CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

懐かしの50年代、OL’ 50S

2016年08月29日 | SSW

ウエスト・コースト特有のスムーズでカラッと乾燥させるフィルターをかましてオリジナルにあった独特なアクを抜いてカバーしたのがイーグルスが1974年3枚目のスタジオ・アルバム、ON THE BORDERに収録されているOL’ 55(懐かしき55年)。


しかし、個人的には1973年のトム・ウェイツのデビュー・アルバム、CLOSING TIMEの先陣を飾るオリジナルに好感が持てる。

トムの演奏するピアノに控えめなアコースティック・ギター、ベースとドラムの伴奏で、後に比べるとまだ初々しさの残るしゃがれ声でゆったりと歌いきる。

一人でしんみりと聴くにはうってつけの哀愁の帯びた曲である。

翌年、上述通りイーグルスがカバーして、結構な印税を得ることになったので、本人は感謝していると思いきや、彼らのカバーはちょっと生気の無いというか冷たい感じがすると言ったとか。

当時、イーグルスは3枚目のスタジオ・アルバムを制作していて、前作と前々作のプロデューサーだったグリン・ジョンズを解雇し、新しくビル・シムジクをプロデューサーに迎えた。

そしてそれまで録音していた曲のうち2曲のみ残して他の局はすべて破棄し、新しくレコーディングに取り掛かった。

グレン・フレイによると、それまでのウエスト・コースト系のカントリー・ロックは少々スムーズすぎ且つガラスのように滑らか、少し退屈な感じがするというわけで、もう少しタフなサウンドを作るためプロデューサーの交代と新ギタリスト、ドン・フェルダーの参加となったとか。

しかしながら、彼らのOL’ 55のカバーに関しては、グレンのアルバム制作の構想とはちょっと異なり、スムーズ過ぎるように思う。

つまりフィルターかけ過ぎって感じ。

アメリカのフォーク系のベテラン・シンガー・ソング・ライターのエリック・アンダーセンも1975年のアルバム、BE TRUE YOUでカバーしている。こちらのほうが淡々とした感じで歌われていて雰囲気はあると思う。


で例によって、相変わらずへたくそな英文和訳で

OL’ 55

Well my time went so quickly, (時なんてあっと言う間に過ぎ去った)
I went lickety-split out to my old'55 (俺も愛車の55年型で全速力で駆け抜けた)
As I drove away slowly, feeling so holy,  (ゆっくり走れば、何か神聖な気分になる)
God knows, I was feeling alive.  (神はご存知かも知れないが、生きてるって感じてた)

Now the sun's coming up,  (日が昇り)
I'm riding with Lady Luck, (俺は幸運の女神とやらと一緒に走っている)
Freeway cars and trucks, (フリーウェイの車やトラック)
Stars beginning to fade, (星の瞬きも消えていき)
And I lead the parade (俺はそのパレードを率いた)

Just a-wishing I'd stayed a little longer, (もう少しこのままでいたいなんて願う)
Oh, Lord, let me tell you (ちょっと言わせてもらえば)
That the feeling's getting stronger.(その感覚がだんだん強くなっていくのさ)

And it's six in the morning, (時間は朝6時)
Gave me no warning, I had to be on my way. (警告なんて必要なかった。だって自分の道をいくべきだったからね)
Well there's trucks all a-passing me, (もちろん、トラック全部が俺を追い越して行く)
And the lights are all flashing,(ライトをすべてフラッシュさせながら)
I'm on my way home from your place. (俺は家に帰る途中さ)

And now the sun's coming up,
I'm riding with Lady Luck,
Freeway cars and trucks,
Stars beginning to fade,

Just a-wishing I'd stayed a little longer,
Oh, Lord, let me tell you
That the feeling's getting stronger.

And my time went so quickly,
I went lickety-split out to my old '55
As I pulled away slowly, feeling so holy,
God knows, I was feeling alive.

Now the sun's coming up,
I'm riding with Lady Luck,
Freeway cars and trucks,
Freeway cars and trucks,
Freeway cars and trucks...

内容は自身の所有した55年製のシボレー?で、フリーウェイを明け方ゆっくりとクルーズし、トラックにパッシングされながら家路につくという歌詞で、それに、どんな事が有ったのかは不明であるが、1955年当時の自身の思い出を重ねているって具合だろうか?

ちなみに、55年と言えばあのスティーブ・ジョブとビル・ゲーツが生まれた年でもある。

そしてさらに重要なのは、その数年後なんと私もボコッと生まれている。

嗚呼、懐かしの50年代、OL’ 50S

Tom Waits - OL' 55


LCCはいかが?

2016年08月28日 | 特になし
ちょっとベトナムのホーチミンまで日帰りで行ってきた。

日帰りと言えば、バスを利用した日帰り温泉ツアーパックを思い浮かべる。朝一に家を出て、観光バスで温泉宿でお昼を過ごし、両手いっぱいのお土産を抱かえてその日の夜までに帰宅できるコースである。

これが東南アジアでは可能なのである。

特にシンガポールは、何しろその中心に位置する好立地条件なので、東南アジア諸国の首都もしくは地域での重要な都市とは、大体飛行機で2時間圏内に位置していてその恩恵を十二分に享受している。

インターネット経由の安価な通信方法が一般的に利用されているので、以前のように頻繁に出張するようなことは無くなったが、どうしても相手方と顔を突き合わせて話す必要があったり、緊急に重要書類や手荷物で運べる小さ目のスペアパーツを運ばねばならない場合には非常に有効である。

これが可能になったのは、上記の地理的要因だけではなく、次の二つの要因が後押しした。

その一つは、LCCの発達である。当然メジャーの航空会社とはサービスは違うが、価格が非常に安いのが特徴で、今回の往復との価格は特別なオプションを選択しない素のチケットであれば、出発2日前の予約で大体14000円程度である。

このレベルの価格であれば、東京ー大阪間を日帰りするのと同じ感覚で、別に現地で一泊しなくとも事は足る。

登場時間が2時間以上かからなく、また緊急の所要であることを考えれば、飲み物や食事が無料で提供されなくとも、そして席の配置間隔が多少狭くなっていて足が伸ばせなくとも、座席の幅の狭さによる隣の乗客との肘掛の取り合い合戦をしようとも、何とか我慢できる。

もう一つ大きな要因は、飛行場が新しく建設され最新の設備が投入され、入国管理、手荷物受け取りとその通関に費やされる時間が大幅に改善されたことだ。特にベトナムに関しては隔世の感がある。

始めてベトナムを訪問したのは、1987年のことであり当時はシンガポールとベトナムは敵対関係にあり、ベトナムへの直行便は就航していなく、ベトナムに入国するにはタイのバンコックにあるベトナム大使館でビザを入手し、そこからパリ発バンコック経由の週二便のエヤー・フランスでホーチミンに入った。

もしビザが何かの間違いで前日までに取れなかったら、バンコックで3-4日の休日を過ごす羽目となる。

空港に到着すれば、入管で1時間以上待たされることはざらで、事情を良く知る他の乗客と入管まで駆け足で競争したものである。

さらに税関で荷物や持ち込み外貨などの厳しい検査で結構時間が取られ、トータルすれば大体2時間が到着ゲート出るまでに費やされたものだった。

時は流れ、2007年日本のODAによって、なんとなく内装のデザインが関空に似ている、ホーチミンのタン・ソン・ニャット空港は当時の最新の設備を伴って新しく生まれ変わった。

出発ロービーのうえの階にあるフード・コートからは、空港全体が見渡せ離着陸の様子なども見えて結構時間がつぶせる。


出発ロビーの外にはバーガー・キングなどもある。ベトナムの外資によるファスト・フードは、90年代にケンタッキーが一番早く登場し、ロッテリアなどがその後出店してきた。


出発ロビーからの一枚。昔はビルと言っても10階程度の高さがほとんどであるが、此処10-15年の間に中心部に高層ビルが立ち並び、住宅地域にも、多くの高層アパートが建設される風景へと様変わりした。

用地収得に多額のお金と時間がかかり、さらに耐震や土壌汚染などに関する地質調査なども必要となる日本ではこうはいかない。

近年行くたびに色々と規則も変わってきて、もちろんビザ入手の必要も無く、最近では入国カードの記載も必要なく従って外貨に関する申告も規定内であればわざわざする必要もなくなり、入国審査もスムーズ。

通関も手荷物をX線の機械を通過するだけでオーケー。機内に手荷物を預けていなければ20分程度で空港から出てくることが出来る。

これはベトナムだけの話ではなく、東南アジア各国も、首都に新しい国際空港を開設したりして同じように効率化を図って、この手の競争は激化している。

かって飛行場で無益に数時間過ごしたことも、スピードの異なる別の世界に入ってきたので此処は気楽に行こうと気分転換をした。時間がゆっくり流れることで、ホッとすることもある。

効率を追求するために最新鋭のシステムやサービスの導入は確かに便利になったと感じるが、時として、あまりにあっけらかんとして情緒が無くってしまうこともある。

私のようなクラッシック・ロックを愛するオールド・タイマーは、“不便な中にも奥ゆかしさ”という個性こそが今では捨てがたく感じる今日この頃である。

“アー昔は良かった!”なんてジーさんの専売特許の台詞を声高にいうつもりは無いが、少し控えめに、“悪くは無かった”とは言っても良いと思う。

それにしても、一日でトンボ帰りの日程を組むとなると、朝5時に家を出て7時発の飛行機に乗らねばならない。

アー疲れた!

ヘイズよりハゼ?

2016年08月26日 | BRITISH ROCK
HAZE

魚のハゼのことではない。

英語でヘイズと発音。もや、霞とか薄煙と言う意味であるが、此処シンガポールでは、大気汚染と言う感じの意味となる。

朝早くから、西の方向から吹く風が強くなり、それと共に何か焼け焦げたにおいが部屋に充満してきた。

PM2.5の24時間におけるシンガポール独自の汚染指数PSIは112となり、UNHEALTHYすなわち不健康というレベルの大気の汚染状態となった。

窓越しに遠くを眺めるといつもは見える景色も煙によって霞んで見えた。

最近は、此処に来た当初と比べ天候も落ち着いてきて、朝方は風があればそれほど暑いとは感じなく、結構過ごし易くなってきたと思っていたところに、この仕打ち。

原因は、お隣のインドネシアのスマトラ島からやって来る煙であって、彼らはゴムやパームの木などを育てるための大規模プランテーションを作る際、ジャングルの野焼きを行う。

ジャングルを重機だけで開墾すると非常に時間も手間もかかるので、雨の比較的少ない乾季に大々的に野焼きを行う。

その際の風向きが西から東に吹くようであれば、それらの煙がシンガポールに流れてきて国全体をすっぽり覆ってしまう。

何しろ淡路島ぐらいの面積を持つ小さな国のため、逃げるところはない。

窓を完全に閉じてエアコンをつける以外に防御する方法は無い。

日本にも中国から黄砂の微粒子やPM2.5などがやってきて問題となっているが、風が勝手に運んでくる以上、風の向きを人工的に変えることも出来ず、日本への侵入阻止となると難しい面がある。

しかし中国の場合は、地元の大都市部が汚染されているので、住民の不満を和らげるためにも、国が何らかの手を打ち、大気汚染の元を断つ努力をすれば、日本への被害も徐々では有るが柔らげられる。

インドネシアの場合は、人口密集地ではないジャングルを焼いているので、現地からの不満は中国と比べてそうでもないためか、政府間交渉で、クレームを申し入れるが状況が完全になくならない。

ほんと風向き次第である。

Purple haze, all in my brain (紫のけむり、俺の頭を覆っている)
Lately things they don't seem the same (最近、物事は同じようじゃなくなっている)
Actin' funny, but I don't know why (面白おかしくなっている、なぜって解らないだけど)
Excuse me while I kiss the sky(ちょっと空に向ってキスをする)

Purple haze, all around(紫のけむり、すべてが覆われている)
Don't know if I'm comin' up or down(上ってるのか下ってるのか解りゃしない)
Am I happy or in misery?(俺は幸福なのか、はたまた不幸なのか)
Whatever it is, that girl put a spell on me(どうだっていいさ、彼女が呪いを俺にかけようたって)

Help me(助けてくれ)
Help me
Oh, no, no

Ooo, ahhh
Ooo, ahhh
Ooo, ahhh
Ooo, ahhh, yeah!

Purple haze all in my eyes(紫のけむり、俺の目の中を覆う)
Don't know if it's day or night(昼か夜か解りゃしない)
You got me blowin', blowin' my mind(俺の心に吹きかけてくれ)
Is it tomorrow, or just the end of time?(それは明日か、それともちょうど最後の時なのか)

Ooo
Help me
Ahh, yea-yeah, purple haze
Oh, no, oh
Oh, help me
Tell me, tell me, purple haze(教えてくれよ、紫のけむり)
I can't go on like this(こんな風には続けられね~よ)
Purple haze
You're makin' me blow my mind
Purple haze, n-no, nooo
Purple haze

と急にジミ・ヘンのパープル・へイズ。へイズで完全にラリッちゃっている。

そう!今も昔もヘイズは危険なのだ。

やっぱりヘイズよりハゼがよい!

ハゼのから揚げにビール、最高!

と言っても此処じゃ食べられない、残念!

独自規格って必要?

2016年08月24日 | 特になし
かって二つ折りの携帯を長年愛用していた。

当時はメイルはPCから発信し、携帯は電話の機能だけと使い分けていた。

なぜなら、携帯を手のひらに置き、軽く握り締めて親指でキーを打ち込む芸当が出来なかったからである。そんなことに時間を使うなら、簡単なメッセージなら電話で話したほうが早い。

また、携帯でインターネットを使うにしても、その小さなディスプレーに映し出される文字を読むには、一々メガネを掛けなければならないと言う面倒さがあったのも理由の一つ。歳を重ねると、ほんと不便になる。

しかし、あちこちで今までのガラパゴス携帯とは比べ物にならないくらいの大画面のスマホなる物が登場し、皆さんそれぞれあらゆるところで便利そうに使っているのを見ると、そろそろ買い替え時かなと思った。

ちょうど、5ヶ月ほど前にこの地に引越してきたのを期に、スマホを購入した。

今では、電話経由のショート・メイルやラインなどを活用しているわけだが、ディスプレーが大きくなったとは言え、文字を入力するキーボードは相変わらず小さく、指が大きいためタイプライターと同配列のアルファベットのキーボードを使うときは間違って隣のキーを押してしまったりする。

さらに、日本語入力のキーボードとなるとさらに悲惨で、指がキーに触れたまま上下左右に動かし必要な文字をインプットするのだが、毎回そのようにインプットされてないのだ。

たまに、スマホを両手でささえて、二つの親指で超高速で文字をインプットしている若い人を見かけるが、あのような技はとてもじゃないが無理。

スマホのように大体サイズが決まっている場合は、キーボードのサイズだけを私のような年配者向けに大きくすることも出来ないので仕方が無いことなのだが...  

と思っていると、さすが音楽業界! 

以前と比べて小さな文字がメガネなしで読めなくなった人に朗報!

そう、7インチ・サイズの紙ジャケである。通常のCDの紙ジャケは小さすぎて、ジャケットに印刷された文字が読めない。これを7インチ(シングルレコード・のサイズ)にすれば、以前読めなかった縮小された文字がかろうじて読める。

このアイデアは、以前からあって2000年代始めごろに、でかジャケと言って、レコードと同じサイズのジャケットにCDをつけて販売されていた。

確かに、同じサイズであれば、ジャケットのアートも楽しめるし、ジャケットに記載されている文字もそのまま読めるのである。

私もストーンズのジッパーの付いた特殊ジャケットのスティキー・フィンガーやその他もろもろ買ってはみたが、収納スペースに困り結局CDの封は切らずにたんすの肥やし化と相成った。


と同時にこの12インチのでかジャケの企画もいつの間にか巷から消え去ってしまった。

そこで登場したのが収納スペースのネック解消のために考え出されたのか、12インチ・サイズから7インチ・サイズに縮小した紙ジャケの登場。

私も興味が有って、リマスターされたBBA LIVE IN JAPAN とJEFF BECK BLOW BY BLOW(SACD)を買ってみたのだが、これも置き場に困り結局12インチのLPと同じ収納棚に入れている。これじゃ収納に関しては、以前のでかジャケと変わらない。


この7インチ・サイズは、最近ではイエスの国内独自企画のSACDの紙ジャケや、JEFF BECKの4チャネルの音源のSACD化にも使われている。そして、ストーンズのモノ・ボックス企画にも使われるみたいだ。



ビートルズもハリウッド・ボールのライブをCD化し、残りはLET IT BEの映画の再発だけを残すだけとなったが、もし今後既発のスタジオ・アルバムのリミックスかSACD化が企画されれば、日本独自でこの7インチ紙ジャケが出てくるのであろうかね?

日本独自ってあまり突っ走りすぎるとマニアックになってしまい、結局見栄えはよくとも割高となってしまう。マニアで無い人は、価格が跳ね上がる独自企画なるものは特に必要はなく、普通でいいのである。

携帯の世界がそうで、日本の仕様が独自すぎてガラパゴス化してしまい、世界的には日本のメーカーの存在はほぼ消滅状態となった。

日本の音楽産業も独自企画の国産だから品質最高!って言葉に何時までも甘えていると、誰も見向きもしなくなるよ~

スマホに関してはキーボード入力の規格変更が叶わない以上、攻殻機動隊に登場するアンドロイドのように細い指先で且つ高速でキーボードに入力出来る技を持たない私は、当面人差し指一本でコツコツと文字を一字づつ入れていくほか無いのであろう...

金メダルを取れば、ストーンズって?

2016年08月22日 | ROLLING STONES関連
リオ・オリンピックも終わり、これからは寝不足が解消されるという方も多くいるのでは。

開会前から、色々と問題が取りざたされたオリンピックではあったが、いざ閉会式を迎えると、大会の進行にブレーキがかかるような大きな問題は起こらなかった。

終わってみれば、中々よかった大会ではなかったかと…

時差が無く、普通の時間帯であれば尚よかったのでは有るが。

我等が日本選手団も日頃の練習の成果を十二分発揮され、メダルが取れた取れないではなく、大健闘されたと思う。

その昔、たいしたことは無いが、学生時代に運動クラブに籍を置いていた私としては、オリンピックのステージに立つだけで、生まれ持った特別な運動能力の上に、更なる日々の厳しいトレーニッグが必要で、しかも4年に一度の大会に参加するモチベーションを維持する精神力も半端でないのは容易に想像ができる。

じゃあ、特別な運動能力の無い人は、オリンピックに参加できないのかと言うとそうでもない。

数学や物理の問題を解くオリンピックや手先の器用さを競う技能オリンピックなんてのもある。

じゃあ、私みたいに運動能力は無く、数学・物理が苦手、さらに手先が不器用となるとどうすればよいのか?

そう自身でオリンピックを作ればよい。

進行係:それでは開催宣言を致します。2016年第一回クラッシック・ロックを聴こうオリンピックをシンガポールで開催します。

一位になりますと、金メダルの他、副賞としまして、なんと9月末日発売のローリング・ストーンズ・モノ・ボックスが洩れなく与えられます! 

しかも、なんと今回通常のCDのボックス・セットではなく、レコードのボックス・セットであります!


観客:オオー!

進行係:それでは選手団入場!

通りすがりの人:あれっ? 一カ国からしか参加してないけど。一体どう言う事?

野次馬:このオリンピックの開催の周知があまりにも急だったため、シンガポール在住の日本代表の博士のみがエントリー出来たみたいだね。

博士:ニョホホー! エントリーは一人だけだから、ストーンズ・モノ・ボックスはいただきじゃ!

助手:博士! ストーンズのレコードのボックスと言えば、2009年に出たステレオ盤のボックス買ったじゃないですか!


博士:ビートルズもレコードのモノボックスを2014年に出し、つい買ってしまったのじゃ!今回のストーンズのモノ・ボックスも手に入れなければ、片手落ちじゃわい!

助手:しかし、ABKCO時代の初期の数作品は、確かにモノであるとステレオ中央部から一直線に音が飛び出てきてステレオ音源とは違う迫力のあるサウンドが楽しめるんですが、後期のベガーズ・バンケットやレット・イット・ブリードあたりなんてモノで聴く必要があるんですかね~?

博士:確かにそれを言われると弱いのう~ ビートルズの場合は、小さい頃からずっとステレオ音源を何度も聴いて親しんできたから、モノ音源を聴くとおっ!此処が違うとはっきりわかるから、マニアとしては楽しめた。果たして、ストーンズのモノ音源を聴いてそのレベルまでいけるかどうか心もとないのう~

しかし、それ以外の楽しみ方もあるのじゃ。2009年にABKCO・レーベル期とストーンズ・レーベル期の2種類のボックス・セットが出て、今現在廃盤となっておる。

今現在それらを中古として買おうと思っても、プレミア価格が付いておいそれと買えないのじゃよ。今回のモノ・ボックスも何とか手に入れて、もしその後廃盤となり中古価格にプレミアが付くのを楽しみにすると言うのはどうじゃ?

助手:ちょっと楽しみ方が違うような?

博士:今回は金メダルを取れば、それがただで手に入るのじゃ。深く考える必要は無い!

助手:博士!たた大変です! このオリンピックにエントリーするのに千ドルいるみたいです。エントリーしなくて、直接買ったほうが安いんじゃ…

それから、さっきフィリップさんから電話があって、ON (AND OFF) THE ROADなる17枚組みのボックス・セット出すから、よろしく!って言ってましたが…


博士:ギョエー

助手:デビッド・ボウイーの第二弾のボックス・セットも近日中に出るみたいで、相変わらずレコード会社はおっさんやジーさんをターゲットに金をむしりとろうと次から次にと出してくるみたいです。


博士:ワシも今後オリンピックには出ず、コレクターからも引退じゃ!

通りすがりの人:相変わらず、くだらんことを書いて...

HELP! あなたに助けていただきたい

2016年08月21日 | BEATLES-BADFINGER関連
アー、体がだるい。

ブログの更新もこのところご無沙汰で、何かを書こうと思っても、これと言ったネタがないのもあるが、気力が伴わない。

二週間ほど前に日本に一時帰国した時、掛かりつけの医者に血液検査をしてもらった。 

大昔に、仕事がらみとは言え、運動不足に暴飲暴食がたたり、体のあちこちに問題が起きた。

ガンマGPT、血糖値や中性脂肪の状態を示す数値が悪化、その後規則的な運動をこなしたり、食習慣を改めたりして、何とか体調を出来る限り元に戻すよう心がけた。

その行動の指標が、毎年4回程度行う血液検査である。

海外に長く住んでいると良くわかるのだが、日本で食べる物は大体何を食べてもおいしく感じる。日本に住んでいると、それほどのことは感じないのかも知れないが、結構余分にご飯を食べている気がする。

此処シンガポールでも、日本食のレストランや日本の食品を販売するスーパーがあるのだが、日本で同じものを食べるとなると結構割高で、わざわざ車に乗って常時利用することは無い。

また、日本と水の質が違うのか、日本種、所謂ジャポニカ米をスーパーで買ってきて、パナソニックの炊飯器でご飯を炊いても何か違う。

と言うわけで、3月まで日本にいた時と比べ、食べる量は少なくなり数キロのダイエットとなった。

今回の検査で、お医者さん曰く、肝機能の数値も普通だし、血糖値もかなり改善されましたね~、この調子でがんばってくださいと言われた。但し、尿酸値今回かなり上がっていますね~、注意してください。

実は、昔から尿酸値が高く、20年ほど前に通風の発作に襲われたのだ。なった人しか分からないが涙が出るほど痛いのだ。1年半から2年ぐらいの周期でこの痛みが忘れた頃にやってくる。

なんと、医者から指摘されこちらに帰ってきて数日後発作が起こった。ギャー!

そこでいつも思い浮かべるのがこの歌、

Help! (助けてくれ~)
Help! I need somebody,(助けてくれ~、誰か~)
Help! Not just anybody,(助けてくれ~、とは言え誰でもって訳じゃない。)
Help! You know I need someone, help.(助けてくれ~、誰が必要ってわかるだろ。)

When I was younger, so much younger than today,(俺が今よりかなり若かった頃って)
I never needed anybody's help in any way.(誰にも助けを求めたことなんて無かったさ。)
But now these days are gone, I'm not so self-assured,(でもね、今歳を重ねて、自身が大丈夫とは思えない。)
Now I find I've changed my mind I've opened up the doors.(俺は扉を開くべきだと心変わりしたことに気が付く。)

Help me if you can, I'm feeling down(出来るなら助けてくれ~、俺がダウンしている時にはさ)
And I do appreciate you being around.(そして、周りにいてくれたなら感謝するよ。)
Help me get my feet back on the ground,(しっかりと俺の脚で立てるように支えてよ。)
Won't you please, please help me? (ほんと、助けてくれないか~)

と発作が起こったときにカーちゃんにトイレに連れて行ってもらうために歌う。

そして2日ほどその痛みに呻いた後、痛みがケロッと消えてしまう不思議な病気であるのだが。

薬でコントロールする方法もあるが少し面倒で、当分はプリン体を多く含む、肉類や内臓、そしていわしやビールなんかの食物を減らして発作が出来るだけ起こらないようにするしかあるまい。

一人で寝ていてトイレに行くのに誰かの助けも無かったら、大変なことになる。

赤の他人ではトイレの世話な難しい。

やっぱり、お互いを助け合える家族って本当にいいものですね~、と急に水野晴郎調になる。

PS4の謎

2016年08月09日 | 特になし
8日の夕方にこちらに戻ってきた。

日本滞在中の猛暑は感じられないが、やっぱり熱帯は熱帯で、若干空はうす曇の天気で快晴とは言えないが、本日も恒例の30度以上の気温でスタートとなり、非常に蒸し暑く感じる。

今日8月9日は建国記念日(NATIONAL DAY)のため朝からゆっくりしている。

日本にある自宅はとある私鉄沿線の駅の近くで、隣の駅から空港に向うリムジン・バスが出ている。電車に3分とリムジンバスに1時間少々揺られれば飛行場に到着。

そこから、大体7時間もかからずに、シンガポールに到着してしまう。今の今まで日本にいたのに、その感触がさめないうちに夕方になる前に既にここにいると言うことでいつもながら不思議な感じになる。

ところで、今住んでるアパートには、テレビしかない。インターネットをするため事務所で使っていたウィンドウ7搭載の旧式PCを使っているが、それではブルーレイを観賞することは出来ない。

一年ほど前に、ゲームをするためにPS4を買ったのだが、こちらに短期ではあるが移住したため、まったく使わなくなった。

せっかく買ったのだから、使えるようだったらこちらに持ってくればという考えで、スーツ・ケースの中に梱包したPS4を詰め込んだ。

一応ソニーのサイトで、使用可能かどうか調べてみた。

基本的には、国によって電源の仕様が異なるのと、ソフトやインターネットに関して当事国で規制のある場合があるので、現地で購入したPS4を使ってくれと言うことだった。

なるほど、ソフトやインターネットに関して当事国で規制について完全に認識はしていないが、現在ブロード・バンドでネットを使っているので、その地におけるガイド・ラインに従えば取り立てて問題は無いと思う。

そう、問題は電圧である。日本は100Vで、此処は220Vである。すなわち日本製のPS4を使うには、220Vを100Vに変換するトランスフォーマーをここで購入すればいいわけだ。

再確認のため、WIKIでPS4を調べてみると、電源の仕様は100Vから240Vとなっている。

あれおかしいなと思い、色々とネットで調べていると、あるイギリス人が秋葉原で日本仕様のPS4を購入し220Vを使うイギリスに持ち帰った。

その彼も、ネットで検索しトランスフォーマーを使わなくとも220Vで使用可能という記事に行き着いた。

そこで、どのようにしてPS4の中身を見たのかは書かれていなかったが、PS4本体内に交流の100V-240V可変電圧を直流の電圧に変換可能なトランスフォーマーが装着されていたとの事が判明。

他のサイトにも同様な記事を発見。

PS4はソニーの看板製品で、マイクロ・ソフトのXボックスやスマホの無料ゲームなどとの熾烈な競争に勝たなければならない。

そのため、本体は出来るだけ安く生産し、他のエンターテイメント・システムより値打ち感を出さねばならない。

現在日本と比べて未だかなり人件費の安い中国で量産されているのはそのためである。そのような場合、果たして電圧が100V(日本)、115V(アメリカ)そして220V(ヨーロッパ)など異なったと仕向け地によって、トランスフォーマーの仕様を一々変更して余計な費用をかけて生産するであろうか?

当然世界共通仕様のPS4を生産したがはるかに安く生産出来る。

自身の持っているPS4の裏面を見ると、100V 2.5Aと記載されているが、この記載は薄っぺらく細長いステッカーに記載され所定の位置に貼り付けるように成っている。

すなわち、この100Vと記載されたスティッカーが貼られる事によって仕向け地は日本と決まり、日本で一般的に使用されているプラグつきのケーブルがセットされると推測する。

本当に、仕向け地によってトランスフォーマーの仕様を変更するのであれば、簡単にはがれるスティッカーでは不十分で、何らかの起こりえるクレームを避けるために、外枠を成型する段階でそれらの記載をプラスチックの表面に刻み込むか、もしくは剥がれにくい大型のスティッカーを張るのが普通である。

消費電力の大きい電子レンジや洗濯機であれば、安全基準も変わり、電線のインシュレーションの厚みも変わってくるので、共通部品は使えない。

今回のPS4は100V、2.5A仕様と言うことは、最大消費電力は250Wとたいしたことはないので、共通部品が使用され、付属のケーブルもソケットの形状が現地の方式に変わる程度だと思う。

此処まで考えれば、100Vと記載されているが実際は100V-240Vの装置がついているのはまず間違いないだろう。

ダメ押しで肯定的な意見を乗せている更なる英文サイトを検索。確信はさらに高まる。

後は男は度胸で、配線してスィッチオン。

問題なく動く。

とは言えこの行為は自己責任。壊れても保障期間中の保障の対象にはならない。保障期間は既に切れてるけど。

じゃなんでメーカーは、100V-240Vで使用できるのに100Vとするのかってなると、此処が謎!

推測だけど、100Vと記載してる事で、100Vでの限定使用と言う事で保障や修理の対応がしやすいってことなのかな?

これはあくまで、個人的な判断の下でのリスクある実験ですので、まねされる方はこれまた自己責任で。

また、電圧が一定しない電力事情の悪い地域や国では、仕様どおりの使い方をしても壊れる時って有るからね。

この場合は電圧を一定にコントロールするスタビライザーなる装置がコンセントと本体の間に必要かと。

それでは、地球防衛軍レンジャー出撃!

HEY YOU! (そこのあなた!)BTO聴いたことある?

2016年08月07日 | AMERICAN ROCK/POPS
4日に帰国し、今日が四日目の最終日。

一滴も雨が降らず、連日の35度超えだった。

明日は日本より若干涼しい熱帯のシンガポールに戻る。

何故、日本人はこれだけの猛暑に耐えられるのかと云うと、あと一ヶ月ほどなんとか我慢すれば、本当に涼しい秋がやって来るからである。

年中この暑さだと、やはり耐えられない。

シンガポールの最高気温は日本の夏と比較すると低いと思う。

しかしながら、一年が乾季と雨季に分けられるのであるが、雨季に雨がそれほど降らない年であれば、年中30度超えの日々が続くことになる。

現地で生まれ暮らしている人は、既に日常的な出来事として捉えているので、特に気に留めないのかも知れないが、我々四季のある国に生まれた人にとっては毎日がほぼ同じ気候であれば非常に辛いものがある。

特に過去の記憶が曖昧になる。

年中暑いので、数年前の出来事が一体何月だったのか記憶を辿ろうとしてもすぐには出てこない。

日本においては、爽やかだった、暑かった、涼しかった、そして寒かったという言葉で形容できれば、記憶もなんとか甦える。

BOCといえば先日のゴジラをロックにしたBULE OYSTR CULT、BTOといえばカナディアン・ロック・バンドのBACKMAN TURNER OVERDRIVE。

と云う訳で、今日はBTO。

BTOはこのブログで一度登場したが、最近8枚組の廉価盤のボックス・セット(ペラの紙のスリーブにCDがそのまま挿入されているやつ)が出たので、早速購入してみた。

BTOの場合、1975年の五枚目のスタジオ・アルバム、HEAD ON まではオンタイムで追いかけていたが、その後は興味が薄れ忘却の彼方へと。

このボックス・セットは、HEAD ON以降の未聴だったスタジオ・アルバム三枚が収録されているのでつい買ってしまった。


1973 BTO :発売当初チャート・インしなかったが、その後のアルバムBTO IIとNOT FRAGILEが売れたので、ゴールド・アルバム獲得
1973 BTO II:BILLBOARD POP ALUBAMのカテゴリーで4位獲得。POP ALUBAMなんてカテゴリーあったの知らなかった。
1974 NOT FRAGILE: POP ALUBAMのカテゴリーで1位獲得。
1975 FOUR WHEEL DRIVE: POP ALUBAMのカテゴリーで5位獲得。
1975 HEAD ON: POP ALUBAMのカテゴリーで23位獲得。
1977 FREEWAY: POP ALUBAMのカテゴリーで70位獲得。
1978 STREET ACTION: POP ALUBAMのカテゴリーで130位獲得。
1979 ROCK’N ROLL NIGHT: POP ALUBAMのカテゴリーで165位獲得。

チャート・アクションだけが、アルバムの良し悪しを決めるわけではないが、今回未聴スタジオ・アルバム三枚を聴いてみて、なるほど その通りだと感じた。

デビューしてから数年間活動 していた初期の頃 の元気良さは失われていた。アルバム自体は、いろいろと試行錯誤の跡が見受けられ、悪くはないがさすがに以前のような大ヒットに繋がる勢いはない。

少し売れ行きが悪くなると、路線変更してみたり、さらにそれも効果がないとまた元に戻ったりと、後手後手の判断が負のスパイラルを招くと云う事であろうか…

同じ路線で活動を継続していくのが本当に難しいのがわかる。

幸いなことに、このバンドはアルバム・アーティストと云うよりは、シングルのヒット・メーカーで各アルバムに、ヒット・シングルが配置されている。

そのような意味では、たとえアルバムは忘却の彼方へと忘れ去られても、彼らのヒット・シングルは未だ輝きを放ち永遠にロック・ファンの記憶に残っていくのである。

但し、私のようなおじん予備軍となると、そうもいかない。

シンガポールの年間を通しての気候の変化だけではなく、本来の記憶力も年をとるにつれて低下し始める。特に都合の悪い話はすぐに忘れる。

BTO - HEY YOU.

Meat Loaf、一度聴いてみて下さい

2016年08月06日 | AMERICAN ROCK/POPS
暑い! 本当に暑い! 昨日よりさらに暑い! 殺人的な暑さが今日も続く!

いくら夏でも湿気の多い梅雨が過ぎた日本は、連日30度を越すシンガポールより幾らか過ごし易いかと思ったのだが…

この熱波! 体にこたえる。

シンガポールでは時折、あっという間に空が曇り、雷鳴と共ににわか雨がドバッと降り、一時的とはいえ30度を割る。そのため、日本のように日中 35度を超え続く事はそれほどない。

出かける用事が無ければエヤコンの効いた部屋に籠るしかこの熱波をやり過ごすことは出来ないであろう。

と云う事で、本日も部屋にこもって記事をアップすることに。

海外で大ヒットしたアルバムが、日本では不発ということはよくある話。海外のレコード会社やアーティスト達もアメリカやヨーロッパで大ヒットした物が何故日本だけで受けないのか頭を捻る。

一般的には、日本人は楽曲の英語の歌詞を直接理解できないため、どうしてもメロディー重視となる。

しかし例外も多くある、結構メロディアスな内容にもかかわらず日本ではあまり売れなかったのが、MEAT ROAFである。

1977年の2枚目のアルバム、BAT OUT OF HELL(地獄のロック・ライダー)はロック・オペラとも称され、また一回聴いただけでは中々理解できない複雑な内容ではあるが、作曲者であるJIM STEINMANのピアノが鳴り響くメロディアスな楽曲も含まれ日本人好みのアルバムではないかと思ったのだが…

JIM STEINMANといえばボニー・タイラーのTOTAL ECILPSE OF THE HEART やHOLDING OUT FOR A HERO、そしてエア・サプライのMAKIN’ LOVE OUT OF NOTHING AT ALLとメロディアスな大ヒット曲を後に連発している。

このアルバムは全米14位、シングル・カットされたTWO OUT OF THREE AIN’T BAD、三分の二の確率なら悪くないってタイトルの楽曲も11位を獲得。

今までに全世界で累計4300万枚売れたというおばけアルバムである。

じゃあ、なぜ日本ではダメだったのか?

アメフト仕込みの大柄の体躯を持っていたため、MEAT LOAF(豚のひき肉をパン粉などを繋ぎに使って、食パンを焼く様な四角の容器に入れてオーブンで焼く、所謂ハンバーガーの親玉の様な肉料理) と言うニック・ネームで呼ばれていた 。

それが芸名になって、有名なロック・オペラのロッキー・ホラー・ショーに出演し、満を持して出したのがこのアルバムだった。

オペラチックな内容の楽曲をパワフルかつソウルフルに歌いこなすには、華奢なアイドル顏の歌手ではちょっと無理で、 MEAT LOAFの様な大柄なガタイを持った歌手でないとダメではないかと。

個人的な考えではあるが、MEAT LOAFのちょっと大柄で少し厳つい様に見えるイメージが日本ではマイナスに作用したのでは? 

そしてアルバム・タイトルは地獄のロック・ライダー、そのジャケのデザインも墓場からオートバイごと飛び出したライダーが描かれ、ホラー映画の様なイメージを醸し出したのも、一般のリスナーが内容を聴くこともなく、購入をためらったのではないかと…

デビューした当時、欧米では全く鳴かず飛ばずだったクイーンやチープ・トリックは細身のスマートな青年達で結成されたいかにも当世のロックバンドのイメージで、さらに楽曲が日本で受けるキャッチー でメロディアスな物だったから、日本で人気が出たと思える。

マルちゃんのインスタント・ラーメンの宣伝じゃないけど、まあ騙されたと思って聴いてみて下さい。

琴線に響く曲が何曲か見つかるかもしれません。

Meat Loaf - Two Out of Three Ain't Bad

クールなジャズCD、それはCOOLなり!

2016年08月04日 | JAZZ・FUSION
暑い! 本当に暑い!

と言っても、今住んでいるシンガポールの話ではない。

そう、日本の暑さのこと。

本日東京より以西の地域では、33度以上の真夏日。地域によっては35度以上の猛暑日であった。

しかしこれらのニュースで報じられている温度は、ある一定の環境での測定値であり、アスファルトの表面なんかは強烈な太陽光に熱せられ、実際我々が体験する街中での気温温度はさらに高いものとなる。

なんでお前があたかも体験したようなことを言っているのか?と聞かれると、そう今日の早朝、日本に一時帰国したからである。

野暮用の処理なので、用件が片付き次第すぐに戻っちゃうわけなのだが、4ヶ月留守にしていただけなので、以前とはさほど変わりのない風景でごみごみとしているわけだが、海外と比べるとリラックスできて一味違う。

食べ物もうまい。普段はさほどありがたみを感じ無いコンビニおにぎりでも異常に美味く感じる。

しかしこの暑さはなんとかなら無いものであろうか?

熱帯の赤道に位置する国より、緯度の高い温帯のど真ん中にある日本の気温が高いなんて一体どう言うこと?

まあ、こんな時には、クールでスムーズなインスト・ナンバーをクーラーの効いた部屋でビールを飲みながら鑑賞するのはいかが?

そこで取り出したCDが、BOB JAMES の落ち着いたキーボードとEARL KLUGHのこれまた柔らかい音色のアコースティック・ギターが美味く噛み合って、クールに感じなかなかよろし〜

ところで、ジャケットには2本の太めのキュウリが雲を従えた青空をバックに突っ立っている。

キュウリを使ったドレッシングなどが爽やかで涼しげなイメージを与えるため、このCOOLのアルバム・ジャケットのデザインに2本のキュウリ使ったのかもしれないが、この唐突な構図では、まるでヒプノシスが制作した訳ありプログレ・バンドのアルバムと勘違いされるかもしれない。

それから、私はこの太めのキュウリが苦手だ。歯ごたえが日本のイボ・イボのついた細身のキュウリと比べてシャキ・シャキ感が足りない。それとハンバーガーの中にスライスされたキュウリのピクルスも苦手。ハンバーガーの中からわざわざ取り出してから、バーガーをほうばる時がよくある。

クールなイメージでキュウリを使うとすれば、冷酒にモロキューだろうか。

モロキューのしゃきとした歯ごたえに、味噌がキュウリの淡白な味にアクセントをつける。

やっぱり日本が一番!




ライブ盤の編集ってアリ? その2

2016年08月01日 | BRITISH ROCK
擬似ステレオは、モノラルの音源を左右2つのスピーカーから出す場合、どちらかのチャンネルの音出しをほんの少しだけずらすことによって、お互いの音の波形が干渉し合い、音に立体感をもたらしステレオ・サウンドのように聴こえるのである。

初期のビートルズのアメリカ編集盤に擬似ステレオでミックスされた楽曲が見受けられる。

風呂場で歌を歌うと、狭い浴室内で音が反射しそれらが互いに干渉し合う。

それは、カラオケ・マイクに装着してあるエコーの装置を使ったときと同じように、反響音が干渉しあう事により立体的に聴こえ妙に歌がうまくなったような気がするのと同じように思うのだが。

オーバー・ダブされた音源にも、同じように擬似ライブなるものが存在する。

もともとのスタジオ録音の音源やスタジオ・ライブと言う一発取りの音源に観客の拍手などをダビングしたりして、臨場感を出すのである。

エルトン・ジョンの1970年4月に出した“人生の壁(BORDER SONG)”の後を受けて同年6月に出た5枚目のシングルに“ROCK'N ROLL MADONNA”が有る。まったくヒットはしなかった。


たぶん日本では、シングル・カットされなかったので、当時この曲を聴くためには、1970年のエルトン初来日にあわせた日本独自編集のベストアルバム、“A VERY SPECIAL COLLECTION”まで待たねばならなかった。(今では、2枚目のアルバム、ELTON JOHNのCDにボーナス・トラックとして収録されているので簡単に聴く事ができる)。

スタジオ・アルバムからのシングルととアルバム未収録の曲からなる中々渋い選曲だった。特に廃盤シングルのイエス、イッツ・ミーの収録が目玉だった。

この曲を始めて聴いた時、ライブ演奏であると疑わなかった。

何故なら、ダビングされている手拍子からライブ演奏の臨場感がとても感じられたのと、その前に出されたアメリカの小さなスタジオに少しの観客を入れて録音した17-11-70と言うライブ・アルバムのアウト・テークなのかと思ったからだった。


その後、エルトンはBENNY AND THE JETSでも同じような試みをしているが、擬似ライブとは少しニュアンスが違い意図的にミエミエで拍手をかぶせている。


何故このような事をするのかと言えば、曲によってはライブの臨場感があったほうがより栄えて聴こえるからなのか、もしくはプロデューサーのちょっとした遊び心からそのようなアレンジになったのかも知れない。

ここでも結論は同じ、工夫を凝らし加工された楽曲は、それが楽しめるのであればあまりとやかくは言わない。

ただ、実際にライブ録音を行った際の、観客の盛り上がり以上にオーバー・ダブによって臨場感を膨らます事には賛成できない。

Elton John - Rock and Roll Madonna (1969)

ライブ盤の編集ってアリ?

2016年08月01日 | BRITISH ROCK
1975年に発売されたFRAMPTON COMES ALIVEは、翌年にかけて世界中で大ヒットした。

この大成功を目の当たりにすると、誰しも“俺たちも同じように出来るのでは?”と考え、70年代は同じような2枚組みのライブ・アルバムが次々と登場した。

特に、1978年に出されたアイルランド系のロック・バンド、THIN LIZZYが出したLIVE AND DANGEROUSはよく出来たライブ・アルバムだと思った。

ほんと!かっこいいライブ・アルバム。

しかしながら、当時このアルバムのプロデューサー、トニー・ビスコンティによると、当アルバムに使用された実際のライブ音源は主なところではドラムや観客のノイズなどで、全体の25%程度しか使われなかった。そしてライブにおいて不明瞭であったパートをスタジオで再録し、ライブ音源とミックスしこのレコードを完成させたと言っていた。

一方THIN LIZZYのマネージャーは、これには反対の意見を唱え、75%が実際のライブ音源を使い、一部のバック・ボーカルやソロ・ギターを取り直し、マスター・テープに録音された雑音を消したとの事。

どちらの話が正しいのかは分からないが、両者とも、その道のプロ編集によるライブの雰囲気を味わいながら、且つクリヤーで演奏ミスの無い音源を楽しんで欲しいと言うことであろう。

このアルバム以外に、KISSのALIVEやALIVE II(いろいろ加工したみたい)、 CHEAP TRICKのLIVE AT BUDOKAN(バック・ボーカルとギターのソロ・パートに一部の差し替えアリ)、そしてJUDAS PRIESTのUNLEASHED IN THE EAST(ボーカルの差し替えの箇所アリ)なんかにも、スタジオでの再録の音源と差し替えられている箇所があるようだ。


大枚はたいて買ったライブのダブル・アルバムの音質がブート並みの音質だった事が分かったときのガッカリ感。

反対に、ライブ音源はバンドの実演の記録であるのだから、多少音質に問題が有っても生の音を尊重すべきで、オーバー・ダブは控えるべきだと言う正統派。

まあ、これについてはいろいろな意見があると思うが、この判断はリスナーに委ねられる事柄だと思う。

さらに、オーバー・ダブ以外にも、ライブに於いて多くのSE(SOUND EFFECT)が使用され、実際に演奏していないことに対する不満なんかもある。

大昔アメリカにいた時、ELOが西海岸でOUT OF BLUE発売後のツアー中に、そのような不評があったのを覚えている。


確かに、ギター、ベース、キーボードとドラムの4人に3人の弦楽器が加わっただけの編成では、SEなしで彼らのスタジオ録音でのリッチな演奏の再現は厳しい物があったと思う。

最近ロンドンでELOのEFF LYNNが懐メロ・コンサートを行っていて、オーケストラと多くのサポート・ミュージーシャンを使い、音に厚みを出して、結構スタジオ録音に近い形で演奏していた。これに関してはレコード通りの演奏で、一緒に歌うことが出来好感が持てる。


そして、QUEENのLIVE KILLERSで演奏されていたボヘミアン・ラプソディーは、SEなしではオペラチックな箇所の再現は4人では到底不可能だったといえる。


つまり、個人的には工夫を凝らし加工されたライブ盤は、それが楽しめるのであればあまりとやかくは言わないという考えである。

そう考えると、パープルのLIVE IN JAPANは凄いの一言。