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CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

オイラのOld Fashioned School Days

2025年08月19日 | AMERICAN ROCK/POPS

スリー・ドッグ・ナイトは選曲の妙とでも言えるが如く、主に他のアーティストのそれほど目立たない名曲をどこからともなく引っ張り出してきて彼らのスタイルでカバーしヒット曲として世に送り出す再生工場みたいなバンドと言えるだろう。

彼らの1971年の5枚目のオリジナル・スタジオ・アルバム、Harmonyも同様の作法でアルバムは全米8位の大ヒット。シングル・カットされたポール・ウイリアムス作のOld Fashioned Love Songも全米4位に食い込んだ。

スリー・ドッグ・ナイトによるカバーは当時ラジオの深夜放送でよくかかっていたのを思い出す。ポールが歌うオリジナルも決して悪くはないのだけれど、彼らのカバーはラジオ・フレンドリーでより華やかなアレンジでテンポも良く一般ウケするように仕上がっている。

因みにポールの作品、We’ve Only Just BegunやRainy Day And Mondayなんかもカーペンターズがカバーし同様にヒットした。

ところでオイラの若かりし頃の当時、定期考査の最後の追い込みって事で深夜まで机に向かっていたものの鉛筆は全く動かずほぼ深夜ラジオ放送に注力していた様な…. そして翌日クラスで深夜放送のネタで盛り上がった。今から思えばあっという間に過ぎ去った学生時代だったが、将来のことも全く考えずに毎日が楽しかったし、まあ何とかなると変な自信があってそれほど心配していなかった。

それに比べて今の子供達といえば名門小学校や中学校を受験するために小さい頃から塾通い、それに大枚を投入しなければならない親も大変だね。


グレーテスト・ヒッツ

2025年08月18日 | AMERICAN ROCK/POPS

グループを引っ張ってきたギタリスト、ボブ・ウェルチがバンドから脱退し、リンジー・バッキンガムとスティーヴィー・ニックスが新たに加入し新生フリート・ウッドマックが誕生し、1975年にでたセルフ・タイトルのアルバム、Fleetwood Macは記録的な大ヒット、更に1977年の次作、Romoursはそれを上回る大ヒットさせた。

そして満を持して新生マックの集大成とでも言えるLP2枚組の作品、Tuskを1999年に完成させたが、LP2枚組の制作と言うことで少々冗長気味だったのか?、それともリンジーの作品にエッジが効きすぎた感があったのかアルバムの売り上げは落ちた。と言っても流石はマック、全英・全米チャートではそれぞれ1位・8位を獲得し、アメリカではダブル・プラチナ・ディスクに認定される大ヒットを記録した。

個人的にはTuskに関しては内容を厳選しLP1枚で出したならもっと売れたのではないかと…

その頃オイラも学校を卒業し就職する事となり、日々の忙しさにのんびりレコード鑑賞ってな余裕もなくなりその後彼らが出したアルバムもフォーローすることが無くなってしまった。

80年代も後半となると世の中CD時代となり、久々のマックってことで1988年にでた彼らのGreatest Hitsなるアルバムを買ってみた。ちょうど1975年の新生マックの頃から、1987年にリンジーがバンドから脱退し新たな2人のギタリストが加わった1988年の第2期新生マックまでの計17曲(内2曲が第2期マックによる新曲)が収録されている。早いもので買ってからもう27年も経つこのCDを久々に聴いてみる。

(新生マック、第1期と2期の揃い踏み。)

ベスト・アルバムと言うとヒット曲だけが網羅されていて曲の並びによっては大味になる場合があるが、このCDに関してはそんな印象はなく最後までサクサクと聴いていける。

これもバンド内に3人のソング・ライターがいてマックのバンドとしての音楽嗜好の範疇内ではあるが3者3様の異なったスタイルの曲が並び飽きが来ないのだろう。


夏といえば、やっぱりビーチ・ボーイズが定番だけれど?

2025年08月05日 | AMERICAN ROCK/POPS

暑い~。いや本当に暑い!

連日最高気温が40度近くに跳ね上がり、雨も全く降らずオイラは干物のように干からびた状態。

まだ8月が始まったばかりで、9月になっても残暑が続くと思うとやり切れない。

ビーチ・ボーイズの1974年に出たコンピ・アルバム、Endless Summerは1962年から1965年の初期サーフィン・ホット・ロッド系を中心に20曲を収録。全米チャート1位を獲得しでミリオン・セラーとなった。夏の季節よ、終わらないでくれって付けられたタイトルだったと思われるが、それから50年経ってまさかの連日記録的猛暑の続く今、Endlessって言われれば耐えられないね。

No More Hot Summerって改題してほしいくらい。


SRSって?

2025年08月03日 | AMERICAN ROCK/POPS

本日はニール・ヤングのアルバム、Oceanside Countrysideでも。

今でもガンガンとアルバム出しているけれど、ほとんどは未発表音源収録のアーカイブ的なもの。

昨年アーカイブズ、Vol.3なるボックス・セットが出たけれど結構なお値段だったのでボンビーなオイラはスキップ。そして今年4月になってそのボックス・セットに収録された1枚のCDがSRS(スペシャル・リリーズ・シリーズ)と称して別売りされた。ジャケはほぼ同じであるが曲順や収録曲のバージョンが異なるそうなので、ニールの作品おコンプリーストではないオイラとしては話の種って感じで買ってみた。

売りは1977年に9枚目のアルバムとして発売される予定がお蔵入りとなってその代わりにアルバム、Comes A Timeが翌年に発売されたという触れ込みの幻のアルバムとなっている。

Comes A Timeの頃はフォーキーかつカントリー風味の穏やかなニールだったので同じような雰囲気が味わえるかな。

ただニールの気紛れなのか、若しくはレコード会社が販売を許可しなかったからなのか、ニールのカタログにはこの手の幻のアルバムが他にも存在する。実質このアルバムに収録された曲は後のアルバムに数曲づつ分配され日の目を見て、それ以外の何曲か未発表曲という形になっている。

ニールの作品をコンプリートに収集していて、既にアーカイブズ、Vol.3購入した人にとっては余計な出費となり悩ましい作品ではある。

ただここの所70年代に活躍した多くのアーティストの訃報を聞くと、今でも精力的に活動を続けているニールには敬意を表し微力ではあるがお布施させていただきたい気持ちだ。


元は英国出身のブルース・バンド

2025年07月28日 | AMERICAN ROCK/POPS

70年代の初め頃、英ブルース・バンド、サヴォイ・ブラウンから脱退した3名にもうひとりギタリストが加入し4人組でスタートしたのがフォガット。

彼らはアメリカのベアズヴィル・レーベルと契約し1972年にアメリカでアルバム・デビューする。イギリス出身とは思えないほどカラッとシンプルでちょっぴりポップなハード・ロックはアメリカ受けした。

その彼らが1975年に出した5枚目のスタジオ・アルバムがFool For The City。アルバムチャートは全米23位を記録し、彼らにとって一番ヒットしたアルバムとなった。

(よしなさいってば。いくらFool For The Cityでもここじゃ絶対釣れないし、交通妨害で捕まっちゃうよ!って感じかな?)

複雑な構成のプログレ・ロックも悪くないけれど、無意識に体がシェイクするシンプルなロックも捨てがたい。


クリスタルの謎って?

2025年07月19日 | AMERICAN ROCK/POPS

ロンドンで活動をしていた英ブルース・バンド、フリートウッド・マックからブルージーなサウンドを得意とする設立メンバーのピーター・グリーンらが脱退し、イギリスではその人気が急落したもののサウンドをポップよりに転換した中期のマックはアメリカ・マーケットでは徐々に認知されるような中堅バンドに変身。

ギタリストのジェレミー・スペンサーが脱退後はダニー・カーワンやボブ・ウエストンらが途中加入組のギタリストたちが気を吐いたものの、その彼らも脱退。

メンバーはバンド結成時からリズム・セクションを形成してきたオリジナル・メンバーのミック・フリートウッドとジョン・マクヴィーと途中加入のクリスティン・マクヴィーとボブ・ウェルチの4名となった。

その彼らが1974年に出したアルバムがHeroes Are Hard To Find(クリスタルの謎)だった。それまで本国同様日本のレコード会社は忠実に彼らのアルバムをプレスして来たのだが、このアルバムに限って日本じゃ売れないと判断したのか発売は見送られた。

(1974年、デザイナー、デスモンド・ストローベルによるジャケ第一弾、クリスタルの謎)

翌年マックは脱退したボブ・ウェルチの後任に新規メンバーのリンジー・バッキンガムとスティヴィー・ニックスを加入させアルバム、Fleetwood Macを出したところこれが大ヒット。それまでバンドに曲を提供してきたクリスティーンに加えて2人のポップな才気溢れる新たなシンガー・ソング・ライターが加わりより三者三様のバラエティーに富んだポップな作品に仕上がったことがヒットにつながったと思う。

じゃ、その前の4人組でのアルバムの内容が悪かったのかと言うと、全11曲中3曲を提供したクリスティーンの曲の出来はその後のアルバムと比べても遜色のない出来であるし、残りのボブ・ウェルチ作もその後のヒットした彼のソロ時代に繋がる作風で悪くはないないんだけれどね。

邦題のファンタスティック・マックの通り、新作アルバムのまさかの大ブレークによりついに1977年本作は日本で来日記念盤として発売されることに。

ところでなんでアルバムの邦題に無関係のクリスタルが登場するのかって言うと、多分未発アルバムの復活を引き起こしたクリスタル様様ってことかな? 

大ヒットしたアルバム、フリートウッド・マックのジャケでジョン・マクヴィーがクリスタル・ボールを上に放り投げている写真なのか、はたまたスティヴィーが作ったCrystalがそのアルバムに収録されていたことが関連しているからなのか?

もしそうであれば、謎でもなんでもない安易な発想ですかね。

(1975年、デザイナー、デスモンド・ストローベルによるジャケ第二弾、ファンタスティック・マック)

(1977年の第三弾、噂)


安定のブレッド

2025年07月16日 | AMERICAN ROCK/POPS

70年代の初め頃といえば、日本では映画のサントラと同様にカーペンターズを筆頭にソフト・ロックなるジャンルが人気だった。

清涼感あふれポップで聴きやすくノー・ハームな歌詞は万人に受け入れられた。

ブレッドもそのうちの一員で日本でもヒット・シングルが色々出ていて、ハード・ロックやプログレ・ロックを手に聴いていたオイラも彼らの作品を箸休めに聴いていた。

本日は彼らの1971年のサード・アルバム、Mannaでも。

ヒット・シングル、Make It With Youを収録した セカンド・アルバム、On The Watersと大ヒットしたフォース・アルバム、Baby I’m-A Want Youに挟まれ確かにちょっぴり地味な存在のアルバムではあるが、ヒット・シングル、If を筆頭に他の美しいバラード曲など安心して聴ける。

バンド名のごとく、ブレッド(生きるための糧)は普段は地味な存在ではあるがそれぞれが人生を送るにあたって不可欠となものって言っているような….


渋い〜

2025年07月16日 | AMERICAN ROCK/POPS

1974年セルフ・タイトルのPhoebe Snowでシェルター・レーベルからデビューし、その素晴らしい歌唱で通をうならせた。 ジャズ、フォーク、ファンキーはたまたブルージーとバラエティーに色付けされたポップな自作曲を歌うシンガー・ソング・ライター兼ギタリスト。 

そのアルバムは全米チャート4位に輝く大ヒットを記録、シングル・カットされた Poetry Manも大ヒットを収めたものの、シェルター・レーベルとのトラブルでCBSレーベルに移籍。

本日はそのCBSから1976年に出た通算3作目にあたる、It Looks Like Snowを久々に取り出す。

本作では6曲の彼女のオリジナル曲にビートルズのDon't Let Me DownやファンキーなShaky Groundなど4曲のカバー、計10曲を収録。

やっぱり歌が上手い。難しい曲もさらっと歌いこなす彼女のユティリティー性の高い歌唱力が売りですかね。

ほんと、渋いね。 

 


せっかく買ったのだから聴いてみたら?

2025年07月14日 | AMERICAN ROCK/POPS

ここの所バタバタしていて、中々時間をかけてじっくりと音楽を味わう機会がない。

特にYouTubeで聴いて気に入ったので新品の再発盤を色々買ってみたものの、開封せずにほったらかしにしてしまっているレコード盤がたくさんある。

本日はアメリカのパンク・バンド、テレヴィジョンでも。

70年代の初め頃にリーダー格のトム・ヴァーレインを中心にバンドが結成され、1974年にはライブ活動で実力を示し、そしてその2年後にメジャー・レーベル、エレクトラと契約。1977年には待望のファースト・アルバムMarquee Moonを出す。これが玄人受けし人気を博すも後が続かない。そしてその後更にスタジオとライブ・アルバムそれぞれ1枚ずつ出したものの活動を休止。

活動休止後トムは新たなメンバーを加入させ再結成や活動休止と繰り返していくことに。

彼らのファースト・アルバムは別格でパンク・バンドに詳しくないオイラもYouTubeで音源を聴いてつい買ってしまった。

ただLPレコードを開封しちゃうとその後レコードの盤面を掃除したりと結構面倒なので、当分はYouTubeで手軽に音源を楽しむという相変わらずグータラでケチくさいオイラであった。


無意識に踊り出す楽しいアルバム

2025年07月09日 | AMERICAN ROCK/POPS

1981年に出た、アトランティック時代の3枚を含めた彼らの10枚目のスタジオ・アルバム、Private Eyesは前作のVoicesの作風を踏襲し更にパワー・アップした作品だ。

全体的のポップ度が高く彼ら得意の一連のR&Bやブルー・アイド・ソウルにテクノ・ポップのふりかけを塗した路線でのピークにあたる作品だと思う。

個人的にはテンプテーションズに捧げたと思われる、ノリノリ・ソウル、Looking For A Good Signが流れると踊り下手なオイラでも自然に踊り出す。これが1985年のテンプテーションズのメンバー、デビッド・ダフィンとエディー・ケンドリックスを共演を果たしたLive At The Appoloにつながる。

アルバムは全米5位にランクされ、シングル・カットされたPrivete EyesIと I Can’t Go For That (No Can Do)はそれぞれチャート・トップを飾る大ヒット作となった。

怪しい二人組


リバー・オブ・ドリームス

2025年06月27日 | AMERICAN ROCK/POPS

本日はビリー・ジョエルの1993年の12枚目のスタジオ・アルバム、River Of Dreamsでも。

彼にとってはスタジオ録音による最後のポップ・ロック・アルバムでもある。その後はライブ活動が中心となる。ポップ・ロック系の曲の作詞・作曲に関してはもうやり切ったって意味だろうか…

往年のヒット曲、Piano ManやJust The Way You Areのような聴き心地抜群のバラード曲はないけれど、ロック色の力強い曲だけでなくアフリカン・サウンドやピアノ・バラードもあって地味ながら全体的にしっかりまとめられていて、最後にFamous Last Wordが登場しいかにも最後のポップ・アルバムって構成。

アルバム・チャートでも全米1位に上り詰めマルチ・ミリオンのセールスを記録。

このCD買った時はそれ程聴かずに印象薄かったけれど、今回何度も繰り返し聴いて”いいね”って思った次第。

最初は小川の流れに身を任せやがて川幅は広がり最後は海へと注がれる。

ああ〜 人生は川の流れのよう。

今一体どのあたりをオイラは流れているのだろうか? もう少し漂っていたいな。


何故か日本でウケる癒しの一枚

2025年06月24日 | AMERICAN ROCK/POPS

ライ・クーダーの1982年の10枚目のスタジオ・アルバム、Slide Areaは不思議なアルバム。

いつも通りのライのギターを中心とし独自の解釈のR&Bやテックス・メックス・サウンドを散りばめたアメリン・ルーツ・ミュージックはシンプルに仕上がった。

何故かお膝元のアメリカでは何故かチャート100位以内に食い込むことが出来なかったが、驚いたことにこのマニア向けのアルバムが日本のオリコン・チャートで76位と何故か本場を凌ぐ人気作に。

当時このアルバムの日本盤には、日本の某オーディオ・メーカーCMソングとして制作されたAcross The BorderlineとBig Cityの2曲がボートラとして収録されていて、いずれもテレビでオン・エアーされていたっけ。ただこれらを目当てに購入って言っても本作に劣らず結構地味で….

オイラの仮説としては、60年代から70年代にかけて戦後の日本を復興をスローガンとしてさせるため脇目も振らず一心に駆け抜けて来た。ただ1979年に起こった第二次オイル・ショックに見舞われた日本。あれだけ頑張って来たのにイラン革命一発で日本の右肩上がりの成長のブレーキがかかり、経済基盤がこんなに脆いものなのかって思い知らされた。

ちょうどオイラも大学を卒業しいざ就職って時期でどの企業も採用枠をかなり絞ってしまい中々内定が出ずに落ち込んでいたっけ。

そんなこともあって80年代になって暫し立ち止まり個々の価値観を多様化させて行き、このアルバムにもスポット・ライトが当たったのかな?

むむ〜


ニコニコ笑顔で

2025年06月16日 | AMERICAN ROCK/POPS

ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンが先日お亡くなりになられたという事で今回はその追悼として1967年の彼らの12作目のスタジオ・アルバム、Smiley Smileでも味わってみることに。

元々はSmileというタイトルのアルバムでブライアンが全面的に制作を担当し1967年5月に発売の予定だったそうな。

このアルバムでは基本的にブライアンの単独作の曲とマイク・ラブやヴァン・ダイク・パークスらとの共作曲が収録され、ブライアンの指揮の元スタジオに集められたセッション・プレイヤーによって演奏がレコーディングされ、演奏をビーチ・ボーイズの面々はもっぱらボーカルやコーラスを収録する分業体制を取っていた。

てなことでレコード制作による負荷のかなりの部分はブライアン個人が受け止めなければならなかった事は間違いないし、更にブライアンの完璧主義とあまりの繊細さ過ぎる性格が災いしたのか思ったようにレコードの制作が進まない時は精神的に参っていたのではないかと思える。

結局1967年の5月にアルバム、Smileの制作は頓挫する事に。そこで、先行発売された大ヒットしたシングル2曲、Good VibrationとHeroes And Villainsを軸にSmileプロジェクトに残された断片を拾い集めてSmiley Smileというタイトルで1967年9月に完成させた。

寄せ集めってことで一聴するとやっぱり散漫な印象を感じるが、じっくり聴き込めば60年代末のサイケデリックな味わいもあってこれはこれでビーチ・ボーイズの音楽活動のヒストリーにおける貴重なピースだと思う。


地味だけれど味がある

2025年06月14日 | AMERICAN ROCK/POPS

初期のフリートウッド・マックといえばブルース色の濃いイメージがあったが、ピーター・グリーンとジェレミー・スペンサーがバンドから脱退してからは何となく淡白なサウンドになってしまったかな。

ただバンドに残ったダニー・カーワンがイニシアティブを取り5曲、クリスティン・マクヴィーとボブ・ウェルチがそれぞれ2曲提供し制作された1972年の6枚目のアルバム、Bare Treesは一味違う仕上がりに。

ダニーの作品を中心にポップでまたロック色が強まり彼の地の嗜好にマッチしたのかアルバムは全米チャート70位にランクされ久々にチャート・インして気を吐いた。

後にボブ・ウェルチがソロ・デビューしSentimental Ladyを再録して大ヒットさせた事から後追いでマックのファンになった方々にはどうしてもこのアルバムでもボブに注目がいってしまいがちだが、地味をこよなく愛するオイラとしては本作はダニー・カーワンの功績が大きいと声を大にして言いたいね。

キリッ。


60年代末のファンクでも

2025年06月10日 | AMERICAN ROCK/POPS

本日はファンクの伝道師、スライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンでも。

60年代中頃、従来のソウルから派生したポップで活気あふれるファンク・ミュージックを持ってシーンに登場、1968年のサード・アルバム、Lifeがヒットし注目を集めた。

更に翌年の大ヒット・アルバム、Standで人気を固め70年代に向けて新たなソウル・ミュージックの一つの道標となった。よく言われるのが彼ら無くして後のスティーヴィー・ワンダー、EWFやプリンスなどは存在しなかったのではなどと….

そのスライ・ストーンが亡くなったとの記事を今日読んだ。

普段あまりファンク・ミュージックは聴かないのではあるが、彼らのベスト盤が我が家にも一枚だけ存在するので敬意を評して聴いてみた。

1969年に発売された彼らのGreatest Hitsを日本でボックス・セット内の一枚として80年代に再発されたコンピ盤で、70年代に出た大ヒット・アルバム、There’s A Riot Goin’ On以降の曲は収録されす、セカンドからサード・アルバム及びシングルで出した60年代の全11曲が収録されている。

(収録曲数は何故か1969年のグレーテスト・ヒッツから1曲少ない11曲、ジャケは1973年に日本で独自に制作したグレーテスト・ヒッツからの借り物、但しその写真をカットして使用しているので5人しか写っていない代物)

いや~ 懐かしい。これを聴くと体が反射的にリズムを取りだすね。