人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

(オープニング・コンサート編) ホセ・クーラ 2016年ドゥブロヴニク・サマーフェスティバル / Jose Cura / Dubrovnik Summer Festival 2016

2016-10-24 | コンサート



ホセ・クーラは、この夏、クロアチアのドゥブロヴニク・サマーフェスティバル2016に、7月10日のオープニング・コンサートで指揮者として、さらに翌11日のガラ・コンサートでは歌手として出演しました。

フェスティバルの概要については、少し前の「(告知編) 2017年 ホセ・クーラ トスカを演出 in ドゥブロヴニク・サマーフェスティバル」でも紹介しましたが、クロアチアの世界遺産に登録されている美しい街ドゥブロヴニクの伝統あるフェスティバルで、毎年7月から8月の1か月余りにわたり、演劇やバレエ、オペラ、コンサートなどが行われる、大変歴史もあり、人気もある行事だそうです。
* フェスティバルについては → 2016プログラム HP

今回は、オープニング・コンサートの様子を紹介したいと思います。
ドレスリハーサル、そしてオープニング本番のそれぞれの画像や動画が、フェスティバルのFBやメディアに大量に掲載されました。

また、クーラへのインタビューもアップされています。直接、フェスティバルに関することは少しだけですが、現代のアーテイスト、演出家について、母国への思い、ディーヴァたちについて、オペラにおける歌と演技、キャリアについて、家庭生活など、多岐にわたる非常にたくさんの質問で、クーラという人を知るうえで、おもしろい話が多いです。とても長いですが、興味のある設問だけでも読んでいただければと思います。
なおいつものことですが、語学力の問題で、訳に誤りや不十分な点が多いと思います。すみませんが、大要をつかんでいただければと思います。







まずは、コンサートの一部を撮影した動画を。
7/10オープニングコンサートでヴェルディのオペラ、ナブッコの「行けわが想いよ黄金の翼に乗って」。後半、コーラスと一緒に歌いながら、楽しそうに指揮。
José Cura - Va Pensiero - Dubrovnik Summer Festival 2016


こちらはプッチーニのオペラ、つばめの一場面、4重唱「あなたのさわやかな微笑みに乾杯」。指揮者のクーラも歌に仲間入り。つばめは、演出・指揮をしているが、最近は歌うのはめずらしい。
Bevo al tuo fresco sorriso - Cura, Suriani, Korac, Ballova


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教会の塔のうえで、道化師のプロローグを歌う


――ドゥブロヴニク・サマーフェスティバルにむけたインタビューより(2016年)

●促成された浅薄、凡庸ではなく、自分らしく、より深い生き方を
Q、あなたは、これまでもクロアチア(リエカ、ザグレブ)で演奏してきたが、ドゥブロヴニク・サマーフェスティバルは初めてだ。何を期待する?

A、私はクロアチアで数回行ったことがある。クロアチアのミュージシャンの素晴らしいプロ意識とその国民の偉大なエネルギーを十分感じることができた。
ドゥブロヴニクは初めてだが、都市がいかに美しいか、よく知られているので、とても楽しみだ。

Q、あなたは、何十年もの間、世界のオペラのステージに立ってきたが、あなたの世代の歌手と、現代の歌手たちとの違いを感じることがある?

A、前の世代の歌手と現在の歌手との間の違いは、一般社会におけることと同じだ。もちろん、例外もあるし、一般化は常にリスクを伴う。
しかし、最も顕著な違いは、かつては、名声には品質を伴っていたが、今日では、もしあまり良くない場合でも、有名になることができることだ。時には、まったく良くない場合であっても。
観客が「もみ殻から小麦をより分ける」方法を知っているのなら、これは大きな問題ではない。しかし、今日、どの製品の消費者も、長期熟成よりも、「促成」の方を好む。

だから我々は、「現瞬間」のサッカー選手、「現瞬間」のトップモデルを持っている。「現瞬間」の政治家、「現瞬間」のテノール、「現瞬間」のポップ歌手、等々。そして、この瞬間とは、ごく短い期間...。この世界的な現象は、より深い生き方を損ない、ますます浅薄なものをもたらす。その結果は、はかない魅力のまばゆい光を装う、かつてないほどの凡庸さだ。

Q、マスタークラスでの生徒へのアドバイスは?

A、“Be yourself, everybody else is already taken”.
「自分自身であれ、他の人の席は皆、埋まっているのだから」




●自分自身を実現させるための向上心、自分に対して最大を求める
Q、あなたの野心は、指揮、作曲、プロデューサー、演出、歌、デザインや写真撮影などのキャリアにおいて、どの程度までの動機となっている?

A、まず、「野心」を定義する必要がある。「経済的な貪欲さ」というのであれば、それは私には「ない」。
多くのことをするのは、実際は、稼ぎを減らす一番の方法だから・・。トップテノールの出演料は、指揮者または演出家の報酬よりもかなり高いので、もし私がすべての時間を歌うのなら、はるかにたくさん稼ぐだろう。しかし、満足感はより少なくなる。

逆に、「野心」の言葉の本来の意味にもとづいて、目標を成し遂げるためにいくつかの経路をとるというのならば、それは「イエス」。
「向上心」は、私の人生をコントロールするもの―― 全面的に満ちた解釈者として、自分自身を実現するために。

Q、あなたは常に、すべてのプロジェクトの中で、自分自身と他の参加者の両方から、最大のものを求めている?

A、人々からベストを引き出すには、独裁的に圧力をかけるのではなく、実例によって示すことだ。だから私は、常に、他の人々に対してより、はるかに多くのことを自分に求めてきた。




●真のプロフェッショナル、良い演出家と悪い演出家
Q、あなたは、指揮者や演出家との、良好な相互作用を持っている?

A、両方において、彼らが本当の専門家であるならば。
残念ながら、「文化ビジネス」は、非常に「とらえどころのない」状態にあり、多くのはったりの存在を許している。プロのパフォーマーであると主張している全てが、本当の専門家ではない。

私が通常、活動しているレベルにおいて、歌手も、楽器奏者も、ステージ技術者も、その分野でより良くなるために、人生の長い年月を投資してきた人々であることを忘れてはならない。彼らはあなたの無知を広めるためにそこにいるわけではない。ハードで効率的な働きぶりで、彼らの尊敬を得る必要がある。

Q、現代の演出家は、ステージングにおいて、誇張が多い...?

A、良い演出家と悪い演出家がいる。歌手や指揮者にも良い、悪いがあるのと同じように。しかし問題は、歌手ならば、歌えないならステージにあがることはないが、演出家は、はったりでも可能で、その場所に、「友人」とともに、すすむことができる。それらの多くは、そのままでは役にたたないが、汚い仕事をするための素晴らしいアシスタントを持っていて、彼らによって信用を得ている。
とにかく、私は、良い演出家が、レギュラーのパフォーマーを向上させることができるのと同様に、良いパフォーマーは、常に、多かれ少なかれ、悪い演出家を救い、舞台を前にすすめるだろうと信じている。理想的とはいえないけれども...。

Q、オペラの作品の古典的な解釈を好む?それとも新しく前衛的なもの?

A、私は、知的な解釈を好む。流行は重要ではない。まれではあるが、良い手の中にある時は可能だ。




●母国アルゼンチンへの思い
Q、オラシオ・アマウリとヴィットリオ・テラノバ(アルゼンチン時代とイタリア移住後のクーラの歌の先生)は、ボーカルスキルの形成にどれくらい重要な役割を?

A、人生において出会ったすべての人と同様に大切であり、それが最も成長する時期においてであるなら、なおいっそう。もしその人物が、トップクラスで、素晴らしいメッセージを送ってくれる良い教師であるとしたら、それは夢のようなことだ。 
私はオラシオとヴィットリオを尊敬している。ただ私を教えてくれたというだけでなく、私の人生のなかで、崖から落下せずに登っていくための「足がかり」を求めていたその時に、それを与えてくれたからだ。

残念なことに、オラシオは少し前に亡くなった。彼はまだ若かったし、その死はブエノスアイレスの歌のファミリーに大きな穴を残した。

Q、あなたはどのくらいアルゼンチンと結びついている?アルゼンチン人とはどういう人々?

A、自分のルーツを否定する人間は、枯れる運命にある植物のようなものだ。アルゼンチン人は、さまざまな国からの人々による巨大なカクテルの結果であり、いろんな食材をミックスする時のように、その結果は、時には、おいしく、時々・・。

私は、原点である私の国を愛しているし、そして母国との芸術的な関係がとても少ないことを残念に思っている。政治と芸術が同じことのまわりに巻きつく時に起こる。こういう異常で、また残念ながらとても一般的な結びつきにおいて、そのどちらかがリスクを負うことになるのは、簡単に推測できるだろう。




●偉大なディーヴァたちから学んだこと
Q、あなたはミレッラ・フレーニ、カティア・リッチャレッリ、モントセラト・カバリエから、現代のエレーナ・ガランチャやアンナ・ネトレプコまで、世界で最も偉大なオペラのディーヴァと共演してきた。態度や仕事へのアプローチの違いを感じる?例えば、フレーニとネトレプコの間で?

A、誰ひとりとして、ハードワークと多大な犠牲なしには、ディーヴァになる資格に到達することはできない。

私は、ミレッラが間近で歌うのを見て、非常に多くの技術的なことを学んだ。カティアから、繊細でありながら、タフになる方法を学んだ。とても年をとっても、非常に確固としたカバリエとステージを共有することにより、ガッツの意味を学んできた。

エリーナは、仕事のうえでの私の親友のひとりで、プロフェッショナルがどうあるべきかの注目すべき実例だ。完全に仕事と家庭のバランスをとる、素晴らしい経歴を持っている。そして、アンナは、彼女の成功が、彼女がかわいい女の子であるという事実によるものではないことを、全ての人々に対して証明している...。

●メニューインのオーケストラを指揮
Q、ユーディ・メニューインの後継者として、いくつかのシーズン、シンフォニア・ヴァルソヴィアをリードするために選ばれたが、それはどのような経験?

A、非常に光栄なことだった。メニューインの指揮台を継承するという意味だけでなく、オーケストラの信頼を得たという意味でも。当時、シンフォニア・ヴァルソヴィアは、エキスパートたちの印象的なグループであり、そこから私は多くのことを学んだ。
彼らとともに働くことは、私の指揮のスキルを大いに向上させてくれた。




●レパートリーについて
Q、イタリアのレパートリーを歌うとき、イタリア人の考え方、コミュニケーションの方法を知ることは重要か?同様に他の国、他の言語についても?

A、より多くその国家の個性を理解し、自分の芸術のなかにより良い内省をもつことができる。

Q、一番好きなレパートリーは?

A、作曲の歴史的な時期とは無関係に、私には、自分の感情に「触れない」だけでなく、「技術的な満足」への空腹も満たしてくれない作品を演奏するのは、つらいことだった。人生において、傑作に挑戦する機会を持つことは、人間が試みる最もやりがいのある経験の一つだ。

●キャリアと現段階
Q、あなたは今日、どのような段階にある?

A、私自身は、まだ「4分の1」の月だとはいわないが、しかし、「満ちつつある半月」だということができる――決して立ち止まってはならない、決してそれが当たり前だと思ってはならない。

Q、あなたのキャリアの中で、ある役柄があまりに早く来たために、声や肉体的な面で十分に準備ができていなかったことは?

A、私が歌ってきたそれぞれの役柄が、適切なタイミングで行われてきたという証拠は、25年間の国際的なキャリア、そしてほとんど40年間、ステージに立ってきた後に、今も私が元気で活動できているということだ。

もちろん、私たちはみな、経験の光の下で物事をやり直したいと思う。しかし、これは私たちがそれらをしたとき、誤ってやった、という意味ではない。ただ「若くして」おこなったということ...。

Q、メディア、音楽専門家やファンが、あなたに24時間スターでいることを期待するのは、あなたにとっては負担?

A、イエス、それは問題であるかもしれない。それが私の人生だった。私が「ゲーム」の表層を断ち切ることを決めるまでは。
有名であるなら、ファンやメディアから、必然的にいやがらせの対象になるというのは、本当ではない。人は、植えたものを収穫する。

Q、歌手のキャリアが、人間の声のような微妙で繊細なものに日常的に依存しているということは、負担になる?

A、短命なものに依存するのが、あなたの人生でなく、あなたのキャリア、職歴だけであるのなら、それは問題ではない。あなたの仕事とあなたの人生を、同じフライパンに入れてはいけない…。




●聴衆との関係について
Q、コンサート後、聴衆は「ブラボー」を叫び、花を贈るけれど、あなたはその晩の自分自身に非常に不満があるということは?

A、誠実な聴衆の真の愛は、1回のパフォーマンスの技術的な結果と結びついているわけではないが、コミットメントの程度による。

あなたが表面的な愚か者でないのなら、彼/彼女が素晴らしい体を持っているという理由だけで、恋に落ちることはない。
同じことが、アーティストと聴衆との間の愛に適用される。この素晴らしい感情、それは長年の交流の結果であり、ハイノートを歌うことへの、はかない「熱狂」と混同すべきではない。

Q、テノールは、精神的に落ち込む傾向があるという神話は?

A、私も憂鬱になる時がある。脳が活動しているすべての人間と同様に。...しかし、それは、私のビジネスには関係がない。

●オペラにおける歌と演技
Q、あなたはテノールの中で最高の俳優の1人であると言われているが、ボーカル・パフォーマンスだけでなく、よい演技をすることは重要?

A、そう、しかし一部の人々は、同じ理由から、私の演奏を好きでない..。
彼らは、「良い演技を見たければ、演劇に行く。私がオペラに来るとき、私はただ、歌を聞きたいのだ...」と。

私にとっては、良い演技は、良いオペラパフォーマーのための絶対必要条件だ。

驚くことだが、そしてここから問題が始まっているが、ほとんどのオペラ界では、このことが主要な問題ではない。あなたが適切に歌える場合、音楽学校に入学すると、たぶん誰かが、あなたの「歌手の頭脳」に必要な演技力を注入してくれるだろうと、希望的に考えるかもしれない。しかしそれは違っている。
しかしオペラパフォーマーを訓練する学校に入る試験は、歌と演技の両方で、同じように厳しくあるべきだと思う。そうでなければ、適切なショーをやるべき時に、我々が知るすべての問題が起き、キャリアをスタートから損なってしまう。

俳優は俳優、歌手は歌手だ。しかしオペラパフォーマーは、両方である必要がある:質と関わりあいにおいて、歌手や俳優と同じレベルであること。言うまでもなく、オペラパフォーマーは、ダンサーであり、ファイターでもあることが必要だ。主に男性は、役の多くで戦いの振り付けがある。

Q、あなたは自分の直感に耳を傾ける?失敗して間違った決断をしたことは?

A、直観は「過大評価」されている。私はいつも、非常に直感的だったが、それは、私がベストを得るために努力してきた経験にもとづいて、その使い方を学んだ時だけだ。




●仕事とストレス
Q、あなたの人生はタクシー、空港、劇場、ホテルの部屋の間を行き来し、人々が信じるほど華やかではない。そのような生活はストレスが多い?

非常に。とても多く、私はそのために個人的に多大な犠牲を払ってきた。まるで遊牧民のような生活を長年してきたので、今は、健康の観点からだけ見ている。このごろは、私は自分の将来を「再調整」することを真剣に考えている..。

Q、あなたは、あなたの名前とクーラのブランド、あなたのために働くチームに責任を感じる?

A、かつて、たくさんの人が、私と一緒に「食べる」だけではなく、それらの多くが「私から食べている」...そのような時があった。しかし、もう、今はそうではない。私が、私自身の権利でアーティストになるために、製品であるのをやめた時から、私は、ただお金を稼ぐことだけが狙いの人からの関心を失った。その反対に、私のモラルを評価する人たちから、尊敬を得た。ここまでは順調といえる。

Q、近年であなたの最も著名な役の一つはオテロだが、その後にくるのは?

A、ワーグナーのタンホイザーが2017年1月、ピーター・グライムズを同じ年の5月。私はこの2つの完全に異なる挑戦が、私のキャリアに全く新しい次元を追加することを期待している。

Q、稼いだお金の投資は? 今日の物質的な世界で、お金の重要性は?

A、日常の現実的なニーズに対処するためのお金の重要性を否定することは、偽善的だ。しかし、お金がすべての問題を解決すると考えることは、愚かしい。

Q、パフォーマンスの後にどうやってリラックスする?

A、レストラン、またはルームサービスが終っているために、自分のホテルの部屋に戻ってピーナッツを食べる回数は、人々が考えるよりも多くなっている。私の好ましい状況の一つは、一緒に働いてきた人たちとのショーの後、テーブルを共有し、一緒にクールダウンすること。




●年とともに、ますます時間が足りなくなる
Q、朝の7時から真夜中過ぎまで、活動を持続しているにもかかわらず、あなたにとって1日は、まだ短かすぎる?

A、常に。そして私が年をとるにつれて、さらに悪化している。若い時、私の場合、より若い時、それぞれの日は、数えて、覚えていることができる実体だ。しかし、年をとると、もっと時間が可溶性になる。月、週、日は、より速い速度で、連続して、一緒に溶けてしまう。

私が、私の後に残しておきたい全てのもの、私の遺産を完成させることができないという思いは、私を悩ませる…。パフォーマーとしての日常の仕事の上に、私は今、オテロのより良い理解のための大きな著書に取り組んでいる。また、初演が迫っている私の古い作曲作品に再び手をいれている。私の「マニフィカト」は、昨年の2月に初演され、オラトリオ「この人を見よ」はプラハで2017年3月に初めて公開される。

●キャリアと家庭
Q、キャリアのためにあきらめたことは?

人々の考えに反して、努力をすれば、キャリアと家族の生活のバランスを完全にとることができる。
簡単なことではないけれども、私は公演の間に数日あれば、休息をとる代わりに、いつも最初の飛行機で家に帰った。また、スケジュールが空いていても、私は多くのプロダクションを断ってきた。それは、少なくとも週に一度は家族に会いたいという私の願いのため。それは不可能ではない。

もちろん、そのために失ったものもあるが、しかし、私は重要な瞬間には、いつも家族とともにいた。そして、それを証明するのは、私の子供たちが今は立派な大人になっていることだ。また言うまでもないが、私は31年間、幸せな結婚生活を続けている。確かにこのビジネスでは珍しいが...。

過去の私の多忙な公的な経歴のなかで、私が残念に思っているのは、私が25年前にアルゼンチンを離れてから、私の親友たちとの大きな友情を確かめる、非常に多くの機会を逃してきたこと。しかし、新しい友人関係は、時間と献身を必要とするが、強く結ばれた友情は、永遠に続く、ということだ。長い間、そうできなかったことを、私は本当に後悔して、修正のために全力で試みている。そのなかで私は、自分が素晴らしい人たちに囲まれている幸運を実感している。繰り返すが、人生においては、あなたが植えたものを収穫する。




Q、あまり知られていない事実だが、あなたは、ボディビルダー、電気技師、大工などをやってきた。オペラスターというより、働く男の手を持っている?

A、人の手は、ただ単に物理的なものではなく、精神的な態度にも。

Q、写真家として、あなたは、満たされない人、不幸や孤独な人を多く撮影しているが、それはなぜ?

A、人間の最も貴重な資質の一つは、世界を観察することができることであり、そして、このような観測の結論として、良いものと悪いもの、その結論を活用することだ。
信じられないかもしれないが、人々の考えに反して、成功している者の最初の結果のひとつは、孤独。誰かに起こる最悪のことは、その仕事が「他人の皮膚の中」にいなければならないことだ。
苦闘すること、または少なくとも他者の波乱を理解する感性は、良い俳優になるために必要だ。

Q、クーラの名前をもったあなたの子どもたちの将来を心配する?

A、私の名前を身につけることは、彼らがクラシックの音楽家であるなら、おそらく有用であろう。しかし、彼らはそうではない。私の子どもたちは、すべての息子たちが誇りを持っているように、名前を「着る」が、一方で、それぞれの人生の中で、自分の名前を「仕立て」ていく。

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非常に多くの項目にわたった、長いインタビューでした。読んでいただき、ありがとうございました。
いつもながら、クーラらしさ満載の答えぶりだったと思います。自分の才能、与えられた能力を最大限に生かしきるために、また家庭のためにも、いつも全力投球、それでも時間が足りず、やりきれないことを残すかもしれないこと考えると、クレージーになると語るクーラ。どこまでパワフルな人なのか、驚くほどです。ぜひ、インタビューで答えているように、体には気をつけてほしいものです。

最後に、この動画は、オーケストラとのリハーサルの様子とクーラのインタビュー少々。後半、ノリノリで指揮している様子が楽しいです。
20160708



大切な家族も一緒に。














*写真はフェスティバルのHP,FBなどからお借りしました。

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