CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

どうなるんだろう?

2024年10月28日 | Euro Pop

昨日衆院選があって投票してきたのだが、本日のニュースでは投票率が53.85%と戦後三番目に低かったとの事。

日本の場合、誰が政治を司っても生活はそう代わり映えしないって諦めの心境なのか?

てな事で、本日はChe Sara’ (どうなるんだろう?)でも。

数多くのアーティストが歌をカバーしている名曲だが、極め付けはやっぱりホセ・フェリシアーノが1971年のサンレモ音楽祭で披露し第2位に入賞バージョン。

プエルトリコ出身の盲目のギタリストであり歌手でもある彼のバージョンはイタリア語で歌われ、その内容はオイラには全く意味不明ではあるが、聴くだけで何故かいつも感動してしまう素晴らしい出来栄え。

日本盤のシングルにはサイドー1がイタリア語バージョンでサイドー2は英語のバージョンとなっている。ただ英語のバージョンはSheke A Hand(愛のシェイクハンド)に改題されていて、サビの部分のChe Sara’ Che Sara’と歌うところがSheke A Hand Sheke A Handとなっていていまいちピンとこず元歌のイメージが崩れてしまっている感が….

ところで日本の政治はこれからどうなるんだろう?

不安定な政局を解消するため、誰かと誰かがシェイクハンドするのかな?

フェリシアーノさん、明日になればわかるだろう(Da Domani Si Vedra)って歌ってます。


AORの頂点に立つ

2024年10月27日 | AMERICAN ROCK/POPS

1974年、バンド・メンバーを入れ替え新生フリートウッド・マックが誕生。

翌年のバカ売れしたセルフ・タイトルのアルバムに続く第2弾のアルバム、Rumoursが1977年に完成。

前作と同様個性の異なった自前の3人のソング・ライターによるポップな作風は変わらずも、今回更に磨きの掛かった内容のアルバムは全米・全英のチャートでそれぞれ1位を獲得するだけでなく彼らの昨日の中で最も売れたアルバムとなり、全界での通算の売れ行きが4000万枚を突破。

とは言え、オイラとしてはボブ・ウェルチ在籍時代のマックと芸風はさほど変わっていないように思うのだけれど…

何が一体これ程の大爆発を産んだのか?

まあ新規加入のリンジー・バッキンガムとスティーヴィー・ニックスの一味違うフレッシュな自作曲と彼らのヴィジュアル面なんかがかなり功を奏したとは思うけれど….

ハードやプログレ・ロックが70年代初期ごろの勢いを無くし、中期にはディスコやパンクが台頭したものの少々食傷気味になったリスナー達。

やっぱり時代が新しいスターを欲したのかな?


この曲なしには語れない

2024年10月26日 | BRITISH ROCK

ここのところ、発掘しされた日本で流行った70年代洋楽ヒット・シングル集のCDの何度か聴き返して楽しんでいる。

やっぱり70年代の曲は肌に合う。それもそのはずオイラの楽しかった青春時代の中心だったからより思い入れがある。

本日はそのCDに収録されていなかった、ハリー・ニルソンのWithout Youでも。

1971年にアップル・レーベルから発売されたバッドフィンガーのアルバム、No Diceに収録された曲で、メンバーのビート・ハムとトム・エバンスによるお互いのアイデアを折衷した作品となった。

ニルソンはカバーするに値する素晴らしい曲と思い当初ビートルズの曲だと思っていたそうな。

彼は激しいピアノ・ソロなんかを用い荒涼した情景をイメージするアレンジを当初検討していたが、プロデューサーのリチャード・ペリーに説得されポール・バックマスターによるストリングスをバックに重厚なバラードに変換された。

コレが功を奏し全米・全英1位の大ヒット。このシングルを収録した1972年のニルソンのアルバム、Nilsson Schmilssonも全米3位の大ヒット。更に90年代になってマライヤ・キャリーに再カバーされコレまた大ヒット。

ただ残念なのは、この曲を書いたお二人が後に悲劇の死を遂げた事。

ビートルズ解散後闇雲に手を広げ過ぎて収拾がつかなくなったアップル・レーベルによるバンドに対する仕打ちや、バンドと契約したマネージャーの裏切りなどトラブルを数多く抱え込み、思ったようにバンド活動に専念出来ず行き詰まり最悪の事態となってしまった。

思うに、問題は彼ら自身がバッドフィンガーとして作り出した曲の素晴らしいさをよく理解していなかった、もしくは気付いてないなかった事ですかね。

もしWithout You以外にも他のアーティストに曲を提供し別アレンジでカバーすれば同様に大ヒットし、別の人生があったかも….


まさかのベット・ミドラー

2024年10月25日 | AMERICAN ROCK/POPS

昨日発掘したCDの中からこんなのも出てきた。

1979年の映画、The Roseのサントラ盤。

短命だった伝説の女性ロッカー、ジャニス・ジョップリンの生き様をモデルにした映画でベット・ミドラーを主人公を演じている。

ジャニスも凄かったがベット・ミドラーも本編内のライブにて負けずに迫力のある歌唱を披露している。

元々彼女は演劇を学び舞台女優を目指してハワイからNYにやってきた。そこで歌唱力も認められ、1972年のデビュー・アルバム、The Devine Miss Mでの彼女が披露したトラッド・ポップスは多くのリスナーを魅了し大ヒットし、その後彼女はシンガーの仕事と並行して映画にも出演するマルチな活躍を継続していった。

因みにオイラはベット・ミドラーと言えば映画に登場する芸達者な印象が強い。

80年代当時、若き日のオイラは1982年のダニー・ディヴィートと共演したコメディタッチの映画、殺したい女(Ruthless People)からフォーエバー・フレンズ(Beaches)など数本と90年代のフォー・ザ・ボーイズなんかを見た記憶が….

それはさておきオイラが知らないうちに瞬間的な流行歌とは無縁のベット・ミドラーのThe RoseのCD買っていたなんて、うちのカーチャン中々やるじゃん。


まさかのマイケル

2024年10月24日 | R&B

昨日発掘したCDの中からこんなのが出てきた。

2008年のマイケル・ジャクソンのコンピ・アルバム、King Of Pop。

(デモ・バージョンのWe Are The Worldは拳の効いた騒々しいコーラスがなくてスッキリ、またマイルスがカバーしたHuman Natureもいい感じ。)

この企画は世界の20数か国においてリスナーによる人気投票によって制作された企画物ベスト・アルバム。それぞれの国によって選曲が異なり、また収録曲の数もそれぞれの国によって異なり、CD2枚組や3枚組などボリューミーな商品も登場。日本盤はCD1枚での必要最低限を押さえたコンパクトな編集で拗さをなくしスッキリ感を演出している。

因みにオイラ的にはマイケル・ジャクソンってアイドル系メガスターとして認知してはいるけれど、レコードを買って聴く存在ではなかった。

現在友人がもう聴かなくなったからと譲ってもらった1979年に出たレコード、Off The Wallを1枚所有しているだけだ。

このアルバムからマイケルはモータウンからエピックに移籍。クインシー・ジョーンズが新たにプロデューサーに加わった事により一皮剥け、世界で通算2000万枚以上売れたアルバムはマイケルをメガ・スターの誕生へと導くことに。その後もThrillerなどメガ・ヒット・アルバムを連発し更なる高みに登って行った。

ただそれと並行して音楽以外でのスキャンダラスな騒動なんかが結構あってオイラとしては少し引いてしまったかな?

そんな状況で、オイラの預かり知らぬ押し入れ内の遺跡から今回マイケルに関するベスト物CDとDVD3点が発掘されたのは今世紀最大の驚き!

まさかうちのカーチャンがマイケルのファンだったとは!

早速CDをPCにリッピングして聴いてみる事に。

オォ~、それまで耳にした事のあるアップ・テンポのヒット曲もいいが、メロディアスなバラードも身に沁みる。

結局聴かず嫌いだったのかもね。

これで今日からオイラもマイケルのファン。


懐かしの70’s

2024年10月23日 | 特になし

先程うちの相方が部屋を整理していたところ、大昔彼女が買ったオイラの知らないCDが20数枚ほど出てきた。

買った当初以降はあまり聴くこともなかったのでいつの間にかに押し入れの中で寂しく長~い眠りについていたそうな。

本日はその中から2004年に出たCD2枚組のコンピ物でも。The 70’sというタイトルで70年代に日本で流行った洋楽シングルが計42曲も集められている。

なるほど日本人向けならではの選曲がされていて興味深いね。

ディスク1では

クイーンのキラー・クイーン;日本じゃボヘミアン・ラプソディーより印象が強いのだろうか?

ランナウェイズのチェリー・ボム;ジャケにはチェリー・ボンブと記されているのはご愛嬌

ポルナレフのシェリーに口づけ;日本ならではのフレンチ・ポップからの選曲

ルベッツのシュガー・ベイビーラブ;子供の小学校時代の運動会でこの歌が使用されていたっけ。

ニュー・シーカーズの愛するハーモニー;日本じゃペプシよりコカ・コーラ。

ジグソーのスカイ・ハイ;ジァケに日本独自にミル・マスカラスの空中殺法、スカイ・ハイ?の写真が使われているのが売り。

ダニエル・ブーンのビューティフル・サンデー;日本で大ヒット、田中星児が歌う日本盤も忘れないで。

ディスク2では

デビッド、ボウイのフェイム;日本じゃジギーではなくてディスコのボウイなんだね。

ショッキング・ブルーのヴィーナス;日本では大ヒットするも、第二次大戦でインドネシアでオランダが日本と戦った事から、事実かどうかは定かではないが当時日本にいいイメージ持っていなかったなんて話も…

オリビア・ニュートン・ジョンのカントリー・ロード;日本じゃ本家のジョン・デンバーより売れたんじゃないかな? 田中星児ヴァージョンもお忘れなく。

ベイシティー・ローラーズのサタディ・ナイト;この歌はオイラも結構好き。

ジェリー・ウォーレスのマンダムの歌;やっぱり、ウ~ン マンダム!


癒しのミュージック

2024年10月22日 | PROG ROCK

オランダ出身のギタリスト、ヤン・アッカーマンがタイス・ファン・レーンのバンドに加入して1970年フォーカスが誕生。

その後フォーカスはオランダのバンドとしてはショッキング・ブルーに続いて国際的に人気を博した。

またヤンはフォーカスの活動と並行してソロでも活動を続け、1972年のフFocus IIIのレコーディング後、1973年にソロ・アルバムTabernakel(聖櫃)を出す事に。

基本的にはヤンの爪弾くリュートによる深掘りされた中世の古典的雰囲気が味わえる癒しのアルバムとなっている。また数曲にBBA加入前のティム・ボカートとカーマイン・アピスのリズム・セクションがアクセントを加え現代に引き戻される仕掛けも味わえる。(フォーカスでレコーディングされたHouse Of Kingがティム・ボカートとカーマイン・アピスのリズム・セクションをバックに再録されていて聴き比べることができる。)

とは言え、基本的にはフォーカスとは一味違うヤンの個人的な趣味の色彩の強いアルバムでリスナーによって好みが分かれるところではある。


90年代のプログレ

2024年10月21日 | PROG ROCK

80年代に大幅なメンバー・チェンジがあったイエス。その後新生イエスと旧メンバーによるABHWが合体し1991年にアルバム、Unionを出しツアーに出た。

その後ビクトリー・レーベルから80年代に出したアルバム、90125やBig Generatorの様なポップ色の強いアルバムを出して欲しいとのオファーがあったが、その路線とは相容れぬスティーブ・ハウとビル・ブルーフォードが脱退し、またリック・ウエイクマンもソロ活動のスケジュールの都合で不参加。

結局残りのメンバーで1994年に完成したアルバムがTalkだった。

このアルバムは、制作を主導したトレバー・ラビン色が強く出ていたり、元スーパー・トランプのロジャー・ボジソンと共作したWallも収録されたり(それまでカバー曲を除いては外部作家の手による作品はなかった)、またそれまでのロジャー・ディーン作のお馴染みイエス・ロゴからピーター・マックスの手書きによるシンプルなロゴに変わり色々話題を振りまいた。

ただ、従来の保守的なイエス・ファンからはポップ過ぎて方向性が違うとの事でそれほど歓迎されず、アルバムの売れ行きもあまり良くなかったそうな。

オイラとしては90年代のプログレとしてコレはコレであり!って感じで、前作Unionよりはよい印象が….

因みにジョンと仲がそれほど良くなかったらしいトレバーはこの後バンドを去る事に。

その割には旧オリジナル·メンバーが集まってイエスを再開させたり、2017年のLive At The Appoloでジョン、リックにトレバーの3人が揃い踏みと実のところ仲はそれほど悪くなさそうな…


いつものハード・ロック

2024年10月20日 | American Hard Rock

60年代末から70年代にかけてツェッペリン、パープルやその他諸々の英ハード・ロック・バンドが台頭し少々押され気味だったアメリカン・バンドではあったが、その中で持ち前のハードなサウンドで気を吐いたのはグランド・ファンク・レイルロード。

1971年の5枚目のスタジオ・アルバムはE Pluribus Funkも米チャーチ5位まで上り詰める大ヒット。

ちなみにE Pluribus Unum(イー・プルリブス・ウーヌム)とはラテン語で“多数からひとつ”という意味で17世紀に制定されたアメリカ合衆国のモットーで、鷲がそのモットーが書かれた布を加えている図柄が国の認証とかコインのデザインに使用されているいて、のはよく知られているところ。 それを文字ってアルバム・タイトルをE Pluribus Funkとした。日本盤の邦題はそのような面倒な説明を避けるためか、2曲目に収録されているPeople,Let’s Stop The War、すなわち“戦争をやめよう”となった。 

(1971年プレス、米盤。シルバー・コインを模した変形ジャケ。そう、俺たちがアメリカ代表のハードロック・バンド!)

今回はカバー曲がない全曲マーク・ファーナーのオリジナルと結構制作のハードルが高かったものの、基本的にはトリオ編成のユニットでいつもながら愚直でシンプルなハード・ロックをわずか1週間程度で録音を完了させる離れ業をやってのけている。 

60年代半ば、ニューヨック・メッツのかっての本拠地シェア・スタジアムでビートルズが行ったコンサートにおける観客動員数の記録を上回るノリに乗った彼ら。

ライブに於いて観客を一気に乗せる技はシルバーでなくまさしくゴールド・コイン。

 


懐かしのジーンズ

2024年10月19日 | ROLLING STONES関連

本日はローリング・ストーンズ・レコードからの1971年出た第一弾のレコード、Sticky Fingersでも。

(1977年の再発米盤)

前作のLet It Bleedと同じアメリカ南部のルーツ・ロック志向のもと、ブライアンの代わりに加入したギタリスト、ミック・テイラーもフルでレコーディングに参加とバンドのさらなる進化に貢献している。

ところでジャケを眺めていると、学生時代はジーンズによくお世話になって、リーバイス、リー、ラングラー、ボブソン、ビッグ・ジョンにエドウィンなんてブランドを思い起こす。

フォーマルな装いで参加の集いなんてほどんどなかったからこれ1本あれば何処へでも行った。しかしながら働き出すとどうしても運動不足に陥りまた食べる量が減らなければ太り始めるのは避けられない。

てな事で仕事がオフでラフな出立の時でも、ウエストがキツくなり太腿もパンパンで圧迫感が半端なくジーンズ以外の伸縮自在のパンツ愛用となってしまった。

あれから数十年経ち、オジンになった今、食も細り適度な運動を続けて行くと、筋肉量は落ちたものの、ようやくかっての体型に戻ってきた。

ただオイラの現状の年齢・風体を考えるともうヴィジュアル的にミス・マッチって感でジーンズを再び履く事もないかな。

オォ〜 懐かしのジーンズのジャケが生存。もう着ないけれど、たまに洗って干したりしている。


Wind On The Water

2024年10月18日 | CSN&Y

4人組、CSN&Yの1970年のアルバム、 Deja Vuが成功を収めた後カルテットは一時解散し各自ソロ活動を開始。

それぞれ個性の強い4人組の中で何となく馬が合ったのか、クロスビーとナッシュが合体しデュオを結成し、1972年位デビュー・アルバム、そして1975年に第2弾のアルバム、Wind On The Waterを出す。

レコーディングのバックにはジェイムス・テイラーのバックを務めたザ・セクションのメンバー、ゲストにはジェイムス、キャロル・キングやデビッド・リンドレーらが参加と豪華なメンツが揃った。

スティルスやニールらと比べると派手さはない2人組だが、彼ららしい誠実に作り上げられた自作曲にいつもの爽やかなコーラスが乗っかり、バックもこれまた洗練された演奏を提供している。

ベトナム戦争終結によって大きなベクトルが消失し区切りがつき、新たな価値観を求めてなのか私的な作品に仕上がった好アルバムだと思う。

ただ個人的には、我が祖国は自然の恵みとして鯨油だけでなく余す所なく頂きもう長年の食文化になっているので、反捕鯨の歌は少々引っかかるね。

まあ英語で歌われているから、直接には響かないんだけれど…


対/TSUIが一つとなって安定

2024年10月17日 | PROG ROCK

1987年のアルバム、A Momentary Lapse Of Reason以来のピンク・フロイドの久々のスタジオ・アルバム、The Division Bell(対/TSUI)がでた。

デビッド・ギルモアのソロ・ギターを十二分に楽しめるし、キーボードのリチャード・ライトもバンドの正式メンバーに復帰し数曲の作曲に関わりまたボーカルも披露。

ロジャー・ウォーターがバンドから脱退して2作目のアルバムでもあり、肩の力も抜けたかな。またロジャーがいなくなった事でサウンドの翳りのようなものが薄らぎ随分明るく聴き易くなったような….

英米で同時にチャート1位になり、ロック・インスト部門でグラミー賞を獲得と絶好調。

70年代のフロイドの作品群に対してあった様な驚きは感じないけれど、安定のフロイドとして楽しめる。


英米混成軍団

2024年10月16日 | AMERICAN ROCK/POPS

1976年、元スプーキー・トゥースのギタリスト、ミック・ジョーンズ、元クリムゾンのイアン・マクドナルドにデニス・エリオットの英トリオにアメリカ人トリオ、ルー・グラム、アル・グリーンウッドとエド・ガリアルディ一が合体しフォリナーを結成。

ミックはスプーキー・トゥース時代にマイク・ハリソンやゲイリー・ライトのパワフルでソウルフルなダブル・ヴォーカリストを擁して活動していたがちょっぴり泥臭くて一般受けしなかった。

フォリナーではそれを踏まえてルー・グラムのヴォーカルの能力をより引き出しつつアメリカのマーケットをターゲットに英ロック特有のウェットさをしっかり拭き取りスッキリ・クッキリのポップ路線へと舵を切った。

結果、1977年のセルフ・タイトルのデビュー・アルバムがアメリカでチャート4位、そして通算売り上げが500万枚以上の大ヒットを記録。

英米ロックの中道的なラインをうまく攻めた事が決め手だったと思う。

サクサク聴いていけるので何回でもおかわり出来る。

大ヒットするわけだ。


ロスでの一コマ

2024年10月15日 | West Coast Rock

一般的にロサンジェルスと言えばカリフォルニアのサンシャインに溢れ年中温暖な過ごし易い気候、そして近代的な高層ビル群やパームツリーが立ち並ぶブルバードや数多くの観光スポットなど魅力的な都市だ。大リーグ中継で見ていても感じられる良さげな環境。

ところがどっこい、関東平野と同じ面積で人口1000万にもなるロサンゼルス・カウンティーは場所によって随分と印象が異なる。郊外のミドル・アッパークラスの住む地域と人種の坩堝とも言える庶民の街、ダウン・タウン地区は完全に別物。

そんなダウンタウンの一コマを思い出させるのがジャクソン・ブラウンの1976年のアルバム、The Pretenderのジャケかな。

(ジャケの写真を囲うダーク・グレーの縁取りによって暗さ増し増し)

このアルバムの制作段階においてジャクソンの妻が自殺すると言う悲劇があって、その心苦しさを吐露する姿がアルバムの随所に窺える。

神よ、起こった事に対して吹っ切れず自身を偽って生きるこのPretenderをどうかお救いください。

ロサンジェルスの明るいイメージとは相反する苦悩に満ちたアルバムでした。


彗星のニュースを見て思い出す

2024年10月14日 | AMERICAN ROCK/POPS

ニュースによると尾を引いた彗星、アトラスが西の空に見えるらしい。

ただ本日の夜空はあいにく薄曇りで何も見えずその代わりにFirefall、1976年のセルフ・タイトルのデビュー・アルバムでも。

元フライング・ブリトー・ブラザーズのリーダーだったグラム・パーソンの紹介でリック・ロバーツとジョック・バートレーが知り合う事になりお互い意気投合。元ジョジョ・ガンのベーシスト、マーク・アンデス(後に売れまくった頃のハートに加入)、元バーズとブリトー・ブラザースのマイケル・クラークにSSWのラリー・バーネットらが合流して1974年にコロラドでハンドを結成。

当時70年代半ば、メイン・ストリームだったハード・ロックやプログレも徐々に息切れパンク、それにディスコやフュージョンなどが台頭しその地位を取って代わろうとしていた。

そんな混沌としたミュージック・シーンにおいて、このバンドが登場し、特にリックとラリーらによる各々違った作風の曲が混ざり合いウエスト・コースト系バンドとは一味違った独特な風合いを生成し、リスナーに対しつかの間ではあるが清涼感を与えた様に記憶する。

彗星の如く登場した彼らのアルバムは全米28位、またシングル・カットされたYou Are The Womanは9位とヒットしデビュー・アルバムとしては掴みは上々だった。