CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

Chicagoのダイヤローグから、バカボンが登場って?

2016年06月30日 | Chicago

昨日アップしたCHICAGOの DIALOGUE PART I とIIについてもう少し書いてみたい。

この曲ではテリー(ギター)扮する活動家らしき人物と、ピート(ベース)が扮する芸術専攻のノンポリの学生の会話の掛け合いを歌っている。

活動家は学生に対し、世の中をどのように見ているか?、自身の持っている力を何かに使ってみなか?とか社会の悲惨さについてどう思うかなど色々と質問したらアジテートしたりするのであるが…

学生のあまりにもあっけらかんな反応、すなわち自身が直接関係しないことには興味もないし特に首を突っ込むこともしないとか、世の中の状況についても少なくとも大統領が現状を認識しているのであれば、特に問題は無いなどと言う返事に毒気を抜かれたのか、活動家は此処のところ何かに追い詰められていたのか、プレッシャーを感じていたがそれらの会話により気分が楽になり、学生に感謝した。

学生は、さらに活動家に追い討ちをかけるようにな台詞を言う。

“俺の見立では、君はちょっと混乱しているみたい。君は何時もすべての事がうまく行ったと考えるべきだよ。”

能天気な学生から発せられた言葉なので、若干皮肉めいた表現の意図があるのかもしれないが、そのまま素直に解釈すると、物事をあまり悲観的に考えたり、常に何かをしなければならないと言う使命感を持ち過ぎると、それらのプレッシャーに押し潰されることになる。

楽観主義を100%支持するわけではないが、健康を維持するために余計なストレスを抱き込まないとなると、能天気とまでは行かぬとも物事楽観的に判断するほうが精神衛生上よさそうである。

と、何か老人の健康百科みたいな話となった。

そこで、今日は物事を必要以上に考え込まないと言うテーマを歌う、ディランのDON’T THINK TWICE IT’S ALIGHT
1963年のセカンドアルバム、FREEWHEELIN'に収録


It ain't no use to sit and wonder why, babe
座って何故って考えたって無意味だよ、君
If you don’t know by now
今判らないのならね
It ain't no use to sit and wonder why, babe
座って何故って考えても意味なんてないのさ
It’ll never do, somehow
どうにもならないだろうから

When your rooster craws at the break of dawn
明け方、君んちの鶏が鳴くとき
Look out your window and I'll be gone
窓の外を見てごらん、俺は出て行っちまうだろうから。
You're the reason I'm travellin' on
俺が出て行くのは、君のせいさ
Don't think twice, it’s alight
深く考えないで、それでいいのさ

何! “それでいいのさ”だって!

となると、やっぱりこれこれ。


これでいいのだ~♪
あっ、これでいいのだ~♪
ボンボン、バカボン、バカボンボン♪
天才一~家だ、バ~カ、ボンボン♪

やっぱりこれがしっくりくる、ほぼ半世紀近くに放映された漫画の主題歌ではあるが、今でも覚えている。

何の迷いも無いこの能天気さは、これが一番。これを歌えば何事に対しても楽観的になれるのでは?

但し、この歳になると大勢の前で声に出して歌うのはちょっと...

だから、心の中で大声で歌うのである。

何らかのプレッシャーから開放されて、街中で一人にこやかな表情を浮かべてたたずんでいるおっさん達の千人に一人はこの歌を心の中で歌っていると言われているとか...

ところで、シカゴのダイヤローグと言えば個人的にはライブ・イン。ジャパンの音源が一番だと思っている。

コンサートのオープナーにこの曲をもってきて、テリーのギターに合わせて観客の手拍子。
この一体感! 

何らかのプレッシャーから開放されて、街中で一人にこやかな表情を浮かべて手拍子をしながらたたずんでいるおっさんを発見すれば、それは、シカゴのダイヤローグをアイポッドかなんかで聴いている、私のことである。

Chicago - Dialogue, Pts. I & II [Live in Japan] (HQ)


Chicagoのダイヤローグ

2016年06月29日 | Chicago

先日、イギリスでEU加盟に関する国民投票があった。結果はEU離脱。

しかしながら、イギリスの政府もよくこのような重大案件を国民投票にかけるなどと言う無謀な事をしたものだと思う。EU離脱に関するメリットやデメリットが充分に国民に理解されず、いわゆる雰囲気に流されて各自が投票を行ったのではないかと思うのだが。

EU離脱が決定した後、離脱派の旗を振っていた中心人物が今後どのようにEUと交渉を行うかの具体的な案や見通しが存在しない、すなわちEUとの離脱の交渉は出たとこ勝負と言う感じだろうか。

離脱派は、当初この投票では、彼らは勝利を得られるとは思っておらず、負けたとしてもかなりの票を獲得するため、今後その存在感を生かして政府にいろいろ圧力をかける算段ではなかったのではないだろうか?

EUとしては、同じような事例が今後起こらないよう団結して、この問題に厳しく対応すると思うので、イギリスが考えているような楽観的な交渉にはならないし、またスコットランドがこの機に乗じて北海油田の利権と共に独立しEUに加盟したり、北アイルランドが、アイルランドと統合を目論見、これまたEUに残るとなると、たいした地下資源を持たないイングランドとウェールズは、弱体化して孤立してしまうのではないかと言う見方もある。

政治家のアジテートに流され雰囲気的な判断で国を二分する可能性のある二者択一の国民投票が行われるのは非常に危険である。政権交代であれば、新たに誕生した政府に不満があれば、次回の選挙でひっくり返すことが出来るが、EU離脱はいったん宣言すると、後戻りが出来ない仕組みになっている様で、これまた厄介である。

今回は政治や社会的事象に興味の無い学生が登場するCHICAGOの DIALOGUE PART I とIIを取り上げてみた。

この曲は、1972年に発売されたCHICAGO V(全米1位)に収録されたもので、シングル・カットされた(全米24位)。

テリーの軽快なリズム・ギターから曲は始まり、掛け合いでテリーとピート(高音部のボーカル)が歌っていく会話が歌詞となっていて、パート2からは、シカゴのホーン・セクションが炸裂、同じ歌詞の繰り返しをコーラスによって歌われる。

Part I

A : Are you optimistic 'bout the way things are going?
君は世の中の動きに楽観的かい?
B : No, I never ever think of it at all
いや~、そんなこと考えたことないね。

A : Don't you ever worry
When you see what's going down?
なにか悪い事が起ころうとするだろうって解る時、心配なんてしないの?

B : No, I try to mind my business, that is, no business at all
いいや、おれ自身の事だけ考えるって事にしているのさ。
そいつは俺には関係ないね。

A : When it's time to function as a feeling human being
Will your Bachelor of Arts help you get by?
人間であるって覚醒する時だってなったら、芸術関連の学士さんってのは、役に立つのかい?
B : I hope to study further, a few more years or so
I also hope to keep a steady high
もうちょっと勉強続けたいね、あと2-3年とかね。そしてしっかりと高めたいと思ってるんだ。

A : Will you try to change things
Use the power that you have, the power of a million new ideas?
何かを変えたてみたい? 君の持っている力で、そう多くの新しいアイデアの力を使ってさ。
B : What is this power you speak of and this need for things to change?
I always thought that everything was fine
君が言っている力って何? それって変革のために必要?
俺は何時もすべて順調だって思っていたけど。

A: Don't you feel repression just closing in around?
まわりで近づいてくる抑圧って感じないの?
B : No, the campus here is very, very free
いいや、このキャンパスはとても自由さ。

A: Don't it make you angry the way war is dragging on?
戦争が続いていることに怒りは感じないの?
B : Well, I hope the President knows what he's into, I don't know
もちろん、大統領がどうなってんのか知ってるんだろ、俺は判らないけどね。

A : Don't you ever see the starvation in the city where you live
All the needless hunger all the needless pain?
きみのまわりで飢えている人を見たことは無いのかい?
すべての不要な飢えとか、不要な痛みってのを?
B : I haven't been there lately, the country is so fine
But my neighbors don't seem hungry 'cause they haven't got the time
最近そこには行ったことはないし、この国はまったく大丈夫さ。
うちの近所の人が飢えてるようには見えないし、まあ彼らも時間が無かったんだ。

A : Thank you for the talk, you know you really eased my mind
I was troubled by the shapes of things to come
話をしてくれて有難う。本当気持ちを楽にさせてくれたよ。
近づきやってくる事なんかに混乱してたんだ。

B : Well, if you had my outlook your feelings would be numb
You'd always think that everything was fine
ところで、俺の見地からすると、ちょっと麻痺してるんじゃないかって。
すべての事がすばらしかったといつも思うべきだね。

Part II

We can make it happen
We can change the world now
We can save the children
We can make it better
We can make it happen
We can save the children
We can make it happen
何か起こすことが出来る
今世界を変えることが出来る
子供たちを救うことが出来る
よりよく出来る
何か起こすことが出来る
子供たちを救うことが出来る
何か起こすことが出来る

政治に無関心はよくないよ、そして団結すれば世界はよりよく変えられると歌っているのである。

バレなければ何をやってもよいという政治家が与野党問わずあちこちに紛れ込んでいる昨今、やはり選挙民としては政治には無関心であってならない。

そして、今回のEUの国民投票は、この歌の通り団結すれば何かを起こすことは証明できたが、もしその場の雰囲気に流されて各々が正確な知識を持たずに投票したのなら、当初描いていた情景とは異なる事態に陥る危険性があるとも教えてくれた。

まあ、イギリス国民がそう決めたのだから、第三者がとやかく言うことはないが、世界経済に影響が出ないよう今回のEU脱退の選択を行使して欲しいものである。

Chicago - Dialogue Part I & II (Album Version)


SpiritのTaurusってZepの天国への階段に似ている?

2016年06月24日 | LED ZEPPELIN関連
以前ブログにアップしたレッド・ツェッペリンII、このアルバムの数曲に既存のブルースの曲から歌詞などが引用されたにも拘らず、オリジナルの作者名がクレジットされていなかったことから、後日クレームを受けた。

それらは、A面の1曲目WHOLE LOTTA LOVE、3曲目の THE LEMON SONG とB面の5曲目BRING IT ON HOMEだった。

最終的にWHOLE LOTTA LOVEのクレジットにはウィリー・ディクソンが追加、LEMON SONGにはバーネットが追加、そしてBRING IT HOMEはオリジナル表記だったペイジ・プラントからディクソン単独に変更となった。

これらは、従来のブルースに彼らのハード・ネスをありったけぶち込みニューロックなるものを創造したことはすばらしい事だったといえるが、やっぱり原曲を作ったブルース・マンの存在を当初まったく無視したのはいただけない。

今回の話は、“天国の階段”のオープニング・コードのパクリ疑惑についてである。

これもかなり以前から話題になっていた件であるが、アメリカの60年代末頃にSPIRITと言うサイケデェリック・バンドが活動していた。

彼らの68年デビュー・アルバムに収録したインスト・ナンバー、TAURUS(67年作)のオープニングが“天国への階段”に似ていると言う事だった。

ペイジによると、SPIRITとは一緒のアメリカ・ツアーを68-9年に行い、彼らのセカンドとサード・アルバムは購入したが、TAURUSの入ったファーストは買ってもないし、また聴いたこともないと主張していた。

SPIRITサイドとしては、両バンドがツアーを一緒に行っていたのだから、TAURUSをツアーの何処かで聴いた可能性がまったくなかったとは言い切れなく、イントロ部分はパクリという主張だった。

作者でバンドのギタリスト権ボーカルだったランディー・カリフォルニアは、1997年海で自分の息子を救助する最中に溺死してしまい、その後彼の管財人が2014年に訴訟を起こた。

そして2016年4月に、裁判所が、“この案件は陪審員による評定に値する内容だ”と判断し審理が開始された。ようやく昨日になって、陪審員により、 “盗作というほど似ているわけではない”との判決が出た。

ZEPとしては一件落着、また私も同感で、同じコード進行でゆったりとしたペースでのアコギの演奏となると、なんとなく似ている感じに成るのは避けれない。しかしながら、今回の事例は実際に音源を比較してパクリとまでは言えないと感じた。

もしこの程度のことで、裁判所がパクリと認定するのであれば、日本の演歌なんて訴訟合戦となる。

演歌の場合、イントロなんてほぼ一緒。歌を歌いだしたところで、歌詞の違いに気が付いて、ああ~、これは別の曲だと認識する。

ただ裁判で勝ったとしても、演歌のレコードやCDなんてまったく売れない時代だから、そのままにしているって感が。

やっぱり、この手の訴訟は、相手からいくらふんだくることが出来るかで裁判に進展するかどうかが決まるのだろうね。

私としては、今回の“天国の扉”よりも、どちらかと言えばフィジカル・グラフィティーに収められた、死にかけて、IN MY TIME OF DYINGについて一言いいたい。

この曲はディランも彼のファースト・アルバムで同曲をカバーしていて、作者不詳のゴスペル・ソングとして知られている。

フィジカル・グラフィティーでは、この曲のクレジットとしてゼップ4人の名が記載されいる。

確かに、間奏パートはZEPそのもので、すばらしいハードなアレンジが施されているが、歌うパートは作者不詳のゴスペル・ソング、IN MY TIME OF DYINGそのものである。しかし知らない人が聴いたら、ZEPのオリジナルってなってしまう。

作者不詳で、さらに版権を管理する会社が存在しないのであれば、たぶん印税は発生しないから、TRAD.の追加表記はZEPにとっても問題はなかったと考えるのだが…

何故4人の作者名に追加としてTRAD.と表記出来なかったのかな~? 

このあたりがこの偉大なバンドの残念な点だと改めて思うのであるが。

Taurus- Spirit

6月20日になって思う

2016年06月20日 | 特になし
人気漫才コンビの中川家が良く使うネタに、

剛(兄貴):すっかり秋ですね~ 

礼二(弟):秋になったら寂しくなりますね~

剛(兄貴):そんなことあれへん。秋になったら、メイン・イベントの祭りあるやんか。みんな楽しみにしている~

礼二(弟):祭りて何やねん? ほとんどの祭り終わってしもたんと違うんか?

剛(兄貴):俺が言うてんのは、あの祭りのことや。ヤマザキ秋のパン祭り!

礼二(弟):そんなん、祭りや無い!あれはシール集めて皿貰うやつや!

となんとなくこんな感じの会話だったように記憶しているが、この出だしのボケで、客の心を掴み、あれこれネタをいろいろ入れながら進めていく。

私も、同じようなのを思いついた。

助手:6月も末に入り、すっかり梅雨の季節となりましたね~

博士:雨が続き、朝から降っていると、満員電車の中はサウナ状態、ズボンは誰かの濡れた傘が張り付いてベチャ・べチャ、おまけに靴にも水が進入してきて中はグチョ・グチョ!
なんとも憂鬱になりますね~

助手:そんなことあれへん。たった今、選挙が終わって、これからすべてスッキリするはず!

博士:選挙が終わったって? ええー!、今から参院選や都知事選が始まるねんで~

助手:俺が言うてんのは、あの選挙のことや。某アイドルグループ、毎年恒例の総選挙!

博士:そんなん、本当の選挙や無い! あれは、CDに付いて来る投票券を出来るだけ多く買い集めて、投票するやつや! 清き一票じゃないで!やろうと思えば何票でも投票出来んねんで。

盛大な若人の祭典は終わり、そのころヤフオクでは、投票券使用済みの悲しみのCDが大量に出品されているではないか。ざっと見たところ、60枚で1円、50枚で5円、100枚で100円とか3300枚で33,000円なんてのもある。もちろん誰も応札していない。

そりゃそうだ! ほぼ新品の状態で1円の値付けなら普通は条件の良いオークションと言えるのだが、やはり同じものが大量に送られてくると成ると、豪邸に住んでいない限り置き場に困る。

発売形態の異なったCDを根気良く集めて数枚のセットとしたほうが、高く売れるかもしれない。

しかしながら、もし本当の選挙に出たら、一人や二人当選しちゃうんじゃないかというぐらいの獲得票数で、ファンにとっては本チャンの選挙を上回るような凄い熱気の総選挙だったようだ。この選挙にかけたお金が数十万円なんてファンざらにいるようだ。

J-POPはこのように盛り上がっているのに、わがロック軍団の現状はどうなんだ!

アマゾンを見ると、ジェフ・ベックのJEFF BECK GROUP とBBAのスタジオ・アルバムが、かって録音した4chの音源を5.1chのマルチに焼き直し、SACDの規格で来月発売されるらしい。また、以前発売されたSACD仕様の BLOW BY BLOWもまだ若干ストックがあるみたい。(アマゾンで4000円くらいで売っていたのをみた。)

これらのアルバムは、7“サイズのジャケットで登場するらしい。お値段1枚破格の5400円也!

高齢者向けの豪華三点セット、3枚一気に揃えれば、15000円也!

スゲー!の一言。(賞賛ではない意味でのスゲー!)

特にBBAのアルバムは40分弱の演奏で、強力なボーカルが見つからず、なんとなく見切り発車的にレコーディングに突入したわけで、個人的には歴史名盤ではないと思う。だからどうしても手に入れたいと言う気持ちは未だ起こってこない。

また、SACD仕様の BLOW BY BLOWとBBA LIVE IN JAPANの7”ジャケットSACDを以前に買っていて、5.1chのマルチは再生装置がないのでコメントは出来なかった。2CHでの印象としてはSACD特性は出ていて悪くは無かったと。

しかしながら、今住んでいるところには、音源も再生装置も無くその事を再確認する術も無い。もうドーでもいいって感じ。

あまり長く、ロックをある程度のレベルでの再生で聴かなかったとすれば、禁断症状が出てきて、この地で小型のセットでも買っちゃうんじゃないかと危惧していたが、3ヶ月たってもそのような衝動は起こらないし、日本にいるときは旧譜のリマスター、ボックス・セットや再発レコードを中心に毎月購入するような無駄遣いをしていたことも今や昔。

この三ヶ月間、購入の意欲はあまり無く、今のところ音楽のメディアの購入ゼロである。

ソニーさん!  7”の紙ジャケは不要でプラケースでオーケーだから、安価でSACD出してくれないもんかね~

それなら、秋のパン祭りの頃には衝動買いするかも。

おおー、忘れていた! 此処にはヤマザキ秋のパン祭りなんて無かったっけ...


シンガポールの雨模様から、トイレ談義となり、トイレは右にあるで終わる

2016年06月17日 | CCR and John Fogerty

今日は昼ごろから雨が降り、夕方になっても未だ降り続いている。

いつもなら、小一時間程度降れば雨雲がさっと去っていくのであるが、今日は結構長い時間降り続いた。

雨降りのことをシャワーと言うのであるが、もしバスルームでシャワーを浴びるとすれば、今回の降雨は、高野豆腐が完全に戻ったぐらいのふやけた状態に体がなるのではないか、という長い時間であった。

おかげさまで雨に濡れることさえなければ降雨大歓迎で、気温も昼間で27度とここ最近では非常に快適に過ごせた。

と! ここでバスルームなる言葉が出てきたのであるが、通常のシンガポールのTWO BEDROOMSと呼ばれるアパートの間取りであれば、少なくとも2箇所それは存在する。

マスター・ベッドルームには、専用のものが付いており、洗面台、洋式トイレそしてシャワーつきのバスタブが付いてくる。それ以外にリビング・ルームに、同じような構成であるがバスタブではなくシャワーのみが多い。

バスタブのお湯は、ホテルのように常時に適温の温水が供給され続けるわけではなく、アパートの屋外に設置されたの個々の電気の温水ヒーターから供給されるため、その温水タンクの容量が小さければすぐにぬるま湯となり、日本人が好むお風呂に入って汗を流すと言うわけには行かない。

また、バスタブのお湯は、一回一回流してしまうので、次の人が連続で入るとすると、水風呂を覚悟しなければならない。

と言うわけで、シンガポールではバスタブを使う人は少なく、また熱帯の気候であるので、温水ヒーターからのぬるま湯でシャワーを浴びるのが常である。

しかしながら、2箇所のバスルームの設置は非常に有益で、日本のアパートでは朝の通勤・通学時にはしばしばトイレの取り合いとなるのだが、ここではたとえ誰かが既に使っていたとしても、待ち時間なしでナンバー2のバスルームにあるトイレを使うことが出来る。

不満と言えばウォシュレットがないことである。どのような理由かは正確にはわからないが、使い過ぎると粘膜を傷めるだとか、トイレとしては結構良い値段になるだとか、その他もろもろの理由により、あまり普及していないのが現状である。

シンガポールにもウォシュレットの販売と取り付けを請け負う業者はあるようだが、シンガポールのアパートの場合、普通のバスルームの設計では、日本では当たり前の洋式トイレの周りにウォシュレットを駆動させる電源と上水道の配管がないのである。

すなわち取り付けとなると、家主から許可を受けた上で追加の電気工事や配管工事を行なうと言う結構面倒な仕事となる。

と言うわけで普通2-3年程度の駐在となると、通常の賃貸契約では現状復帰での返還となるので、わざわざ大金をかけて工事をした上でウォシュレットを設置する人はほとんどいないということになる。

アメリカのメジャーで活躍中の上原投手は球団に掛け合って、クラブ・ハウスに設置して貰っただとか、日ハムの中田翔選手がアメリカでキャンプを行った際、“ここにはウォシュレットが無い!”と不満を漏らしたなどと散髪屋の待ち時間にスポーツ新聞でチラッと目にしたことがある。

一家に一台は普及しているウォシュレットなしでは、日本人はどうも生きていけないみたいである。

しかしながら、東南アジアでは昔から、用を足した後はトイレットペーパーを使うよりも最初に水で洗うと言う習慣があり、昔の一般家庭では金かくしの無い和式トイレ様な便器が良く見受けられた。

トイレの横に水道の蛇口があり、用を足すとその水でトイレ専用のプラスチック・カップに注ぎ、その水を使ってお尻を洗ったものだ。所謂ウォシュレットの原型みたいなもの。

少し高級バージョンとなると、蛇口にホースがつながりその先にスプレー・ノズルが付いてそれで洗浄する。但しスプレーノズルの開閉の加減や吹き付ける方向を誤ると、下半身がずぶぬれという悲惨な目にあうのである。

ところで、和式の場合は、金かくしが奥に存在するので扉に背を向けて座るのだが、金かくしが付いていないトイレの場合は、どちらの方向に向って座るのか良くわからなかったのだが、たぶん洋式が扉に面して座る配置なので、それと同じ向きに座るのが正解だと思っている。

しかしながら、鍵をかけ忘れてトイレにはいり、誰かが間違ってドアを開けたとき、お尻を見られるのが恥ずかしいのか、それとも顔をその場でお互い突き合わせるのがより恥ずかしいのかで座る方向を決定する人がいるかもしれない。

と得意のトイレ談義となると、いつもより話もスムーズ、ご飯もサクサク。

今日は、そのトイレの話に因んで、CCRのBAD MOON RISING はいかが?

1969年のスタジオ・アルバム、GREEN RIVER(全米1位)からカットされた大ヒット曲(全米2位、全英1位)。

これがトイレのどこと関わりあっているって言うの?

それはですね、最後のフレーズでジョンが, THERE'S A BAD MOON ON THE RISEって歌うとところがあるじゃないですか。

聴き手によっては、それがTHERE'S A BATHROOM ON THE RIGHTってあるコンサートで聴こえたみたいなのですね。それをジョンが聞いて、THERE'S A BATHROOM ON THE RIGHTとジョークのつもりでわざと間違えて別のコンサートで歌ったとか…

助手:オオー! さすがは博士。今度からトイレット博士と改名しましょうか?

博士:それはだめじゃ!

トイレット博士といえば、1970年から週間少年ジャンプに7年間掲載された、とりいかずよし先生の描く、偉大なギャグ漫画のことじゃ~ 
同じ名前を使うことはまかり成らぬ!

彼らが繰り出す恐怖の必殺技地獄ゴーリンの餌食となるぞ!

Creedence Clearwater Revival: Bad Moon Rising


風邪をひいちまった、その2

2016年06月16日 | ELTON JOHN
風邪をひいたものの、日本から持ち込んだ常備薬と近所のドラッグ・ストアの風邪薬で何とか症状を押さえ込んだと思いきや、なんとその後微熱が発生。

私も家族と同様、ついに近所のクリニックのお世話になり、今回のしつこい風邪を治す直すきめ台詞である“ANTIBIOTIC(抗生剤)の処方お願いします”と一言唱えたのであった。

解熱剤を併用し、何とか一段落したとはいえ、この脱力感。何をするにもやる気がまったく起こらない。

まあ病みあがりだと、集中力も欠けてしまい、チョンボしてしまう可能性もあると自身に都合の良い言い訳を考え、急がないもしくはそれほど重要でないのは、今回全部スルーと言うことで。

おいおい!そんなことで仕事大丈夫?

イヤー! 長年の経験で、大胆に重要な案件とそうでないものを線引きし、そうでないものは何とかうまく理由をつけてばっさり切り捨てる。

沢山の仕事に囲まれて身動き取れない人の中には、義理でどうでもいいような仕事まで抱かえこんじゃってアップ・アップしているようにも見受けられるのだが…

と偉そうな事をほざいてしまったが、一日が24時間しかない中、やっぱり言われたことすべてのことを上から言われたように完遂するのは困難な場合が多々あり、そこは仕事における取捨選択が必要となる。

社長:オーイ君! 例の入札の書類は完成したかね?

社員:いやー、未だ取り掛かっていないのですが… 正直なところ、あの入札に応札してもチャンスは無いと思いますが。

社長:君ねー、応札しなければチャンスはゼロ確定。応札すれば、万が一もってあるじゃないか!

社員:社長お言葉ですが、万が一の確率ならほぼゼロと同じですよ。じゃ! 本日の仕事はここまでってことで、お先に~

な~んて、とても言えない。

やっぱり仕事の奴隷として一生を生きていかねばならないのか~

と言うことで、1972年のエルトン・ジョンの5枚目のスタジオ・アルバム、ホンキー・シャトーに収録されたSLAVEはいかが。

奴隷というタイトルのカントリー・タッチののどかな感じで歌われる曲で、それは南北戦争ごろの白人の農場で働く黒人奴隷の悲哀が歌われ、いつか俺たちを支配するに連中にいつか勇気を持って立ち上がり復讐を成し遂げてやるというような内容で、曲調から来るイメージとはかなりギャップがある。

そうだ! 俺たちも俺たちをコントロールするあの傲慢な社長どもに鉄槌を加えるために立ち上がるのだー!

とは口が裂けても言えないね~

やっぱり、気を取り直して仕事に戻ろう~

Slave - Elton John

風邪をひいちまった、BAD MEDICINEはいかが?

2016年06月13日 | AMERICAN ROCK/POPS
此処のところ、家族全員風邪をひいてしまってノック・ダウン。

私も体調が優れず、ブログも暫しの間休憩。

ほんと、熱帯地域に住んでいて風邪をひけば大変である。夜中でも30度を下回らない部屋で汗ビッショリになって耐えなければならない。

10年前にここに住んでいたときは、風邪なんかほとんどひかなかったのだが…

やっぱ歳なのか、病気に対する抵抗力が落ちたのかもしれない。

私は日本から持ち込んだ常備薬と近所のドラッグ・ストアで買える風邪薬で何とかしのぎ、完治とは行かずもかなり楽に成った。

他の家族のメンバーは、近所のクリニックにつれて行って診察してもらい、風邪による気管支炎の軽いやつとの診断で、飲み薬と喉のシロップを貰ってきた。

風邪をひいた、熱がある、咳が出るなどは何とか説明できるが、英語で気管支炎(BRONCHITIS)とか痰(PHLEGM)なんて言葉は当然出てこない。クリニックに行く前に辞書で調べて、単語を紙に書いてドクターに見せた。

矢継ぎ早にドクターから、ALLERGY(アレルギー)はあるかとか、ASTHMA(喘息)持ちかの質問に何とか答えて、こちらから、ANTIBIOTIC(抗生剤)を処方して欲しい伝家の宝刀を切り出す。

症状が軽い場合は、副作用を恐れて医者としてはあまりきつい薬は出したくないのはよくわかっているのだが、熱帯でひく風邪は中々しぶとく、シロップなんかでは酷い咳の場合あまり効かないと言う個人的な経験から(その昔1ヶ月ほど服用しても効果なしだった)、一発勝負の抗生剤の処方を申し出る。

ドクターもオーケーを出し、抗生剤を処方した。

今週中に家族全員が元気になればいいと思う。

もちろん、抗生剤の処方はケース・バイ・ケースで、副作用がでるリスクもあるし、効果が見られない場合はさらに強い薬が必要となるケースもあるので、私のようなケースが常に正しいとはいえない。

しかしながら、海外の旅行中にもし病気になった場合は、症状を示す英単語や日本でよく使っている薬の英語名などをノートなどに書きとめていくと結構便利で話が早い。

シンガポールの中心部には、立派なビルのフロアーに日本の医師が常駐する日本人専門のクリニックもあるのだが、自由診療は結構な値段になりやっぱり医療保険に入っていないと敷居が高い。

日本で健康保険を使えば、胃カメラ、CTやMRIなどの検診もそう負担になるものではないが、自由診療でそれらの検診を行うとすると、目の玉が飛び出てしまうような料金が提示される。

5年ほど前の話であるが、親戚がアメリカ旅行中、倒れて病院に何日か入院してお世話になった。持病が悪化したのだが、旅行保険では其の持病がカバーされていなかった契約みたいで、本当に目の玉が飛び出て、道端に落っこちてしまうような衝撃の料金が提示された。

海外に出て、改めて思うことは日本の国民健康保険のシステムはなんとすばらしいことか。

今回個人的な仕事でここに来ているので、旅行時における疾病をカバーする海外旅行保険に入ることは出来ないし、日本の会社の駐在員でもないので、駐在員保険も加入できないのである。

まあ、もしまた何かの病気になったら下手な英語ではあるが、ローカルのドクターで何とか事を解決したい。

もちろん病気にならないのが一番なんだか…

と言うことで、今回は1988年にBON JOVI が出した全米1位に輝くアルバムNEW JERSEYから、これまたシングルで1位を獲得するBAD MEDICINEでも。

ここでのBAD MEDICINEはANTIBIOTICなんて足元にも及ばないすごい効能のある強烈な薬だとか…

まあ、私には副作用がありすぎて服用は無理みたい…

Bon Jovi - Bad Medicine

ゲップによる愛するハーモニー

2016年06月07日 | BRITISH ROCK
助手:博士! ここのところシングル・レコードの話が続いているので、ちょっと押入れをガサゴソしていると、こんなの見つかりました!

博士:オオー!これはイギリスのポップバンド、ニュー・シーカーズが1971年末に出したヒット・シングル、“愛するハーモニー(I’d like to teach the world to sing)”ではないか! 


この曲は当時コカコーラのジングルとして採用され、世界中にオン・エヤーされ1972年にはアメリカで7位、イギリスでは1位を獲得したのう。

助手:そう言えば、その当時コカコーラはホーム・サイズと言って500mLのボトル出していましたね。

博士:その通り。もともとペプシが1964年ごろ16オンス(473mL)のファミリー・サイズのボトルを販売することになったのじゃ。

その対抗措置としてそれを上回る500mLを同価格で出したわけじゃ。

助手:ホーム・サイズのキャッチ・フレーズと言えば、3杯注いでまだ余るんじゃなかったですか?

博士:これは少し誇大広告って感じで、コカコーラのグラマラスなボトルのシェープを型どったグラスに3杯分満たすとなると、かなり氷を入れなければならないのう。

実際のところ、小料理屋にいって、取り敢えずと言って出てきた中瓶ビールにお通しと一緒に出てくる小ぶりのコップなら何とか3杯分いけるじゃろう。

今でこそ、350mL缶が登場して、それを一人で飲むのがあたりまえじゃが、当時は粉末ジュースの時代で、子供にとってはコーラはそれらと比べると高級飲料で、氷をたっぷり入れて水増ししてホーム・サイズを数人で分けたものじゃった。

まあ炭酸が効いていれば、氷で薄めたとしてもある程度の爽快感は得られるのじゃ。

助手:そう言えば、博士の友人がシンガポールからコカコーラを日本に平行輸入したという話を聞いたことありますが?

博士:20年以上前の話で、日本がバブル期で円高となり、シンガポールからコカコーラを買うとかなり安く仕入れられたので、コンテナ買いをして日本に輸出したところ、味が日本のものと違うと言うことでだめになった。炭酸があまり効いていなくて、またそのせいか、日本のものより甘く感じられたとのことじゃ。

助手:コカコーラってアメリカの本社でレシピが決まっていた世界共通の味じゃなかったんですかね?

博士:わしも当時はそう思っていたのじゃが、シンガポールのコカコーラを飲んで比較すると確かに炭酸が日本のものより効いていないと感じた。

詳しいことはわからないが、生産国によってその地域の味覚に合わせるためレシピ変更に関する裁量がある程度認められているのかも知れないのう。

最近ほとんどコーラ飲まないから、そこのスーパーで買ってきてくれないか?

助手:早速買ってまいりました。シンガポール製造1500mL 2本のバリュー・パックでお値段何とS$3.50(約280円)也!


博士:なんと! 2本で小料理屋のコップで約20杯分!

一気飲みすれば、お腹いっぱい。

ゲボゲボ、ゲボゲボ

これがわしの“愛するゲップ・ハーモニー”じゃ!

我が家のニュー・シーカーズのシングル盤は、約45年の間保管していたのだが、どのような訳かレコードが波打ってしまい再生出来なくなっていた。レコード袋とペラのジャケットのみ健在。

それではコマーシャル・バージョンで
Coca Cola Commercial - I'd Like to Teach the World to Sing (In Perfect Harmony) - 1971

バルタン六本木に出現!ビートル、大至急出動せよ!

2016年06月06日 | 特になし
レコードを数多く持っているのであるが、その内訳はと言うとほとんどがLPでシングル盤はほとんど所持していない。

なぜなら、70年代初めの頃は、もちろんレーベルや音楽のジャンルによって、若干の差はあるが、大体一枚が2000円くらいでシングルは400円だった。

一枚のLPから普通2曲はシングル・カットされるので、シングル2枚で800円出すのであれば、10から12曲入りのLPを買うほうがコスパは優れているし、またアルバムからシングル・カットされない曲の中に非常にすばらしい曲をしばしば発見する楽しみもあった。

そして、シングルに封入されている薄っぺらな1枚もののジャケットと比べると、特に日本盤のLPのジャケットは丁寧に作りこまれ所有感を満たすのである。

そのため、オリジナル・アルバムをあまり出さないアーティストのヒット・シングルでなければ購入意欲は当時あまりわかなかった。

大学に入学した時貰った校歌のシングル・レコードや書籍などにまぎれて、一枚のシングルレコードを発見! 

それは、フレンチ・ポップの大物女性歌手、シルヴィ・バルタンが、1972年に出した“CARO MOZART(哀しみのシンフォニー)”と言うタイトルで、モーツアルトの交響曲40番にイタリア語の歌詞をつけたクラッシックの香り漂う楽曲。


この楽曲は日本編集のLPレコードにボーナスとしてはいったもので、後にシングル・カットされた。

イメチェン目的なのだろうか、何故かシングルのジャケットには私が今までの彼女のイメージとして持っていた色白なパリジャンではなく、日焼けした褐色の肌のラテン系イメージの写真が使われていたのも目を引いた。

当時ロックの路線がメインだった我が家だったのに、何故にこのレコードが存在しているのか、そして誰がこれを当時買ったのかは記憶に無いのだが、何しろモーツアルトの楽曲なので聴けばすぐにそのメロディーが記憶に蘇る。

彼女の存在は既に知っていて、友人が教えてくれた前年に出した“悲しみの兵士”と言うシングル曲を、深夜放送でよく聴いたような記憶があった。


さらに、それ以前の1965年頃に、彼女が来日した際に、レナウンのコマーシャルに出ていたのを見たような記憶もある。低学年の小学生であったため、本当にテレビでそのCMを見たのかどうか?もしくは後付の記憶かもしれない。
レナウン CM 1965年 シルヴィ・バルタン Sylvie Vartan 「ワンサカ娘」篇


ただ、1964年に長沢純率いる、スリー・ファンキーズがビートルズの“抱きしめたい”のカバーを日本語で歌っていて、その歌詞を今もおぼろげに覚えているので、当時テレビはよく見ていたように思う。

オー・プリーズ (記憶が曖昧?)
オー・イェイ・イェイ
お前を抱きしめたい
わかるこの気持ち
アィワナ・ホー・ジュヤー・ハアーンー…

サビのところの発音が、関西弁の“アホな北条はーんー”といつも聞こえていた。

話を元に戻して、私にとって一番興味ひく彼女にまつわる逸話がある。

それは、ウルトラマンに登場したあのバルタン星人の名前は円谷プロが命名したものだが、その由来はヨーロッパで当時良く紛争のあったバルカン半島から変化したのと、スペルは違うがカタカナ表記では同じであるシルヴィ・バルタンから拝借されたとの二つの説があるとのこと。

彼女の日本公演の印刷物や写真からどうもシルヴィ・バルタン説が有力じゃないかと。しかしながら、彼女は、生粋のパリジャンではなく、ブルガリアで生まれ8歳のときパリに移住したといわれている。そう、ブルガリアの国が位置するバルカン半島説も捨てがたい。

ハヤタ隊員:こちらハヤタ。本部応答願います。

ムラマツ隊長:こちらムラマツ。どうしたハヤタ? 

ハヤタ隊員:現在六本木上空。2体のバルタン星人確認! 一体はバルタン星人そのものですが、もう一体はパツキンの女性の姿をしています。攻撃しましょうか?


ムラマツ隊長:いや、待て。たった今得た情報では、どうもコンサートが行われるようだ? バルタン星人のルーツを突き止めるため、フジ隊員が現場に急行している。コンサートが終わってから判断するとしよう。それまで待機してくれ。


ハヤタ隊員:了解。

なんて会話があったかどうかは、不明であるが…

1944年生まれで、今年の8月に御歳72歳になられるとのだが、現在もオリジナル・アルバムの制作やライブ・ステージなど精力的に活動されているとのこと、御健勝で何よりである。

イタリア語で歌われているため、ちんぷんかんぷんなわけであるが、英語圏の歌と異なりヨーロッパ大陸の匂いがプンーンと漂うような楽曲である。
哀しみのシンフォニーCaro Mozart/シルヴィ・バルタンSylvie Vartan

6月になって思う、記憶に残る歌

2016年06月05日 | 特になし
今日は日曜日と言うことで、“ビューティフル・サンデー”なんていかがですかね?

“ビューティフル・サンデー”はご存知イギリス人歌手のダニエル・ブーンが1972年に出した曲で、日本ではその当時まったくヒットしなかったのだが、1976年に日本で再発され約200万枚の売り上げを記録した。(オリコン20週1位)


外国人アーティストの日本でのシングル売り上げの最高を記録し、いまだその記録は打ち破られていない。残念ながら、日本ではこの曲のみのヒットだけの一発屋で終わった。

この曲は当時TBSの朝の番組”おはよう720“の中にあったコーナーのテーマ曲として取り上げられ、毎朝その曲がかけられていた事から大ヒットに繋がった。またNHKの歌のお兄さんだった田中星児も日本語の歌詞でカバーしヒットさせ(オリコン4位)相乗効果を生み出したのではないかと…


田中星児と言えば、個人的には“ビューティフル・サンデー”以外の曲でも繋がりがある。

その昔シンガポールに住んでいたときに子供がお世話になった日本人幼稚園の園歌を歌っていたのである。入園したときの記念に園歌のCDを貰い、記念として今でも手元に保管してある。

また“ビューティフル・サンデー”以外で、日本のみで大ヒットした一発屋の曲と言えば、やはりアメリカのカントリー・シンガー、ジュリー・ウォレスが1970年に出した、“マンダム 男の世界(LOVERS OF THE WORLD)”ではないだろうか?

化粧品と言えば女性が使うと言う既成概念を打ち破り、男性専用の化粧品を売り出すと言う新しい試みで、60年代末頃から、フランス映画の“さらば友よ”や“雨の訪問者”などのアクションものの映画に、鼻の下にひげを蓄えイメチェンした、男臭さ100%の人気俳優チャールズ・ブロンソンを起用して、数多くのCMにテーマ曲として流したことから大ヒット。73万枚売り上げ、オリコン12週1位を記録。

スティック・タイプのチックと言う男整髪料などが主力だったメーカーの丹頂が新たに作ったブランド、マンダムは、これによって急成長を遂げた。

当時子供だった私も、ブロンソンのCMでのきめ台詞を英語訛り“ウーン マンダム”と良く真似たものだった。

シングルでたとえ一発屋であっても、70年代当時にミリオンセラーを記録すると言うことは国民的な出来事だったと言えるのではないか。たとえ英語の歌詞の意味は判らずとも、毎朝のテレビ番組や数多くスポットでオン・エヤーされたコマーシャルから、多くの人たちがその歌の存在を知っていたと思われる。

かって国民的な出来事と関心を持たれた外国人アーティストによるシングルのミリオンセラーを、2016年の今、いとも簡単にやってのけるグループがいる。

数日前、ネットのニュースで見たのだが、6月1日発売のシングルが数日でセールス230万枚を軽く突破と言う記録を打ち立てたのである。

単純計算では、人口一億2千7百万人の人口を持つ日本の55人に一人が発売のわずか数日内にそのシングルを買った計算となる。

スッゲー!

マキシ・シングルのCDに動画のDVDが付いてお値段、消費税込みで1,646円也!通常盤3種と限定盤3種の計6種の形態で発売された模様。


何故これほどまでに売れたのかと言うと、毎年恒例の人気投票の用紙が今回ついているようで、ヤフオクには早速、未開封投票券付きのCDが数十枚から数百枚単位で転売されたり、投票券なしのほぼ新品のCDが1円で売りに出されている。

ヤフオクでほぼ新品ではあるが投票券なしのCDでは1円でオークションがスタートし、1円でさえ入札があまりない状況では、投票券におまけのCD+DVDが付いている感覚であろう。

発売と同時にそのような形でオークションに出品されていて、もしその後CDやDVDが鑑賞されずに廃棄される可能性も有り得る現状を改めて考えると、貴重な原材料のポリ・カーボネートや記録面に使われるアルミ材は何のためにまったく利用されない光学ディスクとして生まれ変わらなければ成らなかったのか? 

コンピュータ関連のソフトを記録したDVDも今では無駄を省くと言う意味で、ネットからのダウンロードに変更されようとしている時代に、まったく逆行している商法である。

秋の米の収穫期に、CDの反射を利用してすずめ除けに田んぼの一角にCDをつるすのであれば、まだ救われるのだが…

一枚が約1600円として230万枚のセールスと言えば、総額約37億円となる。

私自身も販売と言う業種で生計を立てている身であるので、販売により何らかの利益が生まれれば商売として成り立つことから、まあこの手の商法をまったく否定するものではないが、やはりやり過ぎはいけないと感じる。

通常盤3種と限定盤3種の計6種の形態をすべて純粋にコレクターとして集めている購入者以外は、メンバーの写真と投票券だけを購入し、楽曲や動画はダウンロード・コードを利用しネットからそれらをダウンロードするシステムに改めるべきだと思う。

“ビューティフル・サンデー”や “マンダム 男の世界(LOVERS OF THE WORLD)”が発売されて40数年たった。それらのシングルを買っていない私でも、今でも鮮明に記憶に残っている。

今回“翼はいらない”のシングルを大量に纏め買いされた方が、果たして40数年後この曲を良い思いでとして鮮明に記憶されているであろうか?

AKBをまったく知らない人間が余計な事を言うな!と言われれば、それまでのことではあるが。