ホセ・クーラは今年2017年で、ヴェルディのオテロのタイトルロールデビューから20年を迎えました。
クーラの初オテロは1997年5月、まだ34歳の時でした。以来、20年間、世界各地でオテロを歌ってきました。合計すると約250回になるそうです。
またオテロの演出、そして指揮も行っています。
これまでもオテロについては何回も紹介してきましたが、この機会にまた20年間のクーラのオテロの歩みを振り返ってみたいと思います。なお、この一覧は公式のものではなく、私がクーラのHPやファンサイトなどのネット上の情報からまとめたもので、欠落や誤り、キャンセルなどの可能性を含んでいることをお許しださい。
トップの写真は、左から、1997年トリノ、2001年ウィーン、2006年リセウ、2011年チューリッヒ、2016年ザルツブルクです。まだ初々しい青年オテロから、年を重ね、成熟した本来のオテロの姿へ、20年の歳月を感じさせます。
なお、クーラが長年オテロについて研究してきた作品解釈、オテロ論については、これまでのブログで何回かとりあげています。
今回は、それに全面的に触れることができませんので、興味のある方はそちらをご覧いただけるとうれしいです。
→ ホセ・クーラ オテロの解釈
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●オテロデビュー――「新しいオテロの誕生」
≪1997年≫
・5月 8 , 11 イタリア・トリノ
1997年にイタリアのトリノで、クーラはオテロのロールデビューをしました。名指揮者クラウディオ・アバドが率いるベルリン・フィル、演出は映画の巨匠エルマンノ・オルミ監督、そしてタイトルロールとしてのクーラの衝撃的なデビュー・・・伝説的ともいえる舞台でした。イタリアテレビのRAIによって、世界に生中継されました。あるレビューが「新しいオテロの誕生」と書いたそうです。
共演はバルバラ・フリットリとルッジェーロ・ライモンディです。
このオテロ出演の経緯や、クーラの思いなどについては、以前の投稿で紹介しています。
クーラはもともと1999年にオテロデビューする予定で準備していたそうです。ところがドミンゴのキャンセルによって、急きょ、クーラに大舞台のオファーが・・。
以前も紹介しましたが、この時のことをクーラは、こう回想しています。
「理由は知らないが、プラシドは、キャンセルしなければならなかった。しかし、これは非常に大きなイベントであり、ベルリンフィルが初めてトリノに来ることになっていた。
彼らは私に『もしできるならば』と尋ねてきた。おそらく彼らは、私のデビューが、話題性を追加すると考えたのだろう。
私は、自分が準備ができていたとは思わなかった。34歳だった。どうすればいいか、自問自答した。
リスクを取る。ご存知のように、それは報われた。そして再びファックスは、オテロのパートを歌うようにオファーを送り届け始めた。」
(2001年インタビュー)
「危険だった・・非常に。わずかなリハーサル、オーケストラと2日間、ステージングのために1週間だけ。それまでのキャリアで最大のメディア露出――アバドの指揮、ベルリン・フィル、エルマンノ・オルミ、RAIテレビ中継・・。本当に大胆なステップだった。歴史は私についていろいろ言うことができる。しかし誰にも、私に根性がなかったと言うことはできないだろう」
(インタビュー)
「あなたが作品を選択するのではなく、作品があなたを選択する時がある。私は、34歳で初めて、オテロのタイトルロールを歌った。私はこれ以前に、この可能性を夢見たことさえなかった。
しかし、ある日、私は電話を受けた。『私たちはあなたのためにこのチャンスを持っている。あなたはそれを取るだろうか?それとも、このユニークな機会を失うことになる?』――電話線の末端から聞こえた。・・・これが私とこの作品との、20年間の『恋愛』の始まり方だった。」
(2015年インタビュー)
この時の全編の動画が、非常に画質は悪いですがYoutubeにあります。本来ならば、正規の映像をDVDなどで残してほしいのですが・・。
第3幕の最後は、よく演奏されるのと少し違うヴァージョンです。
José Cura 1997 Otello
このオテロデビューは、クーラ自身にとっても、突然やってきたビッグチャンスだったようですね。これによって、一躍、世界から注目され、オファーも殺到します。
この時の「オテロ像」についてクーラ自身は、本来のオテロとは違うのを承知の上で、当時の年齢、条件のなかで自分の最善の努力をつくす以外になかったということのようです。
しかし、若い、フレッシュなクーラのオテロ、やはり魅力的です。
●世界でオテロを歌う――1999~2005年
トリノの成功を受けて殺到したオファー。この時期、クーラは世界各国の主要な歌劇場で、つぎつぎにオテロデビューを果たしました。
≪1999年≫
・4月 18, 20, 23, 25, 27 テアトロコロン ブエノスアイレス アルゼンチン
・5月 17, 20, 23 バービカン・センター ロンドン イギリス
・10、11月 10/29、11/2, 4, 7, 10, 13, 16, 19 テアトロレアル マドリッド スペイン
・12月 9, 12, 14, 16 テアトロマッシモ劇場 イタリア
≪2000年≫
・3月 1, 3, 8, 11, 13 ワシントンオペラ アメリカ
・6月 15, 18, 22 バイエルン歌劇場 ミュンヘン ドイツ
≪2001年≫
・1、2月 1/27, 30、2/4 ウィーン国立歌劇場 オーストリア
・3、4月 3/26, 29、4/1 パリ・シャトレ座 フランス
・4、5月 4/19, 21, 24, 27、5/1, 3 ロイヤルオペラハウス ロンドン イギリス
・6月 6/21, 24, 26, 29 ニースオペラ座
・8月 8/2,5 トリエステ・ヴェルディ劇場 イタリア
・9、10月 9/22, 26, 28、10/2, 6, 9, 11 チューリッヒ歌劇場
Jose Cura 2001 "Già nella notte densa" Otello
≪2002年≫
・7月 7/4, 7, 11, 13 チューリヒ歌劇場
・11月 ポーランド国立歌劇場 ワルシャワ
≪2003年≫
・1月 10, 12, 16,19 東京、大阪
・6月 25フィレンツェ五月音楽祭 イタリア
≪2004年≫
・5、6月 5/29、6/2, 5 ハンブルグ歌劇場
・9月 5, 8, 11 チューリッヒ歌劇場
≪2005≫
・7月 2, 5 バイエルン国立歌劇場 ミュンヘン
この7、8年の間にクーラは、ウィーン、ロンドン、パリ、ミュンヘン、マドリッド、ブエノスアイレス・・と、世界の著名な歌劇場のほとんどでオテロを歌いました。
実は有名な歌劇場が1つ、ないのにお気づきでしょうか?
ミラノのスカラ座です。実は、クーラ主演で2000年にスカラ座でムーティ指揮による新プロダクションの準備がすすんでいたのですが、最終的にムーティの判断で、クーラからドミンゴに変更になったそうです。クーラ自身がのちにインタビューで語っていました。残念ですが、その後、未だにスカラ座ではオテロを歌っていません。
とはいえこの時期に、クーラがオテロの歌い手として世界的に有名になったのは明らかです。来日公演もありました。
●解釈を深め、熟練のオテロ――2006~2012年
オテロデビューから約10年をへて、クーラも40代半ば、いよいよオテロらしい年齢、熟練の時期となります。
この時期、初めてオテロのDVDも発刊され(2006年リセウ)、また2008年には、オテロの解釈をまとめた本の出版まで行っています。
≪2006年≫
・2月 9, 12, 15, 18, 21, 24, 27 リセウ大劇場 バルセロナ
OTELLO de Giuseppe Verdi (2005-06)
≪2007年≫
・1月 28 マンハイム歌劇場
≪2008年≫
・4月 9, 11 セゲド国立歌劇場 ハンガリー
・4月 13 ハノーファー歌劇場 ドイツ
・11月 4, 6, 8 サンタ・クルス・デ・テネリフェ スペイン
・この年、オテロの解釈を語ったイタリア語の本『Giù la Maschera!』(「仮面の下」というような意味か?)を出版
≪2010年≫
・5、6月 オテロ/ヴェルディ 5/30、6/2, 4, 8, 10, 13 ベルリン・ドイツオペラ
・10月 オテロ/ヴェルディ 11/2 ガラ カールスルーエ・バーデン州立歌劇場 ドイツ
≪2011年≫
・8月 1 サンタンデール国際音楽フェスティバル スペイン
・10月 20, 23, 26, 30 チューリッヒ歌劇場 スイス
・11月 6, 22, 27 チューリッヒ歌劇場
≪2012年≫
・1月 1, 5, 8 チューリッヒ歌劇場
・2、3月 ガラ公演 2/11、3/2 スロヴァキア国立歌劇場
・5月 21, 23, 25 ルクセンブルク大劇場 ルクセンブルク
・6月 24 チューリッヒ歌劇場
●さらなるオテロの探求へ、演出、指揮--2013年~現在
ロールデビュー以来、ほぼ毎年、20年間にわたってオテロを歌い続けてきたクーラ。その間には、歌い続けながら、演出・舞台デザイン、そして指揮へと、あらたなオテロの探求にふみだしています。
≪2013年≫
・3月 11, 15, 20, 23, 27, 30 メトロポリタンオペラ
Jose Cura , Krassimira Stoyanova Otello "Dio ti giocondi, o sposo"
・7月 18, 21, 24, 27, 30 出演・演出・舞台デザイン テアトロコロン ブエノスアイレス
故国アルゼンチンのテアトロコロンで、演出・舞台デザイン、そして主演でオテロのプロダクションを成功させました。
・9月 14, 17, 20, 23 ウィーン国立歌劇場
・11月 9, 20, 28 ベルリン・ドイツオペラ
≪2014年≫
・5~6月 ケルン歌劇場 5/18, 20, 23, 25, 30、6/1
≪2015年≫
・1月、2月 1/29、2/24 プラハ国立歌劇場
・2月 8、11 ハンガリー国立歌劇場 ブダペスト
≪2016年≫
・1月 1/7, 10,17 ヘッセン州立歌劇場 ヴィースバーデン
・1月 1/21,29 2/1 リセウ大劇場 バルセロナ
・3月 19,27 ザルツブルク復活祭音楽祭 オーストリア
Verdi: Otello from Osterfestspiele Salzburg
・4月 指揮、照明・セットデザイン(コンサート形式) 4/23(シェークスピア没後400年記念日) ジュールフィル/アウディ・アリーナ ハンガリー
そして2016年、オテロの原作者シェークスピア没後400年のちょうどその日、クーラは指揮者として、オテロを演奏しました。
この時のインタビューからです。
「20年間オテロを歌い続け、3年前にはブエノスアイレスのテアトロコロンでオテロの演出をした。この作品とともに長い年月を過ごした後、オテロを指揮することは、巨大な挑戦だ。新しい未知の音楽を扱うようには、簡単には近づけない。並外れたプレッシャーがある。
しかし数え切れないほど様々な状況で、多くの指揮者の下でオテロを歌ってきたことは、大きな利点でもある。この非常に複雑で長い作品の演奏において、何がよく働いて、何がうまく動作しないのか、よく知っている。」
「この傑作は、今日と非常に関連し、現代的だ。なぜなら、人種差別、外国人嫌悪および難民の問題は、現代のヨーロッパの最も重要な問題だからだ。
これは裏切り、搾取、残酷さ、家庭内暴力や虐待などの重要なテーマについても同様だ。この500年間で何ら変わっていないことを考えさせられる。オテロは今日の人々に、私たちの時代について語っている?
このオペラとの愛は20年間続いている。毎回そのたびに、より多くの発見をする。これは、“真実の愛”というべきものだ。そして決して終わることのない、ネバー・エンディング・ストーリーだ。」
・7月 6 スロヴェニア・リュブリャナ「リュブリャナ・フェスティバル」
●そして次のオテロへ--2017~
ようやく現在まできました。そして今また、次のオテロのリハーサルが始まっています。
クーラの次のオテロは、ベルギーのワロン王立歌劇場です。
公演は6/16、20、22、25、27、29。
そして6/22 6/27(現地)はライブ放映が予定されています! → ワロン王立歌劇場の案内ページ
2月のタンホイザー同様に、フランスTV・Culture boxで放映されるのではないかと思います。
→ *劇場HPには、ライブ放映が22日と27日の両方のページがありましたが、FBで問い合わせたところ、27日が正しいと回答がありました。
これはベルギーの劇場のプロダクションですが、フランス政府が文化政策として、オペラなどを含む文化プログラムを積極的にネット配信していることは、本当に見識ある素晴らしいことだと思います。
20年歌い続け、演出・指揮を経験して、最新のクーラ・オテロがどのような成熟をみせているのか、ライブ放送で鑑賞できるのは本当に楽しみです。
≪2017年≫
・6月 16、20、22、25、27、29 ワロン王立歌劇場 ベルギー
(追加)Culture boxのYouTube公式チャンネルに全編動画が掲載されています。→ 終了 別のリンクを掲載しました。
円熟のオテロ、クーラの到達したオテロ像を見ることができます。
“Otello” de Verdi - Opéra Royal de Wallonie
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クーラのオテロは、決して美しく歌いません。それは作品とオテロのキャラクターの解釈にもとづくものです。だからこそ、クーラの、とりわけオテロは、観客の反応、批評ともに賛否が大きく分かれることが少なくありません。
しかし20年にわたり、歌い、解釈を深め、ドラマとキャラクターのリアリズムを軸とした、生きたオペラの実現をめざしてきました。
この間に、年齢と経験とともに、クーラの描くオテロ像も大きく変化しています。最後に、そのことについてのクーラのインタビューからの言葉を紹介したいと思います。
●デビュー当時――34歳の男のようにオテロを歌った
「私がオテロにデビューした時、私は34歳だった。そしてそれは、非常に大胆なことだった。マエストロ・クラウディオ・アバドと一緒で、世界に生中継された。私は『このチャンスを失うことはできない』と考えた。
そして私がしなければならないことは、オテロを34歳の男のように歌うことだった。しかし、この役柄で私とは比べものにならない素晴らしい経験をもつ45から50歳、そして60歳のテノールの解釈と比較すると、私は、自分の解釈に夢中になることはできなかった。もし私が彼らのようにやっていたら、私は第1幕の終りで、使いものにならなくなっていただろう。
だから私は、非常に抒情的なオテロを創った。声のボリュームよりも、より舞台上の存在感と演技にもとづいて。」
「多くの人はこう言った――これはオテロではない、抒情的すぎる、と。確かに抒情的だった。
しかし34歳の時に、他に何ができるだろうか。これは私が永遠に続ける解釈ではない。これは、非常に危険で非常に困難であるこの役柄、45歳の成熟にふさわしい、テノールにとって象徴的な役柄であるオテロデビューのリスクを取ろうとする、34歳の男のための解釈だった。これは、リスクを計算し、生き抜くことを教えてくれた。
●2016年――オテロの指揮にあたって
「私は、このオテロの私のパートだけではなく、オペラ全体を熟知している。全てのキャストの音符、全ての歌詞と楽器のパートをほとんど暗譜している。少し努力すればデズデモーナのパートも歌うことができる...それは、毎回毎回、より詳細な多くのことを発見しつづけるための作業工程の一部だ。
ネバーエンディング・ストーリーだ。」
「ヴェルディの音楽と手紙を土台においた役柄の解釈、ヴェルディのスコアに対する革命的読解の旅はまだ終わっていない。――ホセ・クーラ」