本日はチューリップの1972年のファースト・アルバム、魔法の黄色い靴 (Yellow Magical Shoes)でも。
(1975年に再発された再発盤)
福岡でアマチュア時代に人気バンドであった彼らが遂に東京に出て東芝参加のエキスプレス・レーベルからレコード・デビューすることに。
ビートルズに影響を受けた彼らの売り出しにレコード会社も結構力を入れていたみたいで、LPレコードには56cmx84cmサイズの大判ポスターなどが封入されるなど気合が入ったものとなっていたし、更にジャケにはJohn Fischbach(五輪真弓のファーストアルバム、少女のプロデューサー)のコーディネーションによってロス・エンジェルのキャピトル・レコードのBill Smithなる人物がラッカー盤のカッティングしたって記載されている。
ただ新人バンドとしては割とお金を使った破格のプロモーションを行ったにも関わらず、レコード・セールスは不発。また続くセカンド・アルバムもイマイチの売り上げだった。
そのため福岡に逆戻りかと追い詰められた彼らだったが、最後のトライとして出したシングル、心の旅が起死回生の大ヒットし全国区のバンドへと躍進。
1972年といえばアリスや赤い鳥などフォーク・ロック・バンドがプロとして活動をスタートさせたニューミュージック到来の時期でこのアルバムもそこそこ売れそうに思ったのだけれどね…
イエロー・シューズのマジックの効果が即効性ではなかったのか?
確かに後でじんわり来る作品だったとは思う。