CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

ZEP本日到着。

2015年02月28日 | LED ZEPPELIN関連

このブログが解説されて丁度1ヶ月経ちました。当初はレコード収納棚あるいはCD収納棚の肥やしとなっていた最近全く聴くことのなかったレコードやCDを取り出し備忘録のようなものを作ろうというのがこのブログの始まりで、アクセスのほとんどは検索エンジンが使っているBOTだと聞いていたので、素人が書いているこのようなブログ対してアクセスはほとんど期待していませんでした。

しかしながら、BOTによるアクセスの数を差し引くと、幾らかの方々が当ブログを訪問していただいていることがわかりました。書いている本人が途中で一体何を言いたいのか解らなくなるような駄文にもかかわらず、当ブログを訪問していただき感謝します。今後とも宜しくお願いします。

さて話は変わりまして、以前に予約していたLED ZEPPELINのフィジカル・グラフィティのリマスター版が本日届きました。今日はこのアルバムについて書いてみたいと思います。

1975年の6作目のスタジオアルバムで、当時録音された新曲のみではレコード1枚分が埋まらないため、3-5作目のアウトテイク7曲を加えて2枚組としてリリースされました。アウトテイクとはいえLED ZEPPELINの作ったものだから曲自体のレベルは高く、なんとこのアルバムが彼らにとってもっとも売れたアルバムとなりました。

このアルバムのハイライトといえば、長尺のIN MY TIME OF DYINGとKASHMIRだと個人的に思っています。IN MY TIME OF DYINGは各人の演奏や歌唱技術が最大限に発揮されたブルース仕立てのハードロックです。 この曲のクレジットはメンバ-4名が記載されていますが、実際はアメリカの読み人知らずの伝承歌で、1962年にボブ・ディランがそれをカバーしています。ちなみにディランのアルバムでは、TRAD.ARRANGED BY BOB DYLANと記されています。一度ディランのカバーも聴いてみてください。ギター1本のシンプルな演奏ですが、歌はとても20歳の青年が歌ったとは思えない例のダミ声で、すでに彼としては完成の域にあったと思います。 一方LED ZEPPELINの曲は、彼らのオリジナルといっても差し支えのない、独自のアレンジでした。

KASHMIRは以外とシンプルなコード進行のプログレ系のサウンドというか、クラッシックミュージックの香りもするような不思議な曲です。どこかの映画の1シーンに使われてもぴったりとハマるでしょう。

これ以外にもバラエティーの飛んだ曲ばかりで何回聴いても飽きることはないでしょう。
ぜひLED ZEPPELINの大作、フィジカル・グラフィティ聴いてみてください。

ところで、今回届いたフィジカル・グラフィティのリマスター版は、スーパー・デラックスエディションというやつで、箱の中にCDとLPが入っています。これで同様のシリーズが6作が揃ったのですが、それらの感想を書こうにも、時間の都合で今になってもまだ一度も聴くことが出来ていません。

特典であるハイレゾのダウンロードの配信が終了するまでになんとか聴き終えたいと考えています。しかしながら、たとえハイレゾの音源を貰ったとしても肝心の耳の性能が落ちているため、せっかく無理して虎の子のヘソクリで豪華版を買ったのに、猫に小判の状態になっています。
ロックに興味のないカミさんは何も言いませんが、また無駄遣いが始まったと思っていることでしょう。


猫に小判と言われる面々です。

炎のロックンローラーがBUCKET OF URINEて、何ですのん?

2015年02月27日 | Queen


クイーンのファンの間では有名な話ですが、英国の音楽評論家が英ロックバンド、クイーンのファーストアルバムが出されたあとに、その言葉を使って彼らをこき下ろしたと言われています。

たしか、彼らのセカンドアルバムQUEEN IIのライナーノートに当時の英国の状況が書かれていて、その中にBUCKET OF URINEを直訳したしょんべん桶と言う言葉が使われていた記憶があります。残念ながら当時購入したQUEEN IIのレコードが行方不明のため、確認はできませんが。

その評論家がどのような意図を持ってBUCKET OF URINEという言葉を使ったかは判りませんが、ハード、プログレそしてグラムの要素全てを纏うかのような単なる欲張りなバンドのように見え、それらの要素を完全に消化し世に出すには10年早いと評論家達の目に映ったのでは?

しかしながら、クイーンのデビュー盤はアメリカとイギリス音楽協会の両方でゴールドティスクの認定を受けていることから、新人バンドデビューとしてはそれほど悪くありませんでした。実際のところプロと称する評論家達がクイーンの作り出したサウンドについていけなかったことからくるやっかみを含んだ英国人特有のシニカルな発言ではなかったかと思います。

日本のレコード会社による“戦慄の女王”という邦題は英国伝統のハードロックというイメージ作りと彼らの作るサウンドがそれにマッチし日本人のロック好きに受け入れられたのでしょう。ロックの場合、日本人は真っ先にビートやメロディーに反応しますので、これでもか、これでもかと次々とくる音の仕掛けの連続に、当時驚き感動したことだったでしょう。

複雑な曲の構成、スピード感もあり、めまぐるしく変わる曲調、美しいメロディーなどなど最初から最後まで一気に聴いて楽しめます。特にライヤーのイントロでのギターのかっこよさ、これがロック。

初期のクイーンぜひ楽しんでください。

ところで、KEEP YOURSELF ALIVEが炎のロックンロールて、何ですのん?

当時、日本ではアメリカのワーナー系(エレクトラレーベル)から販売されジャケットカラーはピンク色、英盤はEMIから販売され紫色でした。


日本人アーチスト初登場、その名はユーミン

2015年02月26日 | JAPANESE

今回はユーミンこと、荒井由実です。

彼女がロック?

ご心配なく、今やロックはあらゆるジャンルが交わったボーダーレスの音楽のカテゴリーとなってしまっているし、また単に最高とか格好いいなどの意味もあるようです。

60年代当時、ポップス系の歌手やグルーサウンズが欧米のヒット曲を英語もしくは日本語で数多くカバーしていました。その後、カバーでは物足りなく日本独自のロックを作るため数多くのミュージシャン達が試行錯誤し奮闘してきました。70年代のはじめごろ、ロックの日本語論争なるものがあり、日本語の歌詞をロックのビートやメロディーに載せるのは難しいことから、ロックは英語で歌うべきだと唱える人達と、特に日本語や英語にこだわらず取り敢えずトライしてみようと言う人達の間での論争でした。

はつぴぃえんどが日本語の歌詞をロックに合わせる試行錯誤を重ねていき、その後出てきたキャロルなどによって、違和感はだんだん解消されその手の議論は収まりました。並行してレコード会社のプロモート活動により、ニューミュージックと呼ばれた新しいジャンルが確立されました。

その流れに乗って、1973年飛行機雲のアルバムでデビューした荒井由美は、翌年ミスリム、そして75年に3枚目にあたる当アルバムを立て続けに発表しました。 当時は英米のロックを中心に聴いていたので、どのような経緯でこれらのレコードを買ったのか記憶にないのですが、それらを通して聞いてみると、なるほど当時の既存の歌謡曲とは異なる、日本人が作った新しい歌詞とサウンドがそこにありました。

個人的には、この3枚目のアルバムで彼女のサウンドは完成されたように思います。 元はつぴぃえんどのメンバーを含む4人組バンドの信頼感のある演奏の元、 特徴のある高音でのびのびと気持ち良さそうに歌っています。

これもロック。

荒井由美のロックなCOBALT HOURぜひ聴いてみてください。

THE TOTAL ECLIPSE OF THE HEART、 ボニー・タイラー

2015年02月25日 | BRITISH ROCK

心の皆既日蝕って? 

それは、心の中に皆既日蝕が起こったみたいに、心が闇に閉ざされる、つまり人力では到底成得ない皆既日蝕の作り出す暗闇の前では全く無力であると。

この曲はプロデューサーのジム・ステインマンの作品で、この曲を聴くと彼が以前作曲とプロデュースを手掛けた ミート・ローフのアルバムBAT OUT HELLシリーズと同じような感覚が浮かび上がります。

アルバム収録されたこの曲の長さが7分と長尺なので、4分半に短縮してシングル化したところ、なんとアメリカとイギリスでチャート1位を記録。もちろん、ボニーのすぐれた歌唱力と曲の出来が相まって、そのような結果になったのでしょう。日本ではこの手の暗いイメージの曲が1位を取ることは難しく、ご存知のように、次のアルバムからシングルカットされたHOLDING OUT FOR A HEROの方がヒットしました。麻倉未稀が、テレビ番組のスクールウォーズの主題歌ヒーローという邦題でカバーしたやつです。個人的には、 ボニーの声によく似ていた葛城ユキのカバーの方をカセットテープで よく聞いていました。

話は戻って、このヒット曲を含むアルバムFASTER THAN THE SPEED OF NIGHTも同時にアメリカで大ヒットしアルバムチャートの4位まで上がり、ボニーの最高のヒットとなりました。カバーの選曲が絶妙で、ボニーのパワフルかつダイナミックな歌唱にぴったり合います。また、ブルース・スプリングスティーンのバンドメンバーであったロイ・ビダン(PIANO)やマックス・ウェインバーグ(DRUMS)、そしてウィンターファミリーのリック・デリンジャー(GUITAR)など有名どころが脇を固め素晴らしい演奏を聴かせてくれます。

ジョン・フォガティーやイアン・ハンターらのカバー曲も良く出来ているのですが、ここでは、ブライアン・アダムス作のSTRAIGHT FROM THE HEARTが一押しです。本家のブライアンが歌うバージョンより良いのでは?

80年代の名盤、FASTER THAN THE SPEED OF NIGHT是非一度聴いてください。

遥かなる亜米利加

2015年02月24日 | Chicago

いくらネタを絞り出すのが辛いからと言って、昨日の投稿記事をコピペして誤魔化すつもり?

いえいえ、そうではありません。遥かなる亜米利加とはCHICAGO VIの邦題です。

ということは、今日の投稿ために、昨日わざわざそれを使ったわけ?

そんな器用なことは出来ません。たまたまです。

というわけでシカゴの6枚目のアルバム紹介しましょう。

カーネギー・ホールの4枚組のライブ盤の後、1枚組のCHICAGO Vを出したことから、そこが彼らの創作活動の一区切りだという人もいますが、私はCHICAGO V と CHICAGO VIの間に線引きされるべきと思っています。

CHICAGO Vは、今まで発表してきた2枚組のシリーズを1枚にまとめればどうなるかという感じで制作されたように感じます。しかし同じ1枚組でも、CHICAGO VIは以前の社会や政治に関する歌詞を排し、割と身近に感じる事柄に付いて歌っているように思え、またサウンド面でも変化は見られます。

優しいピアノの弾き語りの曲から違和感なくシングル・ヒットした2曲目ポップソング(JUST YOU N ME)に繋がっていき、その後のホーンが入った曲も以前のジャズ・タッチの演奏から、ファンキーでポップな演奏に変わり聞き手の関心を繋ぎ止めていきます。そして締めのヒット曲(FEELIN’ STRONGER EVERY DAY)を高らかに歌い上げ幕を閉じます。

メンバー曰く、起伏の少ない長尺の曲を演奏すると観客が中だるみしトイレに行くこともあったため、このころから彼らの曲作りは身近で中立的な歌詞を短縮された曲に詰め込むという非常に高度な作業を要求される形に変化を遂げたものだと考えます。

CHICAGO VI、遥かなる亜米利加、その洗練されたポップ・センスを機会があれば是非ご堪能ください。


遥かなる亜米利加

2015年02月23日 | AMERICAN ROCK/POPS
今から35年以上前の1978年頃の話ですが、遠い国アメリカとはどんな国なのか、非常に興味が湧きバイトでお金を貯め一度見てこようということになりました。今でこそ簡単に行けるアメリカですが、当時はビザの申請やトラべラーズ・チェックの手配など、行く前から色々手間がかかりました。

ラジオのスイッチをひねると、当たり前の事なのですが、アメリカでのヒット曲が朝から晩までオン・エヤーされます。今ではインターネットがあるので、日本でもそれらの音源がほぼ同時に入手出来るわけですが、当時は有名バンドでもない限り、日本のレコード会社がそれらのヒット曲が果たして日本向きかどうかを検討した後レコード化を決定したので、日本でのヒットとは時差がありました。またアメリカでヒットしていた曲で、日本であまり話題にならず、帰国後ほとんどラジオで耳にしなかったものもありました。その為、アメリカ人と日本人の曲に対する嗜好はかなり違うと感じました。

驚いたのは、大手レコードショップの規模でした。日本に進出する前のタワー・レコーズに行くと、広い売り場に、日本の書店で文庫本が平積みされているのと同じように、売れ筋の新譜のレコード全てが店頭に豪快に10枚、20枚と平積みされていました。

日本の場合、旧譜は取り寄せ、新譜も棚には1枚しか置かず、売れればその都度補充という形なのに対して、レコードの棚には、新譜だけでなく同じアーチストの旧譜のほとんどが各数枚ずつ置かれ, 在庫の豊富さにも感心しました。 もちろんアメリカの場合はレコードにシュリンクのラップがかけられているので、中を開けることができず、新品としてそのままレコード棚に置いておけたと言う事情はありますが。

また、正確には覚えていませんが、アメリカのLPの価格は日本のそれより4割以上安かったような記憶があります。そのため、初めて大人買いなるものを体験、都合新譜20枚ほど買いました。
当然アメリカ盤ですから、ライナーはなく、レコードの表面が埃まみれだったり、指紋や薄い擦り傷も付いていたりと色々欠点はありましたが、アメリカでヒットしていた曲を真っ先に聞けたのは、感動ものでした。

当時、まだ日本では流行ってなく、西海岸のラジオでよく流れていた曲に、THE CARSのJUST WANT I NEEDED、BOSTONのDON'T LOOK BACK、そしてPABLO CRUISEのLOVE WILL FIND A WAYなどがありました。

機会があれば、ぜひ一度、聴いてみてください。

写真は、当時持ち帰ったレコードの一部です。


BOSTON, DON'T LOOK BACK


PABLO CRUISE, WORLDS AWAY

レオン・ラッセル、控えめな男

2015年02月22日 | AMERICAN ROCK/POPS
セッション・ミュージシャンとして数多くの有名ミュージシャン, ジョージ、リンゴ、クラプトン、ストーンズ、ディラン、デイブ・メイソンやその他多数らと共演しています。

よく雑誌などで紹介されているのは、バーズのデビューのミスター・タンブリンマンで、ロジャー・マッギン以外をレオンを含むセッション・ミュージシャンと差し替えて録音されたことや、バッド・フィンガーのデイ・アフター・デイのキーボードを弾いていた事。さらに古くは、あのベンチャーズのレーコディングでサックスやオルガンを演奏したことなど、WIKIを読めばその幅広セッション活動に驚ろかせれます。デラニー&ボニーのバンドに参加していたことから、イギリスのミュージシャンらと交流しさらに活動の幅を広げ、有名なところではジョー・コッカーのライブ・ショーやバングラデシュのライブに客演しています。

この人の作品には、このアルバムの表題曲や、マスカレードなど多くのミュージシャンにカバーされて大ヒットした曲がありますが、どうゆう訳か、公式に出されたライブ盤にはそれらの曲は含まれていません。
歌うのはお決まりのロックンロール・ナンバーかブルース・ナンバーとなっています。カバーがヒットすれば、元歌としてライブなどで歌いまくるのが普通なのですが?

2011年に出されたLIVE IN JAPANというCDにA SONG FOR YOUとGROUPIE(SUPERSTAR)がクレジットされていたので、本人が歌っているのかと聴いてみると、A SONG FOR YOU は触りだけですぐに他の曲に繋がれ、GROUPIE(SUPERSTAR)に至っては本人ではなくバンド・メンバーの女性歌手に歌わしています。

カバーのヒットなどに乗じて自分自身を売り出すことに興味のない、控え目な人なんだろうと感じます。

数年前、エルトン・ジョンと共同制作したUNIONでも渋くていい味を出しています。レオンのA SONG FOR YOU とエルトンの YOUR SONG、歌詞も曲調も違うけど、どちらもピアニストが作った素晴らしい曲でお互いがレスペクトし合っているように思えます。

とりあえず、レオンのファーストソロ聴いてみてはいかがでしょうか。1曲目のA SONG FOR YOU最高です。

ジェームス・テイラーとピーター・アッシャー

2015年02月21日 | SSW

ピーター・アッシャーにプロデュースされた、記念すべきアップル・レーベル契約第一号のデビュー・ソロ・アルバムです。
これがロックかと言われると、それらしき曲はあるものの、基本的にはカントリーフォーク系のサウンドでしょう。

ピーター・アッシャーといえば、あのピーターとゴードンのデュオの片割れで、妹の女優であったジェーンが当時ポール・マッカートニーのガール・フレンドであったことから、デュオはポールから”愛なき世界”という曲を提供されヒットさせました。その後歌手活動をやめて、アップルの新人発掘の担当となりました。

一方ジェームスは、友人の紹介でイギリスにいたピーターと会うことになり、その後ピーターが彼をポールに紹介したことからアップルとの契約に至ったようです。

出来の良いアルバムと思います。しかしチャート的には不発で、もともとイギリスではカントリー系の音楽はあまり受けなかったのと、当時のアップルの経営のゴタゴタから充分なプロモーションが出来なかったことが原因と思われます。何故なら、アップルとの契約解除後、アメリカに戻り再度ピーターのプロデュースで制作されたSWEET BABY JAMESがアメリカで大ヒットしたからです。その影響を受けて、このデビューアルバムも再評価されたとか。個人的には、アメリカに戻ってからのジェームス・テイラーの歌い方がさらにソフトになったような気がします。この耳触りの良い歌い方がアメリカで癒し系のサウンドとして受けたのかもしれません。

ピーターも一連のジェームスのアルバムをプロデュースし大成功に導いた後、ジェームスの妹のケートの紹介でリンダ・ロンシュタットのプロデュースも手掛けました。リンダの大ブレークによりピーターのアメリカでのプロデュースの実積は確固たるものとなりました。

このアルバムのSOMETHING IN THE WAY SHE MOVES(ジョージが出だしの言葉を拝借?)とCAROLINA IN MY MIND(オリジナルには、ポールとジョージがレコーディングに参加)は1976年のベスト アルバムで再録。また、NIGHT OWLはその後ジェームスと結婚することになるカーリー・サイモンがNO SECRETS のアルバムでカバーしました。(リチャード・ペリーのプロデュースとジェームスの繋がりで、ポールとリンダがバック・コーラスに参加)

簡単に言い換えれば、 善意の紹介に繋がる有益なコネはダメ元でも積極的に利用すれば、いつかそのネット・ワークを通してツキが回ってくるかもしれない、というお話でした。



これがストーンズ、オクタゴン

2015年02月20日 | ROLLING STONES関連
大阪を代表する駅弁といえば八角弁当、ストーンズの60年代後半の代表作を聴くならオクタゴン・アルバム。

ブライアン・ジョーンズをクビにし、新メンバーとしてミック・テイラーが加入した新生ストーンズのお披露目ライブを計画していた矢先、ブライアンが急死するという、ストーンズのメンバーには思いもよらない事態になりました。そこでブライアンの過去の功績を讃えることと、新たなる活動を始めるための過去との線引きとして、このアルバムが1969年に発表されました。

この1枚は編集アルバムですが、シングルのみで発売されたヒット曲を数多く集めたり変形ジャケットの採用などで、単なるベスト物というよりは、当時はオリジナル・アルバムのような位置付けだったのではないかと思います。
後年数々のベスト盤が出て、ビートルズのオールディーズのように、アルバムの稀少価値は薄れましたが、初めに言った通り、その時期のベストを一気に聴き時代を感じ取るというのであればこれが一番でしょう。

LPはこのアルバムで唯一ミック・テイラーがギターを弾いた、ホンキー・トンク・ウィメンで派手に幕を閉じます。ブライアンへの別れの挨拶?

写真は2010年に復刻されたLPで英盤の選曲です。


これもストーンズ、魔王賛歌

2015年02月19日 | ROLLING STONES関連
某大手通信進学講座が、例の不祥事の汚名返上するためかどうかどうかはわかりませんが、連日その会社のコマーシャルがテレビで流されています。今朝テレビをつけると偶然目にしましたので、 今日はそのコマーシャルに使用されたShe’s A Rainbowが含まれている魔王賛歌について書きます。

Her Britannic Majesty’s Request (英国女王陛下の命)をもじったTheir Satanic Majesties Request(魔王達の命)は間違いなく前年に出されたビートルズのSgt. Pepper’s のアルバムに影響を受けています。
始めて聴いたときは、これはストーンズのアルバム? と思ったぐらいでした。当時アルバムの出来を否定的に捉えていたメンバーもいたようだし、ストーンズもついにネタ切れか?と酷評していた評論家もいたとのことです。

しかしながら、コマーシャルを見ても、イントロの部分だけですが、妙に耳に残りますし、今改めてアルバムを通して聴いても酷評されるような出来ではないと個人的に思います。当時のサイケデリックのムーブメントに乗った内容で、所々にストーンズの香りがするといった感じでしょうか? またミックとしては、アルバムの出来不出来に関わらず、一度は実験的な分野もやっておくべきと考えこのアルバムを制作したのではないでしょうか? まあ彼に聞いてみないと判らないことですが。

ストーンズの当時の実績もあってか、チャートではアメリカ2位、イギリス3位とそれほど悪くはありませんでした。

ジャケットに関して、オリジナルは表紙に3Dのメンバーの写真を貼り付けていました、何年か経つと劣化するので、再プレスでは通常の写真になったとのことです。Sgt. Pepper’s の表紙にWelcome The Rolling Stonesとあったので、その返答として表紙の写真にビートルズ4人の顔を紛れ込ましています。




いよいよネタ切れか?

2015年02月18日 | 考察シリーズ
仕事の合間に、毎日ブログを更新しようとすると結構厳しいものがあります。先ほど、息抜きにネットを見ていると、タバコがらみのCDジャケット募集中などとあるネットにスレッドが立っていました。
我が家にそれに該当するものがどれだけあるのだろうかと探したところ、いろいろ出てきました。完全なパクリ企画ではありますが、本日のネタは我が家のタバコ祭り開催と急遽決定しました。スレッド立てた人、ごめんなさい。

70年代というのは、国内や海外、またフォークやロックを問わず 結構タバコを吸っていたミュージシャンは多かったと思います。昨今の健康志向やタバコ税の驚異的な高さから、最近ではタバコを吸う人はあまり見かけません。

その昔、医学生だった先輩曰く、解剖の実習で、タバコを吸う人の肺は本当に真っ黒になっていたので、タバコは吸わないほうが間違いなく体の健康によいと諭されました。そして、40代になってなんとか喫煙の習慣がなくなりました。

とはいえ、タバコを毎日吸っていても長生きする人はいますし、吸わなくとも早死にする人もいます。まあ、人それぞれで、あまり深く考えにようにしましょう。

さてタバコ祭りの開催です。


Ray Kennedy、80年代のAORの香り満載です。この人のことを知らない人が多分多いのではないかと思いますが、サイド-2の1曲目のYou Ought A Know By Nowは、ある日本のシンガー・ソングライター作のパープル・タウンという曲にこの曲のメロディーとそっくりな箇所があり、最終的にパープルタウンはRay Kennedyとの共作になったと聞いています。今回パクリ企画なのであまり偉そうなことは言えませんが。


Dave Mason、忘れえぬ人の外と内ジャケットの写真です。
内ジャケットの方がかっこいいですね。昔、日本のフォーク・シンガーがよくギターの弦の先っぽに同じようにタバコを刺していたの覚えています。


Jefferson Starship、アルバム“Earth”の裏ジャケです。マーチン・バリン決まってます。


David Bowie、アルバム“Young American’s”です。これも決まってます。


J.D. Souther, アルバム“Home By Dawn” です。モテる人は一味違います。


Donald Fagen、アルバム“The Nightfly”です。一度DJやってみたい。


Eric Clapton、アルバム“Money & Cigarettes”です。タバコ企画そのものです。


10cc、アルバム“How Dear You”です。電話で何を話しているんですかね? 今日の夕飯は何かな? アジの開きよ。とか。


Tom Waits、アルバム“The Heart Of Saturday Night”です。夜の街に似合う男。


Van Halen、アルバム“1984”です。タバコ企画の極め付けのジャケット。

今日はここまで。ご閲覧ありがとうございました。

ALL THINGS MUST PASS、 ジョージ ・ハリスン

2015年02月17日 | BEATLES-BADFINGER関連
前回、TAXMANでしたので、関連してジョージのアルバムについて書きます。

それまで書き溜められていた曲を一斉放出!
ゴスペル調のポップソングMY SWEET LOAD、ビートルズぽい長尺7分の 感動的なバラッドISN’T A PITY、カントリーのBEHIND THAT LOCKED DOOR、ホーンのバック・アップで力強く歌われるWHAT IS LIFE、 コマーシャルなタッチのAWAITING ON YOU ALL、ユダヤ系メロディ?のART OF DYING、ジョージ流ディランのカバーIF NOT FOR YOUなどなど、このアルバムを聞くと誰しもジョージ・ハリスンの曲作りの多様性に驚くことでしょう。
私も何度もこのレコードを聴いてきたことで、レコードが擦り切れるようなことはありませんでしたが、ボックス・アルバムの背表紙に印刷してあった金文字のタイトルはとうの昔に消えてしまっています。

個々の曲に関する詳しい解説や感想は、すでに多くの方がネットにすばらしいレビューを掲載されていて、文才のない者があえてそれらをなぞってもあまり意味のないことなので割愛。

ところで、このアルバムにGEORGE O’HARA-SMITH SINGERSという名前が記載されているのですが、これはジョージの変名であり、MY SWEET LOADのバックコーラスは、マルチ・トラックにより録音された自身の声を重ね合わせて作成されているとWIKIに記載されています。一人で歌っていたんですかね?

変名といえば、これ以外にジョージは結構使っているようで、JAI RAJ HORISEIN(ダークホース・レーベルのスプリンターのアルバム)、 HARI GEORGESON(スプリンターやシャンカール・ファミリー・アンド・フレンズのアルバム)、NELSON WILBURYS (トラベリング・ウイルベリーズVOL.1)、 SPIKE WILBURY(トラベリング・ウイルベリーズVOL.3) L'ANGELO MISTERIOSO(クリームのバッジのリズムギター担当)など。
レコード会社の契約の関係やジョークで使った変名など、ジョージのユーモアのセンスが見受けられます。

ユーモアとウィットに富み、謙虚で穏やかな性格が多くの人に愛された理由ではないかと思います。それはこのアルバム制作に、お金を積まれただけでは来てくれないような一流ミュージシャン達が数多く参加していることからも一目瞭然です。

一度聴いてみてください、ツボにはまればヘビロテ間違いなしです。

写真は、1971年発売の東芝音工黒盤(AP-9016C)。ビートルズ関連では、このアルバムがホワイト・アルバムを凌ぐ最難関のものでした。何しろ、当時の価格で3枚組5000円と、正月でもこない限り購入不可能な価格設定でした。

変名の記載の写真は下記通りです。

GEORGE HARRISON, ALL THINGS MUST PASS - GEORGE O’HARA-SMITH SINGERS


CREAM, GOODBYE, BADGE - L’ANGELO MISTERIOSO


SPLINTER, THE PLACE I LOVE, DRINK ALL DAY - HARI GEORGESON AND JAI RAJ HARISEIN


タックスマンとビートルズ

2015年02月15日 | BEATLES-BADFINGER関連
言っておくけど、あんたの取り分が1で、こちらが19
何故って、俺は税務署のお役人。そう、俺は税務署のお役人

5%の取り分じゃ少な過ぎるって?
全部持って行かれないだけでも感謝してよ
何故って、俺は税務署のお役人。そう、俺は税務署のお役人

車を運転するなら、通行税
椅子に座るなら、座席税
寒けりゃ、光熱費税
歩くのなら、その足に税金
税務署のお役人さ

そうさ俺は税務署のお役人
そうさ俺は税務署のお役人

何のためにそれが要るのかってことは聞かないで(税務署のお役人、ウィルソンさん) 当時の首相兼労働党党首
それ以上払いたくないって?(税務署のお役人、ヒースさん) 当時の保守党党首
何故って、俺は税務署のお役人
そう、俺は税務署のお役人

死んでいく連中に言っておきたいんだけど
その目ん玉にも幾らか申告しておいてよ
何故って、俺は税務署のお役人
そう、俺は税務署のお役人

それで、あんたが待っているのは誰でもなく俺だよ

皆様、確定申告の季節がやってまいりました。

我々の血税がどのような形で有効に使われているか判らないなか、出来ることなら、納税額を低くしたいのは人情です。
知恵を絞って節税に励みましょう。

写真は、1966年発売の東芝音工赤盤オデオン・レーベルです(OP-7600)


ホワイト・アルバム  アゲイン、一粒で二度おいしい

2015年02月15日 | BEATLES-BADFINGER関連
一粒で二度おいしいのはアーモンド・グリコだけではなく、ビートルズの各アルバムも同様に音楽だけではなくジャケットのアートも結構楽しむことができます。

クラウス・フォアマン作のリボルバーのジャケットを飾るメンバーのイラストと写真のコラージュの合体、SGT.ペッパーズにおける著名人との集合写真、レット・イット・ビーでの黒塗りバックの4枚のポートレイトによる解散の暗示?、そしてアビーロードのジャケットから当時噂となったポール・マッカートニーの死亡説などなど。

ホワイトアルバムでは、4人の個性という意味から4枚のポートレイトとメンバー写真のコラージュされた不思議な感覚に陥るポスターの封入などがありますが、一番ユニークなのはレコードの表ジャケットに通し番号が打たれていることです。このことにより、世界で1つしかないレコードとなり所有欲を満たされるということでしょうか。

日本盤の通し番号に付いてネットなどで調べますと、1989年ごろプレスされた消費税価格表記の国旗帯付きのレコード番号EAS-77001/2あたりまで通し番号が記載され、45万台まであるとのことです。

ちなみに私の手持ちのレコードには、国旗帯には消費税価格表記なしで、43万台の番号がジャケットに記載されています。このことから、87-88年頃のプレスじゃないかと推察できます。92年に販売された新企画のレコード番号TOJP-7080/81からは通し番号が消えています。

また日本で69年1月に発売された初回盤は丸帯もしくは瓢箪帯付きのレコード番号AP-8570/71は、おおよそ10万台までの通し番号が記載されているとのことでした。初回盤は赤盤で製作されたとの情報と、中古で入手した5万台のホワイト・アルバムは黒盤でした。すなわち5万台あたりから黒盤に変更されたのではないかと思っていました。

そこで、さらに他の手持ちのホワイトアルバムやネットの画像などで調べてみると、4千台、2万台、3万台そして4万台は赤盤だったのが一応確認できました。 しかしながら、その後 ビートルズ・マニアの方のサイトでアップされていた画像に8万台の赤盤を発見、そしてネットオークションで赤盤と思って落札した3万台のホワイト・アルバムが黒盤、という矛盾に遭遇しました。

当時メーカーは、赤盤と黒盤を通し番号で正確に管理せずに出荷していたのでしょうか? 謎は深まる。

写真は米盤のホワイト・アルバム。サードプレスよりタイトルがエンボス加工ではなくなり灰色で印刷されていて、通し番号はファースト・プレス以後は記載されなくなりました。

PROCOL HARUMの青い影とは?

2015年02月13日 | BRITISH ROCK
プロコルハルムの青い影は、1967年の彼らのファースト・シングルでバッハの曲をモチーフに、オルガンの荘厳な響き、ゲイリー・ブルッカーのソウルフルな歌唱が上手くミックスされた曲で、世界的な大ヒットとなりました。たしかに当時誰が聴いても非常に心地よく感じたロックの名曲だったのは間違い無いでしょう。

作詞担当のキース・リードの作る詩は映画の中のある切り取ったシーンに独自のストーリーを乗せていくような作風で、前衛的な映画を途中から観て状況がよく把握出来ないのと同じような感覚を受けます。サビの部分にTHE MILLER TOLD HIS TALE THAT HER FACE AT FIRST JUST GHOSTLY TURNED A WHITER SHADE OF PALE”と言うくだりがありますが、私的に直訳してみますと“ミラーの話を聞いた後、最初幽霊のような顔付きだったのが、更に白さを増し青白い影に変わった???” THE MILLERとは何者? 何故、詩の情景描写と異なるイメージの青い影という邦題が付けられたのか? 難解な歌詞ですね。

プロコル・ハルムの曲は歌詞の部分も非常に重要ですので、国内盤のレコードやCDのライナーには、通り一遍のありふれた解説だけではなくもう少し掘り下げた内容であれば、更にプロコル・ハルムを理解することができ、彼らの音楽を楽しむことができたのではと思います。1978年国内盤再発時のライナーですが、今改めて読んでみると、年表のような単純な紹介文だけに終わっています。また、ギターのロビン・トロワーをロビン・トワローやロビン・トワワーと誤記したり、リーダーのゲイリー・ブルッカーとは全く別人の”ゲイリー・ライトもドリーム・ウィーバーのヒット曲を放って“ と間違がった解説など突っ込みどころ満載です。これを見たら、ゲイリーとロビンも非常に残念に思ったことでしょう。ちなみに、ゲイリー・ライトは、英ロックバンドのスプキー・トゥースのキーボードとボーカル担当で、解散後ソロになり“ドリーム・ウィーバー”のヒット曲を放なっています。またビートルズのジョージ・ハリソンのソロにも参加しています。

1978年再発国内盤とそのライナーです。

オリジナル英盤は、PROCOL HARUMというタイトルで青い影は含まれていませんでしたが、青い影の異例のシングル大ヒットということで、その後LPには1曲目、再発CDにはボーナストラックとして編入されています。