CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

今日で2月もおしまい

2023年02月28日 | American Hard Rock

本日のお昼は春めいた陽気でちょっと爽やかな気分。

久しぶりにグランド・ファンクの1973年のアルバム、We’re An American Bandを取り出す。

アメリカン・バンドらしくシンプルで明快。カラッとしたサウンドがこれまたスッキリ爽やかな気分に…

メンバーの皆さんも既にスッポンポンの出立ちで一足早く春めいております。

 


ポスター

2023年02月27日 | 特になし

昔レコード・ショップで新譜を買うと特典として先着何名様に特製ポスター進呈なんて楽しみがあった。

通販で買うようになって流石にその手の特典は少なくなった。

大型ポスターを配るとなると郵送料がかかり、さらに配送中にポスターにダメージが無いようにするための梱包材料も必要となり、それらのコストを考えるとおいそれと粗品感覚で配ることが出来なくなってしまったのだろう。

そんな中、我が家にも以前何かの特典で貰ったポスターが5枚あるのだが、裏返しで筒の形で丸めてあるので一体どんなポスターだったのかがいまいち記憶にない。

中身を見ていくとビートルズ物が4点、残りはベック、ボカート・アンド・アピスだった。

ジェフ・ベックが亡くなって1ヶ月と少し経つ。遅まきながら追悼の意を表し彼らのポスターでも部屋に飾ろうではないかと思いたつ。

サイズを図ると約73cmx52cm。てな事でB2サイズのポスター・フレームを買いに近所のホーム・センター出かけた。そのショップで一番安いアルミ・フレーム・タイプを購入。お値段税込1980円。

オォ~! 日本公演の勇姿が別の角度見られて中々いいじゃん。

と思いきや、うなぎの寝床のような集合住宅の我が家にはこのサイズのポスターを引っ掛ける適当なスペースが見当たらない。

玄関に飾ってある絵の額縁を外せば、何とかなるものの宅配業者が玄関の扉を開けるとB B A がお出迎え!ってのも何だかな~

仕方がない。

ポスターは元通りにぐるぐる巻きにして、フレームは物置きで待機って事で…


7インチ・シングルでも、その10 L’Amour Est Blue

2023年02月26日 | Euro Pop

最近中古のレコード高くなったね。

なんちゃらオフに行くと、昔なら帯がなくジャンク扱いでもそこそこ程度がよいLPが1枚100円で売っていた。シングルなら10−50円ぐらいだったかな?

今ならそんな価格では売っていなくて、本当のジャンク、捨ててもいいぐらいのゴミ扱いのコンディションでもそこそこの値段がついている。

てな事で最近はレコードや巡りはあまり行く事も無く、本当に欲しいものは通販で買うことの方が多くなった。

たまに怖いもの見たさで、オークションでレコード大量とか福袋的な出品に入札を試みることも。

オークション・サイトの出品者が掲載している代表的な写真数枚を見て、これは当たりかな?と推測して落札するも、写真に載っていない大半のレコードは特に興味のないジャンルであったり、ダブりはたまたジャンク・コンディションのレコードとなる。

ただ、たまに思いがけない発見がある。

今回は恋はみずいろ。L’Amour Est Blue、なるほど直訳で恋はみずいろ。学生時代に第二外国語として履修したフランス語がようやく役に立ったみたい。

1枚370円。この頃は日本ビクターがフィリップス・レコードを扱っていた。

Wikiによるとギリシャ生まれの彼女が、1964年に初ドイツでアイドル・シンガーとしてデビュー、1967年のユーロ・ビジョン・コンテストでルクセンブルク代表としてこの歌をフランス語で歌い見事4位に入賞と結構インターナショナルな活動していたみたい。

日本ではポール・モーリアのインスト・バージョンが有名だが本作のフランス語での歌唱も中々趣がある。

因みに、オークションで購入してダブっていたシングル盤数十枚をなんちゃらオフに持って行くと、1枚30円の値がついた。

その後そのショップ覗いてみると、我が手元から離れたレコード達は新しいビニール・カバーに包まれて何とお値段500円…

やっぱり実店舗で販売するからそういう値付けになるのは仕方ないのかな?

恋は空のように透き通った水色なのに、我がレコードへの愛はあまりの値差にちょっぴりブルーになる。


7インチ・シングルでも、その9 今日は土曜日

2023年02月25日 | BRITISH ROCK

S ・A ・T ・U ・R ・D ・A ・Y  Night! S ・A ・T ・U ・R ・D ・A ・Y  Night!なる掛け声から始まるノリのいい曲、ベイ・シティー・ローラーズの最大のヒット曲、Saturday Night。

(1976年の再発盤は、Bye Bye Babyとのカップリング)

(米コロンビア・レコードの社長だったクライブ・デイヴィスが解雇され、コロンビアレーベルの傘下だったアメリカン・ポップ系レーベルのベル・レコードを母体に新たにアリスタ・レーベルを設立。)

ティーン・エイジャー、特にミドル・ティーン向けのアイドル系ポップ・バンドだったので、当時ハード・ロックやプログレを主に熱心に聴いていた私としては、AMラジオから時折流れる彼等のヒット曲をたまに耳にする程度だった。

この曲、1974年のファースト・アルバムにノビー・クラークのボーカルでレコーディングされたがヒットせず、レスリー・マッコーエンにボーカルがメンバー・チェンジした1975年末に再録されたバージョンが翌年全米1位獲得。

全米1位になるって、無視できない何かがある。

そう! 明るくポップに弾けて元気でます。

本日、土曜日の朝はかかりつけの医者でオジン向け定期健康診断(血液検査、尿検査、心電図とその他諸々)、血液検査の結果は来週だけれど他は特に異常なし!

今夜はノリノリでフィーバーといってみたいね。

バリー:呼んだ?


7インチ・シングルでも、その8

2023年02月24日 | BEATLES-BADFINGER関連

ジョン・レノンの1970年に出たシングル盤、Motherから遡ること6年、1964年の12月ビートルズは4枚目の英オリジナル・アルバム、For Saleを出した。

当時はコンサートやレコーディングなど、スケジュールがぎっしり詰まっていて、クリスマス商戦に間に合わせるにはアルバム全てを彼等のオリジナル曲で埋めるのは時間的に困難だったようで、カバー曲が多く取り入れられた。

中でもチャック・ベリーのRock And Roll Musicのカバーはジョンのボーカルが非常にパワフルでまた演奏にも躍動感もあって、日本ではシングル・カットされて発売されこれが大ヒット。

やっぱりロックンロールはいいね。


7インチ・シングルでも、その7

2023年02月23日 | BEATLES-BADFINGER関連

祝日の朝からちょっと重苦しいのを一発。

1970年、ビートルズ解散後のジョンレノンの第一弾ソロ・アルバム、John Lennon/Plastic Ono Bnd(ジョンの魂)が出た。そこからシングル・カットされたのはMother。アルバム未収録のシングル盤を入れると解散後通算で4枚目となる。

因みにアメリカでシングル・カットされたMotherはシングル・エディット仕様で収録時間は短縮されて3分55秒となっているが、何故か日本盤は収録時間が5分32秒のアルバム・バージョンが採用されていて、日本のジョン・レノン・ファンのみ、冒頭の教会の鐘が聞こえる特典が漏れなく付いてくる優れもの。

なぬ~、教会の鐘の特典要らないって?

確かに、今時除夜の鐘も要らないって人が多いみたいだからね。

さらにこのシングルを買えば、B面にはオノ・ヨーコ氏作のWhyが漏れなく付いてくる。

ロック・サウンドをバックに例の金切り声でWhyとだけ連呼するアバンギャルドでかつパンキッシュなサウンドが何と5分30秒に渡って楽しめる特典が…

ただ何故かこの曲アメリカで放送禁止となり、Motherのチャート・アクション(全米43位止まり)の足を引っ張ったてな記述がWikiに…

彼女の芸風に好き嫌いの議論はあるが、今から思えば当時としては結構最先端行ってって、理解されるには少し登場が早すぎたのかな?


7インチ・シングルでも、その6

2023年02月21日 | BRITISH ROCK

1963年、キーボードのロッド・アージェントは中心になって結成されたThe Zombies。

当時シングル・カットされたShe’s Not Thereなどがヒット・チャートに進出し、その名をあげた。

その後しばらくはヒット恵まれず、ようやく1968年の第2弾のスタジオ・アルバム、Oddesey And Oracleからシングル・カットされたThe Time Of The Season(ふたりのシーズン)が大ヒット。

今聴けばアレンジは少々古めかしいと感じるかもしれないが、現在でも十分通用するような輝きがそこにある。

The Zombiesといえば60年代、日本ではグループ・サウンズのザ・カーナビーツにカバーされた、I Love You(好きさ好きさ好きさ)が有名だが、本家本元のサウンズも中々よろし~


7インチ・シングルでも、その5

2023年02月20日 | AMERICAN ROCK/POPS

バリー・ホワイトが曲の提供しプロデュースした女性3人組のボーカルグループがラブ・アンリミテッド。

その彼女たちをバック・アップするために1973年にオーケストラ、ラブ・アンリミテッド・オーケストラが結成された。

その記念すべき第1作のアルバムからシングル・カットされ全米1位の大ヒットを飾ったのはオーケストラによるインスト・ナンバー、Love’s Theme。

通常インスト・ナンバーで全米1位となるのは非常に稀で、メロディーとそのアレンジが群を抜いていたと言える。

その昔香港に仕事で出かけた時は結構キャセイ・パシフィック使っていたので、これを聴くとその当時をよく思い出す。特に啓徳空港時代は離着陸に九龍城の真上を低空で通るコースで迫力があった。

以前の香港は何処もかしこも猥雑さに溢れていて、街を彷徨くだけでも非常に魅力的だった。

それも今や昔、名ばかりの一国二制度で中国に吸収されてしまったかって東洋の真珠、香港はこの後一体どこに行くのだろうか?

 


7インチ・コンパクト盤でも

2023年02月18日 | BEATLES-BADFINGER関連

なぬ~! ラバー・ソウルからはシングル・カットなしって?

ラバー・ソウルが日本で発売された1966年(昭和41年)頃の大卒初任給は大体2万円台。当時のビートルズのファンは若者が中心だったから、やっぱりその世代の人にとってはLP1枚の購入金額の1500円支出は結構厳しかったと思う。

せめてシングル盤でも出れば彼等の最新アルバムの触りを味わえたのに。ラジオ局にハガキを出し曲のリクエストでもしてお茶を濁すしか無かったのか…

そこに日本独自企画の33回転7インチ・コンパクト盤が登場した。当時日米でシングルとして発売されたNowhere Man/What Goes Onにアルバム、ラバー・ソウルからMichelle/Girlがカップリングされた計4曲入りでサイフに優しいお値段500円!

ラバー・ソウルの触りが味わえ、さらにアルバム未収録のシングル、Nowhere Man/What Goes On買う必要もなくなり、いや〜助かりましたって人当時多かったのでは?

因みに、この手の日本独自規格のコンパクト盤は1967年以降発売されなかった。

ビートルズ聴きたきゃアルバムとアルバム未収録シングル買って下さいと言う強気のマーケティングの御布令が本国から出されたんですかね?


7インチ・シングルでも、その4

2023年02月17日 | AMERICAN ROCK/POPS

昔は男性化粧品のマーケットってかなり小さくて、ポマードとかチックで髪の毛を固めるぐらいしか無かった。

60年代の終わりあたりから資生堂がMG5のブランドでマーケットを開拓し始めたが、やっぱり一番インパクトがあったのは丹頂が売り出した男の化粧品シリーズ、マンダムだったのでは…

大袈裟ではなく業界ではちょっと革命的だったかな?

1970年、TVのコマーシャルに大物映画俳優、チャールズ・ブロソンを起用し男臭さを演出し、男性も化粧品を手に取る時代が来た。

そのCMのバック・グラウンドに使われたのがアメリカのカントリー・シンガー、ジェリー・ウォレスが歌う鮮烈なる男のフィーリング、ご存知”マンダム~男の世界、Mandom-Lovers Of The World”。

MG5の団次朗のクールで都会的なイメージと真っ向勝負のカントリーな男臭さを演出

歌詞の中に商品名のマンダムが入る完全なプロモーション・ソングにも関わらず、日本では大ヒット。

ブロンソンやっぱりカッコ良かったです。

ム~ン、マンダム!ってところだけ真似してましたね。

それでは皆さんご一緒に、マ〜アァン〜ダム〜♪


7インチ・シングルでも、その3 間違い探し

2023年02月16日 | 特になし

シングル盤のエラーと言えばやっぱりビートルズのアレですかね。

堂々とStereoって書いてあるのに実際の音源はMono。

この頃のレコーディングはすでに8トラックの機材が使われていたのでホワイト・アルバム以降、LPはステレオ仕様で統一され、それまでシングル盤はずっとモノ音源だったのが、1969年に出たジョンとヨーコのバラードからこれまたステレオ仕様となった。

時系列で見てみるとそれより後の発売されたLet It Beのシングルはステレオであるべきだが、何故か東芝音工による初回プレスのシングルはモノだった。

モノ仕様でプレスされたのかについてはいろいろ諸説あるみたいだが、すでにジャケットはステレオの表示で大量に印刷されてしまっていた事から、ステッカーで隠さずそのまま発売に至ったと推測される。

まあこの辺りは結構有名な話なので多くのファンは承知されていると思う。

本日はジョン・デンバーのTake Me Home, Country Roadsのシングル盤のエラーについて語ってみよう。

Almost Heaven, West Virginia~♪

Blue Ridge Mountains, Shenandoah River~♪

って歌われるお馴染みの歌だけれど、1973年の日本盤再発シングルの歌詞カードには2行目のBlue Ridge Mountains, Shenandoah River~♪がBlue Ridge Mountains, shine and go a riverって書かれている。

日本盤発売にあたって歌詞カード制作する際にShenandoah River知らなかったから、編者がちょっと意味不明と感じながらもshine and go a riverって置き換えたのかな…

タモリ倶楽部の空耳アワーて感じですかね。

因みに、1972年に出た日本編集のジョン・デンバーのベスト物LPと翌年に出た7”コンパクト盤を調べてみるとその歌詞カードにも同じ表記とshine and go a riverが大量発生!

多くの日本人がShenandoah Riverも知らないのは仕方がなくもないが、当のShenandoah Riverとしてはメンツ丸潰れ。


7インチ・シングルでも、その2

2023年02月13日 | BRITISH ROCK

コンサートなんかで歌手がヒット曲をメドレーで歌うと結構盛り上がる。

1977年、平野雅昭が出した演歌チャン・チャカ・チャン、有名な演歌をメドレーで歌いその繋ぎにチャン・チャカ・チャンと歌い次の曲を歌い出す。当時テレビなんかにも出て結構ヒットしたね。

また洋楽では、1981年にフィリピンのバンド、Stars On 45がビートルズの曲を中心にしたメドレー曲、邦題ショッキング・ビートルズ45を出して大ヒットしたのを覚えている。

このメドレーの売りはやっぱりボーカルの声質がビートルズとよく似ていた事ですかね。

海外のホテルのラウンジなんかでハウス・バンドとしてよく演奏していたのは大概フィリピンからきたバンドで、彼等は英語で違和感なしに歌えるのがアドバンテージで、モノマネも得意。

ちなみに最近特に印象に残っているフィリピンのミュージシャンと言えば、有名どころではジャーニーのボーカル担当のアーネル・ピネダ。それ以外では私のお気に入りはの兄弟で結成しているバンド、Reo Brothers。

彼等はビートルズやビー・ジーズ、ビーチ・ボーイズやその他60−70年代のヒット・ソングをオリジナルに近い形でカバーしてYouTubeにアップしている。彼等の演奏結構いけてます。

本当、フィリピンの人は芸達者。


7インチ・シングルでも

2023年02月12日 | JAPANESE

1970年と言えば、大阪で万国博覧会が開催され、その年の末注目の国際的音楽祭、第一回東京国際歌謡音楽祭も開催と相なった。

ようやく日本の音楽祭も世界に打って出ることに、そして第一回の栄えあるグランプリ受賞曲はイスラエル出身のデュオ、ヘドバとダビテが歌唱する”ナオミの夢”だった。

まだ生まれる前でこの曲を聴いた事のない人ならば、この曲のイントロがスタートすれば思わずワン、ツゥーとカウントし敏いとうとハッピー・アンド・ブルーのヒット曲“星降る街角”を歌い出すかも知れない様な親しみ易いビートに乗ったメロディーのこの曲は日本でもヒットした。

久々に聴いたら結構新鮮に感じ都合四回連続して皿回す事に...


50周年おめでとうございます

2023年02月11日 | PROG ROCK

ピンク・フロイドの8枚目のオリジナルアルバム、The Dark Side Of The Moon(狂気)が発売されたのが1973年の3月てな事で、遂に発売50周年を迎える事となった。

レコード会社も抜かりなく50周年記念として高額BOXセットが出るそうな。

多分新規リマスターは施されているかも知れないが、基本的には2011年のリマスター・プロジェクトと同じ音源だと思うし、それ以上に一般的なファンの私なぞは到底手の出ない価格設定なので当然の事ことながら無い袖は振れないのでスルーすることに。

とは言え、せっかくの50周年、発売当時に買ったレコードでも聴いて個人的にささやかではあるがお祝いでもしようではないか。

プログレ・バンドなる彼らの存在は知ってはいたが、70年代初頭となるとビートルズ、エルトン・ジョンやサイモンとガーファンクルなど一般的なポップ・ミュージシャンのLPを買い求めていてプログレまでは手が回らなかった。

とある日曜日の昼下がり、FMラジオからレジスターの音にベースがシンクロしてかぶさりスタートするユニークな曲、Moneyが聴こえてきた。

コ、コッ、コレは一体! 

プログレ・ロックってもっと研ぎ澄まされた感覚で聴くものと言う先入観があって、正反対のこのユルユルさがなっとなく気持ちをリラックスさせるような効果がある様な気がして、即近所のレコード屋に走った。

当時親から買ってもらったステレオ・プレイヤーは10数年後経年劣化で廃棄処分。その後長い年月が過ぎ去り10数年ほど前に新たにオーディオ・セットを買い求めた。

50年経った今、当時のレコードであの時のMoneyを聴くとは、非常に感慨深いものがある。

Moneyによって、オイラも彼等の発信する周波数とようやくシンクロ出来たのであった。


一人で行けるさ

2023年02月10日 | ELTON JOHN

エルトン・ジョンはアルバム、A Single Manを前作、Blue Movesから2年後の1978年に彼のロケット・レーベル第2弾として久々に出すことに。

バンド・メンバーもギターのデイビー・ジョンストンとパーカションのレイ・クーパーを除いて全員入れ替え。

更にそれまでエルトンのほとんどの曲の詩を書いてきたバーニーの代わりに、ゲイリー・オズボーンと組むことに。ゲイリーといえばヴィグラスとオズボーンと言うデュオ・グループで活動し1972年に彼らのアルバムからシングル・カットされた”秋はひとりぼっち”が日本でもヒットしたので覚えている人もいるだろう。この曲はForever Autumと言うタイトルでムーディー・ブルースのジャスティン・ヘイワードがカバーしている。

アルバムはそれまでと比べると少々地味と取られたのか、全盛期のアルバムの初登場1位と比べると物足りないかもしれないが、それでも全英/全米のチャートでそれぞれ8/15位と健闘したと思う。

肝心の中身もじっくり聴けばその良さがわかる。

どのような経緯でバーニーとのコンビを解消したのか定かではないが、アルバム・タイトルの如くSingle Manとしてエルトンは新たなる航海へと旅立ったのであった。

あれ? 船じゃなくて車で行くの?