのかと思い、文章を抜き出し翻訳してみた。

People often ask me about the voices on Dark Side.
ダーク・サイドのアルバムに収録された音声についてよく聞かれるね。

I was trying to gather audio snippets to mix into segues on Dark Side.
断片の音源を集めてダーク・サイドのアルバムに切れ目なくミックスしようとしていたんだ。

Rather than interviewing people, I came up with the idea of writing a series of questions on cards.
インタビューするよりも、カードに一連の質問を書いておくアイデアが浮かんだ。

The cards would be in a stack on a conductors stand in front of a mike.
カードはマイクの前のコンダクター・スタンドの上に集めておいた。

We would scour Abbey Road Studios for willing guinea pigs, bring them to the studio, sit them down, roll tape and then ask them to respond to each card in order.
誰かモルモットになりたい人間をアビー・ロード・スタジオ内から探し出し、スタジオに連れてきて座らせた、そして録音テープを回し順にカードの質問に回答するよう頼んだのさ。

As I recall the first card was something irrelevant and innocuous, like “What’s your favorite color?”
最初のカードは、どんな色が好き?て感じの何か的外れで他愛のないものだった気がする。

And the last was the more enigmatic “What do you think of The Dark Side of The Moon?”
そして最後のカードは、ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーンをどう思う?と言う解りにくいものだった。

I can’t remember the ones in between, except
ほかのカードはよく覚えていないけど、次の質問以外はね。

Are you afraid of dying?
死ぬことは怖い?
When were you last violent?
最後の暴力沙汰っていつ?
Were you in the right?
君は正しかった?
Do you ever think you’re going mad? If so, Why?
気がふれてしまうと思うことはある? それはなぜ?

End of Story.
おしまい

てなことらしい。

どうもロジャー・ウォーターが書き記したみたいで、Dark Side Of The Moonを聴いているとあちこちから話し声の断片の様なSEがアルバム全編に収録されているのだが、それは一体何なのか?をロジャーが解説しているらしい。

なるほど、そう言うことだったのね。知っている人は知っているけど、知らない人は一生知らないって感じの個人的発見。

しかし、当時あらゆるテクニックを駆使し苦労して作成したそれらのSEも、今ではPCのソフトを使えばそれほど難しくなく作れちゃうので、今のヤング達がこのアルバムを聴けば 、それほど有り難みを感じないかもしれないね。

当時最先端をいっていたプログレ・サウンドも今や古典と称される時代になったのだろうか….
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イエス様、申し訳ない。Going For The One(究極)での体たらく

2018年10月08日 | PROG ROCK
1977年、新生イエスと言うか、リック・ウィクマンの復帰によってかってのメンバーの編成に回帰して発売されたスタジオ・アルバム、Going For The One(邦題は 究極)。

1974年のRelayer発表後、2年間の各メンバーのソロ活動をへて世に出た当時のアルバムの帯には、 “もはや、「こわれもの」も「危機」もイエス・ミュージックの序曲にすぎない! 新生イエスの至高 の1作!!”なる大げさな宣伝文句が踊っていた。

確かに2枚組の「海洋地形学」のアルバムは冗長過ぎたし、「リレイヤー」 もそれまでのアルバムとちょっと音楽のベクトルがちょいと異なっていたことから、イエス・ミュージックの序曲にすぎない!は少し言い過ぎだが、「こわれもの」や「危機」の延長線上のアルバムと考えて間違いはなかった。

しかし当時は世の中もうプログレは終わったって感じで、個人的にはもっとリラックスして聴ける方向に興味が移りこのアルバムは買わなかった。

購入したのは、CD化された後となった。

歳を重ねるにつれてかってのように密閉型ヘッド・フォンを装着し全神経を集中させて聴くという芸当はもう出来なくなり、バック・グラウンドで流しなんとなく聴く程度となった。

そんな感じなので、ボートラとしてCDに収録された アメージング・グレースのカバーの方が聴き慣れたメロディーでオリジナル曲より印象に残ると言うイエス親衛隊の皆様にお叱りを受けそうなこの体たらく。

何が「究極」なのか今でも一向に理解出来ない。

お詫びの印でもないが、通販サイトでふと目に留まったコレを買ってみた。

とは言え開封もせずにレコード棚にずっと埋れてしまったままである。

またまた、イエス親衛隊の皆様にお叱りを受けそうな…


ロジャー・ディーン制作のイエスロゴはそのままで、デザインは当時売り出し中のヒプノシスと、新旧ジャケ・アーティストの共演
今はなき、ワールド・トレードセンターをバックに裸のおっさんの後ろ姿! インパクト大


スイスで録音されたことから、レマン湖畔の御来光?もしくは夕暮れ時? インパクト小
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