りばぁさいどらいふ

東京を流れる某川のほとりから。
ガーデニング、アウトドアなど生活を心地よくするために思うところ、備忘録、いろいろです。

水戸探訪 その1

2024-03-16 07:39:27 | お出かけ
日本三名園「水戸偕楽園」を訪れました。

水戸偕楽園を訪れるのは2回目ですが、梅の季節は初めてです。

江戸時代、水戸藩第9代藩主・徳川斉昭(なりあき)によって造園されました。

「御所紅(ごしょべに)」


梅の女王「見驚(けんきょう)」

「黒田」

お弁当を買い、梅の木の下でお昼にしました。
😀 華御前と梅づくし弁当・・・美味しかったです。

「好文亭(こうぶんてい)」へ。
😀名前は 梅の異名である「好文木」に由来してます。晋の武帝の「学問に親しめば梅が咲き、学問を廃すれば咲かなかった」という故事から斉昭が命名しました。

(水戸空襲で全焼しましたが)昭和30年復元された木造三階建ての好文亭本館と平屋の奥御殿を見学できます。
梅まつり開催中で混雑していたため、長蛇の列に従ってゆっくりと廻りました。

まずは奥御殿から見学。
奥御殿は、主に藩主夫人の休養の場として使用されていました。

菊の間と


桃の間は、来客用の台所として使われました。



つつじの間と・・・

紅葉の間は、藩主夫人付の女中用の部屋。


松の間は藩主夫人用。


竹の間。

良く見ると欄間にも竹が施されていました。

梅の間。
😀 大正天皇が皇太子時代、こちらの部屋に宿泊されたそうです。

南天が描かれた「梅の間入間 」


萩の間と・・・


桜の間は、藩主夫人付の女中の控室。

太鼓廊下を通って(現在、見学者は通行不可)、奥御殿から好文亭本館へ入った所が「華燈口」
😀茶坊主が控える小部屋で、周囲には古今集の和歌(短冊)が貼られていました。

その先の「東塗縁広間」では、斉昭が領内の80歳以上の家臣と、90歳以上の庶民を招いて、養老の会を開いた場所です。 大奥から最も嫌われていたと伝わる「徳川斉昭」・・・ドラマでは悪役として登場することが多い人物ですが、このような一面もあったのですね😊 


好文亭本館の藩主の間は、とても質素。
😆  藩主夫人用の奥御殿の方が、ずっと豪華です。

徳川斉昭の奥様は有栖川宮織仁親王(ありすがわのみや おりひとしんのう )の第12王女「吉子女王」・・・斉昭は側室が多く、37人の子供がいましたが、夫婦仲は良かったそうです。斉昭死後、明治2年から明治6年まで好文亭に住んでいたそうです。波乱万丈の人生・・・吉子女王についてもう少し詳しく知りたくなりました。

3階の楽寿楼からの景色は・・・

絶景でした。



前回訪れた時に、最も印象に残った「配膳用昇降機」

😉  当時、人力のエレベーターを使って、3階と1階で配膳の上げ下げをしていたそうです。

園内の広い梅林を散策しました。

偕楽園には約100品種、3000本の梅が植えられているそうです。

マンホールのデザインは「梅と好文亭」


ツグミも遊んでいました。


春の偕楽園で梅を存分に楽しむことができました。

(つづく)
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