人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

ホセ・クーラ 略歴 ~ 指揮・作曲、歌、さらに多面的な展開へ

2016-02-18 | 経歴・これまでの活動


クーラのHPには長大な経歴、フル・バイオグラフィー(英文)が掲載されています。そこからキャリアの画期となった主要な出来事(主要劇場デビュー、ロールデビューなど)を抜粋し、インタビューなどで語られた内容などを若干加筆して掲載しました。
欠落、事実誤認等は私の責任です。引き続き、修正・加筆を続ける予定です。(2/23若干修正済)
過去の通常のオペラ出演等の一覧も、できれば今後、掲載したいと思っています(2016年カレンダーのみ作成済)。

〈 誕生~母国アルゼンチンで 指揮者・作曲家を志す 〉



●1962年 12月5日 アルゼンチンのロサリオに生まれる
        ・12歳 ギターを学び始める
        ・15歳 合唱指揮者としてデビュー
        ・16歳 教師について作曲とピアノを学び始める



●1982年 ロサリオ国立大学に入学、指揮と作曲を専攻
        大学の合唱団の副指揮者になる
        ギター、ピアノ、フルートなど7種類の楽器を学ぶ



●1984年 ブエノスアイレスに移り、作曲家・指揮者をめざしつつ、生計のためテアトロコロンの合唱団の一員として働く
        この間の主な作曲作品
        ・フォークランド戦争の犠牲者追悼の平和のためのレクイエム(1984)
        ・ピノキオ(1986)
        ・Via Crucis segun San Marcos (1986)       
        ・マニフィカト Magnificat (1988)
        ・スターバト・マーテル Stabat Mater(1988)
        ・マッチ売りの少女(子ども向けオペラ)(1991)

●1988年 オラシオ・アマウリのもと本格的に歌唱技術を開発する
        たまたまキャンセルしたテノールの代理で「星は光りぬ」を歌い、その声に注目した声楽家がアマウリを紹介
        レッスンのお金がないクーラに、「あなたのような声は30年か40年に1人しかいない」と無料で指導 
    

ゆりかごの長男ベンをあやしながら、ピアノに向かって作曲中
     

〈 欧州での活動にふみだす 〉

●1991年 妻・長男とともにイタリアに移住 住んでいたアパートを売り、渡欧のチケットを購入
        ガレージに住み、皿洗いなどアルバイトで生計をたてる
        ヴィットリオ・テラノバのもとボイストレーニングを開始、テラノバも、経済的に苦しいクーラに無料でレッスン        
        7/25 ジェノバで欧州初のコンサートに出演、指揮はマルコ・アルミリアート

●1992年 2月ヴェローナで子ども向けオペラヘンツェのPollicino、Paolo ArcaのLa gatta biancaでデビュー

●1993年 初めて主要な役でデビュー 
        ・アントニオ・ビバロ「令嬢ジュリー」ジャン(トリエステ)
        ・ヤナーチェク「マクロプロス事件」アルベルト(トリノ)

 
      

〈 国際的なキャリアの急速な広がり 〉

●1994年 ドミンゴ主宰のオペラリアで優勝
        シカゴの「フェドーラ」ロリスでアメリカデビュー ミレッラ・フレーニと共演
        マルティーナ・フランカのプッチーニ「妖精ヴィッリ」ロベルト 初CD録音(全曲盤)
        この年の他のロールデビュー
        ・ヴェルディ「ナブッコ」イズマエーレ(ジェノヴァ)
        ・ヴェルディ「運命の力」ドン・アルヴァーロ(トリノ)

 

●1995年 ロンドン・ロイヤルオペラハウスにデビュー ヴェルディ「スティッフェリオ」タイトルロール
        パリ・オペラ座 オペラ・バスティーユにデビュー ヴェルディ「ナブッコ」イズマエーレ
        トッレ・デル・ラーゴでプッチーニ「トスカ」カヴァラドッシ ロールデビュー

 

●1996年 ウィーン国立歌劇場デビュー プッチーニ「トスカ」カヴァラドッシ
        この年の他のロールデビュー
        ・マスカーニ「イリス」オーサカ(ローマ) CD録音
        ・サンサーンス「サムソンとデリラ」サムソン(ロンドン)
        ・マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」トゥリッドゥ(ラヴェンナ)
        ・ベッリーニ「ノルマ」ポリオーネ(ロサンゼルス)
        ・ビゼー「カルメン」ドンホセ(サンフランシスコ)
        ・ヴェルディ「海賊」コッラード(トリノ)
        ・レオンカヴァッロ「道化師」カニオ(チューリヒ)
        ・ジョルダーノ「アンドレア・シェニエ」シェニエ(チューリヒ)

       

●1997年 ミラノ・スカラ座デビュー ポンキエッリ「ラ・ジョコンダ」エンツォ
        ヴェルディ「オテロ」ロールデビュー アバド指揮、ベルリンフィル、エルマンノ・オルミ演出 トリノ 
        初のソロアルバム「プッチーニアリア集」

 
 
●1998年 新国立劇場開場記念公演 ヴェルディ「アイーダ」ラダメス 初来日・ロールデビュー  
        この年の他のロールデビュー          
        ・プッチーニ「外套」ルイージ(アムステルダム)
        ・プッチーニ「マノン・レスコー」デ・グリュー(ミラノ)  

●1999年 ニューヨーク・メトロポリタン劇場デビュー マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」トゥリッドゥ 
        カルーソー以来2人目のオープニング公演でのデビュー


          
●2000年 ヴェルディ「椿姫」アルフレード パリでロケ、TV世界生中継
        この年の他のロールデビュー
        ・ヴェルディ「イル・トロヴァトーレ」マンリーコ(マドリード)
     
●この頃、エージェントの売り出し方に耐えられず、自分らしい音楽の道を歩むため独立、自分のプロダクションCuibarを設立


歌、指揮、演出・舞台デザイン・・多面的活動の展開     

●2001年 ポーランドのオーケストラ、シンフォニア・ヴァルソヴィアの主席客員指揮者になる(~04年)
        この年のロールデビュー
        ・ヴェルディ「ドン・カルロ」タイトルロール(チューリヒ)

●2002年 自らのレコードレーベル Cuibar Phono Video (CPV)を設立

●2003年 ヴェローナのアリーナでプッチーニ「トゥーランドット」カラフ ロールデビュー
        ハンブルク歌劇場でマスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」を指揮、その後「道化師」カニオを歌う
        この年の他のロールデビュー
        ・マスネ―「エロディアード」ジャン(ウィーン)

 

●2004年 ヴェルディ「仮面舞踏会」を指揮(ピアチェンツァ)
        この年のロールデビュー
        ・プッチーニ「西部の娘」(チューリヒ)

●2005年 ベルリン・ドイツオペラ デビュー 「道化師」カニオ

●2006年 ウィーン国立歌劇場に指揮者としてデビュー プッチーニ「蝶々夫人」

 

●2007年 オペラ「道化師」をもとにダンスやパントマイムを加え構成した舞台「La Commedia e finita」を制作(リエカ)
        脚本、舞台デザイン、演出のキャリア開始

 
     
●2008年 ヴェルディ「仮面舞踏会」を演出・セットデザイン(ケルン)
        初の写真集「Espontáneas」発刊
        この年のロールデビュー
        ・マスネ「ル・シッド」ロドリーグ(チューリヒ) ロールデビュー 初日前日に父死去
        ・プッチーニ「エドガール」4幕版世界初演 タイトルロール(トリノ)

 

●2009年 ナンシー国立オペラ座でマスター・クラス

●2010年 サンサーンス「サムソンとデリラ」のセットデザイン、演出、主演(カールスルーエ)
        プッチーニ「ラ・ボエーム」ロドルフォ ロールデビュー(チューリヒ)

  

●2011年 チェスキー・クルムロフの回転劇場で「道化師」カニオ 出演

●2012年 プッチーニ「つばめ」のセットデザイン、演出、衣装、指揮(ナンシー)
        「カヴァレリア・ルスティカーナ」「道化師」のセットデザイン、演出、主演(リエージュ)



  

●2013年 ヴェルディ「オテロ」のセットデザイン、演出、主演(テアトロ・コロン)

 

●2014年 作曲作品「スターバト・マーテル」の世界初演(チェスケー・ブジェヨヴィツェ)



●2015年 作曲作品「マニフィカト」の世界初演(マッシモ・ベリーニ)
        マーラー交響曲第2番「復活」を指揮(ノヴィ・ソンチ)
        「カヴァレリア・ルスティカーナ」「道化師」のセットデザイン、演出、道化師主演(テアトロ・コロン)
        中国国家大劇院に「サムソンとデリラ」でデビュー
        プラハ交響楽団とレジデント・アーティストとして契約(3年間)
        ピエタリ・インキネン指揮、プラハ響により、ネルーダの詩にクーラ作曲の"If I die, Survive me!"オーケストラ版世界初演
        プッチーニ「ラ・ボエーム」のセットデザイン・演出(ストックホルム)


 

 (今後さらに加筆していく予定です)

*掲載の写真は主にホセ・クーラのHPやフェイスブックなどからお借りしました。


     

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2 コメント

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お邪魔します〜! (ヴァランシエンヌ)
2016-02-18 18:52:28
Reeさん、改めてクーラのファンブログの開設、おめでとうございます!ツイッターだけでは勿体ないと常々思っていたので、本当に嬉しいです。

この略歴も、これまでにReeさんのツイートで読ませて頂いていたことが俯瞰できて、とてもわかりやすく、きれいにまとめていらっしゃると思います。

ブログ人口もどんどん減ってしまっていますが、やはり、読者がじっくり時間をかけて読むことができたり、検索性にも優れているので、こうしてアーティストのキャリアをまとめたりすることには向いているツールだと思います。
どうぞ、ご無理のない範囲でゆるゆると頑張って下さいね。今後ともどうぞ宜しくお願いします。
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Re お邪魔します〜! (Yon Re)
2016-02-18 22:40:43
コメントありがとうございます! 
ブログのシステムがまだよくわかっておらず、コメントに気付かず失礼しました。

やはりしばらくやってみて、ヴァラリンさんがお勧めくださった、ブログの良さを実感しつつあります。まだ自己満足ですが笑。

やはり長文で書きたいだけ書けることや、動画、画像も比較的容易で、まとまった記録として残すことが可能なのは、ツイッターやFBにはない素晴らしさですね。

一方で、コメントのシステムは、ツイッターの即時性に比べるとちょっと、使い勝手が・・という気もします。でもあわてず、ゆっくりやればよいわけで、これはこれで大丈夫です。

ブログ人口の減少、将来性という点では、これは読んでいただきたい情報を発信するうえでは、不安面ですよね。まあ、クーラの情報が見たい人はそう多くはないと思うので、検索でぼちぼち、訪問客が来てくだされば、それで満足です。

いろいろ励ましていただいて、本当にありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします。
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