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CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

今宵もディランのSACD、Blonde On Blonde

2025年01月05日 | Bob Dylan, Byrds, Band and etc.

1965年のアルバム、Bringing It All Back HomeとHighway 61 Revisitedに続く、ディランの電化路線三部作の最後を締める1966年のBlonde On Blondeでも。

初のLP2枚組の本作はディランの心の赴くままに従って制作されたのかな?当初NYのスタジオで録音していたものの気分が乗らなかったのか作業が捗らず、気分転換にナッシュビルのスタジオに場所を変えレコーディングが継続された。

出来上がった作品はバラエティーに富んだ内容でどこか肩の力抜けたのかリラックスした歌唱及びバックの演奏が味わえ、リスナーの方も2枚組だからと構えずに聴いていけばまったりとしたディランの世界を楽しめる。

ところでアルバム・タイトルのBlonde On Blondeってどんな意味なのかな?

諸説あるようで、他の言葉の韻を含んだ語呂合わせだとかBlondeのスラングの意味を用いただとか…

オイラは正攻法でブロンドって金髪の尾根遺産と解す。

当時BB(ブリジット・バルドー)、CC(クラウディア・カルディナーレ)やMM(マリリン・モンロー)なんて当時映画女優が巷で大人気。このアルバムの初期の内ジャケットにもCCの写真が無断で使われていたっけ。(後に写真は差し替えられた)

(再発盤ではクラウディアの写真は削除された)

ただCCは確か黒髪だったような… 

てな事でBB On MMに清き一票!

Bzz~


SACDとオイラ

2025年01月04日 | Bob Dylan, Byrds, Band and etc.

SACDの規格はサンプリング周波数がCDの44.1kHzに対して2.8224MHz、周波数再生レンジは5−20kHzに対して20−100kHz、さらにダイナミック・レンジは96d Bに対して120d Bとどの数字もCDのスペックを凌駕している。それにDSDなるデジタル技術を用いてスムーズな波形の生成でより自然なサウンドを目指す、言い換えれば目の前で演奏されているのような再生音を目指すってコンセプト。

2002年のストーンズのSACD化シリーズを皮切りに翌年のディランのSACDにも飛びつき、聴く前からきっといい音に違いないって思っていたオイラだった。

しかし今から思えば、これってやっぱり聴く人やその再生環境を選ぶよね。

SACDのマスタリングって、90年代のラウドネス戦争終結後もあって、結構抑え気味って感じがする。人間の耳は時に音圧高めの派手なマスタリングがいい音に聴こえる時もあり、その後にSACDを聴くとなんだか地味に感じる。そんな時は再生ボリュームを上げればいいのだけれど、それに対応できる再生装置の性能及びおよび適切なリスニング・ルームがあってこそSACDの最大効果が得られるのでは…..

そうこうしているうちに、SACDのメディアもあまり発売されなくなり、更に2ch専門のSACDを再生する機器も今じゃ殆ど見当たらず10万円越えのプレーヤーが最低ラインで装置の更新しようと思うもおいそれと手が出ない。

もうこの手のマニアックな世界も風前の灯火。

若い人たちの間じゃ、サブスクの音源をスマホ経由のワイヤレス・イヤホンで楽しむのが今やデフォ。

SACD? 何それ?って時代の到来もすぐそこに….

1964年に出たディランの4枚目のアルバム、Another Side Of Bod Dylan、それまでのプロテスト・ソングから少々距離を置き自由に書き綴った詩を歌う。

ちょっぴり地味目ではあるが、他のアーティストにカバーされポップに変換された曲もいくつか収録されていて何度もその原曲を聴いていると親しみが湧いてくる。

アコギ演奏に乗っかって歌うシンプルなスタイルなので特にSACDでなくとも良いと思うが、このSACDには何と5.1chのサラウンド音源も収録されているので再生システムがあれば是非ともその空間に身を置いて体験してみたいものだ。


ちょっと拙速だったか? 残念!

2024年09月25日 | Bob Dylan, Byrds, Band and etc.

ロジャー・マッギン、クラレンス・ホワイト、スキップ・バッテンとジーン・パーソンによる4人組バーズの最終アルバム、Farther Alongが1971年11月にアメリカで発売された。

前作のByrdmaniaxの発売から僅か6ヶ月という短いインターバルでの発売となった。

前作の制作においてプロデューサー、テリー・メルチャー主導のオーバ・ダブがメンバーの賛同を得ずに加えられた事によって、メンバーが反発。バーズ本来の音楽性とは異なると言うメンバーの考えからそのイメージを回復するため、大至急ニュー・アルバムを制作することに。

1971年7月にイギリスのフォーク・フェスにバーズが参加する事になり、その合間を縫って急遽ロンドンのスタジオで新曲の録音を5日間で完成。テープをアメリカに持ち帰り最終のミックス後、11月にアルバム発売となる。

ただアルバムは全米152位・全英はチャート・インしなかった事から失敗作と見做された。

アルバムは十八番のカントリー・フォーク・ロックからチャック・ベリー風のロックンロールとバラエティーに富んでいてシンプルなバーズのバンド・サウンドが楽しめる作品ではあるが、個人的にはこのアルバムの早期製作の引き金となった前作の独断的なオーバー・ダブに関する彼らの不満がちょっぴりオーバー・リアクション気味だった様にも感じる。

アルバム収録時間がたった32分と後何曲かはアルバムに盛り込める余地があるので、もしシングル・ヒットが期待できるバーズらしさが出た曲を数曲盛り込めば状況は一変したのでは無いかと。

また急いでアルバムを制作したからなのかは分からないが、ジャケのデザインもやっつけ仕事感漂うセピア色の全くアピールしない地味なやつ。

方向性は間違っていなかったので、もう少し時間をかければよかったのに…

アルバムの売れ行きが芳しくなく、初回プレスが少なかったのか アメリカでは "Requested By Popular Demands"と記載されたLimited Editionの再発盤LE10215が後に発売された。

それにしてもレーベルが地味な焦茶色と相変わらずアピールしていない。

 


ザ・バンドのサード、いい感じ

2024年09月22日 | Bob Dylan, Byrds, Band and etc.

ザ・バンドと言えば流行歌と比べるとルーラルで地味目のロックンロールで、曲によってはちょっぴり教条的に感じるなんてイメージが先走る。

しかしじっくり聴き込む事によって、後からその良さがジンワリやって来る。

彼らの1970年の3枚目のアルバム、Stage Frightはいい感じ。

全2作よりはサウンド的には割と明るめで馴染み易く感じる。それゆえ内省的な歌詞とは相反すると言う評論家もいて彼らの評価はやや低めだったそうな。

まあ、英語がネイティブの如く操れないオイラにとっては第一印象のサウンドが命。The WeightやI Shall Be Releasedのような突き抜けた重量級の曲が入っていない分、案外全体的にリラックス聴けて問題なし。

米盤はセピア・カラーのモノクロ・ポスターがジャケに覆われた形て販売された。

やっぱり地味なんだな。


オイラの夢

2024年08月17日 | Bob Dylan, Byrds, Band and etc.

1968年のアルバム、Sweetheart of The Rodeoで新加入のグラム・パーソンにかき回された感のあったバーズ。

アルバム完成後はオリジナル・メンバーのロジャー・マッギン除いて以外全員がバンドから脱退。

アルバム制作時のセッションギタリストだったクレランス・ホワイトらを含む4人が新たに正式メンバーとして加入し、4人組となってスタートした。

そしてバースとして通算8枚目のオリジナル・アルバムで4人組としては2枚目のアルバム、Ballad Of Easy Riderが1969年末に完成。

フォーク系のカントリー・ロックは派手さはないけれど心に染みて結構癒される。ちなみにロジャー作(ディランも曲作りに関与)のタイトル曲が映画、Easy Riderのサントラに収録され映画の大ヒットによってこのアルバムもそこそこ売れたそうな。

このBallad Of Easy Riderを聴くと、特にさしたる目的もなく自由気ままにアメリカの大地を貫く一本道を大型バイクでイージー・ライダーのように風の如く駆け抜けてみたくなる想いが沸々と湧き上がる。

原付免許しか持ってないオイラだけれど…


ロックなディラン

2024年07月19日 | Bob Dylan, Byrds, Band and etc.

今日通販のサイト覗いてみると、なんとザ・バンドと共演した1974年発売のディラン復活のライブ、Before The Floodが今年の9月にCD27枚組のボックス・セットで大々的に再復活するそうな。お値段なんと3万5千数百円とのことでとても手が出ない。

レコード会社もネタがなくなったのかこのところ高額ボックス・セットなるものをどんどん出してくる。

この手の再発は大体旧音源にリマスターやリミックスを施し購入意欲を煽り、さらに未発表音源と思わせぶりな売り文句でボーナスCDを複数抱き合わせにする。ボートラの内容がよければまだしも1回聴いたらお蔵入りのデモや別テイクの音源は正直いらないね。

今回のディランのボックス・セット場合は復活ツアーでの現存する音源をほぼ網羅しているそうなので聴いてみる価値はあると思うけれど、CD27枚組となると完クリできそうもない。

てな事で、手持ちのCD音源を久々に聴いてみる。

このライブ・アルバム、ディランのシャウトする歌唱にリック・ダンコのブンブンと唸るべースとロビー・ロバートソンのギンギンのギターが絡むアップ・テンポかつハードな展開のMost Likely You Go Your Way And I’ll Go Mineで幕が上がる。(実際のコンサートではこの曲はコンサートのオープナーではなくアンコールで歌われたそうな)1966年のBlonde On Blondeに収録された少しのんびりした印象のカントリー系フォークだったのが、このアルバムではハードに生まれ変わっている。

またそれ以外にも新しいアレンジで力強く歌われた過去のヒット曲や、バンドの熱演など聴きどころは沢山あり楽しめる。

まあ手持ちのオリジナル2枚組の音源でオイラとしてはもう充分ですね。


Down In The Grooveにハマる

2024年06月11日 | Bob Dylan, Byrds, Band and etc.

ディランのワースト・アルバムのひとつとして称されているアルバムが1988年の通算25枚目のオリジナル・スタジオ・アルバム、Down In The Groove。

当時ディランは絶不調と言われた時期にあたり、チャート・アクションも全米61位とディランにとって商業的には全く振るわない作品となった。

自作曲と他のアーティストの作品が半々。そして多くの参加ミュージシャンがクレジットされていて、多分時期の異なるあちこちでのセッションで録音されたものなんだろう。

それ故、寄せ集め感は拭えないが、クラプトン、マーク・ノップラー、ロン・ウッド、ネーザン・イースト、スティーブ・ジョーダンにグレイトフル・デッドの面々らと多くの一流どころも参加していることから演奏はしっかりしている。ただディランの歌唱に女性コーラスがフィットしているとは言い難いが....

まあ今回ディランにとっては息抜きのアルバムと捉えて、同様に聴き手側もフォークの神様や哲学的な詞など堅苦しいイメージは取り敢えず無視して、肩の力を抜いてレイド・バックしたディランを味わえば良いんじゃないの。

オイラは結構癒しのサウンドにハマっているんですが...


地下室に眠ったビンテージ物

2024年03月04日 | Bob Dylan, Byrds, Band and etc.

オイラが若かりし頃聴いていた60年代末から70年代にかけて流行ったニュー・ロックがクラシック・ロックと呼ばれる様になってどれくらい経ったのだろうか?

1966年ウッドストック近郊でのモーター・バイクの事故で重傷を負ったディランは活動を休止。傷の癒えた翌年ザ・バンドのメンバーとウッドストックのピンク色に塗られた彼らの住居、ビッグ・ピンクでセッションを繰り返す。

ここで出来上がった主な曲はザ・バンドのデビュー・アルバムに収録された他、多くのアーティストらによってカバーされ世にでる。

それ以外の音源は正式にリリースされることはなく、その後ザ・バンドのロビー・ロバートソンによってオーバ・ダブを施しステレオ化され、ようやく1975年にThe Basement Tapesというアルバム・タイトルで日の目をみることに。

確かに60年代に録音された古さを感じさせる音源ではあったが、70年代半ばにこのアルバムが登場した時はノスタルジーを誘うあたかも樽に詰め込まれたワインの様に熟成した雰囲気を楽しむことが出来た。

絶え間なく大量に生産され巷に溢れる新しいロックが10年後、20年後に果たしてどれくらい生き残っているか興味深い。

是非ともクラシック・ロックとして生き残って欲しいものだ。


バーズ再来か?

2024年02月25日 | Bob Dylan, Byrds, Band and etc.

1978年、ロジャー・マッギン、ジーン・クラークにクリス・ヒルマンが揃ってトリオを結成。バーズ再結成かと思いきやバンド名はシンプルにマッギン・クラーク・アンド・ヒルマンに落ち着いた。

翌年のファースト・アルバムは全米39位と中ヒットとバーズの御威光はまだまだ健在。

そしてセカンド・アルバムでさらなる飛躍が期待されたものの、ジーン・クラークのアルコール依存とドラッグ中毒がひどくなってライブ活動が維持出来なくなってしまった。

ジーンはセカンド・アルバムに自作曲を2曲を提供したものの、レコーディングできる体調ではなくなり準メンバーに格下げとなった形で1980年にセカンド・アルバム、Cityを残るメンバーでなんとか完成させた。

(バンド名はMcGuinn, Hillman Featuring Clarkとなった。)

またプロデューサーのアルバート兄弟とアルバム制作の方向性が噛み合わなくなってきたこともあって、不完全燃焼となりチャートも136位と大幅に後退することに。

80年代ともなるとやっぱりこの手のフォーク・ロックは時代遅れと言うか刺激が足りないと捉えられたのかもしれないね。

オイラの耳には当時懐かしのフォーク・ロックって感じで悪くないと思ったし、今聴いてもその印象は変わらないのだが....

 


The Last Waltz Suite

2024年01月27日 | Bob Dylan, Byrds, Band and etc.

The Bandのロビー・ロバートソン氏、去年の8月に亡くなれていたのをつい先日知った。

本日は彼らの解散コンサートのアルバムでも。

1969年のデビューから曲作りとオリジナル・アルバムのレコーディング、更にその合間にライブ・ツアーが間断なく続いたことから、ロビーはツアー疲れから今後スタジオ・ワークのみ専念との提案、他のメンバーとの折り合いはつかなかったものの取り敢えず解散コンサートを実施。

それが1976年にロスで著名なミュージシャンのゲスト参加によって開かれたラスト・ワルツのコンサート。記録映画としてマーティン・スコセッシがメガホンを取り制作され1978年に上映。また同時にその模様を3枚組LPに収録したサントラ盤も発売された。

その収録されたライブ音源の出来がイマイチだったそうでサントラ制作の過程でかなりのオーバー・ダブが施され、またライブ音源以外にこの記録映画のテーマ・ソングと言えるThe Last Waltz Suiteがスタジオ録音で別途制作された。

この組曲の中にソウル・コーラス・グループのThe Staple Singersから改名したThe StaplesがかってThe Bandの看板曲The Weightをカバーした縁からなのか今回同曲の録音で共演を果たしている。

娘Mavis Staplesの気持ちのこもったソウルフルな歌唱に親父さんRoebuck Stalplesの押さえ気味な歌唱も中々の出来で私のツボにハマって何度もリピート。

映画のDVDかユー・チューブにアップされているビデオ・クリップなどの映像で見れば尚いい感じ。

本編のライブ音源よりいいかも。


Budokan

2024年01月04日 | Bob Dylan, Byrds, Band and etc.

1978年、10数年ぶりにワールド・ツアーに出る事になったディラン。このツアーに日本が組み込まれ日本独自企画のライブ盤が制作される事に。

そのコンサートに居合わせたファンはオリジナルの演奏とはあまりにも異なったアレンジメントに一体何を思ったであろうか?

その年の2月から3月にかけて行われた日本公演を見にいく機会は残念ながらなかったものの、同年の8月に出たアルバムがラジオから流れた。曲によってはこれは新曲なのか?と勘違いするほどで、時折り聴こえる慣れ親しんだフレーズでようやくどの曲なのか判別がついた次第。

結局LPは当時購入に至らなかったものの、90年代に再発されたCDをようやく購入する。

しかしまだまだ違和感があって馴染めなかった。

さらに時は過ぎ去りそれから30年以上たった今、不思議な事に案外サクサクと聴ける。

年を重ねる毎に共にオイラも丸くなり、もうなんでもOK! 当時のディランの声が今では優しくいい感じに聴こえる。


サイケデリック・ムーブメントの中で

2023年12月13日 | Bob Dylan, Byrds, Band and etc.

ビートルズの1966年のRevolverや翌年のSgt. Peppersなどのアルバムが出てきてヒットしミュージック・シーンにサイケデリック・ムーブメントを巻き起こす。

アメリカでもバーズが1966年に意欲的な作品、Fifth Demensionsを発表したもののフォーク・ロック調だった前作を超えることが出来なかったため、作風をもう少し練り直す事に。

そして完成したアルバムが翌年のYounger Than Yesterdayで、バンド内の3人のソング・ライターがそれぞれ工夫を施し新しい一面を見せた。

ロジャー・マッギンとデビッド・クロスビーの関わった作品はそれまでのフォーク・ロックサウンドによりサイケデリックなアレンジメントが加わえ進化させ、とりわけクロスビーの作品はインド音楽に影響を受けたラーガ・ロックの入り口的なサウンドを示した。更にジーン・クラークがバンドから脱退したことによってクリス・ヒルマンが曲作りに精力的に参加し後年のカントリー・ロック的なサウンドを披露。

しかしながらアルバムは前作と変わらず全米23位の中ヒット、またこのアルバムに収録されたディランのカバー曲、My Back Pagesを巡ってマッギンとクロスビーが対立。クロスビー曰く、この曲を収録する事によって過去のアルバムの作風に回帰する事によってバンドの進化が見出せないと批判。この事が引き金になったのかクロスビーはバンドから脱退することに。

てな事でバンドのかっての人気を取り戻せず、メンバー3名になってしまったバンドのその後の方向性が定まらぬ事に…

ただディランがジミヘンのAll Along The Watchtowerのカバーがこの曲の最終形だと高評価したが、オイラもバーズのMy Back Pagesのカバーが最終形だと思うぐらい気に入っている。


やっぱりブルース・ロック、その5

2023年12月10日 | Bob Dylan, Byrds, Band and etc.

1966年にアルバム、Blonde On Blondeをヒットさせ数々のツアーもこなして精力的に音楽活動を行なっていたディランであったが、モータ・バイクでの事故で重傷を負ってしまい療養生活に入る。

その時期に心の中に何か期するものが、次のアルバム制作において作風にも変化が。

1967年の末に出た8枚目のオリジナル・アルバム、John Wesley Hardingは数曲ティール・ギターが登場するも基本ディランのアコギもしくはピアノにドラムスとベースのシンプルなトリオ編成のバンドで制作された。

(ジャケのデザインもいたってシンプル)

今回のアルバムはブルース・ロックと言うよりは、ディランが従来のフォーク・ロックにカントリーやブルースなどの味付けを施した事で穏やかでまた少々鄙びた印象も。ただ作詞には無法者のJohn Wesley Harding、Drifter(放浪者)、Lonesome Hobo(さびしい流れ者)やPoor Immigrant(貧しい移住者)など表舞台に登場しない社会の底辺の属する人々に視点を当てている。

ところで見張り塔から何が見えたって?

馬に乗ったJoker(道化)とThief(盗人)が今の境遇から抜け出す術があるはずだと会話しながらやってくるのが...

Princes(王子達=支配者階級)はその二人を見てある故事を思い起こす。

あの栄華を極めたバビロンでさえ滅んだ様に我々だっていつかは滅ぶって。

カントリー・タッチののんびりした味わいのアルバムと思いきや、ディランさん結構攻めてるね。


SACDとオジン

2023年11月18日 | Bob Dylan, Byrds, Band and etc.

レコードと比べると小型で扱い易く、その音質も半永久的として80年代に登場したCD。

しかし2000年あたりがCD販売のピークだったそうで、それ以降は徐々に生産量も減っていった。近頃はネット配信のサブスクやレコードの復権によってその存在感がさらに小さくなっている。

我が家でも一時はCDの収納スペースに困りプラケースを捨ててソフビの薄いケースに変えてみたものの、この収納方法でCD棚に置くと背表紙が見えず一見して一体何のCDなのか判別がつかず、もっぱらPCに収録されたデジタル音源をD/Aコンバータ経由でステレオ・アンプでアナログ再生している。

せっかく買ったのに全く使わないのは勿体無いと、再びCDの存在感を出すためプラケースを買い直し収納を仕直している今日この頃。

今日もCD棚を整理していたところ、ちょうど15年前SACDプレーヤーを買ったので何故か発作的に同時に買ってしまったディランのハイブリッドCDのボックス・セットが目に留まった。

てな事でディランの1965年の通算6枚目のアルバム、Highway 61 Revisitedを久々にSACDで味わってみる事に。通常音源のCDも持っていたんだけれどね… 

正直なところ比較するために通常音源を聴き込んでいるわけでもないし、そもそも老化による聴覚の劣化もあるのでその違いはよくわからない。

まあオジンとしては、ディランのターニング・ポイントとなった名作をSACDで味わう雰囲気だけでオーケーとしておきます。

オジンにSACD、宝の持ち腐れ。


セピア色の渋い奴

2023年10月17日 | Bob Dylan, Byrds, Band and etc.

その昔、コマーシャルでオレンジ色の憎い奴ってキャッチ・フレーズの夕刊紙ありましたっけ。

ただ、最新の出来事を次々とタイムリーに伝えるネット・ニュースの登場により、その日の午前中の出来事を伝える夕刊紙は少々時代遅れ。

夕刊紙の衰退が顕著になる今日この頃、かっての記憶が少しずつ消されていく感じでちょっと寂しく思う。

そんな中オイラとしてはセピア色の渋い奴を応援したいですね。

それは1969年のザ・バンドのセカンド・アルバム、The Bandの事。セピア色のモノクロ写真に写っているのは5人組の地味な出立ちの兄貴達。

ただレコードに針を落とすとそこにはアメリカの市井での様々な情景が描かれていて懐かしさを感じる。

ポップなサウンドかと言われればそうではないが、その渋みを何度も繰り返し味わうことによってなんとなく温かみや親しみが染み出してくる。

ロビーもついこの間あの世に旅立ってしまい、ガースのみが最後の生き残りとなってただただ寂しい限り、でもセピア色の渋い奴は永遠不滅と声を大にして言いたいね。