梅様のその日暮らし日記

その日その日感じた事や世間で話題の事について自分なりの感想や考えを書いていきます。

奄美大島一泊二日ーその5

2017-01-19 14:03:26 | 日記


   ホテルの窓から薄暗い夜景を眺め、また一般商店街が6時で閉店をしてしまう街で、夜中まで営業を続ける無数の小さな飲み屋を思うと、ある故事が思い出されます。多くに人がすっかり忘れていますが、終戦後しばらくの間、奄美諸島も沖縄と同様、米軍の軍政下にありました。その中で、米軍基地も無くあるものと言えば山ばかりの奄美大島は、ひたすら貧しく、5,000人と言われる女性が沖縄本島に渡り春を売って現金収入を得ていました。

   当時沖縄の住人たちが奄美の人たちを差別し、人間扱いせず、いかに過酷な扱いをしていたかは、ほとんどの日本人が知りません。そんな沖縄人たちが、本土に対して沖縄を差別するなと叫んでいる現状を見ると、正直、お前らふざけるのは止めろ!と言いたくなる時があります。

   日本が東京オリンピックに沸いた昭和39年の時点においても、奄美の人たちはソテツの実を大切な食料として重用していました。本日の写真は、女性達がソテツの実を割っている場面です。ソテツの実はそのままでは毒があって食べられないので、何日も水にさらしてから粉末にして食用にしたそうです。

   地元の料理に山羊汁というものがありますが、これもまた貧しさ故に生み出された料理だと言えるのではないかと思います。どこかの鉄道で、線路わきの斜面の除草をするために、山羊を放してみたということが新聞に載っていましたが、山羊は牛や豚と違ってほとんど手がかからない動物で、わざわざ飼料を買う必要も無く、適当に雑草を食べていてくれるので、大変重宝な動物だったのだろうと思います。

   まだ記憶に新しいこととして、奄美大島出身の若い娘が、貧困アイドルとして売り出されたことがあります。今時食べる物に事欠く生活を送って来たことを逆手に取ってのテレビ登場でしたが、東京で生活している内に、まだ若い身でありながら、自ら命を絶ってしまいました。

   たった一泊二日、実質行動時間が9時間というツアーでは、奄美大島のほんの上っ面を撫でることしかできません。屋久島のように、悠久の大自然に恵まれている訳でもなく、種子島のようにロケット基地がある訳でもありません。修学旅行生たちはみな奄美上空を通り過ぎて沖縄に向かってしまいます。そんな状況の中、奄美は自力でそれなりに頑張っている感があります。私が買った焼酎も、昔からあった産業ではなく、私の年齢と同じくらいの歴史しかありません。

   まとめに書くようなことを真ん中に入れてしまいました。ホテルの窓からの夜景から思いついた内容です。