りばぁさいどらいふ

東京を流れる某川のほとりから。
ガーデニング、アウトドアなど生活を心地よくするために思うところ、備忘録、いろいろです。

武相荘

2020-07-17 07:27:00 | お出かけ
「町田の鶴川に、とても偉い人が戦争中に転居して来て、ひっそりと住んでいるらしい」という噂を聞いたのは、子供の頃・・・祖母との他愛のない会話の中だったように記憶しています。
今思えばそれが「武相荘」・・・偉い人は白洲次郎、正子夫妻のことでした。


白洲次郎は貿易商の次男として生まれ、イギリス留学を経て、戦後、吉田茂の側近として活躍した人です。留学中はベントレーに乗り、初めてジーンズを履いた日本人と云われています。


白洲正子は伯爵樺山家の次女として生まれ、戦前にはアメリカ留学の経験もある随筆家です。


訪れたのは、まだ外出自粛もなかった穏やかな冬の日。


休憩所には次郎が使用していた車と同型の車が展示されていました。




長屋門


「旧白洲邸 武相荘」は武蔵と相模の国境に位置していることとご夫妻の気質をユーモアを交えて表現した「無愛想」を掛け合わせて次郎が名付けたそうです。


現在は記念館・資料館として一般公開されています。


茅葺屋根の主屋・・・室内を見学できますが、撮影は禁止でした。


室内はレトロと和洋折衷の独特の世界。
サンフランシスコ講和条約締結時に吉田茂首相が演説の時に使った(次郎が尽力したという)原稿の複製、正子の直感で収集された骨董品や着物も展示されていました。当時のまま保存された正子の書斎、囲炉裏、そして薄墨で書かれた「戒名不用、葬式不用」の次郎の遺言。

二人の美意識に圧倒されたまま・・・散策路を散歩。


「PLAY FAST」の看板に背中を押されるように階段を上ると・・・


イギリスのパブのような(バースタンドがある)部屋があり、壁には二人が出会った頃の大きな写真がありました。


「PLAY FAST」(さっさと、やれ!)は次郎の口癖だったそうです。
料理を作らない正子は、収集したお皿を自分の料理のために使うことはありませんでした。

大人になった今も「偉い人」は遠い存在・・・二人のことをもう少し知りたくなりました。

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