CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

ランダムにレコード紹介、その20 Oh My みゆきさん!

2018年11月27日 | JAPANESE
なんでもスパッと白黒つけなきゃ収まらない私のようなせっかちな人間はいつまで経っても女心を理解できない。

物事全てが数学で言う自然数のように、有限かつ現実的にどっしりと存在すれば解り易いのだが、女心というものはそれとは微妙に違っているような….

偏見かもしれないが、例えば√に囲われた整数にならない数字で、小数点以下が延々と続き決して収束しない苛立ち感に悩まされる感じがする。

思わずどこかで“四捨五入お願いします〜”って言ってしまいそうな。

しかしそのような無粋考えを持つような輩は決して女性にモテないって考え 、中島みゆきのレコードでも買って勉強でもしてみようじゃないかと。

本日はこれ!

彼女が1981年に出した8枚目のアルバム、“臨月”。

(表ジャケ)


(裏ジャケ)


(懐かしきアードバーク・レーベル)

暗〜いメロディに乗せてこれまた暗〜い歌詞で彼女が歌うとこちらも沈んでしまい、ちょっと苦手。

前作の“生きていてもいいですか”は全体が本当に暗いイメージで深い海の底居るような絶望感炸裂。

しかし、暗〜い歌詞を明るいメロディーに淡々と歌われると趣が異なる。

このアルバムには、明るいメロディーの“あした天気になれ”に“バス通り”、とかアップ・テンポの“一人上手”やフォーク・ロック調の“成人時代”などはすんなり受け入れられる。

なるほど! こちらでバイアスをかけて出来るだけ明るい雰囲気を構築しその中で ポジティブに事を理解してあげるべきかな?

もし複雑で不安定な感情の場合、白黒つけるための四捨五入はお願い出来ないのかもしれない。

端からどうこう言うのではなく、もう成り行きに任せるべきじゃないかと….

な〜んて大袈裟な!って気がしないでもないが、彼女のレコードを聴いて学んだ何十年も前の若き日々でした。

まあ、こんなことを書いちゃうと、“そこのあなた!解ってもないのに、解ったようなフリするんじゃね〜よ!”ってお叱りを受けるかもしれない。

どうもすいません。

ランダムにレコード紹介、その19 Sheer Heart Attack

2018年11月26日 | Queen

巷では伝記映画“ボヘミアン・ラプソディー”が封切られ、またまた脚光を浴びたQueen。

そのブームにのって遅ればせながら一筆。

Queenとの初めての出会いは、1973年の彼らのファースト・アルバム、Queen(戦慄の女王)。

小遣いが足りず、当時レコード買うことはできず、アルバム全編をオンエヤーするFM放送番組からエヤ ・チェックでカセットデッキ経由でテープにダビング。

Liarのギターのイントロには痺れたものだった。

そして、1974年の2枚目のQueen IIはレコードを購入。


当時サイドー1にあたるホワイト・クイーンのパートは少し弱いかなとも思ったりしたが、サイドー2のブラック・クイーンのパートでは、フレディーの才能が大爆発。憑かれたように何度も聴き返した記憶がある。

そして1974年の三作目、Sheer Heart Attackでクイーン・ミュージックはほぼ完成の域に到達したって感じで、後のアルバムはこのアルバムのエッセンスを発展させていった物だと思う。



当時はワーナー・パイオニアがQueenのアルバムを日本で発売していたので、レーベルはEMIではなくエレクトラ。

次作のA Night At The Opera と対比すると、出だしがオペラチックなIn The Lap Of The GodはBohemian Rhapsody、 Lily Of The ValleyはLove Of My Life、そしてBring Back That Leroy BrownはGood Companyにそれぞれつながっていく雰囲気があった。

Sheer Heat Attackを含む初期三作は、私の耳にはその後のどのアルバムよりも革新的で記憶に残るように聴こえた。


ランダムにレコード紹介、その18 ジャケもセットでよろしく〜

2018年11月24日 | AMERICAN ROCK/POPS
バッドフィンガー の曲が採用されたコメディー映画Magic Christian が封切られてから丁度10年。

ロックは様変わり。

1979年はアメリカン・バンド、ザ・カーズ が2枚目のアルバム、Candy-Oが出た年である。


(何とセクシーなジャケ)


(懐かしのアゲハ蝶時代のエレクトラ・レーベル)

大ヒットした前作のデビュー・アルバムと同じプロデューサーで、クイーンのプロデュースで有名だったロイ・トーマス・べイカーを起用。

ギター・ソロも全くなくはないが、 計算された無機質なサウンドの展開にお情け程度でチョロっと入り、70年代前半のかってのアメリカン・ロックの面影は全く無い。

デビュー・アルバムが6 xプラチナと大ヒットした後を受けたアルバムだけに、あまり冒険は出来なかったのか、サウンドはほぼ前作を継承した内容で少し暗めな感じかな?

まあそれでも、累計売上が4 xプラチナと大ヒットした。

このアルバムの最大の特徴は、ジャケのデザインじゃないだろうか…


(スタイリシュな裏ジャケのデザイン)


(バンド・メンバーもヴィジュアル系)

ジャケのデザイン・コンセプトを担当したメンバーの一人が、40−60年代に成人雑誌に美人イラストを描いていた、アルベルト・ヴァーガスの起用を提案。

御歳83歳の既にリタイヤした画伯が、カーズのファンだった姪の説得によって描き上げた。

実写よりもセクシーな絵柄がかなりのインパクトを放ち、アルバムの売り上げにも結構貢献したのではないかと思うのだが。

ランダムにレコード紹介、その17 そろそろブレイクの時間ですよ〜

2018年11月22日 | BEATLES-BADFINGER関連
1969年の12月に封切られた英コメディー映画、Magic Christian。

どんな内容の映画がだったか?

そもそも見たことがないのでは今もわからないが、ピーター・セラーズとリンゴ・スターが出演した事だけは知っている。

その映画のサントラにポール・マッカートニーがプロデュースしたBadfingerの新曲、Come & Get It、Carry On Till TomorrowとRock for All Agesが採用され話題となった。

そして、それら3曲を含むアルバムがMagic Christian Music と称され1970年の初め頃に発売された。

(このアルバムを買ったのは、4年ほど後の話であるが、当時輸入盤ショップには、Badfingerの今では手に入りにくいNo DiceやStraight Upも普通に売っていたので買っときゃ良かった)


(ベースのロン・グリフィスが病気のためバンドから脱退したばかりで、まだ新メンバーのジョーイ・モーランドが加入していなかったのか、3名のメンバーしか写っていない)



実は正式のサントラは別にあったのだが、マイナー・レーベルで制作されほとんどプロモーションされずに認知度が低かったようだ。

てなことでアップル・レーベルから新たなバンド名で再デビューしたBadfinger のMagic Christian Musicが非公式ながらサントラの役を果たす事となった。

映画に使用された曲以外は、BadfingerがThe Iveysと名乗っていた頃にでたアルバム、Maybe Tomorrow に収録されていたものがほとんどである。

すなわち、映画の公式サントラでもなくまた完全な新譜アルバムとは呼べない内容ではあったが、全米55位と中ヒットさせアメリカで全く無名だったBadfingerを新たに認知させたMagic なアルバムとなった。

バンド名も元々With A Little Help With My Friendの仮曲名だったBad Finger Boogieがその由来だったから、単なるMagic ではなくBeatles’ Magic と言えるかもしれない。

てか、それってここ最近50周年記念盤を続々登場させるビー商法の走りじゃねぇ?

ランダムにレコード紹介、その16 サーフ・ロックの思い出

2018年11月21日 | AMERICAN ROCK/POPS
暇なら映画でも見に行きませんか?と相部屋の日本人留学生で2歳ほど年下のホセくんが私に声をかけた。

ここはロスにあるボーディング・ハウスと称される下宿屋で、先輩が日本に一時帰国している間、代わりにひと月弱ここでダラダラと過ごしていた。

ホセくんの国籍は日本で当然日本語はペラペラであるが、顔立ちは日本とラテン系のミックス。

長髪で鼻は高く鼻の下にひげを蓄えたエキゾチックな顔立ちでサーフィンが趣味だったのを覚えている。

それではと、彼の車でサンタモニカの場末の映画館へと。

上映されていた映画は、1976年制作のMany Classic Momentsと言うサーフィン映画で、登場人物はプロのサーファー達。

その彼等がハワイや南アフリカなど 世界各地のサーフィン・ポイント巡り波乗りの技術を披露するドキュメンタリー物で、当時1979年の1月頃だったから多分リバイバル上映で、館内はガラガラだった 。

大波の真下にできるチューブの中をサーフ・ボードに乗ってくぐり抜ける様は、一体どうやって撮影していたのだろうか、中々迫力のある印象的なものだったとおぼろげに記憶している。

しかし、当時サーフィンに全く興味のなかった私は、それ以外の映像の記憶がないと言うことは、多分途中でうたた寝でもしていたのだろう。

帰国後、とあるレコード・ショップで見かけたのがカラパナの1979年に出たベスト・アルバム、Greatest Hits’ Of The Seventies(邦題、虹を追う男たち)。


(ジャケ表)


(ジャケを広げると、白いビキニの三流モデルぽいお姉さんが、当時はやりのローラー助とを履いて海岸沿いの遊歩道を滑って行く画。せっかくベスト・アルバムを出したわけだから、もう少しましなアート・デザインにすればよかったのにね。)


(レーベルはなんと、なんとあの懐かしのTrio Record! ハワイ出身だからアメリカのメジャー・レーベルと契約出来ないのであれば、ハワイのローカル・レーベルより、当時サーフ・ロックが流行っていた日本のレーベルと契約した方が契約条件がよかったのかな?)

Many Classic Momentsはハワイ出身のカラパナと言うバンドがサントラを担当していたこと思い出し、調べて見るとサントラに収録されていたBlack Sand、Many Classic Moments、UltimateやI Chase A Rainbowなどの曲がこのアルバムにも収録されていたので後日購入に至った。

ウエスト・コーストの香りがするAOR系の曲やファンキーなロック系の曲などが中心で、当時日本ではカリフォルニア出身のパブロ・クルーズや同じくハワイ出身のデュオ、セシリオ&カポーノらなどを一括りにして日本ではサーフ・ロックと称していたそうな。

でっ、数十年ぶりにこのレコードをターン・テーブルの上にのせてみる。

オォ〜、素直で懐かしいサウンド! 

中々いいじゃないの!

次の日のこともあまり意識せずグウタラと自由に過ごしていたあの楽しかった頃に戻ることなど無理ではあるが、サーフ・ロックでも聴きながら今宵懐かしもう。

そういえば、短い間だったけど色々面倒見てくれたホセくんは今頃どうしているかな?

サーフィンまだやっているかな?

私は日本の片隅でシコシコとキーボードを叩きながら、しぶとく生きています。

ランダムにレコード紹介、その15 電話して頂戴〜♪♪

2018年11月21日 | AMERICAN ROCK/POPS
電話して頂戴〜♪♪

と聴けば思い起こすのがあの名曲、SSWのキャロル・キング作のYou’ve Got A Friend。

本人もアルバム、Tapestryで歌っているが、盟友ジェーム・ステイラーのカバーで大ヒット。その後多くのアーティストによってカバーされているのは周知の通り。

同じ様な内容の歌で、アメリカのSSW、ランディー・バンウォーマーが1979年に出したアルバム、WarmerにCall Meと言う曲が収録されておりこのアルバムからシングル第二弾としてカットされた。


ランディー・バンウォーマーのデビュー・アルバム、Warmer


トッド・ラングレンで有名なBearsvillレーベル

残念ながらヒットには恵まれなかった。

Call when you’re lonely
Call me I will be free

If you need love
Or just a friend
Call me for company

非常に美しいメロディーにのって歌われている。

悪くはない。

しかしキャロル・キングの歌が男女問わずに呼びかけている全方位友情物語に対して、この歌はどうも彼女か元彼女に対して歌われている一方通行みたいなのでいまいちインパクトに欠けたのではなかったろうか?

でも大丈夫、このアルバムからシングル第一弾として後世に語り継がれる必殺!の大ヒット曲、Just When I Needed You Mostが収録されていたからだ。

日本でもスクーターや他のコマーシャルに採用され、曲名は知らなくともメロディーを聴けばアァ〜これどこかで聴いたことがあるって事になる。

このアルバム数十年ぶりにターン・テーブルに置いて聴いてみる。

懐かしい〜 

でっ、このアルバムの歌詞のいたるところにLoveという言葉を今更ながら発見。

なるほど〜 

飽きのこない様に曲ごとにアレンジを変えてはいるが、基本的にLoveのオン・パレード。

Just When I Needed You Mostのシングルが大ヒットしたのに、アルバムはそれ程売れなかったのは曲の歌詞に多様性が無かったからかもね。

もう少し、Love以外のことを工夫して歌えばアルバムそれに第二弾のシングルCall Meなんかも全方位に受け入れられもっと上手くいけたのではないかと….

残念。

スタイリ〜 スタイリ〜 スタイリ〜 スタイリ〜♪♪
私に電話してください! どうぞ宜しく。

違うってば!

ランダムにレコード紹介、その14 風に乗ったかの如く疾走せよ。

2018年11月20日 | JAZZ・FUSION
今日は、ジャズ・トランペッターのフレディー・ハバード。

60年代は、ジャズの名門ブルーノート・レーベルで、バンド・リーダーあるいはサイド・メンとしてモダーン・ジャズの数々の作品を世に出す。

70年代に入ってから、フュージョン系のレーベル、CTIオープニングに移籍しこれまた活躍。

その後、ハービー・ハンコック 率いるバンド、VSOPで彼自身のジャズ集大成とでも言える活動を行う。

そして1982年に突如、Ride Like The Wind(風立ちぬ)なるアルバムをワーナー系のエレクトラ・レーベルから発売。


表題曲はAORシンガーのクリストファー・クロスの作品のカバーでちょっとビックリ。

60年代のブルー・ノート時代の彼の活躍を懐かしむ人からは、商業主義すぎるなどの批判もあったようだが、私としては、曲のジャンルに拘らずテクニックに裏打ちされた手抜きなしの演奏なのでこれはこれでよし。

そもそも、モダ〜ンジャズといっても果たしてどれだけのアーティストがアメリカでのレコード販売で食べていけるかと言えば、例え大御所と言えども結構厳しいものがあったのではないかと….

案外日本やヨーロッパの熱心なリスナー達がかなり売上に貢献していたとも…

当然時代の流れの中で、売れ筋に従ってレコードを制作するのは必然だったと思う。

このアルバム、デジタル録音の走りと言われ 、二つのトラックにダイレクト・デジタル録音され当時としては最高の音源と考えられていた。

Ride Like The Wind、フレディーのトランペットも風に乗ったかの如く、疾走しております。

ウェザー・レポートのBirdlandのカバーも中々いけまっせ。

ランダムにレコード紹介、その13 ようやく日の目を

2018年11月17日 | West Coast Rock

ランダムにレコード紹介と言っているけど、前回の続きとなる。

本日はリンダ・ロンシュタットのアセイラム・レーベルからの第一弾、1973年に出たDon't Cry Now。


1981年の来日記念の再発盤。



1967年ストーンポニーズ時代の曲、Different Drum(モンキーズ、マイク・ネスミス作)が全米13位と大ヒットしたものの、それ以降キャピトルから出したアルバムは、チャート100位以内に入らずなかなか日の目を見ることができなかった彼女だが、心機一転レーベルを移籍しアルバムを制作。


キャピトル時代のコンピ・アルバム、Different Drum。イメージがなんとなくヒッピー丸出しの感あり。

このアルバムのプロデューサの一人だったJ.D.サウザーから3曲、そしてランディー・ニューマン、イーグルス(Desperado)、ニール・ヤングやエリック・カズ /リビー・タイタス共作のLove Has No Prideなどをカバーしカントリー・ロック調のアルバムに仕上げた。

それまでの田舎臭買ったジャケの写真も今回少し垢抜けした感じに代わり、これ以降ヒット街道まっしぐらとなった。

イメージって大切ですね。


ランダムにレコード紹介、その12 カバー曲

2018年11月16日 | West Coast Rock

オープニングにBack In The USSRを収録した50周年記念のホワイト・アルバムがつい最近リリースされたからではないが、本日は本家のチャック・ベリーのBack In USAのカバーをこれまたオープニングに持ってきているリンダ・ロンシュタットのアルバムを紹介したい。

1978年に出たLiving In The USAで、前作同様に全米1位の大ヒットとなった。

スタ・ジャンとショート・パンツにローラー・スケートの出立ちは当時アメリカ西海岸で流行ったらしい。


ウォーレン・ジボンのMohammed's RadioとCarmelitaがこのアルバムでカバーされている。

彼女のアルバム制作スタイルと言えば、他のアーティストの懐メロ・ヒットから近年レコーディングされたちょっと気になる楽曲取り上げ、気心の知れたウエスト・コースト系のセッション・ミュージシャンをバックに、彼女なりに心地よい歌唱を聴かせるのが基本だった様に感じる。

ただこれをずっと続けていくことによってマンネリ化してしまうことを恐れたのか 、次作で冒険的に少しばかり芸風を変え、 さらにその後スタンダードを歌うボーカリストへと変遷して行くことになる。

すなわち、このアルバムがそれまでのポップ・ロック路線の集大成のアルバムだったと思う。

個人的には可も無く不可も無い一般受けする安定のアルバムだが、特筆すべきは彼女がこのアルバムでもまたまたシンガー・ソング・ライター、ウォーレン・ジボンの曲(Mohammed’s Radioなど)をカバーしている事だ。

当時無名だった彼の才能を多くに人に知らしめてくれた事は、ウォーレン・ジボンの位置ファンとして非常に有り難かった。

ウォーレン・ジボンの1976年のアルバム。このアルバムからリンダは、彼女の3枚のアルバムにHasten Down The Wind、Poor Poor Pitiful Me、Mohammed's RadioとCarmelitaなどと樽で4曲カバーしている。


ジャクソン・ブラウンがプロデュースを引き受けている


ランダムにレコード紹介、その11 お口直しにクラッシックをジャズってみては?

2018年11月13日 | JAZZ・FUSION
私が小学生だった頃、音楽の授業でリコーダーが使われた。中学生になると当時の音楽の教師が器楽合奏にとても熱心で横笛を買わされた。

クラス全員が購入させられたものの、誰もまともに音出しが出来なかったのでその後授業では使われなくなった。

たとえ楽器がちゃんと弾けなくとも、ピアノやギターならば鍵盤を押したりもしくは弦を弾けばなんらかの音が出出てくる。

しかし、横笛となると熟練が必要で、単純に息を吹着込むだけではそう簡単に音は出てくれない。

それ故、プロの演奏家がフルートを自由自在に演奏するのを聴くと本当に感心してしまう。

またフルートが入るとロックやジャズの楽曲も、うまく言えないが、洗濯の柔軟剤の様に曲をまろやかにするって感じで、一味違って聴こえてくる。

ロック系だとジェスロ・タルのイアン・アンダーソン、フォーカスのティス・バン・レール、ムーディー・ブルースの故レイ・トーマスそれにシカゴなど、ジャズやフュージョン系だと、ハービー・マンとかティム・ワイズバーグなんかをよく聴くわけだが、今日は、それ以外のフルート奏者、ヒューバート・ロウズのアルバムでも聴いてみようかと….

1939年生まれのアフリカ系アメリカ人のジャズ・フルート奏者で、そんな彼がクラッシック・ミュージックを題材にしたアルバム、The Rite Of Spring(春の祭典)を1971年に出した。



ジャズやフュージョン系で有名なCTIレーベル

フォーレ、ストラビンスキー、ドビッシーとバッハらの曲をジャズ風に味付けしたもので、私のようなクラッシック初心者にも聴き易く出来ている。

純粋なクラッシックだと多分途中でうとうとしてしまうからね….

モット・ザ・フープルのギンギンギラギラのロックを聴いた後の口直しにいいかも。

ランダムにレコード紹介、その10 もっと、もっと、竹本っと! 

2018年11月12日 | BRITISH ROCK
博士:えぇ〜と、あれなんじゃった? ほらテレビのコーマシャルで、電話くださいってやつ。

助手:スタイリ〜 スタイリ〜 スタイリ〜 スタイリ〜♪♪
私に電話してください! どうぞ宜しく。
ってやつですね。

博士:違う、古過ぎる!

助手:じゃ、
ピアノ売って頂戴〜♪♪
もっと、もっと、竹本っと!
電話して頂戴〜♪♪
もっと、もっと、竹本っと!
ピアノ売って頂戴〜♪♪
ですかね?

博士:オォ! それじゃ、それじゃ。

もっと、もっと、Mott The Hoople じゃ!

先ほど、小包が届いたんじゃよ。


助手:オォ〜 これは長年探し求めてたやつですね。

博士:その通り、イギリスでかなり前にCDが再発されたのじゃが、4枚目のBrain Caper以外 買いそびれてしまって、今や中古盤が高価で取引されておる。

今回の企画は大変喜ばしいことじゃ。

早速届いた小包を開封してくれたまえ。

助手:ハハッ〜!



でっ、でっ、出た〜 Mott The Hoopleのアイランド時代をまとめたボックス・セット!

で箱の中身は、

ハード・カバーのブック・レットとポスター


Mott The Hoople、Mad Shadow、WildlifeとBrain Caperからなるボートラ付きのオリジナルアルバム、4枚と
The Ballad Of The Mott The HoopleとIt's Live And Live Onlyからなるコンピアルバム、2枚 の計6枚。


安物のボール紙製のシングルスリーブ紙ジャケにCDが裸で入っている。紙ジャケは中古レコードでよくみられるレコード・リングの跡を再現して印刷されている。最初手に取った時は、不良品かと思った。

違いのわかる男、酒飲みでジャンキーのハチャメチャ敏腕プロデューサー、ガイ・スティーブンスに見出され、ディランがストーンズを歌うというようなコンセプトで結成されたハード・ロック・バンド。

バンド名のMott The Hoopleは、ガイがドラッグ使用の罪で 逮捕され獄中で読んだ本のタイトルらしいと既にぶっ飛んでいる。

アイランド時代の彼らは、なかなか聴かせるレコードやライブは結構玄人筋には受けたものの、残念ながら一般受けせず、解散一歩手前までいった。

デビッド・ボウイーの手助けで移籍先のCBSレーベルから起死回生のアルバム、All The Young Dudesでブレークしたのは有名な話。

ストレートなロックにガッツある演奏! 私のような違いのわからない男でも楽しめるボックス・セットがついに出た〜!

この商品ご入用な方は、私に電話してください!

スタイリ〜 スタイリ〜 スタイリ〜 スタイリ〜♪♪

違うってば!

四流コレクターのビー・コレ、その20 違いのわからない男がホワイト・アルバムを丸裸に

2018年11月11日 | BEATLES-BADFINGER関連
助手:博士、ホワイト・アルバムを丸裸にしたって言っても、箱を開けて中身を見ただけですよね?

博士:当然じゃよ。一聴して旧アルバムと比較し、今回のリミックスがいかに素晴らしいか的確に指摘できればいいのじゃが、何しろ違いのわからない男が聴き比べをしても何も分からないと思うのじゃよ。

助手:その手のことは、手練れのビーマニアの方々にお願いした方がいいかもしれませんね。

アマゾンのレビューなんかにも、我々が言われても分からないような細々とした解説されている方々結構いらっしゃいますから。

博士:とは言え、ロックの研究所と自称するからには、やっぱり何かコメントでもないと格好がつかない。

だからさっき隠れて聴き比べして見たのじゃ。

助手:それはご苦労様でした。

博士:全てを一挙に比べるには時間がないので、取り敢えず、今回にリマスター盤のサイドー1と1968年プレスの米盤のサイドー1(傷なし、プチ音もないグッド・コンディションの盤)を聴き比べて見たのじゃよ。

助手:で〜、何かわかりましたか?

博士:まず最初に、再生音のレベルが違ったのう〜

プリアンプのボリュームを同じ位置に固定し、両方の盤を再生すると1968年プレスの米盤の方が、音圧が高かった 。

リミックス盤の内側の無音箇所の幅がオリジナル米盤より広いということは、多分内周部分の演奏で出来るだけ再生音の歪みをなくすためで、音圧を落とすことによりそれぞれのカッティング溝の間隔をコンパクトにした結果と考えるのじゃが….

米盤、SWBO-101、レベールギリギリまでカットされ、無音部が狭い。


リミックス盤、無音部が米盤と比べて広い。

リミックス盤の後に米盤を聴いたのもあって、その米盤の再生音に圧倒されリミックス盤は少し大人しい印象を持った。

また聴きやすさを追求するため、ジャイルズ・マーチンの感覚で曲によってはボーカル、ベースやドラムスのリズム・セクションを出来るだけ中央に配置し音源を安定させているとのことじゃが….

これも言われてみて、なんとなくそうなんだな〜と感じた次第で面目ない。

助手:と言うことは、違いのわからない男ならコンディションの良い旧盤もしくは2009年のリマスター盤を持っていれば、ことが足りるってことですね。

博士:その通り。

当時と比べてレコーディングや編集の技術などは進歩を遂げたが、50年前にレコーディングされたときも当時のスタッフやビートルズの面々が議論して出来る限りのベスト編集が尽くされホワイト・アルバムが世に出されたわけだから、それでいいじゃないかと。

このアルバムは、もともとラフでロック色の強いアルバム。歪み(ディストーション)や雑音もロックの範疇。わざわざそれらを取り除いて音をポリッシュし透明感を出さなくても良いというのが持論。

助手:じゃあなんで違いのわからない男が大枚叩いてこれ買っちゃったんですかね?

何処からともなく、

No.9 No.9 No.9 No.9〜 ナンバ〜ナイン〜 ナンバ〜ナイン〜 ナンバ〜ナイン〜 ナンバ〜無い〜

おぉ〜、これってシリアル・ナンバーの無いホワイト・アルバム買えっていう秘密指令?

まさか?

四流コレクターのビー・コレ、その19 緊急速報! ホワイト・アルバムを丸裸に

2018年11月10日 | BEATLES-BADFINGER関連
助手:博士〜、たっ たっ 大変です〜

博士:一体どうしたと言うのじゃ? ゴジラでも東京湾から上陸したのか?

助手:それがですね、ゴジラでなくホワイト・アルバムが当研究所にたった今上陸しました。

博士:なんと! 至急対策本部を立ち上げねばならぬ!

助手:今回のホワイト・アルバム、どうも新型みたいでどれほどの破壊力があるのか見当もつかない状況です。

博士:よし、早速今回の新型ホワイト・アルバムを丸裸にして、その威力を分析するのじゃ!

助手:了解しました。


段ボールで装甲されています!


ドイツ製です!


箱が出てきました!


その中身は2枚組ゲート・フォールドのジャケが2組。そのうちの1組にESHER DEMOSと記載。


ジャケの内側の写真が異なっています! 上の写真はESHER DEMOSのアルバム。


トップ・ローディングではなく、通常のサイド・ローディングのジャケ。


二つ折りの英文解説書と歌詞が記入されたお馴染みのポスター。


そしてまたまたお馴染みのポート・レート4枚。



レーベルはアップル。

博士:むむ〜、一応物理的に丸裸にしたものの、さてこれからどうしたものかのう〜

CD版のセットでもよかったのだが、豪華ブック・レットやアウト・テイクのCDは1回見たりもしくは聴けば十分な気がしたのと、そもそもブルーレイに収録されたマルチの音源を再生出来るマルチ・チャンネルのシステムを持ち合わせていない。

てなことで、今回レコード4枚組のやつ買ってみた。

時間が出来たら、昔の音源と聴き比べをして見たいと思うのだが...


比較対象は、取り敢えず日本盤のファースト・プレス、4000番台の赤盤、英盤1980年代の8thプレスと米盤1968年プレスのA170万台のレコード。

果たして、いつになるやら.....

ビーマニアのように些細な違いでも反応できるような高性能な耳を持ち合わせていないので、リミックスされたと言ってもそれほどインパクトを感じないかもしれない。

違いのわかる男、ネスカフェ・ゴールド・ブレンド。

違いのわからない男、 ネスカフェ・エクセラ、20グラム増量。

私はこれで十分。

ランダムにレコード紹介、その9 全く聴いたことのないシングル盤

2018年11月08日 | JAPANESE
助手:博士〜、たっ たっ たっ たっ 大変です!

博士:一体どうしたと言うのじゃ? 久々の登場に、かなり気合が入っているじゃないか。

助手:それがですね、今日古〜いシングル盤の収納ボックス整理していたら、こんなの見つけました。

博士:オォ〜、これは中村晃子が年に出したシングル盤、“なげきの真珠”ではないか! 少し前にオークションで買った洋楽シングル盤セットに間違って紛れ込んでいたのかのう〜


オォ〜、キレイなお方じゃ。

助手:レコードなしのEPのペラ・ジャケで、しかも当時これ買った人は多分彼女の大ファンでピンナップとして壁にでも張っていたと思われる画鋲の突き刺した跡がジャケの四隅に見受けられる中々気合いの入ったものですね〜。

でっ、これどうします? 

歌謡曲なので、当研究所にはちょっと場違いな気がしないでもないので、廃棄処分にしましょうか?

博士:バッカモーン! 中村晃子といえば1967年に“虹色の湖”を大ヒットさせ、翌年1978年に出たシングル、“砂の十字架”も連続ヒットさせたのじゃ!
この“なげきの真珠”は同じ作詞作曲家のチームによる第3シングルにあたる。

助手:なるほど。単なる歌謡曲じゃなく、バックの演奏にエレキのビート・バンドを従えた、女性版一人GSってやつですね。

博士:GS(グループ・サウンズもしくはグループ・サウンド)って言葉は、ロックンロールに変わる新しい名称として、60年代の中頃登場した和製エレキ・ビート・バンドに対する総称じゃよ。

だから、彼女は女性版一人GSのパイオニアの一人と言ってもいい存在じゃよ。

助手:わかりました。取り敢えずこのペラ・ジャケは保管しておきましょう。

ところで、博士はこの歌聴いたことあるのですか?

博士:不覚にも聴いたことはない。メロディーを覚えているのは“虹色の湖”と “砂の十字架”だけじゃのう〜

Wikiによると1971年にボーリングのスポ根連続ドラマ、美しきチャレンジャーの主題歌も歌っていたとなっておるが、ドラマの主人公の新藤恵美に心が奪われてしまったのでこれまた全く覚えておらん。

ちなみに嘆きといえば、月亭可朝の“嘆きのボイン”はよく覚えておるのじゃが….

助手:それじゃ“なげきの真珠”じゃなくて全く覚えのなかった “なげきのシングル”ってことですかね?


恋に死んでしまった 真珠は、そっとひとりだけ(シングル)に なりたい〜♪




ランダムにレコード紹介、その8 孤独を感じたら故郷行きの切符を買う

2018年11月08日 | BRITISH ROCK
今日は、60年代から70年代に活躍したフォーク・ロック系シンガー・ソング・ライター、アル・スチュワート。

1976年に出たアルバム、Year Of The Catでアメリカとヨーロッパにおいて遂にブレークを果たし、 2年後のアルバム、Time Passagesで人気を固める。



アル・スチュワートは空間を歪めることの出来る超能力者か〜い!


米盤はアリスタから出た。

Time Passages 、

人は時の小道を未来に向かって歩いて行く。

時は非常に早く過ぎ去り、今まで拠り所にしていたことも、永遠ではない。

過去にやり残したことあったけど、それを振り返って眺めてみてもどうということはない。

人は時の小道を未来に向かって振り返らずにただ歩いて行くだけ。

寂しくなったら、ふるさと行きの最終列車にでも飛び乗ろう。

要約すればこんな感じの歌ですかね?

なんとなく、中島みゆきが歌っていた“ホームにて”を個人的に思い起こすのだが….

つまり、孤独を感じたら故郷に帰るっていう行動は洋の東西を問わずどこも同じ。

彼の淡々した歌唱スタイルは少々インパクトに欠け、日本ではこのアルバムそれほど話題に上らなかったような。

しかし、じっくり聴き込めば、アル・スチュワートが日本でも十分理解されるのではないか?とサントリーの角のストレートを口に少量含みながらふと思う。

毎晩酒盛りか〜い!

響がなくなってしまったので、近所のスーパーで特価で売られていた角瓶を買った。

ムム〜

一旦胃の中に流し込まれれば、角も響もそう変わらないと思えた。