りばぁさいどらいふ

東京を流れる某川のほとりから。
ガーデニング、アウトドアなど生活を心地よくするために思うところ、備忘録、いろいろです。

旧東海道散歩 その45-① 蟹が坂~

2020-07-27 11:18:00 | 旧東海道散歩
昨日の疲れが残っていますが、今日も旧東海道散歩・・・蟹が坂交差点まではタクシーtaxiで向かいました。

nikoここから再出発!

「蟹坂古戦場跡」

niko1542年(天文11年)9月、伊勢の北畠軍は甲賀に侵入しようと鈴鹿峠を越えて山中城を攻めました。山中城主、山中丹後守秀国はこの地で迎え撃ち、、山中軍5千VS北畠軍1万2千の戦いは山中軍が勝利したそうです。



見えてきました。


「高札場跡」と・・・


「海道橋」

nikoかつて田村川に架かっていた田村橋を復元した橋です。

歌川広重「東海道五十三次之内 土山 春之雨」

nikoこの辺りは年間雨量が多い場所でした。雨で水量が増えた田村川が描かれています。1775年(安永4年)架けられた田村橋・・・低い欄干が付いた橋は、当時としては珍しかったそうですが、しとしとと降る雨の中、笠と袖合羽姿の大名行列はわき目もふらず足早に渡って行きます。木々の向こうにぼんやりと見えるのは田村神社ですね。

海道橋を渡ります。

niko土山宿の東側入口です。

井上士朗の句碑 「鮎の背に 朝日さすなり 田村川」

niko井上士朗は江戸時代後期の俳人で、名古屋で評判の医師でもありました。

かつては・・・橋を渡ると「橋番所」と「高札場」がありました。


1775年(安永4年)田村橋が架けられると、旧東海道は田村神社参道を通るように変更されたそうです。


812年(弘仁3年)創建と云われる「田村神社」

niko坂上田村麻呂公を主祭神として、嵯峨天皇、倭姫命(やまとひめのみこと)を祀っています。

本殿前の「矢竹」

niko平安時代、鈴鹿峠の山賊を退治した坂上田村麻呂は「今や悪鬼も平定された。 これより後は、この矢の功徳を以て万民の災いを除くこととする。 この矢の落ちた地に私を祀りなさい」と言って矢を放ち、 そこから青々とした芽が生えてきました。それがこの矢竹と云われています。

参道(ここも旧東海道の一部です)を抜け、歩道橋を渡り・・・


道の駅「あいの土山」で一休み。

niko忘れかけていましたが、ここは甲賀市・・・忍者の里でした。

「土山宿の碑」がある公園の前を通り・・・


一本道を進みます。


土山宿も屋号の木札が掲げられていました。


「地蔵堂」の近くには・・・


上島鬼貫句碑 「吹けばふけ 櫛を買いたり 秋乃風」

niko当時、東の芭蕉、西の鬼貫と呼ばれた俳人でした。お六櫛は土山宿のの名産で、かつては十数件の櫛屋があったそうです。

扇や櫛を販売していた商家「扇屋伝承文化館」


「地蔵堂」と「旅籠大槌屋跡」


日本橋から110理の「土山一里塚」


「旅籠車屋跡」「油や権右衛門」「旅籠寿し屋跡」


来見川に架かる「来見橋」を渡ります。

niko橋の欄干には陶板で「土山茶もみ唄」や江戸時代の土山宿の様子が描かれていました。

「白川神社」


土山宿にも旅籠が多かったようですね。


それぞれの家の塀の上には可愛い大黒様や恵比寿様が鎮座されていました。


(つづく)

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