Rechtsphilosophie des als ob

かのようにの法哲学

刑法Ⅱ(各論)(第12回③ 2015年12月17日)

2015-12-03 | 日記
 刑法Ⅱ(各論) 社会的法益に対する犯罪――公共の信用に対する罪・風俗に対する罪
 第12回 わいせつ及び重婚の罪

(1)わいせつ及び重婚の罪
 わいせつの罪、重婚の罪、賭博および富くじに関する罪、礼拝所および墳墓に関する罪は、いわゆる「風俗に対する罪」としての共通する性格を有しています。「風俗」とは、「健全な性的風俗」、「婚姻制度に基づく社会風俗」、「勤労の美風」であり、社会的法益として保護の対象にされています。
 「わいせつ罪」のうち、強制わいせつ罪や強姦罪は、公然わいせつ罪などと同様に、第22章に規定されていますが、それらは個人的法益、すなわち性的自己決定権に対する罪として捉えられているので、ここでは除外されます。従って、わいせつ罪として問題にされるのは、公然わいせつ罪、わいせつ物頒布罪、淫行勧誘罪のみであり、それとならんで重婚罪が検討されます。姦通罪は、不倫を行った女性のみを処罰する規定であり、男女平等の理念に照らして問題があったので、戦後の刑法改正によって削除されました。

1わいせつ罪の総説
保護法益
 わいせつ罪の保護法益は、通説によれば、性秩序ないし健全な性風俗であると捉えられています。判例も同じです。しかし、性秩序や性風俗の健全性というものは、時代や文化の発展・推移とともに変化するため、その意味や内容を特定し、明確化することは非常に困難です。それを法益として保護する必要があるとしても、その意味内容の定義をめぐって争いがあります。学説には、性風俗の健全性を「一般国民の性的感情」という方向で客観化したり、また「見たいと思わない人の自由」、「青少年の保護」という個人の自己決定との関係において限定する理論的な試みが行われています。ただし、判例は、わいせつ罪の規定が憲法違反と判断されるほど不明確であるとは考えていません(最判昭58・10・27刑集37・8・1294)。
 性に関する問題は、多様化し、広がりを見せています。何をどう思い、考え、表現・行動するかは、個人の自由の領域の問題であることをあらためて認識すべきでしょう。価値観が多様化する社会において、「性の問題は~~でなければならない」と、特定の見解を国家が定め、それを刑罰で押しつけようなことをしてはなりません。性秩序や性風俗を刑法によって保護すべき意義を認めつつも、その内容を時代の変化や文化の発展を踏まえて客観的に捉えていかなければならないでしょう。

2公然わいせつ罪
 刑法174条 公然とわいせつな行為をした者は、6月以下の懲役若しくは30万円以下の罰金又は拘留若しくは科料に処する。

公然性
 公然とは、不特定または多数の人が認識できる状態をいいます(最決昭32・5・22刑集11・5・1526)。認識の可能性で足りるので、実際に大勢の人が認識したことを要しません(危険犯)。従って、特定かつ少数の人に対する場合は、「公然性」を認めることはできません。ただし、不特定または多数人を勧誘したが、結果として特定・少数人にとどまった場合であれば、不特定または多数人が認識する可能性があったので、公然性が肯定されています(最決昭31・3・6裁集刑112・601)。
 問題になるのは、早朝や深夜の浜辺や公園で裸体になったような場合です。そのような場合に公然性が認められるでしょうか。本罪は危険犯なので、認められることになりますが(抽象的危険犯説)、不特定または多数人が認識しうる一定の可能性が必要である以上、場所や時間帯などの客観的状況を踏まえて判断すべきでしょう(具体的危険犯説)。
 公然性の要件は、名誉毀損罪におけるそれと同じですが、伝播性は問題にはなりません。

わいせつ行為
 わいせつ行為とは、公衆の面前で裸体になったり、性交を行うことです。判例は、劇場におけるストリップにおいて陰部を露出した場合、わいせつ行為にあたると判断している(最決昭30・7・1刑集9・9・1769)。

罪数
強制わいせつ罪を公然と行った場合、強制わいせつ罪と公然わいせつ罪の観念的競合になります(大判明43・11・17刑録16・2010)。前後7回に渡って、それぞれ異なる多数の観客の前で全裸になって局部を露出した場合、7個の独立した公然わいせつ罪が成立し、併合罪として扱われます(最判昭25・12・19刑集4・12・2577)。

3わいせつ物頒布等の罪
 刑法175条 わいせつな文書、図画その他の物を頒布し、販売し、又は公然と陳列した者は、2年以下の懲役又は250万円以下の罰金若しくは科料に処する。販売の目的でこれらの物を所持した者も、同様とする。

わいせつ性
 判例は、「わいせつ性」について、「いたずらに性欲を興奮または刺激させ、かつ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」であると定義しています(最判昭26・5・10刑集5・6・1026)。公然わいせつ罪における「わいせつ行為」について問題になる多くの場合は、自己満足的で露出狂的な行為であり、わいせつ性を肯定することに異論はないようですが、文書や図画の場合には、それが文学や絵画でもあるため、芸術的・創作的な表現活動との関係で、「わいせつ物か、それとも芸術か」が厳しく問われることがあります。従って、判例が示した「わいせつ性」の定義にあてはまるか否かについて、その判断の基準と方法が重要な問題になってきます。

①チャタレー事件
 いわゆる「チャタレー事件」第1審判決では、文学作品がわいせつ文書に該当するか否かは、当該作品がいかなる「環境」(宣伝・販売方法など)のもとにあるかによって、当該作品のわいせつ性の判断が左右されると論じて、結論的にはわいせつ文書販売罪の成立が認められました(東京地判昭27・1・18高刑集5・13・2524)。この判断は、いわゆる「相対的わいせつ概念」という考えです。それによって、文書それ自体にわいせつ性はなくとも、宣伝・販売の方法いかんによっては、わいせつ文書になりうると認められました。しかし、控訴審では、「環境」によってわいせつ性の判断が異なることはないとして、「相対的わいせつ概念」の考えが斥けられましたが、わいせつ文書販売罪の成立は維持されました(東京高判昭27・12・10高刑集5・13・2429)。最高裁は、いわせつ文書の定義にあてはまるか否かは、一般社会に定着している「良識」すなわち「社会通念」を基準として、当該文書や図画それ自体を対象にして、純粋に客観的に行われるべきであって、それは作者の主観的意図に影響されるべきものではなく、たとえそれが芸術作品であっても、わいせつ性を有する場合があると判断しました(最大昭32・3・13刑集11・3・997)。当該文書それ自体が判断対象に据えられることによって、その「環境」が除かれるならば、最高裁もまた「相対的わいせつ概念」を斥けているといえます。しかも、いわゆる「性行為非公然性の原則」という考えに基づいて、芸術作品であっても、わいせつな性交が公然と描写されている以上、わいせつ文書になりうる場合があると判断している点に注目しなければなりません。いかに芸術的に優れた作品であろうとも、わいせつ文書になりうるとした判断には、社会を道徳的頽廃から守ろうとする堅い決意がうかがわれます。

②「悪徳の栄」事件と「四畳半襖の下張り」事件
 チャタレー事件以降、同種の事案において、憲法が保障する表現の自由(憲21)との関係において、わいせつ性の判断基準に関して、新たな判例が示されています。「悪徳の栄」事件では、作品によってもたらされる性的刺激が、作品の基調となっている芸術性や思想性によって、可罰性がなくなる程度にまで減少することがあることが認められ、また作品の個々の部分において、わいせつな表現がとられていても、その意味は作品全体との関連において判断されるべきであると判断されました(最大昭44・10・15刑集23・10・1239)。この判断基準は、「四畳半襖の下張り」事件において踏襲され、「文書を全体として見たとき、主として、読者の好色的興味に訴えるものと認められるか否か」などをも踏まえて、わいせつ性を判断すべきとされました(最判昭55・11・28刑集34・6・433)。これらの事案では、「わいせつ性」の観念について、昭和26年の判例が維持されていますが、「性行為非公然性の原則」のような考えは見られません。表現の自由との関係では、一定の限定的な法適用を可能にしていると評価できます。
 文学や芸術の課題は、ありのままの人間を描くところにあります。人間が醜い存在であれば、醜くさを描かざるを得ません。罪深い存在であれば、罪深さを描かざるを得ません。人間が道徳やモラル、倫理性を志向しながらも、同時に退廃的で享楽的な傾向を持ち備えているならば、そのような人間の本質を避けて通ることはできません。文学や創作には、このような芸術性や社会的価値が備わっています。従って、わいせつな表現であっても、このような芸術性によって埋め合わされることがあることを認識しなければならないでしょう。「埋め合わせるべき価値」を持たないものだけに、「わいせつ性」を認めるべきであると思われます。

客体
 本罪の行為客体は、わいせつな文書、図画その他の物です。文書としては、小説や文学などの作品などです。図画としては、その典型は写真ですが、映画フィルム、ビデオテープも含まれます。さらに、録音テープ、ダイヤルQ2に接続された録音再生機、わいせつ画像データを内蔵したパソコンのホスト・コンピュータのハードディスクも「わいせつ物」にあたると判断されています(最決平13・7・16刑集55・5・317)。可視的な文書や写真の場合、それがわいせつ文書や図画にあたるか否かの判断は比較的容易ですが、フィルムやテープ、データの場合、それを再生機にかけなければ、目で視ることも、耳で聴くこともできないので、フィルムやテープ、データそれ自体は、わいせつ物にあたらないことに注意すべきす。

行為
 本罪の行為は、頒布、販売、公然陳列、販売目的の所持です。「頒布」とは、不特定または多数人に無償で配布することです(大判大15・3・5刑集5・78)。「販売」とは、それを有償で交付することです(最判昭34・3・5刑集13・3・275)。わいせつ物が相手方に交付され、手渡されたことが必要です(大判昭11・1・31刑集15・68)。受け取った相手方は、処罰されません(頒布罪・販売罪の教唆犯・幇助犯として処罰されません)。「公然陳列」とは、不特定または多数人が認識できる状態に置くことをいいます。わいせつ物を人の目に触れるようにな場所に飾るなどの古典的な方法の場合、公然陳列にあたることについて問題はありませんが、わいせつ画像を掲載したホームページを開設し、閲覧可能にした場合も公然陳列にあたるか否かは問題です。判例では、それが肯定されています(最決平13・7・16刑集55・5・317)。「所持」とは、販売目的に基づいて行われている場合にだけ処罰されます。本罪の法益は、「日本の社会的法益」なので、国内で販売する目的に限られます(最判昭52・12・22刑集31・7・1176)。

故意
①「わいせつ性の錯誤」――「違法性の錯誤」か「事実の錯誤」か
 わいせつ文書販売罪の故意が成立するためには、その文書が「わいせつ文書」であること、それを販売することの認識が必要なはずです。しかし、「わいせつ性」の概念や定義が非常にあいまいであり、また個人の価値観によって、その認識の有無や程度が変わってくるので、「わいせつ性の認識」とは、果たしてどういう意味なのかが問われます。
 判例によれば、ある文書がわいせつ文書であること(意味)を認識していなくても、わいせつ文書販売罪の故意を肯定することができると解しています(チャタレー事件)。つまり、男女関係を描いた「チャタレー夫人の恋人」という作品を販売していることを認識していれば、それだけで猥褻文書販売罪の故意を認めることができるということです。従って、販売者がわいせつ文書だとは認識していなかったという主張は、「違法性の錯誤」と解され、故意の成立は否定されないことになります(「事実の錯誤」であれば、故意は阻却されます)。
 しかし、わいせつ文書販売罪の故意は、「わいせつ文書を販売していることの認識」であるはずです。わいせつ文書であることを認識していない場合でも、故意があるというのは論理的に矛盾しています。例えば、殺人罪の故意は、行為客体が「人」であることの認識です。同じように考えるならば、わいせつ文書販売罪の故意が成立するためには、行為客体が「わいせつ文書」であることを認識していることが必要です。判例のように解するならば、「販売したのは、男女の性愛を赤裸々に描いた小説である」という認識だけで、「わいせつ文書販売罪」の故意の成立が認められてしまうことになるでしょう。従って、当該文書が客観的には「わいせつ文書」であるが、それを認識しなかった場合は、「事実の錯誤」であり、故意の成立を否定すべきです。「わいせつ文書」であることを認識しながらも、それを販売しても「許される」と誤信した場合が、「違法性の錯誤」です。
 とはいうものの、「わいせつ性」を有するか否かは、非常に難解な問題であるため、そのような意味を認識していなければ、わいせつ文書販売罪の故意が認められないと考えるならば、ほとんどの場合、故意の成立は否定されることになるでしょう。学説は、法学的な専門レベルでの「わいせつ性」の認識は不要であるが、一般的な(素人の)レベルでの「わいせつ性」の認識があれば、本罪の故意を認めることができるといいます(素人領域における平行的評価の認識)。

4淫行勧誘罪
 刑法182条 営利の目的で、淫行の常習のない女子を勧誘して姦淫させた者は、3年以下の懲役又は30万円以下の罰金に処する。

基本的性格
 本罪は、「淫行の常習のない女子」を誘って、ある男性にその女性を姦淫させる行為です。Xが営利目的に基づいてA女を誘い、B男にA女と性交(姦淫)させた場合、本罪が成立します。
 「淫行の常習のない女子」を誘惑して、このような行為を行わせるのは、その女性の性的自己決定権を侵害することにほかなりません。このような側面を重視するならば、本罪は個人的法益に対する罪に分類されます。これに対して、このような行為によって健全な性風俗が乱されるという社会的な側面を重視するならば、社会的法益に対する罪に分類されることになります。

客体と行為
 本罪の行為客体は、「淫行の常習のない女子」であり、不特定の人を相手に性交する習癖のない女性です。従って、客体からは「売春婦」などの性労働者は除かれます。本罪の行為は、当該女性を勧誘して姦淫させることです。
 「勧誘」とは、姦淫の意思のない者に働きかけて、姦淫を決意させることをいいます。男性にその女性を姦淫させたことによって、本罪は既遂に達します(未遂は不処罰)。勧誘→決意→姦淫という因果関係が必要です。
 「営利の目的」とは、財産的な利益を得る目的です。実際に利益を得たことは必要ではありません。

共犯
 本罪では、姦淫したB男は暴行・脅迫を手段として用いていないので、A女に強姦を行っていると判断することはできません。B男に姦淫されたA女は自ら決意してそれに応じているので、強姦罪はもちろん、強要罪にもあたりません。従って、淫行勧誘罪で処罰されるのは、Xだけです。
 では、A女とB男はXの淫行勧誘罪の幇助にあたるでしょうか。A女とB男がいなければ、Xの淫行勧誘罪は成立しないので、AとBはXの必要的共犯になりますが、それを処罰する規定はありません(わいせつ文書販売者から見た場合、その購入者も必要的共犯ですが、同じように購入者を処罰する規定はありません)。

5姦通罪
 刑法183条(削除)① 有夫ノ婦姦通シタルトキハ2年以下ノ懲役ニ処ス其ノ相姦シタル者モ亦同シ ②前項ノ罪ハ本夫ノ告訴ヲ待テ之ヲ論ス但本夫姦通ヲ継容シタルトキハ告訴ノ効ナシ
 夫Aのある女性B(妻)が、他の男性C(その妻はD)と性交を行った場合、BとCは姦通罪として処罰されます。被害者はAであり、本罪は親告罪です。Dは本罪の被害者ではなく、告訴権はありません。

6重婚罪
 刑法184条 配偶者のある者が重ねて婚姻したときは、2年以下の懲役に処する。その相手となって婚姻した者も、同様とする。

 本罪は、一夫一婦制の婚姻制度の維持を保護法益とし、それを侵害する多重の婚姻を処罰する規定です。婚姻の民法上の効力を無効とすることによって、一夫一婦制を維持することができるのであれば、あえて刑罰を科す必要はありません。
 刑法Ⅱ(各論) 社会的法益に対する犯罪――公共の信用に対する罪・風俗に対する罪
 第12回 賭博罪

(1)賭博及び富くじに関する罪
 賭博や富くじは、一攫千金を狙うギャンブルです。それは、額に汗して真面目に働くこととは無縁のものです。このようなギャンブルが社会に蔓延するなら、国民の射幸心が助長され、その分だけ怠惰浪費の弊風が生まれる可能性があります。それを放置するならば、勤労の美風が損なわれてしまいます。賭博や富くじが、個人の財産の任意的処分であっても、勤労の美風を維持するためには、それらの行為を犯罪として処罰する必要があると解されています(最大判25・11・22刑集4・11・2380)。勤労の美風が、社会的な風俗の一種として、刑法による保護の対象に置かれています。
 しかし、「勤労の美風」の重要性は認められても、それが刑法の保護法益になりうるかは明らかではありません。しかも、競輪・競馬・競艇・宝くじ・サッカーくじなど「公認された賭博・富くじ」が存在し、それが一般化していることに鑑みれば、刑法の賭博罪・富くじ罪を存続させ、その行為を処罰することの正当性をあらためて考えなければならないでしょう。

1単純賭博罪
 刑法185条 賭博をした者は、50万円以下の罰金又は科料に処する。ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない。

行為
 賭博とは、偶然の事情によって決定される勝敗に、財物を賭けて勝負することをいいます。勝敗が主観的に不確定な事実に係ってることで足ります(大判大3・10・7刑録20・1816)。囲碁のようなものであっても、勝敗が技量の巧拙だけで決まらず、偶然の事情の影響を受けることがあるので、賭博にあたります(大判大4・10・16刑録21・1632)。

可罰的違法性
 一時の娯楽に供する物とは、居合わせた者がその場で娯楽のために消費する程度の物をいう(大判昭4・2・18新聞2970・9)。そのような物を賭けた場合、賭博罪の構成要件に該当し違法でありますが、可罰的違法性がないことを理由に処罰されません。金銭については、その性質上、一時の娯楽に供する物ではないと解されていますが(大判大13・2・9刑集3・95)、一時の娯楽に供する物の対価を負担させるため、敗者に一定の金額を支払わせた場合(負けた方がラーメン代を負担した)、賭博にはあたらないと解されています(大判大2・11・19刑録19・1253)。

2常習賭博罪・賭博開張等図利罪
 刑法186条① 常習として賭博した者は、3年以下の懲役に処する。
 ②賭博場を開張し、又は博徒を結合して利益を図った者は、3年以上5年以下の懲役に処する。

常習賭博罪
 本罪は、単純賭博罪を常習性を根拠に加重した類型です(加重的身分犯)。常習性とは、賭博を反復・累行する習癖をいい(最判昭26・3・15裁判集刑41・871)、その認定にあたっては、賭博の前科や賭博を反復した事実、賭博行為の性質・方法、賭けた金額などを総合して判断されます(最決昭54・10・26刑集33・6・665)。常習賭博を数回行った場合、包括して1罪を構成します(最判昭26・4・10刑集5・5・825)

共犯
 常習性のない者(非常習者)が常習賭博に関与した場合、非常習者には刑法65条2項が適用され、単純賭博罪の共犯が成立します。学説には、常習性を「常習者」という行為者の属性と捉えるものがあり、その立場からは、単純賭博罪と常習賭博罪は類型的に異なる犯罪になので、非常習者には一般の共犯規定を適用して(刑法65条1項を適用することなく)、常習賭博罪の共犯の成立が認められます。
 常習者が単純賭博に関与した場合、どのように解されるでしょうか。常習者には、刑法65条2項を適用して、常習賭博罪の共犯が成立すると解することができるでしょうか。刑法65条2項は、「身分のない者には通常の刑を科する」と定めているだけです。その「通常の刑」とは、加減的身分のない基本類型の罪の刑を指します。従って、常習者に常習賭博罪の刑を科すことはできず、単純賭博罪の共犯にとどまります(共犯の違法は正犯の違法を超えられない→混合惹起説)。

3賭博場開張等図利罪
賭博場の開張とは、自らが主宰者となって、その支配のもとで、賭博をさせる場所を開設する行為です(大判昭7・4・12刑集11・367)。自分で人を集めることも、自らが賭博を行うことも必要ではありません。野球賭博を行うための事務所の開設もまた、「開張」にあたると解されています(最決昭48・2・28刑集27・1・68)。
 博徒の結合とは、常習的また職業的に賭博を行う者(博徒)を集合させて、一定の区域内で賭博を行えるよう便宜を図る行為です。賭博場を開張しまたは博徒を結合して利益を図ることが要件であり、その要件としては、計画があれば足りるので、実際に利益を得ることは必要ではありません(大判明43・10・11刑録16・1689)。

4富くじ罪
 刑法187条① 富くじを発売した者は、2年以下の懲役又は150万円以下の罰金に処する。
② 富くじ発売の取次ぎをした者は、1年以下の懲役又は100万円以下の罰金に処する。
③ 前2項に規定するもののほか、富くじを授受した者は、20万円以下の罰金又は科料に処する。

 「富くじ」とは、あらかじめ番号札を発売して、金銭その他財物を集め、その後抽選その他の偶然の方法で、番号札の購入者の間に不平等な利益の配分を行うことをいいます。本罪は、このような「富くじ」を発売することによって成立するので、実際に不平等な利益配分が行われたことは必要ではありません「富くじ」の「取次ぎ」とは、販売の仲介のことです。富くじの「授受」とは、富くじの交付と取得をいいます。
 賭博と富くじの違いは、賭博は賭博に関わった全員(親も子も)が財物の喪失のリスクを負いますが、富くじは販売者はそのようなリスクを負わず、むしろ抽選の結果、当選者がいない場合には財物を取得するだけです。なお、「福引」は、財物の取得のチャンスがあるだけで、味物の喪失のリスクを負わないので、「富くじ」ではありません(大判大3・7・28刑録20・1548)。


 刑法Ⅱ(各論) 社会的法益に対する犯罪――公共の信用に対する罪・風俗に対する罪
 第12回 礼拝所および墳墓に関する罪

(1)礼拝所及び墳墓に関する罪
 本罪は、礼拝所およぼ墳墓に関する罪であり、それは国民の宗教的感情や死者に対する敬虔の感情を保護法益としていると解されています。これもまた、一種の社会的な風俗として位置付けられています。

1礼拝所不敬罪・説教等妨害罪
 刑法188条① 神祠、仏堂、墓所その他の礼拝所に対し、公然と不敬な行為をした者は、6月以下の懲役若しくは禁錮又は10万円以下の罰金に処する。
 ② 説教、礼拝又は葬式を妨害した者は、1年以下の懲役若しくは禁錮又は10万円以下の罰金に処する。

礼拝所不敬罪
 「神祠」(しんし)は、神をまつる場所、「仏堂」は仏をまつる場所、「墓所」は人の死体を埋葬・安置する場所です。礼拝の対象である限り、本罪の行為客体になります。不敬な行為とは、礼拝所の尊厳または神聖さを害する行為をいいます。墓を押し倒す行為(最決昭43・6・5刑集22・4・427)や墓所に放尿する行為がそれにあたります(東京高判昭27・8・5高刑集5・8・1364)。その行為を公然と行うことが必要です。公然とは、不特定または多数の人がそれを認識しうる状態をいいます。

説教等妨害罪
 本罪は、宗教者の説教、礼拝または葬式を妨害する行為です。それ以外の行事や儀式は含まれません。なお、軽犯罪法1条24項は、いたずらによる公私の行事の妨害を処罰する規定です。

2墳墓発掘罪
 刑法189条 墳墓を発掘した者は、2年以下の懲役に処する。

 墳墓とは、人の死体、遺骨を埋葬して死者をまつり、礼拝する場所です。すでに祭祀・礼拝の対象ではなくなった古墳は、墳墓にあたらりません(大判昭9・6・13刑集13・747)。発掘とは、墳墓を覆っている土の全部または一部を除去し、または墓石を破壊・解体して、墳墓を損壊する行為をいいます。墳墓内の物を外部に露出させることを要しません(最決昭39・3・11刑集18・3・99)。

3死体損壊罪
 刑法190条 死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、3年以下の懲役に処する。

 行為客体は、死体、遺骨、遺髪または棺に納めてある物です。死体は、死体の全部または一部であり、その臓器も含まれます。
 損壊は、物理的な破壊であり、死体の姦淫(屍姦・シカン)は含まれません(最判昭23・11・16刑集2・12・1535)。
 遺棄とは、埋葬の形式とは認められない方法で放棄することです。死体を放置(置去り)する不作為は、葬祭義務者の場合についてのみ遺棄にあたります(大判大6・11・24刑録23・1302)。従って、殺人を行なった後、死体を放置する行為は、死体遺棄にはあたりません。
 領得は、不法に占有を取得することいいます。領得が同時に窃盗罪などにあたるか否かについては、判例・通説はそれを否定し、本罪のみの成立を認めています(大判大4・6・24刑録21・886)。所有権または占有などの保護法益が存在しない以上、財産犯は成立しないと考えられます。

4墳墓発掘死体損壊罪
 刑法191条 第189条の罪を犯して、死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、3月以上5年以下の懲役に処する。

 本罪は、墳墓発掘罪と死体損壊罪の結合犯です。場所的・時間的な接着性が要件として必要であると考えられています。

5変死者密葬罪
 刑法192条 検視を経ないで変死者を葬った者は、10万円以下の罰金又は科料に処する。

 本罪は、不自然な死を遂げて死因が不明な死体、変死の疑いのある死体を、検視を経ないで埋葬する行為です。それには、死者に対する敬虔の感情を害する性格があるといえますが、犯罪の関与の疑いが晴れない段階で埋葬することによって、それを捜査機関に隠すという性格もあるようにも思われます。捜査の迅速性に社会的法益としての性格があるとしても、それは国民の宗教的感情や死者に対する敬虔の感情とは異なるので、それを保護法益に含ませてはならないでしょう。