CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

シンガポールは今日も雨だった~ 

2017年12月31日 | 特になし
熱帯地方には四季がない。

あえて季節を分けるとすると、雨季と乾季に分かれるだろう。

シンガポールでは、統計によると11月から1月あたりの降雨量が最も多く、旧正月の手前までが雨季になるのだろうか。

此処のところ夜中に連日雨がパラパラと降るので明け方は熱帯にしては肌寒く感じる。

特に今日のニューイヤー・イブは昨晩から雨が降り続いていて、まだ止む気配がない。

アパートのベランダ越しに灰色に霞んだ外の景色をぼんやりと眺める。

とまあ、日本のようにお正月がそれほど重要ではない海外では、ニューイヤー・イブは普段の日曜日と同じように静かに過ぎていく。

やっぱり雨に日は家にこもって地味~に過ごすのが一番! お金がかからないからね~

と負け惜しみを言ってみる。

本当は“アァ~ 年越しそば食いてぇ~”

来年もよろしくお願いします。

Followしてもいいですか? 

2017年12月27日 | 特になし
ヤフー・ニュース見ていると、つい最近有名ユー・チューバーがストーカーからの被害を被ったと出ていました。

何でも、見知らぬ女性が朝の4時頃にユー・チューバーの自宅に進入したそうな。

本当に物騒な。

やっぱりユー・チューブで顔出しはリスクありますね。

街角で不意に見かけた人がその本人と認識できれば、その後を付いて行けば自宅がばれてしまう可能性がありますからね。

とそんな事を考えていると不意に思い出したのがこの曲、I Will Follow Him.

この曲を知らない人がタイトルだけを見ると、ストーカーの事かなんて思うかもしれません。

1961年、J.W. ストールとデル・ローマによって書き下ろされたインスト・ナンバーで、これに歌詞がつけられヨーロッパではChariot(愛のシャリオ)のタイトルで1962年ぺトラ・クラークが、そしてアメリカや日本ではペギー・マーチがI Will Follow Himのタイトルでカバーし大ヒットした。


その後多くのアーティストにカバーされたが、最近では1992年のウーピー・ゴールドバーク主演の映画、Sister Actで登場するゴスペル調アレンジのバージョンが有名です。

しかし個人的には、ユー・チューブで視聴可能なバイオリニスト、アンドレ・リュウが率いる楽団と所属シンガー達の歌うバージョンがお気に入り。


映画の方は多分別の歌手が歌ていた音源を口パクだったと思うけど、此方は本物! 歌唱力の優れた女性歌手たちがロックン・ロール調でパワフルに歌い上げる様は本当に迫力満点です。

ところでJ.W. ストールとデル・ローマって、ポップ・オーケストラの巨匠、フランク・プゥルセルとポール・モーリアだったとWIKIで今日初めて知り驚きました。

まあ、向学のため興味のある人物をネットなんかで検索しFollowするのはいいけれど、自宅まで付いて行くのはやっぱりダメって事で。

クリスマスが終わって

2017年12月26日 | West Coast Rock

1991年、ドゥビー・ブラザース再結成後の2枚目のキャピトルレーベルから出たスタジオ・アルバム、Brotherhood。

チャート的には82位と振るわず、この後キャピトル・レーベルとの契約も切れライブ活動に専念、自作のスタジオ・アルバムはなんと9年後の2000年発売のSiblingまで待つ事となる。

天邪鬼な私は、この手の地味なアルバムが大好物である。

しかもヒットしたシングルではなく、このアルバムではOur Loveと言う曲に目がいく。

珍しく外部ライター、 Jerry Lynn Williamsよるミディアム・テンポの作を取り上げ明るく歌い上げる。

覚え易いメロディーもいいが、この愛は人類を救うって感じのポジティブな歌詞が中々よろし~

クリスマスの祝福の鐘や太鼓を打ち鳴らし終わった後、俺達は羽根を広げて飛び立ち、もう一度この世界を作り直すという件。

この曲から西洋のクリスマスって行事は、日本の正月と同じようにそれまでの生活を総括し区切りをつける新しい旅立ちってイメージをなんとなく感じる。

Day by day I'm lost for words to say
日ごとに言葉を失う
I try and speak but the words won't come
何とかしようとするけど、言葉が出てこない

You and I should take these wings and fly
俺達は羽根を広げて飛び立たなきゃならない
It's time to ring every bell and beat on every drum
そう! 今がすべての鐘や太鼓を打ち鳴らす時さ。

Cause our love can take us where we've never been
俺達の愛は未だ行った事のない場所に連れてってくれるから
And our love can build this world again
そしてもう一度この世界を作り直すのさ
Build this world
この世界をね

What we need is just a little love and we'll succeed
少しの愛さえあれば、大丈夫
The time has come for everyone to know
みんなが知るときがやって来た
That you and I, we're all the reasons why
それは俺達、みんなの生きてるすべての証をね
He taught the birds to sing and made the flowers grow
神が鳥に歌を教え、花を咲かせたようにさ

And our love can take us where we've never been
And our love can build this world again
Build this world

ヨーロッパなんかじゃ、クリスマスの時期も働かねばならなかった人たちに感謝を込めて、12月26日はクリスマス・プレゼントのボックスを開封するための日としてBoxing Dayと称する休みが更に続く。

しかし正月はといえば、これから年末年始の大型連休に突入する日本と違って1月1日のみが祝日とショボイ。

仕方がない、クリスマスの休暇も終わった事だし来年如何あるべきかでもこの歌のようにポジティブな意識を持って考えてみようじゃあ~りませんか。

チャーリ・浜のように、“あ~り”にアクセントを置いて発音お願いします。


クリスマスがやってきた!

2017年12月24日 | JAPANESE
博士:サァ~イレン・ナ~イト、ホォ~リ~・ナ~イト、星は~光り~

助手:何で、星は~光り~のところから日本語なんですかね?

博士:いゃ~ そこから後は英語の歌詞知らんから、日本語に突如として変わる訳じゃ。

助手:そうですね。日本のクリスマスって本来の宗教的行事とはにまったく関係ない人が祝っているから、博士みたいな出鱈目な人が出てくるわけですね。

博士:そう言われると面目ないのう~ 

助手:まあ、日本だけで無く此処シンガポールも同じように商売ありきのクリスマスだし、仕方ないかもしれないですね。

何しろシンガポールの商業の中心地目と言われるオーチャード・ロード界隈なんて約3キロの長さに渡っての電飾が11月11日から点灯されますからね。

博士:それにこう暑いと、クリスマス・ムードもあったものじゃない。やっぱり、しんとした寒さがないと雰囲気が出んからのう~

助手:そんな博士にうってつけのクリスマスソングが。
1985年に佐野元春がシングルで出した、Christmas Time In Blue(聖なる夜に口笛吹いて)!

レゲエ・タッチのトロピカルな味わい。

歌詞も、誰もが宗教観なしになんとなくクリスマスを祝う雰囲気が歌われていて、そしてコーラスのパートで、

大切な人も 離れてゆく人も
よく働く人も 働かない人も
うまくやれる人も しくじっている人も
メリー・メリー・クリスマス Tonight’s gonna be alright
 
お金のない人も ありあまっている人も
古い人達も 新しい人達も
教えている人も 教えられている人も
メリー・メリー・クリスマス Tonight’s gonna be alright

働かない人とか、しくじっている人、そしてお金のない人なんて博士にぴったりですね。

Moto Singles 1980-1989と言う2枚組みのCDに収録されています。

なんとなく独り言、その7 おまけ

2017年12月19日 | BEATLES-BADFINGER関連

Have you seen my baby on the avenue
俺の彼女通りで見かけなかった?
You know she's driving me crazy with the funny things she do.
彼女の面白おかしい振舞いにいかれちゃうのさ
I seen her with the milkman, ridin' down the street
牛乳屋の野郎と一緒に車で通りを走っているのを見かけた
When you're through with my baby, milkman, send her home to me.
おい、牛乳屋!用事が終わったら彼女を俺のところに送り届けるんだぜ!

Hold on, hold on, hold on
ちょっと待って! 待ってくれ!
Hold on, hold on, hold on
待ってくれってば!
You know it's been so long since she has been gone
ところで、彼女が行っちまってから結構時間が経ってるんだ。
Hold on, hold on, hold on
待ってくれってば!

I seen her with the gypsies dancin' in the woods
森でジプシーの野郎と踊ってるのを見た
She's always been unfaithful to me, She's never been no good
俺に対してはいつも不貞を働く、良かった事なんてなかったね
I said please don't talk to strangers baby, but she always do
ところで、よそ者とは話すんじゃねぇと言ってやった、けど何時もそうするんだ。
She said, "I'll talk to strangers if I want to, 'Cause I'm a stranger too."
彼女の言い草は、もしよそ者と話しくなりゃそうするわよ、だってあたいもよそ者だもん。

マーク・ボランがかき鳴らす軽快なブギー・サウンドにのって、リンゴがとぼけた調子で歌いだす、Have You Seen My Babyって曲はランディー・ニューマン作、浮気女のお話。

あまり噛み合わない外人さんとの商談も、この手の話に話題が及ぶとお互いの周波数が合うのかガハハ~となり、結構お互い打ち解けて話が弾むってことになる。

社員:部長~! 北米マーケット攻略の糸口は、まずバカ話で攻めるってことですね?

国際部営業部長:その通り!ポップなノリのバカ話で相手を油断させておいて瞬時に相手の懐に潜り込むのじゃ~! くれぐれも、プログレの話は持ち出しちゃいかん事を忘れぬように。

社員:なるほど! キンクリのアース・バウンドのノリで話を持っていくと、相手が凍り付いてしまって商談が御破算となるってことですね?

さすがプログレ不毛の地、アメリカ。

個人的にも未だかって彼の地でキンクリのファンに会った事がない。隠れキリシタンならぬ隠れキンクリスタンとしてファンが存在しているのかな?


なんとなく独り言、その7

2017年12月18日 | SSW

外国人と一緒に仕事をしていると、“このオッサン一体何を考えているのだろう?”なんて思う事がしばしば。

異なる文化による考え方の違いとか、私の拙い英語力なんかがそう思わせる一因に成っている訳だが、如何いう事か下ネタの話となると、万国共通で周波数が一致しお互いその場で“ガハハ”って打ち解ける。

同様に自国でバカ受けであっても日本ではまったく受けないミュージシャンがいる。

日本人のリスナーが大好物としている、メロディー重視の楽曲ではなく、歌詞に重点を置いて歌われる場合、リスナーには彼の地の文化のバック・グラウンドを汲み取った上で即座に英文解釈を試みないとそのミュージシャンの良さを理解出来ない。

ピアノによる弾き語りがベースのシンガー・ソングライター、ランディー・ニューマンなんかはそれに当たるのではないかと思える。

独特のユーモアとかウィットを歌詞に込めて歌うので、歌詞が理解出来なければ彼の良さを十二分に認識出来ないだろうと個人的に思う。

もし容姿端麗で歌唱力抜群であれば日本におけるハンディ・キャップはいとも簡単に挽回できる可能性はあるが。

ハリー・ニルソンなど多くの有名どころがを彼の楽曲がカバーされている事からして、彼の地では才能のあるソングラーターと認識されているのは間違いない。

特に80年代から映画のサントラ制作中心に活動し、アカデミー、ゴールデン・グローブそしてグラミーにサントラ部門で飲みーネートされた実績が半端ないし、日本人も良く知るトイ・ストーリーやモンスター・インコーポレーションなんかのサントラではそれらの賞を獲得している凄いお方。

そんな我が家にも、やっぱりありました~! LP仕様のニューマンさんいらっしゃいます。

1983年発売のアルバム、Trouble In Paradise。全米64位と大ヒットとはならなかったが良い出来と思う。

Wikiなんかで見てもらえれば判るが、ゲストとして参加しているミュージシャンの面子が凄い。

一曲目はTOTOがバックを勤めているような派手なサウンドで中々よろし~。また他の曲もバラエティーに富んでいて良く出来ていていい感じ。

しかしながら彼の歌唱に関してはなんか少し鼻が詰まったような感じに聴こえ個人的に好みではない。

歌唱力のある別の歌手に其々の曲を歌わせてTrouble In Paradiseをもう一度作成すればさらに凄い出来になると思うのだが…

このアルバム何度も聴き込み、更に私がたまに披露するヘボ翻訳ではなくしっかりとした対訳があれば、このアルバムの良さもっと分かるのではないかと。




なんとなく独り言、その6

2017年12月17日 | S&G and etc.

ターンパイクって言葉ご存知だろうか?

それまでにどこかでその言葉を聞いた事があったかもしれないが、その存在を意識したのは大学生時代。

経済関係を専攻すると、この言葉、ターンパイクの定理としてしばしば登場した。

ご存知、近代経済学を体系付けた、ハーバード卒のポール・サミュエルソン教授が考え出したもので、当時経済原論を履修すると教科書的存在だった彼の著書“Economics”なる分厚い本を洩れなく買わなねばならなかった。

当時典型的なダメ学生で、その高価な本を最後まで読みきることは出来なかった、と言うか途中で戦意喪失。

ターンパイクとは、有料道路や高速道路の名称として固有名詞で使われる事も多く、箱根ターンパイクとなんて呼称の有料道路なんかも存在する。

そしてターンパイクの定理とは、目的地に向う際、単に距離的に近い経路を選択するより、高速道路など迂回路を経由した場合のほうが目的地に早く到着する場合があると言う考えから、経済成長も直線的に考えるのではなく、均衡成長路線を模索しそれに沿うのが、効率的であると事を制限された経済モデルで証明されたものなんて事がネットで書いてある。

今となっては、そんな事勉強したっけとおぼろげな記憶しか残っていない。

ところでロックの世界でもターンパイクって言葉が出てきて、今ではその歌詞を聴いて反応し、反対にそんな定理習ったけ?てなことに。

ほーんと、ダメ学生だった。

一発目は1968年のサイモンとガーファンクルのアルバムBookendsに収録されたAmericaだった。


Cathy, I'm lost, I said though I knew she was sleeping
And I'm empty and aching and I don't know why
Counting the cars on the New Jersey Turnpike
They've all come to look for America
All come to look for America

と曲の最後のコーラスのパートで、ニュージャージー・ターンパイクを走る車を数えると言うフレーズが出てくる。

二発目は1994年のイエスのアルバムTalkに収録されたCalling。


Take off on the Turnpike
(Asking for the First Call)
Give me more of the same
(Asking for a song)
There’s a fire burning in my heart again

これまた、コーラスの部分に登場。
此処では幅の広いターンパイクを滑走路と捉え、離陸!って言っている。

それから、有名なところではジェームズ・テイラーがSweet Baby Jamesでストックブリッジからボストンに向うターンパイクを歌詞に含み、


あのスプリングスティーンもアルバムNebraska収録のState Trooperでニュージャージー・ターンパイクと歌う。


それがどうした!と言われると、どうもしない。

まあ、そんな小難しい経済学のうんちくを語ることなんて横に置いといて、ロックを聴いてターンパイクって言葉思い出そうではありませんか。


なんとなく独り言、その5

2017年12月16日 | PROG ROCK
尖がっているといえば、第2期ムーディー・ブルースが世に出した7部作の頃を思い出す。

なにやら、惑星の図鑑などを持ち出して営業会議されているみたいですが、ホント、尖がり度抜群です。

デニー・レインがボーカルととっていた第1期の頃は普通の英国製ビート・バンドであった。

以前書いた事があるのだが、1965年のロック・コンサートの模様を映したビデオをユー・チューブでたまたま遭遇したところ、なんとあのキーボードのマイク・ピンダーがバンドのフロント・ラインに躍り出て激しくタンバリンを叩く姿に度肝を抜かれた。

ところが2期の頃になると、彼はメロトロンの前に鎮座して演奏を淡々と行う静のイメージに変わった。

確かに、プログレ・バンドとして再生を成し遂げたムーディーズにとっては、プログレ期の尖った作風から考えて、その様になったのも肯ける。

ただSEを含むオーバー・ダブを重ねた複雑になった楽曲を、5人組みのバンド(実際のところ、ライブ・コンサートの場合はレイ・トーマスは時折披露するフルート、タンバリンやハーモニカぐらいで、バンドの演奏に厚みを加えるには至っていないため実質4人での演奏)によってライブで再現するのはかなり難しかっただろう。

だから彼らの場合、スタジオ録音盤を聴いていた方がストレスがない。

ところで、彼らの多くの楽曲の中から個人的に好きな曲の一つに、ベーシスト、ジョン・ロッジ作のCandle of Lifeという曲が1969年に出たアルバム、To Our Children’s Children’s Childrenに収録されている。(この曲結構シンプルなので、1974年の日本公演で演奏されるのではと思いきや、当時コンサートに出かけた知人によると、残念ながら演奏されなかったとの事)

例によって下手な英語で翻訳を試みるも、結構抽象的で私の頭では何言ってるのかよく理解できない。

Something you can't hide
隠しきれない何かが
Says you're lonely
君は孤独だと語る
Hidden deep inside of you only
心の奥に深く埋もれている
It's there for you to see
君に見えるようにとそこにある
Take a look and be
しばらく眺めてごらん
Burn slowly the candle of life
命のろうそくをゆっくりと灯そう

Something there outside
外側にある何かが
Says we're only
私たちが孤独だと語る
In the hands of time falling slowly
ゆっくりとこぼれ落ちていく与えられた時
It's there for us to know
私たちに見えるようにとそこにある
With love that we can go
私たちが前に進むための愛をもって
Burn slowly the candle of life
命のろうそくをゆっくりと灯そう

So love everybody
And make them your friend
So love everybody
And make them your friend

まあ、そんな堅い歌詞の内容は横に置いといて、ムーディ・ブルースの美しいメロディーをシンプルに楽しもうではありませんか。

此処では、キーボードのマイク・ピンダーが印象的なピアノとメロトロン演奏して大活躍!

タンバリンの乱れ打ちでなくてよかった~


なんとなく独り言、その4

2017年12月15日 | SSW

I used to think of myself as a soldier
かっては自分を兵士に例えてたっけ
Holding his own against impossible odds
自身を勝ち目のないことに立ち向かわせてた
Badly outnumbered and caught in a crossfire of devils and gods.
多勢に無勢、善悪の狭間でもがいていた
All I ever wanted to be was free
望んでいたのは自由
All I ever wanted to see was within my eyes to see
自分の見たかったものって目に映る事だけだった
Oh, but, these days are just like you and me
だけど、これって近頃の俺達の事みたいだね
Oh, but, these days are just like you and me.
近頃の俺達の事みたいだめ

と、またまたいい加減な英語力で翻訳したのは、アメリカのフォーク・ロック系シンガー・ソングライターのダン・フォーゲルバーグ1975年の3枚目のアルバム、Captured Angelので出しの曲。

タイトルはAspen/These Daysなる組曲で、静かなストリングスのインスト・ナンバー、Aspenからフォーク・ロック調のThese Daysへと繋がっていく。

正確に訳せていないかも知れないが、己のみを信じ尖がっていた時代もあり挫折も味わった、ちょっと自己中って感じで、それって今のちょっとギスギスした俺達の関係みたいじゃない。

つまり、君達!そんな事じゃだめだよ~協調性を持ちなさい!ってちょっぴり教条的な意がこめられている感じなのかな?

この作品は、彼が1951年生まれだったことから考えると、23-4歳頃の作品と推測出来る。

その頃の私はまだまだ新米社員の部類で、先輩社員のアシスタントとして日々書類のコピーやタイプライターでの書類作成なんかの下働きにほとんどの時間を費やし、とてもじゃないが尖がった反逆のローン・ウルフを演じる事は出来なかったね~、もし社内でそれやれば即首!とふと昔を懐かしむ。

まあ、そんな歌詞の内容は横に置いといて、ダン・フォーゲルバークの力強いギター・ストロークに乗ってこれまた力強く歌われる、ロック・サウンドをシンプルに楽しもうではありませんか。


なんとなく独り言、その3

2017年12月14日 | URIAH HEEP
ユーライア・ヒープといえば、ジャケのデザインや悪魔、魔の饗宴とか略奪などおどろおどろしい単語がアルバムや曲のタイトルに出てくるので、どうしてもアンダーワールドのハードロッカーというイメージを抱く事が多い。

ギャー! でた~! (ファースト・アルバムのジャケ)

しかしアルバムの中に、ひょっこりと場違いとも思える美しい曲たちが登場する。これらの曲が、アンダーワールドのイメージを中和する役目を果たしているのではないかと。

1972年の5枚目、Magician’s Birthdayではケン・ヘンズレー作の美しいピアノ・バラードのRain (これは、へンズレーのソロ・アルバム、Proud Words On A Dusty Shelf、邦題:誇り高き言霊にも自らボーカルで同曲が収録されている)、


そして1973年、Sweet Freedomではボックス、セインとカースレイク共作のボサノバ・タッチのCircusが、


また1974年のWonder Worldではこれまたヘンズレーのピアノ・バラード The Easy roadなんかがそれに該当する。


イメージだけでヒープちょっと苦手な人は、このあたりを聴けばちょっと評価変わるかも。

まあ、おどろおどろしいイメージは横に置いといて、ユーライア・ヒープが奏でる美しいメロディーを楽しもうではありませんか。

とまたまた前回とよく似た締めを採用する。

なんとなく独り言、その2

2017年12月13日 | ELTON JOHN
1974年頃といえば、グッドバイ・イエロー・ブリック・ロードのアルバムが世界的に大ヒットした事もあり、エルトンは世界を巡るツアーで大忙し。

超過密スケジュールの合間を縫って、たった10日ほどで新アルバムのレコーディングを行い完成したアルバムがCaribouだった。

プロデューサーのガス・ダッジョンは、このアルバムに関してやっつけ仕事だったと言っているし、何処かのトロピカルな楽園を模した壁紙の前でのジャケ写真は私のようなトウシロ・リスナーでもなんとなくやっつけ仕事の雰囲気は感じ取れる。

エルトンが主人公のジャケ写真であるから何とか格好は付いたものの、もし私であれば、健康ランドに良くある絶景のイラストが施されている壁の前でとった単なるスナップ写真となってしまう。

しかしプロから見ればベストではなかったものの、さすがエルトン!シングル・カットされたThe Bitch Is BackやDon’t Let The Sun Go Down On Meはだいヒットし、アルバムも全米一位を獲得した。

そんな中、私の一押しはこの曲、Tickingである。

7分を越える楽曲で、演奏は最後の方にシンセが被るものの、ほとんどがエルトンのピアノの弾き語りで地味といえば地味。

歌詞の内容は、エルトンがスラスラスラと歌っていくので、瞬時には理解出来ないが、結構重い内容。

学校時代ほとんど目立たない静かな少年が、母親が常日頃諭していたにもかかわらず、後に犯罪に手を染めて最後には死んでいくというようなストーリーが語られる。

エルトンの相方のバーニーが、当時のアメリカの銃社会について感じた事を詞にしたと思われる。

同じ頃チャールズ・ブロンソン主演で、悪行の限りを尽くすチンピラ・グループに対して堪忍袋の緒が切れたブロンソンが偶然手に入れた拳銃で復讐を始めるという映画、Death Wishがヒットした。

この映画5作まで作られ、私の知る限りブロンソンさん、マフィアを含む悪人100人以上処刑し、すごいの一言。

更に来年ブルース・ウィルス主演でリメイクされるらしく、この手のストーリーは未だに彼の地では人気があるようだ。

かって、ヒューストンに住んでいる知人を訪問したとき、買い物があるとの事で郊外のホームセンターに付いて行った。日本ならば、ホーム・センターといえば“お値段以上、ニトリ”と言うような感じだが、アメリカのそれはまったく異なる。

キャンピング・カーや小型ボートなど大物商品がずらり展示され、DIY、釣り、キャンプやサバイバル系の小物も充実。

しかし驚いたのは売り場の一角に銃がずらり! リボルバーやオートマチックの小型拳銃や、ショットガンやライフルなどがずらりと展示され、知人もショットガンを持っているとの事で、展示の商品を手にとって眺めていた。

今更ながら、アメリカの銃社会は既に生活の一部になっている背景があるので、規制をかけるのは中々難しい事だと感じる。

歌に話を戻すと、コーラス・パートの
Remember Mama said Ticking, ticking

Hear it, hear it, Ticking, Ticking
の箇所がエルトン節満開で耳に残る。

まあ、此処では重苦しい歌詞は横に置いといて、エルトンがさらっと歌うこのバラードの美しいメロディーを楽しもうではありませんか。

と前回とよく似た締めを採用する。

なんとなく独り言

2017年12月13日 | ELTON JOHN
ポール・バックマスターによる重厚なストリングスの味付けも無く、エルトンを含む4人組のバンドにゲストとしてジャズ・バイオリニストのジャン・リュック・ポンティーとシンセサイザー奏者のみが数曲に絡むというシンプルな編成で臨んだ、1972年の5枚目のオリジナル・スタジオ・アルバムがHonky Châteauだった。

前作のMadman Across The Waterと比べると、スリックな印象になったとも言えるのだが、これが返って功をそうしたのか万人受けし、初の全米一位を獲得した。

そんな中シングル・カットされたHonkey CatやRocket Manに注目がいくが、私の一押しは隠れた名曲、Mona Lisas And Mat Hattersである。

Stand By Meで有名だったBen E. KingがかってSpanish Harlemという曲で、“スパニッシュ・ハーレムではバラが咲く”と歌った。

それに対してエルトンは、“スパニッシュ・ハーレムって美しい響きを持った言葉じゃないと今判った。知っていたつもりだったけど、ニューヨークではバラの木なんて育たないってね。”と歌う。

確かに美化されたイメージの多いこの世の中、いざ飛び込んでみると現実と乖離しているのってよくある話。

まあ、此処ではそんな堅苦しいうんちくは横に置いといて、エルトンがしっとりと歌うこのバラードの美しいメロディーをシンプルに楽しもうではありませんか。