リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

296. 17回目のドイツ旅行(24) 雨の中の小さな教会

2023年02月07日 | 旅行

▶今日は午後に重大な使命を抱えていました。

 


ヘルゴット教会でフラウケリンド・ブラウン牧師に写真集と寄付をお渡ししました。

 

▶今日は2019年から皆さんに絵はがきを購入していただいてきた寄付をお渡しする日なのです。

 このクレークリンゲンの町から坂を上がってぽつんと建つヘルゴット教会は私の写真展の大きなテーマです。チラシに載るのは決まってここのマリア様だからです。295号の記事に書いた故ヨハネスが2006年の留学時にこのマリア祭壇で夕陽が窓から差し込むひとときにマリア様の昇天に立ち会うような奇跡の瞬間を捉えた写真をくれたのでした。それはまだ見たことのない厳かさで、「私も見たい!」というと「それなら8月15日にこちらへ来なさい」と言われ、2007年の8月14日夜に三津夫と娘の奈々子と一緒にローテンブルクまでやって来たのでした。その時の様子は以前書いていますので、こちらのリンクからお読みいただければと思います。

15. クレークリンゲン - リーメンシュナイダーを歩く 

15. クレークリンゲン - リーメンシュナイダーを歩く 

旅日記No.13クレークリンゲンのマリア祭壇2000年に初めてクレークリンゲンを訪ねたときには、祭壇が暗くてマリアの表情もよく見えなかったということを旅日記No.8に書き...

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 このような成り行きでたまたま私にも宝と言えるマリア祭壇の写真が撮れたわけですが、その後は天井の改修工事でライトが付けられ、日中でもマリア様のお顔がよく拝観できるようになりました。でも教会はその工事の負債の一部分を引き受けなければならず、今でも寄附を募っています。そのため、このマリア様の写真のおかげで広く日本にリーメンシュナイダーの名前を広める一端を担えたと思う私も寄付を募りたいと思ったのでした。

 どうしたら寄付を募れるのか考えたときに写真を絵はがきにして販売してはどうかと思い付きました。そこで、知人、友人のいる博物館にも許可をいただき、合計24枚の絵はがきを印刷しました。その売り上げの中から印刷代だけ差し引いて純益を計算したところ、247,900円となっていました。これを旅行に行けそうだとわかってから両替したところ、既に円安が始まっていて1,715ユーロとなりました。これを日本からヘルゴット教会の口座に送ると相当な手数料がかかってしまうため、直接現金でお渡ししたくてこの日の午後に面会予約を取ったのです。面会の日程はイングリッドさんが仲立ちをしてくれたのでした。トップ写真の奥にもご夫妻が写っています。送り迎えも見守りも務めていただき、本当に助かりました。

 その時に地元の CREGLINGEN/REGIONという新聞社からインゲ・ブラウネ記者のインタビューを受け、記事が掲載されたので以下のブログで報告してあります。詳細はこちらをご覧ください。
273. 17回目のドイツ旅行(1) まずはご報告から

 

◆2022年9月25日(日曜日)1556歩
 朝9時半から朝食とのことでしたので、昨夜省略したシャワーを浴び、心の準備と出かける準備をして1階に上がりました。
 するとまぁ、テーブルの上には既にたくさんのご馳走が並んでいて絶対に食べきれないほどの量でした。「もっとどうぞ」と言われても申し訳ないと思うのですが、三津夫も私も以前のようには食べられなくなっていますので心の中で手を合わせるばかりです。でも大変美味しくいただきました。


美しいテーブルセッティング。我が家でも研究しないと…。

 

▶今日は紹介したい教会があるのです。

 イングリッドさんにそう言われて雨が降りそうなお天気の中、カメラだけ持って出かけました。美しい草原をドライブして行った先は Ulrichskapelle Standorf (教会・修道院㉔)という小さな教会でした。中ではミサの最中とのことで外でしばらく待ちました。そのうちに雨が降り出しましたが、ミサはなかなか終わりません。この日の牧師さんは午後にクレークリンゲンで会う約束をしているフラウケリンド・ブラウンさんだったのです。私たちは中庭のお墓を見たり、木の下で雨宿りをしたりして、ミサが終わるのを待ちました。

 11時40分頃、ようやくミサが終わって町の人々が帰り始めました。
 このロマネスク様式のウルリヒ礼拝堂(シュタンドルフ)が記録に初めて出てくるのは1429年だそうです。当時は珍しかった八角形の天井を持つ建物だといいます。中から写した写真ではすべての角が見えなかったので夫妻の説明でそうとわかりました。この教会の裏手に「ウルリヒの泉」があり、目の病気を癒やしてくれると有名になって多くの巡礼者が来たそうです。
 堂内中央の柱がなぜかつるつるになっているので思わず手で触れると、近くにいた男性が「健康になるよ」と笑いました。日本の「おびんづるさま」のような柱なのでしょうね。



ウルリヒ礼拝堂(教会・修道院㉔)

 


ウルリヒ礼拝堂の内部 (磔刑像は三津夫)


▶途中で寄った町はレッティンゲンでした。

 お宅まで戻る道筋で「ここはワインの美味しい町ですよ」と案内されたのがレッティンゲンでした。ご夫妻はよくここにもワインを飲んだり買ったりするために来るのだそうです。このときには町の名前がわからなかったのですが、ある教会の墓碑の写真を撮って帰国してから見ると、どうも見覚えがあったのです。それはリーメンシュナイダーの弟子と言われるハンス・フリース作の「フィリップ・フォン・ザインツハイムの墓碑」だったのです。教会の名前もレッティンゲン教区教会(教会・修道院㉕)だったとわかりました。私が以前ヴィリーとシルヴィアにお願いして車で連れて来てもらった町でもありましたし、その後バス便があるとわかって一人で再訪問していた町でもありました。それなのにこの日はまったく思い出すことができませんでした。

 このときヴォルフガングさんが墓碑に書かれている数字の読み方を教えてくれました。
 m=1000年 CCCC=400年 fü=50年 llll=4年 合わせると1454年となるというのです。これをメモしておけば、この墓碑は何年のものなのか、あるいは誰が何年に亡くなったのかがわかるのだろうと嬉しくなりました。今までは訳がわからずに読み流していましたから。ただ十年単位が他の記号の場合はわかるかしら? 今度試してみて、わからないところはヴォルフガングさんかヴェニガーさんに聞いてみようと思います。

 お宅に戻ると綺麗に焼いたチーズケーキと珈琲が振る舞われました。イングリッドさんお手製のケーキだそうです。私も年に1~2回チーズケーキを焼きますが、何しろ我が家のは小さなガスオーブンなので、40年以上もずっと21cmのケーキ型を使っています。シルヴィアもイングリッドさんもそれより一回り大きな型(多分24cm)で焼いたチーズケーキなので見映えも良く、ワンカットも形良く整っていて素敵です。こちらも大変美味しくいただきました。


▶クレークリンゲンの大役を果たしてからようやく見えたもの

 午後1時20分、クレークリンゲンのヘルゴット教会(教会・修道院㉖)に向けて出発しました。日本の皆さんからお預かりした寄付を届けるという大役を果たしてホッとしたところで、ブラウン牧師さんが案内してくださったのがミニチュアのマリア祭壇でした。ガラスケースに入っているのでどうしても光が反射してうまく写せないのですが、その解説書を読むと Willstätt に住む Klaus Schettle という方が1958年に初めてこのリーメンシュナイダーによるマリア祭壇を見て大変感動し、彼の兄弟からミニチュアを彫るということについて話を聞いたことがきっかけとなって自分もマリア祭壇のミニチュアを彫ろうと思ったのだそうです。彫るのに見合った木材を探し続けて150年ほど経っている楓材を見つけ、仕事を続けながら何十年かかけてようやく仕上げたものだそうです。マイクロスコープまで使ったとも書いてありました。
 このミニチュア祭壇は本当に細かなところまでしっかり美しく仕上げられていて「我が家にも欲しい!」と叫んでしまったほどでした。シェッテルさんとそのお連れ合いが2021年8月にこのミニチュア祭壇をクレークリンゲン市に寄付してくれたのだそうです。そして8月14日にヘルゴット教会に据え置かれたとのこと。この教会に行く方は忘れずにご覧になってみてください。



三津夫のカメラを持つ手と較べてどの位小さいものかおわかりただけるでしょうか。

 
 今まではいつもマリア祭壇ばかりに注目していたので、堂内を一巡りして大きなクリストフォロスの壁画が描かれていたことに初めて気が付きました。どうも私はまだ教会内全体を見るというゆとりを持てていないのだと痛感しました。もっと広い目を持ちたいと思います。この壁画も写真に写したので記念と自分への戒めとして載せておきます。


この壁画は1515年頃の作だそうですが作者名は書かれていませんでした。


 このあとラインハルト家まで一度戻って休憩。ホッとして日記を書きました。
 そして5時半には Zum Falken というレストランに出発。ゆっくりと最後のお喋りをしながら夕食をいただきました。

 明日はシュヴェービッシュ・ハルまでバスと列車を乗り継いでの旅となります。でも、まだ慣れないユーレイルパスのアプリに明日乗る列車の登録がなかなかできず、悩みを抱えながら帰りました。お二人にも心配をかけてしまいましたが、なるようになると開き直るしかありません。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

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