病名は、頭蓋骨骨折 急性硬膜下血腫 急性硬膜外血腫
外傷性くも膜下出血 脳挫傷と恐ろしい病名が幾つも付いています。
約2ヶ月前、5月30日に起きた私の夫のことです。
グランドゴルフクラブの一泊親睦旅行に出かけ、夕食後部屋に戻った時のことでした。
部屋に入るところで後ろに転倒し後頭部を強打したそうです。
数分意識が無く、お仲間が手当てをしてくださり意識は戻ったようですが、
心配なので宿から救急車を頼んで貰ったそうです。(お仲間の話)
夜の9時半頃、私の携帯に電話が入りました。
見ると夫の名前が。。。今頃宴会で酔って電話をかけてきたのかしら??
と気軽に考えながら電話にでたら、救急車の音 ピーポーピーポーと聞こえます。
いやな予感が。。。
「こちらは、〇〇の救急隊です。〇〇さんの奥さんですか?」
「はいそうです」え?え?
「夫に何か」??
「宿で転倒し後頭部を強打し今病院に搬送中です」
「病院がまだ決まらないので決まりましたらまた連絡します」ということでした。
実は私も、友人たちと一泊旅行に出かけ夕食後部屋でおしゃべりをしていたところでした。
次の電話を待ちました。
頭の中は真っ白です。
我に返り、まず思いついたのが、保険証、薬手帳、血圧手帳です。
そして、家に居る孫に連絡を取り説明、
保管してある場所を伝えそれぞれ写真を撮りLINEで送って貰いそれを、
救急車に付き添ってくれたTさんにLINEで送ることが出来ました。
娘たちにも連絡、孫からも連絡が入ったようです。
そうこうしているうち、搬送先の病院が決まりました。
N脳外科病院とのことです。
頭を打っているというので脳外の病院は、一安心でした。
そして、止血の点滴をしています。ということでした。
もう真夜中12時です。
直ぐに駆け付けたいのですが、電車もタクシーも有りません。
明日の朝一番で行くことにしました。
友人も明日朝のバスや電車の時刻をスマホで検索してくれたり
楽しい旅行中にも関わらず、一諸に心配してくれとても心強く有難かったです。
ホテルのフロントに電話をして事情を説明し朝一番のバスを聞いたら
電車の接続を調べてくれて一番に乗らなくても9時過ぎで大丈夫です。
と電車の時刻表も印刷して渡してくれました。
娘からも連絡が入りました。
電車の時刻を調べてくれ乗り継ぎの駅と到着時間をラインで送ってきました。
私たちは、車で病院に向かうのでお母さんは、1時半に駅に来れる?
迎えに行きますが。はい大丈夫です。
そのあと病院から連絡が入るのではないかとベッドで横になりましたが、
寝るどころではなく目が冴えてしまい朝を迎えました。
早めにチェックアウトしホテルのバスに乗りました。
友人たちも一緒にきてくれました。
途中の駅で私は、病院へ行くので違う線に乗り換え娘の迎えの車に乗り病院へ
午前中 先生からの病状の説明が有りましたが、
二人の娘が、先生から聞いてくれました。
先生の秘書が、その場でパソコンに記録をしてプリントしてくださったお陰で
私が先生から直接聞かなくても、症状がよくわかりました。
面会は私が着いてからと待っていてくれました。
娘二人と私の三人でICUの夫の所へ面会に、部屋にこわごわ入ります。
頭に包帯は巻いていません。
手を出して動く? 足は大丈夫? 私たち分かる?
大丈夫でした。ひとまずホッとしました。
止血の為の点滴と、ふらつくので起き出さないように固定されていました。
意識状態がもうろうとして会話が成立しないこともあるようです。
外傷の中でも重い方か思われます。とも言われています。
その半面「鍵やお財布を置いてきてしまったけれどどうしたかね」と気にしています。
「大丈夫よ家に全部届いているから」「そうか良かった」と安心していました。
2週間の入院、今のところ手術の必要はありません。
と言われました。
面会は週1回、2人まで30分と決められています。
6月6日 12時 面会
先生からの話が有りますということで、2人の娘と3人行きました。
私たち3人は部屋に通され先生、秘書、看護師、相談員2人で話が始まりました。
先生からは、
「頭の外傷は落ち着いていて、血腫も増えていません。出血は徐々に洗い流されています。
急性期の治療は終えている状態で、言語療法、作業療法、理学療法などのリハビリを行っています」
「本人は、早く家に帰りたい希望が強いのでどうしましょう?」
「自宅での生活ですが、家族の見守りが有れば可能ですが、
夜間に歩き出したり歩行時のふらつきが有るので家族の負担が大きいでしょう」
と言われました。
その後、同席してくださった相談員との話し合いが。。。
本人も部屋に呼んでくれました(車いすで来ました)
私たち家族の考えとして、即退院は、心配事が多すぎる、
その後出血が有り緊急を要する事態になった時事情の分かるこの病院へ連れてこれない(家から遠すぎるので)
家の近くの大きな病院へ転移し尚且つリハビリが出来る所へお願いしたい旨を伝えました。
このような話をしていましたが、本人は、薬の所為か半分寝ているのか朦朧としている状態でした。
家に帰る途中車の中で、娘たちとの会話
「今退院をしてきたら今日のような状態ではどう考えても無理だし心配が多すぎる」し
その後、相談員から、近くのリハビリ可能な病院のリストアップを出してくださり、
家族と相談した結果、病院の内容や交通の便などを考え3病院の転院先を伝えました。
相談員は事情を先方に話して受け入れの交渉をしてくださいました。
6月15日 14時30分 面会
前回に比べると驚くほどの回復です。
意識もハッキリして顔つきもしっかり、歩き方もふらつきが無くホッとしました。
リハビリ(1日に3回有るそうです)が効いたのでしょうか?
看護師さんとリハビリの担当者から病院での生活状況の話も聞かせて貰えました。
これなら本人の希望通り退院してもと思えるくらいでした。
そうこうしているうち、相談員から、転院の病院が決まりましたので、連絡を取ってくださいとのこと
その結果、6月27日10時半 Y病院への転院が決まりました。
6月27日 退院・転院
大変お世話になったN病院を看護師さんや相談員の見送りを受けて退院しました。
そのまま Y病院へ直行、入院の手続きを済ませました。
もう少しの辛抱だから、リハビリを頑張ってね!と病院を後にしました。
今の調子だ早くに退院出来そうな感じでした。
7月3日 面会・退院
時間になり病棟に上がると廊下で着替えている夫に会いました。
あら どうしたの?と聞くと今日退院だからと言うでは有りませんか
先生が何と言われるかだけど
本人は、すっかりその気です。
それなら先生の許可がでたら退院ね~~
ということで35日間の入院生活が終了しました。
夫も良く我慢していましたもの
ただ アルコールと車の運転は、次回8月5日の検査が済んで結果次第ということです。
思いがけずのアクシデントで、大変な思いをすることになりました。
入院になり、本人は一番大変でしたが、
当時の記憶がないようなので、お仲間の方がもっと大変だったのではと思われます。
折角の楽しい旅行が台無しになったお仲間にはお世話になったり迷惑やご心配をおかけしました。
娘家族にも色々手伝って貰い本当に有りがたかったしとても頼りになりました。
先生から最初の頃、少し先のことになりますが、介護の申請とかという言葉も有りました。
家族として覚悟が必要なのかとか、悪い方へ悪い方へと一時は考えてしまったりしましたが、
今は、先生方やリハビリのお陰で、痛い所も後遺症も無く回復して普通に生活が送れています。
もしかして奇跡なのかもしれないとも思えるほどです。
8月5日 再診 検査
退院してから、どんな生活になるのかしらと不安が有りましたが、
暑いせいも有りますが、エアコンの効いた部屋で静かにテレビを見たり休んだり過ごし
アルコールも一切口にせず穏やかな生活をしていました。
そして今日を迎えました。(特に心配することも有りませんでした)
Y病院での検査(頭部のCT撮影・コンピューター断層診断)後
先生から「今日で卒業です。おめでとうございます。」と言われました。
お酒
は解禁になりましたが、飲み過ぎないように。。。と
車の運転は、今月末まで現在の薬を飲みそれから1ヶ月様子を見て変化が無ければ大丈夫です。
頭を打った人は、申告し更に運転が可能か否かを免許センターで検査を受ける義務が有るそうです。
そのため、早くても運転できるようになるのは10月になってしまいますが
「明日は我が身」 いつ誰に起きるかも知れないね!!気をつけようね!!と言っていたのに
我が家に起きてしまったのです。
年齢が増すごとにこのようなことが多くなると思います。
一時は、不安で心が折れそうになったりした時、
友人やお仲間が、何気に話にきてくれたり、絶対治るから大丈夫と励ましてくれました。
温かい言葉に励まされ、みんなの思いが伝わり今日を迎えることができたと思います。
本当にお世話になりありがとうございました。感謝!!感謝!!
長々と書き記し申し訳ありませんでした。
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